アイムハングリー

影津

アイムハングリー

 激流の爛々とした音でHのへっぽこギターは掻き消えているにも関わらず、観光客や川辺に居座るバカップルが冷ややかな一瞥を投げかける。


 こんな日もある。って毎日だけどとHは一人ふてくされる。


 京都嵐山の行楽シーズンに保津川の川沿いで弾き語りなんかしていたら、目立つ目立つ。十一月の肌寒い正午ごろ。半袖で気合を入れ、でも寒くて心もとないからとジーパンに防寒用のブーツを履く肝っ玉のなさを引きずり、ギターを一時休戦するH。


 川辺の砂利の斜面を上がり、観光客の列にギターを持った不審な二十代が加わる格好となる。Hは大阪在住の大学生だったが、今日は英語コミュニケーションの先生が風邪で休講、一度大阪市内のアパートに戻り、ギターを引っさらいJR環状線から大阪で乗り換え、嵐山に至る。Good job,myself. Mitarashi Dango,come out quickly.


 Hは腹が減っても戦をする気で来た。前の観光客たちは草餅など選ばず、みな一様にみたらしだんごを選んでいる。Hはだんだん自分も観光客のような気分になってくる。実質大阪から京都に出てきたのだから、観光客といっても差し支えないだろう。


 京都の魅力とは不思議なもので、用事がなくても景色を眺めたくなる。だんごを食いたくなる。嵐山温泉に入りたくなる。ああ、ギターは湿気に弱いから持っていくのが躊躇われる。と、Hは自分の前にみたらしの番が来るのを見てにんまりする。腹ごしらえをたった五百円の団子ですませば、再びギター侍へと変貌するのだ。といっても、羽織袴など着ていないが。To begin with,I don’t like Kimono.


 京などという雅な古都で、川辺のベンチに腰掛ける。さっきまで砂利の上で胡坐をかきギターを弾いていたせで、尻も足も凹凸ができていた。それが、ベンチで平らに押し広げられるようで、ぐりごり痛んだ。


 さっきまでのは修行も兼ねていた。尻の痛みも人前に出る修行だ。Hは元々インドア派である。それが、どういうわけか、英語好きでギター好きときている。大学は小さいときから好きだった英語だけを勉強するために、当然のように外国語大に進んでしまったが、別に外人と会話したいわけではない。留学もする気はないし、コミュニケーションを図りたいわけでもない。


 ――英語ができる日本人って少なくてかっこよくね?


 Hはなんとなくで進学した。言い添えるならば、女の子にモテたいというような疾しいところがあった。


 Hいわく「英語は身を助ける」。ただし、道を聞かれたときだけ。By the way, I am unable to provide tourist information for Kyoto, so please be patient.


 Hは団子を食す。一口で二個行こうとして、喉をつめる。それでも腹に数秒で納めると、げっぷを一つ。さぁ、カッコつけるぞとギターケースからギターをかき抱く。チューニングばっちり、ミラレソシミ。C D Em GなんとなくF。


 当然英語でギターも歌う。曲はアーティスト名が不謹慎すぎて改名を求められた『イチ殺っメジャーがんばりあーの』の『まだ、歌ってないよ。今日のおかずなに』。




 Leave yourself to the flow of time

 時の流れに身を〇〇


 I dyed in your color.

あなたの〇〇に染められ


 Ah! I haven’t sung yet. This is someone else’s son. May be.

ああ、まだ歌ってないよ。これは、他の人の歌だよ。たぶん。


 This is where the real lyrics begin. I’ll say everything I want to say now.

ここから本当の歌詞がはじまるよ。今言いたいことを全部言うよ


 What was the side dish for dinner last night?

昨日の晩御飯のおかずはなんだっけ。


 Did I eat toast this morning?

今日の朝ごはんのおかずはトーストで合ってる?


 I don’t have early-onset Alzheimer’s disease. Maybe,okay. It’s just because I’m hungry.

僕は若年性アルツハイマーじゃないよ。たぶん、大丈夫。腹が減っているだけ。


I’m hungry.

腹が減っているだけ。


 Before I get into numer two,let me tell you a story.

二番に入る前に話をさせてよ。


 Summer days I remember. Lonely night.

思い出す秋の日、一人〇〇〇の夜。


This is where the real lyrics begin. Question. Whose song is that song from earlier?

ここから本当の歌詞がはじまるよ。問題です。さっきのは誰の歌でしょう?


 What was the snack I ate in the middle of the night?

夜中のつまみはなんだっけ。


 続く。




 そんなわけで、Hの歌声は海外の観光客にはウケていたわけだ。若い男女の白人がげらげら言っていたのを小耳に挟んだ。Hはギターをかきかき、白ける日本人をどう振り向かせようか悩んだ。別にプロミュージシャンを目指すわけではないが、まずはこれからと『歌ってみた』をYouTubeで配信する予定だ。肩慣らしだ。


「Hi! Welcome to my YouTube channel ABABABABABABAA! 日本語でお届けします。歌は、英語で頑張ります。それでは、『まだ、歌ってないよ。今日のおかずなに』」


 うんざりした国内観光客から、団子の串が飛んできた。そんな冷やかしにはHは負けない。紅葉ははじまったばかりだ。人生もこれからだ。


 京都まで来てこんなことをするのはおかしいと友人は言うだろう。そうとも、バンドってのはこうやって人前で演奏することからはじまるのだ。メンバーはまだいないが。


 Hは極度のSNS音痴だった。バズるってなに。ツイッターに人が住んでるの? 一体全体、この忙しい日常生活の中でどうやってネットの世界に住み込んで、自ら発信していくというのか。Hはツイッターでため口を利いて、叩かれた。仲良く話せる人もできたが、それでも長続きしなかった。Shit! 誰が誰だか覚えられないぜこの野郎ども。


 ネットの住人との連絡は主に文字でのやり取りで、ネット上で友達が増えると実際に会って会話しているわけではないので、一度に二人などと話せばたちまち誰が誰か分からなくなった。アイコンと、ユーザー名を一度にたくさん覚えられない。


 そんなわけで、疲れたHはYouTube配信だけに絞った。客は歌さえよければ来ると鷹をくくった。


 あれよあれよと、集まるかボケー。Foolだった。


 ブーイングが起きてもおかしくはなかった。香具師やしにしても隣でベンベンジャカジャカ、アイムハングリー、アイムハングリーのサビを連呼する歌など聞いていられない。


 腹が減ったのなら、買えよ! と一言口添えしてやってもいいのだろうが、Hはすでに団子を食している。


 Hは騒音問題発生源となりつつありながら、満足していた。今や背後の団子屋からも段ボールの箱を背にぶつけられる始末。一瞬喉が詰まったが、そんなの関係ねぇ。そんなの関係ねぇ。ハプニングにも強くならなければ、人前で歌えぬ。


 ――そうだ、俺プロになろう。I will definitely become a musician.


 突拍子もなく、実力もないHはここで配信を一時中断する。生配信では人が来なかった。それでは、今の動画を再編集するか、しないか、どうしようか。


 まず、自分で歌を作ろう。いや、無理だ。音楽理論はてんで分からんと、Hは歯噛みし、C G7 C をつま弾きお辞儀する。起立、礼、着席の和音である。


 やはりギター一本にするか、声は今流行りのハイトーンボイスではない。少し高めの声でこれといった特徴はなかった。自惚れるならガサガサした秦基博といった感じだ。もっと、艶っぽく歌いたいものだった。


 Hはついには砂利を投げられた。川辺のバカップルだ。


 歌などやめだった。ギターを死守すべくギターケースに仕舞いこむ。喉がいがいがした。風邪を引いたかも。


 くすくす笑う長髪黒髪の女と、金髪で巨漢のいかつい男が上目にこちらを見上げている。Hは足でぐいぐい砂利を蹴落とした。Those of you on the bottom are at fault.下にいるお前らが悪い。大事なことなので二度Hは内に秘めた。声に出して罵る勇気はない。


「やんのかガキ」


「いえ、すみません!」


 Fuck.Don’t make fun of me.


 内心毒づくだけだった。Hは移動こそすれ、攻撃はできない人間だった。


 はぁとため息。カップルはHが戦意喪失したのを見届けると満足そうに、川面に視線を向けた。小声でささやき声と嘲笑が起こったが川の勢いにかき消されて、まだ何か笑われているかどうかはHには分からないが、間違いなくまだ嘲笑っていると思った。


 いかんせん、あいあいやー、Hは歌い足りない。動力源は腹の底から地熱のように溢れ出てくるエネルギー。Hは隣の家の子に触発されたのだった。


 アパートの隣には一人暮らしの女の子がいた。


 名前もしらない、Red hairのあの子。


 高校生ぐらいだろうか、年齢は二十には達していないだろう。


 重いを馳せるだけで手汗をかく。出会うのは土日の夕方で、相手はエレキギターのケースを持っていつもどこかに出かけていく。Hもアコースティックギターを持っているが、それを持ち出すことはない。家で十分弾くことができるからだ。だが、たまたま夕方アパートでギターの音が重なったことがある。楽器演奏可のアパートだが、防音していても少しは聞こえるのだった。エレキをアンプで繋いで音を小さくしていても、それは聞こえた。


 じめじめした七月初旬のことだ。




 Ah! I haven’t sung yet. This is someone else’s son. May be.

ああ、まだ歌ってないよ。これは、他の人の歌だよ。たぶん。




 Hに衝撃が走った。キャパシティ六百人もろくに埋められない、そんなに流行っていないバンドの全く流行っていない曲を知っている二人が隣に住んでいる!!!


 Hは知っているその歌詞に自身の歌とギターを重ねたくなった。それは、おそらく防音しきれていないがそれでも演奏可である安アパートの壁の向こうへ必ず届くだろう。




I’m hungry.

腹が減っているだけ。


I’m hungry.

腹が減っているだけ。




 演奏が気付いたら止まっていた。Hも演奏をやめ、声が聞こえないか白い壁の向こうを睨んだ。Hの部屋は必要最低限の調度品とギターと英語関係の辞書と教材ぐらいしか置いていない。CDラックは空のままだ。


 モールス信号は知らないので、ギターコードのCを鳴らしてみる。

 No.response.Oh,Comeon.One more.


 Fを鳴らしてみる。


 よれよれのFコードが返ってきた。つまりHより下手くそ。Hはちょっと微笑ましくなって笑う。I can go!


「あのー」


 Hは訊ねる。But.返事がない。So,bad.


 どうしたものかとHは考えあぐねいていると、がらがらの声が返ってきた。


「君、うるさいよ」


 You’too.


「酒やけしたような声だな」


 一人Hが呟くと、壁の向こうからけたけたと甲高い笑い声が響いた。


「飲みながらやってるからね! もっと上手くなってからあたしのギターに乗せてきな。下手くそ!」


 嬉しいような悲しいような。それっきりHは彼女の声を聴くことはなかった。しまったとHは後悔する。


 それからすぐ、引っ越し業者がアパートにやってきて彼女は消えた。もっと話したかったとHは思ったが、よく考えれば彼女の容姿もほとんど知らない。高校生のはずだが、声は酒やけしていてとても透き通るような美声とは言えなかった。Yes.


 それなのに、Hはすっかり彼女の虜になってしまった。夕方にギターを持ってでかけていたのはきっと、練習をしに行っていたからだ。スタジオを借りるのか、それともライブハウスでライブをするのか?


 Hは彼女の素性を知らない。Nothing.


 もっと、知りたいと思うことすら時間が足りなかった。人生なんて悩む時間もないほど速くすぎる。


 ただHが一つ悔しかったのは、Hより下手な演奏の彼女が自分より一歩先に進んでいること。


 Hはギターを持って出かけた。誰に聞かせるのかは決めていないながら、あちこちで演奏した。京都嵐山の観光客の心にギターは沁みないとどこかで分かってはいたのだ。


 観光客にはお目当ての見るべきものがある。肌で感じる空気がある。日本を感じる風土がある。それらと張り合えるようなものはHには何もなかった。あるのは、ギターだこのできた左手ぐらいか。こんなの、一週間も演奏せずにいたら取れてなくなっちまうが。


 Hはころころ笑い出す。情緒不安定Enjoy.


「やっぱ団子一つじゃ駄目か。飯にしよう」


 団子屋に再び並ぶ。CDラックに自分の作ったCDを並べたいとHは思う。


「あんた、さっきからうるさいんだよ! どっかよそでやりな! ここは京都だよ」


「I know.Oh,I’m not Japanese. ニホンゴワカリマセン」


「だから、それがうるさいんだよ。五百円だよ」


「ういっ」


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