第27話 感情のリセット
「は? え? は?」
相手方から送られて来たメールに、グルグルと目が回る思いだった。
いやだって、こんな事ってあるのだろうか?
いつか、本当にいつかって夢見ていた舞台が目の前にある。
というか、担当者さんから提案としてメールで送られて来ていた。
「あぁくそ、頭回んねぇ……パクチー、珈琲飲む? 淹れて来るわ」
「あっ! はいっ! お願いします!」
やけに姿勢を正して、焼肉に返事をしてみれば。
相手は少々訝し気な瞳を向けたものの、そのまま珈琲を淹れにキッチンへと向かった。
が、しかし。
「いやいやいやいや、待って? 私が、“肉焼肉先生”の話をコミカラズ?」
この機会を、ずっと待っていた。
むしろ私の夢はソコに終結していたのだ。
だからこそ、願ってもない話。
出版社からすれば、私達が同棲している事など知らないだろう。
こちらの夢を企業側に話した事は無い。
だからこそ、本当に偶然。
彼の物語と、私の絵柄がマッチングした。
奇跡とも呼べる確立を引き当てた。
もう受けるしかない、どんな要望を付きつけられようと、焼肉の話を漫画に出来るなら。
そう思って文章を綴った。
是非お願い致します、以前から肉焼肉先生のファンでこの機会をずっと心待ちに――
なんて文章をメールフォームに打ち込んでから、ゾッと背筋が冷えたのだ。
私は本当に、彼の物語を絵に出来るのか?
何度も何度も彼の物語は読んだ。
でもその全てが、確かに“主人公達の人生”を描いていたのだ。
その重さを、物語の深みを。
登場人物一人一人をちゃんと“人”として扱っている作品を、私は描けるのか?
焼肉の描く話に“どうでも良いモブ”は居ないのだ。
いや、居ると言えば居るのだが。
しかし記憶に残る程度に出番がある登場人物には、間違いなく“役割り”がある。
それを履き違えれば大惨事。
モブだと思っていた人物がメインキャラになったり、モブのまま輝いてみせたり。
つまり、全てを読み解いていないと描けない物語が多いのだ。
一巻だからと言って、先を読まずに適当に描けば痛いしっぺ返しを食らう。
先の話を読まずに描く何て事ありえないが、それでも更に先の複線を読み取りながら絵に起こすと考えると……とてもではないが。
「パクチー、珈琲……って、おいどうした? 大丈夫か?」
その原作者様は、コーヒーを此方に差し出しながら心配そうな顔を向けて来た。
私は、この人の描いた物語を絵にする。
それが夢であり、私がこの業界に踏み込んだ理由。
そして何より、この人と暮らし始めた理由にもなるのだから。
「焼肉、私……描いて良い? 焼肉の話、私なんかが、描いても良い?」
その言葉を紡ぐのが、やっとだった。
※※※
「駄目だ、こんなんじゃ……」
もう何度目かも分からない。
全部のレイヤーをデータごと削除して、新しいキャンバスに向かう。
たったワンカット、だと言うのに意味がある。
それが分かっているからこそ、一コマに意味を載せる。
小説では出来て、漫画では表現が難しいソレ。
多分立場が逆なら、真逆の感想を述べるのだろうと思うソレに、私は直面していた。
違うのだ、今までだったら普通に描けていたのに。
焼肉の作品となると、上手く行かない。
もっとだ、もっと伏線を張り巡らせていると思わせる感情を描かないと。
違う、このキャラクターはもっと複雑な感情を思い描いている筈だ。
なんて事を考えていれば、一日が終わっていたりする。
ネームは提出したが、進捗はヤバい。
これが、夢の叶った世界なのかとため息を溢しそうになってしまったが。
「おい、パクチー。今日は休め」
「駄目、無理。休んでる暇とか無い。私コレを描き切らないと、生きてる意味ないから」
焼肉の声を遮って、ギリッと音がする程ペンを握り締めて。
血管が千切れるんじゃないかって程に、充血した眼差しをモニターに向けていれば。
「パクチー、お前は今俺の作品を描いてるんだろう? だったらそんな辛そうに描かないでくれ」
無理やり椅子を回転させられ、焼肉の方へと向き合わされた。
強制的に意識がモニターから離れたその先には、焼肉が随分と寂しそうな顔をしているではないか。
確かに最近構ってあげられなかったら、色々と不満とか溜まっているのかも。
そんな事を思いながら乾ききってしまった瞳で瞬きを繰り返していると、となりに炭火さんが居る事に気が付いた。
「パクチー先生……少しは休んで下さい」
彼女は両目に涙を溜めながら、とても心配そうに此方を覗き込んでいる。
あぁ、またやってしまった。
作家あるあるなのかもしれないが、自分の世界に入り過ぎて周りが見えなくなる。
自分の事だけだったら良いけど、周りに心配を掛ける行為。
コレだけはやっちゃいけない。
周りもクリエイターだった場合、彼等の仕事時間を決定的に奪う事に他ならないのだから。
もしもコレを“余計なお世話”という人が居るのなら。
それはきっと孤独で、誰にも相談出来ない作家なのだろう。
しかしながら、私には。
頼れる、というか依存している人達が二人も居るのだ。
何故、頼らなかったのだろう?
そう思ってしまう程に、二人共心配そうな瞳で私の事見つめていた。
「遊園地に行くぞ」
「……うん?」
「飯を食ってから、遊園地に行くぞパクチー」
良く分からない言葉を紡いで、焼肉は私を立ちあがらせた。
遊園地って何だ、何でそんな所に行く必要がある。
ひたすら疑問を抱きながら、ボヤける頭のまま車に乗せられるのであった。
私は、原稿を描かなければいけないのに。
※※※
「やって来ました! 富士山近くの遊園地!」
「車で来たのは初めてかも。つぅか……久し振りに見るとデケェなぁ、こういう施設」
「あの……えぇと、原稿……」
私は何故か遊園地に連れて来られた。
いや、急に何。
どうしてココへ来たのか、全く説明を受けていないのだが。
焼肉はいつも通りだし、炭火さんは何やらウキウキしている御様子。
どうやら私の意見は二人共受け入れてくれないらしく、ズンズンと園内へと連行されてしまった。
ひたすら困惑するものの、思考回路が上手く回っていない。
最近ちゃんと休んだ記憶が無い上に、ずっと漫画の事ばかり考えていた気がする。
フラフラしそうな体調の中、まず乗せられたのはこの遊園地を代表するジェットコースター。
「……マジ?」
「マジです」
「焼肉! 次は私がパクチー先生の隣だからね!? 絶対だからね!」
そんな声が聞こえて来ると同時にジェットコースターは頂点へとたどり着き、ゴッと空気の壁が顔面にぶつかって来た。
正直、こういう場所にはほとんど縁が無かった。
昔から引っ込み思案だし、友達も多くない。
こんなにキャッキャウフフする場所とか、下手したら毛嫌いしていたくらいだ。
だというのに。
「わぁぁぁぁぁっ!」
「こえぇぇぇぇっ!」
「うきゃあぁぁぁ!」
三人揃ってデカい声を上げ、思い切り叫んだ。
いつ以来だろう? こんなにもお腹から声を出したのは。
そう思えるくらい、大声を上げた。
胸の中のモヤモヤが吹っ飛ぶくらいに、とんでもなく大きな声が自然と出て来たのだ。
「うっしゃぁ! 次はお化け屋敷だ! 流石にジェットコースター二連続はキツイ!」
「焼肉先生! アンタ膝が震えてる! インドア派なんだから無茶しないの! 帰りの運転もあるのよ!?」
「お前が運転するって選択肢はねぇのか!?」
「私免許持ってない!」
「使えねぇアイドルだなオイ!」
二人して大声で叫びながら、私の手を引き次のアトラクションへと足を踏み入れた。
何だか随分怖い雰囲気が広がっており、まさにお化け屋敷って感覚に陥る訳だが。
「うぎゃぁぁぁ!」
「おいコラ焼肉! てめぇ女の子二人残して逃走すんな!」
二人は、非常に仲良さそうに会話していた。
何と言うか、何と言いますか。
“そう言う事”なのかなって、自然と思ってしまうくらいに。
確かに焼肉は格好良いし、小説家って珍しい仕事を生業にしてるし。
元アイドルって存在にも、気兼ねなく普通に接する程に肝が据わっている。
私がコミカライズに夢中になっている間、二人は仲を深めたと言うか。
多分、そう言う事なのだろう。
そうなってしまえば、付き合ってもいないのに一緒に居る私は邪魔者。
あの部屋から出て行って、二人を応援するべき存在。
なんて事をモヤモヤと考えていたのだが。
「パクチー! 何ボケッとしてんだ!? こっちこっち! 後ろから迫って来てるって!」
「待て待て待て! 私も連れていけ! パクチー先生だけ救助すんな!」
「お前はさっさと来い! もしくは愛しの先生の身代わりになれ!」
「はっ! そういう選択肢もあるのか……よし来い! 私はパクチー先生を守る! うぉぉぉぉ……って無理だって! 怖い怖い怖い!」
二人とも、いつもなら絶対聞けない様な叫び声を上げてお化け屋敷の中を駆け巡った。
焼肉が私の手を掴み、後ろを守る様に炭火さんがポジショニングしながら。
そして、前からお化けの仮装をしたスタッフが現れた時には。
「うぎゃぁぁぁ!」
「焼肉、パクチー先生! 私の後ろに……ひえぇぇぇ!」
普段見て来た二人とは思えない程に、全力でリアクションを取っていた。
一人はさっきから悲鳴しか上げて無いし、もう片方は格好付ける癖に結局ビビる。
スタッフとしては、非常に美味しい満点のお客さんだったに違い無いと思える程、焼肉と炭火さんは物凄い反応を返していた。
「そ、そろそろゴールか?」
「い、いや待って? 中間地点って書いてあるよ? ギブアップする人は此方へって……はぁ!? これでまだ半分!? さっきから追われたり脅かされたり、散々な目に会ってるんだけど!?」
ギャーギャーと騒ぎながら、二人は叫び合いつつ更に進む事を選んだようだ。
滅茶苦茶ビビってるし、歩幅はいつもの半分以下なのに。
その光景を見て、思わず笑ってしまった。
怖いならギブアップして他のアトラクションに行けば良いのに。
意地を張ってお化け屋敷を進み続ける二人に、どうしても笑いをこらえられなくなってしまった。
「何で、そう……意地張るかな。さっきの所で出ておけば良かったのに」
笑い声を溢しながら言い放ってみれば、二人はニッと口元を吊り上げて此方に振り返った。
そして。
「ドツボに嵌った時には、刺激が必要だろ?」
「お休みの過ごし方って、人それぞれですけど。こういう思いっ切り叫べる場所って、凄く素敵だと思うんですよ。普段はこんな大声出せませんし、カラオケでも怒られちゃいますよ」
互いに感想を残しながら、二人は私の手を取って暗い通路を進んだ。
そうか、そうだ。
楽しいって、こういう事を言うんだ。
誰かと一緒に過ごして、一緒に騒いだりして。
こういう普通の事が、“普通は”楽しいんだ。
だからこそ、難しく考える必要はない。
馬鹿みたいに頭でっかちになって、小難しい事ばかり考えて筆が進まなかったけど。
私が楽しいと思える事を、絵に起こせば良い。
自身が楽しいと思えないと、当然私の絵だって楽しく無いモノになってしまう。
無理した所で、私が理解出来ない領域を絵にしようとした所で、面白い話にはならない。
物凄く今更な事を、二人は気づかせてくれた。
次の瞬間。
「うわぁぁぁぁ!」
「ひゃぁぁぁぁ!」
「わぁぁぁぁぁ! アハハッ!」
物陰から飛び出して来た白衣を着たスタッフに、私達は皆で叫び声を上げて逃げ出した。
怖い、めっちゃ怖い。
でも楽しい。
私と焼肉だけでは、カラオケとかも行かないから久しく忘れていたけど。
大声を出すのって、凄く気持ちが良い。
二人がヒーヒー言いながら逃げ回る最中、私は笑いが止まらなかった程だ。
「出口! 出口はどこだ!? ギブアップすんぞ!」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! ここまで来たら最後まで完走……ウピャァァ! 前! 前から来てる!」
「どうすんだ炭火! 俺等はこれ系に慣れてないって言っただろ!? 根暗陰キャオタ引き籠りだぞ!? こういう場合は何が正解なんだ!? 教えろ陽キャ!」
「知らないわよ! 私だってお化け屋敷とか苦手だし、修学旅行ですら友達と別行動……って、うわぁぁ! 来てる来てる! 焼肉、アンタ男でしょ! どうにかしなさいよ! 持ち前の文章力で殴りなさいよ!」
「論破しろとでも言うのか!? それとも献本で殴れってか!? 持って来てねぇよ! しかもあのガタイ、十万文字程度じゃ怯まないだろ! せめて辞書レベルで厚くないと、絶対効かねぇぞ!」
「良いから神風アタックかまして来なさいよぉぉぉ!」
ギャーギャーと騒ぐ中、私達の隣に抜け道を見つけた。
焦りまくっていたからこそ気付かなかったのだろうが、多分こっちが本来の順路。
「皆! こっち!」
「さすパク! これからもずっと推します!」
「てめぇ炭火! 俺だけ押し退けて残そうとしたろ! 覚えてろよ!?」
そんな会話をしながら、私達はお化け屋敷を進んで行くのであった。
あぁ、楽しい。
純粋にこんなに楽しいと思えたのは、いつ以来だろうか?
なんて事を思いながら、私達はお化け屋敷の中を駆け巡るのであった。
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