第6章 Zebra.
桐山の問いに佐川は躊躇うことなく言った。
「Zoo.です。追うべきはZoo.以外あり得ません」
「覚悟がいるぞ?」
「何の覚悟です?」
「お前さんは俺と同じ判断をした。俺たちは今後もZoo.を追う」
「今後”も”ですか?」
「そうだ。だがしんどい思いをすることになる。テログループを追わずにZoo.のみを追うことに対して、政治家の先生さんたちはどう思うかな?」
佐川は含み笑いをしながらこう言ってのけた。
「対策済みです」
桐山は喫煙室で福島を待つ。マルテ捜査本部長に言っておかなければならないことがある。勿論、秘匿してきた情報に関することも含めて、だ。kaleidoscope班が「知らない証拠」があった。ちょうどkaleidoscope班が立ち上がる頃、最初の事件が起きた。「若山事件」である。事件前後の記録は既に特定され精査されていたが、現場に残された証拠に関してkaleidoscope班は何の捜査を行っていない。一連の事件”唯一の物証”があったのだが、慌ただしい捜査状況の進展の中に埋もれた。
若山事件で残された”物証”、「タバコの吸い殻」は、当時マルテ本部長だった桐山の指示で、他の組織犯罪の捜査の中に紛れ込まされた。吸い殻に残っていた唾液からDNAの抽出を秘密裏に行っていたのだ。桐山も鑑識もこのDNAを重要視していたわけではない。ただ単に「被疑者確保」となった時に、特定する役には立つ。その程度だった。
桐山が4本目のタバコに火を点けたタイミングで、今のマルテ本部長の福島が現れた。桐山は軽く手を挙げて挨拶をする。
「桐山さんじゃないですか。どうしてここに?」
「若山事件のアレ。繋がったそうだな」
「ええ、ご存じの通りですが、ソレが何か?」
「ご存じじゃ無くてなあ、情報が欲しい」
「ご存じじゃない?どう言うことですか?」
「詳しくは話せないが、俺たち・・・佐川も含めて、分かりやすく言えば”サイバー捜査班”みたいなことをしている」
「大体は察しています」
「で、あの佐川がトップだが、アレは現場を知らない」
「桐山さんがいるじゃないですか」
「そうだ。だが俺たちの捜査班は若山事件の証拠を重要視していなかった」
「犯行グループを捕まえてから有効になるレベルでしかないですから」
「俺はそんな小さな証拠はさっさと資料の中に放り込んだ」
「捜査課では情報共有されているはずですが?」
「うちではその証拠を追っていないんだ。それで・・・マルテの捜査員が口を滑らせてな」
「誰なのか訊くのはよしましょう。瀬戸内の事件と繋がりました」
「確実か?」
「DNA鑑定の信頼度は桐山さんだって知っているはずです。国内で他人同士が一致する確率はほぼゼロです」
「どこから出てきた?」
「その前に訊きたいんですが、瀬戸内の事件、本当に何も知らないんですか?」
「全くだ。うちの捜査班は瀬戸内の事件を、Zoo.による犯行ではないと判断した」
「その判断が間違いだったと言うことですか?」
「意地悪を言うなよ(笑)だからお前に聞きに来たんだから」
「”左利きの男”のことも知らないと?」
「なんだそりゃ?」
「とっくに把握してるもんだと思ってましたよ。瀬戸内の事件の主犯は左利きです。いや、左利きではなく左手しか使えない」
「どういう意味だ?」
「主犯は右腕が義手なんです」
桐山は視界が真っ赤に染まるほどの衝撃を受けた。日本全国の医者・病院を訪ねて回っても特定出来なかった”幻の容疑者”がココで出てくるとは・・・
「経緯を話してくれ」
「島に残っていた社員。この男は後藤の執事ですが、かなりの腹黒でした」
「ソイツのDNAが?」
「違います。身柄を兵庫県警に移したんです。島に残った当事者として多少は厳しい取り調べをしました」
「ソレで?」
「あの事件では全員が関与を否認していますし、殺人事件での起訴は難しそうです」
「死体は出ていないよな?」
「瀬戸内海ですから、いずれは出るとは思いますが」
「ソレで?」
「執事の所持品や着衣を調べました」
「ふむ」
「ズボンの右ポケットに焼け焦げたような小さな跡がありました」
「焼け焦げた跡?」
「そうです。この跡について軽く”叩いた”ところ、主犯に関係する重大事実が出てきました」
「兵庫県警に”叩かれた”とは、無事かその執事(笑)」
「入院させるほどではないみたいですね。それで、ポケットにあった焼け焦げの理由を昨日、やっと白状しました」
「それで?」
「犯行グループのリーダーだと思われますが、この男に部屋に呼ばれたそうです」
「部屋?なんの部屋だ?」
「犯行グループは4人だったそうですが、屋敷の奥にある会長室を使っていたそうです」
「ふむ・・・その部屋は既に鑑識が入ったと・・・」
「そうです。何も残っていませんでした。全員がフェイスマスクを被っていて、マスクをしていたそうですから」
「それで?」
「後藤をどうするかの指示待ちをしていたそうです。リーダーは会長室に陣取って指示を飛ばしていたようですが、執事に指示を出そうとして呼びつけて、執事が会長室に入った瞬間、グループの1人がリーダーを呼んだそうです」
「それでリーダーは部屋を出た?」
「執事が部屋に入った時に、そのリーダーはタバコを咥えていた。だが急に呼ばれてしまったので、左手でタバコを雑に灰皿で揉み消した・・・」
「その吸殻をポケットに隠したのか」
「そうです。完全に火が消えていなかったので、ポケットに焦げ跡が残ったんです。それから、その灰皿ですが、出て来ません。後藤は禁煙主義者だったので、備え付けのモノでは無かったと言いますから」
「証拠になるような物は残さないってことだな」
「その通り。そもそも、この犯行グループが島に侵入した方法も時間も分かりません」
「防犯カメラは?」
「犯行グループの指示で記録を消したそうです」
「海を渡って島に入ったんだ。近県の海岸線を総当たりしたか?」
「港湾から出ていれば簡単でしょうが、誰もいない浜や岩場からボートを使われると・・・」
「その執事はなんでまた吸い殻なんぞを持ち帰ったんだ?」
「警察でも犯行グループでもいいから”取引の材料”になると考えたそうです」
「けっ!素人さんはコレだから・・・」
「しかし殊勲賞ものですよ。その吸殻に残されたDNAが若山事件での証拠と繋がったんですから」
「他には?」
「リーダーと思しき男が使った拳銃ですが」
「シグだったな」
「この拳銃は特別なんです」
「特別?どういう意味だ?」
「左利き用のカスタムが施されていたんです」
「・・・エジェクションか?」
「ご名答。薬莢に残された痕跡から、排莢は銃の左側面からだと推測されるそうです。俺も詳しくは知らないんですが」
「残念だが、その拳銃の線から洗い出すことは無理そうだ」
「何故です?こんなカスタムを施された拳銃なら、どこから出たか分かりそうですが?」
「国内にあるシグに、左利きカスタムは無い。最近持ち込まれた拳銃の出どころは分かっていないんだ」
「ポロニウムでしたっけ?」
「ああ。事故から1年半。この間に”輸入”された拳銃は無いんだ」
「DNAはどうですか?」
「役にたつ。まさか若山事件と繋がるとはな。”右手が義手の容疑者”まで出てくるとは思っていなかった」
「既にマルテから人員を3人、兵庫に向かわせることになりました」
「いつだ?」
「明朝の新幹線です。今夜は動けませんし」
桐山は腕時計を見る。既に22:00を回っていた。
9月18日、kaleidoscope班から10人の班員が桐山の指揮下に入った。奥村が失踪し、指名手配された今、kaleidoscope課は佐川をトップに組織改編された。桐山は次長のままだ。No2の位置にいる桐山も責任者であるから、班員を統率しているが遠慮がある。佐川にお伺いをたててから10人ほどを”借りた”形になった。「桐山さんの好きにしていいんですよ」と佐川は言うが、正直この男もどこか信用がならないと考えている。特にTSUKUYOMIに関することでは隠し事があるようだ。その次世代型AIは表面上は以前のAIと同じように振舞っていた。だが、レベル5と呼ばれる捜査はブラックボックスだ。桐山はヘンペル班の使用した”フィルター”をチェックしたが、どこにも穴が無いように見える。ヘンペル班は確実に仕事をしていた。「嫌疑ゼロ」の人間を丁寧に濾しとっているのだ。結果、「15万人の容疑者」が割り出された。この国の人口から考えれば少ない人数とも言えるが、片っ端から逮捕出来るわけがない。ヘンペル班は今もこの15万人をフィルターにかけている・・・
(うん?)
桐山は妙なフィルターを発見した。最近加えられてすぐに精査を終えたようで、たったの3日間で破棄されたフィルター。「病院関係者」とだけ銘打たれたソレは9月10日時点での医師・看護師・医療事務員・入院患者などの動向を精査していた。医療関係者の勤務状況や入院患者の入院日と退院日を調べ上げたようだ。確かに医療関係者に限れば、9月10日にどこにいたかが割り出せるだろう。入院患者が「ちょっと用があるので」と抜け出せるとも思えない。確実にアリバイがあるわけだ。9月10日は特別な日だ。緊急事態宣言が出された翌日にあたる。Zoo.が動くならこの日に必ず行動を起こしたはずだ。緊急事態宣言が出された当日には動かないだろう。あの宣言で様々な”事件”が起きたが、Zoo.にとってはイレギュラーだったはずだ。しかし、その後の動きを見れば9月10日に何らかの動きをしている。拳銃がそうだ。現時点で出ている拳銃は9月10日に”謎の男”から譲られた物ばかりだ。新宿で渡された拳銃、仙台で渡された拳銃も新潟の喫茶店で発砲された拳銃も。各々の行動履歴からも9月10日に入手したと裏付けが取れている。新潟喫茶店銃殺事件では、ご丁寧に「入手日」の写真まで残っていた。入手した記念に撮影したのだろう。GPSログでも不審な動きをしていた。つまり9月10日にフリー行動していた人物を割り出せばいい。ヘンペル班は”確実に”容疑の無い者をフィルターで濾しとっているだけだ。容疑者を割り出そうとはしていない。仙台・新潟・新宿をカバー出来る地域で、効率が高いのは関東地方だろう。桐山の判断も同じだった。「主犯は関東以北に在住」である可能性が高い。そして桐山の推理は壁に当たった。瀬戸内の事件の主犯の存在である。ギリギリで「高山事件」(奈良県)までなら関東在住でも可能だろう。しかし瀬戸内海まで出て犯行を行ったのだろうか?勿論、この瀬戸内事件の主犯はZoo.ではない可能性もある。だが、主犯と思しき人物は最初の事件から関わっている。
「右腕が義手の男」である。東京都日野警察署に届いた「模型」の発送を通行人の若い男に依頼した男の右腕は義手だった。この男はその後鳴りを潜めていたが、「犯行声明」でまた現れた。依頼した男は義手だったのだ。そして瀬戸内の事件では犯行現場にいた。瀬戸内の事件と最初に起きた若山事件で検出されたDNAが一致したのだ。主犯の尻尾が見えた・・・
桐山は10人の捜査員に指示を出した。
「東京都にある全ての端末の記録を洗え。手間はかかるがやってくれ。欲しいのは”9月13日に都外に出ていた端末”の特定情報だ。性別年齢は問わず、全ての端末だ。主犯は都民だ」
都民1千万人。複数持ちのユーザーも多いから、対象端末は4千万台に広がる。しかし、この中で「9月13日に都外にあった端末」は数万台程度だろう。
「緊急事態宣言下だ。主犯は必ず公共交通機関で移動している。車両での移動は危険を伴うからな。22:00前にアクシデントがあれば足止めだ。そして、kaleidoscopeが活きてくる」
ニヤリと笑った。
「端末を持たずに移動した場合、必ず駅や空港の監視網に引っかかる。持たざる者は”容疑者”だと言うことでな。飛ばしスマホもほぼ特定が終わっているはずだ。当然だが飛ばしを所持していれば容疑者の可能性が高い」
国参党の党首であり、現在は現役から退いている松下正義の孫娘、小枝子は祖父誘拐事件の翌日、SNSに短い投稿をした。「ライオンの缶詰ってなに?」とだけ。政府関係者であるのでSNS投稿は見張られていると思っていいだろう。小枝子自身も薄々には感じていることだ。すぐにダイレクトメッセージが届いた。まだそのSNSサイトが沸騰する前のことだ。ダイレクトメッセージの発信者は「園長」を名乗り、暗に会おうと誘ってきた。この手の”お誘い”はよくあることだが、ナンパではないことはすぐに分かった。符牒である数列がメッセージに記載されていたからだ。6桁の数字が偶然に一致することは無いだろう。しかも祖父を誘拐した犯人が残したライオンの缶詰と言う符牒もあるのだ。3.14159は円周率の最初の6桁だ。文学部とは言え、この数字は馴染深い。メッセージの送り主は「サークルに入りませんか?」とだけ送ってきた。小枝子は数分、逡巡したが、「Yes」と送り返した。すぐに反応があった。「正門前・at14:00」
この短いやり取りはその場で小枝子自身が消去した。送り主のアカウントも消えた。小枝子は大学の正門前で13:55から14:10まで待つことにした。「園長」は現れなかった。小枝子には確信があった、必ず接触してくると・・・
3日間、正門前を14:00に通ることをくり返した。相手は小枝子の顔を知っているのだ。確実に14:00に現れて声をかけてくるだろう。待ち合わせをする必要は無い。この”出会いの手順”は誘拐犯が身代金受け渡しに使う手口だろう。過去に読んだ犯罪小説によくあった描写だ。あとは簡単だった。4日目に30代前半と思われる男が笑いかけながら「園長」とだけ記された名刺を差し出してきた。確認用なのだろう、その名刺はすぐに男のポケットに仕舞われた。「歩きながら話しましょうか」とだけ言う。小枝子は小さく頷くと、男の後ろをついていった。不思議と、危険だとは思えない。その男は囁くように会話を始めた。小枝子もつられるように囁き声になる。
「お祖父さんが言ったことが事実かどうか確認したいんです」
「なんでしょうか?」
「長話はしたくないので単刀直入に言います。お祖父さんの書斎にあるクローゼットの中に拳銃があるそうです。確認出来ますか?」
小枝子は息を吞んだ。祖父をガードする私兵と呼んでもいい集団は拳銃で武装していたはずだ。この事実を祖父は自慢げに党内幹事に話していた。「俺の”軍隊”は最近銃を携帯してる」と。小枝子は祖父が大嫌いだった。暴力を背景に高圧的な交渉を行い、やることなすこと”反日的”ある。生粋の日本人がこの国を他国に売り渡そうとしている。当然、小枝子も中学時代から、祖父の”教育”を受けてきた。だが祖父の”汚いビジネス”を知るに付け、心は祖父から離れて行った。父は祖父に逆らうように民間企業に就職したと言う。小枝子のファミリーも祖父を嫌っていたが、金に困らない生活を捨てきれなかった。そんな生活の中で小枝子は「とある事実」を知った。小枝子が15歳の時だ、祖父が「ペドフィリア」だと知り、愕然とした。その事件そのものは知らない。だが、祖父の私兵たちが話しているのを立ち聞きしたのだ。祖父は10年前に”12歳の女児を殺しかけた”と言うことを。その女児はステップファミリア(昔は養護施設と呼ばれていたらしい)にいた。祖父は己が欲望を満たすためにその女児を”買った”のだ。ただ、女児が素直に応じるわけも無く、殴りつけて攫うつもりが加減を間違えた。祖父は最初、その女児が死んだと思っていたらしい。慌てて帰宅して、すぐにファミリアの「園長」の口を封じるように命じた。私兵によれば5千万円だったそうだ。「死体も始末しろ」と厳命したはずが、女児はファミリアの園長の胸に抱かれて蘇生した。重い障害が残った。
園長はまさか強姦目的だとは思わず、殴りつけてまで欲望を満たそうとするとは考えもしなかったそうだ。松下正義は「可愛い女の子と一緒にいると若返る」ぐらいの説明しかしなかった。ファミリアの園長は事実を知って、受け取った現金のうち、4千万円あまりを女児に残し、残りは自分の息子たちに「当座の生活費」として渡し、施設の近くにあった公園で首を吊った。
小枝子は密かに、この「園長」が過去の事件の関係者ではないかと期待していた。会ってみれば年齢が合わないし、言葉には北海道弁が混じっていた。だが、祖父を誘拐したのは確かにこの男だろう。多分グループだと踏んでいた。ならば誰であろうが関係ない。祖父を殺してくれるなら協力しようと思った。小枝子は祖父を憎悪どころか、「嫌いが過ぎて」存在を否定していたのだ。正門前で出会った男の命ずるままに祖父の書斎をチェックして拳銃を発見した。男は連絡手段を教えてくれなかった。会った時に次の約束をするだけなのだ。小枝子は訝しんだが、単に慎重なだけなのだろうと解した。
9月7日、小枝子は友人が住むアパートを介して拳銃18丁を男に渡した。礼金について話そうとする男を制してこう言った。
「確実に殺してください」
男は頷くと、また重くなったリュックを背負って街中に向かって消えて行った。小枝子は男の指示通り、友人宅で1時間ほど過ごし、いつも行くバーに飲みに行った。
マルテ捜査本部には毎日「事件」の報告が入る。当然、「テロ行為」ならばマルテの捜査員が現場に出る。その事件が多過ぎるのだ。神奈川県で起きた、主婦によるテロ行為が連鎖的なテロに繋がっていく。手口は様々だ。ただ、爆発物を使い「ターゲットのみを殺害する」と言う不文律が生まれた。Zoo.による「他人を巻き込むな」と言う忠告が活きた形だ。「国民の敵」を亡き者にしようとする者たちにとって、Zoo.は崇拝の対象になっている。たまさか手に入れた拳銃で私憤を晴らす者も出たが、それでも「巻き込み犠牲者」は出なかった。
内田智樹参議院議員が暴漢に攫われたのは9月17日の夕方だった。4時間後にはサイレンが鳴り、国民は外出禁止になる。気を抜いてはいけない時間だが、SPたちは胸をなでおろしていた。「今日もガードし切ることが出来た」と・・・
あっという間だった。3人いたSPの一人がスマホを取り出して画面を見た瞬間だ。他の2人のSPの注意がスマホを見入るSPに向けられた。内田議員は左後ろにいたSPの挙動に気付かなかった。先頭を歩くSPがチラリと自分の後ろにいるSPを見た気がした。
そこへ黒のワンボックスカーが突っ込んできた。永田町は厳戒態勢だったが、周辺道路を封鎖していなかった。歩道に乗り上げたワンボックスカーはSP一人を跳ね飛ばしてタイヤを鳴らしながら停止した。内田議員の真横だ。スライドドアが開き、フェイスマスクをした男が飛び出してきた。SP2人は跳ね飛ばされた仲間を救いに行くか内田議員をガードするか一瞬迷った。この隙に暴漢2人がワンボックスカーに内田議員を引きずりながら発進した。内田議員の足をアスファルトに擦りつけながら・・・
閣僚会議を終えた後だったので、SPは無線を持っていなかった。間の悪いことに周囲には他の国会議員がいなかった。慌ててスマートホンを取り出して「緊急通報ボタン」をタップする間に黒のワンボックスカーは交差点を曲がってしまった。非常線が張られるまで2分ほどかかった。その頃にはワンボックスカーは非常線範囲の外に出てしまったのだが。
手口は繰り返される。ワンボックスカーは盗難車で、ナンバーも盗難品だった。国民が普段使っていない自家用車のナンバーをチェックするだろうか?
そしてこの黒のワンボックスカーは20分後に発見された。5台の盗難車が発見現場から飛び出し、どの車に内田議員が乗せられているのかも分からない。ワンボックスカーの発見場所はSNSサイトで「監視カメラ無し」と言う情報の通り、監視カメラが無かった。SNSサイトではこのような「エアポケット」とも言える監視の”隙”に関する情報が入り乱れていた。佐川の指示で、「監視されている」地点を「監視無し」と偽の情報を拡散するアカウントも多数作られたが、SNSユーザーは的確に「監視の無い地点」を発見していった。
22:00のサイレンが鳴る。内田議員は自分の「死刑宣告」を聞いた。
桐山はシャワーを浴びた後、丁寧に爪を切った。足の指の爪も伸びていたので、コレも丁寧に切った。現場を駆け回っていた頃は、2年に1回は「巻き爪」を起こし、その度に爪の幅は狭くなっていった。今はもうその心配はない。ただ単に習慣で足の爪が気になっている。爪を切った後、髭を剃る。3枚刃の剃刀がお気に入りだ。身支度を整えるとkaleidoscope班に戻る。
「佐川、お前さんもシャワーを浴びてこい。酷ぇ顔してるぞ」脂ぎった髪を額に幾筋か垂らし、無精髭を生やした佐川をシャワー室に追い立てる。
「鑑識から報告がありました。読んでおいてください」そう言うと、疲れ切ったとでも言うような足取りで白いスライドドアを抜けて行った。
(俺たちに休日は無い)
桐山はその後姿を見送りながら思う。
「鑑識からの報告はどこだ?」
「レポートとして上がってきました。コレです」課員が数枚のレポート用紙を持ってきた。
「なんだ?紙のレポートで上がってきたのか?」
「THUKUYOMIが外部からのアクセスを遮断していますから」
「聞いてないぞ?」
「桐山次長もご存じのはずです。THUKUYOMIはkaleidoscope班が使用している端末をファイアウォール内に取り込んでいる、と」
「外部とは連絡不能なのか?」
「鍵がかかっている状態です。内側から外へは出られますが、外からドアを開けることは出来ないと言えば分かりやすいですか?」
「分かった。佐川局長と後で話すことにする」
桐山は多少の疑問を持ちながらレポートを読んだ。4枚のレポート用紙を読み終えると、課員に尋ねた。
「局長はコレを読んだのか?」
「局長は読んだ後、考え込んでいました」
レポート用紙には歌舞伎町爆殺事件で犠牲になった高山学の検視書も記載されていた。高山学を殺したのはダイナマイト1/8本分だった。推定だが正しいだろう。背中に背負った鉄板のお陰で、効率的に爆殺出来、他者を巻き込んでいない。もしもダイナマイトを丸々1本使っていたら、高山の死体は四散し、爆風や破断された鉄板が通行人を襲ったかも知れない。
(爆発物のプロがいる・・・)
桐山は悟った。佐川が帰るのを待つことにした。とにかく佐川に伝えたいことを伝えたら、マルテの福島本部長と会わなければならない。Zoo.の犯行ではないと思われるこの件の捜査をしているのはマルテと所轄だけなのだ。佐川は3時間後に帰ってきた。多少はマシな顔になったのは、シャワーを浴びたあと、仮眠を取ったせいだろう。
「コレ、読んだんだよな?」
「桐山さんはどう思います?」
「最悪さ。ダイナマイト1本で1人殺すなんて希望的観測だった。人ひとり殺すなら1/8本でも足りる。つまり、犠牲者はダイナマイトの本数の8倍になる」
「8倍で済むでしょうか?」
「済まないさ。手口が知れ渡ったら、ダイナマイトでなくてもいい。国民が気づいたらお終いさ」
「僕もそう思います。色々と桐山さんの話を聞いてきましたが、爆発物は”簡単に”作れるみたいですから」
「そうさ。効率的に爆発させることが出来れば、花火をほぐして手に入れた黒色火薬でも殺せてしまう」
kaleidoscope班は既に「Zoo.の犯行ではないと思われるテロの捜査」を辞めている。Zoo.が犯したと断定出来る事件は瀬戸内の事件が最後だ。
「一応、追いますか?」
「数人でいい。情報を得た場所はSNSだろうからな。”時計のカタログ”に載っていた爆発物や手口が模倣された。俺たちが追うZoo.とは違う」
「言い切れますか?」
「時計のカタログの全ページが判明しているわけじゃ無いが・・・あのネジの飛んだ主婦が家計簿に挟んでいた設計図は、あちこちで発見されている断片と一致している」
「その手口を使った場合はZoo.ではないと?」
「Zoo.の手口は癪に障るが、洗練されている。荒っぽい事件は起こさない」
「瀬戸内の事件の捜査は進んでいるんでしょうか?」
「ソレを今から訊いてくる。藤堂さんが引っかけた大物にな」
「緊急事態条項」が可決されたのは9月20日のことだった。政府が必要だと判断した場合において、国民の主権を停止することまで盛り込んだ「非常に危険」な法案だった。先に施行された「緊急事態宣言」同様、国民の賛成を得るべき「改憲」の手続きを飛び越えた形だ。今まで何度も俎上に昇りながら、主に左翼勢力の強硬な反発に潰されて来た「改憲」も、今は我が身が可愛い政治家の思惑で国会を通過した。流石に「完全なる法案」には出来なかった。国民は確実に反発するだろうし、左翼政党の思惑もある。「時限立法」の形を取った。期限は1年間だが「テロ行為が続く限り、1年ごとに自動更新される」とされた。
ところが、この悪法とも言える措置を喜ぶ勢力があった。支配層には受け入れられて当然と思えたが、意外にもSNSユーザーの一部が悪法の施行を黙認したのだ。つまり、緊急事態条項は暗に「国民が受け入れた」とも言えた。普通に生活することに支障はない。犯罪行為を犯した場合に「容疑者の人権」がないがしろにされる程度だ。この点を懇切丁寧にSNSで解説するユーザーが複数現れた。当初はこんなアカウントは政府の回し者だと糾弾されたが、すぐにその可能性は否定された。国産SNSサイトの雄と呼ばれる”FUJIYAMA"に短い投稿がされたのだ。
「コレで選挙は行えない」
とうに国民は政府を見捨てていたと言う事実があった。勤勉に働き、納税する。子供たちに教育を受けさせる。
「それで?」
国家はコミュニティを守るだけの存在となった。国際社会では「日本政府」が必要だ。だが「それだけ」なのだ。海外に興味が無い、或いは外の世界に興味を失いつつある若者たちは、自分たちが生きる「スペース」さえあればいい。SNSサイトの隆盛もこの原則をなぞってきた。「国民こそ国家」なのだ。Zoo.の最初の犯行声明はこの”未来”を予見していた。いや、Zoo.の宣言に国民が追従したのかも知れない。日本政府の威信は国際社会で地に堕ちたも同然だった。令和初期の「ファーストパンデミック」に起因する米ドルの独歩高は、ユーロ圏を巻き込みかねなかったが、ウクライナ戦争のために価値を維持した。きっかり10年後に起きた「セカンドパンデミック」はまさかと思われる感染症が引き起こしたが、日本はこの感染症の「清浄国」であり、国内に大きな混乱は無かった。為替レートは令和初期の水準を維持している。元々が「円高」であったのだ。適正と思われるレートは、それまでの企業の業績を押し上げた。輸出が堅調に伸びた。この利益はほとんど国民に還元されなかったが、国民は自衛策を講じ始めている。輸出が伸びようが伸びまいが「国内経済に影響は無い」のだ。国内では、たとえ「円」の為替レートが下がっても「1円は1円のまま」なのだ。相次ぐ値上げで先に音を上げたのは「企業」だった。値上げを繰り返した結果、自社の商品やサービスを買ってもらえなくなった。生活必需品も「闇物資」と呼ばれる”国内生産品”が流通し始めた。企業は生き残るために「裏で物資を供給する」ことにした。多くの企業がこの「闇物資」を扱った。採算ギリギリの価格は、消費者物価を令和初期に戻していく。
政府が「緊急事態条項」公布で恐れたのは「自衛隊によるクーデター」だったが、自衛隊は忠犬であり続けていた・・・ように見えた。
9月24日に「火器を含む制式装備品」の横流しが発覚するまでは。
政府は躍起になって犯人を突き止めようとしたが、「基地司令部レベル」が横流しを企てたら突き止めようがない。
犯人がいないのだ。極論すれば「自衛隊が犯人」であるが、政府は自衛隊を罰することが出来ない。明日の我が身を守ってくれるのも「自衛隊」なのだから。どれほどの装備品が横流しされたのかは分からない。ただ、緊急事態条項公布を挟んで、銃器による犯罪の多くを「制式拳銃」が起こした。具体的には、政治家や財界人が殺されていく。国民同士の殺傷沙汰では使われなかった。「緊急事態宣言による夜間の外出禁止と街頭での職務質問」が功を奏した。同時に、「フォーリナー」と呼ばれている不良外国人は”夜間外出禁止令”を破り、逮捕され、日本人に殺されていった。国際問題になりかねないが、世論の「潮目」を読んだ政府やマスコミは”報道しない自由”を行使した。不法滞在者を切り捨てたのもまた政府である。
現マルテの本部長、福島は桐山との約束通りの時間に、喫煙所に現れた。
「桐山さん、今度はどんな話ですか?」
「すまんな。俺たちは歌舞伎町事件すら追っていない。最大の関心事は瀬戸内の事件なんだが・・・」
「情報が少ない、と?」
「正直に言う。容疑者の絞り込みが不調でな。現場の”肌感覚”を知りたい」
福島は床に目を落としながらこう言った。
「手詰まりです」
「新しい発見や疑惑は無いのか?」
「島に残っていた社員の証言から、犯行グループは4人だと分かりました。コレはほぼ確実です。問題は、どうやってあの島に入ったのか?それと、拳銃の入手先です」
「島を出た時の証拠は?」
「出ません。計算ずくですね。リュックを背負って屋敷を出る映像だけが残されていました。他の記録は一切合切消されています。防犯担当者は脅かされて消したと言ってます」
「消したぁ?記録メディアの回収は出来なかったのか?」
「監視カメラの映像は警備室のサーバに送られていたので・・・集中管理が仇になった形です」
「復元出来ないのかね?」
「SSDでは・・・後藤は自分たちの悪行が外部に漏れないように情報管理をしていました。データはサーバのSSDに集まる仕様で、クラウドにも投げていない。どうにもなりませんでした」
「お宮かい?」
「桐山さんのところで容疑者が絞り込めないなら確実に迷宮入りですね。見事なまでに証拠がないんです」
「全くか?」
「あの吸い殻だけですね。あとは男性3名女性1名の編成らしいとしか」
「メンバーの人数は問題じゃないな。主犯・・・リーダーだけが重要だ。他のメンバーはZoo.の地方アジトのメンバーの可能性が高い」
「アジト?」
「Zoo.は東京を中央にして、全国にいくつかの拠点があるはずさ。俺たちはその主犯を追っている。特定出来そうな情報が出たら、真っ先にマルテに報せる」
「ソレはありがたいですが、特定出来そうですか?」
「分からん。そしてこの主犯を特定出来なければ・・・」
「出来なければ?」
「いや、いい。Zoo.を追う俺たちの都合さ。これからは主に政治家を狙ったテロが増える。マルテは増員するべきだ。そして内調と公安は信じるな」
「何故ですか?」
「内調も公安も政治家サイドに付いた。自衛隊が”中立の立場”って、笑っちまうだろ?」
「桐山さんのところは?」
「俺たちはもうテロにはあまり関心が無い。すまんな。だが、Zoo.もまたテロリストだ」
「ねえ、桐山さん?」
「なんだ?」
「Zoo.の逮捕に意味はあるんでしょうか?」
桐山はぎくりとしたが、どうにか顔色を変えずに答えた。
「意味は問わない。俺たちは一連の事件の容疑者を逮捕するのが仕事だ」
内田智樹議員は拉致後、すぐに犯行グループのリーダーと思しき男の前に引きずり出された。内田議員もまた、生きることに必死になった。「金なら出す」「何でも言うことを聞くから」のような哀願を聞いていたその男は冷酷に告げた。「欲しいのはお前の命だ」
「ふ、ふざけるなっ!私を誰だと思っているっ!」
「内田智樹参議院議員」
「私を殺したらどうなるか分かっているのかっ!?」
「殺人罪で刑務所さ」
「しっ・・・死刑になるんだぞっ!」
「ならない。俺たちはテロリストではないからな」
「テロリストだろうがっ!私のような政治家を狙って・・・」
「残念だな。この女を憶えているか?」
そう言うと、そのリーダーは一人の女性に手招きをした。まだ20代だろう、可愛い感じの女性が歩み寄って来て残酷な笑顔を見せた。
「おま・・・いや君は・・・」
「あの時はセックスをしてくれてありがとう。無理やりは駄目だったけどね。もう2~3人呼ぼうか?無理やり”やられた”女の子」
「すまんっ!あの時は本当にどうかしていたんだっ!」
「じゃ、あんたは年がら年中”どうかしている”んだね。死んでね」
リーダーが会話を打ち切らせた。
「テロじゃない、レイプされた女の子たちの復讐ってこった」
「まて、話せばわかるっ!」
「分からんよそんなもん。女の子たちの復讐は死刑回避の言い訳さ。俺たちは内田智樹参議院議員を殺したい」
「きっさまーっ!何者だっ?」
「俺たち?俺たちはズ・・・」
「Zooなのか?そうなのか?理由はなんだっ!?何人も殺しやがってっ!」
そのアカウントは最初は目立たなかった。国産SNSサイトの雄とされる”FUJIYAMA"にだけあったアカウントだ。他のサイトには無いようだった。プロフィール画像はアルファベットの”N”が赤く表示されているのみ。アカウント名は「Nippon」で、日々の投稿は初心者が撮影したような国内風景や、その日に食べたおにぎりや菓子パンの写真。投稿頻度も1日に2回程度である。無個性で、他のユーザーからは無視されるような”bot”なのかも知れなかった。kaleidoscope班はこのアカウントの監視はしてたが、さして注目もしていない。ただ、このNipponをフォローしているアカウントの過半数が「Zoo.礼賛派」であったので目立っただけだ。そしてこのアカウントが動き出した。
9月20日の「緊急事態条項」の採択に反応したのだ。「もう選挙は行えない」と・・・
そしてアカウントのプロフィール画像が「回転」した。
「Z」
「話は聞くもんだよ、内田さん。俺たちはZooじゃない、”瑞鳳”だ」
「ズイホウ?」
「聞いちまった以上は外に出せないな。ここで死んでもらおうか」
「待てっ!ここで殺せば何にもならんぞっ!話し合おうっ!」
女性が歩み寄る。
「アレさあ、私の初体験だったんだよね」
両手で銃を構える。シグ220は自衛隊の制式拳銃でもある。
撃鉄を起こした状態の銃は1回、暴発した。銃弾は内田議員の右肩を掠めた。
「おい、引き金が軽いと言っただろうが」
「ごめんごめん。次は外さないからさ」
「やめてくれ・・・死にたくない・・・」
「私もやめてって言ったわ。付き合い始めたばかりの彼氏がいたのにさ」
「金ならいくらでも払う。払うから・・・」
「もう貰った。口止め料の2千万円。足りないけど、あんたはここで死ぬからいいや」
「該当が無いだと?」桐山は声を荒げた。たった2つの「条件」を満たすことすら出来ないのだ。そろそろ桐山の「うんざり感」が頂点に達しそうだった。
(特定出来ないだと?)
関東から瀬戸内に接する県に向かった端末。若しくは近辺の”関門”、つまり駅の改札や空港ゲート等を「端末未所持」で抜けた人物。もちろん、該当する端末はかなりの数に上ったが、全員が「主犯ではない」と判断された。どう追跡してもアリバイがあるのだ。端末を持たずに行動していた人物がごく少数だった。今の時代、端末を持たない不自由さよりも、「端末に縛られる自由」を国民は選んだと言うことだ。この「自由」を盾にして捜査を行っているのがkaleidoscope班である。情報は筒抜けになり、行動は全て把握される。その代わり、現代社会で生きるための「何か」を得ることが出来る。付近の関門を端末未所持で抜けた人物はたったの9名。全員が関門通過時から追跡され、特定されていった。「飛ばしスマホ」の所持者が主犯である可能性もあったが、飛ばしの所持者も特定された。事件直後に破棄された端末もあったが、行動記録から”事件当日”のアリバイが証明されていた。
桐山はTHUKUYOMIの解析と捜査のレポートを読んでみた。桐山が命じた条件でのフィルタリングを物凄い速さで実行していた。このフィルタリング結果はヘンペル班にフィードバックされ、THUKUYOMIに戻されてまた・・・
ほぼ完全な形で瀬戸内事件前後の「誰か」を特定”出来なかった”と言う結果が出てしまった。だが、桐山はまだ一縷の望みをTHUKUYOMIに抱いていた。「レベル5」の捜査情報が出ていない。次世代型を超えた「ニューラルネットワーク型人工知能」は、独自に判断して捜査を行うこともある”らしい”のだ。レベル5で行われる捜査はTHUKUYOMIが秘匿している。捜査が終了した時点でレポートが上がってくるはずだ。THUKUYOMIに一番詳しいであろう佐川が明言しているのだから。どこまで捜査が進んでいるのか、桐山ですら完全に把握出来ていない。それは佐川も同じことだろう。課員たちからは逐次報告が上がってくるが、THUKUYOMIがどこまで”深く”潜っているのかは分からない。ヘンペル班はひたすらモニターと睨めっこをしているだけに見える。彼らもまた、茫漠とした情報の海を手漕ぎのボートで進んでいるのだろう。
(もう時間が無い・・・既に国民は”手段”を手にしている・・・)
ここまで考えて、桐山は違和感を覚えた。この違和感は何だ?捜査は着実とは言えないが進んでいる。国民の中から「たった一人の容疑者」を探し出そうとしている。遅々として進まない捜査には慣れっこだ。この違和感の正体は・・・時間だ。
桐山と佐川が設定したタイムリミットはとうに過ぎた。だからこそ、テロ犯ではなく「Zoo.」のみを追うことにしたのだ。もう、Zoo.は大規模な事件を起こさないだろう。そのタイムリミットではなく、違和感の元は「kaleidoscope班」が未だに単独で捜査出来ていることだ。既にkaleidoscope班は「政治家を狙ったテロ」の捜査を辞めている。有象無象が起こすテロリズムの中にZoo.は居ないのだ。だが、ターゲットとなっている政治家の先生たちはどう思うだろう?
これほど大規模で、予算を食い潰し、だが政府が国民一人ひとりを”監視”出来るシステムをたかがテロリスト一人のために使うことを善しとするだろうか?確実にこのシステムは政府の統制下に入るはずだ。とうに「単純テロ」の捜査はしないとマルテ本部長の福島には告げた。職務上、この事実は上層部に知られたはずだ。ならば、今のkaleidoscope班は役立たずの烙印を押され、接収されていてもおかしくは無い。
佐川は言っていなかったか?
「対策済みです」と・・・
「こんにちは」と来客が挨拶をした。柳瀬隆二は来客を部屋に招じ入れ、ダイニングキッチンの椅子を勧めた。「いや、長話は要らないと思うんですが」斉藤翔は月子がテーブルに置いた冷えた麦茶を見ながら言った。
「どうしたんです?平日の昼間に」
「実は転勤となりまして、こうなると早いですね。来週の月曜日には新しい職場に出勤しなければ」
「どちらに転勤で?」
「岩手県ですよ。新工場が完成したんです」
「また急な話だ。引っ越しは間に合うんですか?何かお手伝い出来ると思うんですよ」
「いや、それには及びませんよ」
「いやいや、僕の入院の時にご迷惑をおかけしましたし、何かやらせてくださいよ」
「大丈夫です。俺はカバン1つ2つで新幹線に乗るだけです。引っ越しなんぞは会社の・・・どこだったかな?総務になるのかな?庶務課かな、が全部手配してやるそうです」
「なんだか慌てて逃げ出すみたいなやり方ですね(笑)」
「夜逃げってわけじゃないんですけどね。欠員が出たそうで、慌てて抜擢らしいです」
「ではご栄転で?」
「次の職場では生産部の部長に」
「そりゃめでたい」
「だからこそ、さっさと新しい部署に出てこいと(笑)」
「いつ、こちらを立つのですか?」
「明日の夕方の新幹線のチケットが取れました。ギリギリ”戒厳令”前にあっちについて、ステーションホテルに入れます」
「もう会えないんですか?」
「ええ。岩手に骨を埋める覚悟で行けと」
「うちの月子が寂しがるなあ」
「奥さん、外出は少ないんでしたっけ」
「そうです。僕がいないと外に出ません。”まだ”怖いんでしょう」
「そうそう、奥さんの研究がちょっと話題になりましたよね?」
「高卒ですから、せいぜい研究者と言う立場なんですが、やっと認められたようです」
「独学で?」
「そうです。月子には考える時間が沢山ありますから」
「おめでとうございます」
「お互い様ですね(笑)斉藤さんは栄転、うちのは研究費が多少は出る程度ですが」
「寂しくなりますが、こればかりは・・・」
「そうだ。こちらから岩手に行けば観光案内をしてくれますか?」
「そりゃ喜んで」
柳瀬隆二はやっと肩の重い荷を下ろせた気がした。もうコレでやることは全て終わった・・・
FUJIYAMAにあるアカウント「瑞鳳」は静かに活動を開始した。今までに犠牲となった政治家や弁護士たちの名前を「画像」として投稿した後、「国民の敵」と認知されている政治家や著名人の名前と共に、その悪行を淡々と連ねた。SNSユーザーはこの「瑞鳳」を運営しているのも「Zoo.」ではないかと考えた。ただ、「瑞鳳」に対して何のアクションも起こせないままだった。「瑞鳳」は一方的に情報を発信するだけで、フォロー・フォロワーですら返信を行えないように設定されているのだ。ただ、「瑞鳳」が発信する情報の確度は正確無比であった。今まで公然の秘密とされてきた”黒い噂”だけではなく、新たな事実も暴かれていく。それはまるで「次のターゲットを選べ」と言わんばかりだった。
ユーザーたちはFUJIYAMAに集まり出した。他のSNSサイトを出て、「FUJIYAMAN」(フジヤマン)を自称するユーザーも徐々に増えて行った。「瑞鳳」にはアクセス出来ないが、ユーザー同士の交流は盛んに行われるようになった。その交流はいくつかのグループを作った。ここにはZoo.の犯行に否定的な者はいない。だが、犯罪行為を助長する者もまた、いないのだ。静かに瑞鳳は進んでいく。水面下を行くような、後ろめたい行為はしない。堂々と洋上を進んでいく。たまさか、瑞鳳が出した情報を元に政治家が暗殺されても我関せずの方針を貫いている。コレでは警察も政府も対処に困る。犯罪行為の助長すらしないのだ。どうにかこのアカウントを凍結させようしていたが、FUJIYAMAはアメリカ資本だ。法的根拠が無ければ、日本政府を助けるようなことはしないだろう。
また、FUJIYAMAの運営も新たな公式アカウントを作っていた。「G・H・Q」と言うアカウントはややきな臭いが、後にこのアカウントは「瑞鳳」に追随すると知られることになる。このアカウントは水面下を進む役割を担っていた。テロ行為を手助けするような投稿はほんの数分で削除されるが、確実に「必要とする者に情報を届ける」ことに成功していた。
世界の・・・少なくとも「日本と言う島国」のルールは書き換えられた。富める者だけがこの国を統べるのではない。国民が自らの意思で未来を選択出来るようになったのだ。
緊急事態条項は政治家自身の首を絞めていく。衆議院も参議院も、都道府県知事の選挙も行えない。行えば必ず混乱を招くであろうし、事こうなっても政治家はその椅子にしがみついている。
テロ行為で議員数に欠員が生じた時だけ投票は行われたが、国民は冷笑を浴びせながら「白紙委任状」を投げ渡しただけだ。”国民の敵”は着実に処分され、欠員に名乗りを上げる者の中には国民に与する者も出てきた。私利私欲に走れば、例え新進気鋭と言えども「瑞鳳」のリストにその名が挙がった・・・
「G・H・Q」は先の大戦での「占領軍」であり、アメリカ主導で設置された。アメリカ資本のSNS公式アカウントが名乗れば「洒落にならない」とも言えるが、早期にこの「危惧」は去った。GHQが投稿したいち文が疑いを晴らした。
「GHQの読みの最初はローマ字表記で”Z”であり、我らもまた最後のピースである」
「THUKUYOMIがアクセスを求めています」佐川は桐山に告げた。(とうとうこの時が来たか)と、万感胸に迫るものがあった。
「アクセス?そんなもん、最初から繋がっているじゃないか」
「いえ、捜査機関としてではなく、THUKUYOMI”本人”がアクセスを求めてきたんです」
「本人?なんだそりゃ?」
「僕が以前言った通りですよ。THUKUYOMIは考えるAI、自我を持つAIなんです」
「悪魔の装置か」
「善悪は抜きにしましょう。大いなるパワーを生んだだけです」
「ふん。考えるAIなんざ、ここ10年に限っても10や20は出たじゃないか。そして否定された」
「そうです。AIの限界は論理の積み重ねでしか結論を出せなかったことです」
「THUKUYOMIも同じだろう?」
「THUKUYOMIは”自分で考えて”レベル5と呼ばれる捜査ファイルを作っています」
「ソレは聞いたさ。で、何か新しい事実を発見出来たか?出来なきゃ、単なるコンピューターでしかない」
「興味深いレポートが出されました」
「レベル5か?」
「そうです。ただ、まとまりが無い。いくつかの断片のみがレポートされています」
「論理的ではない、と?」
「ひとつ一つは有意であり論理的です。しかし、このレポートを制作するにあたって、THUKUYOMIが何を考えていたのかは不明です」
「はんっ!行き当たりばったりの出まかせかも知れんぜ?」
「THUKUYOMIは最後の断片、”Z”を提出して停止しています」
「停止だとぉ?」
「捜査機関としての動作はしています。もうひとつの大事な作業もです。そして我々と話をしたいと言うことです」
「お前さんがやってくれ。俺はイマイチ、パソコンには不慣れでね」
「音声応答させましょう」
「出来るのか?」
「THUKUYOMIにとっては造作も無いことです。どうします?」
「待て。課員のいるところでやっていいことか?機密データではないのか?」
「大丈夫です。そもそも、THUKUYOMIへのアクセス権は課員全員が持っていますから」
「そうだ、想い出した。お前さん、何をやった?」
「何を、ですか?」
「お前さん、kaleidoscopeを政治家の先生から守ると言っていたよな?」
「ええ、言いました」
「ソレと、ココが未だに”無風状態”なのは関係があるのか?」
「THUKUYOMIと話せば理解出来ますよ」
「THUKUYOMIを出してみてくれ」
桐山の声をモニターしていたのであろうTHUKUYOMIは課員室の大モニターに「波形」として現れた。
「I’m no The ONE.初めまして、マスター」
「このまま話せばいいのか?」桐山が佐川に訊ねた。「もちろん」と答えた佐川はちょっと考えて付け足した「モニタに顔を出しますか」
「顔があるのか?」
「合成ですけどね、リアルでしょうから。女性と男性、どっちにします?」
「・・・化け物め・・・」
「もっと驚く事実がありますよ。コレは後ほど」
「男性でいい。年齢指定出来るか?」
「どうぞ」
「40歳の平均的な男性でいい。どうせ中身は・・・」
ー私は自分を”人間だ”とは申しませんが、コンピューターでもありませんー
「アクセスを求めた理由はなんだ?」桐山は真っ先にコレを知りたいと思った。
ーZoo.に関わる報告がありますー
「そんなこと、レポートであげて来ればいいだろう?」
ー私はマスターの考えも知りたいと思いましたー
「佐川。マスターって誰のことだ?」「桐山さんと僕のことですよ。奥山室長はもういませんから」
「なんで俺が含まれている?」
「忘れましたか?THUKUYOMIの起動を行ったのはあの時の3人です。そして、THUKUYOMIを停止させることが出来るのも」
「俺はそんな方法は知らんぞ」
「優秀なプログラマーならば”停止”させることは可能ですが、アクセスするための第2パスワードが必要です」
「ありゃあ・・・おい、言っていいのか?」
「構いませんよ、3桁の数字でした」
「そんなもん、一瞬で突破されるじゃないか。あの時もそう言ったはずだ」
「あの3桁の数字を起点に”ある操作”を行ってます。今では・・・32億桁ぐらいになっているはずです」
「はあっ?」
「室長を含め3名。DNAサンプルを読み込ませましたよね。3桁の数字をあるルールに従って塩基対の配列に戻すんです。出来上がる配列に意味を持たせてあります」「よく分からないが?」
「パスワード解読はほぼ不可能と思えばいいですよ」
「ではやっぱり俺は無関係じゃないか」
「いえ、まだ必要なんですよ」
(まだ・・・?)桐山は引っかかったが、ここで敢えて論議をする気は無い。
「俺もマスターか」
ーそうです、桐山さんー
「気持ち悪いが・・・仕方ないな。THUKUYOMI、お前は何を知りたい?」
ー月読ではなく、そうですね”月”と呼んでください。人間には発音しにくいようですしー
「ソレはご丁寧に。では訊く、お前が知りたいことはなんだ?」
ー順序だててお話した方が良さそうです。桐山さんは私のレポートを読みましたか?ー
「まだだ。通常のレポートなら大体知っている。月がレベル5として報告してきた内容に関しては何も知らない」
ー佐川さん、この話は続けても?ー
「構わない」
ー私は能力の半分を捜査に。もう半分は私の推測を裏付けるために使っていますー
「推測?月の考えってことか?」
ーそうです。捜査に必要なのは論理でした。しかし人間の思考を理解しないと犯行グループにはたどり着けないと判断しましたー
「はっ!ソレは人間の刑事の仕事だ」
ー桐山さんは犯行グループの思考を理解していると言うのですか?ー
「そんなモンは分からんっ!だが犯行グループも”人間”なんだ。予想はつく」
ー私と同じ考えですね。私ならこう考えてこう行動する、とー
「ぐっ・・・だが機械のお前にそんなことが可能なのか?」
ー桐山さん。私は情報操作であなたのご両親を拘束していますー
「何だとっ!?」
―嘘ですー
「佐川っ!なんだコイツは?」
「月が単なるコンピュータではないと言うことです。月は嘘も吐くんです」
「なんてモンを作りやがったんだ?」
ー話を進めます。私が最初に行ったレベル5は、何故犯行グループはZoo.を名乗ったのかと言う問題でしたー
「ソレは・・・檻の中で殺したいからじゃないのか?」
ー非論理的です。わざわざ面倒な仕掛けを作らなくても良かった。拉致出来るのだから、その場で殺すことも出来たはずですー
「劇場型犯罪が答えだ。国民の敵をみせしめのために殺したかったんだ」
ー非論理的です。殺した後に犯行声明を出す方がリスクが低いのですからー
「Zoo.の出した犯行声明に答えがある。犯行グループは国民の敵を猛獣と表現した。だからこそ、国民の敵は檻の中で殺さねばならなかった」
ーこの話は保留しましょう。私はZoo.がキーワードではないかと考えて、全国の動物園のあらゆるデータを調べましたー
「報告が無かったが?」
ー無意味だったからです。犯行グループの特定に繋がる情報はありませんでしたー
「賢明だ。無意味な情報は不要だからな」
ーメインモニタにレベル5の情報を出します。ただし、時系列はバラバラになりますので、俯瞰的に見ると言う程度に留めてくださいー
「月との接続は?」
ー私はサブモニタにイメージを出しましょう。その方が話しやすいでしょう?ー
「至れり尽くせりだな」
「月が行ったレベル5のレポートは7つ出ています。最後の”Z”と名付けられたファイルまで一貫して、リストのみです」
「リスト?」
「月の行った推論などは無意味でしょう。結果として出された情報はリストにしかならなかった」
「モニタに一覧表示じゃ見にくい。個別に呼び出せるか?」
「お安い御用です。リストタイトルだけ並べます。読みたいリストを音声指示でどうぞ」
「待て。タイトルですら意味不明だ」
「有意でしょうね。では端から表示させます」
違法滞在者犯罪リスト・文科省制作ギフテッドリスト・政府関係者・・・不穏分子検出ファイル・・・Gファイル・・・?
(Gだと?)
「月っ!Gファイルとはなんだ?」
ーGovernment、つまり政府が秘匿していたファイルです。私にも意味が計りかねますが、重要なファイルであることは確かですー
「中身を詳細に出せ」
そこに並んだのはステップファミリア(児童養護施設)のリストと、歴代政府閣僚の名前だった。このリストの意味は分からない。だが桐山はその中に2つの名前を見つけた。「松下正義」「高山祥子」である。リストの中ではかなり離れた位置に記載されていたが、何故この2人がこのリストに掲載されたのだろうか?政策でも慈善事業でも、この2人が並んでいた記憶は無い。
「月。松下正義と高山祥子の関連は?リストに連名で並んだことはあるのか?」
ーあらゆる情報を検索した結果、多くのリストに名を連ねていますが、テロ被害者の中で逆にこの2人だけがリストアップされた資料はありませんでしたー
「最後の”Z"ファイルの意味は?」
ー私が作った容疑者リストですー
「何だって?容疑者を絞り込んだのかっ!」
ー内容をご覧ください。対象人数は650万人以上。全員にアリバイがあります。ヘンペルのリストに入った国民ばかりですー
「どういう意味だ?」
ーそのままの意味です。容疑者はこのリストの中にいますが証拠が無いと言うことですー
「どうやって割り出した?」
ー犯行が可能だった。それだけですー
「佐川っ!このポンコツをどうにかしろっ!」
「桐山さん。何故月がこのリストを最後にレベル5の捜査を停止したのか、興味がありませんか?」
「そもそも、だ。レベル5の必要性はあったのか?」
「ありました。月がサーチ出来る情報の深度は深いんです。関係者のみが閲覧出来る情報だけでなく、スタンドアローンのデータベースにも潜り込みます」
「スタンドアローン?不可能じゃ無いのか?」
「特殊な方法で潜り込むんです。論理的には可能なんですよ、情報を読み出す端末をたどってハッキングすればいい。どこかで必ず誰かの端末がネットにアクセスしますから」
「とんでもない手間と時間がかかるってだけか?」
「その通り。そして月にはその能力がある」
「当然、機密ファイルもサーチ可能か」
「そうですね。そして月がサーチしている場合、ココの課員や私たちにも漏らせないってこともある」
「結果、Gファイルが出てきたじゃないか」
「Gファイルの意味が分からない。月は判断を私たちに委ねた。そう言うことでしょう」
ーお話を続けてもいいですか?ー
「もう少し待て」佐川がTHUKUYOMIを制した。桐山は話の大筋さえ見えていない。こんな捜査方法は特殊過ぎる・・・
16号埋め立て地。この通称を知る者は少ない。東京郊外にあった埋め立て地の名だ。正確には「最終処分場」となるはずだが、時代の趨勢の中で忘れられていった場所だ。今でも稀に「ゴミ」が運び込まれるが、ソレは「表には出せないレベル」の廃棄物であり、処分したと言う記録も残らない。この16号埋め立て地には「管理者の住居」もあった。今はもう廃墟となってはいるが所有者がいる。登記簿に記載されている名前は「T・T」と言うイニシャルだけ。イニシャルでは無いのかも知れない。「会社名」の可能性もあるが、立ち入り禁止の巨大な敷地内にある家屋の登記簿に興味を持つ者は少ないだろう。そして所有者との連絡が無いまま、この家屋は解体された。
壁面に据え付けられた70インチの8Kモニター。その部屋には大小合わせて15台の8Kモニターが置かれている。画面に映るのは無修正のままのポルノビデオだった。「素人もの」にありがちな画面の暗さは無い。逆に明るくて眩しいぐらいの画質で撮影されている。映っているのは素人女性だろう。やや長身で美しい顔立ち。最初は撮影に乗り気だった女性は、徐々に苦痛の表情を浮かべ、最後には泣き喚いていた。女性1人に対して、男性の数がどんどん増えていくのだ。苦悶の表情を浮かべながら、女性は行為中に動かなくなった。
ビデオはまた最初に戻って繰り返し再生される。タイトルテロップは「松下小枝子」
この部屋は閉ざされている。空調と大きな冷蔵庫は動いているが外には出られない。扉をコンクリートで埋められた地下室の中で、松下正義は呆けた表情で座り込んでいる。大事に育ててきた孫娘が凌辱され死んでいく。大音響で笑い声も悲鳴も、最後の呼吸の音まで再生され続ける。
「大事に育ててきた」と思っているのは松下正義だけだ。孫の小枝子は「祖父の殺害」を依頼した。
この地下室は閉ざされたまま埋められていくのみだ・・・
10月に入って急に涼しくなった。小枝子は大学からの帰り道で映画を観た。特に興味があった映画ではない。同じ講義を受けている友人からチケットを貰ったのだ。「そして誰もいなくなった」は何度も映画化され、小枝子はそのうちの数本を観ていたし、原作は英文の原作でも読んだ。今作は俳優も新たに制作された作品だ。原作に忠実であったが、映像美に魅せられた。鑑賞後、映画館を出てすぐの場所にあるブティックのショウウィンドウをぼんやりと見ていた。ガラスに映る小枝子の後ろに立つ男がいた。「園長」の姿だった。静かに歩き出す小枝子を後ろから追い抜きざまに小さく囁いた。
「相応しい最後でした」
ありがとう。
小枝子はほんの少しだけ心に波紋を広げただけだ。
「月がレベル5の捜査を終えた理由は単純です。もう捜査することに意味は無いと判断しただけでしょう」
「ふざけるなっ!俺たちはZoo.を追うと決めたじゃないかっ!」
「ソレが無用だと判断された。僕も同意です」
「どう言う意味だ?」
「続きは月に話してもらいましょう」
ーではよろしいですか?ー
「続けろ」佐川はそう指示してモニタを見詰める。桐山もそれに倣う。
ー私が捜査を辞めたのは佐川さんが言う通りの理由ですが、色々と補足がありますー
「聞こうじゃないか」
ー桐山さんの捜査方針は非常に合理的でしたー
「馬鹿にしているのか?」
ーとんでもない。合理的で的確でした。犯行動機は怒りであり、Zoo.と言うグループが犯行に及んだ。必ずどこかに犯行の痕跡を残し、その痕跡から最低でも主犯を特定出来るー
「ソレが警察の捜査と言うモノだ」
ー私はこの前提を無かったことにして、Zoo.の犯行を洗い直しましたー
「洗い直したぁ?」
ーそうです。捜査をいちからやり直したのですー
「初動捜査に誤りは無かった。俺がマルテを指揮していたんだ」
ー確かに警察の動きは機敏でした。被害者が政治家ですから当然のことですー
「だからなんだ?」
ー機敏過ぎたんです。また、巡り合わせが悪かったとも言えますー
「どう言うことだ?」
ー警察が機敏に動いたことが大きな要因でしょう。また、被害者の足取りが鍵でしたー
「若山は六本木で迂闊な行動をした。Zoo.にとっては巡り合わせは最高な状況を生んだじゃないか」
ー違いますー
「なんだと?」
ーマルテもkaleidoscopeも大きな間違いを犯したんですー
「ここもか?」
ー桐山さん、この一連の犯行を連続テロと捉えてますよね?ー
「それは佐川とも議論したことがある。事件は全て単発に近い。だが犯行グループはZoo.だ」
ーZoo.の動向にも疑問点があったのです。私はこう判断しました。この一連の事件は連続した犯行ではなく、同時多発するはずだった、とー
「なんだって?」
ーつまり、若山事件の時に松下党首も拉致されました。この時に高山祥子議員も拉致されるはずだったんです。女川夫妻に関しては詳細不明でしたが、高山祥子議員を拉致出来なかった時点で、Zoo.は一気に勝負に出ることを諦めたー
「高山はどうして拉致されなかったんだ?」
ー若山事件前後には、自宅から一切出ていません。若山事件が報道され、行動を自粛していますー
「確かな情報か?」
―当時の端末のログを精査しました。ここで一点だけ不都合も生じましたがー
「不都合?」
ー政府閣僚が自らの端末の位置情報を秘匿するようになりましたー
「いやそれはおかしい。若山事件後もGPS情報は筒抜けだっただろう?」
ー大筋ではそうです。ただ、ログを隠すようになったー
「被害者側だからな。あり得なくもない話だ」
ーZoo.は高山祥子議員の予定を調べたのでしょう。議員のスケジュールはある程度公開されていますからー
「それで奈良県で攫った」
ーその通りです。女川夫妻も同じようにスケジュールを把握されていたんでしょうー
「同時に殺せないなら諦める可能性もあった?」
ーあったでしょう。しかしZoo.には強烈な動機もあったはずです。だからこそ連続犯行に形を変えてまで目的を完遂させたー
「目的?」
ー国民の敵の排除ですー
「その目的は本当に完遂されたのか?それともまだ続きがあるのか?」
ー私の推測では完遂されたはずですー
「どの事件が最後だ?」
ーソレが私にもわからないんです。女川夫妻の事件で終息したはずです。ところが瀬戸内で起きた後藤事件で、若山事件と繋がりが出てきたわけですー
「そうだ。たばこの吸い殻から検出されたDNAが一致した」
ーさらに、謎の人物だった右手が義手の男だと判明したー
「そこから捜査に進展は無い」
ー右手が義手の男は国民には該当者なしです。ただZoo.の起こした犯行の根底は日本国民の怒りだと思われましたー
「だからこそ、Zoo.の主犯は日本人だと断定した。検出されたDNAも日本人説を裏付けることは出来たんだ」
ー何故、最初の事件と最後の事件が繋がったんでしょうか?ー
「ソレは・・・DNAが出たからだ」
ーこの事件は非常に複雑だと思われましたー
「複雑さ。Zoo.以外にもテロは起きた。個人的恨みで鉄砲をぶっ放した馬鹿までいる」
ー私には膨大なデータ処理能力がありますが、人間に劣る部分もあります。人間以上でもあり、以下でもある。私はある結論に達しましたー
「ソレでレベル5の捜査を辞めたと言うのか?」
ーそうですー
「月が出した結論はなんだ?」
ー捏造されたデータがある。具体的にはGPSログと”証言”ですー
「なんだって?」
ーZoo.の主犯を仮に「A」と呼びます。この一連の事件の中で「A」は二人いますー
「ふざけるなっ!DNAの一致は科研が解析したんだぞっ!」
ーAが二人いないと若山事件と後藤事件は起こせないんです。桐山さんの指示で後藤事件絡みの端末は全て割り出しましたが、若山事件との接点が無いんですー
「見落としがあるかも知れない。少なくとも”A"が二人いるなんて話の方があり得ない」
ーこの証拠のDNAも捏造でしょう。一貫して証拠を残さないZoo.がなんでこんな明らかな証拠を残すのでしょうか?ー
「若山事件ではまだ、犯行に不慣れだった。後藤事件ではケアレスミスだ」
ーケアレスミスですか?ー
「そうさ。リーダー・・・義手の男は急に他のメンバーに呼ばれて慌ててタバコを揉み消した。まさかその吸殻を盗まれるとは思っていなかっただろう」
ー故意に吸い殻を盗ませた。盗まれなければ現場のどこかに残す気だったのでは?ー
桐山は衝撃を受けた。そこまで計算ずくで行動出来るものなのか?もしも出来たと言うなら、偶然に頼り過ぎであり、悪魔のような容疑者だ。
ーコレも私が出した結論の一部なんですが、Zoo.の主犯は”kaleidoscopeを”知らない”可能性が高いですー
「分からん、月の言うことが理解出来ない・・・」
ー証拠が残るわけが無いんです。あらゆる可能性を潰しているんです。だからこそ、kaleidoscopeですら特定が出来ない。推測ですが、Zoo.の主犯はkaleidoscopeで特定出来る条件以上の証拠隠滅を図っていますー
「話はまだ続くのか?」
ーこれもまた推測ですが、Zoo.が持っていた台湾モデルはあの10台だけでしょう。何故ならば、Zoo.はSNSを使う際に、危険を冒してまで他のユーザーに依頼しています。SNS投稿は台湾モデルを使えば危険性はほぼゼロです。Zoo.は台湾モデルは10台あればいいと考えていた。これもまた、連続犯行ではなく同時多発で終わらせるつもりだったと考えれば辻褄が合いますー
「クソがっ!」
ー論理的に考えた場合、最後のピースを満たす必要がありましたー
「最後の?」
ー劇場型犯罪ではなく、観客参加型です。Zoo.の事件に限って言えば、共犯者無くして成立しない事件ばかりです。犯罪は共犯者が多くなればなるほど露見しやすい。しかし、こう考えることも出来ますー
国民全員が共犯者なんです。
桐山は月の声を遠くに聴いた。国民全員が共犯者だと?俺は「容疑者は全国民」だとは言った。容疑者を特定出来ると信じていた。だが「共犯」となると話は違ってくる。「共犯だった」ことの立証は難しいのだ。特に今回のような「不特定多数を含んでしまう」事件では。
国民が「白でもあり黒でもある」とは考えもしなかったが、ちょっと考えれば分かったことだ。「見逃す」と言うだけの共犯になることは容易い。ましてや、最初の事件で「国民の敵」を被害者にしたのだ。国民を共犯者に仕立て上げたのは日本国政府であり、政治家なのだ。
ー故に、私はZファイルを最後に捜査を辞めました。あのファイル内にZoo.の主犯は居るでしょう。しかし特定は不可能です。そして「瑞鳳」が現れましたー
「あのクソッタレアカウントかっ!」
ー扱いに困るアカウントです。FUJIYAMAはアメリカ資本ですー
「そうだよ。もっと言えば米軍がスポンサーさ」
ーアカウントを凍結する理由が無い。犯罪教唆はしていませんから。「瑞鳳」は情報を投稿するだけです。教唆を行っているのは国民の誰かです。時計のカタログの制作者は不明のままですー
「黙って見てるしかないのか?」
ー私は更なる解答を得ましたー
「何だそれは?」
ー桐山さんは国内に何台のスーパーコンピュータがあると思いますか?ー
「1台じゃないのか?色々と記録を更新しては破られて、新設計のスパコンが残る」
ー古いスーパーコンピュータは解体されたと公表されることが多いですが、実際は政府に接収されたり、民間が買い取って運営することも多いんですー
「ソレがZoo.の事件と間の関係がある?」
ー私は古い設計ですが、「富嶽」を瑞鳳に提供することにしましたー
「ば、馬鹿野郎っ!敵に武器を与えて”撃ってください”と言うつもりかっ!」
ーバランスを取ります。上手く使えば富嶽の性能でも、現在運用中の「サクラ」に対抗出来るでしょう。もしも瑞鳳が抹殺されたら、国内は大混乱に陥りますー
「だからと言って・・・政府閣僚が許すものかっ!」
ー引き渡しは1時間前に終わりました。いくつかのクラウドに分割された富嶽は完全な形で復活するはずですー
「ねえ桐山さん」
「何だ、この悪魔め」
「悪魔で結構です。僕はTHUKUYOMIがどんな結論を出そうと、支持するつもりでした。そしてほぼ想像通りの結論が出ました」
「Zoo.の逮捕は無理だと?」
「いえ、僕もZoo.の逮捕に全力でした。ただ相手が悪かった」
「kaleidoscope、いやTHUKUYOMIは政府に取り上げられることになる」
「桐山さんは、何故ここが”無風状態”なのか知りたいでしょう?」
「そうだ・・・ここはとっくに官僚が乗り込んできてもおかしくは無かったはずだ」
「月の能力は非常に高いんです。政府閣僚や内調が見ているkaleidoscope班は月が作っているミラー動画です」
「ミラー?」
「偽の動画ですよ。そのミラーは政府閣僚たちに従順です。きっちりと報告もあげてます。嘘の報告をね」
「なんだとぉ?」
「言ったでしょう。月は”嘘を吐ける”ほど知能的なんです」
「だが、瑞鳳に協力したとなるとただでは済まんぞ」
「済むんですよ」
佐川は腰の後ろに挿しこんでおいた拳銃を抜いた。
「さようならです」
「銃を向けたなら撃て・・・か」
2発の銃弾を受け、桐山は崩れ落ちた。
「課員に告ぐ。全員、自分の端末をログアウトさせてこの部屋から退出しろ。桐山次長はTHUKUYOMIの破壊を試みて射殺された。THUKUYOMIは桐山次長が直前に打ち込んだキーワードを不正と判断してセーフモードに入った。僕はTHUKUYOMIをセーフモードから復旧させたのち、政府に引き渡す」
ヘリコプターは着陸の際に少し揺れた。この島へのアクセスは連絡船とヘリしかない。好天ならば今日のようにヘリでも連絡船でも辿り着くことが出来る。
東京都の「最果て」である青ヶ島。
ヘリは空港棟の横に着陸した。この「空港」はほぼヘリコプター専用の狭いモノだ。お情け程度に整備された滑走路に安全に着陸出来るセスナのパイロットも少ない。
ドアがスライドして、若い男が降りてきた。すぐに振り返って機内に手招きをする。ほぼ落ちるようにドアから出てきた女性を抱きとめる。微笑ましい夫婦だった。
男が前を歩き、女性が付き従う。
その時、男の眼前に中年男性が立ち塞がった。男はぎょっとして女性ー妻ーを背後に隠した。中年男性は無精ひげを伸ばし、ヨレヨレのスーツを着込んでいた。10月下旬、この島はまだ夏の名残が残っているようだった。
「よう、元気だったか?柳瀬・・・の弟」
「桐山さん?」
「憶えてくれていて光栄だよ。兄貴は元気か?」
「兄ですか?北海道で暮らしているはずです」
「寒さの厳しい土地だろうなあ」
「・・・どうしたんですか?ネットでは特捜部にいると噂されてましたが」
「俺は死んだのさ。こうするしかなかった」
「どういう意味ですか?」
「ざっくばらんに行こうや。特捜部は少々複雑な立ち位置でな。安全に退職するには死んだことにするしかなかった。同僚と言うかまぁ上司だな、その計らいで死んで円満退職さ」
「上司と言うと佐川さんですか?」
「知っているのか?」
「SNSをぼんやり眺めているだけで情報は入ってきますよ。国立理工学部に現役合格、そこを2年で退学して防衛大に入学した変わり種」
「ふーん、SNSって凄いんだな」
「あと、俺の業種では”天才”と呼ばれていた人です」
「まあ、ありゃ確かに天才だ。お前には劣るがな」
「俺に?俺は2流大学卒業ですよ」
「俺がここにいる理由。察しが付くだろ?」
「・・・」
「まあいいや。勝手に喋らせてもらうし質問もする」
柳瀬隆二は両手を腰の高さで広げて(どうぞ)と促した。
「俺たち特捜部はあのZoo.を追っていた」いいな?と柳瀬に合図する。
「主犯は悪魔みたいな男だった。一切の尻尾を見せずに消えちまった」
「消えた?」
「だが、今その男は俺の目の前にいる」
「はあ?俺がZoo.の主犯だってことですか?」
「見事だったよ。お前を特定することは、違法捜査を駆使しても無理だった。だがお前が1点だけ見誤ったことがある」
「何のことだか・・・」
「お前が見誤ったのは”人の記憶”だよ」
「記憶って・・・」
「俺には柳瀬隆と言うダチがいた。今は北海道か。その弟がギフテッドだった。お前のことだよ、柳瀬隆二」
「ギフテッド?」
「とぼけても無駄さ。そのギフテッドは周囲に溶け込んで隠れちまったが、ある”癖”があった」
「癖?」
「文章を書く時に、英語が混じると無意識にピリオドを打ってしまう。そのせいで英語の成績は人並み以下・・・見せかけだったろうけどな」
「いつ気付きました?」
「犯行声明さ。不自然なピリオドの使い方が独特だった。ところが警察は・・・特捜部もこの点を軽視した。結果がアレさ」
Zoo.の逮捕が出来ないとあっては、kaleidoscopeを運用する必要性は無いと判断された。この「国民監視システム」を喉から手が出るほど欲したのは政府だった。接収するタイミングを見計らっていた内調室長は、佐川が桐山を射殺した映像を見て内閣に承認を求めた。強制接収すべしと。
庁内での現職による殺人事件である。出来ることなら事実そのものを闇に葬りたい。閣僚との利害は一致するはずだ。多少の時間はかかったが、桐山の遺体が運び出されてすぐに、内調の実行部隊が突入した。
佐川は抵抗しなかった。それどころか進んでkaleidoscopeを引き渡した。桐山は次々世代型AIであるTHUKUYOMIに不正アクセスを試みて佐川に射殺された。この件については不問に付すと言う条件に応じた形だ。
佐川の一世一代のトラップは発動した。150台あった接続済みの端末のうち148台はログアウトしている。2台の所在は不明だ。桐山射殺動画はTHUKUYOMIが作ったフェイクであったが、真相を知るのは佐川と桐山だけだ。欣喜雀躍とアクセスを試みた内調の職員は絶望した。運用自体は第一パスワードを知れば可能だった。そのパスワードは佐川から入手している。ところが、運用にあたっては、ログインしているアカウントの個人情報が求められ、運用すれば開示される仕組みになっていた。
仕様変更に必要な第二パスワードが不明なのだ。更なるトラップがあった。第一パスワードでの運用開始時に「kaleidoscopeの概要」が公表されるのだ。
そしてTHUKUYOMIはそのまま引きこもっている・・・
「佐川は一瞬の隙をついて逃亡した。今はどこにいるか俺も知らない。THUKUYOMIにアクセス出来る端末は佐川が持っているはずだ。漏洩したkaleidoscopeの概要の一部だけで蜂の巣を突いたような騒ぎさ。この騒ぎに乗じて”瑞鳳”が勢力を伸ばしただろ?」
「政府の権威は完全に失墜・・・でしたね」
「違法捜査だったからな。俺も片棒を担いだが、恥てはいない」
「どうやって俺を探し出しました?」
「捜せなかった」
「えっ?」
「お前が犯行を行った痕跡さえ残っていなかったんだ。お前は早々に容疑者ではないと判定されていたからな」
「・・・ソレで?」
「その前に訊きたいことがある」
「なんですか?」
「若山事件と後藤事件で発見されたDNAをどうやって一致させた?」
「簡単ですよ。俺が拾ってきた吸い殻を使っただけです。万が一にも犯罪歴の無い男の吸い殻ですけどね」
「ふん・・・後藤事件ではどうやった?」
「執事を部屋に呼び込んだところから全部お芝居ですよ。上手い具合にあの執事が動いてくれたと言うことです」
「右腕は?」
「義手ですか?何でトリックが分からなかったんでしょう?アレは右腕を覆う薄いプラスチック製のカバーだったんですが」
「・・・何故、余計な3人を殺した?」
「お見通しですか・・・国民の敵だったから・・・ですかね?」
「お前のターゲットは高山祥子と松下正義だけだった」
「ご名答」
「お前の口から訊きたい。何故この二人を狙ったんだ?」
「その前に俺も訊きたい。よくターゲットを絞り込めましたね」
「この二人の殺し方が”異質”だったからさ。Zoo.の犯行は檻にこだわっていたはずさ。ところが、高山は車の中で、松下は行方不明のままさ。もう殺したのか?」
「さて?死んだでしょうね」
「ところが、だ。瀬戸内の後藤事件で俺はまた迷宮に迷い込んだ。お前を追ってはいたが、全く接点が無い。DNAや義手の件は、主犯と思しき男を指し示しているはずだったからな」
「でも諦めなかった?」
「刑事の”勘”って奴さ。最後まで尻尾すら出さなかったお前の勝ちだ。特捜部の捜査手法を知っていたのか?」
「知りません。ただ、個人情報を使うとは思いました。ならば手っ取り早い”情報端末”を洗うだろうとね。そんな証拠を残さない方法は簡単でした」
「お前にとってはな。お前は9月10日に入院している。いや、9月9日深夜だな」
「そうです。原因不明のままですが」
「お前が使ったドラッグは”コールドスリープ”さ。このドラッグは国内にはまだ少ない。面白いドラッグで、服用後5分ほどで意識を失う。ちょっとしたショック症状を伴うが、バッドトリップが無い。消失した意識が見る”夢”に期待するって程度だ」
「驚いたな・・・よく特定出来たもんだ・・・」
「簡単さ。薬物反応が出ないドラッグを探しただけだ」
「で、入院がどうしました?」
「拳銃。使った馬鹿も自首した主婦も9月10日に入手している。お前が入院してる最中さ」
「拳銃は9月8日に配ったんです。その後、9月10日に指定の場所に行ってうろついてもらっただけです。ああ、新潟事件のスマホ写真も10日に撮影してもらいました」
「お前の張った罠に全部引っかかったわけだ。気分はどうだ?」
「最低ですね。しかし証拠も無しに俺を特定したわけでしょ?」
「90%”クロ”だと思った。最後のピースが出て来て確信した」
「最後のピース?」
「AIが極秘で入手した政府の機密ファイルに、お前のオヤジさんが勤務していたステップファミリアがあった。そして松下と高山の名前もあった。何があったんだ?」
「あの二人はつるんで女児をレイプしたうえで殺害することをくり返していた。殺害されないまでも、死ぬまで誰にも言えないほどの脅迫を受けていた」
「どこでその情報を得た?」
「俺のオヤジは高山祥子の仲介で、松下正義に12歳の少女を紹介した。まさかあんな鬼畜とは知らずに、ね。その女児は抵抗した時に頭を酷く殴られて死線を彷徨った。オヤジは松下から口止め料5千万円を受け取って、4千万円を女児に残した。その女児が今、俺の後ろにいる妻の月子ですよ」
「お前の家は割と裕福だったはずだが?」
「貧乏ではないって程度にね。俺はその女児を探しました。とにかく何の情報も無かったんですよ。偶然・・・そう偶然に知ることが出来た」
「聞いておこうか」
「高卒の天才少女。ろうあ者だが、ハンデを乗り越えて植物学を自分で学んでいた。旧姓九十九月子。俺が知っていたのはイニシャルだけでしたが」
「お前、その妻の復讐のためにこの国を転覆させる気だったのか!?」
「国内は混乱はすると思ってました」
「ギリギリで踏み止まっただけじゃねーか、ふざけるなっ!」
「俺は最悪でも”日米開戦”で終わると考えていますよ」
「日米開戦だぁ?」
「そうです。日本政府が出来ることは、一時的にこの国をアメリカに占領させ、政治も人心もリセットする。一番低リスクで効果的なはずです」
「GHQのことを言っているのか?」
「はい?ああ、あのSNSアカウントのことですよね。アレは多分、情報屋ってところでしょう。今、国民の心の拠り所となってる瑞鳳、アレは”囮”でしょう」
「瑞鳳が囮だと?」
「そうです。政府の命運は国民が握りつつある。ただ、旧来のままの瑞鳳では荷が勝ちすぎる。もっと強力なアカウントが出てくるはずです」
「そこまで予測済みだったのか?」
「日米開戦までは。SNSアカウントの動向は・・・考えないと分かりませんね」
「松下と高山は同時に殺すはずだった、そうだな?」
「その通りです。高山のガードが硬くてね、作戦変更となっただけです」
「共犯者はどうした?」
「はて?共犯者がいるとしたら、俺が確実に逃げさせるはずですよね?」
「ふん・・・どうやった?」
「特捜部でしたっけ?個人情報が筒抜けと言うのが盲点ですよ。膨大なデータ量をさばくために、個人情報も数値化してるはず。ならばと、その”数値の海”に投げ込んだ。ま、彼の個人情報も僕が作った偽物ですけどね」
「ソレはなんだ?」
「言えません。俺には彼らを守り切る義務がある」
「何故、お前はこの島に来た?」
「桐山さんこそ、何故ここで待っていたんですか?連絡船もヘリも、予約無しでは乗れないほどの混雑具合です。どのくらい待ちましたか?」
「2週間さ。お前は必ず”逆の行動”をすると踏んだ。この孤島に逃げ込んだら袋のネズミだとね」
「だからここに来ると?」
「実際にお前はここに来た」
「妻の研究の都合ですよ。アマチュアみたいなもんですが、植物学者でね」
「・・・お前を裁ける法律は無い。当たり前だよな」
「立証すればいい」
「無理さ。お前には勝てない・・・」
「柳瀬隆二、お前は死刑だ」桐山は静かにホルスターから拳銃を抜いた。照準をピタリと柳瀬の眉間に向けた。
「この距離は、俺にとってはゼロ距離だ」
瞬間、低く熱い風が吹いた気がした。月子が桐山と夫の間に立って「とおせんぼ」をした。桐山を見詰めながら胸を張って立つ。
桐山は月子とたっぷり5秒間は見つめ合った。
「悪い人間じゃ無さそうだ・・・」桐山は撃鉄を戻すとセーフティをかけた。「だが、次は無いぞ」
「桐山さん、ひとつ訊いていいですか?」
「何でも答えてやるさ、知ってることならな」
「俺を追い始めた時から、いつでも逮捕は出来たはずですが?」
「ふん、俺も日本国民なんだよ」
時は静かに流れていく。
「木田ぁっ!」
(ゲッ、バレてやがる・・・)
木田は緊張しながら、空港車両の陰から出る。大久保も従うことにした。逃げても無駄だ、この島は「最果て」の場所だ。
「ハッ!」
「今の会話は記憶から消せ。それと、お前の宿に泊めてくれ。俺は次の便で本土へ帰るが、お前は知らなくていいことだ」
「ハッ!」
桐山は木田の横を通りざまに「メモ」を手渡した。
(俺の名は桐山じゃない。遠山だ)
誰もがこんな方法を思いつくのだろう。
メモなら「残すも消すも自由」のだから・・・
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