第4話 私の名は

「と、とにかく。村に帰りましょ。それで、大人に見てもらおうよ。あたしでは、どうしようもできなさそうだし……」


 興奮して話をしているかと思えば、がっくりと肩を落とし、ぶつぶつと何かつぶやいているマリー。そんな彼女の後をついていくエリクは、彼女から視線を外し自分の手を見た。

 握って開いて。くるりと手首を回して手の甲を見て。

 これが自分の手なのは間違いない。血が通っていて、思い通りに動く。


綺麗きれいな手だな)

 しかし、視覚情報から得られる感覚は別だった。記憶に残っているそれとは大きく違う。あまりにも幼い肌色が主張してくるのだ。これは知らない手だと。その違和感が、拭えない。

 内側に自分の手。それに重なって、知らない誰かの手が手袋のようにかぶさっている。そんな感覚だ。


 しっかりと覚醒しているはずなのに、記憶が揺らいで遠ざかる。


――私は、誰だ?


 そう自身に問いかけてみたら、すんなりと答えが出た。

 

(私は、ロラン)

 そう、彼が自分で認識している名はエリクではなく、ロラン。

 それは、かつて勇者アイヴァンと共に世界を救った『拳聖』の名であった。


 マリーに促され、彼女が住む村に戻ってくる。マリーは一人の男性を見つけて、大慌てで駆け寄っていった。

 その男性は、マリーの訴えを聞いていたかと思えば目を見開く。そして、こちらへ駆け寄ってきた。どうやら、彼は父親らしい。記憶は無くとも、その真剣さで何となく理解できた。


 そして、そのまま抱きかかえられて連れてこられた場所が今座っているところである。


「ふ~む」

 じっと、瞳をのぞまれる。居心地の悪さを感じるが、相手からすれば自分は客だ。黙って、そのまま同じように相手を見る。

 にらめっこのようになってしまい、負けたのは相手だ。ふっ、と吹き出して視線を動かした。


「おい、ハルダン。こいつ、なんともないぞ」

 村で唯一医術に秀でた男は、非難の声をエリクの横に立つ男にあげた。

「まぁ、俺もそう思ったんだけど、マリーちゃんがあんな血相変えて連れて帰ってきたらなぁ」

 はっはっはっ、と大柄な体躯たいくに見合った声が響く。彼の名はハルダン。エリクの父親、ということだ。しかし、最初に対面した時に感じた印象と変わりは無い。


 一番初めにハルダンと交わした会話はハッキリと思い出せる。

 なんだ、また何かにハマってるのか、と。


(どうやら、エリクわたしは影響されやすいみたいだな)

 少しは子どもっぽく話した方が良いか。そう思ったのだが、うまくはいかない。この話し方は、慣れているというよりも刻み込まれている。

 一度、マリー相手に頑張ってみた。しかし、下手すぎて余計に警戒されてしまった。だから、今はあまり意識せずに話している。彼女はその度に異物を見るような目で睨んでくるのだが、ハルダンは気にしていないようだ。


(親というのは、こういうものか?)

 両親と過ごした記憶のない彼の中に、その疑問に対する答えは無い。


「でも、記憶がおかしいって話だっよな」

「うーん、オレのこともレネットのことも分からないみたいでな。マリーちゃんの言う通り、別人みたいだ。なぁ、エリク」

 話しかけられる。一瞬、どう答えるべきか迷ったが素直に答えた。

「ああ。私にはさっぱりだ」

 ぎょっとした目をする医者に、苦笑いを浮かべる父親。

「こんな感じだ。オレはいいんだが……、ちょっとレネットは面食らったみたいでな」

「ああ、通りで。普段は彼女が連れてくるからな。ハルダンと一緒だっただけでも驚いたのに」


 レネット、というのはエリクの母親だ。彼女は息子の現状を知って、相応にショックを受けている様子であった。その表情を見て、彼は非常に申し訳ない気持ちになる。

(わたしが、自分のことをロランだと思い込んでいる異常な者であればいいんだけどな)

 願うなら、このままこの体をエリクに返したい。しかし、返したいと思ってしまう時点で彼の人格はロランそのものなのだ。


(それか、死ぬ前に見ている夢だったりな。それにしては、全てがはっきりとしすぎているが)

 周囲をキョロキョロと見渡してみる。部屋の中は茶色一色であるが、その細かい違いを鮮やかに瞳がとらえる。生活感のある臭いも、鼻が嗅ぎ分ける。耳には、鮮明な言葉が跳び込んでくる。


「念のため、町の医者のところに連れてったらどうだ?」

「それはエリクが行きたいって言うなら行かせるよ。オレはよく知らねぇが、無理して思い出すもんでもねぇんだろ。体は元気なんだから、ゆっくり治してくれりゃいい」


 どうやらハルダンは気にしていない、というよりは五体満足で生きていてくれればよいというスタンスのようだ。こちらに近寄ってくると、とんと軽く肩を叩(たた)いてきた。

「オレは仕事に戻る。村の中でも、ゆっくり見てきな」

「ああ、分かった」

 コクン、とうないた。明らかに他人の態度であるが、ハルダンは大きく口を開けて笑いながら部屋を出て行った。


「……まぁ、一理あるわな。ちょっと散歩でもしてきな、坊主。体調が少しでも悪くなったら戻ってこい」

 この人も、口は若干悪いがいい人だ。

「世話になった」

 心からの笑みで、彼の親切に応えた。


 外に出る。

まぶしいな)

 ここに来るまでは少し曇っていた空が晴れて、太陽がこちらを睨んでいた。こんな明るい空を見るのは、いつ以来だろうか。


 周囲を見渡してみる。小さい集落だ。しかし、生きている者の気配が十分に満ちている。命が芽吹く気配がある。規模の割には活気のある村だ。


(あの頃とは大違い)


 彼が覚えているのは、沈黙と共に横たわる家々の様子だ。皆が疲れ果て、未来が見えずに、絶望が覆っている。少なくとも、初めて訪れる集落はそんな有様だった。

 それが、どうだ。目の前に広がる光景の、この明るさは。まるで出立の時みたいではないか。皆が皆、希望に満ちた瞳で見つめてくれた、あのときみたいに輝いている


 思わず、笑みを浮かべようとして、すぐに表情が曇った。


(……だめだな、ほんとうに。私はロランであることを否定できない)

 今、頭に思い描いているのはロランの記憶だ。あの頃、魔王の脅威に打ちひしがれ、人々の表情は暗かった。それを照らす存在に出会うまでは。

 そもそも、この違和感もこの村が初めて来るものだと感じているせいだ。エリクの生まれ育った村だというのに、今の彼にその記憶は欠片かけらとして存在しない。


 どこかにエリクの記憶につながるものはないだろうか。それを探すためなら。

「散歩も悪くない」

 その道中でエリクとしての自分を思い出せるものに出会えればよい。ロランが見ている夢がめるなら、それでいい。ただ、このふわふわとした頼りない感覚を無くすために確固たるものを探したかった。

「望み薄ではある、か」

 頭に浮かべるは、森で彼のことを心配していた少女の顔。彼女は、かなり親しい存在だったのだろう。

 それなのに、思い出せない。そして、両親でもだめだった。これ以上の存在が、果たしてあるのだろうか。


「動いてみるしかない、がな」

 彼は空を見上げて、大きく息を吐くのだった。

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魔王無き世の英雄譚~かつて世界を救った『拳聖』は、今生で『剣聖』を目指します~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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