第58話 新卒3年目に突入しました

 ルピナスコスメ株式会社 研究開発部 佐倉さくら陽葵ひまり

 なんとか新卒3年目に突入しました。


 21時過ぎの電車に揺られながら、陽葵は窓の外を眺める。通り過ぎていくビルの隙間から、見事な満月が覗いていた。


 視線を落とすと、反射した窓に自分の姿が映る。今日の陽葵は背筋がしゃきっと伸びていた。それだけでちょっと誇らしい。


 異世界から帰還して1年の月日が経過した。ある程度予想はしていたけど、もとの世界に戻ったからといって、これまでの生活が劇的に変わるわけではない。相変わらず慌ただしい日々を過ごしていた。


 残業は多いし、企画部のお姉さんに詰められるし、先輩はちょっと頼りない。コストや納期も常に付きまとってきた。


 コスメ工房にいた時のように「パラドゥンドロンで何でも解決!」というわけにはいかない。


 だけど、悲観することばかりではない。少しずつ変わり始めていることもある。


 陽葵はこの1年で起こった出来事を振り返った。


 陽葵の担当していた化粧水は、度重なるモニターとフィードバックを経て、処方が確定した。何度もダメ出しをされて、途中で投げ出したくなったが、なんとか最後までやり遂げた。


『ヒマリならなんでもできる』


 その言葉が陽葵を奮い立たせた。


 何度目かの試作品を提出して結果を待っていると、カツカツとヒールを鳴らしながら企画部の木島きじまさんが研究室にやって来た。


「処方、今回ので確定ね」


 OKを出された安堵感から、陽葵はヘナヘナとその場で崩れ落ちる。


「よ、良かったです」


 床でしゃがみ込む陽葵を見て、木島さんは腕を組みながらも目尻を下げた。


「お疲れ。よく頑張った」


 木島さんは陽葵を労った後、どこか申し訳なさそうに視線を落とした。


「いままでキツイ言い方してごめん。佐倉さんにも負担をかけてたよね」

「いえ……」


 急に何だろうと思いながらも、咄嗟に首を振る。それから木島さんは自嘲気味に自身のことを明かした。


「私さ、妥協できない性格なんだ。任されたからには絶対良いものが作りたいの」


 そんな話を聞かされたのは初めてだ。陽葵は立ち上がって真面目に話を聞く体勢になる。


「今回の化粧水もさ、最初は全然基準に満たしてなかったけど、佐倉さんの頑張りのおかげで目的とする処方になった。モニターの結果も結構良かったんだよ」


「モニターは私も見ていたので、分かります」


 商品化にあたり、モニターを複数回実施している。テクスチャーや保湿力、匂いなどを5段階で評価するテストだ。


 最初は芳しくない結果だったが、改良を重ねていくうちに評価が上がっていった。ものが良くなっているのは数字としても見てとれた。


 陽葵としてもベストを尽くした。限られたコストの中で、よくやったと思っている。もちろんそれは陽葵だけの力ではなく、OJT担当の村橋むらはし先輩や部長のサポートがあってのことだ。


 処方を褒められて安堵していると、木島さんは口の端を上げてにやりと微笑んだ。


「今回の商品は売れるよ。勘で分かる」

「本当ですか?」


 長年企画に携わってきた木島さんが断言するのだからよっぽどのことだ。本当に売れるような気がしてきた。


 それから木島さんは思いがけない提案をする。


「処方確定のお祝いで、今夜飲みにでも行く?」


 突然のお誘いに驚く。木島さんから飲みに誘われたのは初めてだった。いままでは怖いとばかり思っていたお姉さんと、ほんの少しだけ距離が縮まった気がした。


「ぜひ! あ、でも私、お酒飲めないんで、ご飯だと嬉しいです」


 元気よく返事をする陽葵を見て、木島さんはクスっと可笑しそうに笑った。


「おっけー。じゃあ、恵比寿の肉バルにでも行こうか」

「肉バル……」


 肉と聞いて咄嗟にあの子の顔が浮かんでしまった。思わず笑みがこぼれる。


「良いですね、お肉!」


 先輩とお食事するのは緊張するが、誘ってくれたのは嬉しかった。今日は残業するわけにはいかない。


 その日は定時で仕事を終わらせて、木島さんと食事に行った。


 分厚い牛ハラミのステーキにうっとりしながらも、木島さんとの会話に花を咲かせる。話してみると、彼女も筋金入りのコスメオタクであることが判明した。


 そんな中、陽葵が化粧品の成分について語り出すと、木島さんは赤ワインの入ったグラスを持ったまま固まった。


「佐倉さん、化粧品の成分に詳しいんだね。なんでいままで隠してたの?」


「隠していたわけじゃありませんよ。ただ、そういうお話をする機会がなかっただけで」


 陽葵が謙遜していると、木島さんはそっとグラスを置いてから、神妙な表情で詰め寄った。


「化粧品の成分のこと、もっと教えて。私、トレンドには強いけど、成分とか処方には疎いんだよね」


 先輩である木島さんから「教えて」なんて言われたのは意外だった。戸惑いはあったけど、自分の知識が認められたようでちょっと嬉しい。


「私で良ければ、お教えしますよ」

「ありがとう! 陽葵チャン!」


 木島さんはキューっと頬を持ち上げながら、嬉しそうに微笑んだ。


 この日を境に、木島さんへの認識が変わった。ヴィランズの一味にしか思えなかった怖いお姉さんは、コスメ愛が強すぎるだけのお姉さんだった。


~*~*~


 処方が確定してからも、すぐに発売されるわけではない。工場と連携して量産化に向けた試験を重ねていく。


 基準をクリアした後は、工場でたくさんの人の手が加わりながら商品が作られていく。製造、包装仕上げ、品質管理など多くの部署が関わってくる。コスメ工房のように「パラドゥンドロン」でオート生産していたのとはわけが違う。


 商品ができてからも、すぐにお店に並ぶわけではない。営業部が問屋や小売店に赴き、お店に並べてもらえるように商談をかけていく。こちらも作ったらすぐにお店に並べられるコスメ工房とはわけが違った。


 陽葵の担当した化粧水は、たくさんの人が関わって発売に向けて動き出していった。商品がお店に並ぶまでに、こんなにも多くの人が関わっていることをようやく理解した。


 だからこそ、自分の役割を果たさねばと強く感じた。


 工場で見本品が生産され、商談も佳境に入った頃、嬉しいニュースが届いた。企画部のスペースで木島さんと打ち合わせをしていた時のことだ。


 恰幅の良い営業部長が企画部にやって来て、高らかに報告する。


「新作の化粧水、LIFEで全店配荷が決まったぞ!」


 わっと歓声が上がる。木島さんはその場で立ち上がり、悲鳴を上げていた。


「LIFEに全店配荷って、うちの会社じゃ初ですよね!?」

「そうだよ。バイヤーが商品を気に入って今期の棚割りに入れてくれたんだ。ものが良かったからだね」


 営業部長は陽葵を見て、誇らしそうに笑った。盛り上がる先輩達だったが、陽葵には何が何やら……。


「全店配荷って何ですか?」


 木島さんにこそっと尋ねると、すぐに何が起きたのか教えてくれた。


「陽葵チャンの担当した化粧水が、全国のLIFEのお店に並ぶってことだよ!」


 LIFEは全国に100店舗以上あるバラエティショップだ。木島さんの話が本当なら、全国どこのLIFEに行っても陽葵の担当した化粧水が購入できることになる。これは凄いことだ。


「本当、ですか……」


 自分の担当した商品が、馴染みのお店に並ぶ。現実味がなさ過ぎて放心していた。


 ぽかんと口を開けている陽葵のすぐ脇では、木島さんをはじめとする企画部の面々が歓喜している。


「よーし、今日は祝杯だ! 焼肉行きましょう! 営業部長のおごりで」


「俺か!? けどまあ、今日はいいだろう!」


「せっかくだし研究開発部も誘いましょうよ。佐倉さん、みんなに声をかけておいて」


「ふぁい、分かりました」


 陽葵は放心しながらも頷いた。


~*~*~


 そして迎えた発売日。陽葵は朝からソワソワしていた。


 LIFEに自分の担当した商品が並んでいるなんて信じられない。本当に並んでいるか確かめるためにも、今日は定時で仕事を切り上げてLIFEに行こうと決意していた。


 そんな中、お昼過ぎに村橋先輩から声をかけられる。


「佐倉さん、そんなに気になるなら、いまからLIFEに行ってくれば?」

「いまからって、まだ就業時間ですよ?」

「店舗視察ってことにしておけばいいよ。部長、良いですよね?」


 村橋先輩が確認すると、部長は「行っておいで」と手を振っていた。


 部長にも許可してもらえた。ならばこうしてはいられない。陽葵は白衣を脱いで、ジャケットを羽織った。


「店舗視察に行ってきます!」


 電車を乗り継いで新宿のLIFEにやって来る。文具コーナーを早足で通り過ぎて、化粧品売り場に直行した。


 基礎化粧品の棚を覗いてみると、最上段に目的の品があった。


「本当にあった」


 実際に見るまでは半信半疑だったけど、目の前に並んでいる商品を見てようやく現実味が沸いた。苦労して開発した商品は、本当にお店に並んでいた。達成感に満たされて、泣きそうになる。


 するとブレザーを着た二人組の女子高生が、基礎化粧品の棚に近付いてくる。陽葵は邪魔にならないように棚の端っこに避けた。


 女子高生達は棚を眺めながらお喋りする。


「ねー、見て。この化粧水初めて見た。新商品だって」

「パッケージ可愛い。『セラミドケアでうるおい満タン』ってなんか良さそう」

「買っちゃう?」

「買っちゃおう」


 女子高生達は陽葵の担当した化粧水を手に取った。まさか目の前で買ってもらえるとは思わなかった。嬉しさが溢れ返って仕方がない。陽葵は咄嗟に声を上げた。


「あのっ、ありがとうございます!」


 突然声をかけられた女子高生は、不審そうに陽葵を見つめている。彼女達には何が何だか分からないだろう。危ない人だと思われたのか、二人はそそくさとレジに向かった。


「買ってもらえた……」


 女子高生達の後ろ姿を眺めながら、陽葵は放心したように呟く。


 化粧品で女の子を笑顔にしたい。その夢のスタートラインに、ようやく立てたような気がした。


~*~*~


 ここまでがこの1年で起こった出来事だ。陽葵の担当した化粧水は、今日も全国のお店に並んでいる。


 だけどこれで終わりではない。ひとつ開発したら、次の商品が控えている。現在は、乳液の開発を進めていた。


 処方確定までの期限が迫っていることもあり、再び残業続きの日々がやってきた。流石に今日は終電ではないが。


 電車が最寄り駅に到着し、陽葵は椅子から立ち上がる。電車から降りると、心地よい夜風に包まれた。


 改札を通り抜けて、家路へ向かう。すっかり眠りについた商店街を眺めながら、「今日もお疲れ様」と心の中で労った。


 陽葵は早足で住宅街を歩く。一年前のように絶望していないが、疲れているのには変わらなかった。


「やっぱり残業続きは堪えるなぁ……。早く帰って休みたい」


 好きな仕事であることには変わりないけど、無尽蔵に働けるわけではない。疲労は確実に蓄積していた。


 住宅街を進み、小さな公園の前を通りかかる。そこでまたしても、陽葵は足を止めた。


(今日もショートカットしちゃおう)


 早く帰るためにも、公園を突っ切ってショートカットすることにした。


 真っ暗な公園を早足で歩く。すると視界の端で何かがチラついた。


 視線を向けると、砂場にバレーボールサイズの光の球が埋まっていることに気付く。1年前に見たのとまったく同じ光景だ。


 咄嗟に夜空を見上げる。真っ暗な住宅街を照らすように、見事な満月が輝いていた。そこで陽葵は重大なことに気付く。


「そっか! こっちの世界と向こうの世界が同時に満月になるのは、なにも一度きりじゃないのか!」


 満月の夜に光のゲートが開く。この光の中に飛び込めば、もう一度異世界に行けるかもしれない。


 ラベンダーに覆われた紫色の大地、褐色屋根の可愛らしい町並み、どこまでも広がる壮大な星空、無邪気で可愛らしい異世界の人々。そして、とんがり帽子を被ったクールな魔女さん。


 異世界の風景が一気に蘇り、心が躍った。こうしてはいられない。


「待っててね、ティナちゃん」


 陽葵は鞄を放り投げて、金色の光の中に飛び込んだ。




To be continued…………かも?


◇◇◇


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クールな魔女さんと営む異世界コスメ工房 南 コウ @minami-kou

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