~アナタのトナリ~

トム

~アナタのトナリ~




 昼の休憩をずらし、遅れてオフィスに戻ってきた所で目の前の電話が鳴った。気に留めることもなくその受話器を持ち上げ「はい、大出商事でございま――」と言いかけたところで、受話器の向こうから怒号が響く。その声の響き具合と関西なまりのイントネーション、そして画面に表示された顧客名から即座に相手を特定する「……申し訳ございません! 神戸かんべ社長、何かございました?」と、得意先の一つである神戸商店かんべしょうてんの社長とを付けて下手したてに話しかけると、向こうも私だと気がついたのか語気を段階的に下げ、最終的には「ほなそれで頼むわ! 高橋たかはしさん」と上機嫌になって電話を切ってくれる。


 向こうの電話が切られ、ツーツーと言う不通音が聞こえたのを確認してから、そっと受話器を降ろして溜息を一つ溢す。そうして不意に目線を持ち上げると、当たり前のように目線を逸らす幾人かの新人達……。そんな中、ずっとパソコンモニターを凝視し、まるで周りの声が聞こえませんと自らアピールしている彼女を見ると、さっと顔色が変わるのを私は見逃さなかった。


 ――私が『ゆとり世代』と呼ばれたあの頃でもここまで酷くは……。いや、そんな昔話を持ち出すのは止めよう、と自分の年齢に蓋をする。大体「儂の若かった頃は……」を言い出してしまう様な年齢では断固として否を唱えたい。高橋杏子たかはしきょうこ三十五歳。独身――はっ!? 何を私はネガキャンしているんだと思い直して、未だ青い顔をしたままキーボードをカチャカチャと弄っている彼女を呼んだ。


斉藤さいとうさん、ちょっといいかな」


 私の声は然程大きくなかったと思う。が、彼女の居る席には充分届いたのだろう「ひゃい!」と言う、妙な奇声を上げたかと思うと同時、既に目には涙を一杯に溜め、まるで断頭台に自ら赴くような表情をさせておずおずと私のデスクに牛歩で進んでくる。


 私達の勤める『大出商事』のデスクの「島」は他の会社とは少し違った作りをしている。大きな会社のように、部署ごとにフロアが別れていればまた違うのだろうが、うちはそこまでの会社ではない。テナントビルの三フロアを使い、中途半端な部屋割りを行った結果、こうなってしまったというのも有るのだが……。まぁ詳細は省くとして、我が社の「島」はその顧客に対して「島」分けをしているのだ。故に電話が鳴ると画面に表示される顧客名で、当然その電話を受ける「島」は特定される。営業の人間が居れば、ツーコール以内には誰かが確実に取るのだが、自粛の終わった今時、昼日中ひるひなかに自社に居る営業など当然居るはずもなく……。そうなると日中会社にいる人間と言えば、大抵は庶務と言った事務方が大多数になるのだ。庶務と言っても仕事は多岐に渡るが、電話対応も当然ながら業務に含まれている。その為に昼休憩の時間も一斉休憩ではなく、ローテーションを組んで数人は必ずデスクに残っているのだが……。


「……どうして、今日は貴女一人になっちゃったの?」

「……いえ、あの……その」


 叱責をするつもりは無い。ただ、本来この島には後二人居るはずだ。だがその二人は島のどこを見回しても見当たらず、ふとホワイトボードを見ると「」のカードが貼られている。


多田たださんと中山なかやま君は?」


 私はわざわざホワイトボードを確認しながら彼女にそう聞くと、途端に彼女は目を泳がせて「あの、あの」と挙動不審になっていく。……成る程、またあの二人は……。多田美雪ただみゆき――入社三年目で現在二十五歳。結婚願望が少なくなった昨今。で、あっても年齢的に彼氏は居ないと寂しい、所謂「一般女子」対して中山成吾なかやませいご――入社五年の二十八歳。コイツは元々に配属されたが、当時の上長と揉めて総務に逃げてきた。すぐにドロップ・アウトするかと思っていたが、何故だか数字に異常に強く、あれよあれよという間に庶務で頭角を表してしまった。無駄にイケメンで面倒見も良いのだが、反面女子にはだらしないのが有名で、気をつけるようにはしていたのだが……。まぁ、社内恋愛が禁止だなどと言っている会社ではないし、大体、社会人なんだから、そんな事まで私は口出ししたくはない。……仕事に支障さえなければだが。


「ふぅ~、あの二人については私からちゃんと言っておくわ。それで――」



 結局、苦手なのは理解してるけど、仕事と割り切って電話には出てほしいとお小言程度に収める。……はぁ~、なんで仕事じゃない事で、こんなに気を使わなきゃいけなくなったのか。コンプラ? ガバナンス? パワハラ、モラハラ……etc。はっきり言ってうんざりだ。喉まで上がった愚痴を無理やり飲み込んで、次はあの二人かと思った途端、こめかみの辺りがキリキリとする。


 ――はぁ、今日だけで何回、溜息ついているんだろ。一度据えてしまった腰をもう一度、ヨイショと心の中で呟いて、縮こまっている彼女の肩に手を添えて「ゆっくりでも良いから、電話業務にも慣れていくようにお願いするわね」とフォローしてから席に戻っていいわと告げる。ぴょこんと会釈した彼女は今度は脱兎の如く自席に戻り、机に置いたティッシュを引き抜き、ぐしぐしと顔を擦りつけている。「さて」と小さく零して給湯室へ向かい、自分のマグカップを引っ張り出して、インスタントコーヒーを作る。……まずはゆっくり落ち着こう。未だキリキリ痛むこめかみを押さえながら、ブラックでそのまま一口含むと、インスタント独特の酸味がきつい、苦味だけが口の中に広がった。



「……こんな事だから『お局様』って役回りは嫌なのよ」


 一人小さな声でそう呟いて、ゆっくりコーヒーを飲み切ってから、マグを水で洗い流して元の場所に戻す。そうしてやさぐれてしまいそうな気分をリセットしてから、件の二人をすべく、給湯室を後にした。



◇◇◇



 ふと凝りに凝った首をコキリと鳴らし、ついでと目線をフロアの壁掛け時計に向けると、既に九時を回っている。……あぁ、今日もコンビニ弁当になっちゃうかと心の中でボヤいていると、島に残っていた最後の一人が「お先でぇ~す」とパソコンの電源を落としながら立ち上がる。営業職の人間は直帰が多い中、何故か彼、兵頭誠司ひょうどうせいじだけは事あるごとに帰社して書類を全てその日に片付けると言う、少し変わった後輩だ。そんな彼に「お疲れ様」と返事をすると、ゆっくり彼は近づいて来て「中山と多田さん、また仕事中にんですって?」と小声で聞いてきた。


「――そうなのよねぇ……兵頭くんの直属の部下だったっけ? 中山成吾」

「……えぇ、あいつは昔っからナンパ野郎だったんで、苦労しましたよ。その所為で今の事務方に回されたってのに……」


 そうか、彼が揉めた張本人だったっけ。それで彼の事になると少し剣のある言い方に……。


「……あいつの所為で取れそうだった契約、何度ポシャった事か。無駄に顔が良いってのも考えものですね」

「ははは、あれで性格が良かったら、神様が不公平だって思っちゃうわよ」

「……はははは! 確かに! 頭も切れて顔もいい。……もうそれだけでムカついちゃいますもんね。あ、すみません、これでも飲んで仕事頑張ってください!」


 そう言って、カバンから取り出した小さな瓶入り栄養ドリンクを、私の机に置いて「今度こそお先に失礼します」と言ってフロアを後にした。 



 ――神様は不公平……か。


 置かれた瓶を弄りながら、私はふとガランとしたフロアを見渡してまた嘆息する。最近はノー残業デーだの働き方改革だので、定時を過ぎると会社にしがみついて居るものはほぼ居なくなる。それ自体は歓迎することで否はない。ただ、それで仕事が無くなるわけではないのだ。リモート社員が増え、特に事務方などはかなりその制度を利用して、出社率は右肩下がりとなっている。まぁ、私自身もそこまで責任意識がある訳ではないのだが……。


 ……気づけば三十五歳になっていた。アラサーでもなく、アラフォーとは言いたくない中途半端なオバサン……。朝の化粧乗りは少し悪くなり、気づけばファンデを濃く塗りすぎてしまう。髪も何時しかロングをやめ、肩に掛かる程度に切ってしまった。なんとか体重は保っているが、休日のビールをチューハイに変え、肴も乾き物が増えたと思う。それでも地球の重力には逆らえず、色々垂れて哀しくなって来るが、ウォーキングと最近始めたピラティスのお陰で、少しは改善していると思いたい。


「……危ない危ない、変な思考に入っちゃうじゃない」


 つい声に出してそ言うと『プシッ』と小気味いい音をさせて瓶のプルトップを捲りとって、一気に煽る。


「さぁ! あと一踏ん張り」



~*~*~*~*~*~



 乗客の少ない電車に揺られ最寄りの駅で降車して、自宅近くのコンビニに立ち寄ると、運悪く弁当は一つもなかった。仕方ないとおにぎり二つと春雨スープを買い込み、自宅マンションに辿り着く。浴室の湯張りスイッチを入れ、ダイニングにコンビニの袋を置いてから、洗面所で手を洗う。ついでとばかりに着替えを準備してから、ダイニングでケトルに水を入れてスイッチを入れ、スマホのチェックをしながら、ボーッとした頭でテレビに目をやった。画面の中では若い女性キャスターが、何やら楽しそうにゲストと話しているが、そのゲストも若い男の子で「この子誰だっけ?」と思っていると、ケトルの湯が湧いて、スイッチの切れる音がした。


 栄養になっているのかわからない食事を済ませ、全てのゴミを分別してゴミ袋に入れて、浴室に向かう。少し熱めのシャワーで身体を流し、今日の疲れを流していると、何故だか涙が溢れそうになる。それを誤魔化そうとクレンジングで顔を洗い、そのまま全身を洗っていく。そうして湯船にゆっくり浸かると気分が落ち着いて、今日の出来事はもうおしまい! と踏ん切りをつける。


 鏡の前でじっと自分の顔を眺めながら、ドライヤーを髪に当てていると、目の下の小じわに気づいてまた嫌な気分になるが、隈になるよりはマシだと思い、半ば見なかった事にして乳液を叩く。バスタオルをターバンに巻き、歯を磨いて口がさっぱりすると、やっと今日が終わった気がする。


 寝室に入り、ベッドサイドテーブルでスマホを充電すると、隣に置いた一冊の小説を手に取る。


「…………」


 ――それはよくある恋愛ものの小説だ、新刊でもなく文庫本。……既に何度も読み返して居る。セリフもほぼ頭の中に入っているし、何ならストーリーを事細かに説明できるほどでもある。だけど……。そのシーンが近づいた所で頁を捲る手は止まってしまう。


「――いい加減忘れないとな」


 栞を挟まず、持った文庫本をテーブルに置くついでに、スマホの画面に映った時刻表示を見てみると、既に日を跨いでいる。それだけを確認して部屋の電気を消して、潜り込むように布団を頭近くまで被ると、睡魔はすぐに訪れた。



◇ ◇ ◇


「……どうしても駄目なのか?」

「えぇ、やっと掴んだチャンスだもの」

「でもそれじゃ――」

「どうして? なんで仕事を続けるのが駄目なの?」

「…………」

「なんでそこで黙るかな。……いっつもそうじゃん。それとも何? 今時女は結婚するなら家庭に――」

「わかった! わかったよ。そんなに怒鳴らないでくれよ。ただ……」



 ――出会いは大学でのサークル新歓コンパ。山奥のド田舎から出て来たばかりの私にとって、地方都市に住む大学の先輩って人種は、誰も彼もがあこがれの対象だった。一つか二つくらいしか年齢は違わないのに、所作が一々大人を感じさせ、喋る言葉の意味すら理解しにくいものだった。……ただ、生まれた地域が違っただけなのに。



 ――両親が結婚するなら嫁は家庭を守るのが当たり前だって――。


 

 その言葉を最後に、私は彼の元を去った。


 今の言葉で言う『蛙化現象』ってやつだ。……当時、といっても十年ほど前なだけだが、まさか今時そんな前時代的な事を言われるなんて、夢にも思っていなかった。大学時代から六年以上も付き合っていながら、私は彼の何も分かっていなかったと痛感してしまった。……確かに結婚は当人同士だけが良ければいいという訳ではないが、それでも……。会社に勤めて三年、やっと巡ってきたチャンスだった。何度も何度もゴミ箱に捨てられた企画書……。得意先に罵られる毎日……。それでも諦めずに続けた結果、やっと任せてもらえたプロジェクト。彼だって私がどんな思いでこのチャンスを掴んだか分かっていると思っていたのに……。


 天秤に掛けられる訳なんてないに決まっているじゃない!



 ふと、あぁまたこの夢なのかと理解してしまう。何度も何度も同じ事の繰り返し……。解っている。あの小説の先を読めないから……そこで足踏みしてしまっているから……。私は未だ、階段の踊り場で先の光景を見上げたままなのだ。それは長く、幾つも折れ曲がった階段。ふと階下を望めば、幾つも笑顔の私を見つけられるが、同じ数だけ泣いている私もそこには居る。そうして私は思うのだ。次の段を登れば私は果たして笑っているのだろうかと――。



~*~*~*~*~*~



「あ! 杏子ぉ~こっちこっち」


 そのメールは仕事中に突然スマホに入った。大学時代、同じサークルに入っていた同窓生の川崎万智かわさきまちからだ。今の会社に入社した当時、彼女も近くのオフィスに入社していたという事から、良く一緒にランチをしていたのだが、今から五年前に寿退社した。「三十路前に滑り込んだわ!」などと声を大にして公言するような、かなりフランクな性格。お相手もそんな彼女が気に入ったという事で「お似合い夫婦」だなと思って、式では大いに笑って祝福できたのを覚えている。そんな彼女が急に連絡なんてと思い、二人でよく通ったカフェに到着すると、変わらず大きな声で周りの顔色を気にせず、私を呼んでいる。


「久しぶりだね、万智」

「久しぶり~! 杏子はなんか出てきたわね」

「何よそれ?! ……太ったって言いたいの?」

「あはは! 自覚してるんじゃん」

「……そうなのよねぇ。……糖質と脂質の誘惑には勝てん!」


 久方ぶりの友人らしい友人にあった安堵感からか、終始笑い合いながらのランチに時間を忘れそうになっていると、彼女はそのノリのまま、軽い言葉で私に衝撃的な事実を伝える。


 それは余りに唐突な発言だった。 



「昨日、離婚しちゃった」

「……は?」


 だから私が慌てるのも仕方ないと思う。持っていたコーヒーカップを落とさなかったのは、奇跡と言ってもいいぐらいだ。その寸前まで「夕飯はこってりしたのを食べすぎた」等と言っていたのに、一拍の間も置かずにそのままの流れで、そんな大事なことをと思って彼女を見ると、存外彼女はケロッとしたまま私に笑顔で応えてくる。


「フフフ、びっくりした? ……まぁ、決めたのは昨日だけど、本音で言えば私達って、最初から上手く行ってなかったのよ」


 そこから彼女の愚痴は始まった。……やはり年齢に焦りがあった事、子供が欲しかった事なども有り、色々打算と妥協の結果だったという。たしかに彼とは気も合ったし、なんだかんだと付き合いも長かった。故に選んだ相手だったが、彼の「浪費癖」だけは許せなかった。……その所為で子供を作ることが出来ず、結果、彼との気持ちはどんどん離れて行ってしまった。晩婚化が進んだとは言うが、会社の男連中がそれを認めるかと言えば別の話なのだ。今のようにが増え、出会いそのものが減ったと言うならいざ知らず、事、日本の社会構造は未だ「同調圧力」が健在。二十代の頃なら笑って済ませてくれた失敗も、三十路になった途端笑ってくれなくなり、直接言う事はなくなっても、態度は変わらず「さっさと結婚しろ」と、目が語る。


「杏子はその点、上手くやったと思う。きちんとキャリアも積んで、資格も取ったんだから。……私らの希望の星だよ」




 ――最後に杏子にだけはちゃんと逢って話しときたかったんだよ。



 そう言って、彼女はその足でこの街を去っていった。



 ――ズルいよ万智……。



~*~*~*~*~*~



「……いい加減、私も庇いきれなくなるよ。せめて勤務時間中は『仕事』を熟してね」

「……はい。すみませんでした」

「……反省します」


 言外に『最後通牒』を含ませて、会議室に居た二人に話をした後、デスクに戻ってティッシュで顔をグスグス拭いている斉藤さんに声を掛ける。


「あの二人にはキチンと話しておいたから、もう貴女も泣き止みなさい。先方には私から連絡いれたから大丈夫、だから――」


「……はい、すびばせん。はい、はい」



 心の中で大きくため息を漏らし、同時に此処まで辛いのに、この子はめげずに頑張っているなと思い直して自席に戻る。最近の子は嫌なことがあればすぐに辞めるというのに、彼女はなんで違うのだろうと心の隅で思いながら、デスクに積まれたファイルを一つ、手に取った。


 万智と話をしてから数日、日々の仕事は相変わらずだ。お陰で心の疲弊を気にしている暇もないほどに……。ただ、ベッドサイドの文庫本の頁は未だ進んでいかないが。……そんな雑念を心の隅に置いたまま、今日もまたサービス残業開始と、パソコンの右下に映る時刻を何気なく見つめていると、デスクにコトリと硬質な物が置かれる。


「今夜もサビ残ですか?」


 こんな時間に帰社し、私の事を気遣ってなのか、置かれたのは『超微糖』と書かれた缶入りコーヒー。……この時間帯に聞き慣れたその声は何故か私の心に染み入ってきて、思わず「フッ」と笑顔で彼に応える。


「――そう言う兵頭ひょうどう君も今から書類整理するんでしょ?」

「はは、まぁそうなんすけどね」


 ――兵頭誠司ひょうどうせいじ。営業職で今年確か……三十一歳だ。チームを組んで三年過ごしたが、思えば私は彼の事をよく知らない。飲み会自体は時節柄無理だったし、何より年上上司のしかも『オバサン』が声を掛けた所で……。事実、今年の新人は当たり前のように「飲み会とかはちょっと……」とはっきり『NO』を突きつけてきた。そんな事を思い出して地味に精神的ダメージを喰らっていると「……どうかしたんですか?」と聞いてくる。


「……あぁ、何でも……あるわ! この前新人君達に――」



「――アハハハ! マジっすか? 最近の新人はスゲェ! 営業職なんて『付き合ってナンボ』の世界だってのに」

「ホント、あの子達にはオン・オフがハッキリし過ぎてて、こっちが引くわ」

「……それで、結局行かなかったんすか」

「行けないわよ、それこそ『パワハラ』『アルハラ』なんて言われたら、私もう立ち直れないもの」

「はぁ~、ホント、世の中世知辛くなっていきますねぇ」

「……世知辛いと言うか、なんでも「型」に嵌っていると言うか……。彼らはあれで楽しいのかしら?」


 そんなジェネレーションギャップの話をしながら作業だけは進めていると、何故だか何時もよりタイピングは捗り、気づけば彼が書類を纏め終わる頃、私の作業も切りが良いところまで終わっていた。


「おをっ! 今日の私スゲェじゃん!」


 思わずそう言って、気分良くパソコンの電源を落としてデスクを片付けていると、一足先に終えた彼が傍に歩いてきた。


「……不肖の後輩で良ければ、今夜の食事、お付き合い致しますよ」

「え? ナニを?」


 さっきまで何の話をしていたのだと自分を怒鳴りつけたい程、私の頭の回転は緩んでいた。気分良く仕事が終わり、まだスーパーの半額弁当が買えるかもなどと、そちら方面に思考が行っていたのも否定はしない……が、それは『女性』としてどうなんだと思う。ここは会社で、一社会人として立派に身を粉にして働く社畜だけれど、私はまだ女なのだ。


 ――だから、そう思ってしまったのも仕方ないはずなんだ。


「あ! ご、ごめん!」

「……いえ、急に無理な話でし――」

「違う! 違う違うの。ちょっと別のことを考えてただけだから……っていうか、良いの?」


 言ってしまって後悔する。一体私はナニを期待しているんだと……。『良いの?』の意味は何なんだと。……彼は只の会社の後輩で、今の今まで上司と部下の他愛もない「飲みニケーション」の話をしていたではないか。私の愚痴を聞き取った優秀な部下が、忖度してくれただけ……。そう、唯、気を使ってくれただ――。




 ――勿論! お誘いしてるのは俺の方なんですから――。




~*~*~*~*~*~




 帰宅し、何時ものようにシャワーを浴びて、全ての事を終わらせる。アルコールが未だ少し残っているのか、熱いシャワーの所為なのか、未だ体の芯が少し火照っている。髪を乾かし、冷蔵庫に入れてあるミネラルウォーターで喉を潤すと、そこで初めて大きなため息が出た。


 寝室に向かいスマホを充電ケーブルに挿すと、待ち受け画面が光り、そこには時刻表示とともにアプリのポップが表示される。メッセージが一件、届いていたようだ。ベッドに入ってそのポップをタップするとすぐさまメッセージアプリが立ち上がり、件のメッセを表示した。


『今夜はご馳走様でした。次は俺が奢りますから!』


 直下には何かのキャラが目を燃やすポーズのスタンプ。


 送られた時間は駅のホームで別れた直後辺りだろうか……。


「フフ……年下のくせに生意気な」


 少し意地悪な気分が芽生え、ポチポチと返信を打った後、あっかんべぇのスタンプを入れ、送信。……直後に折返しが来て「早!」と見ると、キャラが号泣しているスタンプだった。二~三、その後ラリーして、最後に「ぼちぼち寝るよ~、おやすみ~」と送ると「おやすみなさい」の返信が来て、アプリを閉じた。




 ――今日、私は彼の事兵頭誠司を初めてちゃんと気がする。


 ……ずっと知ろうとしなかったのは私の方で。『仕事』を言い訳に逃げてただけだ……。


 意地と、見栄だけで虚勢を張って、誰を頼ろうともしなかった。


 


 ――ただ、そこから動くのが怖くて……立ち止まっていただけだった。周りを見ようともせず、目を閉じ、耳を塞いでしゃがんでいた。


 ふふふ……唯の駄々っ子みたい。……なにがオバサンだ! 何がお局様だ! 



 ふと、サイドテーブルに置いた古い文庫本が目に入る。……ありふれた内容の恋愛小説。


 ――とある会社員の女上司と部下のすれ違いながらも惹かれ合っていく。どこかで聞いたような一昔前に流行ったオフィスラブストーリー――。



「俺、ずっと課長のことが好きでした! ……だけど、失敗続きで課長に合わせる顔もなくて」

「……は? ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、仕事と私を天秤に掛けてたって事?!」

「ち、違います! ただ……認めて貰いたくて」

「なにそれ。小さい事にこだわるのね」

「……だって、そうでもしないとかちょ――」


 ――年下のくせに生意気言うんじゃないわよ。好きなら好きって言ってくれればいいだけよ――。




「……ぷははは!」


 最後の頁を閉じると、途端に笑いが漏れた。……この結末は勿論知っている。ただ、知っていても笑えなかったから読めなかっただけだ。こんな、こんな幸せな結末……。だからこそ今迄の自分と違いすぎて、読んでも笑えなかった。


 立ち上がり、文庫本をテーブルではなく本棚へと仕舞う。さて次はどれにと一瞬考えて、彷徨わせた手を見て頭を振る。


 ――頭でっかちになるのはもう止めよう、私には口も目も耳もあるんだから。



 ふと振り返り、スマホを見ながらそう考えて、私はベッドに潜り込む。


 

 ――私のトナリにアナタが居たら……。




~完~












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