『何の為に働くのか?』

小田舵木

『何の為に働くのか?』

 久しぶりに働いている。とは言え気軽な単発バイトの身の上である。

 働くということは人と関わるということであり、私は一年ぶりに他人と関わり続けている。

 その感想は。面倒くせえなあ、というものである。

 時は師走。年末に向けて私が行っている工場はフル回転を続けている。そのせいか、周りにいる他人たちはとかく余裕が無さそうである。

 その一方の私は。単発バイトの身の上なので、お気楽なものだ。

 周りの人とギャップがある。そのせいか、よく叱られる。私は仕事が雑らしい。

 だが、ライン作業をしているので時間に追われている訳で。私は私なりに急いで仕事をしているだけなのだが…生来の不器用さが邪魔をする。

 

 𠮟りに来る人の余裕の無さよ。軽い罵倒が私に飛んでくる。

「なんでこんな単純作業も出来ない訳?」と言いたげな表情が小憎たらしい。

 私は叱られた事に軽くショックを受けつつ。かつての自分を見るような気分になる。

 そう。かつての私は。複数の企業で正社員をしていた為、今の自分のようなアルバイトに指示をしたり、叱ったりしていた。二十代の頃の話である。

 あの頃の私も。経験の浅いアルバイトに何でこんな単純作業を出来ないのか?と叱っていたのだ。余裕無さげに。

 まったく。やった事は跳ね返ってくるものだ。場は違えど。

 

 私は単純作業をしつつ。働いている環境を見やる。

 この現場にはプロパーの職員が妙に少ない。だからこそ私のようなアルバイトが雇われる訳だが。少し問題があると思う。

 作業に対して監督者が足りていない。だから妙に仕事の進行がギクシャクしているように感じる。

 人手が少ないのはどの職場も抱える問題だが、少し度を越しているように思うのは私だけだろうか?

 

 などと。

 せっかく雇ってもらった職場に文句を垂れるのは行儀がよろしくない。

 そもそも仕事なんて、仕事の進行上の不快感も込の給与を貰っているものなのだ。我慢しなければバチがあたる。

 だが。働く事に対する大事な動機づけ、働くことでの自己表現を失った私は。やる気のないワーカーなのである。日々、迷惑をかけない程度に頑張るくらいの気力しかない。

 

 ああ。働くのって楽しくねえ。

 そう感じている。達成感が少しあるのはマシだが。

 贅沢を言っているのは分かる。だが、とかく苦行でしかない。

 その上、私には将来への展望がない。だから意地でも頑張るという働き方も出来ない。

 どうせ、鬱持ちのデブの独身おじさんなのである。こんな男にどう将来の展望を持てと?

 結婚など論外である。その先の子どももまた。

 遺伝子に支された生き物の私は。子孫を為す事が至上の喜びであるはずだが。

 私はその喜びに辿り着くことはないだろう。そもそもそれに向けて努力してないし。

 

 生きる目標がない。とにかく生存する事だけの為に生きている。

 頭の悪い私は。それに絶望しがちなのである。

 こんな不良品が残って何になる?

 何にもならない。さっさと死んだ方がマシである。

 幸い喫煙者の私は肺がんで早晩に死ぬだろう。

 それが私に残された最後の希望のようにも思える。

 

                  ◆


 この日本にはこんな言葉がある―『働かざるもの食うべからず』

 要するに、私はモノを食う資格がない男なのである。

 だがしかし、親の温情によって生かされている。

 有り難い話だが。私は生かされて先の生き方が見えてこない。

 

 ただ存在している。

 それは生き物としての本能がなせる業だ。

 生き物の私は死にきれないのである。死ぬことを考えるとゾワッとする。

 いくら脳みそが故障してようが。死ぬことだけは妙に恐ろしい。本能は強い。

 だが、死ぬ事に憧れがないわけではない。希死念慮は心の底に存在し続けている。

 そんな微妙なバランスの中で生きている。

 今のところは死にたい気分が弱いので、とりあえず生きる方向で努力はしている。

 その一環がアルバイトの開始。労働であるのだが…

 

 いやあ。労働に対してのモチベーションが低い。

 今は年末の友人の訪問に向けて努力出来ているが。

 年が明けてからが怖い。生活の糧を稼ぐフェイズに突入するのだ。

 

 私は。脳が故障する前から。働いている時に虚しさが襲う男であった。

「こんなに頑張ろうが―何処にも行けないんだよな」

 そんな思いがチラつく男であった。

 昔は必死で働いていたのである。真面目なワーカーだった。

 ところが5年の療養生活を経てしまった私は。すっかりやる気をなくし。

 今は困惑しているのだ。仕事が嫌な訳じゃない。だが、楽しみややりがいを見いだせない。

 

 別に。人生のすべてが労働である訳ではない。

 だが、世間の大多数は働く事に崇高な何かを感じているらしく。

 私のようなやる気のないワーカーは少数らしい。

 爪弾きにされている感。アウトサイダーのような気がしてくる。

  

                  ◆


 やる気のないワーカーたる私はどう生き残っていくべきか?

 考えるべきはコレなのである。できるだけモチベーションを上げておきたい。

 じゃないと飯を食う資格を得られない。

 そして。出来ることなら働くことに対してポジティブでありたい。

 そうすれば、少しは生き易くなりそうだから。

 

 と、言ってはみたものの。

 私のポンコツ脳みそはロクな答えを弾き出せない。

 …もっと物欲とか強ければ良いのだが。私は少しの本や漫画やゲームがあれば満足な生き物なのである。

 

 人生の意義を持たない私は。壮大な目標さえ持てそうにない。

 家族を守る為に働く者は美しい。だが。私は家族を持つ予定などない。

 世話になっている両親を支えるべきなのだが。彼らは彼らで生きると宣言してしまっている。

 

 私は一人放り出されている。

 そして、生きる目標を見失っている。油断をすれば死にたくなる。

 そんな私は何を目標に生きていくべきで、何の為に働くべきなのか?


 …飯を食うことしか思いつかない。


 幸い。私は食欲は人よりある方だ。こいつを目標に組み込むべきか?

 …なんだか微妙な気がするのは私だけだろうか?

 それとも?そういう些細ささいな事で良いのだろうか?


 …ウダウダ悩んでみたが。

 私は頭が悪いので、ロクな答えは出なかった。

 とりあえずは美味い飯を食うために、働くのを頑張ってみようかと思う。

 壮大な目標は後である。そんなモノは後から考えれば宜しい。

 

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『何の為に働くのか?』 小田舵木 @odakajiki

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