第2話 生きてるあかし

 「実はやっぱり、手籠めにするための口実だったりする?」


 いや、しないよ。ていうか僕が普通に捕まる。


 「んー、知らないの? 未成年との淫行は、未成年側が告発しない限り違法じゃないんだよ?」


 …………頼むから経験不足の童貞を揶揄わないでくれ。


 「あら、そう。……うん、まあやめとく。ごめん」


 別にいいよ。っていうか、帰り大丈夫?


 「うん、まあ、最寄りまで来たし大丈夫。ていうか朝帰りか。私結構、品行方正だったから、色々と驚かれるかもしんないな」


 ファイト…………。


 「もうちょっと心込めてよ。私の儚い心が折れちゃうから」


 ファイトー! ……って、自分で儚いっていうのは、どうなんだ。


 「こういうのは、自分で主張してかないと、人に気付いてもらおうって想っても、なかなか気づいてくれないって最近、気付いたの」


 はは、たくましいねえ。


 「ねえ、おじさん」


 んー?


 「おじさんが『自殺』したのっていつ?」


 ……。


 「………………」


 …………高校生の頃かな。


 「私と同じじゃん、なんでしたの?」


 ……めんどくさいよ? 話長いし。


 「今更でしょ。私も散々めんどくさい話したっての」


 ……………………ふう。


 「…………話したくない?」


 …………うーん、いや、むしろ話したい……かな。誰かに改めて言うことなんてほとんどなかったし。……ただちょっと覚悟がいるだけ。


 「そか……あ、やっぱり言いたくなかったら……」


 うん、大丈夫。えっとね、僕、人が舌打ちすると嫌いなんだ。


 「舌打ち……? って、あのチッてするやつ」


 そう、それ。親がさ、よく僕の前で舌打ちする人でさ、結構外向きはちゃんとした人なんだけど、僕がなにかとちったり、成績悪かったりしたら、舌打ちをねされてたんだ。で、それを脳が変に覚え込んじゃった。


 「………………」


 別に、僕に向けられたわけでもない、その音を聴くだけで、心がざわついて苦しくなるんだ。自分に向けられるんじゃないかって、突然、それを皮切りに否定されるんじゃないかって、そんなことばかり考えだすんだ。頭の中でその不快感と、気色悪さがぐるぐるまわって、喉の奥の方を握りつぶすみたいに締め付けられて、段々と息とか体中が苦しくなってくる。



 「………………」


 この話のややこしいことは、僕がそういう嫌な学習をしちゃうのが、舌打ちだけじゃなかったってところかな。


 「……………………」


 肩に触るとか、大きく声を荒げるとか、目線が少し歪むとか、人に後ろに立たれるとか、ちょっと怒ったみたいな足音を聞くとか、扉をバンって閉めるとか。



 「…………」



 一つ一つは結構、どこにでもあるどうでもいいことなんだ。でも僕の脳みそはその都度、嫌な記憶を僕の中で勝手に再生し始めるんだ。どうもそういうのが得意な質みたいだった。嫌なことがあると、嫌なことを覚える。何かあると、それを想いだす。また覚える。想いだす。



 「………………」



 そうやってそれを何度も繰り返すと、日常がね地獄みたいになってくる。友達の一挙手一投足が僕の神経を逆なでする。それで相手が実際に怒鳴ったり滅茶苦茶してくるやつだったらそれはもう最悪で、その瞬間僕の脳みそはパンクして、もうどうにもできなくなってくる。



 「………………」


 高校生の時点で、そういう数えきれないちっちゃなトラウマが段々と増えてく自覚があったんだ。自分が当たり前に過ごしていく中で、嫌な記憶がどんどん、どんどん、膨らんでく。ちっとも忘れてなんてくれないくせに、嫌な記憶ばかりが、延々と更新されていく。そうやって、嫌いなことばかりが増えていって、そうやって何かを嫌い続ける自分が、一番何より嫌いだった。



 「………………」




 で、そうやって苦しみが増え続けるなら、早めに死んだ方が楽じゃないかって想ったんだ。きっと僕はこれから人とうまく関われなくて、どんどん苦しい記憶が増えていく。そうしてそれを何度も想いだすってことを、きっと延々に繰り返すんだ。それなら死んだ方がいいやって想った。一つ一つの苦しみは他人に言っても、「その程度で」って言われちゃうのが、余計にしんどかったかな。そのせいで、人に相談することもうまくできなくなった。




 「………………今も、苦しい?」



 んー…………、まあ、たまには苦しいかな。あの時ほど、四六時中苦しんではいないけどね、嫌なことを想いだしながらでも、意外と生きていける方法はあるっていうのが、僕が新卒になってからの学びだよ。



 「………………どうやって」



 ……ん? 


 「………………どうやって、生き残ったの?」



 ………………。


 「……………………」




 止められたんだ。




 「誰に?」



 知らない人。今の僕より少し上くらいのサラリーマン、僕が死にそうな顔で駅のベンチに座ってたら、声かけてきて、僕の話聞いて、ステーキを食べに連れて行ってくれた。……その人も、昔、自殺しそうになったって言ってたかな。



 「…………そっか」



 うん……だから、まあ、もしかしたら、僕はあの頃のおじさんとおんなじことがしたかったのかもしれない。……自分で言ってて、すんごい自己満足の賜物だな。ごめんね、つきあわせて。



 「…………別にいいよ。自己満足で」



 うん……ありがとう。



 「…………ねえ、おじさん」



 なんだい?



 「生きててよかった?」





 



 僕は軽く笑って、素直な気持ちを口にした。





 それはあんまりにくだらなくて、ばかばかしくて、本当に自己満足の言葉でしかなかったわけだけど。








 「今日、君を助けられた」







 いつか死にそうになった僕が、いつか死にそうだったあの人に救われて。



 今日、死にそうだった君を止められたなら。



 きっと、あの日、線の向こう側へ飛び出さなかった意味はあったかな。




 わからないけど。




 一時の救いで、君が変わるかはわからない。



 僕の苦しみも、あの時を境になくなったりはしなかった。



 それでも君が、生きてていいと想えるように。



 それでも僕が、生きてていいと想えるように。



 「ねえ、おじさん」


 「だから僕はおじさん……でいいか、もう。あきらめた」




 「





 そうやって君が聞いたから。



 想像なんて幾らでもつく、ありきたりで、陳腐な答えを。



 僕はそれでも口にした。



 「うん、君が生きてたら僕は嬉しい」



 そうやって、朝焼けの中、改札の外に向かって歩く少女を見送った。



 駅員さんに、なんだこいつやばい奴かと、若干白い眼で見られながら。



 やれやれ、今日も相変わらず仕事なのに、徹夜なんかしちゃったよ。



 背伸びと欠伸を同時にしながら、朝焼けを背に僕はホームへと引き返す。



 きっと、もう会うこともない、死にたいほどに苦しんでいた、そんな君へ。



 どうか、よい人生を。



 深夜テンションで、軽薄になった両手を目一杯空へと掲げて。



 そんなことを独り祈った。



 さあ、今日もまた、あの日の延長線上にある、僕の人生がそっと始まる。

























 ※





 二週間後の帰りの電車で、ばったり鉢合わせたのはまあ、また別の話だよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたいあかし キノハタ @kinohata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ