五万円貰えるけど、六万円使わされて、だけど得する話
ポテろんぐ
第1話
家に帰ると妙な違和感を感じた。
「おかえり、早かったわね」
キッチンから妻がいつも通りの口調で顔を出した。
気のせいか?
しかし、廊下を歩いてる時もやはり違和感が消えない。
何かがおかしい。
何と言うか、誰かにずっと見られているようで落ち着かない。
辺りを見渡すと、廊下の隅に備え付けられている監視カメラと目が合った。
「あっ」
カメラが私を見て「どうも」と会釈したような気がした。
あれ……動いてる?
「今日のお昼に工事してもらったの」
夕飯時に妻が何も悪びれる事もなく言った。
「防犯用にか?」
「違うわよ。ウチもデータサンプルに申し込んだのよ」
「え?」
私は改めて監視カメラに目をやった。レンズに見えた光沢が瞳のように見え、寒気を覚えた。
「じゃあ、これからずっとカメラに撮られながら生活していくのか?」
「そうよ。だって、それだけで月に五万円貰えるんだから、やらない手はないじゃない? 今時、みんなやってるわよ」
みんなって、どうせ近所のママ友数名だけの話だろ? って言うと、どうせ怒って後で嫌な事をされるから言わないが……イライラでさっきから何度も左足で床をトントン叩いているが、これもカメラに撮られているのか。
聞いたらお風呂場のカメラもずっと動き続けるらしい。
裸もずっと撮影されると思うと、恥ずかしい……いや、むしろ、こんな私の裸を見せてしまって、カメラの向こうの方々に申し訳ないと思う。
トイレのカメラまで動いている。
「お前、恥ずかしくないのか? カメラに裸とか撮られても」
「だって、五万円貰えるのよ。それに、いやらしい目的で見てる人なんていないでしょ?」
このデータサンプルは我々の日常の行動をカメラで撮影し、そのデータを元に各企業がマーケティング戦略、広告、新商品の開発の参考にするという。
その報酬として、データのサンプルを希望した家庭には月五万円が支給される事になっている。
最近ではどの家にも最初から、このデータサンプル用のカメラが取り付けられており、ケーブルテレビのようにデータサンプルを希望した瞬間から撮影が開始される仕組みになっている。
五万円に目が眩んで、ずっと神経を擦り減らして生きていくのか。本当に何も考えていないな、コイツは。
私はトイレの中で一人、ため息をついた。
カメラよ、こっちを見ないでくれ。
しかし、それから一週間が過ぎた。
最初は不安だった私だが、妻の能天気な性格の方が今回はたまたま当たったのかもしれない。
データサンプルになって一週間もすると、私もカメラに撮られている事を別に意識しなくなった。
それどころ、部屋の隅に取り付けられたカメラが我が家にやって来た新しいペットのように感じ、トイレに行く途中など「頑張れよ」と何故か応援してしまっている自分がいるくらいであった。
「しかし、こんな簡単な事で五万円も貰って良いのだろうか?」
マーケティングや商売の仕組みに詳しくない私には、なぜこれでお金がもらえるのか不思議で仕方が無かった。
お金をもらっても、全く働いた気がしないので、むしろ申し訳ない気さえしてくる。
「大丈夫だよ。ちゃんと儲けには繋がっているから」
「でも、どうやってそうなるんだ?」
大学時代の友人と久しぶりに飲む機会があり、マーケティング部門で働いていた事もあるコイツに話を聞いてみる事にした。
「簡単に言えば、広告がどんどん効率的になる」
「効率的?」
「早い話が、女子高生に増毛のコマーシャルを流しても無駄だろ?」
それはそうだが……なんで、私の頭を見ながら言うんだ。
「逆にオジサンに化粧品のコマーシャルを流しても無駄だ。広告は誰に流すのかも重要だ」
「でもそれなら、昔からそう言う機能はあっただろ? 特定の人に特定の広告を流すってのは」
そんなのはネットの動画サイトなどで昔から行われている事は、私でも知っている。だから私には増毛のコマーシャルがよく流れる。ほっとけ。
「今は、もっと突き詰めていってるんだよ。『誰に?』だけじゃなくて、『いつ』その広告を流すのか? 『どこで』その広告を流すのか? 『どのように』流すのか? そう言う細部にまで拘っていけば、どんどんと効率的にモノが売れるわけだ」
「お腹が空いてる時に、ラーメンのコマーシャルを流すとかか?」
「もっとだな。スマホだけじゃなくて街中のARや巨大ビジョンとかに……例えば、マグカップを地面に落として割った後に、最新セラミックの食器類を紹介する広告をその人の視覚に流したりもできる」
「まじか」
「もっと言えば、スクランブル交差点で信号待ちしている人々が若者、そして気分が落ち込んでいる人が多いとデータで判断すれば、大型ビジョンにテンションが上がる酒とかのコマーシャルが流れたり」
「じゃあ、データサンプルと言うのはデータを取るだけじゃなくて、我々にものを買わせる為のモノでもあるのか?」
「むしろ、そっちの意味の方が大きいな。確か五万円の報酬で、その家庭は月六万円分、物を消費する為にあらゆる広告が流れているはずだ」
それを聞いた瞬間、私の頭はカッとなった。
「それじゃあ、損してるじゃないか!」
「まぁ、そこだけ見ると、そうなるな」
そう言って、ソイツはヘラヘラと笑いながら焼酎を口に入れた。
「そうなるわな、じゃないだろ! 完全に騙されてるんじゃないか!」
「うーん。その辺は微妙だなぁ」
微妙?
「何が微妙なんだよ?」
「特にお前の家の場合は、殊更……まぁ、もう少し様子を見たらどうだ? データサンプルにはもう一つ、別の隠れた使い道があるんだよ」
「見るか、そんなもの! 損してるんだから、すぐに解約する!」
怒りに震えながら、私は自宅へと戻った。
帰り道、やたらコーンポタージュのコマーシャルや広告が多かったのは「まぁ、あったかい物でも食べて落ち着けや」とでも私に言いたいのか。
その手には乗るか。
お前たちのカラクリを知ってしまった以上、これ以上、金持ちの道楽に付き合ってられるか。
所詮、庶民は金持ちの撒いた餌に群がっているだけの家畜に過ぎないのではないか。
「ただいま!」
友人から貰った怒りが冷めないよう、自分でも驚くほどの勢いで家に帰って来た。
「おかえり、早かったわね」
何も知らない妻は、いつものように素っ頓狂な笑顔で私を迎えてくれた。
玄関に見た事ない花瓶があって、花が差してある。
「それ、お花を玄関に飾ると運気が上がるんですって! 今日、血液型占いで最下位だったんだけど、偶然、その後のコマーシャルで言ってたのよ」
妻はケタケタ笑いながら話した。
「馬鹿!」
思わず、ストレートでシンプルな感情が口から弾丸になって妻に飛んで行った。
「馬鹿とは何よ! 家もなんか華やいで良いじゃない!」
「お前は買ったんじゃなくて、買わされただけなの! 馬鹿!」
妻の無駄遣いに怒りが余計に増幅してリビングに入ると、テレビから今度はコーンスープのコマーシャルが流れ、若い女優が「ああ〜」とホッとしか表情を私に向けている。
「買うかぁ!」
思わずテレビに怒鳴ってしまった。
「どうしたのよ。何怒ってるのよ! あなたも飲む、コーンスープ?」
「お前が買ってどうする!」
「さっきコンビニ行った時にたまたま広告見ちゃって。寒くなって来たし、あれ飲むとホッとするのよねぇ」
「ばか!」
その後、テレビのCMはコーンスープ→ココア→沖縄旅行の順に流れ、私の怒りを逆撫ですることばかりしてくる。
キリッと監視カメラを睨むと、カメラの向こうの奴らがゲラゲラ笑いながらコマーシャルを操作しているように思えてくる。
「さっきから何怒ってるのよ、良い加減にしてよね!」
妻の機嫌も悪くなった。
コマーシャルもココアやコーンスープから、やたら切れる包丁や離婚の際に便利な法律事務所のものに変わっていた。
もう、馬鹿にしてるだろ、これ。
その後、私は妻に友人から聞いて来たデータサンプルの闇を話した。
「じゃあ、つまり、私は自分の意思で買ったんじゃなくて、ただ買わされてただけって事?」
「そうだよ! 五万円もらって、六万円分の物を買わされてるんだよ! こんな馬鹿な話があるか!」
「え、ちょっと待って……5から6を引いたら、それ損してるじゃない!」
「やっと気づいたのか!」
後ろから公文のCMが聞こえて来た。おい、私の妻を馬鹿にし過ぎだ。
とりあえず、今日はもう遅いから、明日、解約の電話をすることで話は落ち着いた。今日でサンプルは最後だと思い、忌々しいカメラに向かってトイレで思い切り大きなオナラをしてやった。
ザマァみろ。
その直後に入った妻に「ちょっと臭いんだけど!」と怒られてしまったが。
翌日。
仕事の昼休みに、昨日、そのことを教えてくれた友人に感謝の礼をした。
「え! 解約するのか、本当に!」
「だって馬鹿らしいだろ、そんなの。とにかく教えてくれてサンキューな」
「いや、まぁ、お前がそれで良いなら、良いけど」
どうも昨日から、コイツの言い淀んでる感じが気になる。
「なぁ、なんかあるのかよ? 昨日から何か言いたそうだけど」
「まぁ、話半分で聞いてくれるなら話すけど。
あのな、月五万貰って六万円の物を買わされるって、そこだけ見たら損をしてるけどさ?」
「ああ」
「でも、言い方を変えるとな。毎月たった一万円の損で済むって事でもあるんだ」
「ん?」
どう言うことだ?
と、私は電話なのに身を乗り出してしまった。
「お前、前に奥さんの浪費癖が酷いって嘆いてただろ?」
「ああ、確かに」
「データサンプルってのは、そう言う人にとっては購買意欲が広告によって管理される訳だから、逆に無駄な出費が抑えられるって言う面もあるんだよ」
「えーっと、つまり」
「サンプルを止めて、むしろ浪費が増えたって言う家庭は結構多いぞ」
「え?」
それから一ヶ月後。
「だから、五万円貰って得したように見せて、実はそれ以上の金を使わせるって寸法な訳よ!」
妻は自宅に招待した奥様たちにデータサンプルの闇を自慢げにひけらかしていた。「酷いわねぇ」「うちも止めようかしら」なんて声も聞こえてくる中、どうも最近、無駄な物が増えて部屋が散らかって来ている気がしてならない。
「うちはもう止めて、広告の奴隷から解放されたから、自由な気分よ。なんか、カメラに見られてる生活ってやっぱ落ち着かないし」
「そうよねぇ!」
そう言っているが、今月のクレジットカードの明細を見てみると……データサンプルをしていた一ヶ月前よりも金額が跳ね上がっていた。
だが、あんなに自慢げに語っている妻に今更、「データサンプルをしていた方が、無駄遣いが減るぞ」とは言い出せない。ご近所づきあいの見栄ってモノもあるだろうし。
部屋の隅、ぐったりと力を失くしたカメラが俯いている。
お願いですから、なんか妻をもう一度説得する為の広告を流してくれませんでしょうか?
五万円貰えるけど、六万円使わされて、だけど得する話 ポテろんぐ @gahatan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます