第1章 この熱は自分のもの

第3話 目覚め

 ぼやけていた視界が徐々にはっきりとしていく。


 最初に知覚したのはうっそうと生い茂る葉で覆われた視界であった。

(これは)

 目に映る光景について考えようとしたら、ビシッと体全体に鋭いものが走る。次に自覚したのは、痛みだ。


 右の腹が深くえぐられ、こうしている間も体から血が流れ出ている。それと、全身を打ち付けたことを強い痛みが自覚させてくる。このまま放置すれば、体から血液が失われ、再び意識を失うだろう。

 熱い鋭いいばらのようなものが全身に刺さっているかのようだ。このひどさを頭に訴えてくる。しかし、妙に冷えた部分でこうも思うのだ。


 これは致命傷では無い。これぐらいなら、大丈夫だ。


 かすかな違和感をいったん思考の端に置き、精神を集中させた。一人で行動していた頃、大きな怪我や病気に襲われたときに身につけた技能。

 一つ、一つ。ゆっくりと構築していく。痛みを強く自覚してしまえば意識がはじばされる。それを防ぎつつ万物の基礎をなす精霊達せいれいたち、周囲に存在するであろう彼らへと語りかけていく。

 さいに、具体的な願いを口にする。


「我は願う、この身に祝福を」


 ぽわっ、と淡い光が全身を包む。その光が、とくに赤く地を染めている箇所へと集中していく。壊れた組織は元の姿を思い出してつながっていく。

 それは一瞬の出来事。傷一つない肌が右の腹に戻った。破れた服が、その程度の大きさを物語っているだけである。


 そして、ゆっくりと立ち上がる。そこに来て、ようやく自分の中に生まれていた違和感とたいする。

「……私の怪我は、こんなものではなかった」

 最期に残っている記憶は、徐々に失われていく視力で見送った仲間の背中。そして、すでに回復の見込みのなかった自分の体。


 その記憶が本物であれば、今ここに立っている自分は何なのだろう。


「私は、なんでこんなところにいる?」


 周囲を見渡す。人の手が入っていない森林だ。先程見上げたのは、あちらこちらに伸びた枝で空を隠す木々の葉だったのだ。

 近くに切り立った崖がある。

「落ちた、のか」

 見上げれば、予想はつく。おそらく足を滑らせて、あそこから落ちてきた。その途中で鋭くとがった岩に、この腹は削られたものだ。全身の打撲も、あの切り立った岩肌を転げ落ちてきたのなら納得できる。


「なぜ、そんなことに」


 しかし、それはあくまでも状況判断。彼にそんな記憶は無い。

 じっ、と自分の手を見る。ぐっ、と握ってみれば反応し、開いて血が通っていることを感じる。

「動く」

 あたりまえではあるが、そうでもしないと自分のものだと思えないのだ。自分の意思で体は動く。今ははや、意識もはっきりしている。それなのに、ぼんやりともやがかかっているように自身の存在があやふやなのだ。


「私は、誰だ?」


 その手は彼の記憶にある生きた年月を感じさせるそれではなく、若くまだ使い込まれていない手であった。手のひらは鍛錬の跡が見られるが、何かを握りしめた振り続けた跡である。何を振っていたが、それも記憶に無い。

 腕が短い。足から頭にかけての距離も短い。背丈が子どものように低いのだ。ますます混乱する。


 自分は老い先短い老体だったはずだ。かつての自分を頭に思い描こうとする。


「私は」

「エリク!」


 その想像は、急に飛んできた声にかき消される。自問した答えが、別のところから返ってきた。


 遠くから聞こえた声に反応して振り返る。歩きづらい茂みをかき分け、一人の少女がこちらへ駆け込んできた。

「エリク、ああ、エリク!」

 敵意を感じなかった。だから、ただ注視することに力を傾けていた彼へ一直線に跳び込んでくる。


「……ああ。よかった。生きてる、よね?」


 果実を思わせるオレンジの髪をした十代初めくらいの少女だ。彼の無事を確かめると、途端に力が抜けたのかその場に座り込んでしまった。

 その衣服から出た足に細かい傷がついている。赤い色もにじんでいた。


「大丈夫か?」

 その様が痛々しく、エリクと呼ばれた彼は思わず口にしてしまう。

 しかし、それが彼女の逆鱗げきりんに触れてしまった。息を整えていた彼女はきっ、と鋭い眼光でにらけると立ち上がると同時に叫んだ。


「大丈夫か、じゃなぁーーいっ!」


 その声量はすさまじく、耳を貫いた後にしばらくぼうっと熱を感じるほどであった。

「あんたこそ、平気なの? あんなところから落ちたのに」

 彼の予想は当たっていた。滑落した現場に、彼女もいたのだろう。必死だったのも納得だ。


 彼女はぺたぺたと彼の体を触っていく。まるで兄弟姉妹のような距離感だ。全身を一通り確かめた後、ようやく少女はあんの息を吐いた。

「よかったぁ、エリクのお葬式なんて行きたくないもん」

 軽口ではあるが、本当に心配したのであろう。悲壮な表情が、どんどん明るいものへと変化していく。

 ただ、続く彼の言葉でまた青ざめることになる。


「エリクというのは、私のことなのだろうな。きっと」

「……はい?」


 目をぱちくりとさせたあと、ぐいっと近づいて彼の顔をのぞむ少女。その後、首をかしげた。

 たしかに、自分を見る少年の目が、いつもと違っているようなのだ。その事実に気づいて、彼女の背筋はぞくりと冷たいものが走る。


 慌てて、少女がまくし立てる。

「君はブレイクス家のエリク。あたしはお隣のマリー。まさか、自分のことが分かんないの?」

 真っ青な顔で、マリーはエリクに詰め寄っていく。分かるか、分からないか。ここは正直に言うべきだ。

 それぐらいの距離の近さを彼女から感じ取った。


「すまん、分からない」

 その言葉に、よろっとよろけたマリーであったが何とかたて直った。

「と、とにかく。村に帰りましょ。それで、大人に見てもらおうよ」

 その方がよいだろう、と彼も小さくうなずいた。このまま立ち止まっていても事態は進展しない。


 今は、手がかりはこの娘にしかない。

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魔王無き世の英雄譚~かつて世界を救った『拳聖』は、今生で『剣聖』を目指します~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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