第29話 最終話 まっすぐ、正面から


「献本! 献本来た!」


 バタバタと玄関から帰って来たパクチーが、俺に向かって一冊の本を差し出して来た。

 それは、俺の話を彼女がコミカライズした物。

 彼女が求めていた結末であり、俺も願っていた未来。

 その一巻が、ついに手に取れる媒体で世界に形を残した。


「んじゃ、読ませてもらうわ」


 なるべく冷静を装って、コミック一巻を開いてみれば。


「待って! 私の前で読まないで! 滅茶苦茶緊張するから! 私、炭火さんにも本渡して来るね! その間に読んで! しばらく向こうの部屋でお世話になるから!」


 それだけ言って、彼女は残りの献本を抱えて部屋を飛び出して行った。

 全く……何と言うか。

 今までは平気で見せて来たのに、今回は凄い反応だ。

 まるで始めて本が出た時みたいに慌てて、しかも緊張している御様子。

 これでも俺等は、いくつかの書籍を残している作家だろうに。

 呆れた笑みを溢しながら、彼女の漫画を開いてみれば。

 そこには、俺の知らない世界が広がっていた。

 確かに俺の書いた物語、登場人物もストーリーも、全て俺が描いたもの。

 でも、間違いなく別物だと思える程の熱量を感じた。

 俺が想像していなかった所まで、読み手は想像していたと言う事なのだろう。


「へぇ……凄っ、ここまで描くんだ」


 思わずそんな言葉を残しながら、ペラペラとページを捲っていく。

 どのページも、どのコマも。

 全部に彼女の“好き”が詰まっていた。

 こんなシーン、手を抜いたりカットすれば良かったのに。

 そう思える箇所でさえ、彼女らしくコミカルに描かれている。

 流石、という他あるまい。

 やはり俺から見て、パクチーという漫画家は天才だ。

 どこまでも妥協せず、努力を繰り返し。

 そして原作を大事にしながら、ここまでの作品が描けるのだから。


「ハ、ハハ……すげぇって。パクチーはマジで天才だよ」


 俺には無い才能、俺には出来ない努力。

 自分には無いモノを平然とこなしている相手を見た時、人は理解が及ばす“天才”と表現するのだろう。

 アイツだって、普通の人間だし自らを凡才だと謳う。

 でも逆に、パクチーは俺の事を“凡才”とは呼んでくれないのだから。

 だからこそ、一緒に居るんだ。

 互いを認め合い、互いの才能に嫉妬して。

 そして高め合えるのなら。

 俺達は多分、ずっと一緒に居るべき存在なのだ。


「随分と長い事掛かったもんだけど……でもま、条件は達成したし。これで向こうもOKしてくれるかな?」


 ボヤキながらスマホを弄り、隣の部屋に居るであろうパクチーにメールを送った。

 恐らく今頃、炭火に新刊を渡して相手が錯乱状態に陥っている事だろう。

 なんとも騒がしいと言うか、そういう声も聞こえて来るし。

 だからこそ、今かなって。

 ずっとこんな感じだったし、今更堅苦しい雰囲気とか、そういうムードも違うだろう。

 だから、普段通りの空気が流れている内に。

 なんて事を思いながら、返事を待ちながら漫画の続きを読んでいれば。

 バタバタと随分騒がしい足音が聞えて来て、仕事部屋をスパァン! と音が上がる程の勢いで開いたパクチー。

 そして。


「な、な、なぁ!?」


 真っ赤な顔でプルプルしながら、此方にスマホを向けて来た。


「それで、返事は?」


「自分の口で言え馬鹿ぁ!」


 ごもっともな意見を口にしながら、此方の胸に飛び込んで来るのであった。

 背が低くて、童顔で。

 一見未成年にでも見られそうな外見の彼女。

 でも俺には無いモノを沢山持っていて、どこまでも妥協しない真っすぐな性格で。

 俺の作品を誰よりも……と言うか下手すりゃ作家以上に理解してくれる。

 ずっと背中合わせで仕事をして、互いの作品を認め合い、共に歩んで来た。

 だったら、もう覚悟を決めようじゃないか。

 いつまでも“いつか”を追い求めるのではなく、今の俺のまま言葉にしよう。

 情けなくて、いつ仕事が無くなってもおかしくない弱小作家だが。

 今日だけは、文字ではなく言葉で伝えようと思う。


「好きだ、ずっと一緒に居てくれ」


「やっと言ったよ、この馬鹿ぁ……」


 そう言いながら、彼女は俺の胸に縋りついて泣き始めた。

 ずっと不安だったのだろう、この環境が。

 すぐ近くに居るのに、遠い所に居る様に感じていたのだろう。

 それは俺のせいだし、俺がはっきりしなかったのが一番問題なのだが。

 でももう、未来を望んで今を蔑ろにするのは止めだ。

 先の事なんて分からない、だからこそ一緒に居たいんだ。

 俺が困った時も、コイツが困った時も。

 一緒に歩いて行きたいと思ってしまったのだから。


「私で良いの? 本当に私で良いの!? 滅茶苦茶面倒くさいし、料理も出来ないし……やっと一冊。憧れた作品を手掛けただけの、駆け出しだよ?」


「十分すぎるだろ、ソレ。夢を叶える所まで行ったら、もう俺より上だっつの。多分お前じゃなきゃダメなんだよ。俺一人じゃ……とっくにこの仕事辞めてた気がする。ありがとう、パクチー先生。俺に憧れてくれて、俺の話を漫画にしてくれて。やっと芯っていうかさ、俺がこの仕事してた意味が出来た気がする」


「バカぁ……」


 その後も暫く、彼女は泣き続けた。

 コイツがこんなに泣く所、初めて見たかも。

 そんな風に思えるくらい、わんわんと泣き叫んだ。

 でも嫌な気分じゃない、相手は力強く此方を抱きしめてくれるのだから。

 だから俺も、彼女を強く抱きしめた。

 長い道のりだった、そう言えるのかもしれない。

 俺がしっかりしていれば、もっと早かったのかもしれないけど。

 でも彼女が夢を叶えてからってのは、大きな意味があったと思うんだ。

 こんなの俺の逃げでしかないのかもしれないけど、それでも。

 俺達は、しっかりと互いに対して認め合える作家同士になれたのだと思う。


「チッ、クソッ、この野郎……今まで散々ヘタレてたのに、このタイミングでパクチー先生を誑かしやがって……」


 仕事部屋の扉の端から、炭火が凄い顔を此方に向けていた。

 これだから、厄介オタクは。

 思わずため息を溢しそう無ってしまったが。


「何だよ、寂しいなら一緒にハグしてやろうか?」


「早々に浮気宣言してんじゃねぇですよ! 祝ってやる! お前だけは絶対に祝ってやるからなぁ!」


「表情と言葉が合ってねぇよ……そこは呪ってやるじゃねぇのか」


 空気を読んだらしい炭火はスッと姿を消し、マジで亡霊かって程その後音を立てなかった。

 アイツ……部屋から出て行ったのか?

 それともまだ中に居るのか? それすらも分からないんだが。


「ねぇ焼肉……」


 ズビズビと鼻を啜るパクチーが、やっと顔を上げたかと思えば。


「私、今後は“肉パクチー”って名前に変えた方が良いのかな?」


「それは苗字じゃねぇ上に、作家名は変える必要無いだろうが」


 そんな訳で、俺達は婚約を交わすのであった。

 いやはやホント、人生何が起こるか分かったもんじゃない。

 そんでもって、“今年は良い年になる”なんて皆で騒いで喋っていれば。

 本当に人生の転機の年になってしまうとは。

 俺は新しい話の書籍化、そのコミカライズをパクチーが担当。

 更に言うなら、炭火の公式Vデビューと来たモノだ。


「ほんと、何が起こるか分かんないもんだな」


「うっさい。しばらく先輩達には“やっと”告白してくれたって報告するから。滅茶苦茶強調して」


「それは勘弁してくれ」


 未だズビズビはしているものの、普段通りの空気に戻って来たパクチーに対し笑顔を返した。

 不安定な収入、先の事は分からない。

 ほんと、作家って職業はギャンブルみたいなもんだ。

 何てことを思いながらも俺はコイツの為に、今後生きていく為にも。

 物語を描き続ける事を心に決めるのであった。

 これしか生きていく道が無いって勝手に勘違いしてしまう程、作家って奴は“作る”事が止められない存在なのだから。

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作家と作家の同棲生活 くろぬか @kuronuka

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