死にたいあかし
キノハタ
第1話 死にたいあかし
「死にたいって思った時、どうしたらいいと思う?」
んー、そうだな。……死にたいって言葉を変換してみるといいのかも。
「……変換?」
そ、『死にたい』を……そうだな『死にたいほど苦しい』に変えてみるんだ。
「……そんなことで、何が変わるの?」
……思考がさ、死ぬかどうかじゃなくて、苦しい自分をどうするかに向くようになる……かな。
「それ、何が違うっていうの? どのみちどうしようもないのは変わってないように思うけど?」
……どうかな。まあ、そういうふうに考えが止まるからこそ、死ぬしかないって気持ちになってるのか……。
「………」
でも、死ぬかどうかの答えなんて、勝手な言い分でごめんだけどさ、大体考えなくても決まってると思うよ。
「………決まってる?」
『死ぬしかないけど、死にたくない』
「………」
あ、『死にたくないけど、死ぬしかない』もあるか、まあ、どっちも似たようなもんかな。結果は真逆かもしれないけどね。
「………」
どっちに行きついても、しんどいし、辛いと思うよ。そう思っちゃうのは否定しないけど、おすすめはしないかな。命の価値とか、僕は正直わかんないけど、辛いのは嫌だろう? だって、それこそ、死ぬほど辛いぜ?
「………だから、言い換えるの?」
そう、『死にたいと思うほど辛い』に変えるんだ。さっきよりは、なんとかできる気がしてこないかな。だって、辛い何かを、どうにか出来さえすれば、きっと君はまた笑えるさ。
「………」
……納得いかない顔してるなあ。
「……そりゃあそうでしょ、根拠のない楽観論じゃん、って思えちゃう」
ま、だよねえ。僕も言っててちょっと思った。……でもさ、死にたいって気持ちはどうにもできないけど、死にたいほど辛いのが問題なら、僕はきっと君を手伝えるんだよ?
「………例えば?」
……そう……だな、君の気持ちを一緒にまとめて手紙を書くとか、親御さんのところに直談判するでもいいし。……っていうか、僕、君がなんで死にたいかを、そもそも聞いてないな…?
「……そういや、そうね」
言ってくれよ。いや、聞いてない僕も悪いか。うーん……じゃあ改めて、どうしてそんなに、死ぬほど苦しいんだい?
「いやよ、言いたくない」
ええ………。
「初対面の知らないおじさん相手に、そんなこと言えると思う? こっちはまだ保護されるべき未成年なんだけど」
……いや、僕まだ新卒だからおじさんって歳でもないんだけど……。
「関係ない、そうやって女の子の心に取り入って淫行をはたらく気なんだ。酷い大人、優しい言葉も結局、全部嘘。二人きりになる言い訳なんだ。グリーティングっていうのよ、そういうの」
君さあ……いやまあ、世間的には特に言い訳もできないのか。世知辛いなあ……。
「………嘘よ、冗談」
……そりゃあ、よかった。いや、ほんとに肝は冷やしたんだけど。
「だって、ナンパ目的ならこんなめんどくさい子相手にしないでしょ?」
どうかな、そういう子が趣味かもしれないよ? なんやかんや言ったけど、君の言ってたことはそれなりに正しいさ。本当は君は、僕なんかじゃなくて、ちゃんと身元がはっきりした大人に助けられるべきだ。
「……そのはっきりした大人が助けてくれないんじゃない。まあでも、酷いことが目的の大人は、震えて泣きそうになりながら、声なんてかけてきたりしないか」
……………。
「指が忙しなく服いじったりもしないし、声が枯れるのを誤魔化すために何度も唾を飲み込んだりもしないでしょ」
…………いや、えと。
「座り込んでるのは、震えて足腰が立ってないからで、その癖、私が線路に飛び込んだらすぐに捕まえられるように、ずっと動けるようにだけはしてる。違う?」
………実は御高名な女子高生探偵か、何かだったりする?
「……あなたがわかりやすいだけだと思うけど」
……それはお恥ずかしい限りで。
「…………理由なんて大したことじゃないの」
大したことじゃなかったら、人は別に死のうとなんてしないよ。
「世間一般では大したことじゃないってことよ」
つまり、君個人的には、大したこと、なんだろう?
「………………」
…………………………あのさ。
「はあ……わかった。いう。……人の悪意が嫌いなの」
……あく……い?
「そ、人の悪意。こいつ嫌だなっていうそういう、誰でも持ってる後ろ暗いところ。実はね、私ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ察しがいい女の子なの」
ああ、……それはさっき嫌でもわかった。
「相手の口にしてない感情……苛立ってるとか、怖がってるとか、妬ましく想ってるとか、邪なこと考えてるとか。そういうことが、なんとなく、その人の言葉にしてない部分からはっと気づいちゃうことがあるの」
ふうん…………。
「まあ、想い込みこみかもしれないけど。ていうか、想い込みだったらどれだけよかったろって、何度も何度も考えたっけ」
………………。
「それで、今つるんでる友達がね、私のもう一人の友達のこと、嫌いなの」
……あら。
「別に表に出してないけどね? 表面上は笑って、仲良く過ごして、なんともない。どこにでもいる、高校生の女友達。でもね、時々その裏に隠れてるものがちょっとだけ映っちゃうの」
…………。
「もう一人の友達が、よく喋れていろんなことが出来て、お家も裕福だから。その子の家は、親も離婚しててどっちかっていうと塞ぎ込みがちの子だからさ。時々、なんていうか言葉にできないんだけど。辛くて苦しそうな顔をするの」
………………。
「そういう所作が、少しだけわかっちゃうの。ああ、今、妬ましいんだろうなって。今、無神経な物言いに腹が立ってるんだろうなって。ああ、今、疲れたような顔をしたなって。何処って言われても具体的には、細かすぎて、あれだけど。そう想えちゃうことが過ごしているうちに一杯あって。私も、結局口に出して言えたわけじゃないから、何も言えないままで」
…………それは……また。
「そんなことがね、どっこにでもあるの。ああ、今この人、怒ってる。口に出さないけど、声にも出さないけど。苛ついてる。軽蔑してる。見下してる。嘲笑ってるし。自分が上だと思って、自分が正しいってその気持ちよさに酔っちゃってる」
………………。
「想い込みなら、それこそ、イタイやつは私だけで済むんだけど。どうにも、そこまで間違えてもいないみたいで。私が凄く偶にそういうところを指摘したら、みんな図星刺されたみたいな顔になって、決まって何も言い返してこなくなるの。笑っちゃうのがね、私が言うまで、意外とみんな無自覚で。言われてから、確かにそうかもしれない、なんて言いだすの」
………………。
「他人が自分で気づいてないことを、なんでか私が知ってんの。たとえばね、両親が、私に過去の栄光を見てるのも知ってるの。私を通して、自分のコンプレックスを塗り変えようとしてるのも知ってる。妹が私に対して妬んでるのも知ってる。時々、いなくなればいいって想われてることも知ってる。友達が誰かを憎んでるのも知ってる。先生が一部の生徒を疎ましく想ってるのも知ってる。同級生の友達の淫らな視線……は、わかりやすくて、誰でも気づいてると想うけど。劣等感も、誰かを蔑みたい欲求も、誰かの誇大妄想も、相手のことなんてちっとも慮ってないバカも、人を平気で傷つける粗雑さも、手一杯で他のことが全く見えてない人も。全部、全部、知ってるの」
………………。
「そしたらさ、気持ち悪くなっちゃった。そうやって、誰かの言葉にも出来ないような、無意識の汚い泥みたいな気持ちをずっと察して、受け止め続けることがね」
………………。
「全部、全部、いやになっちゃったんだ」
………………。
「知り合いにはね、言えないの。全部、私の妄想だったら、結局、私がただネガってさ、勝手に色眼鏡つけてみてるだけじゃないかって考えたら、バカみたいに怖くて。でもこんなの見続けながら、生きてくことに、どうやったって耐えられそうになくってさ」
………………。
「苦しくて、辛くて、誰にも言えなくて、これから先、ちっとも変わりそうにもないからさ」
…………。
「あ、死んじゃお。って想ったんだ」
………………。
「あはは、自分で言ってて、おかしくなるよね。こんなの、全部私の妄想じゃん。誰に言ったって、信じてなんかもらえないじゃんね。それに本当かどうかもわかんない。もしかして、私がネガって見てるから、悪い風に見えるだけで、実は私さえいなけりゃ、世界はもっときれいだったりするんじゃないかなとか考えて」
……………………。
「そしたらさ、もう死ぬ以外、やれること思いつかなくてさ」
…………そっか。
「…………しんどくない?」
…………しんどいね。
「そか、ごめんね。しんどくさせちゃって、もう、この話はやめにしよっか」
「‥‥…………」
しんどいなあ。いや、僕が考えてた五倍はしんどかったなあ。わかる……なんておこがましいことは言えないけど、自分がそう感じちゃったらって想うとけっこう、なんていうか、ぞっとするような感じがして。
「………………信じるの? 全部わたしの妄想かもしんないよ?」
…………? 君が苦しんでるのはほんとうじゃない?
「………………」
まあ、君の感じてることが、100%正しいわけじゃないっていうのは、その通りかも。他人の心を完全になんてわかんないしね。でも君がそれを感じる要因が、君の生活や人生の過程に確かにあったわけで。それで君が苦しんでいるっていうのは、誰が見ても確かな事実じゃない?
「………………」
まあ、過程や原因が間違えてるかもとか、思い過ごしかもとか、実際の相手の気持ちは違うかもっていうのは確かにあるけどさ。そうやって君が苦しいって感じるのは、どう考えても君が僕を騙そうとして嘘ついてない限り、事実だよ。
「………………嘘かもよ? 構って欲しいとか、同情させたいだけかもよ?」
それならそれでいいさ、ほんとはそんなに苦しくないなら、それが一番それでいい。まあ、そこまでして構って欲しい時点で、充分しんどい状況な気はするけど。
「………………」
ていうか、苦しいのは嘘じゃない、でしょ? 僕だってそれくらいは見てたらわかるよ。
「………………」
君は本当にしんどそうだし、本当に苦しんでた。自分の想いが思い過ごしかもとか、自分がそういう風に見てしまうのが悪いんだって、自分を責めてた。しかもそれを誰にも言えない苦しみをずっとずっと抱えてた。
「……………………」
それは誰が何と言おうと、確かな事実だし。君がちゃんと頑張ってきた証だよ。
「あかし……って苦しんで……苦しんでた、だけだよ? 私なんにもできてないよ。家族のことも。妹のことも。友達のことも。先生のことも。なんにも、なんにも変えられてないんだよ?」
―――でも、苦しかったんでしょ?
「 」
周りからどれだけ馬鹿らしくて、解りづらくて、悲しくても苦しかったんだ。本当に、本当に、ただ苦しかったんだ。その気持ちはさそれでいいんだよ。君のことをちゃんとわかってくれる人がいなくても、君が誰にも上手くそれを伝えることができなかったとしても。
「 」
君はほんとは苦しかったんだ。
「 」
ずっと、ずっと、独りでその苦しさに耐えていたんだ。
「 」
おつかれ。すごいよ。君はずっと君の心の中で、独りで長い間、ずっと戦い続けたんだ。
「 」
だから君はさ、辛くたっていいんだ、苦しくたっていいんだ。そうやって、感じることはきっととても自然なことなんだ。だって一杯頑張ったんだろう? ちょっとくらい休んだって、立ち止まったってバチなんてあたらないよ。
「 」
うん、うん。そうだね、今は少しだけ、それでいいよ。君は死にたいって思うほど、苦しかったんだから。今は君はね、それでいいよ。
「 」
きっと、君は、それでいいんだ。
君は、それで、よかったんだよ。
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