第2話
***
一瀬は126隊で1年過ごし、仕事にも慣れた。樹界に入るのにも防具をほとんど外すようになり、奇怪なものを見るような別部隊を笑って見返し、逆に目を逸らさせるようにもなった。入ってから6年経った井口の方がその辺は下手で、そっと後輩の影に隠れる。
「それでいいんっすか先輩」
「いいんだよ、うるさいな」
その時、自動ドアから数十人のボロボロな他部隊員が入ってきた。腹防具に穴が空き、そこから赤色が滲んだ人を頬に包帯を巻いた人が支えている。足首に青痣を作った人は杖をついていた。
怪我をすることはあってもこんなに多くの人が負傷して帰ることは少ない。防具は純正のものであり、それが役に立たなくなるほどの攻撃を受けることは皆無と言ってもいいほど信頼性がある。ロビーに充満した血の匂いに救急道具を持ってきた人もいたが、ほとんどは信じられない光景に口を開けていた。
「1隊に救援を……頼む」
赤髪が肩を支えた同僚にそう言って目を閉じた。一瀬も井口も暫く牙を剥く樹界との戦闘経験がなく、目の前の惨劇を噛み締めて初めて彼らが本来敵であるということを思い出した。対話の方法を学び、怒りを落ち着かせることに全てをかけてきたため、いつの間にか樹界を自分たちに近しい友人のように感じていた。椎木と河上の手にかかればどんなに手の付けられなくなった樹界でも収められると信じる程に。
「隊長、自分たちで止めに行きましょう」
「1隊が来たらあそこが焼け野原になっちまう!」
2人がそう言って振り向くと、既に椎木は居なくなっていた。この一瞬でどこに行ったのかと口を開けていると、更衣室から早着替えを終わらせて出てきた河上と鉢合わせた。河上は私服姿の2人を上から下まで見て唸り、一瞬悩む。
「あんた達はここで待ってなさい。ひよっこに私と隊長がやることを真似させるわけにはいかない」
「はああ!?」
「自分も126隊の一員です。手伝わせてください」
血が頭に上って河上に掴みかかろうとした一瀬を手で制し、井口は1歩前へ進み出た。息が整っているのが河上を気圧させる。
「……着替えてきなさい」
2人が着替えを終わらせ自分の武器を腰に巻き付け飛び出すと、椎木と河上が車にいつもの道具を積み終えたところだった。「乗って」という号令で慌てて飛び乗った一瀬は、ドアを閉じる前に走り出した車に足を引っ込めて、椎木の乱暴な手動運転にしがみつくことしか出来なかった。
前には5台のトラックが走っている。全て1隊の車で、積まれているのは大きなチェーンソーと大量の火薬だ。1隊はその独特な討伐方法によってデストロイヤーの異名がついている。その名の通り樹界をあっという間に消し去る先鋭部隊で、樹界科で最も大きな部隊だ。
椎木は車を事件現場の北側に停めさせて全員を下ろした。前方では先に樹界前に着いた1隊の面々が慌ただしく準備を始めている。
樹界から通常の倍の距離を取っているのは、樹界の侵略速度が異常に速いからであった。荒野がみるみる緑に呑まれていく。まだ交戦してすらいないのに人間を襲おうと唸る樹界はいまや完全に巨大な魔物であった。
椎木は愛用の刃物を装備しながら魔物を背にエリート達を指揮する男を指差した。
「余裕があったら岩崎の仕事を見てろ」
「うぃっす」
一瀬はその男の姿に見覚えがあった。入社式で壇上に立っていた厳つい男だ。言われてみれば1隊長だと名乗っていたような気もするし、気のせいだったような気もする。しかし彼が誰もが憧れる1隊長様であるというのはしっくり来ていなかった。見れば隊員にあれこれ怒鳴るだけで、彼自身はその場から一歩も動いていない。口には煙草があったし、特段装備も持っていなかった。
一瀬はあからさまに肩を落とした。
「あれのどこが勉強になるっすか」
「見てろ」
1隊は岩崎が先頭となって列をなし樹界に入っていった。手には両手サイズのチェーンソーがあり、手当り次第切り倒していく。一瀬は思わず目を瞑ったが、予想した事件は起こらなかった。
樹界は適切な対応をしなければ牙を剥くというのはこの1年で身をもって学んだ。例えば木が邪魔だからと手当り次第伐採しようとすると、切り株から新たな芽が吹き、襲いかかってくる。だから、岩崎が樹界を切り開くように木を倒していくのは樹界の怒りを買っていると思ったのだ。しかし、岩崎は攻撃ひとつされず樹界を突き進んでいく。樹界は岩崎ではなくまだ交戦していない表の一般員達を牽制していた。
「まさかあのスピードで間伐してるんですか」
「そのまさかをやってのけるから1隊で隊長やってんだよ」
険しい顔を崩さずに河上は言った。木を間引いて幼木に光を当てると伐採をしているのになんの抵抗もしてこないが、それを間伐と呼んでいる。間伐とは本来全体と木単体の両方を見てから決めるため時間のかかる選定作業だが、岩崎は走るようなスピードでやってのけている。一瀬にはおろか、6年生の井口にも出来ないような高等技術だ。ベテランの椎木と河上なら時間をかければできるが、木1本の健康診断をするためには枝の一つ一つを見定めていかなければならない。とてもぱっと見ただけで終わるような作業ではないのは周知の事実だ。
「そもそも樹木医自体減っちゃったからね。今どき樹界を治そうなんて思わないよ」
「岩崎さんも樹木医なんですか」
「……一応」
言葉がひっかかったが、河上も椎木も補足説明をすることは無かった。代わりに井口が「隊長と岩崎さんは樹木医の同期なんだよ」と耳打ちする。
126隊は1隊の後に続き、歩きやすくなった切り株だらけの森を進んだ。切り株からは既に新たな芽が出ているが、人に襲いかかるほどのものでもなく、むしろ光を浴びて輝いていた。
「岩崎は樹界のことを熟知してるからああやって簡単に樹界入りできるが、奴は懐に入った瞬間樹界を裏切る。胸糞悪い」
「火をつけるやつですか」
「そう」
椎木が珍しく自ら口を開いた。
樹界の端に火を放っても有効なダメージを与えられないほか、その強く酸素濃度の高い風により火が街に及ぶ恐れがあるので許可のない放火は禁止されている。それを容易くやってしまうのが1隊だった。結局放火が一番早く、手間なく樹界を一掃できる。
椎木の両手には鉈と中型チェーンソーが握られており、河上、井口、一瀬の手にも小型チェーンソーがある。一瀬もチェーンソーを触ること自体は慣れたものだが、発生材を細かく刻む程度しかしていなかったため、大森林を前にして手汗を握っている。
椎木は突然1隊が作った道から外れ、薮の中を進んで行った。薮に足を文字通り掴まれながら進むこと3分ほど、突然足を止め振り返る。そこには若い木が沢山生えており、静まった森の木漏れ日が穏やかに揺れている。その美しさは思わず見惚れるほどであった。
「1隊が火をつけたらこの辺の木を攻撃しろ」
椎木は銃を片手で大きなチェーンソーを掲げ、優しい樹界に向けた。
「え、なんで?」
「珊瑚樹、ネズミモチ、モッコクなんかは防火林によく使われていた」
「防火林? 植物ってめっちゃ燃えません?」
椎木の横顔が樹界の奥を強く睨んでいた。いち早く意図を理解した井口は成程、と両手で構えたが、一瀬は首を傾げたままだった。先輩の言うことを聞くことが1年しか経験のない一瀬にできる最大のことだ。
その時樹界の奥からカウントダウンが聞こえた。1を数え終えた岩崎は振り積もった落ち葉に火を落とし、すぐに熱風が4人の元へ届いた。
椎木が大木を火の方へ倒すようにチェーンソーを入れた。大木はゆっくり傾き出して、大きな音と共に周りの木諸共なぎ倒して行った。頂を破壊された木は怒り狂って枝を急激に伸ばし、蜘蛛の巣のように葉を茂らせて逃げ場を奪おうとしている。表の方向へ逃げながら次々と樹界を攻撃する彼はやや悲しそうな顔をしていた。同時にほか3人も木を最も傷つける方法でチェーンソーを振るい、次々に襲いかかる樹界の手を避け走る。
「これしくじったら俺達も怪我しません?」
「そうだよ、だから死ぬ気で走れ!」
「河上さんたまにスパルタっすよね!」
樹界と心を通わせ共存しようとしていた126隊が今行っているのはその真逆。樹界を攻撃する行為は樹界科としては正当な行動だが、そんなことをしては樹界から勝ち取った信頼もあっけなく崩れ去ってしまう。
炎はちょうど防火林のある辺りで勢いを緩めた。その間に1隊の面々も山火事を大回りして荒野に出てきた。想定よりも火の周りが遅かったようで、126隊を認めるやいなや大股で歩いてきた。
「またか、懲りないな椎木。貴様の行いは規約違反だぞ。全滅させなければ樹界は更に脅威となる」
「生き残ったか岩崎、無駄に図太いな」
背後で樹界が火に巻かれ、もがくように暴れていた。時々種が飛んできて、防護服に傷をつける。そのうちの一つが岩崎の頬に当たって赤い線をつけた。しかし防火林よりもこちら側にある木が怒り狂った樹木から126隊の4人を守るように葉を広げ、攻撃は全て1隊の隊員に襲いかかっていた。彼らは撤収作業が終わろうと言う時に邪魔され、盾を構えながら守られた126隊を睨んでいる。
椎木はため息をひとつついて岩崎をおしのけ、樹界の前に歩いていった。無防備に巨大な魔物の前に立つ弱小部隊の隊長を全員が盾の隙間から薄目で気にしていた。
「攻撃を止めてくれないか」
樹界に向かってそう叫ぶと、樹界はまるでそれを聞き入れたかのように呆気なく静まった。椎木はそろりと伸びてきたツル植物に頭や体を撫でられ、岩崎のように裏切らないかとチェックを受けているように見えた。急に動きを止めた樹界を不思議に思った1隊の一員が盾を置き樹界に近づくと、茨の結界に阻まれる。
警察が駆けつけ、樹界を庇った椎木を拘束した。結果的に軽い怪我人はいるものの死傷者を出さなかったが、それよりも人間に脅威となる樹界を破壊しなかったことが罪となったのだ。
岩崎が煙草を咥え、椎木の元へと歩いていく。
「岩崎、樹界は話せばわかるやつだ……分かってるだろう。何故火を使った?」
「いち早い樹界の殲滅が求められている。攻撃の意思は関係ない」
河上が椎木を拘束した警察に自分も共犯だと言おうと踏み出す。しかし、駆けつけた彼女の腕を岩崎が強く掴み、126隊の小さな車に押し込んだ。
「樹界科は樹界の為の部隊じゃない。人間は共生を望んでない」
「そんな人ばっかりじゃないことも知ってるでしょ! 昔から人間は緑を愛でて一緒に生活してきたんだ……攻撃してきてるのだってそうやって植物を邪魔者扱いする一部の奴らのせいでしょ。好きなものを守って何が悪い!」
車は自動運転でプレハブに戻った。1人欠けた車内でそれぞれが岩崎の言葉を反芻していた。樹界科は依頼を受けて仕事を行うため、例え静まった樹界が目の前にあろうが殺さなければならない。126隊が今まで怒りを静めただけで現場を後にしていたのは、4人しかいない弱小部隊であるが故に許されていたことで、1隊の邪魔をしてしまった今黙認されなくなった。
遠ざかっていく樹界を見て不機嫌そうに頬杖をついていた一瀬が不意に「あっ」と声を上げる。
「独立しません? したら自由に樹界入れるっす!」
新人なりのぶっ飛んだ案に目を丸くした2人は、顔を見合わせて腹を抱えた。
「最高、そうしようか!」
「マジで樹界科裏切ってんじゃん、やばいわその発想」
車内は今後の展望の話し合いで過去一盛りあがっていた。独立したら樹界の中に家を建てようとか、植物と共生した昔のような緑の街を作ろうとか、夢を語って大きくしていく。1年前は滅ぼそうとしか考えていなかった一瀬が嬉嬉としていた。
森に抗う者 コルヴス @corvus-ash
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