穴に埋めたスマホ、そして現実

ねじまき

穴に埋めたスマホ、そして現実

「僕はスマホを穴に埋めたんだ」と僕は言った。

「なんで穴に埋めたの?」とマキが質問した。

「スマホが嫌いなんだ。スマホが自分の近くにあると考えただけで落ち着かないし、外に持って行くと考えるとゾッとする」

「なんでスマホが嫌いなの?」

「みんなが外でスマホをいじるからだよ。僕はその光景が嫌いなんだ。だから僕はその中の一人になりたくないと思ってスマホを持たない。それにスマホには温かみというのが感じられない。無機質なんだ。人間的な温かみを持ったスマホがあれば、押し入れにしまうね」

「ふぅん、不思議な人ね」とマキは言った。


 僕はスマホというものが好きじゃない。なぜ好きじゃないかという理由を挙げるとキリがない。とにかく嫌いなんだ。2年くらい前は、僕もスマホをずっと触っていた。でも、いまはすっかり嫌になり、というか呆れて、スマホを箱の中に入れて穴に埋めた。

 スマホを手元から離したことによって、不便になることは意外と少ない。僕は中学生だから、スマホを穴に埋めて親と連絡が取れなくなった。親はそのことを怒っている。もしもの時に連絡が取れないと困るじゃないか、って。でも僕はスマホという存在から離れたかった。それはまるで、都会につかれたサラリーマンが、田舎に引っ越しに行くようだ。


 どこへ行ってもみんなスマホを触っている。別に僕はそれが悪いことだと言いたいわけじゃない。でも僕はその光景が嫌いなんだ。これは好みの問題で、誰のせいでもないのだが、とにかく嫌いなものは嫌いなんだ。それだけは言いたい。電車でも、公園でも、どこへ行ってもスマホを触っている人がいる。さすがに学校でスマホを触っている人はいないが、とある学校のイベントに参加したとき、みんなスマホを持って触っていた。

 その学校のイベントで、とある人からメールを交換しないかと聞かれた。その子がマキだ。マキは学校でそれなりに気が合う数少ない人間の一人だった。マキは短く切った髪をしている、眼鏡をかけた丸顔の女の子で、彼女とはよく本や音楽の話をした。でも僕は、スマホを穴に埋めたから、メールを交換できない。

「あいにくだけど、僕はいまスマホを持っていないんだ」

「持っていないんだ。いまの時代珍しいわね」

「いや、持っているには持っているのだけれど……。そう、いま親が預かっているんだ」

「スマホを触りすぎちゃったの?」

「いや、そうじゃないんだけど……」

 僕は自分がスマホを触りすぎている人間だと思われたくなかった。でも親が預かっているなんていう下手な嘘をついてしまったものだから、結局スマホを穴に埋めたことを話した。スマホが嫌いな理由を話したら、「ふぅん、不思議な人ね」と言われた。

「でもわかるわよ。私も穴を掘ったら体が温まるし」とマキは言った。


 僕は学校では多分、いわゆる変わり者扱いされているのだと思う。スマホを穴に埋めたのもそうだが、いつもみんなとなにかしら嚙み合わない。ねじれのようだ。だから僕は、数学の授業でねじれが出てきたときは「やあ同士よ」と思ったものだ。もちろん声に出していない。そんなこと言ったら、変り者レベルがさらに上がってしまう。僕は好んで変わり者になっているわけではないのだ。

 そんな中でマキは、僕と親しく接してくれている。彼女もなかなかの変わり者かもしれない。ユーモアのセンスが高度すぎて、誰からも彼女のユーモアは理解されていない。彼女がみんなを和ませるためにユーモアを言うと、みんな頭の上にはてなマークが浮かぶ。以前もこんな会話があった。

「マキちゃんはなんでそんなに勉強が得意なの?」とA子が言う。

「そんなこと言われてもわからないな。前世アルパカだったからかもしれない」とマキは言う。

 僕なりの解釈を言うと、なんでそんなにあなたは勉強が得意なの?という問いに対し、マキは前世アルパカという絶妙によくわからない言葉を挙げることで、褒められても威張らない謙虚さを示しているのだと思う。でもちょっと高度すぎて、A子の頭にははてなマークが浮かんでいた。

 でも彼女は僕と違って、人とのコミュニケーションが上手だし、ちょっと変なところがあってもみんなから受け入れられる素質があった。それに対して僕はコミュニケーションがあまり上手じゃないし、あまりみんなから受け入れられていない。


 学校には動物の群れのように、何人かの仲のいい者同士が固まったグループがある。グループにはボス的な存在の人がいて、その人の行動に合わせて、ほかの人たちは行動する。そしてもちろん僕みたいな人間はどのグループにも所属していない。一匹狼、ではない。そんなにかっこいいものではないが、僕はどのグループにも所属していないほうが、性格的にあっているのだと思う。

 とあるグループに、大石という男の子がいた。彼はボス的な存在ではなく、ボスの行動に合わせて動く側の人だった。彼はちょっと頼りないところがあるが、可愛がられる存在だった。

 大石と僕は共通の話題はないが、僕は朝誰かと目が合ったら必ず挨拶をするので、もちろん彼にも挨拶する。

「おはよう」と僕は大石に向かって言った。

「お、お、おはよう」と大石は言った。いまにも消えてしまいそうな声だった。

 僕から見た彼は、一見頼りなさそうに見えるが、グループにいることによって楽しくやっているように感じる。正直に言って僕はそれが羨ましい。僕はいくらグループが性格的に合わないとはいえ、また大人数でなにか喋ってみたいものだ。


 2年前は、僕は小学生だった。その時はまだ、スマホを穴に埋めるということはしていなかった。普通にスマホを触っていた。小学生の時の僕は、それこそ大石のように、グループに所属していた人間だった。僕はそのグループでよく喋った。そのときは比較的普通の人間だったと思う。グループに所属していて、スマホを触っている、普通の人間。

 いつからか、僕は学校へ行かなくなった。小学校で英語が必修科目になってから、僕は学校へ行くことができなくなってしまった。英語が苦手だったわけではないのだが、なんだかうまくいかなかった。もちろん学校に行かなくなったので、グループからは抜けてしまうことになり、再加入の機会はなかった。

 中学校に上がって、僕が最初にやったことは、自分を変えることだった。スマホを穴に埋めたのもその時期だったかもしれない。いままでは漫画を読んで、ポップスを好んで聴いていたが、それから僕は古典文学を読み、バロック音楽しか聴かなくなった。最初は無理やり自分を変えようと、読んだり聴いたりしたものだったが、いつしかこっちのほうが好きになっていた。自分を変えることで、良い方向へ行ったのか、悪い方向へ行ったのかはわからないが、こうして僕は変わり者扱いされる人間になった。


「スマホが使えないなら、手紙でやりとりしましょう」とある時マキは言った。僕たちは相当仲良くなったのだ。マキは僕ともっと話がしたいと言ってきたが、あいにく僕はスマホを穴に埋めたので、手紙でやりとりをすることになった。でも幸いなことに、マキは手紙でやり取りをすることに苦痛を感じないようだった。スマホでひょいっとメールを送信したほうが楽じゃん!と言われなくて助かった。僕は相当穴を深く掘ったてスマホを埋めたし、もうどこに埋めたのか忘れかけている。

「ありがとう、そうしよう」と僕は言った。

 そして数日後、手紙がやってきた。

「こんにちは。誰かと手紙でやり取りをするなんて一体何年ぶりだろう?私は普通にスマホを使うから、友達とはメールでやり取りをするの。でも手紙のほうが温かみがあるからいいかもしれない。それに、感情が伝わりやすいものね。例えばメールで『私はあなたに怒っている』と伝えたいとき、メールだと『私はあなたに怒っている』っていう11文字が、無機質に送信されるだけだけど、手紙で『私はあなたに怒っている』って伝えたいときは、『私はあなたに怒っている』って鉛筆の芯を潰すくらい非常に濃く書けばきっと伝わるものね。まあ、気軽にやり取りできないのは、不便といえば不便だけど。質より量か、量より質か。さて、私たちの記念すべき最初の手紙はこんなものでいいのだろうか?お返事待っているよ、ばーい」

 僕は手紙の返事を書いた。

「こんにちは。僕は誰かに手紙を送ったことないし、ここ数年は、スマホがどこかの穴の中だから、メールがどんなものかも忘れてしまったよ。でもこうして誰かとどんな形であろうと連絡が取れるというのは、僕としては何というか、救われることなんだよ。それだけはマキに伝えておきたい。それはスマホを埋めたから連絡が取れないというわけじゃなくて、手紙でもいいから連絡を取ろうとしてくれる人がいることについてだよ。またなにかあったら連絡ほしいな。まあ、学校でも会えるわけだけど。犬が好きだってただ連呼するだけの手紙でもいいよ。スマホのメールってそんなものだったと思うからさ。それではまた」

 それから僕とマキは、学校でも話し、手紙でもやり取りをした。実際、僕はマキがこうして僕に連絡を取ってくれるというのは、本当に救われることだった。僕は学校で孤立した存在だが、そんな僕を受け入れてくれる人がいる。


 最近になって僕は、そろそろスマホと向き合わないといけないように感じてきた。なんでかよくわからない。でもマキもきっと手紙でやり取りをし続けることに、ちょっとだけ疲れてきているんじゃないかと思う。なんにせよ、穴を掘り起こしてスマホを取り戻さないといけない気がする。

 でもなかなか決心がつかなかった。何年も埋めたままのスマホを掘り起こすことが怖かった。それは封印してきたなにかを解き放つような感じかもしれない。あるいは、スマホと向き合うことによって、僕自身の何かが失われるのかもしれない。なかなか決心がつかないまま、時間だけが流れた。

 

 ある日、英語のテストが行われた。そして僕はその英語のテストの出来が、目をそらしたくなるくらいひどかった。ちょっと前から、英語の成績がだんだん下がっていき、まずいなと感じていた。英語の勉強はそれなりにしていたが、なかなか成績は上がることなく、下がっていった。

「いったいどうしたのだろう?」と英語の先生は言った。

 僕は英語の授業をそれなりに真面目に聞いていたし、わからないところはちゃんと聞いた。それなのに英語の成績が悪いというのは、ちょっと理不尽なことのように僕は感じてきた。そして僕は英語に対して恐怖を覚えるようになった。小学生の時、不登校になったのも英語が原因だった。英語が小学生の必修科目になってからのことだ。英語が苦手なわけではないのに、なんかうまくいかず学校へ行けなくなってしまった。僕は英語に呪われているのだろうか?

「ねえマキ、僕は英語が苦手みたいだ」と僕はマキに言った。

「そうなの?あなたは熱心に英語の授業を聞いているように見えたけど。それは気の毒ね」とマキは言った。


 またある日の朝、僕は大石に会った。

「おはよう」と僕は言った。

「お、お、おはよう」と大石は言った。いつもの僕と大石の挨拶だ。これからグループのもとへ行くのだろう。

「ねえ大石君、なんか最近良いことあった?」と僕は大石に尋ねた。こんなこと言うつもりではなかったのだが、言葉が勝手に出てきて、僕自身も相当驚いた。

「え?」大石も相当驚いている様子だ。「えーと、そうだな。僕は最近英語のテストがよかったから、それが嬉しかったな」と大石は言った。

「そうなんだ。それはよかったね」と僕は言った。決して敵意はない。優しく穏やかに言った。「僕は英語のテストがひどかったよ。まあでも、海外に出たいと思わないからいいかな。成績が下がっちゃうけど」と僕は言って笑った。大石も笑った。

「そうなんだ。僕は海外旅行、してみたいけどね」と大石は言った。

 そこから僕と大石は旅行についての話をした。いままでどこか旅行に連れて行ってもらったことはある?ううん、ないな。そんな会話をした。会話が終わると、大石はグループへ戻っていった。なんで僕は突然、大石と話したのだろう?自分でもよくわからなかった。でも僕は、大石とほぼ初めて、まともに話したことで幸福な気持ちになれた。


 僕はマキに対して手紙を書いていた。

「こんにちは。僕の周りで最近起きたエキサイティングな出来事は、大石君と話したことだよ。ある日の朝、学校で大石君と礼儀的挨拶をしていたら、ぼくの口から勝手に『最近何か良いことはあった?』っていう言葉ができてきたんだ。正直自分でもびっくりしたよ。そんなこと言うつもりなんてなかったからね。そこから話が広がり海外旅行の話をしたんだ。それと、僕はそろそろスマホを掘り起こそうと思うんだ。なんというか、そろそろスマホと向き合わないといけないと思ったんだ。君も手紙でのやり取りに疲れてきただろうしさ。だから今度スマホを掘り起こすよ。スマホを掘り起こしたら、メールを交換しよう」


 僕はとうとうスマホを掘り起こす決心をした。スマホは家の裏にある山に埋めた。僕はスコップをもって、重い足取りで歩きながら山へ向かった。やがてスマホを埋めたであろう場所の近くにたどり着き、スコップを地面に突き刺そうとした。しかし突然僕に恐怖が襲った。その恐怖は、出来の悪くなった英語のテストの点数を、恐る恐る見るときの恐怖に近かった。それでも僕は歯を食いしばって、スコップを地面に突き刺し、穴を掘り起こした。ザック、ザックという歯切れのいい音が規則正しくあたりに響いた。僕は一時間近く穴を掘り、やがて硬いものに当たった。スマホが入った箱だ。僕はそれを手に取り、中身を空けた。青くて無機質な、スマホが入っていた。

 僕はスマホを手に取り、電源を入れようとした。もちろん電源はつかない。充電切れだ。穴を埋め、箱とスマホを手に取り、家に戻ってスマホを充電した。

 僕はいま生きているこの現実をうまく受け入れることができないのかもしれない。そんな僕をこの現実に繋ぎとめてくれたマキにはすごく感謝しているし、戻してくれた大石にも感謝している。僕は中学生で、英語のテストを受けないといけない。だからそろそろ、いま生きている現実を、黙って受け入れなくてはならない。

 やがてスマホの充電が完了し、ピコーンという電子音があたりに響いた。

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