第2章 Tiger.

若山幹事長の死因は「熱中症」と発表された。自衛隊のモニタリングでは体温は逆に低下していったが、脱水による熱中症は起こり得ることだ。この死因発表についてはかなりの紛糾があった。まさか「爆死」とは発表できない。それでは現場にいた警察が無能でしたと白状するようなものだ。実際、爆発前には若山の死亡が確認されていたので、強ち「嘘」とも言えない。しかし、警察上層部には1つの危惧があった。ほぼ時を同じくして、国参党の党首・松下も拉致されているのだ。少なくとも、同じ事件が「もう1度起こる」と言う意味だ。警視庁はそれこそ躍起になって松下の行方を捜していた。拉致後、殺害されて発見されればその方がいいとまで言う幹部もいた。また「檻の中」で発見されてしまったら・・・今度はどう発表すればいいのだろう?季節は夏になる。若山と同じように衰弱死すれば「熱中症」と発表も出来る。しかし、秋になれば・・・冬になれば・・・死因をどう発表すればいいのだ?更に、檻に仕掛けられた爆弾が死因となれば、警察の無策が責められることになる。犯行グループは「Zoo.」と名乗っている。動物園の檻の中で無残に殺すと言う意味だろうか?いや、今回は大きな「はったり」で、被害者を殺してしまったが、次回は「交渉の場に出てくる」可能性も大きいと考えることも出来た。


若山の遺体は司法解剖後、出来得る限り丁寧に修復されて遺族に渡されたが、千切れ飛んだ体の一部は欠損し、爆風に晒された顔面は厚い包帯で巻かれていた。遺族の確認は身体の特徴で行われたのだ。


一方、現場では鑑識の詳細なレポートが作られつつあった。自衛隊のデータから「衰弱死」と判断され、爆発を起こした檻の実況見分については事件3日後にほぼ終了していた。自衛隊が撮影していた現場の模様から、天井と床がほぼ完全に同時爆発していたと思われた。撮影していたカメラの性能はあまり高いモノではなく、120fpsのフルHDであり、詳細なタイムスケジュールは分からなかった。ただ、鑑識の意見では、爆発は5つのブロックが同時に起爆することで破壊力が増しているのではと言うことだった。

天井と床に仕掛けられた爆弾は同時に起爆した。コレは上下の爆弾が「同じ構造だった」と考えることが出来る。先ず、中央部と、中央部を囲う前後左右のプラスチック爆弾が炸裂。これは電気信管なので簡単に起こせる。更にそのプラスチック爆弾を起爆剤にして、周囲の「アンホ爆薬」が炸裂。高度な技術で作られたと思われる「アンホ爆薬」は均質で、上下共に同じ量だったと思われた。カメラの画像解析では、ほとんど同時に5つのブロックが爆発していた。正確に言えば僅か1/100sec単位のズレのせいで若山の身体は正面の鉄柵に叩きつけられていたが・・・


鑑識からのレポートが提出されたのが、事件後4日後。松下正義党首の行方は杳として知れないままだ。


 マルテ捜査本部は、松下党首の失踪も、若山事件と関連があると判断していた。あまりにも出来過ぎたタイミングである。しかし、なんの物証も無いのも事実であった。真相は「孫娘の誘拐で脅迫されて、自分の運転で自宅から北に15㎞ほど離れたコインパーキングに赴いた」のだが、「誘拐を匂わせる事実」は無い。つまり、警察は松下の行動の「理由」が分からない。孫娘の小枝子はいつも通りに学友と食事をし、カラオケを楽しんでから門限前に帰宅していた。松下が自宅に一人でいたことで、松下の外出理由を知る者もいない。松下が外出する15分前に国参党の議員と電話しているが、変わったところは無かったと言う。20:30、松下は現金2千万円を携えて、自分の運転で家を出ている。この時にスマートホンを家に置き、念のための持ち物である「GPS」を仕込んだネクタイピンを身に付けていた。ここから先は仮説だが、「松下は何らかの脅迫を受けて2千万円を用意した。万が一を考えてGPS機器を身につけて行った」と言うことだろう。


なお、GPSを内蔵したネクタイピンも、現金を入れたバッグに仕込んだGPS機器も、翌朝、コインパーキングに残されていた。


(完全に見透かされている)

マルテ捜査員はそう感じていた。全裸になった松下党首は直後に白いワゴン車に押し込まれている。コインパーキングにある監視カメラにはその様子が映っていたが、犯行グループの特徴を映してはいない。身長178㎝前後の人物二人が「被り物のお面」を付けて、松下をワゴン車に押し込んでいる様子だけが見て取れるのみだ。この二人が実行犯で、運転手は別にいる。犯行グループは現金の入ったバッグに目もくれていない。拉致後、付近の防犯カメラや走行中、停車中の車のドライブレコーダー画像も収集されたが、このワゴン車は深夜を回った頃に立川市郊外で発見された。盗難車であった。


「祖父を預かっている」と告げてきた電話の発信元はすぐに特定された。神奈川県の相原にある公衆電話からであった。住民の少ない地域であったので、この公衆電話を映していたカメラは無い。所轄は無駄足と知りながら、この公衆電話を捜査した。もちろん、指紋さえ検出されていない。電話内に残された硬貨から20個ほどの指紋が検出されたが、こんな「ポカ」をするような犯人ではない。指紋の無い100円硬貨が5枚。どれを使ったのかさえ分からないのだ。発信記録から、テレホンカードを使った形跡はない。


警察の記者会見は短い時間で終わった。質疑応答の時間さえなかったのだ。「警察発表」と言う一方通行である。


「若山幹事長は5月8日深夜から翌未明に麻布付近で拉致されたと思われる。犯行グループ、この事件は組織犯罪と思われる。「ズー」つまり動物園を名乗る犯行グループ・・・スペルはゼット・オー・オー。により山形県丘の下町の丘陵地帯で檻に入れられた状態で発見された。通りがかった市民の通報により事件が発覚。救出を試みたが、檻の作りが強固で難航した。更に時間は経過し、翌朝の10:00頃、死亡が確認された。熱中症であった。以上」


報道各局はこの事件を大きく取り上げたが、事件の概要のみは発表されただけだ。事件後、1週間が経過しても「硬い情報」は出ていない。ただ1社、現場を見下ろす位置に超望遠カメラを搭載したドローンを浮かべていたが、警察当局により、この動画を出すことが出来ないでいた。報道部は色めきだった。「報道の自由を護れ」と警視庁に直談判までしたが、「公開したら放送法による停波も辞さない」と回答され歯噛みしただけだ。「停波」ともなれば、戦後初の事例になる。コレを「名誉の停波」とする過激思考の者もいたが、スポンサーとの契約で停波を受け入れるのは不可能と思われた。巨額の賠償金が発生しかねないのだ。不慮の事故ではない。テレビ局が自ら「停波を覚悟して放送した結果」である。責任はテレビ局にあると訴えれれれば勝てる見込みはない。

事件を知る関係者には徹底した緘口令が敷かれた。直接知る者は当然として、各都道府県の警察署長レベルには、「色を付けた情報」が知らされた。都道府県によって、情報の一部に「違い」を持たせたのだ。これで情報が漏洩した場合、どこの警察関係者からの漏洩か判別出来る。もちろん、そんな「色付き情報」であることは警察署幹部なら理解している。

若山を発見した川久保は「別荘暮らし」となった。被疑者でもないことは確認されたが、「人の口に戸は立てられぬ」と言うことで、上等な宿舎と食事を保証される代わりに、通信手段は完全に断たれていた。新聞も本も読める。テレビだって観ることが出来る。インターネットにも接続出来る環境だが「発信手段」は一切ない端末があるのみだ。この年代を知り尽くした警察関係者が与えた処遇であり、期間は「事態の収拾が予測出来るまで」とされた。


報道各局は乏しい情報を「小出し」にすることで視聴者を繋ぎ止めることに躍起になった。発表された情報のみでは2日間が限度であった。視聴者はより新しい情報を求めてザッピングする。そんな視聴者を繋ぎ止める「情報」は無いので、毎日のようにコメンテーターを替えながら「検証」とやらの憶測ニュースを流すしかない。

在京の出版社が「独自記事」として、「国参党党首、行方不明の怪っ!」と言う大見出しで特集を組んだのは事件後4日が経過してからだった。ただ、コレも「事件発覚の翌日に松下党首が行方不明になった」と言うニュースだけで、あとは記者の憶測記事であったが。


そして事件は起こった。


ドローンで撮影された動画が「海外の動画紹介サイト」に転載されたのだ。国内では発表することが出来ない「爆発の瞬間」まで公開された。国内であれば「BPO案件」にある「人の死を放送する」ことと同義だと思われた。曰く、「警察発表は熱中症による衰弱死だが、この動画では爆死に見える」と言う注釈付きだ。この動画はあっという間にSNSで国民に拡散された。同時に、取材陣が現場付近で聞き込みで得た「爆発音がした」と言う情報を裏付けるものでもあった。公開されたのは中東の小国で、このサイトからの転載されていた。当然、この転載サイトの管理人は事情聴取を受けたが、動画の存在を知ったのは「偶然」だったとして、頑として口を割らなかった。アラビア語で「الأمين العام واكاياما」と検索したらヒットした言う。正しいアラビア語ではない。ただ、捜査員が試行してみた結果でも同じ動画がヒットした。もちろん、動画をリークしたのは報道局で、その動画の検索方法を指南したのも報道員だ。この事実は後に警視庁の知ることとなり、報道員は騒乱罪の「首謀者」として逮捕起訴されたが、「何故、動画拡散の方法まで警察が知ったのか?」は謎のままだった・・・


短い梅雨が明けた。7月14日の天気は眩しいほどの晴天だった。気象庁は夏の水不足に警戒するように異例の強い発表をしていた。その日、保守派無所属と言う変わった立ち場の国会議員、高山祥子は地方遊説のため、奈良県を移動していた。警視庁はZoo.のターゲットとなり得ると判断して、国会議員の周囲の警戒を厳しくしていたが、全ての国会議員に複数のSPを張り付かせることは人員的に不可能だった。高山祥子は無所属ゆえ、国会でも注目されることは無かった。つまり「重要人物」とはされず、国会期間中に2名のSPが付くだけで、あとは行動の詳細をマルテ捜査部に申告するだけで良かった。


高山祥子。彼女は「保守派」を名乗りながら、実際は中国共産党とパイプがあり、「貧困対策」と銘打ち、主に女性救済の施策をしていた。法を変える力量は無いが、NPOを陰で運用し多額の資金を政府から得ていた。それでも与党の有力議員とは桁が2つ違うが、高山祥子の悪辣なところは、救済したはずの若い女性からも搾取している点だ。そして、ある日を境にその若い女性は行方不明になる・・・

もとより、NPOに保護されるぐらいなので、社会性の乏しい女性は行方不明になっても事件化しないことが多かった。与党議員の中には高山祥子の活動を称賛している者までいたのだ。

 奈良県は初めてであった。公用車の運転手はカーナビを見ながら運転している。その車が幹線道路を逸れた。高山祥子は何も知らない。公用車が次の大きな幹線道路に出ようとした時である。路肩に大型トラックが路上駐車され、ドライバーと思われる作業服の男性、30代後半だろうか、が手を振って公用車を停めようとしている。

「先生、どうします?」と運転手が前を向いたまま高山に問いかける。高山の父はトラックドライバーの仕事に熱心で、その収入を高山の学費に充てていた。高山にはトラックドライバーへの親近感があった。


「話しぐらい聞いてあげたら?」


公用車はトラックの後方15mの位置の路肩に停車した。高山はスマホを見ていた。

「どうかしましたか?」と運転手がウィンドウを降ろして男に質問した。

「いや、ちょっとコレを見てくださいよ、酷ぇもんだ・・・」と、トラックドライバーは自分の太ももを指さした。真っ赤に・・・いや青い制服のせいで黒っぽく濡れていた。

「おい、どうしたんだっ!?」と、公用車の運転手が車から飛び出した。トラックドライバーが腰を屈めたからである。この時、やっと高山はスマホから目を逸らして車外を見た。


ヂヂヂヂヂっ!


トラックドライバーが隠し持っていたスタンガンが運転手の首筋で爆ぜた。運転手は声も上げずにその場に崩れ落ちる。その瞬間、公用車の後ろから走り寄ったマスクの男が運転席に滑り込んだ。失神した運転手は別の男によって後部座席に押し込まれた。目の前にある大型トラックの後方扉は開け放たれ、公用車のタイヤ幅に合わせたレールが2本、伸びていた。

陽炎が燃えて揺れるアスファルトの上に黒塗りの高級車が停められている。この炎天下の下でボディは熱せられ、素手で触るのも困難だろう。「緊急水道工事」の規制が解除された直後に、この一方通行に進入した軽自動車のドライバーは、道に倒れている運転手を発見して車を止めた。運転手の意識は無い。面倒ごとはご免だと思い、通り過ごそうと思ったが、停められている高級車の運転手だろうと想像を働かせ、お礼目当てで119番通報をした。高級車には目もくれなかった。もしもこの時、車内を見ていれば。暑さでぐったりした女性を見て、救助を試みていたら、軽自動車のドライバーも死んでいただろう・・・


マルテ捜査本部は全力で松下正義党首の行方を追っていた。コインパーキングに設置された監視カメラから付近の監視カメラ、拉致された時間に付近を通過した一般車両のドライブレコーダーまで任意で提出させている。拉致時間に付近を走行していた車両のナンバーはNシステムと、このNシステムに引っかかった車両のドライブレコーダーから芋づる式に捜査本部に把握されている。捜査本部の予測では犯行車両を含む90%以上の車両が特定されているはずだ。日本全国から報告が寄せられる。盗難車両のナンバーは実に500台分に達していた。ナンバープレートの盗難も合わせると600台余り。捜査本部はドライブレコーダーを提出した車のナンバーを含め、付近を走行した「盗難車」は無いと結論付けた。捜査員は心の中で快哉を叫んだ。付近を走行した車両の中に犯行グループ所有の車があると。

そして行き詰った。ナンバープレートの情報を元に、所有者をあたってみたり、時には内偵までしたが、怪しいと思える人物がいないのだ。また、監視網から漏れた1割弱の車両の特定は困難を極めていた。該当車両が5千台以上だ。漏れた1割だけで500台はある。更に、画像を追跡してみたところ、ナンバーの分かっている盗難車両でさえ、杉並区で記録が途絶えている。1時間が経過する頃、立川市内でNシステムにまた引っかかった。孫娘の小枝子が犯行グループからの連絡を受けた22:00以降、その盗難車が移動した形跡もない。捜査本部の推測では、遺棄されたと思われる深夜まで、どこかで路上駐車を繰り返し、そのどこかで松下を別の車両に乗せ換えたことになる。こうなるとお手上げだった。

 

SNSは大騒ぎになっていた。与党幹事長が誘拐され殺されたのだ。その死が報道された直後から憶測や悪質なデマで炎上と鎮火を繰り返しては、過去の投稿が掘り起こされ、また炎上する。もちろん、この騒ぎに乗らないユーザーも多かったし、デマや憶測をいさめる投稿もあった。その程度で収まるような騒ぎではなく、憶測が独り歩きを始めた。報道から2日。ハッシュタグに「処刑」「天誅」も文字が躍るようになった。若山の施策に異を唱える勢力が台頭し始め、その施策の「犠牲者」の属性まで流布された。ハッシュタグは増殖し続ける。「#人殺し若山」がトレンドに上がった。Zooを英雄視する層も現れた時点で政府は、SNS運営元に対処を求めることになった。Zooを英雄視することは、更なる犯行を助長すると言うのが理由だった。運営元は独自にNGワードを定め、検索出来ないようにした。投稿者は気付かない。普通に投稿すれば、投稿が終わりましたと表示される。しかし、この隠れた措置は12時間でユーザーの知ることとなる。トレンドワードに異常があると投稿されてしまえば、もう隠しようがない。NGワードを使わない「匂わせ投稿」が繰り返された。


マルテの桐山捜査本部長は苛立っていた。人殺しが英雄だと?いかなる理由があってもテロには譲歩しないのが法治国家と言うものだ。「ネットで扇動している馬鹿を引っ張って来いっ!」と怒鳴る。部下が応じる。「先ほど、SNSで過激な投稿をくり返した5人目の警察官が拘束されました」桐山の唇からタバコがぷらんと揺れた。開いた口がふさがらない・・・警察官だと?5人目だと?「捜査情報を漏らしたのかっ!」「いえ、警察官たちはその・・・地方の所轄です」「その馬鹿どもを絞り上げろ。事件と直接関係は無くとも、我々の操作方法を漏らしている可能性がある」

 桐山さんは何も分かっていない」捜査本部のドア前に立つ白衣の男が発言した。いつの間にこの男はここに入り込んだんだ?

「なんだ貴様。ここはテロ対策の捜査本部だ。出ていけ」

「本日15:31に、無所属の国会議員高山祥子が監禁されていることが発覚しました」

「なんだと・・・?」桐山は時計を見る。16:00を回ったところだ。

「そんな報告は受けていない」

「だから僕が報告に来たんですよ」

「誰だ、お前」

「佐川と呼んでください。所属はありません、独自チーム扱いですので」

「独自だぁ?身分はっ!」

「政府内調室付けと言ったところです」

「公安か?」

「公安は僕たちの指揮下に入りました」

「だったら公安調査庁に行け。ここは現場の最前線だ」

「その現場で指揮を執るために来たんです」

佐川と名乗る30代になったばかりに見える男は白衣のポケットから無造作にバッヂを取り出して見せた。桐山でさえ実物を見るのは初めての特別権限バッヂだった。存在を噂されながら、その実態は皆目不明。国内では「陸自別班」に匹敵する特別な組織である。

「何をするつもりだ?」

「僕ですか?それとも”僕たち”のことですか?」

「両方だ。先ずはお前が何をしに来たか言え」

「僕の階級、つまり身分は貴方よりもかなり上ですよ、桐山警部」

「そんなこたぁどうでもいい。ここの責任者は俺だ」

「いわゆる警察のやり方を見に来ました。ですから今回は口を挟みません」

「見に来ただと?視察か」

「僕たちのやり方とは違うようですから」

「その”僕ちゃんたち”は何をしたいんだ?」

「犯人逮捕ですよ。当たり前じゃないですか」

「視察なら後にしろ」

「いえ。僕は貴方に高山祥子の監禁を報告しました。その対処法を学びたいんです」

桐山は我に返る。そうだ、新たな犯行が行われたのだ・・・


佐川は捜査本部の片隅にあるパイプ椅子に座って、捜査の行方を見守るつもりだ。桐山は佐川の存在を無視することにした。相手は「特別権限」を持つ内閣調査室の職員だ。追い出せるものではない。

「おい、モニターに出せ」

「はっ!」

佐川が報告に来たと言うことは、既に警察署員が現場に駆けつけてるということだ。当然、現場の模様をリアルタイムで送ってきているはずだ。


(また”檻”か・・・)


もううんざりだった。地道な鑑識作業は続いている。今頃は使用された部品の出どころや設計を調べているところだろう。報告が無いのは「進展無し」と言うことでもある。

「出ます」

「何だこれは?公用車じゃないか」

「情報があります。車内には高山祥子が閉じ込められていて、エンジンは停止。つまりエアコンの無い状態で少なくとも2時間が経過。ダッシュボードに”Zoo.”のプレートあり。若山の事件と同一犯と思われます」

「さっさと救出しろ」

「車内に爆発物があると、高山議員が言っています。ドアを開けると爆発すると。更にウィンドウにも仕掛けがあり、窓を破ることも不可能・・・と」

「ふざけるな!いいか、犯行グループは必ず交渉をしてくるはずだ。二人目だ、このままでは確実に殺される」

「情報収集を急ぎます」

「国会議員のガードを固めろ。人員を優先的に回せ。いいか?陛下と宮家以外は多少警戒を落としてもいい。議員を護れっ!」

「了解」

「現場に・・・どこだ?」

「奈良県です」

「鑑識と爆発物処理班を派遣しろ。警視庁から送り込め」

「了解しました」

桐山は歯噛みする。あのアバズレ女、なんで東京を離れやがった?

「おいっ!」

「はっ!」

「国友党の酒田議員にSPを付けろ。高山のビジネスパートナーだ」


困窮者弱者ビジネスは与党と組んで初めて、高い利益を得ることが出来る。いくら後援者がいても、無所属の高山だけでは小遣い銭程度の利益しか生まない。出来ることなら5~6発ほどぶん殴って牢屋に放り込みたい、桐山はそう思っている。


(こいつらは国民の敵だ)


高山議員にも酒田議員にも「手出しするな」と上層部から通達があった。どうせ上の方では様々な利権や利害関係で繋がっているのだろう。警察の独断では、家出少年たちが集まるK県の繁華街の浄化作戦も行えやしない。桐山はこんな汚れたちの下で働く歯車だと自覚している。異を唱えて更迭される覚悟は無い。しかし、歯車には歯車のプライドがある。犯罪を看過することに悔しさを覚え、テロには屈しない。


奈良県警が出動すると同時に野次馬が集まってきた。県警から現場に派遣されたのは10人ほどである。すぐに野次馬は群衆となり、危険な兆候も出て来ていた。動画配信者がカメラを持ってうろついているのだ。中にはスマホを持った若い女性までいる。高山議員からの聞き取り調査で、車のドアを開けるだけで爆発が起こるらしい。ドアガラスを割っても爆発する。ドアそのものは車内からロックされているが、頭のおかしい配信者が「肉声を聞きたい」と言う動機でガラスを破らないとは限らない。大衆の中には「驚愕するほどの馬鹿」がいるのだ。機動隊員たちが車両の周囲を固めた。そこへ善人を装った配信者が迫る。

「何があったか、みんな知りたいんですよ?」と言いながら機動隊員のすき間からカメラを突っ込んでくる。

機動隊員は何も語らない。語る権利すら無い。「守秘義務」だってあるのだ。機動隊員が無口であることをいいことに、カメラを持った配信者は機動隊員の間を強引に抜けようとした。

そして、各テレビ局のカメラの前で機動隊員による制圧が行われた。配信者がすり抜けようとして、機動隊員の肩に当たった。この瞬間、「確保っ!」の号令と共に、配信者は地面に転がされ、現場に配置された警察のバスに連行された。公務執行妨害罪である。この映像は生中継で放送され、SNSは一瞬で沸騰した。「警察は横暴である。配信者の凸坊は事実を知ろうとしただけである」と言う言質で溢れた。若山事件で比較的良心的な投稿をしていたユーザーは静観していた。まだ事件の概要が分かっていない。ただ「事件のように見えた」から野次馬が現れ、収益を得たい配信者が突撃しただけのように見える。まだ被害者の名前も出ていない。


「高山祥子議員じゃないか?」


SNSに1つの投稿があり、数分で拡散した。配信者が中継した動画に車のナンバーが映り込んでいたのだ。このナンバーから「高山議員の使う公用車」が特定された。「高山議員、公用車で事故?」と言う投稿が「高山議員処刑」のハッシュタグに変わるまで1時間もかからなかった。現場周辺は完全に封鎖されたが、この現場に入る鑑識員と爆発物処理班を、50mほど離れたビルから撮影したユーザーがいたのだ。一部の事情通は高山議員の悪辣さを知っていた。そこへ「爆発物処理班」の登場である。若山事件との関連を疑われても仕方がない。正にその通りなのだ。警視庁は公式発表をしていない。現場で保護された運転手は意識を回復し、厳しい事情聴取を受けることになった。なぜ、土地勘のない奈良県であの一方通行の「裏道」を走っていたのか?この点が事情聴取の争点となる。運転手は一貫して「ナビゲーションに従っただけ」と言うのみであった。東京を出て、高速を使い東名阪自動車道に入り、奈良市内の公民館を目指したと言う。高山議員は鉄道を好まず、5~6時間の移動なら公用車を選択するのが常であった。

ただ、どの社のナビゲーションを利用しても、この一方通行は出てこない。運転手も共犯では無いかと疑われる。この検証が終わるまで、運転手は高山議員監禁どころか「若山事件」の被疑者扱いとなる。スタンガンで襲撃されたのは自作自演だと。

運転手の証言と高山議員からの聴取で事件の概要が判明する。裏道を使っていた経緯を除外すれば、次の幹線道路に出ようとしていたら、大型車が駐車していた。トラックドライバーは太ももから出血していたので、救護しようと車外に出た運転手はスタンガンで撃たれ失神。直後に犯行グループの一人が運転席に乗り込んで、大型車の荷室内に車を入れた。高山議員の証言では、交渉の余地もなく、後部座席に爆発物を乗せられた。ドアと窓に「何らかの仕掛け」を施され、開ければ爆発すると脅された。5分ほどで仕掛けは終わり、公用車は犯行グループの一人が運転して、大型車の荷室から出された。犯人は車のキーを抜き、最後の仕掛けと思われる作業を終えた。スマートホンは奪われた。


「巧妙な仕掛けです。ドアは4枚ありますが、運転席のドア以外の3枚は内側から封印されています。車内画像を解析した結果、ドアとボディが細い鉄線で結ばれ、そこから伸びる配線が爆発物に繋がっています。鉄線を切らずにドアを開けることは不可能でしょう。また、窓ガラスにも仕掛けがあります。”ツッパリ棒”のようなもので左右の窓を繋いでいるので、窓を下げたりガラスを破れば爆発物のスイッチが入ると思われます。コレはフロントガラスとリアガラスにも言えることです。爆発物の規模は分かりませんが、若山幹事長の事件を踏まえれば、車内を破壊しつくす規模であろうと思われます」

うだるような暑さだ。高山祥子議員が閉じ込められている公用車内の温度は45℃に達し、日没から徐々に下がった。高山は人目憚らずだらしなくブラウスの前をはだけ、ストッキングを脱いでいる。汗で化粧は流れ落ち、アイシャドウが目じりから黒い涙のように頬をつたう。車内にある飲み物はコーヒーが1杯だけである。氷は溶け切っていた。尿意を感じ始めてから時間の流れが遅くなった気がする・・・


桐山が矢継ぎ早に指示を出す。自衛隊の出動がすぐに要請され、報道局からの目隠しと車内温度の上昇を防ぐため、公用車は白く塗られたベニヤのパネルで囲われた。同時に大掛かりなクーラーが稼働を開始した。車ごと冷やすのだ。工場などで見ることが出来る「スポットクーラー」の大規模版である。排熱でベニヤの囲いの外に熱気が流れる。今日は風が無いな、と装備を身に付けた自衛隊員は独り言ちた。若山事件を踏まえ、現場にいる自衛隊員と警官は防弾チョッキとヘルメットで身を固めていた。若山事件と違う点はただ一つ、高山祥子議員がやけを起こして車のドアを開けたら、現場にいる者まで巻き添えを食うことになる。桐山の指示で現場付近のNシステムの検索が始まった。犯行グループは「大型トラック」を使っている。大型トラックの盗難届は出ていない。ならば、大型トラックのドライバーは犯行グループの一員である可能性が高い。15:53分に幹線道路を走るトラックが捉えられていた。高山祥子議員が車ごと攫われたと思われる時刻の15分後である。直ちに該当トラックの所有者が判明する。奈良県にある運送会社の車両だった。

「出ろ」黒い覆面をした長身の男が高山に命じた。大型トラックの荷室内に乗り込んでいる公用車の車幅はギリギリだった。半分ほど開かれたドアから高山は身を乗り出した。前方3mほどの位置に照明があり、2人の男がやはり覆面をして立っていた。「なによ、あんたたちっ!」高山の猛抗議が始まるかのように見えた。国会で早口の関東弁でまくしたてる姿はお馴染みだった。自分の「ビジネス」の邪魔をするような法案や閣議決定にだけ、高山は反論した。


(青少年育成?そんなことしなくても私がやってるわ)


どう育成するかは高山が決める。決めた結果が行方不明であってもいい。裏風俗で使おうも、どこかの工事現場で酷使されようも高山に実害はない。利益を生むだけだ。

「ふん、議員さん。若山のこと知ってるだろう?」高山は男に飛び掛かろうとして思い留まった。男の右手には拳銃が握られている。「若山?あんたたちがやったのっ!?」高山は後ずさろうとするが、30㎝も後退すれば公用車のボディに突き当たる。照明の側にいた2人の男が素早く車に乗り込み、何やら作業を始めた。

「この人殺しっ!」高山は気丈にも目の前の男を罵った。とにかく若山のようにはなりたくないのだ。この場をどうにか切り抜けなければ・・・

「俺たちは”殺し”はやらないんだ」「殺したじゃないっ!」


「あれは死んじまっただけだ」


仕掛けの終わった車内に押し込まれた。高山との会話役は運転席に乗り込んだ。高山に語り掛ける。有無を言わせない圧力があった。「なぁ議員さん。あんたの横にある箱な、爆弾なんだ。ドアのガラスに渡された棒が落ちたり、ドアを開けたりするとボンッだ。今すぐ車は外に出してやるが、俺が出た後、運転席のドアにも同じ仕掛けをする。ピアノ線で外からな。今日は暑いが我慢しろや。我慢出来なきゃドアを開けて死ねばいい」「要求は何なのよ・・・」男は答えない。そして夏の日差しに晒された公用車のドアを出る時に一言だけ残した。


「Good Luck」


炎天下の中、車内温度は急上昇を始めた。


桐山はモニターの真ん前で映像を睨んでいた。ドアを開ければ爆発、ドアガラスを下ろすと爆発。どうすればいい?待て待て待て、ドアもガラスもそのままでいいじゃないか。

「おい、現場の自衛隊に繋げ」と命じた。ドアを切り取れないだろうか?人が這いだせるぐらいの穴を開けることは可能じゃないだろうか?


桐山の発案を現場の自衛隊指揮官が検討を始めた頃、奈良県警に1人の男が訪れた。

桐山はその報告を受けてパイプ椅子に座り込んだ。無茶苦茶だ・・・

「自首だと?」奈良県警に出頭してきた男は、大型トラックのドライバーだった。事件を知って慌てて出頭してきたらしい。署内で緊急逮捕され、5分後には尋問が始まった。

「名前は?」

「坂崎です」

「どうやって高山議員を閉じ込めた?出す方法は?」

「知りませんよ」

「貴様、事件を知っているだろうがっ!時間稼ぎはやめろっ!」

「そんなに怒鳴らなくても、知ってることは全部言いますよ」

「貴様の仲間は?いや、Zoo.なのか?」

「知りませんよ。ズーって、先々月に事件を起こした犯人でしょ?」

「そうだ。高山議員は車の中から出られないでいる」

「ズーの仕業ですかね?」

「だからっ!出す方法を言え。このままでは高山議員は死ぬぞ」

「知りません」

「仲間は?どこにいる?目的は?」

「知りませんって。俺だって被害者だ」

「何だと―!」

坂崎の胸ぐらを掴んで締め上げた。

「お前のトラックだろうがぁっ!」

「アルバイトですよ」

「あ?」

「先週の月曜日に持ち掛けられたんっすよ。アルバイトをしないかってね」


坂崎は火曜日が非番であった。趣味のパチンコでかなり財布を薄くした帰り道。自宅アパートに通じる路地に入ったところで事は起きた。忍び寄ってきた男にナイフを突きつけられた。後ろから首筋を抱くようにして。坂崎は腕っぷしにはそこそこの自信があったが、反撃に出る直前に両脇に別の男が並んだ。顔は見えない。僅かに後ろにいるのだ。「坂崎さん、だっけ?」ナイフを突きつけてる男が語りかける。「なんだ、おい?恨まれる筋合いはねぇぞ」坂崎の脳裏を掠めるのは、ここ1か月で、酔いに任せてぶん殴った男たちの顔だけだ。仕事で恨みを買ったりはしていないはずだし、心当たりはない。場末のスナックで殴った殴られたなんて、この街では茶飯事だ。

「恨み?無いさ。それよかいい話だ」「あぁ?」「アルバイトしないか。パチンコで負けた分ぐらいは稼げるぞ?」


会社の大型トラックを乗り出して、指定された場所に行くだけのアルバイトだった。ただし、車を停めた後、キーを抜かずに3時間ほど、どこかで時間を潰すのが条件だった。会社のトラックが心配だったが、車の移動はしないし荒らさない約束はあり、これだけで30万円になる。どう考えても犯罪絡みだったが、まさかズーだとは思わなかった。「何かあったら警察に行けばいい」とも言われた。だから出頭してきたのだ。犯罪の共犯になる気は無い。結局、坂崎は3日間の留置場生活ののち、解放された。警察は坂崎に関する公表をしなかった。Zoo.の犯行手口を秘匿したのだ。高山議員は路上で襲われたと言う短い記者会見が行われたのは、高山発見の報から6時間後であった。


「なぁ大久保」

東京都日野市警察の当直の木田が相棒に語り掛ける。大久保はテレビニュースを見終えて、夕方に起きた交通事故の報告書を読んでいた。

「なんすか?」

「事件、どう思う?」

「またZoo.の仕業って話ですよね?」

「そうだ。この先どうなる」

「知りませんけど、高山は助かりませんね」

「どうしてそう思う?」

「かなり高度な犯罪でしょう。一切の情報が下りてこないってことは、マルテか専従班が出来たってことでしょうね。だったら答えは簡単じゃないですか」

「必殺ってことか・・・」

「僕なら殺しますよ。そのために閉じ込めたんでしょうし」

「動機はどうだ?」

「若山も松下も黒いじゃ無いですか。高山だって真っ黒だし」

「義憤・・・か」

「どうでしょうね?」

「何だよ、政治家を攫って殺す動機は”怒り”じゃないってのか?」

「根底は義憤でしょうよ。ただまぁ要求をしない点が気になりますね」

「どういうことだ?」

「SNSサイト、読んでます?」

「俺は嫌いなんだ、あんな掃き溜めみたいなところは」

「若山事件の犯行グループは英雄ですよ。若山の活動が筒抜けになってます」

「活動?保守派って評価だっただろう」

「その保守派が実は左派よりも酷いって話が出ちゃいましたね」

「何の話だ?」

「報道規制、敷かれたでしょ?」

「臭い物に蓋をするのがこの国だ」

大久保は立ち上がると、木田のデスクのパソコンを操作した。

「このサイトです」

「別に・・・料理サイトか何かだろう」

「ここ、クリックしてみて下さい」

「Errorになるな」

「そうです、1週間前はここをクリックすると若山の情報が出てたんです」

「今は出ないじゃないか」

「だからですねー、政府のどこがやったか分かりませんが、若山の情報を垂れ流してた裏サイトを封じたんです。今もリンクはありますが、繋がらずにErrorになるんです」

「何が書いてあった?」

「若山の所有する別荘の使用者とか、沖縄の市民団体への送金とか色々でした」

「その話はマジもんだったか?」

「さぁ?でも封じたってことは真実もあったんでしょ」

「サイトが消されたなら話は終わりじゃないか?」

「SNSサイトも検閲が入るようになったのは知ってますよね?」

「若山処刑とか物騒な投稿は消えたじゃないか」

「検閲を受けた側はどうすると思います?」

「どうするも何も、烏合の衆じゃないか」

「情報の拡散は防げないんです。そしてその情報は第二第三のZoo.だって生むかもしれませんよね?」

「なんだと?」

「若山の事件を正しく報道しなかったのが悪手なんです。今じゃ隠語で拡散ですよ」

「隠語ぉ?」

「そうです。若山って名前は出て来ませんが、ニュアンスで伝わるんです」

「よく分からんが、ヤバいのか?」

「まだヤバくはないんじゃないかな。この先は分かりませんけど」

「どう言うことだ?」

「情報を密かに流す方法が知れ渡れば何でもアリになる。もうそのパイプは完成したってことです」

「どんな情報だ?」

「これ以上は知りませんよ、知りたくもない」

「しかし、誰でも知ることは出来るってーのか?」

「これ以上首を突っ込むと危険だって、僕の勘が言うんです(笑)」


「高山は助かりませんよ」

桐山の脳裏に、怒りと共に佐川の言葉が甦る。何が特別チームだ、公安だ。あの若造は18:00を過ぎた頃に「私の勤務時間は終わりですので」と言い残して、テーブルの上にポータブルゲーム機を置いてドアを出て行った。高山が助からないだと?例え悪党でも命を救うのが俺たちの務めだ。ここで死なれたら、高山の罪の追求も出来やしないのだ。

「おいっ!自衛隊からの連絡はまだか?」高山が監禁されている公用車のドアに穴を開けて、そこから救出する作戦は可能なのだろうか?いや、他に方法は無さそうに見える。あとは犯行グループからの要求待ちだ。テロには屈しないが、ひと先ずは高山を救出するべきだ。身代金の要求ぐらいなら受け入れてやる。ただし、金を渡したら3時間以内にとっ捕まえて、警察をからかった罪のデカさを思い知らせてやる・・・


「時間がありませんので結論から申し上げます。ドアに穴を開けて救出することは不可能です」

迷彩服の自衛官はそう報告すると、敬礼の形の右手を下ろし「気を付け」の姿勢になった。そして黙り込んでいる。桐山の指示を待っているのだろう。桐山も報告の続きが気になるが、今は事態の収拾を優先しなければならない。

「犯行グループからの接触はっ!?」

「ありません」

「犯行グループは現場から立ち去った。時間もほぼ特定出来ている。捜せっ!」

「今、付近にある防犯カメラの映像を解析中ですっ!」

「いいか!必ず接触してくるはずだ。それから、接触後の救出方法があるはずだ、こちらからその方法を探れっ!」

「了解」

桐山は報告に来た自衛官に向き直った。「所属は?」「陸上自衛隊、○○本部工科二尉であります」本部?「どこだって?」「失礼しました。中央即応本部であります」「解散しただろう、アレは」「即時対応集団として再編されましたっ!」

警察組織のややこしい仕組みは分からないが、政治家の「先生」が被害者になると、様々な「思惑」が絡み合って、あの佐川みたいな奴も現場に土足で踏み込んでくるのだろう。自衛隊だって同じだ。

「何故、ドアに穴を開けて救出出来ないんだ?」陸自二尉に向き直って訊く。

「穴を開けることは可能ですが、この時の作業による車体の振動で、窓ガラスに渡されたツッパリ棒・・・と言えば良いのか分かりませんが、あの棒が落ちる可能性があります」

「落ちないようにテンションがかかっているはずだ」

「そのテンションがどの程度か不明であり、万が一作業中に棒が落ちたら作業中の隊員も巻き込まれる可能性があります」

「巻き込まれる?そのために自衛隊だろう」

「我々は”使い捨ての駒”ではない。コレは○○本部の総意です」

「・・・ドア以外の出入り方法は無いのか?」

「トランクルームからとも考えましたが、やはりあの棒が厄介です。しかも今回は爆発する仕掛けの全容が分かりません。見えている仕掛けだけとは思えません」

「どう言うことだ?」

「前回の・・・若山議員事件の場合は檻の仕様が分かっており、救出は出来ないと判断されました」

「なんだと?」

「あの事件では、檻の中に飲料水や食料を送り込む方法は考案されましたが、間に合いませんでした」

「救出方法が無かっただと?」

「そうです。若山議員が元気であれば、飲料水等の補給で命を繋げただろうと言うのが上層部の判断でしたが、救出を阻む赤外線センサーと、このセンサーへの電源供給が止まった時点で爆発は起こりました」

「今回は爆発の仕組みは分かっていない。高山議員からの聞き取りで、ドアを開ける若しくはドアガラスを下ろすと爆発することは確定だ」

「その通りですが、若山議員の場合と比較すると”どうにか出来そうな”方法を封じる仕掛けがあると思われます」

「おいっ!今回の”檻”の仕様書はどこかに届いていないのかっ!」

桐山は部下に怒鳴る。「ありませんっ!」

「今の時点で、ドアに穴を開ける等の方法をとった場合の成功率は20%以下と見積もられました。また、ドアに穴を開けた時に、ドアガラスを支持しているアームが僅かにブレた場合、最大で2㎜、水平方向に倒れ込む可能性も高いと言うのが研究所の見解です」

「爆発しなかったら?」

「どう言うことでしょうか?」

「高山の隣にある爆発物がフェイクだったら?」

「そのような分の悪い賭けには乗れません」

「自衛官だろうっ!多少の危険は織り込み済みじゃないのかっ!」

「失礼ですが、桐山本部長。あなたは部下に死んでくれと言えますか?比喩じゃ無いんですよ。本当に死ぬんです」

桐山は言葉に詰まる。

「我々は国土防衛のためなら死ぬ覚悟はあります。しかし、このような事件で犬死をさせることは出来ません。それでも今の状況で救出作戦を敢行しろと言うのなら・・・」

「出来るのか?」

「我々を直轄している連隊長以下、少数精鋭チームが対応します」

コレはつまり、陸自司令官に「死ね」と命ずるのと同じだ。桐山にそんな権限は無い。救出を厳命すれば陸自司令官が出て来るしかないと言う「脅し」に近い。そして、失敗すれば死だ。

「報告があります」

「なんだ?」

「ドアを切り取る作業はリスクが高いですが、10㎝四方程度の穴を開けることは可能だと思われます」

「穴ぁ?」

「少なくとも水や食料の補給は可能と言うことです」

「・・・やれ。死なせたら元も子もないんだ」


 高山祥子は気が狂いそうだった。たかが車に閉じ込められただけで何でこんな目に遭わないと行けないのだろう。車の周囲を壁で囲われている間は、迷彩服の男たちが往ったり来たりした。車内の蒸し暑さは若干だが緩和された。壁の内側に挿し込まれた送風機のお陰だと言うことは理解出来た。だがそれだけだ。作業が終わると同時に、迷彩服の姿は消えた。ドアガラスに貼りつけられたスピーカーからの声が聴こえるだけだ。いちいちくだらない指示を出してくる。飲料水を届けるまで時間がかかるから、自分の尿を飲めですって?高山祥子は反発して、尿を垂れ流した。ついでに糞もひり出してやった。私が何をしたって言うの?こんな目に遭うようなことはしていない・・・高山は自分の犯してきた間違いを認めないから憶えてもいない。若者の命を喰らい、肥え太ったと言うのに。


車内温度は30℃を下回ることは無かった。いくら冷気を吹き付けたところで、一度上がった車内温度は容易には下がらない。高山の体温ですら熱源になるのだ。喉が渇く、空腹のせいで胃が痛む。とっくにジャケットは脱ぎ捨てた。そろそろ糞尿で汚れたこのスカートも脱ぎ捨てるようだろう。誰が見ていようと知ったことでは無い。その代わり、警察と自衛隊に関してはその不手際を国会で徹底的に追及してやる。最低でも億の単位の金をもぎ取らないことには収まりがつかない・・・

車内に監禁されてから7時間が経過した頃、ドアに穴を開けて補給をすると、窓ガラスに貼られたスピーカーが伝えてきた。忌々しいスピーカーだ。高山はわざと証言を拒んでいた。国会での取引材料にしてやる。死にたくはないから、どうすれば爆弾が爆発するかは教えた。大型車に連れ込まれたことも伝えた。ソレだけだ。犯人?そんなものは警察が歩き回って探せばいい。高山が見たのは、覆面をした男3人だけだ。そうだ、あの運転手。自分だけ助かりやがって・・・共犯として糾弾してやろう。いや、刑務所に送り込んで出てこれなくしてやる。高山はこの事件の責任を全て「誰かに押し付ける」ことで精神の平衡を保っていた。いや、この「他責主義」こそ、高山の行動原理なのだ。

高山の乗る公用車は事件発覚後2時間ほどで、パネルで囲われた。車を見下ろす窓はほとんど無かった。裏道と言うか、アスファルトの劣化した2車線にはちょっと足りない道路である。両脇のビルは背中を向けている。数少ない、公用車を見下ろせる階段の窓や、非常階段は警察が占拠した。


 SNSサイトではこの事件の概要が明かされつつあった。驚くことに動画配信者の中には「サーモグラフィ撮影装置」を投入した者が複数いたのだ。この画像から、高山の乗る公用車のエンジンが停止していること、車体温度が50℃を超えていたことが配信され、掲示板では様々な憶測が流れていた。高山死亡説も囁かれたが、車体をパネルで覆ったことで「生存説」が優位になった。何よりも、現場での動きが無いことが「生存説」を裏付けたようなものだ。「第二のZoo」と名付けられたスレッドは伸びに伸びて何本ものスレッドを消費した。SNSサイトでは、多分若者ユーザーが主導したのだろうと思われるが、「#高山処刑」が注目タグに躍り出た。ただただ事態を面白く紹介する発言が目立った。同じタグで高山の身を案ずる投稿もあったが、勢いがない。高山の悪辣さは、SNSのフォロワー数1万人レベルのユーザーが数年前から発信していたのだ。管理売春、人身売買何でもござれの悪の中心人物として。このユーザーは摘発を恐れて「アカウントに鍵」をかけていた。古い馴染みのあるアカウントにだけ情報を公開して、公開を受けたアカウントがたまに「それとなく」情報を拡散させていた。

この情報網は事件発覚後1時間で爆発するように情報をばら撒いた。

現場は警察に完全制圧されていたが、2機の小型ドローンが公用車真横のビルの屋上に着地していたことには気付かなかった。ドローンの飛行が禁じられている場所だ。そもそも、ドローンは市街地や道路上の飛行を禁じられている。つまり、想定されていないのだ。若山事件の時は大型ドローンが飛んだらしいが、あの地域は山の中だ。まさか人目に付きやすいこんな市街地でドローンを使う者などいないだろう。現にドローンに警戒を開始してからは1機も発見されていない。事件発覚後の早い段階で小型ドローンが既に着地済みだとは思っていなかった。ドローンには小型カメラが搭載されていた。画質は良くないが、映像はリアルタイムでドローン運用者の報道局に届けられていた。映像の公開には慎重さを崩さない報道部も、公用車がパネルで囲われたまでは公開するつもりだった。ただし、ドローンの存在を気取られたくはないので、公開するのは事件解決後と決定された。路上に停止している公用車の映像は放送済みだ。今は、報道部総出で、SNSサイトに情報を流しているアカウントと交渉しようと躍起だった。


 不思議なことに、決定的な映像や、確度の高い情報の持ち主はマスコミとの交渉を拒んだ。報道部は「事件に巻き込まれることを恐れたユーザーが多い」と判断した。「公共性が高い」と勝手に思い込んだマスコミは「無許可で動画や情報を収集」することにした。そして、この違法収集に異を唱える者はいなかった。ユーザーもこの無法を容認しているように見えた。


 夜になった。公用車を囲うパネルの密室の中には灯りがともされていた。大きなものではない。車内ではどうにか腕時計が読める程度であった。20:00になる頃、ドアガラスに貼りつけられたスピーカーから「車内に補給をするため、ドアに穴を開けるのでドアから出来るだけ離れて」と連絡があった。高山はもう限界だった。糞尿の臭いで呼吸をするのも辛い。仕方なく「口呼吸」をしていることが、喉の渇きに一層拍車をかけていた。暑い・・・喉が痛い・・・喉の痛みが乾燥からくるのか、水分不足からきているのかも分からない。だらしなく後部座席の右半分に身を寄せていたが、ドアに穴を開けるですって?渋々ドアから離れ、クソ忌々しい爆弾の入った箱に近づいた。あの男はドアを開けたりガラスを下げたりしたら爆発すると言っていた。触ったら爆発するとは言っていない。それでもこの箱に触るつもりは無い。


ドアに穴を開ける作業は慎重に行われた。ドア自体に振動を与えるだけでも危険なのだ。完全防備の自衛隊員が汗にまみれながら作業をする。もしも爆発したら、爆弾の規模にもよるが、ただでは済まないだろう。しかし、この作業での損耗は許容範囲だった。「成功の可能性が高い」のならば、自衛隊は犠牲を厭わない。

公用車の設計図から、穴を開けることが可能なのはドア下部のヒンジ側だった。ここに10㎝四方の穴を開ける。室内の高山から見れば、足元の下方になるが贅沢は言えないだろう。ドアの構造部材の「サイドインパクトビーム」が邪魔なのだ。慎重にドア外装をレーザーで焼き切っていく。車内にレーザーを撃ち込むことは出来ない。人がいるのだ。10㎝四方、つまり40㎝を焼き切るのに1時間かかった。ドアの内装はまだ見えない。簡易防弾板がある。コレは薄いのでカッターで切ることになった。ようやくドアの内装の裏側が見えた。高熱のカッターで丁寧に溶かしながら切っていく。

「ちょっとっ!臭いわよっ!なんでプラスチックを燃やすのっ!」高山は猛抗議した。糞尿臭の方が酷いのだが、誰かに文句を付けないとアイデンティティさえ暑さで溶けてしまいそうだ。自衛隊員は、やっと開けた穴から漏れる高山の糞尿臭に顔をしかめ、横柄な態度に少々腹を立てた。


(ドアを思いっきり蹴とばすのも一興だな)


 穴が開いた。間をおかず直径9㎝のパイプが挿入された。このパイプを通して補給するのだ。先ずは冷水が送られた。「ちょっとっ!コップなんか無いのよっ!気を使いなさいっ!」マイクが拾った罵声が救出隊の士気を削る。「もう死なせようか?」とは誰も言わないが、想いは同じだろう。「とにかく手のひらで受けて飲んでください」とだけ告げる。小さな紙コップぐらいならすぐに調達出来るはずだ。続いて食料が送り込まれた。手っ取り早く栄養補給をするために、自衛隊の糧食であるカロリーバーが選ばれた。味も悪くは無い。市販品よりも高品質なのだ。「不味い・・・他になんか無いのっ!」高山の高圧的な態度は留まるところを知らない。しかし、万が一「救出出来た場合」に備えて、自衛隊は慇懃に応じた。「我慢していただけないですか?明朝までに何か方策を考えます。今は水分と栄養補給だけを考えてください」高山のぶつくさ呟く声が聴こえるが無視することにした。今は救出のことだけを考える。補給がひと通り行われると、次いで車内に冷風が送られた。同時に他のドアにも穴が開けられた。これでとりあえずは高山が死ぬことは無いだろう。それでもせいぜい3日間だが。

 翌日もまた猛暑日になった。気温はぐんぐんと上がり、昼前には35℃になった。パネルで囲い、冷風を送り込んでも「輻射熱」で体感温度は上がっていく。サーモグラフィ画像では、車内シートの表面温度は30℃を超えている。高山も冷風に顔を近づけたりしたが、暑さは凌げなかった。


暑い暑い暑い暑い・・・暑い暑い・・・爆発する爆発する爆発する・・・暑い・・・暑い暑いっ!爆発爆発爆発・・・


高山の精神に変調が起き始めていた。狭い車内で糞尿にまみれながら暑さと爆弾の恐怖心に耐えることは出来ない。暑い暑い暑い・・・爆弾爆弾爆弾爆弾っ!いつものフレンチが食べたい食べたい食べたいこんなモソモソした固形食固形食嫌い嫌い嫌い・・・死ね死ね死ね・・・兵隊死ね死ね・・・暑い暑い・・・日本一の日本一の重要・・・重要爆弾爆弾・・・死ぬ死ぬ・・・たまにドアガラスから見える自衛隊のマスクの中は半笑いしている半笑いしてるワラッテイルワラッテイル酷い酷い・・・

 呆気なかった。数時間もまどろんでいれば上出来だろう環境で、高山は目を血走らせていた。高山は車に自衛隊員が近づくのを待っている。3人いれば助けてくれるはず、助けて助けてっ!2人の若い自衛隊員が補給品の切り替えで近づいてきた。凍らせた甘いドリンクを送り込んで慰めようとして。


(なによっ!考えてみれば、ドアを開けてしまえば爆弾は怖くないじゃないの。大きくドアを開ければ、私は爆風で飛ばされるだけ。自衛隊員が受け止めてくれるわっ!)


 高山が狂った目でドアロックを持ち上げた。危険だった。


「退避ーっ!総員退避ーっ!」号令でパネル周囲にいた自衛隊員と機動隊員は後方に走り出した。あまりにも近過ぎる場所にいた隊員はその場で腹ばいになり、ヘルメットを右手で抑えた。


轟音のあとに残されたのは、窓ガラスとフロントガラスが粉砕され、それでも形を留めた公用車と、高山の左手だけだった。高山の死体は爆発の衝撃で車外に放り出され、地面を転がり滑り、原型をとどめていなかった。ただ、ドア開閉レバーに指を引っかけた左手だけが不思議と無傷で残されていた。

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