ベフォルクの住む家の前まで来た四人。

「いいかい? ドアのノックは静かに、そしてしんちょうに」

 小声でヒソヒソとノーマンが話します。すると、家の中からベフォルクの声がしました。

「だれだい!? 人の家の前で大きな声を出してるのは? うるさくてかなわないよ!」

 こんなに小さなヒソヒソ声でしゃべっているのに、ベフォルクには、とても大きな声でしゃべっているように感じられるのです。

「ベフォルク、ぼくだよ、ノーマンだ。今日はきみに、とってもよいものを持ってきたんだ」

 ノーマンは、さらに注意深く、ヒソヒソ声で家の中のベフォルクに話しかけます。ノーマンのすぐとなりにいたニーナでさえ、ちゃんと聞き取れないくらいに小さな声です。

 ベフォルクの家のドアがガチャリと開くと、ムスっとしたベフォルクが顔をのぞかせました。

 ベフォルクが、四人の顔をジロジロと見くらべながら言います。

「なんだい? ぼくにいいものって」

 ノーマンはうれしそうにイヤーマフを手わたすと、ベフォルクの耳をおおうようにつけさせました。

「これはいったい、なんなんだい?」

 不思議そうにたずねるベフォルクに、ノーマンはヒソヒソ声で話します。

「それはね、イヤーマフっていうんだ」

 ベフォルクはそんなノーマンを見て、首をかしげながら聞き返しました。

「なんだい? 口をパクパクさせているだけじゃわからないよ。なにかしゃべったらどうだい?」

 ベフォルクのその言葉に、みんなの表情が、少しだけ明るくなりました。みんなは顔を見合わせます。続けてノーマンは、今度はみんなと話すときと変わらない、いつもの普通の声の大きさで、ベフォルクに話しかけてみました。

「それはね、イヤーマフっていうんだ」

 今度はベフォルクにも聞こえた様子。

「ふーん……。で? これのどこが、ぼくによいものなんだい?」

「やった! 成功だ!!」

 ノーマンは思わずガッツポーズをとって喜びました。フェリスもクルンクルンと宙返り。ニーナとトルールも手を取り合って喜びました。

「ベフォルク! ぼくは今、みんなと話すときと、まったく変わらない声の大きさできみに話しているんだ!」

 それを聞いて、ベフォルクは目を丸くしました。

「本当に!? 本当に普通の声でしゃべっているのかい!?」

「本当よ! ベフォルク! それがあれば、あなたも、わたしたちと一緒にくらせるのよ!」

 フェリスの言葉を聞いたベフォルクは、とつぜん大声をあげて泣きだしました。

「さびしかったよー! ひとりぼっちはつらかったよー!」

 いつもムスっとしていたベフォルクが、顔をグチャグチャにして泣いています。まるで水をためていたダムがこわれてしまったみたいに、なみだが止まりません。

 ずっとつらい思いをして、ひとりぼっちでくらしていたベフォルク。そのベフォルクのつらかった気持ちがみんなに伝わったのか、そこにいた全員が、ベフォルクと同じになって、顔をグチャグチャにして泣いてしまいました。

 ニーナもわんわんと泣いていました。

 ここへきてからわんわんと泣いたのは、これで二度目です。

 でもニーナは思いました。これは、ムスっとしているベフォルクに勇気をふりしぼって声をかけ、気持ちが伝わらなかった、あのときの『くやしい』っていうなみだとはちがう『うれしい』っていうなみだなんだと。

 ニーナは、この『うれしい』っていうなみだが、大好きになりました。

「このイヤーマフはね、ニーナとトルールの、アイデアなんだよ!」

 ノーマンが泣きじゃくるベフォルクにそう言うと、ベフォルクは相変わらず顔をグシャグシャにしたまま、ニーナたちにお礼を言います。

「ありがとう! ニーナ。ありがとう! トルール。きみたちのおかげで、ぼくはもうひとりぼっちで過ごさなくてすむよ!」

 その場にいた全員が、みんないつまでも泣きやみませんでした。この森が、みんなのなみだで海になってしまうんじゃないかと、ニーナは少しだけ心配になりました。

 赤く目をはらした五人。でも、その表情はどんよりとしたものではなく、この森の青空のように晴れやかですきとおった、すばらしく気持ちのよいものでした。


 ベフォルクがノーマンたちの住む集落に引っこして、どのくらいたったでしょうか。

 ニーナとトルールに、この森と、この森に住む仲間たちとの別れのときがやって来ました。ニーナもトルールも、みんなとはなれたくなくて、さびしい気持ちでいっぱいです。

「ニーナ、ずっとここにいたい! みんなと はなれたくないよ!」

 ニーナはぐずりはじめ、トルールは少し困り顔。

「でもね、ニーナ、ぼくたちはここの住人ではないし、ここには、パパとママもいないんだよ? ニーナは、パパとママに会えなくても平気? パパとママは、ニーナに会えなくても平気かな?」

 ニーナはパパとママが大好き。でも、それと同じくらいこの森の仲間たちも大好き。

 ニーナは心が痛くて、泣き出してしまいました。 

 もちろん、森の仲間たち、ノーマンもフェリスもドワッツもベフォルクも、みんなニーナが大好きで、ずっとここにいてほしいって思っています。

 でも、だれひとりとして「ずっとここにいてよ」とは言いませんでした。

 それは、みんなが本当に、本当にニーナのことが大好きだったから。

「そろそろお別れだよ」

 ノーマンが、泣きやまないニーナの前に立ちます。

 フェリスもドワッツもベフォルクも、みんなでニーナとトルールを囲みました。

「ぼくたち全員から、きみにプレゼントがあるんだ。きっと気に入ってくれると思う」

 そう言って、ノーマンはニーナに木でできた指輪を手わたしました。

「それはね、月桂樹っていう木からけずり出した指輪だよ。ぼくたちの『帰り道』も月桂樹から作られているんだ」

「月桂樹?」

 ニーナが聞き返すと、ノーマンは笑顔でうなずきます。

「そう、月桂樹。ぼくたちとの友情の証に、きみに受け取ってもらいたいんだ。いつか、その指輪が空のお月さまのように金色にかがやくとき、ぼくたちはまたきみを、むかえに行くよ」

 そんなノーマンの言葉を聞いて安心したニーナ。満面の笑みでノーマンに答えました。

「ありがとう! 宝物にするね!」

 やがて時は満ち、ニーナとトルールもこの森とお別れです。

「みんな、ありがとう、元気でね!」

 せいいっぱいの笑顔で、ニーナとトルールは森の仲間たちと別れのあいさつをしました。 ノーマンが言います。

「さあ、目をとじて……」

 ノーマンの言葉にうながされ、ニーナは目をとじると、フッと自分の体が急に軽く感じられました。


 ノーマンは続けます。


 きみの家のとびらに手をかけて、とびらを開くと、だんろが見えてくるよ。

 柱にかけたふり子時計が、時間をきざむ。

 時刻は……そう、ちょうど午前5時だ。

 森から吹き抜ける風が、まどガラスに当たって、ガタガタと音を鳴らしてる。

 きみはゆっくりとろうかを歩き、自分の部屋へ。

 いたんだ床を歩いているとき、床がギィーときしむ音がするけれど大丈夫。

 パパもママもぐっすりゆめの中だ。

 自分の部屋に入ったきみは、パジャマに着がえると、トルールをだいてフカフカのベッドのなかに入ってねむるんだ。


 おやすみ、ニーナ。よいゆめを……。


     †


 まどから朝日がさしこみ、ニーナはまぶしくて顔をそむけました。

「わたしのかわいいニーナ! おはよう、さあ、ベッドから出てきてママにキスをしてちょうだい」

 ママがニーナの部屋へやって来て、ニーナをやさしく起こしました。まだ、まぶたが開かないニーナは、ボーっとしたまま自分の部屋を見わたします。

 むねには、しっかりとだきかかえられたドクター・トルール。まるでまほうにかかったような、すてきなゆめを見ていた気分だったけれど、どんなすてきなゆめだったのか、ニーナにはまったく思い出せません。

「さあ、ニーナの大好きな生クリームに、ハチミツたっぷりのパンケーキを焼いてあげるわ。だから着がえて、顔を洗ってらっしゃい」

 ママの言葉で目が覚めたニーナ。ベッドから飛び上がると、急いでパジャマをぬいで、着がえます。そんなニーナを見ながら、ママはいとしそうに目を細めてニッコリ笑い、キッチンへ向かいました。

 お気に入りの水玉もようのヘアターバンと、ニーナの目の色と同じ、青色の毛糸のカーディガン。

 だけど、ニーナがカーディガンをはおったとき、少しだけ変な気分になりました。なんと、ニーナのお気に入りの青色カーディガンが、少しだけちぢんでしまっているのでした。そでが少し短くなって、ニーナの手首まで見えているし、丈も少し短くなってしまっています。

 ママがあたしのために作ってくれた、とても大切なカーディガンなのに!!

 そう思うと、ニーナは急に悲しい気持ちになり、泣き出してしまいました。

 ニーナの泣き声に気づいたパパとママが、あわててニーナの部屋へとかけこんできます。「どうしたの!? ニーナ!」

 パパもママもニーナがどうしたのか心配で、気が気じゃない様子です。

「ママにあんでもらったカーディガンがちぢんじゃった!」

 泣きながらうったえるニーナに、パパもママもおたがいに顔を見合わせて、安心したように大きなため息をつきました。

「ああ、ニーナ、そんなことか。きみになにかあったのかと思って、パパもママも心配したよ」

 パパが、ニーナをだきしめながら言いました。

「だって! だってママがあたしのために作ってくれた、お気に入りのカーディガンなのに!」

 パパにだきかかえられたニーナのなみだを、やさしくふきながらママが言います。

「ニーナ、それはカーディガンがちぢんだのじゃなくて、あなたが少しおとなになったってことよ。パパもママも、今日という日がとてもうれしいわ」

「おとなに……なる? 昨日まで子どもだったのに?」

 ママの言ったことがわからず、ニーナは聞き返しました。

「そうよ、あなたは毎日おとなになっているの。わたしたちの一日と、あなたの一日では、まるで中身がちがうのよ」

 ママの言ってることがやっぱりわからないニーナ。

 そんなニーナの様子に気づいたパパが、ベッドに転がるトルールを取り上げて、やさしくなでながら言いました。

「つまりね、パパやママが持っているドクター・トルールは、あんまり綿が入っていないけれど、ニーナの持っているドクター・トルールは、綿がいっぱいつまっているってことさ」

 どういうことなのでしょうか。

 やっぱりニーナには、パパとママの言った意味があまりわからないままだったし、お気に入りのカーディガンも少しちぢんでしまったけれど、パパもママもそれをとてもよろこんでいます。

「あら? ニーナ、かわいい指輪ね」

 ママがニーナの指に目をとめて、やさしくいいました。

 そういわれて、指輪に目をやったとたん、ニーナのゆめのきおくが、よみがえってきました。

「うん! 月桂樹の指輪!!」

 ニーナはめいっぱいの笑顔でそう答えました。

 そんな様子のニーナに、ママもパパもとてもうれしそうにうなずきました。


     †


 ニーナは今日も森へと出かけていきます。

 お気に入りは、白衣を着たウサギのぬいぐるみの『ドクター・トルール』と、ニーナの青い目と同じ色の、少しだけちぢんでしまった青色カーディガン。

 そして、『帰り道』の先でくらす、森の仲間たちからもらった月桂樹の指輪です。


《月の帰り道 おわり》

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月の帰り道 虹乃ノラン @nijinonoran

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