3 地上399階の降誕祭
あれだけ作業で動き回ったのに、高級ケーキは何ともなかったようだった。
ということは、パルマスのリュックの内部は
そんな高価なものを用意してまで、この男はケーキをここまで運んで来ようとしたのだ。
「この、ものすごい
照れたように、パルマスは笑う。
――こいつが祝いたいのはナビダートで、私が嫌いなのはノエルだ。そういうことでいいじゃないか。
「わかったよ。付き合ってやる」
一瞬で心を整理して、ビネットは彼の隣に座った。伸ばした足は柵の外側、二人は高い夜空の上で、巨大都市の放つ輝きを正面から浴びながら座っていた。証明のない通路に座った二人の顔は、その光でぼんやりと明るく見える。
パルマスが
「すごいじゃないか! 特等席だよ、こいつは」
パルマスは手にしたカップを、眼下の
「フェリース・ナビダード!」
降誕祭の、祝いの言葉。ビネットたちの言い方では、「ジョワイユ・ノエル」ということになる。
しかし今夜、あの忌まわしいノエルを祝うつもりは彼女にはない。あくまでケーキの礼として、パルマスの夢とやらに付き合ってやるというだけだ。
「ならば、私も。『フェリース・ナビダード』。これでいいのか?」
「悪いね、ビネットさん。付き合わせて」
「いいさ、これくらい。十分な代価をいただくんだからな」
彼女は、パルマスが手にしたケーキを指さした。抑えていた笑みが、ついにこぼれる。
巨大都市の夜景を見下ろしながら、二人はショートケーキをほおばった。こんな場所で、しかもフォークも使わずに半ば手づかみで、こんな風に食べられることになるとはケーキ自身も予想していなかっただろう。
軽いのにコクがあり、あふれんばかりの甘さが舌から伝わってくるのに少しもくどくない。そんな魔法のようなクリームが使われたケーキは、まるで夢の中から出現したかのようなおいしさだった。
「良いケーキをありがとう。おいしかったよ。……悪くないかもな、降誕祭も」
ビネットは、空へ向かって白い息を吐いた。こんなにすっきりと気持ちの良い降誕祭の夜は、生まれてはじめての気がした。
「さすがは
男が指さしたのは、隣の
しかし、この高さからであれば、そこはあともうちょっとで手が届きそうな場所でしかなかった。神様とやらの住むという、隔絶された天界と比べてしまえば、ほんのちょっと地面よりも高い場所というだけだ。
羽ヶ淵の連中だって、つまりはただの人間に過ぎない。ビネットたちと、何が違うだろう。
「よし、ここは一つサービスだ。あちらの窓も洗ってやろう」
パルマスが急に、高圧洗浄ノズルをセントラルタワーへと向けた。
「おい、やめろ」
こいつは紅茶とケーキだけで酔っぱらうのか、と慌てて止めようとしたビネットだったが、考えてみれば止める理由がない。いいじゃないか、これは祝砲だ。盛大に、降誕祭を祝ってやればいい。
夜空に向かって勢いよく噴射された高圧洗浄水は、しかしやはり隣のビルまでは届かなかった。細かい水滴が、はるか下方の地上に向けて、雲のように広がりながら降り注いでいく。
「こいつは……虹だぜ! ビネットさん。いや、まるで宝石だ」
放水ノズルをしっかりと持ったままのパルマスが、驚きの表情で叫んだ。
彼が言う通りだった。眼下に広がる水滴の雲が、七色にきらめいて見える。
厳寒の空気にさらされて、一瞬のうちに無数の氷の結晶へと変わった水滴が、巨大都市の放つ光を映して輝いていた。
人工の雪、あるいはダイヤモンド・ダストのようなものを、彼は偶然に創り出して
しまったのだった。
「こいつは最高の降誕祭だ!
その嬉し気な様子に、ビネットも思わず笑い出してしまう。そして彼女は、再び叫んだ。
「フェリース・ナビダード!」
その夜、澄み切った凍てつく夜空から突然降ってきた光のかけらを、
それが神ならぬ、地べたを生きる労働者二人によって創り出されたものだということを、人々は誰も知らない。
(了)
地上399階の降誕祭 天野橋立 @hashidateamano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます