第一話 そして異世界へと

「アリス様、改めてお聞きしますが、本当に異世界へと向かうおつもりですか?」

「おう。思い立ったが吉日って言うしな、行動は早いに越したことはない」

「早すぎるのもどうかと……」


 心配そうに声をかけるソフィアに対し、アリスはとても楽し気だ。何なら鼻歌まで歌っている。

 執務室から城のバルコニーに移動した二人は、異世界へと転移するための準備を行っていた。とは言えその準備をしているのはアリスだけで、ソフィアはそれを見守っているのみである。

 自らの頭上に指先で複雑な魔法陣をアリスは描いている。光を発している指先が動くたび、その空間そのものに光が刻み込まれているようだった。


 まるで片手間にアリスはそれを行っているが、異世界へと繋ぐ転移魔法は大魔法のひとつに数えられる。魔界から別世界へ移動するのだ、そのためには莫大な魔力が要求される。発動させるためには、強大な魔力を持つ実力者が何人も揃って、ようやく成功するかどうかというものなのだが、アリスならば容易に単独での転移魔法を扱うことができた。


「アリス様ならば問題は無いと思いますが……やはり私は心配です。それにアリス様がいなくなったら、待ってましたとばかりに魔王の地位を狙われてしまいますよ」

「別に魔王なんかにこだわってはいないけど、それはそれでムカつくな。しゃーない、分身シャドウを出してしばらく誤魔化すか」


 アリスはがしがしと頭を掻いた後、「ほれ出てこい」と手を叩いた。それを合図にし、アリスの目の前に黒い影が出現したかと思えば、その影は一瞬にしてアリスの姿形となった。自身の魔力を媒介にし、分身を生み出したのだ。普通ならばオリジナルには到底実力は及ばないが、アリスの分身はそこらの上級魔族以上の力を有している。元々の力が凄まじい故だ。


「私がいない間、まあ適当にやっといてくれ、分身よ。怪しまれない程度にな」

「任せてくれ、マスター。きちんと全員殺す」

「アリス様、本当にこの分身大丈夫ですか?」

「いいじゃん、やる気に満ち溢れていて。……そうだ、転移するときに色々縛りも加えておくか。このまんまだったら、あまりにもヌルゲーすぎるしな」


 とアリスは頷いたところで、魔法陣を描き終えた。転移魔法の準備が整い、後は術を発動するのみである。


「さてと、そんじゃ行きますか。ソフィア、私が留守の間を頼んだぞ」

「はあ……これ以上止めても、無駄ですね。──行ってらっしゃませ、アリス様。ご無事をお祈りしております」


 ソフィアはきゅっと襟元を正し、深々とアリスに頭を下げた。アリスは「誰に祈るんだよ」と笑えば、小気味良く指先を鳴らし、転移魔法を発動させる。アリスの頭上に描かれた魔法陣がより一層、光輝いたかと思えば、アリスの体を包み込んでいく。そしてソフィアが瞬きをした後、アリスの体は消え去っていた。──魔界ではない、別の世界へと転移したのだ。


「やれやれ。でもアリス様らしいと言えば、らしいですね。さて、では分身である貴女にはアリス様の代わりに業務を行ってもらいますよ」

「全員殺せばいいんだな?」

「とりあえず、その殺る気をどうにかして下さいね」



 ◇



 アリスが転移魔法によって異世界へと旅立ってから、約四ヶ月の月日が流れていた。長寿である魔族からすれば、その時間など誤差みたいなものだ。何ならアリスはその誤差みたいな時間で、異世界を支配出来ると考えていた。実際、転移先の世界を支配をするには充分にも程がある月日だ。

 アリスが自らに課した縛りさえなければ、の話だが。

 では現在の魔王アリスは、一体どうなっているのか。


 ──そこは今日日、ドラマにも出てこないお手本のようなボロアパートの一室だ。蛍光灯が切れかかっているのか、時折明かりが点滅するその部屋は、五畳一間。浴室は無く、トイレの便座にはヒビが入っている。一応は料理をするスペースはあるようだが、無造作に置いてあるガスコンロと小さなシンクが備えられているのみである。

 この築何年かも定かではないボロアパートに住んでいるのは素性も分からない外国人や、薄い壁を簡単に貫通する大音量でAVを垂れ流す中年男性、時折謎の白い粉を持ち込む顔の半分にタトゥーを入れた若者など、非常に個性豊かな面々が揃っている。


 そんな愉快な彼らが住むボロアパートについ最近入居したのは部屋の真ん中で蹲り、頭を抱えて、苦悶の声を漏らしているアリスだった。アリスが着ているのは黒を基調とし、シンプルながらもアリスの体つきを際立たせるドレスではなく、いわゆる芋ジャージだ。青色が妙に濃く、凄まじくダサい。芸人が着ていれば、まあ見れなくもないレベルである。

 ウルフカットにされていた金髪は魔界にいた時よりも伸びていて、殆ど整えられていないのか毛先はボサボサに跳ねている。魔界で魔王として君臨していた、アリスの美しくも威厳のある姿は遥か彼方へ消え去ってしまっていた。


「何でだよお……! どうしてこうなっちまったんだ……! 何をどう間違えたら、こうなるんだよお……!」


 額を畳に押し当てながら、アリスはぐねぐねと悶える。その声にはどうしようもない後悔と、やり場の無い怒りが込められていた。正直なところ、原因は全てアリス自身にあるのだが、それを認めてしまったら今のアリスには泣かない自信が無い。


(調子ぶっこいて縛りをかけ過ぎたか!? でもこんな状況になるとは普通、思わねえだろ! ああ、昔の私を思い切りぶん殴りてえ! 異世界を支配するとか言っている場合じゃねえぞ、マジで! 私、また何かやっちゃいましたってか? やかましいわ!)


 アリスはひとしきり脳内会議を終えると、頭を抱えていた手を離し、ズボンのポケットに手を入れる。そこから取り出したのは、数枚の紙幣と小銭だ。ちなみにその紙幣には、「千円」と表記されている。

 アリスは千円札を握り締めながら迫真めいて、こう呟いた。


「この世界で生きていくための金が無え……! このままじゃ死ぬ……!」

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魔界統一を果たした魔王様が異世界も支配しようと現代に転移して来た結果、週7でパチンコ屋に通う立派なパチンカスになっちまったんだが 森ノ中梟 @8823fukurou

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