第3話 手紙は燃やされたいのです

 水嫌いな手紙の宛名さんへイーイが送った手紙を、社長さんは持ってきてくれていました。

 簡単に庭を片付けてから、小さな火で弔いを行います。宛名さんを呼ぶために送った手紙ですから、すぐ燃やしてしまうのがいちばんよいのです。

 そうしてまた庭を片付ければ、空はもうすっかり火の色を映していました。

「夕飯にしましょう」

 玉ねぎとベーコンのグラタンに、筍のおひたし。今年採れたばかりの玉ねぎはふっくらとした甘みがクリームソースに溶け出ていて、スパイスを効かせたベーコンと絡めば心までとろとろになる味わいです。筍は穂先がやわらかで、やっぱり雑なイーイらしく毎度変わる味つけも、それでも変わらず優しいものです。食後にと、保冷庫のなかではオレンジのゼリーがふるんと待ち構えていることでしょう。

 そうして夕飯を味わいながら、なにごともなかったように――いえ、イーイにとっては本当にいつも通りの日常なのですけれども――昼間の手紙について話すものですから、わたしは思わずじっとりとした視線を送ってしまいました。

「どうしたの?」

「わたしは……いつになったら燃やしてもらえるのでしょうか」

 わざとらしくため息をついてみせると、彼女はぱちくりと瞬きをします。

 それから、ふっと視線をお皿へと落としました。

「まだ、その必要はないでしょ。ほらにんじんをお食べ」

 グラタンを掬ったスプーンがこちらへやってきて、反射的にぱくりと飲み込んでしまいます。よく火の通ったにんじんはとても美味しい――ではなくて、ただ話を逸らしたかっただけ、そしてただイーイがにんじんを食べたくなかっただけではありませんか!


 イーイに宛てられた他の手紙はみんな、彼女の調合した火に燃やされてきました。わたしを除いて、そうされてきました。相談事も、お仕事のお礼も、季節の挨拶でさえも。どのような手紙にも対等に向き合い、その手紙のために蒔かれた火の種を、そうして芽吹いた火を、わたしはただひたすらに見てきたのです。

 自分が、イーイのお母さまから送られた大事な手紙であることはわかっています。

 なんども読み返して、ここに込められた思いが薄れてしまわないようイーイが気をつけていることもよく知っています。

 けれど、けれども。

 わたしは、イーイに燃やされたいのです。

「そんなこと言っていて、よいのですか? いくらイーイが大事にしてくれていても、こんなに長いあいだ燃やされずにいたら、いつ言葉を剥がしてしまうか、わかりませんよ」

 これは精いっぱいの脅しでした。

 だってもう、限界でした。

 手紙に込められた想いよりも手紙そのもの・・・・・・の想いのほうが強いなんて、そんなの、手紙じゃあありません。

「……わかったわ。あなたを弔うことにする」

 イーイが燃やしてくれない理由を知っていても、譲れないものは譲れないのです。

 それに、わたしだって、あの問いかけに答えたいですから。

「ねぇ、それではあなたを……この手紙を、どのように燃やしましょう?」


 翌朝イーイは、店のドアにしばらくおやすみとする旨を書いた看板を掛けました。

 わたしを手に自室へこもり、これまでの調合について書き殴った紙や、ぶ厚い図鑑とにらめっこが始まります。

 嬉しいような、申しわけないような、不思議な気分でした。けれども今は正真正銘、イーイがわたしのためだけに使ってくれる時間なのです。

「ねえ、あなたは特別な手紙なのよ。《代燃者》だった母さんの……だからこそ手紙を燃やしたくなかった母さんからの、渾身の手紙」

「ええ、わかっています」

「きっとあなたに書かれた言葉は失われない。私がそうはさせない。少なくとも私の生きるあいだは」

「ええ、わかっています」

 別け隔てなく手紙と向き合ってきたイーイが向けてくる特別な感情を心地よく受けとめながら、しかしわたしに返せるのは手紙としての言葉だけでした。

 この特別は、イーイのお母様から届いた手紙・・・・・・・・・・・・・・に向けられたものなのですから。

「……それでもあなたは、いま、私に燃やされたいの?」

 答えは決まっているでしょうに、イーイはまだそんなことを言ってきました。どこか未練がましいようすに、笑いがこぼれます。

「わたしが抱えている言葉や想いを、ここで永遠に留めてはおけませんでしょう」

 海から雲へ。雲から雨、流れて川。やがてまた海へ。

 そうして循環する水のように、言葉だって巡ってゆきます。わたしたち手紙は、そういう役を担っているのです。


       *


 ごお、と熱風が沸き起こりました。

 芽吹いた火は大輪の花へと美しく咲き乱れます。その下では、この家で四季をともにした庭の草木からなる榾火が揺れていました。

 イーイのもとで穏やかに愉快に過ごしたわたしを弔う火。ああ、こんなにもわたしの終焉にふさわしい火が。


 わたしはたいへんに我儘な手紙ですので、「どのように燃やしましょう?」という問いかけには「イーイがわたし・・・へ向ける感情の火を」と願いました。

 その言葉が正確に伝わったかどうか、わかりません。

 けれど、なんて激しくて、なんて優しいのでしょう。

 増してゆく熱は愛情のようで、強まる光は導きのようで、想いが爆ぜ、そして――

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おもいはぜ ナナシマイ @nanashimai

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