アホ毛
クロウの間宮アンへの一目惚れ宣言から一週間が経った。
アンはシンヤとクロウと同じプロジェクトに配属された。サヨがアンの教育係になった。コミュ障のサヨにとっては大変な役目だが、社会人としての成長には貴重な経験になる。
「間宮さんにはこのファイルのマクロの修正をお願いします」
サヨが消え入りそうな声で指示を出す。
「はい! わかりました」
アンの方はいつでも元気だ。
「えっと、このセルの数値を計算に取り込んで……。えっと、えっと」
「大丈夫です。こんな感じに計算式を変更すればいいんですね」
「あ、そうです。……すいません」
どっちが教えている立場なのかよくわからない。アンの高いコミュニケーション能力のおかげで二人はうまくやっているようだ。時折笑い声も聞こえて、サヨも心なしか明るく接するようになっている。
見た感じ、アンは仕事にはすんなり馴染んで行っているようだ。しかもさっそく夜遅い時間まで残業をしている。そして仕事中には強羅課長がちょっかいを出しに来るが、物怖じせずに受け答えをしている。趣味でスポーツをしていると言っていたし、案外メンタルタフネスなのかもしれない。そういう特性を見抜かれてこの職場に派遣されて来たのだろう。
シンヤとしてはクロウにアンへの気がないとは言ったものの、意識しないわけにはいかない。背後の席で仕事をするアンが気になって、シンヤは常に背中がむずむずする感じがしている。
そしていちいちクロウがプライベートチャットでアンについて質問してくる。シンヤがアンの近くに座って耳をそばだててはいるが、そんなに随時情報が更新されるわけがない。
〈新浦安の前には荻窪に住んでいたらしいぜ〉
〈荻窪かー。今度見に行ってみようかな〉
まあ、どうでもいい情報でもクロウは喜んでくれるのだが。
昼休憩になって、クロウと大食堂に行くためにエレベーターが来るのを待っていた。大食堂以外にも外に食事に行く人もいてエレベーター前には人がたくさん集まっている。
「夜神さん、髪の毛が跳ねてますよ」
「え」
ハイトーンの声に振り向くと、アンが立っている。A社の女性社員たちと一緒にエレベーターを待っていた。
「あれ、どこ」
シンヤは慌てて頭を触る。自分ではよくわからない。
「ここですよ。後ろ髪が跳ねてますよ」
アンがシンヤの頭を撫でる。
「本当?」
シンヤはアンが触った箇所を手で押さえつける。
「あはは!」
アンが嬉しそうに笑った。
「おかしいな。寝癖は直したつもりなんだけどな」
「まだ跳ねてる。アホ毛、可愛いー」
アンがシンヤの慌てた姿を見て喜んでいる。
上の階に行くエレベーターが来て、シンヤとクロウは乗り込んだ。アンたちは下に行くらしく、乗って来なかった。
――可愛い? 間宮さんがおれを「可愛い」と言ってくれた。
アンが撫でてくれた感触が頭に残っている。半ば目を閉じて幸福のひと時に思いを馳せる。
「ちょっと、先輩」
クロウの声で正気に戻った。
「な、なんだよ」
「なんで先輩が間宮さんとイチャイチャしてるんですか」
クロウが口を尖らせる。
「してねえよ」
「鼻の下が伸びきっていますが」
「え、嘘」
シンヤが鼻の下を手で擦る。
エレベーターが大食堂の階に着いた。
「まあ、これもおれの作戦通りよ」
「え、そうなんですか」
「そうだよ。まずおれが間宮さんと普通に話せる状態にまで持って行かないと、おまえを紹介できねえだろうが」
「ああ、なるほど!」
「おれに任せておけって」
だが、シンヤは昼飯を食べる間もアンのことを考えて夢うつつであった。
残業マン 伊賀谷 @igadani
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