第28話 言葉にする


「凄く、楽しかった」


「なら良かった。お前も寝てて良いんだぞ? パクチー」


 助手席に座る私に対し、焼肉がそんな事を言って来る。

 チラッと後ろの席へと視線を向けてみれば、体力を使い果たしたらしい炭火さんが眠っていた。

 ここ最近は、凄く心配掛けちゃった。

 多分私以上に気を張り続けていたのだろう。

 以前倒れた時も、随分助けてくれたって聞いてるし。


「ううん、起きてる。焼肉は運転してるのに、申し訳ないし」


「こればっかり仕方ないからな。本当に気を使わなくて良いぞ? 最近あんまり休んでないだろ」


 彼は真っすぐ前を見たまま、そんな事を言って来た。

 確かに、あまりしっかりと休んだ記憶がない。

 むしろ今日一日遊べる体力が残っていた事に、自分でびっくりした程だ。


「今日は、なんで急に遊園地?」


 あまりにも唐突というか、焼肉らしからぬ行動に思えてしまったのだ。

 私を休ませる為に、と言う事ならこの人は多分別の行動をとった筈だ。

 炭火さんの提案かな、なんて思っていたのだが。


「この前さ、猫背作家先生に言われたんだよ。伝言も預かって来た。要約すると、お前は俺達と同じ様に天才じゃない。だから無理をしても良い結果にならない、まずは自分を見ろ。みたいな? あの人、パクチーに対しては結構キツイ事言うよな」


「あはは……まぁ仰る通りというか、あの人は昔からあぁだから。むしろ今の方が大人しいくらいだよ? 昔はもう、熱血主人公かな? って言うくらい熱い人だったし」


 乾いた笑いを洩らしながらも、先輩の言葉に胸の奥から暗い感情が湧き上がって来た。

 そっか、やっぱり私じゃ駄目なのかな。

 私じゃ、出来ないのかな。

 そんな事ばかり考えていれば。


「原作者の意図を完全に読み取るのは無理だから、お前が思う様に描けってさ。正直、そこは俺も同意かな」


「焼肉も?」


 あまり、言って欲しくはない台詞だった。

 私は作品を預かっている身だから、絶対に失敗しちゃいけないから。

 それは悪い思考ではない筈。

 そう考えていたからこそ、先輩が普段絵を描いている時に思っている事を教わったからこそ、より一層力を入れていたと言うのに。


「他人が思ってる事なんて、百パー読み取るとか無理だよ。原作者の俺だって、何も考えずに物語書いてる事もあるんだから。パクチーは深く考えすぎなんだよ、きっと」


「でもさ、それで失敗しちゃったら私のせいだし。原作者に……というか今回は焼肉に迷惑が掛かるし……」


 怖いのだ。

 人の作品を預かる事は、とても怖い。

 この人の考えた物語を、私なんかが描いて良いのかって何度も思った。

 もしもダメだったら、もしも失敗してしまったら。

 そう考えると思わず筆が止まる。

 そんな経験、何度味わっても慣れる訳が無い。

 しかも今回は……私の目標であり、夢でもあった焼肉先生のコミカライズ。

 より一層緊張して、考えれば考える程私の描く漫画がチープに思えて。

 何度も何度も描き直しても、コレだと言えるモノが出来なくて。

 こんなんじゃ全然作品の良さが伝えられない気がして。

 頭の中が、ずっとこんがらがって。


「俺になんか、迷惑くらい掛けても良いよ。ていうかさ、俺はパクチーの楽しく描いたコミカライズが読みたい。ココがすげぇんだぞ、このキャラが格好良いんだぞ、みたいなさ。原作を完璧に再現するんじゃなくて、お前が描いた俺の物語を読んでみたいなって」


 ハンドルを握る焼肉が、急にそんな事を言い始めた。


「同人って訳じゃないから、好き勝手描く訳にはいかないのも分かるけどさ。でも俺は、パクチーが描いた話が読みたいかな。それは俺の話であっても、俺の話じゃない。漫画になればさ、それは漫画家のモノなのよ」


 正直、そう言われてもあまり実感できない。

 作品は原作者のモノで、私はその手助けをする仕事を貰っているだけ。

 そう認識していたからこそ、どう声を返したらよいのか迷っていれば。


「すげぇ悩んでくれるのも、考えてくれるのも嬉しいけどさ。やっぱ俺は“パクチーの描いた漫画”が読みたいかな。読者に対して、面白いだろ! って胸張って言ってる感じの、自信満々で描いたパクチーの漫画が、俺は好きだからさ」


「そんな風に描いた事なんて……」


「あるだろ? チャック全開での告白シーンとか。終わっちゃったけど、あぁいうの俺結構好き。面白かったし」


「でもあんなの、コミカライズじゃとても……」


「だったら俺の作品で慣れろ。他の人に迷惑かけるかもって怖気づくくらいなら、俺の作品を踏み台にして慣れろ。失敗しても良いし、作品を潰しても良い。お前はお前らしく描いた方が面白い。本気でそう思うから、自由に描いてくれ。俺は……お前が活き活きしながら描いてる作品の方が好きだ」


 ギュッとスカートの裾を握り締めたまま、目尻に涙が溜まってしまった。

 ズルいって、そう思ったんだ。

 だって今まで焼肉の口から、こんなにも“好きだ”という言葉を貰った事が無かった。

 私が描く作品に対して、そんな直球な感想をくれる事なんて殆どなかったのだ。

 だからいつか認めて貰える様に、そう言って貰える様に努力して来たつもりだったのに。

 ずっと昔からそう思ってくれていたなんて、今更言われても心の整理が追い付かない。


「猫背作家先生がさ、自分自身と俺達は凡才なんだって言ってたんだ」


「は、はは……先輩に関しては、もはや嫌味に聞こえるね」


「だよなぁ、でも本人はそう感じてるんだとさ。そんでもって、俺達と同じ立場に居るって言ってたんだけどさ。でも今なら、一個だけ否定するわ」


 高速道路で渋滞にはまってしまったらしく、完全に停止した車の中。

 彼は此方をしっかり見つめながら、はっきりと言葉にした。


「俺にとっては、お前は“天才”って側の人間だと思うよ。だから、無理して先輩達に合わせる必要なんかない。お前はお前らしくやれば、絶対売れる。パクチーって名前の漫画家は、俺が知っている誰よりも原作と向き合う努力家だ。そんでもって実績を残して来た、短い間にいくつも本を出した。間違いなく“天才”だよ。だから、俺の作品もパクチーの好きな様に描いてくれないか? お前が感じた通りの物語を絵にして、俺に教えてくれよ」


 その言葉に、息が詰まった気がした。

 間違いなく本気で言ってる、私の好きなように描けと。

 焼肉は、コミカライズでの失敗経験だっていくつかある。

 その愚痴だって、聞いた事がある。

 でも今は、それら全ての苦い記憶を全部投げ捨てて。

 私に自身の作品を“託そう”としてくれている。


「でも私じゃ、話の全部を伝えきれないかもしれないよ?」


「全部伝える必要なんか無いし、俺だって自分の作品の隅々まで想像してる訳じゃない。それに小説ってのは読者に想像させるものだからな。読み手にだって、もしかしたら違う世界が広がってるかもしれないだろ?」


「私の画力じゃ、見えない所まで想像させられないかもしれない。見えている所だけの世界になっちゃうかもしれないよ?」


「そんなもん受け取り手次第だろ。いくら書きこんだって、考えない奴は考えない。でも逆に、お前が楽しい雰囲気を描いてくれればソレは伝わる。こればっかりは絶対だ。お前の漫画は、雰囲気を伝えるのがすげぇ上手いからな」


 もう、褒め殺しだ。

 さっきから焼肉は、私の全部を肯定してくれる。

 まるで彼に憧れ、彼の下へやって来た当時の私みたいに。

 この人の描く物語全てが好きだった。

 批判が集まったり、冷たいコメントが並んだ話だったとしても。

 私にとっては、とても心躍るお話に思えた。

 全部凄い、どんなお話を書いても楽しいと思わせる彼は。

 私にとっての“天才”だったのだ。

 その人の作品を預かって、絵に起こす。

 それは非常に緊張するもので、普段以上に肩肘張ってしまう気持ちに押しつぶされそうになっていた。

 でも、彼は。

 そういうのではなく、“私の描いた話”が読みたいと言ってくれたのだ。

 作家として、認めてくれたのだ。


「滅茶苦茶になっても知らないからね……そんな事言われたら、私超テンション高いまま描くから。大量に没が出て来るかも」


「そればっかりは担当さんと話し合ってくれ。判断はそっちに任せて、俺は刊行されるのを楽しみに待つよ」


 作家として、これ程嬉しい言葉は無いだろう。

 これから出る本に対して、“楽しみだ”と言ってくれる事。

 売れるのか、そして皆に認めて貰えるのか。

 そんな不安に押しつぶされそうになる中、期待しているという言葉を貰える事。

 だったらその期待に答えないと、絶対面白い本にしないと。

 こういうのも、活力に変わるというものだ。


「今日、徹夜するかも」


「おい……何のために今日連れ出したと思ってんだよ」


「分かってる、分かってるけど……今、今すぐ家に帰って原稿描きたい。そんでもって、焼肉の話は面白いんだぞって、私の漫画で証明したい」


 描きたい、今すぐにでも。

 渋滞で少しずつしか動かない車達に苛立ちを覚えてしまう程、早く筆を取りたくて仕方ない。

 私は、自由に焼肉の話を描いて良いんだ。

 凄いんだぞって、自慢して良いんだ。

 だからこそ、今描きたい。

 原作者本人が、“私の描く話”を見てみたいと言ってくれたのだから。


「絶対今日中に数話分描き切るから!」


「程々に……な?」


 と言う訳で私は、非常にヤキモキしながら高速道路の渋滞を睨むのであった。

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