おもいはぜ
ナナシマイ
第1話 手紙を弔います
「この手紙を燃やしていただけませんか」
開店と同時にやってきた、品のよい婦人が差し出してきたのは、淡黄の花を漉き込んだ紙の封筒でした。なんども読み返したのでしょう、端が少しばかり綻んでいます。
聞けばその手紙は、婦人のご友人から届いた最後の手紙であるそうです。ずっと文通を続けてきた二人でしたが、先月、ご友人はとうとう手紙を出すこともままならないところへ行ってしまったのだと言います。
「互いに、最後の手紙を手もとに置くのはひと月のあいだまで、と決めていました」
それ以上に置いてしまえば、きっと手放せなくなるからでしょう。
婦人は瞳の奥に光るものをしまいこむように、「お願いします」と頭を下げました。
ひと通り話を聞き終えて、イーイは仕事を承ることに決めた際には必ず浮かべる、やわらかな笑みを婦人へ向けながら手紙を受け取ります。
そうしてこう訊ねるのです。
「それではこちらの手紙、どのように燃やしましょう?」
手紙というのは、人から人へ言葉や思いを伝えるためにあるものです。
ですから受け取るべき相手がいなくなったり、言葉に込められた思いが薄れたりすると、いけません。手紙に書かれた出来事が失われることはおろか、言葉そのものが失われてしまうことだってあります。
そうならないためには、役目を終えた手紙をきちんと弔ってやることが大事なのです。
「ああ、その前にひとつだけ」
ところでイーイは自分で考えた決まり文句を気に入りすぎて、とにかく言いたがるきらいがあります。先ほどの問いかけがそうですが、時おり大事な確認を忘れてしまうのはいただけません。
とはいえ今日はすぐに思い出したので、よしとしましょう。
「私のところでは手紙に合わせた火を調合することにしているのです。そういうわけですから、中を拝見してもよろしいですか?」
「ええ、ええ、どうぞ好きなだけ見てくださいな。そのことは知人より聞いておりましたし、だからこそお願いしようと思ったのですから。《代燃者》イーイさま」
そう。イーイは、さまざまな事情で手紙を弔うことのできない人たちの代わりに、手紙を燃やすお仕事をしているのです。
人様の手紙を読むのですから、イーイは穏やかな、けれども真剣な眼差しをします。
いちど読み終えると、今度は覚書をしながら二度、三度と読み返しました。ちらちら後ろの棚へ目を向けているのは、調合する火について思考を巡らせているのでしょう。
イーイのなかである程度思いつきがまとまったのか、やがて走り続けていたペンがとまります。
「素敵な思いが書かれた手紙ですね」
それからこう続けました。
「それではこちらの手紙、どのように燃やしましょう?」
この台詞は二回目です。本当はもっとびしっと決めたかったのか、少しばかり眉毛が下がっていました。
「わたくしは、丁寧に弔っていただければいかようにも。それより、手紙の意見を聞いてやってくださいな」
さいわい婦人は気づいていないようでしたので――そもそもイーイ本人も気づいていないのでしょう――話は途切れることなく進んでいきます。
イーイが手紙に「どうする?」と訊ねてみますと、手紙はかさりと口を開きました。
「そうだねえ、送り主は音楽を聴きながら書いていたんだ。だからそんな感じにしてくれるといいかなあ」
穏やかな男性の、けれども洒落好きそうな声です。品のよい婦人へ送られるのにぴったりな、優しい雰囲気がします。
「それはどのような音楽だったの?」
「僕は音楽に明るくないんだ……でも、聴いてると、こっちまで楽しくなるような、こう、飛び跳ねたくなるような歌だったなあ」
ふむふむ、とイーイは手紙から聞いたことを書き加えました。
*
土色のカーディガンを羽織ったイーイが、覚書を見ながら庭に火の種を蒔いていきます。
始まりを呼ぶ火の種に、音階を定める火の種。それから賑やかさを好む火の種。
あんまり勉強が好きではなかった彼女ですから、分量はわりと雑です。けれどもそんなこと婦人は知りません。静かに、踊るようにして火の種を散らすイーイを、どこか畏れるような表情で見守っていました。まだ寒さの残る時分ですので、いちおうイーイは「弔いが始まるまでは火を焚けませんが」とことわりをいれたのですけれども、婦人は準備のようすから見てみたいと言ってついてきたのです。
やがて火の種蒔きという名の調合を終えると、イーイは婦人に手紙を庭の真ん中へ置くよう指示しました。両手で丁寧に置きながら小さな声でなにやら呟いているのは、お別れの言葉でしょうか。
厳かに頷いた婦人を庭の端へ下がらせ、イーイは自分も種を蒔いた場所の外縁まで下がりました。
ぱちん、と指を鳴らせば、弔いの始まりです。
イーイの合図に呼応して、にょきん、ゆらんと火が芽吹きます。
赤から青、熾の静けさから華やかな火花まで。種から芽を出したさまざまな火が、瞬く間に広がっていきます。
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