森に抗う者

コルヴス

第1話

 大広間に若者が大勢整列していた。千はある椅子の前にそれぞれ直立し、壇上でマイクを手に取る初老の男の言葉に圧倒されている。


「難関試験を突破した諸君、まずはおめでとう。私は樹界科1隊隊長の岩崎いわさきだ。諸君は明日から我々と共に人類の脅威である樹界に立ち向かい、家族友人恋人の生活を守るヒーローとなる」


 どの顔も眼を開き、口を固く結んで微動だにしない。全員髪を黒く染めるか完全に剃り、スーツには飾り気も皺もついていなかった。一昔前の窮屈な慣習を守るほど統率が取れた彼等は他に類を見ないエリートだ。


「さぁせん、遅れました!」


 千人が一斉に入口を振り返った。遅れて到着した彼は真新しいスーツの袖を捲りボタンを開け、肩で息をする。スマートフォンで自分の席を確認すると、首をすくめてできるだけ目立たないように集団に混じった。

 全員が白い目で見ていた。空気を壊され嘆息する人、下等生物を見なかったことにした人。軽蔑が殆どで、変人に興味を持つ者はいなかった。


「……一瀬いちのせだな、樹界科の目的を述べよ」

「は、はい! 樹界科の目的は、人間に危害を加える変異樹木及び……ええと人を守ることです」

「違う! それじゃ30点、不合格だぞ本当に試験受かったのか。樹界とは意志を持ち暴走した植物が集まってできた巨大な魔物だ。30年前発生してから爆発的に巨大化し、文明を破壊しながら飲み込んでいる。また、以前とは違い枝、葉、実、根を使い攻撃を行うため危険度が高い。全員分かってるな。一瀬!」

「はい!」


 遅刻して登場した彼、一瀬は手汗を握り肩を強ばらせた。規律が体に馴染んでいないがそれでも精一杯背伸びするような初々しさが見て取れる。


「貴様の配属先は126隊だ。椎木しいのき、連れて行け」

「ちょっ、えっ!?」


 隊長がずらりと並ぶ会場の右側の一番後ろで50代にしては屈強な男が立ち上がった。鉄板靴を鳴らして一瀬のいる列に向かい、仁王立ちしている。全員の冷ややかな注目を集め、一瀬は頭を下げながら人と椅子の間を抜けた。二人はあらゆる場所から嘲笑に似た囁きを受け、追われるように会場を後にする。

 椎木は顎で会場の大きなドアを指し、外へ促した。密かな冷笑を跳ね除けるような威厳はないが、慣れたように堂々と立っている。

 一瀬にはその度胸がなかったし、堂々とするのも違うと思った。遅れたのは確かに寝坊が原因だしテストもギリギリ滑り込んだようなものだが、遅刻への反省はしているし、初めての仕事に対する意欲もそれなりにあった。

 廊下を抜け、玄関でキャリーケースを回収して外に出ると、若いとはそろそろ言えなくなってきたくらいの女性と一瀬よりやや歳上の男性が作業着で立っていた。


「早いですね、隊長。もしかして其方は新入生? うちに!?」

「えー、自分の時はもう2時間くらい経ってから配属先発表されましたし、違うんじゃないですか」

「えっと、此方は……」

河上かわかみ井口いぐち

 

 ようやく口を開いた椎木が二人の名前を告げたが、それ以外の重要な他己紹介はせず社用車の鍵を開けた。2人はにこやかに肩を竦めて一瀬に向き直った。


「隊長、人見知り発動してませんか? まったく……一瀬君だっけ、副隊長の河上です。樹木医をやってます」

「井口、28歳です。特に役職は無いなぁ、自分も未熟者だけど分からないことがあったら聞いて」

「一瀬です、よろしくお願いしゃす」


 簡単な自己紹介を終えて荷台付きの車に吸い込まれていくと、車は滑らかに浮き上がった。目的地を入力するだけで自動運転してくれるが、まだ人の手が必要なのではないかと身構えるほどに古い形である。

 まだ肩身狭く固まっている一瀬を先輩達が質問攻めにした。趣味は、いつもは何をしているの、彼女は? から始まり、結局「配属決まるの早かったね」という話に落ち着いた。遅刻したからこうなったのだと耳を赤く染めて言った時車内が爆笑の渦に飲み込まれたのは言うまでもない。


「あのジジイ弱小隊に遅刻少年押し付けたな。まあ仕事はあるしバリバリ働いてもらうよ。頑張ってね少年」

「はい……」


 車は真っ直ぐ北へ走った。ビル街を縫うように走る大通りには同じような車が行列を生し、反対車線はもっと混んでいた。今どき珍しい庭樹にはプロペラをつけた清掃ロボットがまとわりつき、埃を払っている。

 政府は植物が樹界化してから安全のため植木を全てプラスチック製の模造品にすることにした。管理は埃を払って劣化部分を取り変えるだけなのでコストがかからず色々な観点から利点がある。しかしそもそも庭に植物要素のあるものを取り入れること自体が異常であった。


「たまにいますよね、植物好きな人」


 冷ややかな一瀬の呟きを誰も拾わなかった。三人はそれぞれ自然を装って窓の方へ顔を背け、それとなく息を吐いて目を瞑ってみる。

 街を抜けると閑静な住宅街へと景色は移り変わっていく。この辺りは樹界の侵略もややあり、防護服を着た樹界科の人間が今まさに樹界退治を行っていた。

 一人が銃を構え毒針を発射する。しかし狙いは外れ、攻撃に憤怒した巨大な葛に縛り上げられていた。その根元を裏から回り込んだ別の人が鉈で切り、標的が変わると銃を持っていた三人目が即座に毒針を打ち込む。毒に侵された蔓は生気をなくして茶色く萎れ、その巨体で砂埃を巻き上げた。

 彼らを近寄ってきた住民が拍手で称えている。たかが葛一株でも人を絞め殺すことはできるし、放っておけば巨大化して街を滅ぼすのだ。小さいうちに対処出来れば良いが、生活の拠点をバーチャル世界に移している今、地球での出来事は気が付かない人が多かった。だから人々が暮らす街は土を石で覆って植物が生きられないようにし、時々表面を消毒して風に乗って飛んできた種を殺している。討伐を終えた彼らも石の割れ目に薬剤を注入していた。


「あれだけしっかりやってんのに、それでも侵略してくるんっすね。やっぱり最近の凶暴化が原因っすか?」

「いいや、植物は強いんだよ、昔から」


 それから車が止まるまで、井口は一瀬に樹界の成り立ちや広がり方について教えた。ここ30年で凶暴化したという内容は大学で学んだものだったが、試験が終わった瞬間に忘れるような興味の薄さなので適当に相槌を打って聞き流した。

 車は北部樹界の前線が視認できる場所で停止した。最後に降りた一瀬は五階建てのビルをなぎ倒して蠢く樹界の姿に呼吸も忘れている。

 一瀬は都会生まれだ。コンクリートをペンキで飾った四角い街しか見たことがない。しかし、目の前に広がる壮大な緑は一瀬23年の常識を覆した。確かに授業で樹界の姿を見たことがあるがその時はVRの資料であり、見ているだけで手汗を握るような圧倒感はなかった。実習時一人では対処できなかった木が十数メートルまで大きくなっているだけでも恐ろしいと言うのに、そんな討伐難易度の高い敵が集まり視界を埋め尽くすほどの森を作っているのだ。


「遅刻少年、大丈夫?」

「あ、はい。モノホンの樹界見るの初めてで」

「そっか。井口くんも最初はめちゃくちゃビビって生まれたての子鹿になってたよね」

「いつまでネタにするんですか。もう成長しました」


 笑い声を背にして椎木が一階建てのプレハブに消え、樹界科の黒い制服に着替えて戻ってきた。攻撃に耐えうる防弾仕様の胸当てを付けて、腰にはいくつか武器を携えている。両腕に持っていたのは折り畳まれた黒い布と袋に入った防具の類だった。椎木はそれを無言で一瀬に持たせ、顎でプレハブを指す。


「えっと……」

「自分も行きます。多分最初は着方わかんないと思うんで。昨日のところですよね」


 手を挙げた井口に椎木は軽く頷き、準備運動をしながら樹界の方へ歩いて行った。


「一瀬、うちちょっと特殊でね。初日に樹界入りするみたい」

「えっ今からっすか!」


 隊長を二度見したが初日から異を唱える訳にも行かず、困惑のまま井口と共にプレハブに吸い込まれていく。数分後汚れひとつない装備で出てきた一瀬の背中を井口が押した。


「マジでこれだけですか?」

「これ以上ない最高装備だから大丈夫だってば。言うのもう五回目なんだけど」

「でも!」


 制服の上に付けた防具は椎木と同じチェストプレート以外にもあり、頭からつま先までカーボンで覆っているのでそれなりの重さがある。政府が認めた樹界用防具をフルでつけるのが樹界に入るための条件であり、一瀬の装備はそれを十分満たしているのだが、この期に及んでも首を振っていた。


「隊長は胸当てだけだし、自分も胸当てと盾だけで行けるから、平気平気」

「むしろなんでそんな軽装備なんっすか! 死にますよ!」


 しかし、井口と河上はお構いなく一瀬を半ば無理やり樹界の前に立たせてしまった。

改めて見ると、樹界は人間に向かって枝葉を大きく広げ、葉を擦り合わせることで轟音を立てている。そこから一歩でも進んだらその尖った枝で刺殺されそうで、一瀬は思わず一歩退いてしまった。


「出撃」

「了解」


 椎木の号令に短く答えた二人にならって一瀬も負けじと答えたが、言葉に反して足は鉄のように重かった。椎木は敵意丸出しの樹界に軽装備で踏み出し、襲ってきた木々を最小限の動きではねのけて先へ進む。絶句する新人をよそにどんどん踏み込んでいく隊長は、攻撃をやめた樹界の様子を確認して足を止めた。


「手振ってる。自分たちも行きます」

「ひええ」


 怖気付く一瀬を河上が鼻で笑った。しかし悔しいと思うより装備の心もとなさの方が勝っていた。


「ビビったら襲われるよ、遅刻少年。樹界は人の心を読んで敵と味方を区別してるんだ。まずは落ち着いて、呼吸が整ったら観光するつもりで歩いておいで」


 そう言って、河上も樹界に入った。最初に入った椎木が道を開いたため全く攻撃を受けることなく、ざわつく木々の間を堂々と歩いてあっという間に合流してしまった。樹界は残された一瀬と井口に大枝を揺らして威嚇している。井口の顔には緊張すらあれど恐怖はなかった。


「本当に丸腰でいいんすか、隊長はチェーンソーとでかい鋸とはさみと……あとなんかめっちゃいっぱい持ってましたけど」

「うん。自分達は手があれば大丈夫」

「……はぁ。なんで襲ってこなかったんっすかね」

「河上さんも言ってた通り、樹界は敵味方の区別ができるんだ。土を殺そうとする人には大学で習ったように凶暴化するけど、そうじゃなければただ意志を持っただけの普通の森なんだよ」

「はぁ。って俺たち樹界科ですよね? 撃退するんじゃないんですか?」

「そうだよ……ってそうか、126隊について話してなかったね」


 井口は樹界入りをひとまず諦め、左に移動して先に入った2人が見える位置に立った。井口は下から木をぐるりと見定め、枝のひとつを指さして椎木と打ち合わせをしている。椎木はそれを聞いて樹皮に手を当て、独り言を言ったり空を見上げたりしていた。


「自分達も樹界を押し留める樹界科だけど、方法が特殊なんだ。共生するんだよ、人間と樹界が。隊長が怒り狂った樹界と対話してとりあえず落ち着かせる。それで河上さんが治療して怒りを鎮めるんだ。自分や一瀬君はその補助だね」

「共生? 先輩樹界を許せって言ってます?」

「うん。どちらかが歩み寄らないとこの戦争はずっと続くよ、それこそどちらかが死に絶えるまでね。でも樹界を滅ぼすと人間も滅びるだろ? 酸素を吸えてるのは樹界のおかげなんだから。授業で樹界の成り立ちについて学んだよね、なんだった?」

「えっ」


 一瀬は合格点ギリギリの最終試験を思い出そうとしたが、ひと月前にやったばかりの内容はほとんど全て頭から抜け落ちてしまっていた。今までも「テストに合格するための」勉強しかした事がなく、終わった瞬間に忘れてもなんら支障がなかったのだ。


「さては忘れただろ」

「うっす」

「おい。植物は本来意志を持って動くことは無いんだ。自分が物事着いた頃にはもう樹界ができてたけど、椎木さんは家に本物の植物でできた庭があったらしいよ。樹界は邪魔だからって切り倒されたり雑に扱われたりした植物が人間に復讐するために姿を変えたものだとされてる。今は攻撃するから街から排除してるけど、その前も落ち葉が邪魔だとか洗濯物に影が落ちるとかで酷い言われようだったらしいよ」

「考えたこと無かったっすけど、植物の立場に立つと可哀想っすね」

「そゆこと」


 授業では植物の立場に立つことはないし、そうでなくても人間生活が最優先事項となる。共生などしなくても人間には樹界を駆除するだけの知識と装備があるし、殺し尽くしてしまうのが一番楽だからだ。切り倒し、根を殺すために土と切り株に毒を撒くだけで永遠に出てこなくなるのなら、樹界のために人間が譲歩してやる必要は無い。


「じゃあ敵意がなければいいってことっすね」


 一瀬はフルフェイスの上から両頬を叩き、前を向いて自分から樹界へ向かった。人間を無差別に攻撃する樹界に新品の防具だけで突っ込んでいく新人隊員は、無謀に見えてしっかり周りを警戒していた。樹界は枝で何度も一瀬をつついていたが、やがて椎木と河上の方へ道を開けた。


「ほら、怖くないだろ」

「怖いっす!」

「はは、お疲れ」

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