第2話 手紙が逃げてきました
手紙を弔う仕事というのは、穏やかな出来事ばかりが続くわけではありません。
その日イーイが昼過ぎまで寝坊をしたことで慌ただしく開店の準備をしていますと、荒々しくドアをノックする音が聞こえてきました。まだ髪も整えていないイーイでしたが、お客さんをお待たせするほうが失礼です。そのへんにあった紐でぐっと髪を縛ると、はいはーいと呑気な声を上げながらドアを開けます。
「ひゃむ!」
と、間抜けな声が出たのはイーイの顔になにか――封筒が張り付いたからでしょう。
「おれを匿ってくれ!」
そうして飛び込んできたのは、どうやら宛名さんから逃げてきたらしい手紙なのでした。
安物の封筒ではありません。箔押し模様の美しい、招待状などにも使われそうなしっかりと厚みのある白封筒です。ぞんざいに扱われたようすもありませんし、強いて言えば、先ほどのノックが原因であろう、角がひしゃげているくらいでした。上品な光沢とパリッとした折り目からはむしろ、これまで丁寧に扱われてきたことが窺えます。
それだというのに、手紙はたったひとりでイーイの店までやってきたようなのです。
「宛名さんは知ってるの?」
「……ふんっ」
「ちゃんと、宛名さんと話し合ったほうがいいわ」
「いやだね! あいつらに弔われてたまるもんか。おまえ《代燃者》なんだろ? 弔ってくれよ!」
どうやら弔われること自体を嫌がっているわけではなさそうです。
しかしそう言われましても、イーイは人様の手紙を勝手に燃やすようなことはしません。そこでパシンと両手で手紙を挟んで掴み、手早く宛名を確認してしまいますと、それはとある会社に届けられた手紙だということがわかりました。
棚から新しい便箋と封筒を取り出したイーイに、手紙はびゃっと彼女から逃げ出し、入ってきたドアに貼りつきます。
「な、なにをするつもりだ!?」
「宛名さんを呼ぶのよ。ここで弔ってあげてもいいけれど、なんにしても、勝手にするわけにはいかないもの」
手紙を出してからしばらくすると、宛名さんの会社の、社長さんが来てくれました。
「なにぶん嫌われやすい商売ですからね。こういった手紙は多いんですよ」
イーイはまだ内容を読んだわけではありませんが、ここはにこりと頷いておくことにしたようです。けれども社長さんの言葉だけで、なんとなくこの手紙がどのようなものか、わかるというものです。
「うちで弔う用意もあるんです。ただ、水を嫌っていましてねぇ……ほら、帰りますよ」
「いやだ!」
そんな社長さんと手紙のやりとりを見ていたイーイは、なるほど、と頷きました。
「模様が綺麗なお手紙ですから、きっと、水でふやけてしまうのが嫌なのね」
当然の流れといいますか、やはりその手紙はイーイが燃やすことになりました。ぜったいに水なんかで弔われてなるものかと譲らないものですから、しかたありません。社長さんは手紙へ呆れ顔を向けながらも代金を惜しむことはしませんでしたので、不憫に思ったイーイは少しだけまけてやることにしました。
さて、手紙に書かれていたのは暴言だらけでした。紙の雰囲気に合わせたのか丁寧な語り口ではありましたが、それは疑いようもなく暴言なのでした。
けれどもイーイは微笑みを崩さずに読み終え、たったひと言、「とても切実な思いだわ」と呟きます。
手紙はなにも言いませんでした。
*
芽を出したのは、夢を見るような火。
ぱあっとはじけたかと思えば、ゆら、ゆらりと揺らいでゆきます。香木を焚いたような寂寥が煙となって、庭を、そして弔われるべき手紙を、さらなる夢の世界へと導くようでした。
それでいてどこか切実な、懇願に似た赫たる熱。
勉強不足は否めないイーイですけれど、それぞれの手紙に寄り添った火を咲かせる感性は本物です。そしてそれはどのような内容の手紙であっても、同じなのです。
どのような想いであっても、その心に受け入れて。
手紙を燃やすことをためらいはしないのです。
「ありがとう。こんなにも穏やかな火の弔いを見られるとは、思ってもいませんでした。また水を嫌う手紙が届いたときにはお願いしても?」
「ええ、もちろん」
燃やしたあとに残った手紙の灰をかき集める社長さん。帰ったら会社の周りに散らすのだと言います。
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