第3章 Elephant.

第三の事件は高山祥子議員の「自殺」で決着した。まだ救出の可能性を残したままである。少なくともマルテ捜査本部はそう判断していた。ただこの事実を公表することは出来ずにいる。幸い、事件の全貌は知られていない。そう思っていた。


「今回の事件のやり口は荒っぽい。どこかに重大な証拠があるはずだ。洗えっ!」桐山本部長の号令の下、捜査員は犯行グループに繋がる情報を収集することに専念した。確かに手口は荒っぽかった。広い一方通行に大型トラックが進入、10数分後に高山を乗せた公用車が続いて進入している。直後、どこからともなく現れた警備員がこの一方通行を封鎖している。名目は「緊急水道工事」である。手際よくカラーコーンと虎柄のバーで道を塞ぎ、鉄製のお馴染みの看板を立てた。3人の警備員が通行止めを維持した。そして30分後、急に通行止めを解除して、資材と共に徒歩で現場を去った。

大きな資材は現場から20mも離れていない路上に放棄されていた。警備員の制服や装備が発見されたのは、そこから更に10m離れた狭い路地に面した空き地であった。大型車の線は無いと判断された。ドライバーは自分から出頭して、嫌疑不十分で釈放されていた。大型車内には、一切の証拠は残されていない。単に荷台を使われただけだろう。公用車を運びこむ時に使用された鉄製のスロープ板は車外で発見されている。


「ここです」捜査員が地図を拡大表示した画面を指す。現場となった一方通行から30m離れた細い路地だ。「この路地で犯行グループ、つまり警備員姿の男たちは着替えて逃亡したと思われます」「思われますだぁ?」「すいません、防犯カメラが無いんです。付近走行の車両のドライブレコーダーでは、道路封鎖の様子は確認出来ますが、この路地は死角となってました」「着替えたのなら、警備員の制服は押収出来ただろう。微物やDNAは?」「ポリバケツの中から発見されましたが、塩素系漂白剤に浸かった状態で、微物もDNAも検出不能でした」「制服の出どころは?」「奈良県内の警備会社から盗まれたものです」「盗犯か。捜査状況は?」


重要だと思われた証拠品に手掛かりは残されていない。奈良県警が言うには「ここは東京と違って、防犯カメラは少ない」ので、盗犯の映像は無い。道路を封鎖した資材も、奈良市郊外の工事会社の資材置き場から盗み出されたものだった。スロープ板でさえ、現場に持ち込んだ車両の特定が進んでいない。


「何故、犯行グループはわざわざ自ら行った通行止めを解除したんだ?」桐山はこの点が心に引っかかる。警備員姿の男たちは、解除なんかしないでサッサと逃走した方がはるかに「安全」なのだ。封鎖に使った資材など捨てていけばいい。一方通行は封鎖したままでも困らないのだ。それよりも資材を運搬中に見咎められる方を嫌うだろう。しかし犯行グループは、わざわざ解除した。これが高山事件の早期発見に繋がった。大型トラックが一方通行に進入後、僅か20分で公用車を拿捕し、仕掛けを施して路上に戻す。公用車を襲ったグループはそのまま徒歩で現場を去っている。一方通行の出口付近を映していた防犯カメラには怪しいグループは映っていなかった。この出口付近の防犯カメラの映像は徹底的に解析された。一方通行からの出口はここしかないのだ。必ず現場を立ち去る犯行グループが映っているはずだ。目を皿のようにして画像の粗い動画を何度も巻き戻しては再生をくり返した。結果、幹線道路を走る大型トラックがカメラ前を通過した直後に犯行グループらしき4人が映っていた。正しくは、画面左から大型トラックが横切り、通行人の人数が4人増えた。カメラ映像の左から右へ向かう通行人が10名映っていたが、トラック通過後に14人に増えた。これ以上は画像が粗くて判然としないが、増えた4人が犯行グループだと推測出来た。この4人を追跡しようと、付近の防犯カメラの映像が集められたが、空振りに終わった。4人は幹線道路の歩道を20mほど歩き、路地に消えた。路地を映すカメラは無かったので、確実では無いが、次の防犯カメラのエリアには怪しい人物がいない。路地に入り、着替えてからもと来た道を戻ったのだろうと結論された。そして、犯行グループ仲間の車に乗り込んだか、道路沿いのビルに入ったのだろう。こうなるとお手上げだった。解像度の高い映像はとうとう見つからなかった。ドライブレコーダーの映像は可能な限り収集、確認されたが・・・


公用車に残された証拠も集められた。爆薬はC4(プラスチック爆薬)が使われていた。若山事件では「アンホ爆薬」も使われていたが、高山事件では爆発力と瞬時に反応する性能を満たすためにC4のみを使ったのだと思われた。車内は高温高圧に晒され、物証は発見できなかった。また、この犯行グループが社内に証拠を残すとも思えなかった。現場に入った鑑識課員は地を這い、舐めまわすように証拠を探した。結果、爆薬の組成や使われた部品の残骸は発見出来たが、爆薬を除けば、どこにでもある部品ばかりである。使われていた被覆線(電流を流す電線)の一部に「市販品ではない」ものがあり、この線から捜査が進むかも知れないと期待されたが、この被覆線はとあるメーカーの電気製品から転用されたものだと分かり、捜査員は落胆した。20年以上前の電子レンジかトースターから引き抜かれた電線なんぞは追いかけようがない・・・

高山事件は大々的に報道された。高山祥子の困窮者・貧困者ビジネスは大きく報じられたことは無いが、いわば公然の秘密であったし、与党でも野党でもない無所属議員である。忖度する必要は無かったのだ。ただ、警視庁から死因の報道は控えるようにとの通達があった。警視庁は難しい判断を迫られたのだ。若山事件は「熱中症による脱水死」から、現場での爆発が起こったと発表された。詳細は公表されていない。高山事件は市中で起こり、悪いことに一部始終をテレビ局が飛ばしたドローンで撮影されていた。公開できたのは公用車をパネルで囲んでから、爆発が起こる1時間前までの映像だったが、この映像で公用車内に「何らかの補給」、つまり飲料水や食料、更には公用車を冷やす大型のクーリング機材の使用まで映っていた。死因を「熱中症」と発表するには無理があった。しかし、警察や自衛隊が見守る中で「爆死」したとあっては、失態を糾弾されても仕方がない。結果、気温が上がり、何らかの火にガソリンタンクに引火したと発表された。「連続爆死事件」ともなれば、蜂の巣をつついたような騒ぎになることは目に見えていた。当然、SNSサイトは規制された。事件に関係する投稿は即時削除の対象となり、同アカウントは凍結の処分を受けた。徹底して言論を封じた形だ。そして、また若山事件と同じことが繰り返される。「匂わせ投稿」を慎重に追うと、とある私設ニュースサイトにアクセス出来る。そのサイトはフィリピンに開設され、ロシア語で検索しないとヒットしない。それも、アメリカのマスコットキャラクターの名前を冠したサイト名である。ただ、ここをリーチサイトとして、アメリカ国内の「日本語サイト」に飛べる。帝政ロシアを名乗るサイトは、中東を経由して開設されていた。インターネットに詳しいグループの関与が疑われる。中東やアフリカ、紛争中の地域を抱える国等を介した場合、追跡も管理者の特定も出来なくなるケースが多いのだ。日本からのアクセスは遮断出来なかった。フィリピンもアメリカも「友好国」なのだ。ここで関係をこじらせるわけにもいかず、日本政府が根回しをして正式に該当サイトの凍結がなされたのは、事件から1週間後だった。情報が拡散するには十分な時間だった。


(連続爆破事件だって!)

(天誅って奴?)

(ZOOってえぐいな)

(やり口がプロだよね)

(ざまぁって感じぃ)

(高山は人〇しだったしな)

(ソレどこ情報?)

(ソースは消えたよ、インフルエンサーが関連を調べてるって)

(情報統制あるよ)

(検閲反対!)

(もう凍結祭りが始まってる)

(ZOOの応援しない?)

(移転先、探したい)


9月1日、言論の自由が復活した。最初に気付いたのはネットニュースメディアだった。彼らは毎日、確認のためにわざわざ検閲を受けそうな投稿をしていた。1時間おきに1回ずつ。当然、この投稿は陰で非公開にされていたが、9月1日、0:00をもって全ての投稿が公開になった。投稿するアカウントを社員や外注のライターがフォローしていたが、8月31日までは表示されなかったアカウントの投稿が読めるようになった。この事実は、最初はそのメディアのニュースでひっそりと報じられた。やがてそのニュースはSNSサイトを駆け巡り、ユーザーは「自由だっ!」と沸きに沸いた。今までの規制が嘘のように消えたのだ。規制をかけていたのは「政府か警察」と言う言説から、この突然の解放である。政府は(警察は)とうとう真実の隠ぺいを諦めたと、ユーザーたちは凱歌をあげる。


事件発生を「模型の送付から始まった」と数えれば、半年で情報は全て国民の知ることとなった。最後の犠牲者は1か月半前、夏の車内で死んだ高山となる。この事件もその概要がSNSに流れて行った。大手メディアは関知せずの態度を貫いたので、高山の死の瞬間映像は出なかった。しかし、大方の想像通り、若山事件と同じように「爆発が起こった。この爆発で高山は死んだ」ことが噂以上の信頼度アリとして伝わっていった。

そして、松下党首の行方探しが始まった。警察でも公安でもない。SNSユーザーが自発的に情報の交換を始めていた。「松下は死んだのか?」と言う問いかけから始まった「SNS探偵」の活動はあっという間にピークに達し、巨大掲示板にも専用のスレッドが立った。

高山の死亡の報を受けたマルテ捜査部には、ある種の諦観がはびこり始めた。この事件に終わりはあるのだろうか?松下党首は行方不明のままだ。拉致監禁から「犯行グループからの要求」と言う既成概念は崩れそうになっていた。もしかしたら・・・もしかしたら犯行グループには何の要求も無いのでは。そうなると捜査手法が限られてくる。「要求がある」と考えているからこそ、あの忌々しい檻の仕掛けの解除方法もあると思っていた。マルテ捜査本部長の桐山は頭を抱えそうになったが、今ここで自分が折れてしまうわけにはいかない。


「おいっ!本当に何の要求も無かったのか?確認しろ、全ての連絡手段を洗えっ!」桐山はそう命ずると、喫煙コーナーに足を運んだ。庁舎内は全面禁煙だが、古いタイプの刑事には愛煙家も多く、非公式だが喫煙所があるのだ。桐山は壁際にあるカップ式の自販機でブラックのアイスコーヒーを買う。決まったようにノンシュガーコーヒーを飲む。合成皮革の長いベンチに座り、足を投げ出して深呼吸をする。自分が落ち着かねば。そうすれば何かの見落としに気づくかも知れない。

隣にあの若造が座った。忌々しい男だ。高山の死後もマルテに居座り、捜査状況を確認しては18:00過ぎに部屋を出ていく、たまにふらりと消えることもあるが、マルテの捜査状況が気になるらしく、1日の大部分をマルテで過ごしていた。いつも持ち歩いている携帯ゲームはクリアして別のゲームを始めていたが・・・

佐川陽介。多分「偽名」だろう。内閣調査室のエージェントはその存在すら悟られていないのだ。省内だけで通用する記号、ソレが「佐川陽介」と言うだけのことだ。佐川は1度、桐山の隣に座った後すぐに立ち上がり、目の前の自販機で炭酸飲料を買って、また桐山の隣に座った。

「何だ、何か用か?」

「桐山さん知ってますぅ?女川弁護士夫妻が行方不明だって話」

何が「ますぅ?」だ、気の抜けた言葉を使いやがって。今はそんな夫妻を気にしてる状況にないじゃないか・・・いや、待てよ・・・?

「女川って、”あの”女川かっ!」

「怒鳴らないでくださいよ。聞こえますって。そうですあの女川夫妻です」

「聞いてないぞ?」

「まだ捜索願が出てないだけですね。今朝、弁護士会館で行われた会議に出席するはずでしたが、来なかったそうです。その後も連絡が取れないので、女川夫妻の所轄署に相談があったと言う段階です」


高山の事件から2週間が経過していた。暑い夏は捜査員の体力どころか気力まで削っている。松下はどこにいる?高山事件の捜査はどこまで進んでいる?

捜査は進展していない。桐山の叱咤に耐えながら捜査員は靴底を減らす。そこへ、今度は弁護士夫妻だと?

「国会議員じゃないのか?」桐山はカップの底に残った氷を見詰めながら呟いた。

「さぁどうでしょう?Zooが狙っているのは国会議員だけでしょうか?」

「高山みたいな・・・いやいい。女川夫妻も標的になるのか考える」

危なく、「高山みたいなアバズレ」と、本音が出そうになった。

「考えているうちに、どこかで発見されそうですよ?」

「お前、何を掴んでいる?」

「何も」佐川は肩まで上げた両手を肩と共にすくめた。


あと3日で8月。

3つ目の「檻」は準備を終えていた。


「なぁ?」パソコンに向かっていた30代と思しき男が振り返りながら問いかける。問いかけられたのは、同じく30代らしき男だった。「なんだい?」「SEは何してるんだろうな?」「ありゃぁ何考えてるか分からん」「つってもリーダーだしなぁ、どこにいるんだろ?」問いかけられた男は天井を指差した。「上にいるよ。今頃野球でも観てるんだろうよ」「かぁー、余裕あるな」

犯行グループ「Zoo.」のアジト、東京サテライトにいるメンバーは随時入れ替わる。基本的に檻ひとつに付き班別けされ、一度犯行に関わった者同士は二度と会うことは無い。この調子ではどこぞのコンビニのように人手不足になりそうだ。時計を見ると午後7:30を回っていた。2階のドアが開く音がした。防音の良い物件だが、ドアの軋みは微かに伝わる。ドアは一度閉じられ、数秒後にまた開いた。パソコンに向かっている男を置いて、もう一人の男が支度を始めた。「散歩のお誘いだ」


2階の夫婦者に子供はいない。平凡な夫婦であった。多少、妻が美形だったが、芸能界入りするほどの美形でもない。清潔感のある20代後半の女性と言ったところか。夫には取り立てて特徴は無い。いや、全てが「平均値」に近いので悪目立ちすることはありそうな感じである。夫婦は賃貸の階段を降りると、そのまま駅前のスーパーに向かう。「散歩のお誘い」を受けた男は無関係な方角に歩いていく。ポケットに突っ込んだ片手に硬貨が振れる。


(缶コーヒーでも飲むか・・・)


ちょっと先に見える自販機の灯りを目指した。お目当ての缶コーヒーのボタンを押す。まだ100円で売っているのがありがたい。「Zoo.」のメンバーと言っても「お手当」が出るわけではないのだ。多少の借金を抱え、解散後の報酬だけが頼みの綱だ。「SE」と呼ばれるリーダーはそう約束した。

プルタブを引くと一気に飲み干した。夏の夜に自販機で買ったばかりの缶コーヒーは最高のご馳走だ。しつこく甘いのもご褒美だ。空き缶をくずかごに放り込むと、先にある公園まで歩き始める。恐らく、公園到着は2階の夫婦者とタイミングが合うはずだ。いつもそうだった。日曜日の昼間の公園、夕方の公園。時間帯は様々だが、必ず邂逅出来ている。今回もだ。


「相変わらず奥さんは綺麗だな、おい」

「まぁ惚れた弱みでね・・・」

「よく言うよ、奥さんは何も知らんのだろ?」

「ああ、アレは耳が聴こえないからな。利用しているわけでも無いし」

「まぁいいや、女はどうする?」女川夫妻は「女」と言う記号に置き換えられている。

「警が動くのを待つ」

「Kね・・・動くかね?」

「動くさ。しかもろくでもない方法でな」

「ろくでもない?」

「対策は考えてある。トッポは?」

「押し込んだままさ、美味しいご飯を暗闇で食ってるだろう」

「トッポの始末はまだ先の話だ。それまでは健康なままで飼っておく」

「そう来ると思ったよ。それでいいのか?」

「もう2つ3つ、個室を用意しないとならん」

「おい、時間・・・」

「2分か、ま、すれ違いに挨拶しただけだ」


そのまま夫婦と30代の男は公園出口まで一緒に歩き、出口を出た後、軽く「バイ」と手を振って別れた。夫婦者はこのあと、お目当てのコンビニでくじでも引くのだろう。30代の男は自室に帰らずに、駅前のパチンコ店で1時間ほど遊んだ。


 完全に弄ばれている・・・桐山はモニターを見ながら歯噛みする。政治家、政治家ときて、政治家の警護を固めたところで今度は弁護士夫婦だ。考えてみれば、犯行グループは「政治家を狙う」とは言っていないのだ。攫われた弁護士夫妻「女川剛・綾子」は、一般国民から見たら、「政治家並みの国民の敵」であった。つまり、犯行グループはターゲットを「国民の敵」に絞っていると言うことになる。これでは、この先誰が標的になるか予想もつかない・・・違う、「この先」は無いんだ、絶対に松下と女川夫妻を救出するのだ。

女川夫妻の行方不明に関しては「報道協定」が結ばれた。各報道局の次長クラスが「オフレコ」を条件に、秘密裏に集められ、「失踪なのか誘拐なのかはまだ未確認だが、万一のことを考えて報道は差し控えるように」と通達された。ただ、弁護士会の立場からすれば、女川夫妻ほどのビッグネームが不在のままと言うのも隠しようが無いので、2回ほど「東京のローカルニュース」で夫妻が失踪したと報道することが承認された。実際、犯人からの要求も無く、かと言って女川夫妻が行方をくらます理由もなく、この事件は「松下党首捜索」の影に隠れたようなものだ。

 女川夫妻。夫も妻も弁護士である。主に刑事事件を得意とするが、その弁護姿勢は度を超えて法を舐め切ったものだった。死刑囚の弁護団に名を連ね、あらゆる手段を使って死刑制度廃止に持ち込もうとする。被害者遺族はもとより、国民からも嫌われていた。今抱えている事件の主犯と共犯者は死刑判決が確定している。それでも「再審請求」をくり返して延命を図っている。コレが”正義感”からの行動ならば、幾ばくかの援護もあったのだろうが、これら「死刑囚の弁護団に名を連ねること」が売名行為であることは明らかであった。弁護を引き受け、結局は刑が執行されると、女川夫妻は次の「目立つ犯罪者」に近づいていくだけなのだ。そして今は「難民問題」に興味を示しているらしい。勿論、移民側の弁護を目的に。移民弁護ともなれば、巨額の金に手が届く。移民を擁護している団体の資金は潤沢だ・・・

 桐山は喫煙所でため息を吐く。被害者は国民から「敵」と認定されている。確かに、被害者側の人間は人脈も地位もあり強固であるが、右も左も、保守も革新も無い「無辜の民」にとっては、生活を苦しくし、凶悪犯罪者を弁護して高笑いする「敵」でしかない。普段の生活では意識しないが、ニュースになれば「またこいつらか」となるような者ばかりなのだ。桐山も仕事を切り離せば、若山も高山も松下も・・・女川夫妻も「国民の敵」だと言うことは理解出来る。しかし、自分は職務上、そんなことは言えない。特に今回のような大規模テロともなれば、マルテ捜査本部長としての責を全うする覚悟もあった。


その桐山の眼前に紙カップが差し出された。考え事に忙しくて気付かなかったが、誰か他の課員がタバコを吸いに来たらしい。

「桐山さん、ブラックのアイスコーヒーでしたね」桐山に紙カップを渡すと、その男は隣に座った。涼しい顔をして炭酸飲料の香りを漂わせている。

「佐川、か。何の用だ?」渋々と言った体で紙カップを口に運ぶ。

「桐山さん、信頼出来る部下はいますか?勿論、今のマルテの中にってことですが」

「副本部長。当たり前だろう、信頼出来る人間だからこそ俺の直下のポジションにいる」

「捜査に関してはどうでしょうか?」

「それも信頼出来る。ヤツぁ公安とも親交があるほどだ」

「じゃ、マルテを任せることは可能ですか?」

「何が言いたい?俺は無能なせいでクビか、はっ!」

「うちに来ませんか?」

「なんだと・・・」

「内閣調査室付けと言っても、完全な独立チームです。権限はご存じの通り。必要があれば警視総監だって拘束出来ると言えば分かりやすいですか?」

「なんでお前のような青二才がそんな権限をっ!」

「まぁまぁ。言い過ぎましたが、内閣調査室の”機動部隊”みたいなもんです」

「そこへ来いと?容疑は何だ?」

「あははー。違いますよ、メンバーとして来てくれませんか?」

「お前、馬鹿か?捜査本部をおっぽり出してお前の部下になれってか」

「犯行グループ、アゲたくないですか?」

「・・・どういう意味だ?」

「今のマルテでは無理です。やり方が古臭い」

「この捜査方法で戦後の治安を守ってきたんだっ!」

「時代が変わりました。そろそろ新しい手法も考えねばならない時です」

「ソレが出来るのがお前らってか?自惚れるのも大概にしろ」

「だからですよ」

「何がだ?」

「僕たちのチームは犯行グループを追い込むことが出来ます。しかし実際の現場の人間を指揮したり統制したりは苦手なんです」

「だから手を組め?」

「簡単に言えばそうです」

「ふざけるな。俺は警察官だ、内閣調査室のコマになる気は無い」

「内調では無いんですが・・・まぁいいでしょう。その内調の特別班の次席を用意します」

「はぁ?」

「つまり、僕と同じポジションですよ。上にいるのは室長だけです」

「なんだその室長って言うのは」

「特別班の班長じゃ響きが軽いもので・・・室長と言う呼称になってます」

「マルテを捨てろというのか、馬鹿かっ!」

「マルテは副本部長に任せてしまえばいい。マルテの協力も必要ですから」

「待て待て。その特別班に入りメリットが無いじゃないか」

「質問されると言うことは、多少は心が動いてますか?」


 桐山は、実はこの佐川と言う男の話に興味を持った。それも「強い関心」とも言えるレベルで、だ。何よりも「犯行グループをアゲることが出来る」と言う言葉に魅かれた。確かに、今のマルテの捜査能力で犯行グループまでたどり着けるかどうかすら分からないのが実情だ。地道に残された物証を調べ、そこから得られたデータを元に刑事たちが歩き回る。犬も歩けば棒に当たると言う話を地でいくしかない。そしてソレにも限界はある・・・

「内調に行くってことは出向となるんだよな?」

「これ以上は桐山さんの返答を待ってからお話しますよ」

「Noと言えば?」

「僕はこのあと、次のゲーム機を買いに行くことになりますね」

佐川の口ぶりから、この異動の話は「出向」なんてレベルでは無さそうだ。明確に「出向です」と言わないのだから当然だろう。そしてここで断ることも可能だし、その代わり明日からは新しいゲームに興じる佐川を横目で見ながら、進展しない捜査に苛立ち続けるのだろう。

 桐山は両手を肩まで挙げて小さく万歳をした。

「ふん、毒を食らわば皿までじゃねーぞ、しくじったら室長とやらの上司の喉笛まで嚙み切ってやる」

「あはは、じゃその喉笛が噛み切れそうか確かめに行きましょう」

「なんだ、今すぐか?」

「この話は非公式なんですよ。誰も桐山さんをスカウトなんかしていないんです」

「内調って奴ぁどうしようも無ぇな・・・」

「だから存続出来たとも言えるんです。この話は室長から話がありますよ」

「マルテはどうするんだ?」

「桐山さんが体調を崩してる間は副本部長が指揮を執ります。その後、正式に本部長に昇格するでしょう」

「俺はもう、マルテでは用無しってことかよ」

「表面上はマルサに出向ですね。あそこも捜査する人員が足りない。やり手の桐山さんなら上手くやるでしょう」

「なんだって?」

「あとは室長とお話ください」

「マルテはどうなる。しばらくしたら解散か?」

「いえ、ケルベロスの一角として機能します」

「ケルベロス?」

「失礼。これ以上はまだ言えません。さ、室長が待ってますので」


「おい、大久保。行くぞ」東京都日野署の刑事、木田は相棒に声をかけた。「どこにです?」と答えながらスーツの上着を自分のデスクに放り投げた。この暑いのに”外回り”とは嫌なことだ。

「車、あるか?」「覆面でしょ、抑えてありますよ。この先着順と言うのは勘弁して欲しいっすね」日野署が擁する車両の数は限られているので、大久保はサッサと確保する癖がついた。確保した以上は使わねばならないので、暇な日は木田を乗せて「パトロール」する日もある。木田を乗せていれば文句も言われまい。

「で、どこに行くんですか?」

「アリバイ作りさ」

「は?」

「アリバイを作って来いと、警視庁からのお願いが来た」

「はぁ?」


「車の中で話す。お前が聞きたいって言うならな」

「そりゃ聞きたいですよ、なんで刑事の僕たちがアリバイを作る側なんですか?」

「全部車の中で話す」

「ヤバい話ですか・・・?」大久保は小声になる。「ヤバい?違うさ、”危険”なんだよ」


署の裏の駐車場から覆面パトカーを乗り出したところで木田が命じた。

「市内を1周しろ。そのあとで○○パチンコ店に向かってくれ」「市内1周で話してくれるんですね?」「そうだ、ちょっと長い話だ」大久保はなるべく速度を出さないように注意しながら国道を避け、器用に市の外周に車を走らせた。警察署員にとって、この市は「庭」と同じだ。

「なぁ大久保」

「はい」

「お前、スマホ持ってるよな」

「あー、仕事用の方ですよね」

「そうだ。俺たちは仕事中にプライベートの端末は携行出来ない」

「朝、ロッカーに入れて鍵をかけるのが規則ですからね」

「つまり、私用でスマホは使えないわけさ」

「まぁ・・・木田さんが女のところにかけてるのは知ってますが」

「その程度は黙認さ。反社と連絡を取ったら懲罰になるけどな」

「そのスマホがどうかしましたか?」

「官給品のスマホは盗聴されてる」

「マジですか?ソレは色々と問題があるんじゃないですか?」

「業務用端末だ。盗聴したところで問題はないって、内々に了承されてる」

「はぁ。これからは気を付けます」

「そうじゃないんだ。話はもっと複雑で裏がある」

「盗聴だけじゃない、と?」

「なあ、数年前にブクロだったかで車をひっくり返した馬鹿がいただろ?」

「あー、いましたね。3日で逮捕されて・・・確か防犯カメラとかの画像解析をリレーして、容疑者のアパートまで追跡したとか」

「ありゃ、半分嘘だ」

「どう言うことです?」

「ブクロから長野県まで、隙間なく防犯カメラがあったと思うか?」

「あったから追跡出来たんじゃないですか?」

「今追ってるZoo.の件でお前も分かったんじゃないか?都内だって防犯カメラに映らない場所が結構あると」

「・・・」

「ブクロの件は単純なんだ。容疑者のスマホのGPSを追いかけただけだ。犯行後、すぐにGPSを掴んで、アパートに帰ったところまで確認されていた。多少のタイムラグが無いと国民に疑われるからな。2日間は泳がせて、適当な防犯カメラ映像を選んで公開した」

「それ、おかしいですよ?GPSなんか切ってしまえばいいじゃないっすか」

「そう。犯罪者はGPSを切るのが定石だが、アレは実際は”切れない”んだ」

「はぁ?」

「操作してる持ち主はGPSが切れていると思っているし、通常の方法では自分のGPS情報が垂れ流しだとは確認出来ない。実際、民間のその手の解析に詳しい機関だって確認不能だろう」

「でも切れていないと言うんですか?」

「表向きはGPS情報を参照出来ないだけだ。まあ普通の国民なら問題も無い。犯罪者にとっては頭が痛い問題だろうがな」

「どの程度の・・・なんと言うか・・・情報が分かるんですか?」

「さあここからが問題だ。たとえGPS情報を掴めても、誰の情報かは分からんだろう?」

「そりゃそうですよ。今のスマホ普及率は95%超えです」

「繁華街の真ん中で騒ぎを起こせば、現場にいる人間の全員のGPS情報が割れるんだ」

「なんですって?」

「そしてここまでが”法的グレーゾーン”なんだ」

「グレーゾーン?」

「GPS情報の提供元は携帯各社なんだよ」

「はぁっ!?」

「お前、ビッグデータって言葉、知ってるだろう?」

「はい」

「アレはユーザーの許可を得て収集しているって言うのが建前だ」

「違うんですか?」

「お前、スマホ契約時に”データは収集されて他社に提供されることがあります”みたいな言葉を聞いたことがあるか?」

「ないっすね」

「そう。説明しないのは法令違反だが、契約書のどこか端っこに小さな文字で書いてある」

「説明するのを忘れたって言う詭弁ですか?」

「その通りだ。総務省が本気を出せば、携帯各社は処分を受けるだろうな」

「続きを聞かせてください」

「つまり、繁華街で馬鹿をやった連中は即座に特定される。携帯各社はビッグデータについて、個人の属性を排除したデータのみ利用すると言っている。男か女か、年代はってぐらいのざっくりとした情報だな。コレだけでも、とある駅の利用者の属性や、その駅に人が集まった理由・・・そうだな、大規模イベントとかそんなもんだ。コレが以後のマーケティングに役立つって話だ」

「しかし実情は違うと」

「個人情報にマスクをかけたりしていない生のデータも蓄積される。あのブクロの事件では、防犯カメラのリレーで逮捕に至ったと発表されただろ?あれはデモンストレーションだったんだよ。防犯カメラから完全に逃げることは不可能だって意味のな。実際は、凶悪なひき逃げ事件すら、犯人逮捕に至らず3年さ」

「しかし、ブクロの事件ではけが人すら出ていないじゃ無いですか」

「だからデモンストレーションなんだよ。このGPS監視網が実際に使われるとしたら、まぁ上級国民が被害に遭った場合だな」

「じゃ、Zoo.の件もそうやって追い込んでいるってことですね」

「違うんだ。ここから先の話は絶対に人に言うな。署内でも言うな。俺はお前が巻き込まれないように話をするが、お前は自分を守れ。公安はパンドラの箱を開ける気だ」

「パンドラ?」

「国民監視システム、通称”kaleidoscope”を使うとさ」

「カレイドスコープ?万華鏡って意味ですよね?」

「経緯は知らないが、このシステムはそう呼ばれている。勿論マル秘だし、システムの存在を知る者は警察上層部にだって一握りしかいない」

「木田さん、そんな情報を何で知ってるんですか?」

「過去に首相暗殺未遂事件があったよな」

「遊説中に狙われた事件ですよね」

「あの事件の捜査に加わってな。本庁の廊下で立ち聞きしたんだ」

「あの事件では現行犯逮捕じゃないですか。捜査する必要もない」

「いや、背後関係を洗う段階でKSシステムを使うかどうかって話していた」

「立ち聞きされるような場所でそんな重要な話を?」

「喫煙所で世間話って体でな。俺は喫煙所の入り口前で耳ダンボさ(笑)」

「で、全貌が分かったと・・・」

「いや、あの事件ではKSは使われなかった。国民に知れたら大騒ぎどころじゃないからな」

「木田さんはなんでその全貌を知ったんですか?」

「ヒントは某国にある似たようなシステムだった、あの国では”Split”って名前だったし、国民に知れてしまい、稼働停止ってことになってるが、どっこいシステムは生きてるし稼働している」

「はい?」

「内緒で情報収集してるんだ。分かったろ?俺たちは”KSの稼働で犯人逮捕”ではなく、捜査員の地道な捜査が逮捕につながったって国民に思わせるアリバイ要員さ」

「と言うことは、捜査対象はかなり広がりますよね?」


「容疑者は”全国民”さ」


佐川に案内された部署には何の看板も無い。ドアも真っ白だ。

「ココが我々の本部です。いや、支部は無いんですけどね」

「公安か?」

「桐山さんはその所属にこだわる癖を捨ててください。ここは内調別班ですが、指令系統に組み込まれていません。我々に命令出来る権力はありませんし、我々が統括する部署もありません。情報収集とその情報を最適な時期に最適な部署へ。ソレが我々の役目です」

「分かった」

「では、室長がお待ちしておりますので・・・」

佐川はドア横にあるセキュリティボックスに手のひらをあてた。

「あ、ここは生体認証で護られてます。桐山さんもあとで登録してください」

「面倒なこった」

横に滑る自動ドアを抜けると、正面と右にドアがあった。真っ白なドアには何も書かれていない。佐川は桐山を右のドアに案内した。「室長室です」「正面のあのドアは?」「僕たちの勤務室ですよ。後ほど案内しますが驚くと思いますよ」桐山は顎を引いて案内されたドアを潜った。かなり広い個室だった。正面に佐川の言う「室長」と思しき男が座る大きなデスクがあり、その手前に向かい合う形で、こちらも大きめのデスクが2つ置かれていた。「室長と僕たちの席ですよ。捜査以外の仕事はここで」「ゲームもか?」桐山は嫌味を言ったが「やりたいゲーム、ありますか?」と訊き返されて毒気を抜かれた。


室長はまだ40代だろう若さだ。ネームプレートもIDカードホルダーも身に付けていない。「奥村です」そう言うとデスク越しに右手を差し伸べてきた。素直に握手をするのも業腹だが、さりとて今後は直属の上司である。桐山はその手を握った。

「佐川。どこまで桐山さんに伝えた?」年上の桐山に敬語を使う程度には常識があるようだ。佐川は肩をすくめて「特に何も」と答えた。そうだ、俺は何も聞いてはいないと、桐山はこの時初めて気づいた。

「桐山さん。ここの存在を知った時点で、異動を断る権利は無くなりましたが、承知済みですよね?」

桐山は短く「ああ」と答えた。

「ここの目的は情報収集と解析から犯行グループを割り出すことです」奥村は立ち上がって左右に3歩ほどずつ動き始めた。「詳しい説明は佐川に訊いてください。最初にお断りしておきますが、ここは”存在しない部署”だと考えて下さい」

「どう言う意味だ?」

「言葉通りです。僕たちは存在してはいけない人間で、職務も当然マル秘どころか”Nothing”となります」

「内調のやりそうな手口だな」

「内調は関与してませんし、警視庁も公安も知りえない存在。ソレがこのkaleidoscopeです」

「kaleidoscope?万華鏡って意味か?」

「システムの仮称ですよ。正式名称はまだ無いですし、今後も名付けられることはないでしょう」

「システム?」


 木田はため息を吐くと、淡々と語り始めた。大久保は静かに聴いている・・・

「わが国では存在してはいけないシステムさ。さっき、国民監視システムと言っただろう?文字通り、国民を完全に監視するんだ。このシステムを運用することはまだ禁止だ。現在のところは上級国民が犠牲になってもシステムは動かさない。伝家の宝刀ってヤツだ。そうだな、天皇陛下や宮家が犠牲になったら・・・いやその可能性があれば使うだろうって言うほどのヤバいシステムが”kaleidoscope”なのさ。情報収集の方法は主に盗聴や違法捜査だな」

「ちょっと待ってください。違法捜査?」

「今説明するわ。先ず通信の秘密なんざ通用しない。今はインターネット全盛だろ?ココを経由した情報は全てkaleidoscopeに集められる。膨大なデータ量だが、俺が聞いたところでは3日間はログを遡れるらしい。電話だって携帯キャリアが協力してれば簡単だろう?メールもSNSも全部、運営元が情報を渡すのさ。それなりの見返りを受け取ったうえでな。さっき、GPS情報の話をしただろう?全てはそこから始まった。国家がいち個人を特定することが出来るようになった」

「個人情報?」

「そうだ。隣の国で既に国民に周知されて運用してる”ティンワン”は画像判定で個人を特定する。特定されればその個人の情報はダダ漏れさ。信用スコアまで出る。ま、あの国は人口が多過ぎるしAIの判定にも甘さが残る。しかし、kaleidoscopeは違う。そんな甘っちょろいもんじゃないんだ。大久保、お前は鬼ごっこは好きか?」

「はい?鬼ごっこって、捜査してる僕たちが鬼の役でしょう?」

「違う違う。例えばそうだな・・・3日後にスタートする鬼ごっこで、3日間逃げ切ったら30億円。やるか?」

「3日間かぁ、条件次第ですね。GPS機器を持っていろと言うなら断りますし」

「条件は無いさ。国外逃亡は禁止だが、あとは好きにすればいい。アレだ、人質を取って立てこもるなんて手は禁止だ。お前は逃げるだけでいい。逃走資金はいくらでも使っていい。どうする?」

「やめておきます」

「賢明だな。このゲームは”追う者”が圧倒的に有利なんだ。3日後から始まるって言うのが曲者でな。追う者は鬼ごっこ開始の数日前から逃走者を特定する」

「卑怯でしょ」

「いいじゃないか。スタート地点は東京タワーの下でもスカイツリーの下でもいいさ。鬼は12時間は動かない。今の日本じゃ、12時間あれば列島の端っこまで行ける」

「閉じ籠るのはいいんっすか?」

「好きにすればいいさ。GPS端末も持っていないと言う破格の優遇を受けても、2日後には捕まる、ソレがkaleidoscopeってシステムさ」

「閉じ籠っても?」

「公共の交通機関を使ったらアウト。自動車で移動なんざ、僕はここにいますよって宣伝しながら走るのと同じだ」

「逃げきれない、と?」

「もうこの国は監視カメラだらけだ」

「はい?じゃぁなんでZoo.は逃げ切ってるんですか?」

「簡単さ。kaleidoscopeを使っていないからだ」

「そんなシステム、本当にあるんですか?」

「お前が思っているよりもヤバいレベルでな。ログが3日間は残る。つまり4日間以上の活動をした場合、非常に高い精度で特定するだろうな。あらゆる情報が紐づけされる。最初はスマホなんぞのGPS情報からだ。そして5日目には”虹彩認証”で特定、追尾が始まる」

「いや待ってくださいよ。虹彩認証は本人が登録するもんでしょ?」

「あるスマホを持った人物と言うところまで特定したら、駅の改札でもどこでも虹彩認証のための情報が収集される。最近、駅の時計がデジタルになったの、気づいてるか?」

「ああそう言えば・・・」

「時計がある場所も変わった。今は改札前にあるだろ。しかも”見やすい高さ”に」

「そう言えばそうですね。いや、時計で収集とか悪い冗談ですよね?」

「誰もが無意識に見るのが駅の時計さ。特に何か用事とか、遅刻なんぞがかかれば必ず駅の時計は見るもんさ。しかもあの時計は表示が若干暗いんだ、気づいてるか?」

「そこまでは気にしてないんすけど」

「しっかり”視る”ように設計された時計さ。同じように、人が日常生活で必ず”視る”ものにはカメラが仕込まれていると考えた方がいい」

「見るだけですよね?」

「そうだ、見ると高画素のカメラで撮影される。可視光と赤外光でな。それだけで虹彩認証情報が収集される。俺の知る限りでは、精度60%ほどだが、何度も収集をくり返すから・・・」

「日常生活って、どの範囲ですか?」

「全て。歩道にある変電設備やら雑居ビルの階段の上まで、守備範囲だとさ」

「勝手に監視カメラの設置は出来ないでしょう?」

「12、いや14年ほど前の話だが、インターネットから民間の監視カメラの映像をライブで見ることが出来るサイトがあった」

「なんですか、そりゃ?」

「全てでは無いが、とある企業の製品と言うかカメラだな。その画像が漏れたんだ、本来は無いはずの場所にもカメラはあった。バグだったらしいぞ。修正まで3週間だかかかった記憶がある」

「日本国内の?」

「そう言うことだ。まだインターネット黎明期で良かった事例さ」

「違法捜査ですよね?」

「そうさ。だからkaleidoscopeは存在しないし、俺たちはこうやって地道な捜査をして犯行グループを突き止めるのさ」

大久保は黙り込むしかなかった。そして木田が数分後にメモを見せてきた。

(声を出すな。質問に答えてくれ。頷くか首を横に振ってYes・Noを示せばいい)

大久保が木田を見て頷いた。


(お前、青ヶ島を知っているか?)


大久保は少し考えてから頷いた。東京都の最果ての地、孤島だが人が住んでいる。八丈島から定期連絡船とヘリが出ているが、悪天候で欠航が多い。つまり、行くのも難しいが、帰ってくるのはもっと面倒だ。


(一緒に行くか?)

大久保はまた考え込んだ。数分考えたのちに頷いた。

(出張だ。帰ってこれるのはいつだか分らんぞ)

ここでまた木田が喋り始めた。

「そうそう、車って言うペットショップにやってくれ」

「車ペットショップですか?」

「そうだ。ちょっとヤバいブツを扱ってるとタレコミがあった」

そう言うと、木田はまたメモを書いて見せた。


(退勤後、ちょっと話そうか)


「違法捜査だっ!」室長の奥村からkaleidoscopeの概略の説明を受けてすぐ、桐山は大声を上げた。個人情報どころかプライバシー権まで侵す無茶な捜査方法だ。

「そうです。kaleidoscopeで行う捜査には違法な部分が多々あります」

「国民が許すと思うのか!?」

「私たちは国民に知られることの無い存在だと説明しましたが?」

「だからと言って、こんな捜査が許される理由はない」

「ねぇ桐山さん。今までにも捜査方法の違法性を問われ、無罪放免になった犯罪者がいますよね」

「アレは・・・捜査側が失態を演じただけだ」

「そして、違法薬物の使用反応が出ていたジャンキーを釈放して、結局はそのジャンキーが1年後に人を殺した。そんな事例があった。いや、違法捜査があったからと言うだけで釈放された犯罪者の再犯率は80%にも上る」

「それは・・・監視が甘かったせいだろう」

「ですよね。では、私たちが犯罪を未然に防ぐために犯行グループを”監視”することはどうでしょう?」

「その方法が違法だと言ってるんだ。これじゃまるで・・・」佐川が割り込む。

「全国民が容疑者なんですよ。今のところはね」

「ふざけるなっ!」桐山が切り捨てる。奥村は佐川に黙るように命じた。

「桐山さんは誤解しておられる。このkaleidoscopeはZoo.事件解決をもって解散するんです」

「詭弁だ。これほどのシステムを、はい終わりましたで解体なんぞするものか」

「表面上、存在が確認出来れば無いも同じ。もう一つ。私が責任をもってシステムに制限を加えます。Zoo.事件が解決したらね」

「制限?」

「このシステムの権限者は私と、そこの佐川だけなんです。権限の委譲はまだ規定もありません」

「ハンっ!こんな美味しいシステムを国が手放すと思うのか?」

「いや、政府は手を出す気にもならない。そうなるように仕向けます」

「どうやってだ?」

「ソレはまだ秘密。私たちの考えは政府や政治家には理解不能でしょう。桐山さんなら理解してもらえると思いますが、ソレは時が来たらお教えしましょう」

「お前の言葉は信じないが、俺がここから出てしまえば完全にお前や政治家の思惑通りになる」

「いえ、桐山さんはもうここの一員ですよ。出ることは出来ません」

「俺が完全拒否したら?」

「そのお話もしておきましょう。桐山さん、装備品は?」

「身に付けている。現場に急行ともなれば、いちいち許可を取ってる余裕はないからな」

「机の上に出してください。コレは命令です」

桐山は忌々し気にホルスターごと拳銃を出した。警察バッヂもデスクに置いた。

「S&W、SAKURAモデルですか。桐山さんはかなり保守的なんですね」

「支給品で十分だろうさ」

「射撃の腕はどうです?」

「25mレンジで的に100%当てる」

「ヘッドショットの精度では?」

「60%判定が出た」

奥村は桐山の装備品を右腕でデスクの端に追いやり、別の拳銃と警察バッヂを置いた。

「コレがここの装備品です。M92、扱ったことは?」

「無い。どこから持ってきたんだ、こんなもん」

「まぁソレは秘密です。オートマチックなので装弾数は15発。あとでスペアマガジンも2つお渡ししますよ。この拳銃は”綺麗な”ものです」

「マエが無いってことか?」

「流石は桐山さん、察しがいいですね。ライフルマークの登録はされていません。実際に使用しても所有者が割れることがない。扱いに慣れるための試射は警視庁の射撃場では行わないでください。警視庁に弾を回収されると登録されますから」

「何をそこまで警戒している?」

「kaleidoscope全体の意志です。我々は誰にも屈しない。誰をも支配しない」

「ケッ!大きく出たもんだ」

「一つ警告しておきます。我々の引き金は非常に軽いですよ」

「どういう意味だ」

「桐山さんが着任拒否をしたらと言う意味も含んでいます」

桐山は軽く両手を挙げて、ハイハイと意思を示した。


 マルテ捜査本部から桐山が消えた。理由は転属と説明された。この転属を機に、桐山は変わったと、マルテ捜査員は噂した。稀に庁舎内で見ることはあっても、ほとんど会話をしないし、どうかすると警視庁の捜査員を無視さえした。マルテの指揮は副本部長だった福島に任された。福島はそれまでの「桐山の捜査方法」を踏襲した。他に捜査方法を知らないし、この捜査手法こそ警察のあるべき姿だと信じて疑わない。

高山祥子議員の死亡から半月が経ち、捜査は行き詰った。福島は過去の事件の「洗い直し」を命じた。謎がいくつか残されていたのだ。いや、謎として残された事実だけが手がかりなのだ。

先ず、3月の犯行予告と思われる事案で犯行グループが残した謎。「右手が義手の男」の特定は容易だと思われた。右手が義手ならば、国内の外科医院に記録があるはずだ。捜査員は地道に病院を訪れ、右手が義手の男を探した。たとえ手術カルテが残っていなくとも、医師の記憶や診察はどこかで受けているはずだ。また、「大型犬用の檻」の出どころも捜査された。特殊な檻である。犬舎を扱うメーカーのカタログにも載っていない特注品ならば、持ち主の特定も容易いだろう。使用された赤外線センサーの販売ルートも特定されつつあった。素人がおいそれと購入するようなモノではない。複数のメーカーの品が混用されていたが、ホームセンターや通販で売られたセンサーの総数は4千個弱と判明した。檻に使用された総数は248個。コレなら追いかけることが出来ると期待された。

 ところが、この捜査は全て空振りに終わった。右手が義手の男は全員がその所在がき止められたが、全員にアリバイがあるか、犯人像と一致しなかった。30代男性で身長175㎝程度と言うフィルターをかけただけで、その人数は大幅に絞られたのだが。また、犬舎についてもほぼ空振りである。メーカーに照会したところ、製造した社は判明した。あの檻はカタログには載せていないが、最近10年間で20ほど製造されていた。ペットショップの中にはこの大型犬舎を知っていて、大型犬とセット販売する店があった。その檻の持ち主の記録はあるが、1つを除いて全てが所在確認された。残る1つは高知県で盗難に遭っていた。この盗難された檻が事件で使用された檻だと判明したが、持ち主は3年前に死去。空き家になった住宅の庭から、いつの間にか盗まれていたと言う。盗難届は出ていない。空き家を相続する家族もいなかった。赤外線センサーの販路から判明したのは、「売られていた」と言う事実だけで、「誰が買ったのか?」まで判明したのは僅か300個ほど。他は販売記録(レシートまで洗われた)はあるものの、レジを映していた防犯カメラの記録が残っていない。

 高山事件でも同じだった。使用された機材や資材は全て盗品で、防犯カメラも無いところから盗み出されていた。内部事情に詳しい者の関与も疑われたが、捜査範囲をかなり広げても該当者がいない。ただ、高山事件では「共犯者」がいた。大型トラックを貸した男と、高山の乗る公用車の運転手である。動機は不明だが、この2名は5回に及ぶ事情聴取を受け、「シロ」と判断された。最後まで残された謎。なぜ、公用車は正規のルートを通らずに、あの一方通行に入ったのか?



「ここです」捜査員が地図をモニターに映し出して、ポインタで示した。本部長に昇任した福島は渋い顔でその地図を見た。「ココがどうかしたのか?」

「高山議員は公用車での移動を好んでいました。東京から奈良程度なら公用車を使っても当たり前だったと言います。で、講演依頼のあった奈良の商業ホールに向かう道。この五差路が問題です」

「何がだ?」

「公用車の運転手は奈良の土地勘があるわけでは無いので、カーナビを使っていたと言います。そして、カーナビではあの一方通行が表示されることは無いんですが、手前の五差路でナビゲーションが曖昧な表示をするんです」

「どういう意味だ?」

「左方に進路が2つ、真っすぐ進む道が1本。右に行く道が1本ありますが、運転手は左方「斜め」に進む時に、うっかり手前から2つ目の進路を取ってしまった。そして、このルートを走ると、幹線道路に出るあの一方通行がナビに現れるんです」

「本当か?」

「真っすぐ進む場合も、微妙に左に向かうんです。捜査員が実地で車を走らせて確認しました」

「いや待て。運転手が道を間違えたのなら、犯行グループは待ち構えることが出来なかったはずだろう」

「2つ、理由が考えられます。1つは、正規のルートに入りにくい道路事情があった。もう一つは、正規ルートにも人目に付かない一方通行があるので、そこにも大型トラックを用意していた」

「大型トラックがもう1台?なんだそれは・・・」

「事件のあった一方通行から700mほど離れた一方通行が正規ルートですから、犯行グループは2つの一歩通行のどちらにでも行ける位置にいた。合計6人ですから、2つの班を編成したと考えるのは無理があります。そこまで大規模な人員は用意しにくい。爆発物もです。いや、犯行があまりにも鮮やかだったので、我々もそこに気を取られていましたが、何も大型トラックである必要も無い。運転手を車外に誘い出すことが出来れば、あとは5分から10分で公用車を檻にすることが出来たんですから」

「公道で堂々と犯行を行うと言うのか?」

「可能でしょうね。目撃者が出るとは思いますが、犯行グループが変装をしていればもう、特定は困難ですから」


「政府は悪手ばかりを打ちますね」佐川がぽつりとつぶやいた。桐山がkaleidoscopeに招かれてから2週間が経っていた。来週には9月に入る。あのあと、室長室から勤務室、いやそれはホールと呼べるほどの規模であったが・・・に案内された桐山は目眩すら覚えた。課員の数はざっと見て100人はいそうだ。理由は分からないが、白衣を羽織った者が10名ほどの集団でホールの隅にいた。全員の前にパソコンがあり、奥の壁と、ホールの中ほどの左右の壁に大型モニターが設置されていた。驚いたことに、この空間は分煙である。

「ストレスが溜まりますからね、ここは」と佐川が涼しい顔で言う。煙草を吸いたければ黄色く塗られた床の上、2坪ほどの場所で吸うことが出来る。このスペースでは高性能の空気清浄機が稼働している。他に、飲み物の販売機と長いソファーが並んだ一角がある。「出勤」してきたら、終業時までこの部屋を出ることは出来ないと言う。食事も配膳される。「僕と桐山さんは特別ですよ、出入り自由ですから」そして特に「持ち場は無い」と言う。課員の「司令塔」としてその任に当たればいい。

「何が悪手なんだ?」

「SNS規制ですよ。公然と検閲までやってます」

「検閲は禁止だろう」

「検閲を狭義で言えばそうですね。ところがSNS運営各社は利用規約で縛ってますから、運営の考え次第で発言を禁ずることも出来るってことです。その指示を出しているのが政府ですから、まぁ検閲と言えますね」


 若山事件から始まった情報統制は、高山事件で完全に言論封殺となった。もちろん、そんな事実は公表されていない。単に「都合の悪い情報」は、タイムラインに表示されなくなっただけだ。ユーザーたちは気付いているが、暗に「影番」と呼んで、表面上は平静を装っていた。「影に押しやられる番」にはなりたくない。

「ところで桐山さん?」

「なんだ?」

「松下はいいとして、女川夫妻は発見できないんですか?」

「松下はどうでもいい?相変わらず配慮の無い言い方だな」

「ここで何を言おうが構わないでしょう。それに松下はまだ生きていますよ」

「何か掴んだのか?」

「いえ、犯行グループの最後の切り札が松下だと踏んでいるだけです」

「・・・まぁいい。女川夫妻も行方不明のままだ。kaleidoscopeと言っても、大したことも無いんだな」

「捜査方法の違いですよ。警察は事件を追う。僕たちは犯人個人を追うってことです」

「じゃぁなんで追わないんだ?」

「言いませんでしたっけ?kaleidoscopeに残るログは3日間しか無いんです。データ量が膨大過ぎますから。ただ、ロックオンした場合はどこまでも追いかけますし、ログも完全にいつまでも残ります」

「ロックオン?」

「そうです、犯行グループが動いたら、速やかに発見して追跡します。あとは警察の仕事ですね。僕たちは現場を知りませんから」

「俺とお前は現場にだって出られるだろう?」

「必要があれば臨場しますよ。息抜きに喫茶店に行くことも自由ですからね」

「しかし、お前は真面目にここか室長室でゲームしてるじゃないか」

「マルテ本部と違って、ここはゲーム環境もいいですからね」

「本当の理由は?」

「いずれ話しますよ。そうだ、これだけはお伝えします。SNS規制は9月1日に撤廃させます」

「何故だ?」

「国民に自由に発信させた方が情報を得やすいからです。その裏で”緊急事態条項”が可決されるのも知っておいてください」

「何だとっ!この国に戒厳令を敷く気か?」

「そのようですね。人権を簡単に制限出来るわけですから、不要不急の夜間外出は禁止とか。犯罪者には頭の痛いことでしょう」

「野党が黙って無いだろう」

「ところがです、緊急事態条項の発議は野党が行ったんです」

「自殺行為だ・・・」

「違いますね。死にたくないから国民の自由を奪うんです。先生方はZoo.のターゲットは自分たち政治家だと考えているようですし」

「俺もターゲットは政治家だと思うが、今回の女川夫妻はどうなんだ?」

「ノイズ。あとは合図です」

「なんだそれは?」

「とにかく、女川夫妻が出てこないとkaleidoscopeも無意味です」


kaleidoscope班。桐山はコレを「KS班」と呼び、佐川は「うちのチーム」と呼ぶ。呼称に特別な意味はない。桐山も佐川も同じ捜査員たちを見てそう呼ぶだけだ。kaleidoscopeの室長の提言で、SNSの規制が撤廃されることに決まった。「大量の情報」こそが重大なソースを含むとの主張は、政府も渋々認めたが、SNSの無法さを危惧する声もあった。福島室長の「犯罪性の高い発信者も簡単に検挙できるんです」の一声で、SNSは完全に開放されることとなった。Zoo.事件以前から規制されていた「有害情報の発信」も自由になった。短文SNSの規約に「有害情報へのアクセス、また有害情報の発信はユーザーの責任において行う」と言う条項が盛り込まれたが、そこまで気にしているユーザーはごく少数だった。もちろん、違法性の高い情報を発信したものは漏れなく特定され、時には逮捕されることとなる。


「佐川、今KS班は何をしているんだ?」「フィルター制作です」「フィルター?」「大事なんですよ、フィルターってもんは」「情報の選別って意味か?」「そうです。桐山さん、意外とうちのチームの適性があるんじゃないですか」「ふざけろ」吐き捨てる。違法捜査を嬉々として行うチームになんざ入るものか・・・


「整理しますね。先ず、マルテの持つデータは全て役に立ちません。まぁ地取捜査の情報は僕たちも参考にしますが、ここから先はマルテを忘れてください。犯行グループの情報は僕たちからの一方通行で通達されます」

「捜査員はどうでもいいのか?」

「大事ですよ。現場で犯行グループを確保する役目がありますから」 

「俺はどうなんだ?」

「はい?桐山さんですか?」

「そうだ。役立たずのNo2ポジションの俺のことだよ」

「指揮官として優秀だと判断したから、桐山さんはここにいる。独自の方法で犯行グループを割り出すのも、うちのチームの情報を頼るのも自由です」

「ふん・・・どこまで捜査は進んでるんだ?」


年齢35歳から40代後半まで。男性で未婚。居住地は静岡県または愛知県。商業地域に住み、現在は無職。知能指数は130以上。大卒。渡航歴アリ。



kaleidoscope班に伝えられた「プロファイリング」は以上だった。このプロファイリングをどんどん更新していき、最終的に個人を特定するのがkaleidoscope班の任務だった。また、共犯者も多いと思われるが、詳細は不明。女性メンバーが少なくとも2人いる。

「とにかく、女川夫妻が出てこないと何も出来ませんよ。ここに集まる個人情報を全部見ようだなんて無理なんですから」

明後日が9月1日となる。この日から日本国内のインターネットは情報で溢れる。真贋はさておき、kaleidoscope班は「有意の情報」を選別して報告し、必要があればログを残し特定作業に入る。プロファイリング像からやや幅を持ってフィルタリングされる。Zoo.事件の犯行グループの行動を見逃さないために、先ずは20歳以上で渡航歴のある人物の発信を収集することになった。

桐山は疑問をぶつける。静岡県に限定した理由も気になるし「渡航歴」と言う妙なくくりにも納得しにくい。第一、日本国民で「渡航歴のない人物」の方が少数派だろう。

「静岡県と愛知県は高速で1本です。つまり首都圏と条件は同じ。あくまでも主犯レベルの人物に限定しました。共犯は多いでしょう。日本全国にいくつかの拠点を持っているはずです。コレは今後の情報の精査で判明するはずです。女性共犯者がいることについては、犯行パターンから推測しただけです。繊細な部分を担当。厄介なのは主犯のIQですよ。今の日本では小中高の入学時にIQテストが義務付けられています。コレは「天才児の発見」のためではなく、ありていに言えば”授業に付いてこれない子供”を発見するためと言う側面が大きい。もちろん、ずば抜けた数値を出した子供はリストアップされますが、”自分の知能を隠す”天才児がたまにいることが問題なんです」

「ギフテッドか・・・」

「そうです。彼らギフテッドは自分が周囲の子供と違うことを察知すると、周囲に合わせて姿を隠してしまう。小学生時代に平均3回はIQテストを受け、高い数値を叩きだしても、中学校高校と進む中で埋没してしまう。故意に平均であろうとする。主犯がギフテッドだった場合、データ上の「高IQ児」には入っていない可能性がある。IQだけでフィルタリング出来ればたったの2.4%なんですけどね。渡航歴は知識の豊富さから類推しました。Zoo.の手口はどこか垢ぬけていると言うか洗練され過ぎている」

「ハッ!垢ぬけてる?洗練された犯罪?どこがだ。檻に放り込んで、出ようとしたらデカい爆弾で吹き飛ばす手口がか?」

「桐山さん、嘘はナシにしましょう。”言わないことがある”のは自由ですが、虚偽の発言は捜査に影響を与えます。気づいているんじゃないですか?Zoo.の手口は鮮やかで、しかし動機は日本人特有のものがあると」

「・・・犯行グループは生粋の日本人だと踏んでいる」

「そうです。ターゲットが非常に分かりやすい。日本人なら殺したいほど憎いだろう人物だけが狙われている。逆に、外国人、在留永住を問わずですが、外国人に利益をもたらす人物も容赦なく狙われている」

「女川のこともか?」

「女川夫妻は移民政策を推し進め、難民認定も甘くする活動を始めていました」

「どこの情報だ?」

「当の難民団体からの情報です。入管でMEKAWAと言えば処遇が変わると言う話まである」

「越権行為だ」

「そうです。ただ、この難民団体、複数ありますが、交渉が上手くいっていない」

「交渉?」

「外国人が日本国内で自由に活動出来るようにするには”お布施”が足りない。政府も女川を初めとする人権派弁護士も金が足りてないと突っぱねることも多い」

「腐ってやがる」

「そうそう、難民として入国してきた集団が自治区を作ろうとしてますが、失敗に終わるでしょう」

「政府の後押しがあっても?」

「ケルベロス、憶えてますか?」

「ああ、お前が口を滑らせたアレだな。どうなんだ?」

「ケルベロスは知っていますよね?」

「3つ頭の犬だろう?」

「そうです、地獄の入り口を護る番犬ですね」

「地獄?」


「この国ですよ。いつの間にか地獄になった感じですね。で、ケルベロスの頭のうち、2つはマルテとうちのチーム。残る1つは、陸自別班です」

「別班だぁ?あいつらは日本のCIAじゃないか。国内問題は管轄外だろう」

「別班は単一組織じゃないんですよ。陸自が身分を隠して活動するユニットの通称です」

「何をさせる気だ?」

「察しがいいですね。別班はkaleidoscopeの実働班です。主に破壊活動でしょうか?」

「でしょうか?国内で自衛隊を暴れさせる気かっ!」

「まあまあ。武力を止めることが出来るのは、より大きな武力って話は聞いてますよね?」

「国内で通用する論理じゃないぞ」

「これからは通用します。S県W市、東京都H市にはすでに即応班が一部ですが入っています」

「H市?」

「ニュースぐらい読んでください。H市は外国人参政権を認めるつもりですよ。M市と同じ運命になります」

「治安出動・・・か?」

「アレで何人死んだでしょうね。H市はまだ条例決議まで行ってませんが、W市はもう一触即発になってます」


女川夫妻発見の報は9月3日の早朝であった。


「8月31日のログからチェックしろ。キーワードは「開始」や「スタート」等の合図のような呟き。それからダイレクトに”女川”、付随して”原発”、ハッシュタグでZooは今後、徹底して追跡しろ。発見時の状況は、都内八王子市の丘陵地帯で檻の中にいる状態だった。夫婦で檻に入っている。キーワードは随時更新する。残された時間は48時間乃至60時間。これ以上は女川夫妻の体力がもたない。灰色なら”黒”だ」

流石はこのkaleidoscope班のリーダーである。佐川は矢継ぎ早に指示を飛ばす。課員にはその指示を待たずに動いている者もいた。桐山はその様子を見ていたが、現場の様子が気になる。「なあ佐川。現場からの中継をモニタに出せるか?」「はぁ、簡単ですがあまり意味はないんじゃ?」「俺達には無意味でも、現場に指示を出すには状況把握が不可欠だ」


佐川は課員に「先入観を持たせたくない」という理由で、室長室のモニタを使うことを提案した。桐山としても、何も大型モニタに映し出す必要は無いと考えていた。

室長室の40インチモニタに映し出されたのは、緑深い空き地に置かれた檻。その中に男女が閉じ込められている。

「人定は?」

「女川夫妻で間違いないそうです」

「檻の中にあるバスケットは何だ?」

佐川はズームアップする。バスケットの中には果物が沢山詰め込まれていた。

「一応は飢え死にはしないってことか・・・」

「桐山さん、犯行グループがそんなことをするでしょうか?この檻は”必殺”ですよ」

「じゃぁ何で果物みたいな、ある意味理想的な食い物があるんだ?」

「えーと、情報来ましたね。あの果物は全部毒入りだそうです」

「コンチクショー、辛ければ自害しろってことかっ!」

「いや待ってください。モニタを観てください」

「ん?アレは何をやっているんだ?」

女川夫妻の夫が立ち上がり、檻の中にある台に乗り上がって何かをいじって、すぐに降りた。

「さぁ?現場が少し混乱してますね。情報の伝達が遅い・・・」

「八王子市か・・・現場に行っていいか?」

「桐山さんは駄目です。万が一巻き込まれたら大変ですから」

「そうそう簡単に爆発などするものか」

「高山の例を考えて下さい。女川夫妻が周囲を巻き込んで自決する可能性だってあるんです」

現場からの情報はまとめてから送って来るらしい。当分、爆発の危険性は無いのだろう。女川夫妻は30代後半、体力もあるだろう。

 すると、今度は女川の妻が台に昇って何かをいじって降りた。ここで情報が入ってきた。現場には自衛隊の即応隊が入っている。警視庁から1チーム12人、爆発物処理班が6名体制。情報収集と送信のため、まだ檻にカバーはかけられていない。今年の夏はしつこい。9月に入っても暑さになんら変化はない。このあと、十分に状況を映像で送信して来た後は、また白いパネルで囲って冷風機、スポットクーラーを稼働させるのだろう。

「桐山さん、現場の自衛隊から報告です。檻の内側にアクリルパネルが張り巡らされているそうです。檻の内部温度は現在40℃。脱水が気になるので、1時間以内に冷やし始めるそうです。ただし、この檻はかなり厳重ですね。通気口だと思われますが、アクリル板が2重になった部分に穴がある。しかし穴の位置がかなりズレている。補給は難しいようです。2重になった部分のすき間が1㎝程しかないと言ってますね」

「センサーはどうなんだ?またとんでもない数のセンサーで囲っているのか?」

「いや、その前に・・・女川夫妻の行動の謎が分かりました。あの台に昇って押しボタンを操作しないと爆発すると、女川が言っています。ほぼ30分おきですね・・・アハハっ!」

「てめぇっ!笑い事じゃない。人が死ぬかもしれないんだぞっ!」

「いやだって、桐山さん。コレ、”かわいそうな象”のパロディじゃないですか」

「パロディ?なんだそれは。笑い事になるのか、この事件が」

「桐山さん、憶えてないですか。子供の頃に呼んだ絵本」

「絵本?」

「戦時中の話と言う設定で、空襲を受けて猛獣が逃げ出さないように殺処分する話です」

「おぼえがある・・・あぁ象の花子と太郎だったか?」

「本によって違いますが、象は毒餌を与えても食わず、ちゃんとした餌を貰おうと、芸を続けるんです。結果は餓死しました」

「ふざけやがってっ!毒餌と台に乗る”芸”の披露。そして餓死か?爆発させる仕掛けは?」

「・・・厄介です」

「判明したのか?」

「kaleidoscope班のところに行きましょう。課員にも伝えなければならないので」


 檻の周囲4面に張り巡らされたアクリル板。一部は二重構造になっていて通気口として機能している。今回の檻を難攻不落にしている爆発物とセンサーは、かなりの省力型である。センサーは4か所、前後のアクリル板には1か所2個が取り付けられている。この前後のセンサーは三角コーナーのような突起に仕掛けられ、左右の壁にあるセンサーと連動している。つまり、僅かでもアクリル板を動かすと、センサーの検知が途切れ、起爆装置のスイッチが入る・・・

 マルテ本部長に昇格した福島も臨場していた。同じ都内だ。高尾駅まで出て、そこから迎えの覆面パトカーに乗り込んで15分。そこが現場だ。

「なんでこんな駅の近くで・・・」「本部長。この場所は人目に付かないんです。この整備された道路は陣馬山に通じる登山道に連絡します。しかし、檻・・・女川夫妻が発見された場所は、整備された道路に入ってすぐに脇道に逸れた空き地です」

「どうやって運んだんだ?」

「若山幹事長の時と同じですね。盗難車、ユニック車ですが、既に市内K町で発見されています。盗まれた会社もK町にあるレンタル建機会社です」

「また合鍵か?」

「そうです。昨夜に盗まれて、10時間で車は遺棄されたようです」

「待て。つまりこの檻は車で5時間以内の場所にあったってことだな?」

「どうでしょうか?檻を運んできたトラックなり何なりがあれば、中継地点があったとも考えられます」

「付近の防犯カメラやNシステムはどうだ?」

「ここはほとんど車が通らないんです。路線バスが終わればほぼ無人。Nシステムは現在解析中です」

膠着状態が続く。福島は呪いの言葉を吐いた。毎回毎回、檻の仕掛けを解除出来ないじゃないか。今回は檻の柵にセンサーは無い。しかし、内側のアクリル板の壁が厄介だ。この壁をずらすだけで爆発するだと?

「おい、自衛隊に伝えろ。人が出入り出来るぐらいの穴を開けることは可能か、と」

数分後、自衛隊の迷彩服に身を包んだ若い男がマルテの集まる一角に走ってきた。

「中央即応集団陸曹、佐々木でありますっ!」

「穴を開けることは出来るか?」

「難しいと思われます」

「理由は?」

「手前の鉄柵を切り取ることは容易ですが、アクリル板が複雑な構造です」

「複雑?」

「1枚のパネルではありません。意図してこうしたのか、大きなアクリル板が入手出来なくて貼り合わせたのか、あるいは両方の理由で、パズルのように組んであります」

「それで?」

「アクリル板がどの程度、強固なのか不明です。軽く押すぐらいなら動かないのか、僅かな力でズレるのか分かっていません」

「自衛隊の予想は?」

「上端を軽く押すだけで倒れると判断しました」

 

発見から6時間が経過した。真夏のような陽の光は容赦なく檻を熱した。自衛隊が持ち込んだ各種の冷却装置をフル稼働させても、檻の中の温度は30℃から下がらない。このままではあと数時間で脱水症状が出るだろう。

「おい、蓋を開けるってやり方はどうだ?」福島本部長はマルテ課員に尋ねた。上手くすき間を空けてアクリル板が倒れないように固定して、天井を「抜く」ことで、女川夫妻をヘリで吊り上げる・・・

「自衛隊に問い合わせましたが、センサーはピアノ線で繋がっていると言っています」

「では、先ずはアクリル板の固定だっ!固定すればセンサーもズレないだろうっ!」

「難しいそうです。アクリル板は檻の鉄柵に貼りついていないことが判明したそうです。精密な作業精度を確保出来れば可能かも知れないが、この場で行うのは困難だと」

 冷却策が多少功を奏した。午後5:00になっても女川夫妻は動けるだけの体力があるようだった。それでも最低12時間は飲まず食わずである。山の端の日暮れは早い。そろそろ夜が忍び寄る頃、檻を囲う白いパネルの左方が取り外された。


「おい、アレは何をしているんだ?」

「分かりません。日が暮れたので檻の様子を観察・・・するんでしょうか?」

「もう十分観察はしただろう。何か策でもあるのか、自衛隊のテントまで走って来い」

「はっ!」

福島の部下が走り出した瞬間のことだった。

開かれた檻の左方から大き目のドローンが飛び込んだ。爆音と共に現場にいた関係者は伏せるしかなかった。若山事件とほぼ同じ規模の爆発物が仕掛けられていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る