第1章 Lion.
「本件を広域重要指定1〇4号とする」
警視庁小会議室で開かれた捜査会議で、捜査第一課・重野雄一が宣言した。被害者は出ていないが、警視庁日野署・長野県警・北海道警にまたがる事案を「一つの事件」と断定したのだ。日野署に宅配便で送られてきた「プラスチック製の檻の模型」と、長野県警にはその檻の「仕様書」が郵送され、同日、「Zoo.」と署名のようなものが添えられた文書は「本物のプラスチック爆弾」と共に発見されている。「Zoo.」は、日野署に届いた檻の模型の中に置かれたプレートと合致する。日付をピタリと合わせての「挑戦状」だと、警視庁一課の重野は怒気を孕んだ声で告げたあと、各部の報告を促した。重要度の高い順、つまり北海道警・長野県警・日野署の順である。
「不詳ではあるが、本件の被疑者と呼ぶ。被疑者が北海道弟子屈郡の農具小屋に遺棄、または設置した”爆発物のようなもの”の鑑定結果から。コレは本物のプラスチック爆薬、通称C4と呼ばれるものであり、1つは自衛隊が使用しているものと判明。同じく発見された爆発物は手製のC4と判明。自衛隊に確認したところ、盗難された事実はない。また、同爆発物と共に発見された電気式雷管も起爆させるに十分なものであった。更に、小屋内を捜索したところ、窒素系肥料を積んだ場所に”軽油”の入った小瓶が置かれていた。コレは被疑者が”アンホ爆薬”も作れると示唆したものと思われる。同爆発物が置かれた時間は大まかなものだが判明している。同日午後04:35分頃、小規模な地震が起こり、小屋内の梁から埃が落ちたようだが、爆発物が入れられていた金属製の缶には埃が付着していなかった。つまり、午後04:35から、発見通報までの約40分の間に置かれたと思われる」
「犯行場所付近に監視カメラ等は?」
「同地は過疎が進み、付近に人家は無し。またこの時間帯に付近道路を通った車もいなかったと思われる。同農具小屋の前を通る道は一本道で、2㎞先にコンビニエンスストアがあるが、不審車両は映っていない」
「次。長野県警」
「本署に届いた”檻”の仕様書について。大きさは230㎝四方、高さは165㎝と、かなり大型の物で、いわゆる大型犬用の物である。太さ1㎝の鉄製の柵で囲われ、床材は木製である。市販品では該当物が無く、特注品と思われる。現在、製作元を探している。被疑者によってある改造が施されている。詳細は資料を見ていただきたいが、柵と柵の間、6㎝ほどであるが、ここに赤外線探知装置が2台ずつ設置されている。目的は不明だが、恐らくは柵の間からの侵入を探知するためだと思われる。総数248台の探知機が設置されていると思われる。出入口は1か所のみ。扉を閉めると、柵が面一になる設計である。工作器具等での破壊は比較的容易であるが、人力のみでは破壊不能な程度の強度アリ。この仕様書は専門家が作図している。目下、この仕様書を作成した会社・事務所・デザイナーの割り出しを行っている」
「指紋、または微物は発見されたのか?」
「指紋は検出されていません。また微物についても分かっていません。開封時に付着したと思われる本署課員のDNAと照合中の物が6サンプル」
「次、日野署」
「日野署管内での捜査状況から報告します。先ず、長野県警に届いた仕様書に関して。差出人が当署第一課となっておりますが、この事実はありません。長野署から報告を任されておりますが、この仕様書の入った封書は当署管内の郵便ポストに、前々日の夜間から未明にかけて投函されたものだと判明しております。住宅地のはずれにあるポストであり、監視カメラや付近走行の車のドライブレコーダーに記録は無い。漏れはあると思われるが広域捜査とはなっていないので、住民等に対する呼びかけは行っていない。届いた檻、大型犬用の物と思われる犬舎の模型だが、仕様書に忠実に作られている。素材はプラスチックではあるが、非常に精密な物で、恐らくは専門家若しくは模型を作り慣れている者が制作している。使われている材料、接着剤は日本全国のホームセンターや100均ショップで入手可能であり、ここから被疑者を割り出すのは困難だと思われる。ただし、模型は差出人払いで同じく日野署管内のコンビニエンスストア、国道20号線〇〇店から発送されている。店内防犯カメラには差出人、被疑者とは断定出来ないが若い男が映っている。こちらは特定が出来次第、参考人として任意で事情を訊くことになる」
「その男の特定は可能なのか?」
「差出人はこのコンビニエンスストアを利用することが多かったと、店員が憶えていた。宅配便を出すことが初めてで、かなり大きな物だったので記憶していたようだ。数日中にも特定出来ると思われる。本署署員が交代で張り込んでいる」
特に質疑応答は無かった。全員が配られた資料で事件の概要は掴んでいたからだ。最近の会議では時間のかかる質疑応答を避けるため、予め「知りえた全て」を資料として配布する。なまじ質疑を行い、各員がメモを取るよりも正確だからだ。そして、質疑応答の内容をまた資料にして・・・と言う無駄な手間も省ける。
会議を終えた各担当署の面々は三々五々散っていく。急ぐでもなく、のんびりとでもなく染み付いた機敏な動きで。
「なぁ、どう思う?」日野署の木田は運転席に座る同僚に聞くともなく聞いた。コンビニを監視出来る場所に覆面パトカーを停めて、コンビを組んで3年目の若い刑事、大久保とここにいる。
「コレ、一課の仕事ですかね?」大久保はぼんやりとコンビニを見ながら答えた。「広域指定で爆発物。更には警察への挑戦ときたら、面子もあるしな」木田は煙草を咥えながら返事をする。
「僕は上からのお達しには逆らいませんが、この線は無いかと思います」
「そうだ。被疑者は・・・Zooだっけ?神経質なぐらい証拠を残していないのに、この宅配便だけは妙に”雑”なやり方だ」
「宅配便の発送は確実に対面ですからね。フリマサイトあたりなら無人投函ポストもありますが、それだって監視カメラの目からは逃れられない・・・」
「だから雑なんだよ。送られて来たのは檻の模型だ。この事件で必須な物じゃない」
「何故です?」
「爆発物、プラスチック爆弾を置いてから、それこそどこでもいいから警察署に自分で通報して、長野県警に送った”仕様書”で警告でも書けば用は足りた」
「警告って?」
「爆発物所持。犯行を起こすことも出来る。それだけでいいんだ」
「僕も大筋では同じ考えですが、模型を送ってきた真意はあると思います」
「なんだ?」
「よく分かりませんが・・・自己紹介ですかね?」
「なんだそりゃ」
「示威行動とも思えますが、ソレは木田さんの言う通り無駄だと。しかし思惑無しにこんなリスクの高いことはしない」
「で、理由が”僕たちはZooと言います”と自己紹介ねぇ・・・」
15分後、コンビニの非常灯が一瞬赤く光って回転した。ほんの1秒ほどだが、打ち合わせたとおりだ。宅配便を差し出した若い男が来店したのだ。ぼんやりと見ているようでいて、大久保は若い男が徒歩で来店したことを把握していた。
「車ではないようですね」
「よし、行こうか」
大久保は車をコンビニの駐車場に入れた。国道沿いとは言え、この辺りのコンビニには駐車場があることが多い。都区内では考えられないことだ。エンジンを停めてシートベルトを外し、ドアロックを解除した。店内レジの店員が頭上に大きく円を描く。「今出ていく客が差出人です」と言う合図だ。店から出てきたのは金髪にピアスの、いかにもな風体だった。近所に住んでいるようで、サンダル履きにジャージ姿だ。
「最近の若いのを見ると、ちっとばかりこの国の将来が心配になるわ」
そう言うと、木田は車外に出た。金髪の男はコンビニの袋をぶら下げてダラダラと歩いていく。大久保も出てきて、リモコンでドアをロックした。
「どうします?」大久保が囁くように訊いてくる。「何もこんな場所で話かけんでも、静かな路地にでも入ったところで任意同行を求めりゃいいさ」木田はもうやる気を失っている。どう考えても「行為指定事案」の被疑者には見えない。木田の勘では、被疑者は相当な知能犯に思えるから、この金髪の兄ちゃんが関係者とすら思えない。コンビニを出て左方向に歩く若い男。すぐに路地に入る。路地は入ってすぐに「1mほどの段」をあがるように伸びて、その先は住宅地になる。斜面を登ったところで大久保が若い男の前に出て正面に立つ。「日野署の者だ、ちょっと話を聞かせてくれないか?」警察バッヂを見せながら話しかける。瞬時に若い男の顔が引き攣った。大久保は(この餓鬼、当たりか?)と思ったが、強引なことは出来ない。最近は「人権」とやらで、あとあと面倒なことになる可能性もある。大久保と若い男の時間が数秒、凝固した。そして若い男は振り向いて走りだそうとしたが、そこには木田が立っている。また振り向いて、今度はコンビニの袋を振り回しながら大久保に突っ込んでいく。大久保はコンビニの袋をよけながら、横をすり抜けて行こうとする若い男の足を引っかけた。派手に転んだ若い男の尻を踏みつけながら「公務執行妨害で逮捕」木田が時計を見て告げる。「13:17、緊急逮捕、だ」
取調室の椅子に座らせた。要請したパトカーで署に戻ったのは木田で、大久保はコンビニに置いた車両を引き揚げてから取調室に来る。
パイプ椅子に座った若い男は不貞腐れたように椅子を傾けては揺するように前後させている。
「工藤新一、おいこれ本名だよな」思わず噴き出しそうになる。若い男は小さな声で「バーロー」と答えたので、木田はこらえきれずに噴き出した。「チックショ、こんな名前のせいで・・・」
「で、工藤さん。何で逃げようとした?」
「別に何でもねーよ。びっくりして、ソレだけだよ」
「工藤さんは補導歴があるよな。こんなのはすぐにバレる。またやったのか?」
「やってねーよ。もう葉っぱもクスリもやってない」
「じゃ、逃げなくてもいいじゃねーか。アレか、やってないけど売ってますってか、あ?」
「やってねーって言ってるだろ。俺は何で捕まったのかも分からねぇ」
「公務執行妨害だよ」
「なんだそりゃ?」
「丁寧に説明して欲しいか?工藤さんは公務で職務質問をしようとした大久保刑事、あの若い刑事だが、の顔をコンビニの袋で殴打して現場を立ち去ろうとしたので、俺が緊急逮捕したコレで分かったか?」
「殴ってねーし」
「で、この後だがな。正式に逮捕状が出て、そうだな10日間は留置場に身柄を置くことになる。10日間、土日を除いて毎日午前午後の3時間ずつ、俺とゆっくり話せるな。友達になれそうかい、俺は」
「ふざけんなよっ!分かったよ、電話させろよ。弁護士を呼ばないと何も話せねぇからよ」
「補導歴3回で多少の知恵はついたみたいだな。残念だが無理だ」
「何でだよ、勝手なことを言ってんじゃねーよ」
「おい、小僧。警察を舐めるのは辞めた方がいいぞ。お前に殴られた大久保って刑事の診断書、出そうか?警官や刑事への暴行傷害は意外と罪が重いんだよ。弁護士なんざ、診断書1枚で黙らせることが出来るんだ」
「殴ってねーってっ!」
「コンビニの袋を振り回したよな?」
「・・・あぁ」
「アレが大久保の顔面に当たったんだ。分かったか?」
「当たってねー、お前だって見てただろうが」
「袋が大久保の顔に当たるのを”見た”っけな・・・」
「ふざけんなよっ!」
「ところでよ、俺は割と不真面目な刑事でな。まだ逮捕状の請求をしていないんだ」
「なんだよソレ」
「なぁ工藤さん?お前さんはまだ正式な手続きを踏んで逮捕されたわけじゃ無いんだ。ちょっとばかり正直に話を聞かせてくれるなら、今すぐ”任意の事情聴取”に切り替えてやることも出来る。嫌なら3時間後には逮捕状が出る。どうする?」
「別件逮捕かよ」
「別件も何も、工藤さんが大久保を・・・なぁ?」
「分かったよ、話すよ。でも何を話せばいいんだよ?」
「工藤さん、取り敢えず恐喝の件は置いとくな?金を返せば大ごとにはしないって、学友って言うのかい?彼がそう言ってたが、胸倉を掴んで脅したら強盗致傷でほぼ実刑になる」
「てめぇ、脅してるのか?」
「俺の名前は木田だ。よろしくな工藤さん」
「チッ・・・」
「分かればいい。大久保も警察病院からここに向かってるはずだ」
「で、なんだよ訊きたいことは?」
その時、ちょど大久保が取調室に入ってきた。
「あー、また木田さんは記録係もつけないで」(笑)
「いや、任意だしな。工藤さんは俺の友達になってくれると言うし」
「調べは進んだんですか?」
「いや、ちょうどこれからだ。記録頼むわ」
「はいはい・・・」
「工藤さん、4日前にあのコンビニで宅配便を発送したよな」
「ああ、送っただけだけどな」
「おい、言葉遣いを直してやるために逮捕状の請求はしたくねーんだぞ」
「すいません」
「分かりゃいさ。その荷物を送ったのは間違いないな?」
「ないっす。アレ、何かヤバいブツだったんですか?」
「ちゃんと話せるじゃねーか。お前、中身を知らずに出したのか?」
「アレは頼まれたんだ・・・頼まれたんです」
「ああ、いい、いい。普通に話した方がペラが回りそうだ。誰に頼まれた?知り合いか?」
「違うよ。なんと言うか・・・代理で出してくれって、ポストのところで」
「コンビニの傍の郵便ポストか?」
「そうだよ。リーマンっぽかった」
「そんなお願いをホイホイと請けたのか?」
「1万円くれるって言うからさ・・・ヤバいのか?」
「あの荷物に仕込まれた毒物で3人が死んだ」
「マジかよっ?」
「嘘だよ。ただのプラモデルだった」
「脅かすなよ、ビビるじゃんか」
「1万円のチップを払うなんて、マトモなこっちゃないのは分かってるよな?」
「あのリーマンが危険な物じゃないからって言うし、金欠で困ってたし」
「いい勉強になったな。余計なことをするとこうなることもある」
「・・・・・・」
「急に黙り込んだな。大久保、お茶と弁当を出してやれ」
「ソレ、拙くないですか?」
「利益供与?いや、昼時に来ていただいて、せっかく買った弁当も台無しじゃこっちが悪いみたいじゃないか」
「仕方ないっすねぇ、冷えた弁当しか無さそうですが・・・」
「さて、工藤さん。黙り込んだってことは”お察し”ってことだろう?」
「そのリーマンのことっすか?」
「そう言うこと。割と頭いいんだな」
「飯で釣る気か?」
「いや、こっちのやり方はさっき教えた。飯はサービスさ」
「あのリーマンさ?」
「おう、腹がいっぱいになったら話すパワーも出たか?」
「知りたいのはあのリーマンのことだろうって」
「そうだ。単刀直入に訊く。どんな男だ?30代ってとこか?」
「知ってんじゃないっすか・・・」
「知らんよ。ただ工藤さんの世代がおっさんと呼ばないから察しただけだ」
「顔はよく分からない。眼鏡をかけて、白いマスクをしてたし」
「今はどこもマスクばっかりで人相も分からんなぁ」
「でも・・・」
「でも、何だい?」
「なぁ。コレは殺人とか大きな事件じゃ無いんだよな?」
「ソレはこれからってことだ。あの荷物が鍵を握ってるかも知れんってだけだ」
「証拠とか無いっすよ。1万1千円渡されて、発送票を渡そうと思って店を出たら、もういなかったんだ」
「そうか。で、貰った1万円はどうした?」
「ソレがさ、荷物が大きかったんで千円では足りなかったんだ」
(そこまで計算済みか・・・)
「で、どうした?」
「預かった1万円があるし、そこから出したよ。1400円ぐらいだったと思う」
「正味9600円のバイトか。割はいいな」
「言っとくけど、あの日の金は全部銀行に預けたから」
「貯金が趣味かい。そうは見えないが」
「引き落とし、分かるっしょ?」
「そこまで金欠ならアルバイトもしたいよな」
「身長は俺と同じくらい、175㎝はあった。デブではないけど痩せてもいない感じ」
「特徴無しか・・・」
「あのリーマン、義手だったよ」
「おいっ!ソレは本当か?」
「憶えてるんだ。札を持った手は動かなかった」
「義手とは限らんだろう」
「親指と人差し指で挟んで差し出してきたんだ。クリップから引き抜いた感触だったよ」
「どっちの手だ?茶碗を持つ方か?箸を持つ方か?」
「そんな言い方すんなよ。右手だった」
工藤と言う男はその後すぐに解放されたが、「重要参考人」として当面は警察が警護する可能性もあると言い渡された。木田が言うには「やんちゃ坊主にちょっとお灸」と言うことらしい。それに事件の進展次第では、被疑者が「接触した人物」を消す可能性もあったからだ。
捜査は完全に行き詰った。見事なまでに物証が無いのだ。一縷の望みがあった宅配便の線も消えた。荷物を渡されたと言う場所は郵便ポストから3m離れていて、ここから4mほどは監視カメラの死角になっていた。また、付近の監視カメラの映像をしらみつぶしに当たっても、一斗缶ほどの荷物を持った人物は映っていなかった。東京方面に向かう反対車線から渡ってきたと結論された。反対車線の歩道には監視カメラが無い。発送票の筆跡もお手上げだった。男女すら分からないほどの綺麗な文字で書かれていた。残るはこの筆跡を追うしかない。「動物園発警察署行き」の荷物を出した人物を特定出来ればあるいは・・・
そして、何の進展も無いまま2か月が過ぎた。
「誰かー、誰かいないかー」
小高い丘の中腹にその男はいた。いや、居たと言うよりは「閉じ込められていた」と言った方が正確だろう。大きな・・・人が住むには狭い程度の檻の中に。丘の頂にはちょっとした公園と自販機があるので、メンテナンスやドリンクの補充のため、狭いながらも車が通れる道が真っすぐに伸びていた。その中腹、道路脇の空き地に檻は鎮座していた。GWも明け、また忙しい日常が帰ってくる。そんな5月の中旬。晴れて少々暑いくらいだ。30分もおらび続けていただろうか、空き地の横を通りかかった若い男が気づいて、近づいてくる。
「おっさんか。何やってんだこんなところで」
「見て分からんか。閉じ込められてるんだ」
「檻の中だな、面白ぇや」
「いいから助けろ、礼はする」
「助けろ?偉そうだな、おっさん」
「お前、俺を知らないのか?」
「なに?げーのー人?偉い人?スポーツの監督?」
「テレビくらい観ないのか?」
「は?動画配信サイトがあれば不自由しねえし。テレビはあれだ、偏向報道ってヤツ?」
「近頃の若いもんは・・・」
「おっさん、いいこと教えてやるよ。あんたらの世代は”最近の老害”って呼ばれてる」
「いいから助けろと言っておるんだっ!」
「礼は?金額次第だぞ」
「・・・10万でどうだ?」
「コレさぁ、犯罪臭がするんだよな。巻き込まれるリスクを考えると、桁が1つ足りないわ」
「100・・・分かった200万でどうだ?」
「まいっか。どれ、こんな檻なんざ壊せそうかな?」
若者は無造作に檻に近づいていく。犯罪の匂いを嗅ぎとりながらも警戒心はゼロに近い。
「ま、待てっ!近づくなっ!」
「何だよー、近づかなきゃ出してやれないじゃないか」
「違うんだ、ば・・・爆発するんだっ!」
若い男が一瞬怯んだ。だが礼金200万は魅力だ。現金で頂けば税務署だって気付かないだろう。若者は金には困っていないが、遊興費はいくらあっても足りないぐらいだ。
「あ?こんな鉄柵、サンダーで切ってやるよ。5分でな」
「だから分からんのかっ!爆発すると言っておるだろうっ!」
「偉そうやな。時限爆弾だろ。今からサンダーを取りに行って、15分もあれば出してやれるって」
若い男は檻の鉄柵に手を伸ばそうとした。
「やめろっ!触るだけで爆発するんだっ!」
「何だよそりゃ・・・仕掛けがあるってことか?冗談だよな?」
「知らん。知らんが、そう説明されたんだ」
「それじゃ助けようがねーよ。おっさん、どうして欲しいんだよ」
「俺はあんたが、閉じ込めた連中の仲間かも知れないと思っただけだ」
「俺は犯罪はやらない。善人でもないけどな」
「警察を呼んでくれ」
「はぁ?そんなもん、自分のスマホで呼べばいいじゃねーか」
「取り上げられたんだ。あんた、持ってるだろ」
「まぁいいけどな。電話賃はいくらだい?」
「金を取る気か?」
「出さないなら見なかったことにするよ。おっさん、金持ちなんだろ?」
「10万でどうだ?」
「おっさん、やっぱ金持ちだわ。パンピーとは金銭感覚っつーの?が違うわ」
「どうなんだ?」
「分かったよ、警察を呼ぶだけでいいんだな?」
「そうだ」
「じゃ、先に金だ」
「無理だ」
「何でだよ、それなりにいいカッコしてるじゃねーか。所持金ゼロはないだろ」
「全部取り上げられたんだ。ここから出たら必ず払うから頼むっ!」
「仕方ねーな・・・ちょっと待ってろ」
「おい、どこへ行くんだっ!?」
「いいから待ってろって」
10分後、若い男はペットボトルを2本持って空き地に戻ってきた。
「おっさん、暑いだろ。差し入れだ」冷えて水滴のついた麦茶のペットボトルを差し出してきた。檻の中の男、年齢は60代後半だろうか、ペットボトルを見て喉を鳴らしたが。
「駄目だ。受け取れない」
「アレも駄目コレも駄目じゃ話になんねーぞ。隙間から押し込んでやっから」
「駄目なんだ・・・」徹夜だったのだろう、真っ赤になった目には涙が溢れてきた。
「おっさん?」
「この檻の柵の隙間にはセンサーが通っていて、一瞬でも遮ると爆発する・・・」
「警察の仕事だな、コレ。もう通報はしたからよ、警察が来るまでここにいてやるよ」
「本当かっ!」
「ああ、世の中、悪戯好きな馬鹿もいるしな。おっさんの言うことを信じてやるよ。それに、通報だけして姿を消したら、俺まで追われることになりそうだし」
「詳しいのか、あんた?」
「ジジョーチョーシュってヤツだろ。面倒はご免だから、この場にいた方が得策だろ」
「すまんっ!」
檻の中の男は、胡坐をかきながら頭を垂れた。若い男はその正面の地面に、これまた胡坐をかいて座った。何もしなければ爆発はしないだろうと考えたのだ。
「で、おっさんは誰?」
「本当に俺を知らんのか?」
「知らねーから、警察には”丘の中腹に閉じ込められた男がいる”って伝えただけだ」
「俺は国友党の議員だ」
「へぇ、市の議員さんかい?」
「国会議員だ」
「そりゃいいや、このあと警察が来る。で、おっさんは知人を呼ぶんだろ?その時に約束の10万円、払うように言ってくれよ」
「俺が払う・・・」
「ダメダメ。おっさんはさ、今異世界にいるようなもんだ」
「異世界?」
「そうだよ。おっさんはそこから出られない。こっちもおっさんに手を出せない。全く違う世界にいるんだ。だったらこっちの世界にいる知人から貰った方が確実だ」
「くそっ・・・10万円すら払えずに借りろってことか」
「文無しじゃしゃぁねえべ?しかも檻の柵にも触れられないんじゃなぁ」
通報を受けた山形県警から捜査員が来ることになった。その前に所轄の交番から制服の警官が3人やって来た。通報から10分後のことである。交番の警察官には、県警出動まで1時間はかかると説明があった。通常なら市警に詰めている捜査員が出てくるので、そんなに時間はかからないはずだが、何故か「1時間、現場の保全と通報者の確保」を命じられた。まだ、被害者が国会議員だと知れる前である。
先ずは遠巻きに警官が現場を観察した。空き地の広さはテニスコート1面分ぐらい。その奥に「檻」が置かれていた。土の露出した地面を観察すると、明らかに檻を運んできたと思われるトラックのタイヤ痕があった。ところどころに下生えがあり、その部分にタイヤ痕があるかは分からなかった。檻の中には初老の男、その正面に座っているのは通報者だろう。言葉少なに何やら話し込んでいるようだ。他に人影は無いようだ。一番若い警官が素早くデジタルカメラで状況を撮影した。50代だと思われる警官が若い男に話しかける。
「あなたが通報してくれたんですか?」
「ああ、俺だよ」
「ご協力ありがとうございます」ここで警官は檻の中の男に目をやって、驚愕の表情を浮かべた。
「もしかして、若山さん・・・いや若山国会議員ですか?」
檻の中の男はぶっきらぼうに応じた。「そうだ、政府与党の幹事長の若山だ」警官はその場で姿勢を正し、敬礼した。
「いい、いい。敬礼なんざどうだっていいんだ。ここから出る方法を考えてくれ」
50代の警官は、無線機ではなく携帯電話を取り出した。県警本部に重要事項として報告するためだ。通話ボタンを押して2コールで相手が出た。
「県警の横田だ」
「横田警部ですね?」
「そうだ。何か用か?」
「本官は山形県丘の下交番の川田と申します。先ほど、通行人から”檻に閉じ込められている男がいる”との通報を・・・」
「その件に関しては既に本部から捜査員が向かっているが、何か進展があったのか?」
「いえ、進展はその・・・無いんですが、現場の保存をする際に、囚われている男の人定をしたところ、国会議員の若山幹事長だと判明しまして」
「なんだとっ!」怒鳴り声の後ろで椅子が倒れる音がした。
「はい、間違いありません。若山幹事長です。捜査員の到着が遅いのは何か関係があるのでしょうか?」
「無い。市警に命じて、手空きの者を動員する。君たちはその現場を離れず、完全に保存するように。ところで通報者の特定は出来ているのか?」
「はいっ!通報者は現場に残っております」
「そうか、通報者は確保してるんだな?絶対に逃がさないように」
「了解しました」
1時間を待たず、空き地の前に4名の私服刑事が立った。
「警視庁捜査一課の岡原だ」と、バッジを肩の高さに突き出してきた。
「お待ちしておりました」
「よし。先に鑑識班を入れる。全員、今いる場所から動かないように」
通報者の若い男は、目の前の議員に小さな声で伝えた。「ほらな?」議員も小さな声で応じた。「すまんな・・・」
丘を登る道は封鎖された。幹線道路にあるNシステムの画像も収集され始めた。道路上にある、一見「速度取り締まり機」(オービス)とそっくりだが、道路を走る自動車のナンバーを収集しているのがNシステムだ。情報量が膨大になるため、今も幹線道路にしか配備されていない。ただ、最近は民間の防犯カメラやドライブレコーダーの活用も進んでいることから、Nシステムの増強は先送りになったままだ。
現場に、背中に「鑑識」と書かれた6人の集団が入り、交代するように、通報した若い男と50代の警官が空き地から追い出された。警官は岡原の横、少し離れた場所に立つ別の刑事にペコペコと頭を下げながら、事情を説明してから帰って行った。一方、若い男はキツめの対応をされていた。まだ「被疑者」扱いと言うことだろう。この場では「聴取」も出来ないので、先に人定だけを済まそうと言うつもりなのだろう。
「名前は?」
「川久保修治」
「身分証はあるか?」
「免許証でいいんだろ、コレだ」
「なんであの檻を発見したんだ。通り道ってことは無いだろう?」
「散歩だよ」
「散歩?」
「この丘を登りきると小さな公園があるだろ。そこで缶コーヒーを飲んで煙草を吸うんだ」
「今日は平日だが、余裕があるんだな、ん?」
「フリーターでね。今は無職だ」
岡原警部は「無職」と言う言葉に薄い反応をしたが、刑事の勘と言うヤツで、この若い男は無関係だと判断した。しかし、それでも「被疑者」の可能性がゼロでは無いので、このあと、県警本部まで「任意」で同行を願うことになる。
「無職ね・・・その割にはさっぱりとした顔をしているじゃないか」
「年の半分は派遣工で稼ぐんだ。残り半年は適当にアルバイトしてりゃ金も残る。派遣も続けて勤務すりゃ、慰労金がデカいけどね、あの仕事は心を押し潰すんだ」
「ひとつ伺いたい。何を作る工場だい?」
「車さ。正確に言えば車のドアの内装側。毎日毎日だ、ほら、カッターだこがあるだろ?」
川久保は右手を広げて見せた。ドアの内装の「バリ」を削る作業で出来るたこが硬く盛り上がっている。
「23歳か。就職はしなかったのか?」
「高卒だよ。遊ぶのが楽しくてこの歳になっちまった(笑)」
「ソレでその余裕か?」
「食うに困らない、遊ぶ金もある。贅沢は出来ないが楽しいんだよ」
川久保の身柄が県警本部に運ばれる頃、警視庁から「マルテ」と呼ばれる特捜部が招集された。通常時は各警察署の捜査一課に勤務する者もいれば、情報収集に従事する者もいる。「マルテ」とは、「対テロ」の「テ」を意味する。テロが起こらなければ出番も無いが、対テロの最前線に立つ捜査班だ。
「で、コレはテロリストが起こした事件なのか?」
特捜部長の桐山が会議室のテーブルに両肘をついたまま部下に訊く。
「そう判断します。今年の3月の事件、憶えてますか?」
「あー、確か動物園がどうとか・・・」
「アレです。あの事件は捜査の進展が無いまま、捜査本部も縮小されました」
「ふむ。関連があるのかね?」
「今、資料を・・・おい、倉田」
倉田と呼ばれた刑事がバインダーを桐山の前に置く。「Zoo.」と呼ばれている「広域事件」の資料だ。最終更新が1か月前になっている。ほぼ1か月で捜査は暗礁に乗り上げたらしい。
「なんだこのいい加減な捜査報告は」
「物証に乏しく、所轄だけではなく警視庁からも人員を出しましたが、何も分かっていないのが実情です」
「それで、この事件をこの”Zoo.”と関連付けた理由は?」
「檻の作りが第一です。長野県警に届けられた仕様書と全く同じでした。もう一つの理由はコレです」倉田が1枚の写真をテーブルに乗せる。
「コレは?」
「若山幹事長が閉じ込められている檻の正面、屋根の真下に吊るされた銘板です」
「Zoo.か・・・」
桐山は渡された資料、特に「仕様書」を丹念に読んだ。もしもこの通りの仕様で作られた檻ならば、檻の柵の間に「赤外線センサー」が2つずつ仕掛けられ、隙間がほとんど無い。赤外線の幅次第だが、5㎜もあればいい方だろう。このセンサーが檻の周囲4面にあるわけだ。センサーが反応した瞬間、仕掛けられたプラスチック爆弾に起爆信号が送られる。
「おい、このセンサーから起爆信号が出て爆発するまでどのくらいかかる?」
「鑑識の見立てでは、瞬時に爆発するそうです」
「チッ、厄介だな」
「鑑識の説明では、回路が仕様書通りなら、確実に作動するそうです」
「確実?」
「そうです。私も素人なりに考えてみましたが、笑って否定されましたよ。このセンサーは外部バッテリーで動いていますから、バッテリーを潰せばいい。ところが、バッテリーが停止、つまり電源供給を遮断した場合、起爆装置が作動するそうです」
「起爆装置もバッテリーが必要だろうが」
「仕様書の左下にある小さな回路図がソレです。電磁石で固定された鉄のスイッチが、磁力喪失で落ちて、起爆装置を作動させます。ちょっとしたアナログ仕掛けですが、これも作動は確実だそうです。起爆装置自体はモバイルバッテリーで作動しますので、電源関係に隙は無いそうです」
「電磁石なら、電源が無くなっても数分は磁力が残るんじゃないか?」
「そこのところは分かっていませんが、設計値がギリギリなら持って数秒だそうです」
「爆弾の規模は?」
「仕様書には無いですが、作動すれば確実に檻の中にいる者を殺せるんじゃないでしょうか?」
「何故分かる?」
「北海道で発見されたプラスチック爆弾ですが、盗難届が出ていないわけです。ちょろまかしたと言う程度なら、まぁ大きな花火で済むでしょうが、犯行グループは自家製のプラスチック爆弾を持っています」
「待て待て。プラスチック爆弾なんてモンは簡単に作れるのか?」
「材料・・・そうですね、ある程度しっかりと調合された材料があれば、中学生でも作れるそうです。その材料も、化学薬品さえあれば、キッチン作業で作れると」
「薬品?」
「ニトログリセリンや有機溶剤。各種の強酸類。あとは豊富な水・・・」
「一般人には無理だな」
「いえ、過去に一例だけあるんです」
「何が?」
「高校生がTNT爆薬で一軒家を吹き飛ばした事件があります」
「そんな事件、知らんぞ」
「情報を隠蔽しました。一般人が作れると知れたらどうなります?この事件はガス爆発として報道されたんです」
「そんなに簡単なのか?」
「日本の高度教育の弊害ですね。高校生程度の知識や理解力があれば作れてしまう。黒色火薬程度なら中学生でも作れるでしょう。更に問題となるのは・・・」
「なんだ、言ってみろ」
「ダイナマイト1本で人を殺せるかと言う話をしていただきました」
「鑑識にか?」
「そうです。実験での話ですが、ダイナマイト1本、標準的な物ですが・・・コレだけで確実に人を殺せるとは限らないそうです」
「仕掛けられているのはダイナマイト1本分のプラスチック爆弾ってことか?」
「そうじゃないんです。北海道で発見されたプラスチック爆弾は15gでした」
「要点を言え」
「同時に発見された軽油が話のキモです。実は、ダイナマイトを起爆剤にして、より大規模な爆発を起こせるそうです。”アンホ爆薬”と言うそうですが、コレを作るのが非常に簡単で、犯行グループは”アンホ”もあるんだと示唆してきたと言うのが鑑識からの意見でした」
「アンホォ?」
「製法を知っていれば誰でも作れる爆薬ですが、起爆剤にダイナマイトクラスの爆発物が必要らしく、過去の過激派たちも、起爆用のダイナマイトは盗んでいたと聞きます」
「どういうことだ?」
「起爆用のプラスチック爆弾は少量でいい。爆発力はアンホ爆薬でいくらでも強く出来るということですね」
「ああ、若山君も大変だな。そうだ、今テレビで見た」
電話・・・スマートフォンを握っているのは白髪の老人であった。老人とは言え、現役の国会議員である。政界では70代が最も「脂の乗った時期」と言われる。築き上げた人脈を武器に、様々な政策を考え、政争に備えるのだ。うかうかしていたらあっという間に引きずり降ろされる。当然、国民はそんな茶番や内ゲバにはうんざりしていた。テレビでは、普段は夕方のニュースショーで媚び笑いをしながら原稿を読み上げるだけの女性キャスターが、神妙な面持ちで事態について説明していた。この原稿は現場からの取材と、政府関係者に話を聞いて急遽作られたものだ。
「本日お昼ごろ、国友党の若山幹事長が監禁された状態で発見されました。現場には鋼鉄製の檻のようなものがあり、若山幹事長はその中に監禁されていると言うことです。警察発表によると。若山幹事長は昨夜遅く、公務を終えた後、政府関係者との懇談会に出席するため、議員会館を出て、その後の足取りは不明だったようです」
老人、松下正義は野党第一党「国参党」の党首だ。松下の政治理念とはすなわち、政権交代だけであり、そのせいか政権批判と場当たり的な政策の提言をくり返していた。今は主にアジアの国々と親交を深めるべきだと言う主張を繰り返していた。勿論、その主張の裏で巨額の金が動いていた。ほとんどが「実弾」と呼ばれる現金である。松下にはっきりとしたイデオロギーは無い。松下にあるのは「権力へのあこがれと利益」だけだ。ソレが悪いこととは露ほども思っていない。ただひたすら財を積みあげたいだけだった。故に国民の中には松下を善しとしないものも多い。松下の支持率はいつも2~3%である。その程度の支持率でも、党首ともなれば「課税されない現金」が集まって来る。広いリビングの壁に掛けられたバルビゾン派の有名な絵画も賄賂のようなものだ。贋作に見せかけるために手を加えてあるが紛れもない真作で、事、何か起これば第三者を通して資金化される。その絵に目をやった時に来客を告げるチャイムが鳴った。松下は議事堂から車で30分ほどの高級住宅街に居を構えていた。特に大袈裟な防犯システムは採用していない。民間の警備会社と、あとは国会が紛糾している時だけ警察官が警護をするくらいだ。
時計を見ると20:00を過ぎていた。今日は党内の会食を断って帰宅していた。そこへ降ってわいたような「若山幹事長監禁事件」のニュースである。家族は皆、外出中だ。妻と娘は食事に、孫娘の小枝子は大学からまだ戻っていない・・・
「どなたさん?」松下はインターホンの画面を見ながら応じた。「こんばんは。宅配ピザのアザリアです。ピザのお届けに参りました」画面にはテレビでお馴染みの制服を着た男が映っている。「頼んだ覚えが無いが?」「松下小枝子さんはこちらでよろしいでしょうか?」「小枝子ならまだ帰っていない」「松下小枝子さん名義のクレジットカードで決済されたピザのお届けなんですが」
松下は(やれやれ・・・)と思いながら玄関に出る。門扉の鍵を開けた。「玄関まで持って来てくれるか」「かしこまりました」すぐに配達員が玄関前に立ち、ドアをノックする。「ピザのアザリアです」若い男の声だった。玄関ドアを開け、ピザの入った平たい箱を受け取ろうとした時だ。「松下さん、ピザでは無いんですよ」緊張が走る。迂闊にも玄関内に招き入れ、ドアは閉じられている。この男が暴漢であれば、我が身が危ない・・・
ピザの宅配用バイクが走り去った。松下邸を重点パトロールしている警察官は(お孫さんの食事か)程度の認識であった。その15分後、今度は松下本人が運転する高級外車がガレージから出てきた。公務の際は専属のドライバーが国産車で送迎するが、稀に松下が私用で外出する時があるのだ。党幹部も警察も、松下が一人で動き回ることを歓迎していないが、公務中では無いのならば、行動を縛ることは出来ない。「政府要人ではあるまいし」と言うのが大方の意見でもある。
松下邸を訪れたピザの配達員の持った箱の中には、コンクリートの壁を背景に、椅子に縛り付けられ、黒い目隠しをされた孫の小枝子の写真が入っていた。
「お孫さん、迎えを待っていますよ。現金2千万円と引き換えですが、そのぐらいの現金はありますよね?」「2千万だとっ!そんな金あるわけ・・・」「では、お孫さんとはお別れと言うことでよろしいんですね」配達員を装った若い男はピザの箱の中の写真を回収すると、その場で折りたたんで見せた。「分かった。2千万円だな?確実に孫を返すと誓えるか?」「松下さんがお迎えに来ると言う条件でなら」「小枝子はどこにいるんだ?」
松下は指示された通り、スマホを持たずに指定されたコインパーキング向かった。多分、スマホのGPSを警戒してのことだろうと思い、GPS発信器を仕込んだネクタイピンを身に付け、現金を入れたカバンにも発信器を仕込んでおいた。(コレが誘拐ならば、えらく淡々としたものだな)そう思いながら車を走らせる。なんにせよ、2千万でカタが付くなら安い物だと思っていた。
2時間後、学友との食事とカラオケを楽しんで帰宅した小枝子に1本の電話があった。講義が終わった後、そのまま新大久保の行きつけの店で遊んでいたのだ。
「あなたの祖父はこちらで預かっている」とだけ告げて電話は切れた・・・そして翌朝、とあるコインパーキングで、松下の車と着衣全てが発見された。現金の入ったカバンも手付かずの状態だった。
「ところで若山さん。昨夜はどこで何をしていましたか?公用車で六本木の料亭を出た後のことですが」
「昨夜は六本木で会食をした後、馴染みの店で飲んでいた」
「そのあとは?」
「知人の店でのんびり飲もうかと思って、店を出た」
「そう、そこからが問題です。若山さん、公用車を帰らせて一人で行動してますよね?」
「運転手を深夜まで拘束するのも問題だろう。だから帰らせた」
「22:00以降の足取りが不明でしてね・・・深夜に何がありました?」
「う・・・」
「若山さん、あなたを拉致した犯行グループの情報が必要なんです。詳しい話を聞かせてはくれませんか?」
「・・・何も知らん。気づいたら両手両足を縛られてワンボックスカーの後ろの席に転がされていたんだ」
「では路上で拉致された、で間違いは無いですか?」
「いや・・・」
「詳しい話をお願いします。あなたを助けるために必要な情報が不足しているんです」
「知人の店が休みで。アレだ、知人の家まで行った」
「ほぉ。その知人のお宅はどちらですか?」
「そこまで言わせるのか?プライバシーの侵害だぞ」
若山の声が怒気をはらむ。
「麻布のマンションですね?」
「なぁ、どう思う?」東京・日野署の刑事課で当直をしている木田が相棒の大久保にぼんやりとした声で訊ねた。「どう思うも何も、情報が一切流れてこないじゃ無いっすか。テレビが情報源だなんて、主婦や老人と同じレベルですよ」
木田はポケットから煙草の箱を取り出した。「あー、もう。ここは禁煙ですって。署から出て吸ってくださいよ」「バカヤロー、刑事が署内にいないでどうすんだよ」既に木田は煙草を咥えている。「はい、鍵。そこの聴取室で吸ってください、って言うか、何度目ですかこのやりとり(笑)」署内は禁煙だが、捜査第一課の滅多に使われない「聴取室」は隠れて煙草を吸うには絶好の場所だった。重犯罪を扱う第一課では、事情聴取も取調室を使うことが多い。それほど重要ではない聴取の場合は、課室の隅にある応接セットで用が済む。一服を終えた木田がデスクに帰ってきた。「鍵、返してください」「まだ使うんだ、寄越しとけ」「煙草、辞めないと査定に響きますよ」
「で、大久保。どう思う?」
「どこで攫われたんですかね?」
「愛人の家でだろうな」
「若山には愛人がいるんですか?」
「抜けたこと言ってんじゃねぇよ。若山はまだ60そこそこだ。囲っていて当たり前だ」
「でも、なんで話を渋ったんですかね?奥さんが怖いとか?」
「あの夫婦はもう感情も無いさ。せいぜいいい暮らしが出来ればと割り切ってる」
「じゃ、なんで渋ったんですか?」
「若山の愛人は中国人なんだよ」
「ちょっとソレは拙いんじゃ無いですか?」
「与党保守派の急先鋒が実は・・・なんて知れたら辞任騒ぎだろうな」
「いや、若山はそこまであっちに取り込まれているんですか?」
「ガチガチの保守政策は隠れ蓑さ。実際は甘々の政策ばかりだ」
「若山は昔から一貫して保守派じゃないですか。どこで”堕ちた”んでしょうね?」
「公安が掴んでいるが、数年前の訪中でハニトラさ」
「僕、そのハニトラが理解出来ないんですよ。あれだけ金があれば思うままじゃないですか。わざわざ自分の立場まで賭けてハマる理由があるんですか?」
「詳しくは知らん。ただ、ひたすら尽くしてくれる別嬪さんがいて、あらゆる性癖にも応えてくれる用意があれば、あの手の俗物は堕ちるだろうさ」
「性癖って・・・SMでもロリコンでも、裏風俗系はナンボでもあるじゃないですか」
「わが国では”殺人”は重罪だろ?」大久保はびっくりして椅子を回して木田に向かった。
「殺人って、ソレはどう言う事ですか?」
「おい、ここから先の話は言うな。お前、刑事を続ける気はあるか?」
「ありますよ、でなければ残業代もろくに出ないこんな仕事やっちゃいません」
「この話はオフリミットだ、署内でもなんでも、信用出来ねぇ奴には言うなよ」
「へぇ、僕は信用されてるんですね」
「後ろから弾が飛んでくることもあるんだ、相棒を信用しないでどうするよ?」
「はいはい、僕も木田さんを信用してますって」
「昔の話だが、地方都市の県議が急病で死んだって話、憶えてるか?」
「ああ、X市会議員でしたっけ。自宅で倒れて病院に運ばれたって話でしたね」
「運ばれたのは死体だけどな」
「はぁっ?」
「性癖の話はまた別だが、ハニトラにどっぷり浸かった後、自分で相手を探すようになった」
「何の?」
「そこはまぁ聞くな。外国人ではなく言葉の通じる日本人と遊びたいって動機だったらしい」
「それでなんで死ぬんですか?」
「中共にしっぽを掴まれて、簡単に言えば脅されてたらしい」
「それで?」
「死んでもらうしかないと言う中央の判断さ。”別班”と呼ばれる怖い人たちがどこかで始末して、自宅に届けたそうだ」
「ソレ、アメリカ映画でたまにあるヤツ・・・」
「お前もあと10年、この世界で生きてりゃ分かるさ。腐ってるってな」
「ねぇ、木田さん」
「なんだ?」
「そんな裏話まで知ってて、なんでこの仕事を続けてるんですか?」
「アホか。そんな腐った世界に一般市民を巻き込まないためさ」
「立派な理念があるんですねぇ。だったら安全課から色々と巻き上げちゃ駄目じゃないっすか」
「いいじゃねーか、多少の役得でも無いとやってられない程度にはキツいさ」
「まぁいいですけどね。で、事件ですが」
「そうだ。どう思う?」
「若山は助かりませんね」
「何故そう思う?」
「この事件の計画には隙が無いからです。若山を攫えると言う点ではびっくりしましたけど、攫ってしまえば、国会議員も一般人も同じです」
「俺が思うに、若山を攫うのも計画されていた」
「そうですね、偶然攫ったら国会議員だったなんて話は無いでしょう」
「動機は?」
「一番影響力のある政治家で、国益に反するから・・・ですかね?」
「そう言うことだ。若山・・・いや今の与党はやり過ぎた」
「何をですか?」
「利権でも何でもいいさ、この国を貪り過ぎたんだ」
「金太りした政治家と、貧困の中で飢えて死ぬ国民か」
「そんな事件が多過ぎだよ。餓死に、貧困による強盗、自殺。国民同士で潰し合ってる」
「その矛先がとうとう政治家に向かったってことですか?」
「俺はそう考えている。ただ、このヤマは厄介なことになる気もするんだ」
「何故ですか?」
「もう分かってるだろう?犯行グループは賢いんだ」
「あー、証拠無いですもんねー」
松下正義誘拐事件の報せがあったのは翌朝のことだった。
「犯人からの要求はまだかっ!」特捜本部の桐山が苛立ちながら怒鳴る。今回の一連の事件で組織された「対テロ特捜班」(通称マルテ)の指揮を執る桐山は、その重責に圧し潰されそうな自分を鼓舞するために「強くあらねば」の信念がある。当然、その信念の下で部下は怒鳴られ続けていた。
「まだ接触はありません」ヘッドセットを装着した部下が答える。「犯人たちは必ず接触をしてくる。全てのチャンネルを開けておけっ!」「了解です」
若山が発見されてから10時間が経過していた。捜査員の聞き取りの結果、本日0:00に”友人の住むマンション”前で誘拐されて以降、何も口にしていないと言う。マンションの防犯カメラには、黒いマスクをした2人の男に目隠しのための黒い布袋を被せられたあと、殴打されて昏倒する若山の姿が映っていた。直後にエントランス前に白いワンボックスカーが乗りつけられ、若山を運び込んで走り去った。確認出来たのはここまでだった。ナンバープレートは付近の防犯カメラに映ってはいたが、盗難車であり、しかも事件発覚から3時間で乗り捨てられていた。正確な時間は分かっていないが、発見したパトロール中の警察官の話では「目撃者ナシ」と言うことだった。防犯カメラの無い山形県内の住宅街では、誰かのドライブレコーダーに映っているとも思えない。昨夜から未明にかけて山形県入りしたのち、車を乗り換えたと考えた方が自然であった。
若山は昨夜から20時間以上、飲まず食わずなのだ。「どのくらい持つ?」桐山は部下に訊いた。そろそろ蒸し暑くなってきた。若山の体力の消耗は相当だろう。「飲まず食わずであの年齢では3日間が限界ですが・・・」「ですが、何だ?」「若山幹事長は昨晩、飲酒をしていますから、脱水症状を起こすのも早いと思われます」「犯人からの要求はまだかっ!特定はまだ出来んのかっ!」
若山の愛人と目される中国人女性の聴取も続いているが、ほぼ無関係だと思われた。これから先も「利益を産む国会議員」を殺す理由は無いからだ。可能性としては、本国の怒りを買っての粛清もあり得たが、そのような情報は無い。また、中国大使館からは女性の即時解放を要求されている。若山は愛人宅に向かい、直前で何者かによって拉致されたと考えた方が自然であり、若山が愛人宅を訪問する際はSPのガードも無いことを知っている”関係者”の線も考えられる。
「迂闊なことを・・・」桐山は唇を噛んだ。犯人像も絞り込めていない。例えば「車」だ。若山を閉じ込めている「檻」は大型犬用のモノらしいと分かっていたが、この檻を現場まで運んだ車両は盗難車であった。山形県郊外の建設会社から前日に盗み出されていたが、驚いたことに盗難手段は「合鍵」であった。当然、建設会社の社員をはじめ、関係者からの聴取も行われたが、全員にアリバイがあった。3名ほど「昨夜は寝ていた」と言うことで、アリバイを証明する者がいなかったが、捜査員も取り調べた刑事も「シロに近い」と言う判断だった。
合鍵。
そう、合鍵さえあれば簡単に盗み出せるのだ。車両は「ユニック車」と呼ばれる、小型クレーンを装備した車で、そうそうあちこちにある車ではない。ただ、建設会社やレンタル業者が保有していることは多い。盗まれた会社も車の鍵の保管には厳しく、事務所内にある「鍵保管ボックス」のチェックは毎日行われていた。駐車場に防犯設備は無いが、事務所に侵入すれば警備会社が駆けつける。合鍵を作るとしたら、仕事で車を持ち出した社員が可能であっただろうが、そんな目立つ特殊車両を「勝手に持ち出す」理由は無い。県内と周囲近県の合鍵作成会社にも問い合わせてみたが、そんな鍵は作っていないとの話であった。実は、金属製のアナログキーには型番があり、合鍵作成の際は同じ型番の鍵を少々削るだけで作れる。防犯課の話では、どうかすると雛型のキーを差し込むだけで解除出来ることもあるらしい。もちろん、防犯上の問題もあるので、メーカーが市場に流す合鍵の雛型の管理は厳重だった。
盗難車両は現場から1㎞も離れていない路肩に遺棄されていた。鑑識課員が必死に集めたタイヤ痕も意味をなさなかった。あっさりと事件に使われた車両が発見され、盗難手段も合鍵を使ったことで、「盗難手段の特徴」も見えない。例えばイグニッションを分解する方法やエンジンを始動させる方法には、「盗難実行者のクセ」があるのだが、合鍵で乗り出されては特定も何もない。国内犯は強引で、外国人窃盗グループは繊細な盗み方をする。逆に思えるが、盗難後の転売や輸出を考えれば「商品に傷を付けたくない」と考えるのだろう。もちろん、「部品として輸出」する場合はこの限りでは無いが・・・
「東京サテライト」そう仲間は呼んでいる。日本のあちこちに同じような「サテライト」があるが、「凶悪犯罪者のアジト」とはかけ離れたモノばかりである。ここ、東京サテライトは東京郊外の立川市にある鉄筋コンクリート造のアパートの1室だ。間取りは2DKと言う平凡なアパートで、入居者の半数、つまり3世帯は夫婦者で、空き室が1つ。他の2部屋には生活に余裕のありそうな男性が住んでいる。
「鍵屋は?」部屋の借主がリビングでテレビを観ている別の男に尋ねた。「ああ、あいつならもう出勤してるんじゃないか?俺もそろそろ夜勤に行かにゃならん」「ハングレたちは?」「凌ぎだろうさ。もう普通の生活に戻った」そう答えると、またテレビに目をやった。
「どこまで捜査は進んだかね?」部屋の借主の男、仲間からは設備屋と呼ばれている男が何とはなしに訊く。
「テレビの情報はアテにならんな。取材班は現場から締め出されてる」
「さっき、”独自”ってニュースがあったな」
「ああ、現場の写真が出てきたのはびっくりだ。拉致した場所に関しては、報道規制がかかったのか、本当に掴んでないのか分からん」
「若山を放り出したのが今朝の5:00だっただろ。そのあと警察はどこまで進んだかね?」
「もう夕方だ。車は発見されただろう。まさか鍵の写真から複製が作れるとは思ってないだろう」
「最近のカメラは凄いな。何万画素だっけ?」
「使ったのは6000万画素のカメラだが、イマドキはアマチュアでも使うからな。ありふれた機材さ」
「俺たちが残した物証でどこまで近づいてくるか見ものだな」
「で、このあとはどうする?」
「知らん、成り行き任せでいいさ。俺はこのあと、野党のクズを攫いに行くが、お前は知らないってことでいい」
「当たり前だ、馬鹿。俺は合鍵のデータを作っただけだ」
「連絡はいつも通りの方法でする」
「そうしてくれ。容疑者扱いで周囲がざわつくのは困るしな」
マルテ捜査本部に緊張が走る。若山発見の報の翌朝、野党の党首が行方不明になった。更には、檻の中で監禁されている若山の健康状態に赤信号が灯る。発見後、若山の体力を慮って聴取は最低限にされたが、とうとう深夜を回った頃から目に見えて活動が減ってきたのだ。夜が明ける頃には、問いかけに応答しなくなった。
(まだ生きている)
マルテの捜査員はこの点に希望を見出しているが、未だに犯行グループからの要求は無い。警察だけでは若山救出は無理だと判断され、自衛隊に出動要請がなされた。皮肉にも、若山がその国内活動を制限した自衛隊が救出を行うと言うことになる。早速、自衛隊は最低限の機材を現場に持ち込んだ。高感度集音マイクや飲料水が先ず現場に運び込まれる。檻のある空き地の隅の方に自衛隊のテントが設営され、自衛隊員が集音マイクの方向を檻の中の若山に向けた。自衛隊病院の医師が、集音マイクが拾う音で若山の「状態」をチェックする。
「呼吸が浅く速くなってます。年齢を考えるとリミットは12時間ほどでは無いかと思われます」
現場の指揮を執るマルテの課員が自衛隊に水分だけでも補給出来ないかと要請を出すが、まだ何も出来ない。この檻は徹底して外部との連携を拒むのだ。様々な方法が検討されたが、赤外線検知カメラのデータから、センサーの隙間は5㎜程度。非常に高精度なもので、例えば5㎜の隙間にチューブを通すと言う方法も、誤爆の可能性を考えると躊躇われた。せめて1㎝あれば・・・工作班は歯噛みをする。5㎜では、何かの拍子にチューブが動いたらセンサーに触れかねない。
「そうだ、鉄柵を切り取れないか?そうすれば2㎝弱の隙間が空くだろう?」
しかしこの案も採用しにくい。センサーに触れないように作業をすることは可能だが、ソレはあくまでも机上での発案だ。もしも・・・そう、もしも鉄柵にも何らかのセンサーが仕込まれていたら、切り取ることも不可能だ。長野県警に届いた「仕様書」には、赤外線センサーのみが記されていたが、ソレが全てだとは限らないのだ。この檻は入念に設計されている。当然、救出や補給を許すような代物ではない。鉄柵を切り取れる可能性は50%だと見積もられた。50%の確率で爆薬が炸裂する。とてもじゃないが人命を賭けるには”薄い”確率だ。
若山はもう動かない。
「ミストシャワーをどうだ?」自衛隊の指揮官が部下に尋ねる。「若山幹事長の体力では・・・ミストを集めて飲用にすることは難しいかと」せめて、あと10時間早く出動していれば、夜露の代わりにミストを集めて飲用にも出来ただろう。しかし、この方法で命を繋ぎ続ける量の水分補給は難しかったはずだ。成人男性の最低摂取量は、この気温を考えると1リットル。ぎりぎりで500mlから700mlである。
「おい、水鉄砲はどうだ?」「高圧で細く撃ち出せれば」「機材はあるか?」「今から急ごしらえで作成して、出来上がるまで3時間・・・いや、ここに届くまで4時間は必要です」
一人の隊員がテント入り口で敬礼したあと、口早に告げる。「50Hzですっ!」
「センサーに交流電源が使われていて、一瞬ですが遮っても大丈夫なのは1/50secでいいのか?」
「センサーの感度は周波数をなぞっているはずです。そうでなければ常時異常を検知しますから」
「警視庁は頭を使えないのかっ!高速で射出すれば、小さな固形食糧だって撃ち込めたものを・・・」
「準備しますか?」「やれ。間に合わなくても・・・いや間に合わせろ。若山幹事長の様子はどうだ?」「心拍低下・・・体温も下がり始めています。持ってあと4時間あるかどうかと」
「急げ。意識が回復出来るうちに、だ」
夜が明け、気温が上がり始めた頃に若山の心音が停止した・・・
自衛隊の機材が運び込まれる直前だった。檻の中に手を出せない以上、応急措置、救命措置も不可能だった。うつ伏せに横たわる若山の死亡確認は心音停止から3時間後に完了した。
その数時間前から、檻のある場所から100mほど離れた上空に1機のドローンが静かに浮いていた。現場から締め出されたマスコミの中の1社が飛ばしたものだ。超望遠レンズと小型カメラを搭載したドローンは、1時間ごとに機体を替えながら現場を撮影し続けた。報道規制が敷かれ、ニュースで流せるか微妙ではあるが、マスコミは「報道の自由」を盾に押し切ることも辞さない構えなのだろう。
マルテ捜査部と自衛隊は現場にいたが、若山死亡の報せに沈痛な面持ちであった。捜査員の発言で我に返る。
「幹事長のご遺体を運び出さなければなりませんね」
「・・・どうやってだ?」
この檻は全ての希望を断ち切る。若山が死んでもセンサーは活きたままだ。遺体を運び出す方法が無かった。捜査員と自衛隊員、合わせて30人あまりが若山の遺体を閉じ込めた鉄の檻を見守り続ける。とうとう、犯行グループからの要求も無かった。コレでは檻のセンサー解除の方法も分からないのだ。弛緩と緊張の繰り返しの中、また夜が来て朝が来た。
「バッテリー容量低下っ!」自衛隊員が大声を出す。マルテ捜査員は警視庁から派遣されてきた捜査員に尋ねる。「どうなるんだ?」「バッテリーが上がれば・・・起爆装置が働くはずだ」
何も出来ない。慌てて運び出そうとすればセンサーが作動する。このまま放置してもバッテリー上がりで起爆装置が働く。
3時間後、捜査員と自衛隊員、マスコミのドローンが見守る中、檻に仕掛けられた爆薬がオレンジ色の光と共に大音響で炸裂した。大事をとって捜査員たちは退避していた。もうどうしようもないのだ。爆薬は檻の天井と床下に仕掛けられていた。残酷なまでに殺意をむき出しにしていた。若山の遺体は四肢が分断され、無残な姿となった。
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