第4章 Human.

「誰かが俺たちをハメようとしている」「知ってたさ。アレはあっちの仕業だ」


日曜日の公園は賑やかだ。2本の遊歩道が接する場所に置かれたベンチ。背中合わせにまだ若いと言える男が二人座っていた。

「どうするんだ?このままじゃアレだぞ」会話は代名詞を多用している。「アレ」とは、今日の場合は「濡れ衣」ぐらいの意味だろう。小声で言われた言葉に、柳瀬隆二は素っ気なくこう答えた。「アレってことになればちょうどいいさ。リアルに確保された席に座る気は無い。指定席は空席のままさ」「指定席券なんざ欲しくも無いがな」「そう言うことだ。そろそろうちのが戻って来る。挨拶ぐらいしてやってくれ」「ああ」「そうだ、明日は家にいるか?」「休日だしな。あまりうろつくなって言うのはあんたの命令だろう?」「明日明後日と、午前中に宅配便が届く。置き配と言った感じでな。品目は書籍だ」「俺は置き配指定はしてないぞ」「俺が置くんだよ(笑)ドアの音がしたらさっさと受け取ってくれ」「何を寄越すんだ?」「コンタクトレンズ。明後日は約束の品だよ。八百万の神々がいれば当座は不幸にもならんだろ?」「ありがたいこって・・・コンタクトレンズは?」「次のプレイタイムが終わるまでは、外に出る時に入れておけ。ゲームセットを迎えたらもう見えなくていいだろう」


陽光眩しい中、木陰に置かれたベンチに若い女性が近づく。彼女は耳が聴こえない。彼女は、夫が階下に住む男と隣り合って談笑しているのを見てほほ笑んだ。夫はあまり友達がいないのだ。この点で彼女には自責の念がある。休日はほぼ必ず、夫は自分の相手をしてくれるから・・・

 階下の男、斉藤翔は女性にぺこりと頭を下げると、繁華街方向にある公園出口に歩いて行った。


 ドアを蹴り破りそうな勢いで桐山が室長室に駆け込んだ。今の今まで、課員の勤務するKS班にいたのだ。自分のデスクに置いたノートパソコンで、女川夫妻のライブ映像を観ていた。音は出していない。課員の集中力の妨げになるかも知れないと言う配慮だった。そのライブ映像は夕方になって動きを見せた。現場の検分が終わると、直射日光を避けるために白いパネルで覆われた。たまに自衛官が中に入ったり、マルテの福島がパネルを眺めたりする様子が見て取れる程度であったが、日の暮れかけた時間に、自衛隊員が正面から見て左方のパネルを取り外した。直後と言えるタイミングで大爆発が起こった。若山事件と同じ規模であった。桐山は呆然としたが、すぐさま課員たちを見た。全員が黙々と作業をこなしているように見えた。佐川に指示を出させようと、室長室へ向かった。

「おいっ!女川夫妻が死んだぞっ!」

「知ってますよ、ここにも情報は届きますから」

「今すぐKS班に指示を出せ」

「桐山さんが出せばいいじゃないですか」

「俺はここの命令系統を知らない」

「どこも一緒ですよ。上司がやれと言う。部下は分かりましたと答える」

「どう動かせばいいのか分からんのだ」

「桐山さんはどうしたいんですか?」

「う・・・情報収集からだ」

「そこ。桐山さんのデスクのパソコンに報告が届いてますよ」

「佐川っ!お前はなんでそんなにのんびり・・・!」

「報告を読んだからです。桐山さんも読んだら如何ですか?」

桐山は自分のデスクのパソコンを起動させた。5分前にレポートが届いていた。KS班の動きは存外、機敏なのかも知れない。

報告書のとある部分を読んで、身体がカッと熱くなった。左方から飛び込んだドローンが爆発を起こした・・・?

「佐川っ!」

「怒鳴らないでくださいって。何かありましたか?」

「ドローンだよな?」

「そうみたいですね。大型ですね、10分後には動画解析で機種名まで出るんじゃないですか?」

「お得意のkaleidoscopeはどうしたっ!ドローンを操作した者の特定は?」

「ああ・・・終わってますよ」

「犯行グループが割れたのか?」

「残念ながら・・・ドローンを操作していたのは陸自別班ですので」

「なんだとっ!」

桐山はいきり立って椅子を後方に倒して佐川に挑みかかった。

「落ち着いてください。結論を先に言うと、女川夫妻には死んでもらうしか無かったと言う上の判断です」

「待て貴様。国民二人を惨殺したのが”上の指示”だと?」

「そうです。もう女川夫妻の件は終わりです」

「ふざけるのも大概にしろよ・・・陸自別班は殺人許可証まで持ってるってか、あ?」

「そんなフィクションじみた話は無いですよ。勿論、ドローンを操作していた者は逮捕されます」

「確実に極刑じゃないか」

「桐山さんは”フーファイター”を知っていますか?」

「Who?誰でもない戦闘者?」

「語源は違いますが、おおよそその通りです。今回のドローンの操縦者も逮捕起訴され、あとは”Who”と入れ替わります。死刑執行を受ける者も”Who Person”です」

「意味が分からんぞ。犯行を行っていない誰かを吊るすのか?お前の言ってることは滅茶苦茶だぞ?」

「国民、いや閣僚だって実際に”執行”を見るわけでは無いですよね?つまりそう言うことです」

「・・・誰も罰せられないと言うのか?違法なんてレベルじゃない・・・」

「今まで、この”Who”を使った事件がいくつかあります。実行犯は逮捕されたが、何らかの配慮で刑の執行を免れた」

「クソがっ!」桐山はデスクを拳の小指側で殴った。

「桐山さんはちょっと誤解してますね。何もこの優遇を受けるのは上級と呼ばれる国民だけでは無いんです」

「どう言う事だ?」

「逮捕起訴され、あとから判決に疑わしい証拠があっても、司法の”メンツ”で判決を覆せない場合。あとはそうですね、少年法に護られたクズでも、コネがあればまぁ優遇されることもあります」

「司法の崩壊じゃないか。凶悪犯罪者が無罪放免かっ?」

「コレは警察の責任もあるんですよ。逮捕起訴までは警察が関わる領分じゃないですか」

「ソレはそうだが、極刑ともなると、冤罪は限りなくゼロに近づいている」

「無罪放免?ソレは無いですよ。体内にGPS発信装置を埋め込んで、公安の監視対象から外れることは一生無いんです。それに、娑婆に出す前に整形手術やら居住地の制限やらもあります」

「女川夫妻が殺された理由は?」


 政府と警察が手を組んでいた。この女川夫妻の扱いに困ったのだ。Zoo.の犯行は「必殺」を旨とすることが察せられた。つまり、このままでは女川夫妻は死ぬのだ。かと言って救出手段は無さそうだとの報告もあった。このまま警察関係者や自衛隊の見守る中、餓死や熱中症死を迎えたら・・・

そう、確実に「弁護士会」が猛抗議の会見をするだろう。しかも女川夫妻は「移民問題の急先鋒」である。この女川夫妻の死を、弁護士会は「ゴリ押しのためのカード」として使う。政府は移民・難民問題に頭を悩ませている。3年前東京都M市において、外国人参政権が議決され、1年の間に複数の民族が”自治区”を形成した。民族同士が争うことも多く、M市の治安は悪化した。「日本で唯一、夜間の外出だけで死ぬ街」とまで言われたのだ。政府与党はこの街の治安を取り戻す責務があった。M市民のためではない。増税に次ぐ増税、少子高齢化に対する無策や失政。もとより、M市に住所を置く議員の安全も確保したい。国民を平気で見放す与党も、自分たちの立場が危ういと知れると、人気取りの政策を執ろうとする。すぐさま、自衛隊別班が内偵を開始した。移民・難民合わせて2万人。長引かせるつもりは政府には無かった。M市の「外国人参政権」は10年以上前から発議されては「僅差」で廃案になってきた。市長が中共に魂を売った結果が禍根となっていたのだ。そしてとうとう3年前に外国人参政権が認められ、この参政権を目当てに、多くの民族がM市に流入した。当初の「特定アジア圏」を対象とした優遇が、多くの民族にも与えられたのだ。陸自別班は内偵を進め、8月15日にM市で決起集会が開かれることを掴んだ。この集会には、難民問題などに理解を示すM市議員も複数参加していた。この日をX-dayとした陸上自衛隊は、政府による「治安出動命令」に備えて装備を更新した。


 8月15日は「日本の終戦記念日」である。アジア圏の国民にとっては「解放記念日」とも言える。戦中にインフラ整備されたことを「恩義」と思う国がある一方、不当な侵略を受けていたと教育する国もあった。まさに「日本侵略を目論む外国人」にとって”うってつけの日”だった。この日、M市民会館には多くの外国人が集い、市民会館周辺は異様なまでに緊張した。この日、市民会館付近を歩いていたと言うだけで、レイプや強盗に襲われる日本人が複数出た。外国人同士のいざこざで、消防庁の車両は赤白問わず出動を強制される。警察は何故かだんまりを決め込んでいた。市民会館を中心に半径1㎞の縁を、地図上で赤く囲っただけだ。この赤線内で「事件が起こる」ことを通達されていたのだ。M市長の要請も無いまま、午後12:00に武装した自衛隊の「治安維持出動」が始まった。不良外国人もいたが、武装は当然していない。体格と「日本人とは違う倫理」で日本人を追い込むことが彼らの手口なのだ。一般的な日本人なら、相手がデカい外国人と言うだけで恐れをなすことを知っている。そして、一般的日本人ではない「ヤクザや半グレ」には手を出さない。

 一方的な殺戮であった。始まりは自衛隊の姿を見て、投石で応じた集団だった。投石と金属バット。数丁の拳銃・・・自衛隊は最初から1個大隊を投入していた。小銃で武装した自衛官の相手をするには無理があるのは自明の理である。最初の衝突から、外国人集団から情報の共有が行われたが、多勢に無勢、装備も違うのだ。自衛隊員は先ず、包囲することから始めた。この時点で「投降」した者は入管に収容され、生き永らえた。抵抗を続け、自衛隊員に攻撃を加えた者は容赦なくその場で殺害された。この日本国で起きた「戦後初の国内紛争」として歴史に名を刻むであろう。市民会館を中心にした包囲網は瞬く間に縮小されていく。本丸は市民会館である。この時、市民会館にいた外国人集団もM市市議も事態を甘く見ていた。まさかこの「外国人参政権を掲げる自分たち」まで攻撃の対象とは思っていない。しかし自衛隊員に下された命令は「不満分子を含む過激外国人勢力の殲滅」であった。3時間で本丸である市民会館を包囲し、「投降」を促した30分後に突入の命が下った。抵抗する外国人は拘束され、またはその場で射殺された。市議会議員の中には顔を真っ赤にして抗議する者もいたが、1人が射殺されると震えあがった。


赤線内の紛争は4時間で決着した。市内全域に広がっている外国人たちは、早々に逃走するか、家に閉じこもった。

 政府発表の犠牲者数は38人。自衛隊側の死者8人。この数字は「在留資格を持つ者」のみをカウントしたものだ。不法滞在者や違法難民、仮放免中の者はカウントされていない。正確な数は誰にも分からない。遺体はすぐさま自衛隊によって回収されたのだ。M市から不法滞在者が消え、外国人参政権が廃案となるまで1か月を要した。この間、日本の反社勢力が拡大を目論んだが、こちらは警察の取り締まりを受け、あらゆる罪状を使って拘束され続けた。比較的「穏当な」反社団体だけが「民間自治」を請け負うことで見逃されただけだった。

 SNSでは「持ち主の帰らないパスポート」と言うハッシュタグが流行したが、その持ち主全員が不法滞在者だと知れるにつれ、日本人ユーザーの熱も冷めて行った。

女川夫妻の死亡の責任を負わされた場合、政府はまた「M市事件」を覚悟しなければならない。この事件の報道は意外にも少なかったが、非難されて当然の所業である。「難民擁護の弁護士団体」に付け入る隙を見せないと決めた政府は、「警察や自衛隊の失態」ではなく、救出作業中に「犯行グループによって殺害された」と言うシナリオを書いたのだ。そして、このシナリオは成功したかのように見えたのだが・・・


「女川夫妻を殺したのは自衛隊」と言う呟きがあっという間に拡散した。政府閣僚も警視庁の上層部も、何故こんな話が流布されたのか分かっていなかった。


宅配便の置き配を装って、2階に住む柳瀬から届いたのは度の入っていないコンタクトレンズが3組。翌日には現金800万円が同じようにして届いた。このアパートは防音は良いが、ドアの開け閉めの音は結構響く。斉藤は宅配便の配達時間と思しき時間、朝の9:00から2階のドアの音に耳を澄ませていた。コンタクトレンズも現金も重要な物だろう。特に800万円のまとまった額が入れば生活は格段に良くなるはずだ。「置き配泥棒」に攫われるわけにもいかない。監視の目があるかも知れないので、キッチンの窓を開けて、アパートに侵入してくる不審者を警戒した。2階のドアが閉まってきっちり30分後に斉藤は段ボール箱を回収した。最初に届いたコンタクトレンズの入った箱には、薄い紙に手書きで「虹彩認証情報を欺くためだ。ゲームに参加する時は必ず装着すること。「生活行動」をするだけなら、コンタクトを入れないように。ゲームセットまでそう長くはかからない」とメモが入っていた。斉藤はいつものように、その薄い紙を細かくちぎって3回に分けてトイレに流した。コレも柳瀬の指示だった。

 「柳瀬隆二」。斉藤は2回に渡る配達品を受け取ったあと、ベッドに寝転んで天井を見上げる。柳瀬隆二の正体は知らない。同じアパートに住み、ろうあ者の美しい妻と共に表面上は静かに暮らしている。職業はシステムエンジニア(SE)だと聞いたが、残業をするでもなく、愛しい妻の元に帰ってくる。週のうち2日間はリモートで勤務しているそうだ。SEならばリモートでも十分なのだろう。そう言う斉藤も中規模の工場で生産管理を担当していた。他にパートタイマーの勤怠管理や品質管理もする。週休2日、出勤日は週に3回ほどで、あとはリモートと言う名の「パズル」ゲームだ。数字を合わせ、パートタイマーの出勤希望日を把握し、業務に支障が出ないようにローテーションを組む。イマドキのパートタイマーは高給になったものだと思う。以前、そう令和になったばかりの頃は、パートタイマーは「被扶養者控除」の範囲内で働くのが常識だった。わざわざ稼いで税金で持って行かれるのは割に合わないからだ。時代は変わった。パートタイマーでもガッツリと稼ぐ方が「世帯収入」が増えるのだ。全ては与党の行う増税ありきの政策が原因だ。少子高齢化対策としてぶち上げられた政策は、容赦なく独身世帯を底辺層へ押し込むものばかり。財源を増税で確保するやり方は5年で破綻した。昨年からは様々な名目で「国民負担金」と言う、人頭税まで徴収するようになった。環境保護負担金、子ども庁予算負担金、海外留学生支援基金etcetc・・・各々の金額は少なくとも、全国民に一律で負担金を課したのだ。0歳児から12歳までは「子ども手当」で相殺された。子ども手当が国民の手に渡らない仕組みまで作ったのだ。中学生以上の子供には一律負担金を課す。耐えかねた有志団体が「負担金撤廃」を掲げて活動したが、国政選挙で与党を下野させることは出来なかった。投票率を下げてみても、与党は「票田」を持っているからだ。高齢者のうち、施設に入り「認知症」の疑いでもあれば、医師はほんの数%の「家族負担」を減らす見返りに、その高齢者の選挙権を「買う」ことで、与党に擦り寄る。精神病院でもこの「票集め」は半ば公然と行われていた。当然ながら、この強盗のような政府に大人しく金を払うことを拒否する者も出る。たった1万円の滞納で差し押さえを受ける。旧マイナンバー制度の頃から、政府は国民の銀行口座情報を手に入れていた。申告のあった口座だけではない。紐づけを義務付けたことで、国民の大半は銀行口座を把握され、給与振込口座まで差し押さえた。国民は「箪笥預金」で抵抗したが、新紙幣への切り替えが5年間で2回行われ、旧紙幣は「銀行で新紙幣に交換しないと使えない」ことになった。勿論、少しずつ新紙幣と交換する「節税派」も多かったが、そんな旧紙幣の持ち主は特定され、国税庁の査察を受けることとなった。堂々と「箪笥預金にも課税する制度」と謳うことは無かったが、旧紙幣は、新紙幣が発行されるとATMすら受け付けなくなる。国民の不満に、政府は「欧州紛争ショック」で電子部品の供給が滞り、将来を鑑み、新紙幣の流通を優先したと答えた。また、「物品税」も導入された。高額な「金融商品」には20%以上の課税が行われた。株はもとより、金地金の「現物」にも課税されたのだ。令和初期の「年間50万円相当以下の売買は全額控除」と言う優遇は突然撤廃された。


 それでも、国民は「野党よりはマシ」だと考えていた。


 柳瀬隆二との出会いは2年前だ。夫婦者を想定したアパートの造りは良く、2階に新たに引っ越してきたのが柳瀬夫婦だった。イマドキ珍しく、ギフト品を抱えて「入居の挨拶」に訪れて来た。やや大きめのギフト品の箱(中身は食用油の詰め合わせだった)を必死に抱えている小柄な美人が奥さんだろう。

「柳瀬と申します。明日から202号室で暮らし始めますが、うちのは耳が聴こえません。言葉も得意では無いので、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」その男はここまで言うと、横に立つ妻の腰を軽く押した。その女性はその合図でギフト品を差し出し、ぺこりと頭を下げた。美しくも愛らしい仕草だった。


ある日のことである。柳瀬夫妻がアパートの前の路地でキャッチボールをしていた。東京とは言え郊外だ、「道路族」と揶揄されることは無い。驚いたことに、奥さんの投げる球は男性に引けを取らないモノだった。斉藤はその様子を微笑ましいと思い、しばらく眺めていた。「あ、ここ、駄目ですか?」と柳瀬が訊いてくる。「別に構わんさ。車には注意しないとな」話しかけられた斉藤は柳瀬に近づいていった。特に意味のある行動では無かった。何となく「夫婦の空気」に触れてみたくなっただけだ。

「斉藤さん」柳瀬は妻の投げるボールをグローブでキャッチして、投げ返すペースを落とした。妻は夫が階下の住人と会話するためにゆっくりキャッチボールを続けるのだろうと、返ってくるボールを待っていた。のんびりさを増したキャッチボールの合間に、柳瀬は言った。

「斉藤さん、政府のやり方をどう思います?」

「忌々しいが、今すぐ政治家が包丁を持って襲ってくるわけではないしな。その前に移民に襲われそうだが」

「政府に一泡噴かせたいとは思いませんか?」

「出来るならな。生活が苦しいと言っても、死ぬほどでは無いって言うのが、サイレントマジョリティーでいる理由さ」

「マイノリティとして僕と活動しませんか?」

「マイノリティ?ノイジーマイノリティってことかい?」

「いえ。サイレントマイノリティですよ。そしていつかサイレントマジョリティ全体が声を上げるようになる」

「何だおい、革命でも起こす気かい?」

「そんな大層なことは出来ないですね。僕は今の政府のやり方が嫌いだから、一泡噴かせたいってだけです」

「犯罪はごめんだぞ」

「何故?」

「刑務所がパンパンになって、新しい収容者は”刑務キャンプ”送りだろ?」

「ああ、待遇は良くなったみたいですね」

「ねーよ。確かに農作業の賃金として月に1万から2万円は支給される。それで日用品や嗜好品を買えるから、待遇はいいように見えるが、どこの刑務所でもキャンプでも”牢名主”様に貢がないと、刑期を終えるまで無事かどうかって話だ」

「へえ、詳しいんですね」

「ネット週刊誌で何度も読んださ。ありゃ酷いもんだ。刑務官はスルーするって言うしな」

「では、絶対に捕まらないと言う条件では?」

「絶対に捕まらない?自信家だな、柳瀬さん」

「僕の計画通りに事が運べば、無実の国民のままですよ」

「ふーん・・・あんた奥さんはどうするんだ?」

「うちのですか。ろうあ者なんで巻き込みようがないし、巻き込む必要もない」

「で、俺を巻き込むってか?」

「報酬はお支払いしますよ。成功報酬ですが。あとはボーナス的にいくらかお渡しします」

「いくらだ?」

「成功報酬で1千万円。ボーナスは活動資金と考えて下さい」

「俺とあんただけでやるのかい?」

「協力者はいくらでも集まります。どうですか?」

「計画次第だな」

「まぁいいでしょう。ところで斉藤さんは独り暮らしですよね?」

「しかも結婚歴も無しだ」

「結婚かぁ。良いことも悪いことも増える人生になりますけどね。かろうじてうちは良いことの方が多いですかね」

「妬けるねぇ、あんな美しい奥さんを娶って」

「アハハ、その話は無しにしましょう。ちょっと大きな計画になるので、斉藤さんの部屋を使わせてもらえませんか?」

「使う?」

「えぇ。占拠するなんてことはしません。全国にいくつかのサテライト・・・拠点が必要なんです。東京サテライトはここがちょうどいい」

「具体的には?」

「メンバーが連絡に来たり待機したりする程度です。1人2人ですよ」

「ヤバい奴らか?」

「違いますね。いかにもな風体の人間は目立ちすぎて駄目です」

「計画は?」

「ここでは拙いんで、そうですね、明日は休みでしょう?」

「ああ」

「近所に大きな公園がありますね。一緒にピクニックでもどうですか?」

「ピクニック?」

「上手の手から水が漏れるとも言いますしね。人払いにちょうどいいでしょ」

「分かった」

柳瀬は返事を聞くと妻の方に歩いて行った。キャッチボールはお終いらしい。途中で斉藤を振り返り、「斉藤さん、唐揚げは好きですか?うちのヤツ、唐揚げが美味いんですよ」


 女川夫妻の死因が「爆死」であると暴かれた。警視庁も政府も否定したが、現場の映像が流出してしまえば手の打ちようがない。否定したことを糾弾されたが、多少の圧力でマスコミを黙らせることは可能だった。しかし、国民は黙り込んだりはしない。SNSは「女川夫妻爆死」で盛り上がった。どう考えてもZoo.の犯行だったのだから当然だ。SNSではZoo.を英雄として祭り上げる集団が日に日に勢力を増していた。


「Zooの”檻”を見つけた。情報を買うか?」在京の民放Sテレビの報道部にタレコミの電話が入ったのは、9月3日の明け方だった。電話に出た報道部の副デスクは最初、話の意味が分からなかった。徹夜明け、勤務明けまであと4時間だ。最近は当直続きで酒を飲んでは寝て、目が醒めれば出勤の繰り返しだった。もう「オールドメディア」の権威は失墜して久しい。大きなニュースはネットメディアのH社が独占的に扱うようになった。配信を受けるネットメディアは僅かな課金で「信頼度の高いニュース」を提供する。課金額は100円から500円。ユーザーの格付けは行わず、社によって違うが「課金ユーザー」には同じニュースを流す。T新聞社の教訓から、思想偏向と思われるような報道は一切しない。過去、大手新聞社だったT社は偏向報道をくり返した挙句、記者が殺害されて解散した。遺族への賠償金を払いきれずに・・・だ。


電話を受けた坂井はもやがかかったような思考の中で繰り返した。

(Zoo・・・Zoo・・・Zoo・・・)

ようやく思考がまとまると、受話器を強く握りしめた。

「本当か?あんたは誰だ?」

「俺が誰かはどうでもいだろう?情報を買うかどうかだ」

「確実な情報なら相応の謝礼はする」

「違う違う。謝礼じゃない。情報を買うかどうかだ」

「いくら欲しいんだ?」

「600万円」

「高いっ!いくらZooの情報でも600万円は高過ぎる」

「3人で”檻”のある場所を封鎖してるんだ。1人200万円計算さ」

「それにしても高過ぎる」

「じゃ、この話はナシでいいな?他のテレビ局2つ3つにあたってみて、交渉決裂なら警察に通報する」

「待てっ!警察に通報はしてないんだな?」

「そうさ。情報を買う人がいれば売る。いなければ警察に通報して、被害者の関係者から数十万の謝礼で納得するさ」

坂井は頭の中で計算した。報道部が1か月で使える予算の1/2にあたる金額だが、まだ月初めで余裕はある。この情報が本物ならば、600万円でも安い。このネタ1つで1か月は大衆を惹きつけることが出来るだろう。この電話を受けた自分も「社長賞」確実だ。

「分かった。600万円だな?追加とか言わないだろうな?」

「言わない。この情報はおたくが独占出来る。勿論、SNSにアップロードもしない」

「本当だな?」

「しつこいな。いいさ、他に話を持って行くから」

「待てっ!買う。買うからっ!」

「ふん。疑わしい情報はあんたらの得意分野だろうよ。値上げだ、750万円」

「最初は600万円だと言っていたじゃないかっ!」

「あんたの言い方が気に食わないんだよ。何なら他社に300万円で安売りするぞ」

「・・・750万円でいいんだな?」

「物分かりが良くなったな。今から待ち合わせ場所を言う。現場に来る記者に現金で持たせろ」

「現金?今の時代で現金なんぞそんなにあるものか」

「じゃ、そうだな・・・C社にでも300万で売るわ。じゃーな」

「分かったっ!分かったからっ!」

「おまえら、人を疑ったり交渉する資格があると思うな」

「分かった。他に要求は?」

「そうだな、俺たちの素性を洗うな。俺の許可なしにカメラを回すな」

「分かった」

「今から電車に乗って、八王子市の高尾駅まで来い。中央線だ」

「2時間待ってくれ」

「分かった。2時間15分は待っててやる。いいか?ネットメディアに劣る機動力じゃ話になんねーぞ?」


 電話を切った坂井はすぐさま報道局を出て、経理に駆け込んだ。「スクープの情報が入った。予算を出してくれ」「いくらですか?銀行が開いたら振り込みますよ。それともネット通貨で?」

「現金で750万円だ」

経理は目を剝いた。プール金で足りるかどうかの金額だ。「待ってください。現金指定で750万は無茶ですよっ!」「無茶でも何でもいい。スクープを他社に獲られたらあんたの責任だぞ」「ネタは?」「Zooだ。信頼性も高い」「Zooってあの連続テロ犯?」「だから早くしろ。ソースが期限を切って来てるんだ。2時間しかない」

社を出て地下鉄に乗り、新宿に出るまで40~50分だろう。あとは中央線で1時間弱。間に合うはずだ・・・渋る経理から現金をもぎ取ると、坂井はカメラマンに声をかけた。「デカいネタだ。社長賞モノのなっ!」

 9月3日午前6:00、Sテレビ局の副デスク坂井は、カメラマンとスタッフ2名を伴って高尾駅に降り立った。タレコミによれば、この駅付近にZooの作った檻があるはずだ。北口改札を抜けて、狭いロータリーに出ると、すぐに若い男が近づいてきた。

「坂井さん?」「そうです、あなたが通報者ですか?」「あの車に乗れ」指差されたその車はお世辞にも良い車とは言えない風貌であった。ここ数年、ほとんど捨て値で売られている電気自動車である。普及するまで時間はかからなかった。維持費や運用コスト、脆弱性が知れるまでも時間はかからなかった。この国では「電気自動車」は無理があったのだ。ハイブリッド車は依然、比較的高値で取引されたが、動力が電気オンリーの車はさっぱり売れなくなった。国内有数の自動車メーカーはこの事態を予測し、内燃機関の技術を捨てていなかった。水素自動車もデビューした。電力を自動車に割り振れる余裕は最初から無かった。


 男の指示で、坂井たちはスマホの電源を落とした。


電気自動車の車内は広くない。坂井が助手席に座り、カメラマンとスタッフ2名は後席に座った。機材は最小限を持参したが、車内に置き場は無く、後席の3人の膝の上に積むこととなった。静かな車内にモーターのひゅるひゅる鳴く音だけが響く。

坂井は思い切って訊ねてみた。「あなたたちがZooなのか?」と。

「馬鹿言っちゃいけねーよ。俺たちはたまたまあの檻を見つけた。小遣い稼ぎになると思ってな、あんたらに電話しただけだ」

「他のテレビ局には?」

「あんたんとこが最初さ」

「どうしてうちを選んだんですか?」

「一番腐ってるからさ。あんたに断られたら2番目に腐ってるテレビ局に電話する気だったよ」

坂井は胸の内でため息をついた。マスメディアの権威失墜は当然だ、その先頭が自局だと言うことも知っている。Sテレビはこの国を売ろうとしたのだから・・・

「時間的に、檻の発見は夜明け前でしょう?何でそんな時間に・・・」

「質問はナシだ。俺たちは秘密の情報をあんたらに売ろうとした。あんたは買うと言った」

「しかし、何らかの裏付けが欲しい」

「なぁ?この市にもネットメディアの支局があるんだ。どうする?」

「どうするって?」

「ネットメディアと合同で取材するのかって訊いてるんだよ」

「いやそれは・・・」

「おい、顔を伏せろ。窓の外を見るな」

「何でだ?」

「馬鹿野郎。俺の顔ぐらいは見てもいい。俺の仲間の顔まで見る必要は無い」

坂井たちは大人しく従った。檻の前で現金を渡す。ソレでこの腹の立つ交渉は終わる。

 空き地に”檻”が安置されていた。中に男女2名が閉じ込められている。カメラマンが檻に近づこうとしたのを、坂井が止めた。確かにZooの檻のようだ。その証拠に、中にいる男女は行方不明になっている”あの”女川夫妻だ。坂井は手提げ袋を男に差し出した。750万円。男は受け取ると、軽く中を改めて、無言で立ち去ろうとした。

「おいっ!俺たちの帰りはどうなるんだ?」

「は?スマホあるんだろ、タクシーでも呼べや」

スタッフたちと共に残された坂井は目まぐるしいほどの速度でシミュレーションを開始した。この場で「どう動くのが正解か?」と言うシミュレーションだ。まだ女川夫妻にこっちの存在は知れていない。あの若者は女川夫妻に目撃されているだろうが、そこらへんはあの若者も承知の上だろう。Zooの一員である可能性は高いが、情報源を漏らす気は無い。では自分たちは?

「おい、カメラあるか?」

「そりゃテレビ局ですから」

「違う、送信型のヤツ」

「あー、念のためにいつも持ち歩いてますが、画質は悪いですよ」

「どのくらいだ?」

「720pです」

「バッテリーは?」

「ギリギリで18時間。外付けを使えば28時間ってとこです」

バッグから取り出されたテレビカメラは小さめの懐中電灯ほどの大きさ。ケーブルで繋がるユニットも煙草の箱2つ分の大きさだ。

「檻を撮影出来る位置・・・なるべく遠くて目立たない場所に設置しろ」

「は?取材はどうするんですか?」

「しない。どうせ女川夫妻は助からん。だったらこっちを知られない方がいい」

「いやでも、被害者の肉声とか価値がありそうですが?」

「ばーか。相手は”あの”女川だ。口を割ったりしない。そして警察にこう言うんだ。”テレビ局の取材を受けたが、あいつらは何もしてくれなかった”ってな」

 スタッフが周囲の草むらの中に設置出来ないかと探り始めた。途中、坂井から「あまり踏み荒らすな。鑑識が入ったら2分でバレるぞ」と注意を受けた。結果、檻の左側にある太い樹の枝に隠すことにした。檻を見下ろす位置になるが、ギリギリで中の様子も見ることが出来る。撮影された映像は、試験的に運用を開始した7G通信で送信される。超長波と短波を組み合わせた「場所を選ばない通信波」は民間に開放すべきか判断待ちである。幸い、高尾山には試験用の基地局がある。6G回線と共用だが、あるだけマシだ。既に4G回線が廃用されて数年が経つ。高尾基地局が無ければ、自前の中継器を設置するしかないのだ。

故意に踏み荒らした草むらに「録画機」を隠した。こっちはダミーだ。数十万円はする代物だが「必要経費」だろう。同じく、踏み荒らした草むらに録音機や音声送信機を隠す。時間稼ぎになるといいが・・・坂井は祈るような気持ちになった。次に、現場の緯度経度を確認する。ここに仕掛けていくカメラは「保険」に過ぎない。現場に警察が入り、その様子を撮影出来れば御の字だ。精度の高いGPS情報が手に入る時間帯は飛躍的に伸びた。今は常に4つの衛星から情報を取得できる。精度は2m以内だ。更に4基の衛星を使える時間帯は誤差がほぼ無い。標高も国内基準点からの即位で誤差無く手に入る。坂井は「ドローン」を使う気だった。しかも「脱法ドローン」である。日本国内では、運輸省の認可が下りない限り、個人がドローンを飛ばすことが禁止になった。流行り初めに起きた「首相官邸着陸事件」がきっかけで、都市部での飛行は原則禁止になった。その後、新たな高度規制が入った。地上からの高度30mを限度とするもので、都市部では完全に飛行が不可能になった。若山事件と高山事件では、ドローン操縦者に罰金刑が課せられた。その程度で臆するメディアでは無かったが、坂井が使おうとしているのは「法規制前」の機体である。数年以内に国内飛行が禁じられるであろう「自律航法タイプ」は主に軍用に供されるが、国内の小さなメーカーが密かに生産している。緯度経度・高度を入力すれば、勝手に飛んでいくのだ。姿勢制御用の小型カメラとAIを搭載し、目的を果たせば自分で帰って来る。勿論、「帰還命令」を出せばすぐに帰って来る。可搬重量500gの大型で、機体はペイントで青から白、夜間用に黒と簡単に変えることが出来る。隠密裡に飛ばすことの出来る機体だ。操縦不能になる可能性は高い。先の事件の教訓で、自衛隊が妨害電波を発射することは予測出来た。ならば、「自律航法」出来る機体を使うまでである。違法でも脱法でも、都市部や人家に墜落させなければ罰金刑で済む。

 坂井の要請を受けて、そのドローンとオペレーターが高尾駅に到着したのは昼過ぎだった。現場に仕掛けてきたカメラが発見されなければ飛ばさない。ほぼ数時間で発見されるはずだと坂井は考えた。そして現場カメラのライブ映像は午後2:30に途絶えた。坂井はオペレーターに命じ、ドローンを離陸させた。高尾駅周辺は厳戒態勢だろうから、念のため隣の西八王子駅付近から離陸させる。位置情報等を入力された機体はかなりの速度で一気に上昇していった。これで、あの檻の正面100m以遠から超望遠レンズ付きのカメラで動画撮影出来る。飛行可能時間を考えて、交代用の機体も用意した。Sテレビの虎の子ではあるが、Zooの犯行をスクープするためだ。局も異論は挟まない。


 柳瀬隆二の家にクール宅配便が届いた。中には立派なズワイガニが入っている。カニは妻の大好物だ。普段なら茹でてそのまま食卓に出すが、今日は隆二がキッチンに立ってカニの下ごしらえをした。丁寧に洗うと、そのまま大きな鍋で茹でる。丁寧に脚をもいで縦に割っていく。妻はこの脚からカニ用のフォークで身を引き抜くのも大好きだが、今日は我慢してもらおう。隆二が妻に贈ったナイフは、熟したトマトを紙のように薄くスライス出来る、切れ味抜群のセラミック製の物だ。「切れない包丁は切れる包丁よりも危険」と言うが、料理好きの妻が驚くほどの切れ味のナイフセットは、一般家庭で使うには少々高額だった。甲羅も丁寧に開いて大皿に並べる。妻はニコニコしながらキッチンに立っていた夫を迎えた。広いダイニングキッチンで二人は笑み合いながらカニを食べた。妻が手話で(お酒飲む?)と訊いてきた。隆二はスっと立ち上がると、スパークリングワインのハーフボトルを冷蔵庫から出してきた。二人でカニを喰いながらの晩酌は心が和む。妻は手話を使いこなすが、隆二は簡単な会話しか出来ない。外出でもしない限り、複雑な会話は筆談で済む。Wi-Fiで繋いだ2台の端末での会話は弾んだ。

妻がお気に入りのテレビ番組を観始める。地上波にもまだ「鑑賞に堪え得る連続ドラマ」があった。字幕放送で内容も分かる。そんな妻の様子を窺いながら、隆二はカニの甲羅を綺麗に洗い、拭き上げた。そこに小型のスマートフォンを仕込んだ。電源は入れていない。この端末はGPS機能を完全に殺してある。改造されたこの端末はGPS機能を外付けしてある。GPSのみをオンオフ出来る仕組みだ。今は端末のGPS機能を利用して通信通話の可否を、最寄りの基地局が判断する。政府の決めた「通信業務内規」である。多くの国民はこの仕組みを知らない。知る必要も無い。表面上、GPS機能をオフに出来ることに満足していた。実際、GPS機能を「切った」場合、公式には追尾不能になるのだから・・・

 スマートフォンを仕込んだズワイガニの殻は、脚も元のように戻され、翌日にはクール宅急便で広島県に送られた。

 広島県中区中島町。住所だけではピンと来ないが、「平和記念公園」があると言えば、国民全員が「ああ、あそこか」と思い浮かぶだろう。この町にZoo.のサテライトベースがある。やはり平凡なアパートで、全戸に人が住んでいる。2DKの部屋割りは夫婦者にちょうどいい。広島サテライトのメンバーは独り暮らしだ。そして現場に出ることは無いだろう。ただ報酬が魅力的で、今の政府に一矢報いることも出来るこのテロに合流した。こんなサテライトが全国にいくつもあるが、広島サテライトは東京と宮城のサテライトと繋がっているだけだ。全国に網のように広がってはいない。数か所ずつをほぼランダムに繋いでいる。東京サテライトだけが全国のサテライトを把握しているに過ぎない。

(クール宅配便ねぇ・・・?)

受け取った男は丁寧に梱包を解く。発送人の名前で、中身がズワイガニであるわけが無いと分かる。梱包の中にはズワイガニの殻がある。中をあらためると、見知った端末が入っていた。薄い紙に書かれた文章通りに行動する。

 「島根県の川本町付近から端末同士で通信を行ってください。GPS機能は通信時のみONです。通信内容は同封のSDカードの音声データを流すこと。念のため端末は使用後、電源を落とし、レンタル倉庫に保管してください」

広島の男はSDカードの内容を一応確認した。音声データと言っても、何か硬いものをコツコツと叩く音が入っているだけであった。多分「モールス信号」のようなものだと察せられた。男は自分のスマートフォンをポケットにねじ込んで、島根県川本町に向かった。2時間もあれば着くだろう。

送信先がどこの端末かは知らない。日本のどこかだろう。8月25日から9月5日まで、この「秘密通信」は全国5つの拠点から、別の5つの拠点にある端末に送信された。音声データは全てが違う内容となっていた。広島の男はふと気になってSNSやネットメディアで検索した。「Zoo」の情報を知りたかった。リーダーの名前すら知らない、「SE」と言うハンドルネームだけは知っている。宅配便の送り主の名前は偽名だろう。「柴田昭一」なんて人物はこの世に存在しないはずだ。同姓同名は多いと思うほどに平凡な名前だ。ネットで検索しても何も出てこない。Zoo.に関しては過去の事件のフェイク情報が数件あるだけだった。ネット検閲は十分に機能していた。

 9月1日にネットはまた国民の手に戻ってきた。それまで耐え忍んでいたユーザーの発する情報は洪水のようであったが、肝心の「真の情報」が広まり始めたのは9月4日以降になった。女川夫妻がZooの犯行により殺害されたようだった。


9月の第一日曜日。柳瀬隆二の部屋のチャイムが鳴った。時計を見るとまだ朝8:00前だ。訝しく思いながらインターホンカメラの画像を見る。スーツ姿の男が3人ドア前に立っていた。一瞬、緊張で身を硬くしたが、平静を装うために素早く寝室を覗き込んだ。妻の寝顔・・・この穏やかな妻の安穏を守ろうと思う。緊張が抜けていく。インターホン前に戻ると「どなたですか」と誰何した。「国税局査察部です」柳瀬隆二は完全に安堵した。このいきなりに思える訪問は予想済みだった。


 桐山は最近、自分が分からなくなっていた。警視庁の現場を何度も踏み、その功績から「対テロ特別捜査部」の部長に抜擢された。誇らしいとさえ思っていた。全てはあの若造が始まりだった。kaleidoscopeなどと言う違法捜査を行う部署に引き抜かれ、未だ何の成果を上げていない。この1か月のうちに、高山祥子議員が死に、女川夫妻が誘拐された。佐川は何を考えているのか分からない。捜査するように課員に指示を出してはいる。指示内容は当然桐山も知っている。今はKS班総出でキーワードの抽出を行っている。女川夫妻に関するキーワード、高山事件に関するSNSユーザーの発信から、メールやチャットアプリの内容まで覗き込んでいる。kaleidoscope(万華鏡)とはまた、よく言ったものだ・・・

そして成果は上がっていない。KS班は非合法捜査を行う故、情報網にヒットしても公式には動けない。例えば、高山事件で「現場映像」を流出させたユーザーは特定されたが、別件で引っ張って来て、かなり強引な方法で事情聴取を行っても「シロ」であると判断された。9月1日から検閲を辞めたように見せかけて解放したSNSには真偽不明の情報が溢れている。KS班の課員たちはキーワード抽出を根気よく続け、「アタリ」と思える情報源を特定しては「マルテ」にその情報を流す。マルテはこの情報を元に、独自捜査を加え、該当者を任意同行の形で拘束した。任意とは言え、実質は犯行グループの疑いで事情聴取である。一切後ろ暗いことが無い人物、全て25歳以下の若者であったが、「転び公妨」(警察官による「当たり屋」稼業のこと)と言う手を使ってまで拘束した。後ろ暗い人物は徹底的に洗われ、犯罪性が高ければ問答無用で起訴された。在宅起訴された人物は既に8千人に及んだ。「Zoo礼賛主義」とまで呼ばれている勢力はとことん狩られることになる。桐山は思う。

 「何故ここまで強引な方法を取ってまで、Zooの早期逮捕を目論むのか?」

佐川はレポートを読み終えるとため息を吐いた。この事件を追っているのは自分のチームやマルテだけではない。動員出来る警視庁の警察官だけではなく、日本全国の所轄を限界まで動員している。治安維持は破綻寸前で、政府閣僚も苦肉の策で自衛隊を出そうとしている。もうすぐ警察力では抑えきれなくなるだろう。しかも、女川夫妻まで死んでいる。記者会見では「Zooによる殺害と思われる」としたが、殺したのは政府と警察官僚だ。こんなことまで国民に知られたら・・・歯止めが利くかどうか分からない。いや、もう一部のSNSユーザーには真相が知られている節がある。レポートでは「劇場型犯罪」の文字も見られたが、佐川は心中ではこの線は無いと考えている。「劇場」は観客が居てこそ成り立つ。この事件は違う。コレは視聴者参加型の犯罪だ。「容疑者は全国民」なのだ。犯行グループZoo.は淡々と「国民の敵」を殺してきた。この先も、逮捕されなければ犯行は続くだろう。そして「国民の敵」は多過ぎる。何故、犯行グループは「檻」にこだわるのか?この点が不可解だ。コレはマルテと一致した見解だ。わざわざ攫ってから公開処刑する理由がない。殺した後に犯行声明を出せば済む話だ。犯行声明の発信元はいくらでも偽装出来ると考えていて不思議はない。高山事件では、動画流出元の特定まで時間がかかったが、中東や紛争地域を経由すれば発信元の特定は不可能だろうと考えるだろう。いや待て。犯行グループがkaleidoscopeの存在を知っていたら?佐川は静かに立ち上がると、チームの勤務する大部屋に向かった。


 「kaleidoscopeのシステム設計に関わった人物を洗い出せ。このシステムは外注されていないはずだ。関係者に犯行グループの一員がいる可能性が高い」


 桐山は別のルートで捜査する。Zoo.が檻にこだわるために必要な物。それは「資金」だ。マルテが試算した檻のコストは若山事件で200万円から400万円。高山事件では公用車を使っているが、爆破に関わる費用は200万円と見積もられた。人員のコストも織り込んだ費用だ。若山事件では、極論すれば人件費はかからないはずだ。ノーマークの状態から若山を拉致監禁。あとは山形県の山中に放り出せばいい。最低限なら3人もいれば実行出来たはずだ。では女川夫妻では?一番コストがかかったはずだ。3件目の事件。松下の誘拐まで数に入れれば4件目の犯行だ。どんな組織だって「裏切者」が出る。口止め料は相当な額になるはずだ。勿論、裏切者の粛清まで考えているだろう。桐山はKS班に向かう。


 「資金源を捜せ。今は大量の資金を動かせば必ず把握出来るはずだ」


指示を出し、ひと段落した桐山と佐川は室長室に戻った。室長室は桐山のために換気装置を新たに増やした。コレで桐山が喫煙所に行くことを阻止出来る。桐山の存在はkaleidoscopeの暴露に繋がりかねない。なるべくなら外部との接触は慎んで欲しい。

「なぁ佐川」

「何ですか?」

「俺たちの捜査方法は間違っていないよな?」

「桐山さんの指示は的確でした。少なくとも犯行グループの割り出しに有効ですね」

「ところで、だ。あの白衣の集団は何なんだ?」

「ヘンペルのカラス、知ってますか?」

「ヘンペルのからす?なんだそれは?」

「桐山さんは”カラスが黒い”と証明しろと言われたらどうします?」

「そりゃ、カラスを捕まえて来て見せればいいだろう」

「そうですね。アルビノ固体を無視すればカラスは黒いですから」

「お前は何を言っている?」

「逆も可能なんです。世界中の”黒くない鳥”を全部調べて、その中にカラスが居なければ、カラスと言う鳥は黒い」

「・・・確かにそうだが、途方もない手間と時間が・・・やってるのか?」

「あの白衣の集団と言っても12名ですが、”ヘンペル班”と呼んでいます。彼らは、国民の中で、確実に”シロ”だと言う人物をリストから外していきます」

「無茶だ、国民1億人全てをか?」

「子供や老人、身体不自由に知的障害者は最初から除外出来ますから、対象は2千万人程度。この大きな母集団を”大リスト”と呼び、僕らのチームが割り出した容疑者と突合させます。こっちは”小リスト”ですね。いずれにせよ、最終的には僕らもヘンペル班も、同じ容疑者を囲い込むわけです」

「何故、そこまで手間をかける?」

「より強固な容疑をかけるため。あとは手間を省くためです」

「手間だぁ?かかってるじゃないか」

「いえ、小リストの中の人物をヘンペル班が除外すれば、捜査は早く進みます」

「よく分からん・・・」

「簡単に説明すると、僕は今、システム開発者の洗い出しを支持しています。桐山さんは資金を出している人物を捜している。システム開発者で金を持っている・・・そんな人物は多いでしょう。その中から確実に”シロ”い人物はすぐに除外されます」

「何故そこまで急ぐ?」

「事件収拾は警察官の悲願じゃないですか?」

「だからと言って、ここまで大規模な違法捜査をしてまで・・・」

「この事件は最悪の展開になることだけは避けないといけないんです」

「最悪?すでに最悪だよ。警察が手も足も出せずに人が死んでる」桐山は言葉を少し濁した。警察の失態や、政府や警察官僚の判断で女川夫妻は殺された。

「この先があるんです。それだけは阻止したい。僕の考えでは」

「考えでは?」

「次の事件が起こったら終わりです」

「何が、だ?」

「全てですよ。この国は生まれ変わるか滅ぶかの道に進むしかない」


「朝早くからなんですか?今日は日曜だ」柳瀬隆二は軽く抵抗を試みる。駆け引きだ。「夜討ち朝駆け」は国家権力から闇金までが好む手法だ。

「柳瀬さん?」

「ちょっと待ってくれ。身分証明証、見せてくれないか?」

査察部のリーダーと思われる人物がバッヂを掲げて見せる。同行の部員も全員が同じバッヂを掲げた。

「本物だね。で、何の用事だい?」

「柳瀬さん。あなたに伺いたいことがあるんですよ」物腰言葉遣いは丁寧だが、卑しさは隠せないようだ。眼鏡の奥で瞳が狡猾にぬるりと動いて、柳瀬のアパート内部を観察した。

「なんのことだい」柳瀬はそっと身体をずらして、寝室のドアを隠した。

「柳瀬さんは6年前、ナンバーくじに当選してますね?」

「ああ、4億円だ」

「そうお話してくださると話が早い。そのお金はどうしました?」

「どうしましたって?」

「単刀直入に申しますと、柳瀬さんには脱税の嫌疑がかかってます」

「脱税?馬鹿言っちゃいけない。宝くじの当選金は非課税じゃないか」

「そうです、当選金は非課税ですが、運用益が出れば課税されます。勿論、この間に新紙幣に切り替わってますので、様々な手数料も発生したはずですが?」

「そんなこと、こっちの勝手だろう?」

「いえ、柳瀬さんは国民バンクでナンバーくじを現金と引き換えた後、一旦は国民バンクに預けていたのに、3か月で全額を引き出している」

「違うな。口座には5千万円は残してあるはずだ」

「はずだ?」

「国民バンクの口座には一切触っていないんだ」

「で、残りの3億5千万円はどうしました?使途によっては課税されるんですよ?」

「この国の政府は、国民の財布にまで手を突っ込んでくるからな、そうだろうさ」

「この場で使途不明金の行く先のお話は無理でしょう。明日、国税局で・・・」

「見せればいいんだな?」

「は?」

「当選金だよ。全部現金で持っている」

「なんですって?」

「今、妻が寝てるんだ。ちょっと起こして話してくるから待っててくれ」

柳瀬隆二はそう言うと、寝室に向かった。

「ちょっと買い物に行ってくる」ぐらいの手話は出来る。妻はボサボサっとした長い髪を指で軽く梳きながら頷くと、また枕に顔を埋めた。

 「ここだ」柳瀬隆二は銀行の貸金庫の前で、査察部の者に告げた。この貸金庫2つに分けて現金を保管していると告げた。

「何でそんな面倒なことをするんです?国民バンクでいいじゃないですか

「信用してない。金利だって一時期はマイナスになったじゃないか。億単位の預金ではかなり痛いことでね。俺は好きな時に金を使いたいんだ」

「今の金利は僅かですがプラスです。億単位の預金ならそこそこ利益も出る」

「利益が出た途端、色々理由を付けて預金全体に課税するんだろ」

「利益が出たと判断された場合だけですよ」

「資産運用を奨励した大臣がいたが、その年の税収は過去最高だったな」

「・・・では、ここに3億5千万円があるんですね?確認させていただけますか?」

「あるのは3億・・・2千万円かな?」

「3千万円は使ったということですか?」

「そうだ。俺はこんなLuckだけで転がり込んできた金は信用しない。だからSEの仕事も続けている。せいぜい、老後の資金ってとこだ」

「で、3千万円は浪費ですか?」

「おい、口の利き方に気を付けてくれ。自分の金をどう使おうが自由だ。ソレを浪費と決めつけるとか、お前さんは馬鹿なのか?」

「罵倒など、裁判で不利になりますよ?」

「裁判になるのか?使った3千万のうち、半分は妻が世話になってる聴覚障害のNPO等に寄付。内訳はNPOに1千万円。俺は神社の氏子なんでね、そこにも500万円寄付した。1500万円は、結婚費用等だ。生活費にも回したが、そんなに大金かい?」

「では現金を見せて下さいよ」

「来な。見せてやるし、数えさせてやるよ」

 国税局査察部の3人は、柳瀬に見下ろされながら札束を数える屈辱を受けた。確かに帯封のままの現金は3億2千万円あった。

「柳瀬さん、ここにあるのは旧紙幣です。このままでは使えませんよ?」

「必要な分があったら、銀行に預けてから使うさ」

「だから、どうしてそこまで面倒なことをするんですか?」

「政府も銀行もあんたらも信用していないからだよ。生活費なら俺の稼ぎでお釣りが出る」

「この現金、本当に動かしてないんですね?」

「調べてもいいぞ。ほら、あそこに監視カメラがある。査察部には喜んで記録を見せてくれるんだろう?」

 国税局査察部は「今回は申し訳ありませんでした。しかし、今後も脱税やマネーロンダリングが疑われる場合は、拘束してでも話してもらいますよ」と捨て台詞を吐いて消えようとした。

「ちょっと待てよ。ついでだ、200万円ほど出していくわ。妻の好物を買って、あとは旅行なんぞに出るのもいいからな」

Sテレビの副デスク坂井は9月5日に拘束された。女川夫妻の死亡から2日後のことである。容疑は「テロ防止法違反」及び「特定秘密の保護に関する法律違反」さらに「女川夫妻殺害容疑」である。勿論、坂井はこれらの法律に抵触していない。女川夫妻発見と報道は「報道の自由」の行使である。ただ、坂井の場合は「女川夫妻発見」の通報よりも取材を優先させていたことから、悪質と言うことで引っ張られたのだ。また、何故都心部にあるSテレビ局員が、高尾山中にあった”檻”を発見出来たのか?取り調べではこの点を明らかにしたい。坂井が「Zoo.」のメンバーと接触していた可能性が高いのだ。

佐川率いるkaleidoscopeはこの情報を1日で解析した。女川夫妻発見地点付近のGPS端末のログを追っていたのだ。

 マルテ捜査部の本部長、福島が直接取り調べを行う。

「坂井さんさ、どうやって檻を発見した?」坂井は黙秘を貫こうとしたが、ここで福島から恫喝を受けて折れた。

「黙っていてもいい。このまま起訴する。いいか?テロ犯として裁かれるんだ。女川夫妻を殺したとあっては、無期あるいは極刑だ。覚悟してるんだよな?」

坂井は渋々話し始めた。3日の朝方、局にタレコミの電話があった。半信半疑ながらも、Zooの事件ということで、その場にいた自分がスタッフ2名を同伴して現場に赴いた。そこで本当にZooの檻を発見し、隠しカメラを仕掛けてから通報した。それだけだ。

「なぁ坂井。タレこんできたヤツはどんな人間だ?会ってるだろう?」

「高尾駅で落ち合った。あとはその男の運転で現場に行った」

「正確な時間を訊きたいんだがな。タレコミの時間はこっちで調べた。AM3:42だったよ。で、お前はすぐさま経理に駆け込んで750万円を出させている」

電話の少ない時間帯だったので、坂井が受けた電話の特定は容易だった。発信は公衆電話からだった。

「その後は?」

「俺はすぐに高尾駅に向かったさ、大スクープかも知れないからだ。到着したのは6:00過ぎだ。そこで落ち合った」

「何故通報しなかった?」

「現場を確認しないで通報しろと言うのか?」

「今回はそうした方が良かったんじゃねえかな?通報だけで済ませれば、今頃は涼しい部屋でのんびり出来ていただろう」

「タレコミが事実なら独占取材できると思ったんだよ。分かるだろっ!?」

「まぁ事件屋のお前さんたちが考えそうなことだ。しかしな?被害者を確認しているのに取材を優先させたことは犯罪だ」

「報道の自由があるだろう」

「報道は自由さ。坂井?お前は発見してから1時間も何をしていた?」

「隠しカメラの設置ぐらいはしないと、独占スクープにはならない。今までの事件でも、警察は現場から報道陣を締めだしたじゃないか」

「そりゃそうさ。相手は大規模テロ犯だ。どんな情報だって易々とは出させない」

「報道の自由を否定するのか?」

「テロに関しては報道規制をしてるんだ、分かってるだろう?勿論、他の事件で報道の自由の邪魔はしない。お前さんの逮捕と容疑はどうするね?まだ伏せてあるが、Sテレビではニュースにしたくてうずうずしてるぞ」

「馬鹿な・・・」

「お前もニュース系バラエティー番組のネタになるわけだ。そうそう、5年前だったな。お前の局が国家機密である自衛隊の展開の情報をC国に売ろうとしたのは。アレが漏れていたら、あっという間にこの国は占領されていた」

「占領とは大袈裟な・・・」

「おい、舐めてんじゃねぇぞ?自衛隊の保有する戦闘機の数、配備。スクランブル発進から空域着の見込み時間。開戦シミュレーション。F3の配備計画。おまけに誰も知らないはずの潜水艦の位置情報まで売ろうとしやがってっ!」

「潜水艦?」

「そうだよ。我が国の防衛の要は潜水艦さ。アレがどこに潜ってるのかなんて情報は、海自司令部でさえ秘匿していた。お前、事件の内容を知らんのか?」

「俺は、局長クラスがC国に機密を流そうとして・・・」

「死んだよな。犯人は未だに不明さ。もうあんな騒ぎは懲り懲りだよなぁ、坂井さん?」

 坂井は全て自白した。嘘は通用しそうにない。警察は坂井の当日の行動をすべて把握していた。通報後、現場で警官に報告した後、引きとめる警官を振り切って、隣の西八王子駅に夕方までいたこと。

「その現場に案内した男に見覚えは?」

「無い。タレコミで会っただけだ」

「写真はあるか?」

「用心深い男でね。カメラを取り出す隙も無かった」

「テレビ屋のお前らがぁ?」

「本当ですよ。スマホの電源まで落とせと命じられた」

「単刀直入に訊く。そいつらはZooだったのか?」

「分からん。裏取りしようとしている時に逮捕されたんだよ」

「長い拘留になる。差し入れは少々自由が利くようにはしてやる。よく考えろ、思い出せ。事件解決のきっかけになることも多いだろう」


 佐川は桐山と共に事件翌日から情報収集を始めた。kaleidoscope班のサーチにヒットする情報はかなりのものだった。当日、つまり9月3日の坂井たちの足取りはGPS情報で簡単に割り出せた。

「次長」

この呼びかけに佐川も桐山も振り向いた。二人は「次長」と呼ばれている。

「いえ、佐川次長・・・いや、桐山次長も聴いてください」課員は自分のデスクのスピーカーの音を大きくした。「この情報、信じていいんすかね?」「空振りでもいいさ。そうなったら、あっちでのんびりして帰ろうや。局の空気は辛気臭くて反吐が出る」「俺はすぐに帰社しないと、カメラマンの仕事に支障が出るんすよ」

コレはスマホから送信されてきた「盗聴」の内容であった。「佐川っ!」「何ですか?」「お前、完全にプライバシー権の侵害、いや蹂躙だぞ?」「もうそんなことは言いっこなしでしょう。事件に関係ないと判断された場合は即削除なんですから」「じゃぁ何でこんな盗聴内容が残ってる?」「Sテレビの坂井副デスクは明日、逮捕されますから」「明日の予定?事件のシナリオまで書くのか?」「違いますよ。坂井副デスクはZooと接触している可能性がある」

盗聴は3日午前6:15過ぎに突然切れている。坂井たちの端末の電源が落とされたのだろう。坂井たちに接触した”A”と言う男の端末から続きが盗聴され、記録が残っていた。「俺たちを探るな」と言う言葉があった。この情報は「アタリ」かも知れない。少なくとも、完全犯罪と思われているテロ事件で初めて、Zoo.が犯した失策かも知れない・・・


”A"が犯行グループの一員ならば。


 GPS情報のログから、”A"を含む3人の人物が割り出された。早朝の高尾駅で、坂井の端末に近づいた第三者が”A"である。”A"はこのあと、30分ほど坂井と行動を共にし、「タクシーでも呼べや」の言葉を残して別れている。その後、”A"は2人の人物と合流。各々に200万円ずつ渡している。値上げ分の150万円は自分のポケットに入れたようだ。この3人も、すぐに別れている。車内と思しき場所でも言葉少なであった。そしてスマホの電源は落とされた・・・

盗聴機能は働かないが、GPS情報は筒抜けである。「おい、この3人の所在は?」桐山が課員に訊く。「既にマルテの捜査員を向かわせています。引っ張りますか?」佐川が割り込む。「確保だ」

桐山は一つのヤマを越えたと思い、室長室の自分のデスクに戻った。課員のいる大部屋でもタバコは吸えるが、あのキーボードを叩く無機質な音が嫌いだった。ポケットに手を突っ込むと、タバコの箱が触れた。引き出そうとして、硬い金属がチャリっと微かな音を立てた。

(コレは使いたくないな・・・)

桐山はタバコを咥えて深々と吸い込んだ。左にある室長デスクは今日も無人だ。

(ここは謎が多過ぎる。室長がいなければ、実質、佐川と自分が最高権力者だ。kaleidoscopeについて詳しく知らない自分と、捜査のその字も知らない佐川。お互いに補完し合ってはいるが、どこまで、何をすればいいのか?)


佐川は桐山の後、数分後に室長室に戻っていた。無言のまま、桐山の向かいのデスクに座る。何か逡巡しているようだ。更に数分後、佐川が口を開いた。

「”A"のこと、どう思います?」「Zoo.に繋がる可能性がある」佐川はため息を吐く。

「そうでしょうか?」

「そうでしょうかって、お前・・・そのためのkaleidoscopeだろう?」

「今の日本で、このシステムを上回る捜査方法はありません」

「そうだろうさ。法律無視でやりたい放題だからな」

「まぁいいでしょう、その通りです。で、この先は?」

「お前が疑問を持ってどうするんだよ。Zoo.の主犯を逮捕するんだ」

「ねぇ桐山さん」

「何だ?」

「僕の予想では、次の事件がタイムリミットです。未然に防げれば大金星。次の事件後すぐに主犯を逮捕出来れば上出来です」

「タイムリミット?」

「僕のチームが危険な兆候を検知しています」

「危険な・・・?」

「模倣犯ですよ。必ず模倣犯が現れるはずです。その前に・・・いや多少の余裕はあるでしょうが、逮捕しないと」

「模倣犯ねぇ・・・ちょっと大掛かり過ぎないか?」

「檻を用意するとか、そんな話じゃないんです。”国民の敵”を狙うグループが出てきます」

「それこそkaleidoscopeの餌食じゃないか。出来るんだろう?」

「歯止めが利かなくなったら?」

「歯止め?そんなもんあるのかよ」

「大規模テロを起こした場合、必ず極刑になる」

「そうだろうさ。昭和の時代はテロ犯に甘かっただけだ」

「そうです、テロで死者を出しても釈放された左翼メンバーさえいます」

「アレはまぁ・・・死んだだろ?」

「警察の部隊は優秀ですね」

「バカヤロ。それこそ”存在しない部隊”さ」

「では、このZoo.の一連の事件では?」

「逮捕されたら必ず吊るされる」

「そこが問題なんです。僕が言っている歯止めとは、テロには厳罰で臨むと言うことです」

「当たり前だ。Zoo.に便乗しただけで極刑は免れないだろう」

「僕たちもZoo.に揺さぶりをかけました」

「揺さぶり?いつだ?」

「女川夫妻ですよ。自衛隊別班を出したのはうちなんです」

「はぁ?政府閣僚の意志じゃないのか?」

「当然、そう言う打診が警視庁のSATにありました。うちが泥を被ることにしたんです」

「何故だ?」

「恩を売っておけば動きやすくなるからです。女川夫妻事件の責任を負わなくていいと言う取引です。あ、言っておきますが、うちが別班を出さなくとも、SATが実行したはずですので、怒鳴らないでください」

「まぁいい。で、Zoo.にかけた揺さぶりって言うのは?」

「犯行グループは知っているわけです。自分たちが殺したわけではない、と」

「そうだろうな」

「で、この先逮捕された場合、弁護士は付くでしょうか?」

「あ・・・仲間を殺されたも同然か。それでも金で転ぶ弁護士は出るだろうさ」

「それは無いんです」

「何故だ?」

「必要があれば、警視庁でも政府でも、弁護士会に圧力をかけて私選弁護人がいないことに出来ます」

「そうすりゃ楽だな」

「必要があれば圧力。その必要が無いんです」

「何故だ?国選弁護人だけで公判を進めるのか?Zoo.はそこまで馬鹿じゃねーぞ」

「テロ防止法で懲役30年コースを争うんです」

「死刑だろう?何人殺したと思ってるんだ?」

「Zoo.は”殺し”をしていないんです」

「いや待て。死んでるだろうが」

「若山事件、憶えてますよね?」

「最初の事件だ」

「誰が若山を殺しましたか?」

「Zoo.に決まってるじゃないか」

「若山の死因は熱中症による衰弱死。高山の場合は自殺でした」

「真相を知る者は少ないだろう?」

「桐山さん、矛盾していますよ。kaleidoscopeの違法性を問うなら、若山・高山事件の真実を隠蔽するのも違法です」

「うっ・・・」

「そして女川夫妻は僕のチームの判断で殺しました。つまり、テロ防止法で起訴できても、殺人罪が成立するか微妙なんです」

「いや、それでも結果がアレでは”未必の故意”はあった」

「そうです。国選弁護人はこの点で争うでしょうし、最高裁の判決が確定するまで20年はかかる。しかも、こちらには隠したい事情も多い。必ず新たな証拠が出て来て控訴控訴の繰り返しとなります。吊るす前に主犯も共犯者も寿命を迎えます」

「確実に犯行を行った人間なんざ、お得意の別班でも出すがいいさ」

「国民が見ているんですよ・・・」

「国民には何も知らせない・・・そうだよな?」

「kaleidoscopeの存在は知らせません。しかし、必ず内通者が出ます」

「なんだそれは?」

「例えば現場にいた自衛官。警官もそうです。”国民の敵”を葬ったZoo.に与する者が出る」

「そんな警官や自衛官は特定して逮捕、長期刑だろう」

「その頃にはもう、kaleidoscopeは無いんです」

「どう言う意味だ」

「この先の展開が読めません。僕たちがどうなるのかも明言出来ません」

「俺には言えるよな?」

「室長に。室長から聞くことになると思います。今は容疑者逮捕に全力を尽くすだけで精いっぱいですね」


Zoo.の檻を発見し、Sテレビに情報を売った男。”A"は9月4日深夜に拘束された。まだ容疑者逮捕と言うわけでは無いが、急を要するので深夜の「任意同行」となったのだ。マルテはこの男がZoo.の関係者、端的に言えば「実行犯」の嫌疑をかけている。任意同行してから証拠を捜し、テロ防止法で起訴する腹積もりである。ところが、”A"つまり山田正一は一切関係は無いと主張し、素直に経緯を話した。仲間の2人も、ただ単に山田の「お小遣い稼ぎ」に便乗しただけと主張するのみである。


女川夫妻事件の現場に臨場していたマルテ捜査本部長の福島は、所轄である高尾署で事情聴取にあたっていた。既にSテレビの坂井も任意同行が決まっていた。当分は自由の身にはなれないだろう。そしてこの山田と言う若者も・・・だ。

「山田って言うのか。職業は?」

「マンション管理人」素っ気なく答える。

「マンション?お前のような若造がかか?」福島は雑談することもなく、真実のみを明かそうとする。あの忌々しい佐川とか言う若造に「捜査は機敏に、焦ることなく確実に」と釘を刺されている。どうもあの佐川はマルテの上部組織の管理職らしい。詳細は知らないが、佐川のいる部署から「極秘」とされている情報が流れて来る。その情報に基づいて被疑者を拘束するのもマルテの仕事となった。

(桐山さんがいれば・・・あんな若造に仕切らせたりしないだろう)

まさかその桐山が、佐川と同じ部署で指揮を執っているとは、福島も知らない。

「家が土地持ちでさ。今は整備特急があるから、こんな田舎でも都心まで20分で出られる。高級賃貸は最近の流行りさ。駅から西に向かうと価値は下がるけど」

「で、そこの管理人をやって、楽をしている。そうだな?」

「そうだよ。何もしないでいい。トラブルは管理会社に丸投げさ」

「収入は?」

「金額のことかい?月収で20万。あとは親がくれるお小遣いってとこだ」

「その恵まれたボンボンが、なんで夜明け前の陣馬山なんぞに行った?檻の発見なんぞ、不自然過ぎる。正直に言えよ」

「脅してるのかい?」

「任意聴取ではなく、女川夫妻事件の容疑者として身柄を拘束することもある」

「あー、俺がZooだって疑ってるんだ」

「当たり前だろうがっ!檻が発見された脇道は、普段は人が入ることも無い行き止まりじゃないか」

「行き止まりじゃないさ。車が通れないだけで、林道は山梨県にまで抜けている」

「そうか、しかしお前は車であの道に入ったんだよな?」

kaleidoscope班の解析で、3日から4日の山田の足取りは完全に掴めている。

「罠が仕掛けてあるんだ」

「はっ!檻の次は罠か。動物相手にしてんじゃねーぞ、人が死んでるんだ」

「秋以降はイノシシが掛かるんだよ。多くは無いよ、年に2~3頭。多い時には10頭掛かったこともあったけど」

「イノシシぃ?」

「ジビエって奴さ。高値が付くんだ。デカい奴だと100万の値が付く」

「無許可か?」

「俺は害獣駆除業者の資格を持ってる。後ろ暗いところはない」

「獲物の横流しもか?」

「捕獲するだけでいいんだよ、この市では。猟師が激減したせいで害獣が増えた。鹿を専門に狙うやつらの方が多いさ。ここの警察署に訊いてみたらいいよ」

「で、本題だ。どうして昨日の朝に限って3:00みたいな夜明け前からうろついていた?」

「仲間とドライブさ。津久井湖にある充電ステーションまで走って、道の駅で軽く休憩して帰って来る。今は不良外人も多いから、パトロールも兼ねてる」

「パトロール?」

「そうさ。外人が入り込み過ぎたんだよ。全部市長の責任だが、そんな不良外人の対策は民間人がやる。警察は甘々の対応しかしないから」

「対策?甘々ではないって、殺すのか?半殺しにでもするのか?」

「現行犯なら腕の1本や2本は折るさ。たいていがレイプか強盗だから」

「強そうには見えないがな、山田さんよ?」

「俺の車を捜していいよ。イノシシ狩りに使う電気銃や捕縛網、最近出てきた”音響銃”も積んである。全部許可済みでね。許可証はコレだ」

そう言うと、山田正一は5枚の許可証を机に並べた。

「ふん、マイナンバーカードに入れてないのか?」

「1枚で済むってことは、1枚無くしたら終わりってことだ。山の中を駆けずり回るんだから、そんなリスクは取らないよ」

「話がズレたな。なんであの檻を発見出来た?今のお前の話では、まだイノシシ狩りには早いようだが?」

「ねぇ、刑事さん?」

「なんだ」

「捜査にコレだけ協力してるんだ。タバコ吸わせてくれないかな?」

「どっちだ?」

「紙巻きの方。もう加熱式はメーカーが撤退して入手困難だろ?」

「いいからここで吸え。終わるまでこの部屋から出さん」

「おーおー、容疑者扱いだね。まぁいいや。灰皿は?」

福島は記録係の警察官に缶コーヒーを買って来るように命じた。

「小銭くらいは持ってるよな?」容疑者と目されている山田に「奢る」のはご法度だ。

「シケてやんな。いくらだい?」

「400円。2本飲ませてやるから、1本飲んだらソレを灰皿にしろ」


「夜明け前に街道を帰ってきた時さ。バードウオッチングのおっさんに車を止められた。ああ、デカい双眼鏡を持ってたし、装備も本格的だった。あの双眼鏡で若いもんの車を捜したんだな、きっと。で、車を止めてやった。なんならヒッチハイクでも乗せる。バッテリー代くらいは貰うけど。で、そのおっさんがあの林道にZooの檻みたいなもんがある。揉め事はごめんなんで、君たちが通報してくれないか、とさ」 

 kaleidoscope班の解析では、確かに山田正一の車は数分だが街道で停止した後、林道に向かっている。山田に接触した人物のGPS情報は無かった。この時点ではノーマークだった山田たちの盗聴記録は無い。ログは流れている。kaleidoscope班の解析と「ヘンペル班」は並行して山田たちの動向を調査した。年度上半期のGPSログは通信キャリアが記録している。山田たちだけではなく、交友関係・・・同じ中学校を卒業した程度でも・・・までログを遡り、ヘンペル班は山田たちを「シロ」と判断した。若山事件から始まった一連の犯行時に、全く関与した形跡がない。スマホからの発信・着信記録まで調べたのだ。ヘンペル班は「嫌疑0%」と結論した。

 早朝の4:00の街道は通る車も少なく、ドライブレコーダーの画像は少なかった。勿論、「バードウォッチングの男」の映像は無かった。物陰に隠れて山田たちの車を引っかけたのだろう。山田の車はドライブレコーダーの前方カメラが壊れていた。

 今の車はドライブレコーダーの搭載が努力義務となり、新車には必ず搭載されている。交通課の警察官が目視で確認出来るように、作動中のレコーダーには小さな赤いパイロットランプが光る。山田の車の前方カメラのパイロットランプは消灯していた。バードウォッチング用の双眼鏡ならば、このランプの確認も容易だっただろう。ここまで計算づくなら、証拠は残さないだろうことも予想出来た。kaleidoscope班も「ヘンペル班」も、若山・高山事件発生時点のGPSログの総当たりを行っている。現場付近にあった携帯端末はほぼ全てが特定され、怪しげな動きをした端末は追跡対象になった。年度上半期であったことが幸いして、ログはある程度残されていたが、この間に解約された端末は追尾出来ていない。そして、「ヘンペル班」は解約された端末の持ち主は「嫌疑無し」と判定した。kaleidoscope班は契約中の端末の追尾を続けていたが、怪しい動きをした端末は、全てが報道関係者だと分かった。現場周辺にいて、事件の最中から事件後の現地付近をうろついた・・・報道関係者の取材だろう。Zoo.の事件に関わった人物は全て、監視対象にはなった。通報者、知らずに協力した人物。全員がごく普通の生活に戻っている。kaleidoscope班が割り出した「リスト」、つまり、kaleidoscopeの開発に携わった人物のリストは2千人に達した。プログラマー、システム開発者。設計から制作まで。確かに外注された部分は無かったが、このシステムを部外者に口外した者もいたはずだ。「守秘義務」が厳格に運用され、民間ではありえない厳罰が与えられるのだが・・・


「ヘンペル班」はリストを2つ作った。「kaleidoscopeの開発関係者」と、「所得の多い者」のリストだ。日本の高所得者は国民の5%になっていた。貧困層は逆に増加し、65%が貧困にあえいでいる。趣味に使える金すら持たぬ者が娯楽を求めれば、自然とSNSやインターネット・コンテンツになっていく。毎月、数千円の回線契約料を払えば、あとは無料で楽しめるサービスが大量にある。SNSで情報を集めて「ルサンチマン」となる者が続出している・・・

年齢や犯罪歴、モラルのある無しでフィルタリングされ、リストに残ったのは500名になった。このうち、200名ほどは「Zoo.」の構成員ではなく、資金提供をすることが可能と言うポジションにいる。ここで、2つのリストを突合させると、人数は一気に絞られた。容疑者である可能性があるのは120余名。


 「動機は?」桐山が佐川に意見を求める。桐山はZoo.を動かしている原動力は「義憤」だと踏んでいる。保守、左派と弁護士に怨恨を持つ者など、そうはいるものか・・・

「僕は犯罪心理に詳しくないので。桐山さんの考えは?」「義憤だ。イデオロギーではない。標的にされているのは”国民の敵”だけだ」「僕もその考えに同意します。そして、動機が義憤であると言うことは、事件解決が困難になると言うことでもありますね」「解決困難?」「そうです。前にも言いましたが、模倣犯が現れたら事件の終息が見えないことになります」「模倣犯?ここまで見事と言うのも変だが、証拠を残さない手口まで模倣出来ると言うのか?」


 「桐山さんは国民を甘く見ています。捨て身の犯行を行う人物、今までにも多かったでしょう?」

 

「佐川次長っ!」kaleidoscope捜査員が声を上げた。「なんだ?」「タレコミです」「ふむ、信頼度は?」「現時点では不明ですが、アタリの可能性が高そうです」「言え」

「島根県川本町で、檻を乗せたトラックを見た、と」「待て。その檻はZoo.が使った檻のことか?」「不明ですが、かなり大きな檻だったので記憶に残っていたと」「当たれ。その時間と前後2時間ずつ。目撃地点付近にあった端末を全て割り出せ」「現在、解析中。まだ回線の通話記録が残っています」「急げ、もしかすると大当たりかも知れない」


桐山はその時、デジタル庁にいた。使えるモノは何でも使う気だった。目的は「ニューナンバーカード」である。10数年前にデジタル庁の肝いりで強引に普及させた「マイナンバーカード」の後継である。マイナカードは導入が本格化した直後に「あり得ない不具合」を連発し、廃止寸前まで追い込まれた。当時の大臣は引責辞任したはずだ。桐山の訪問に、デジタル庁は事務次官を出してきた。マルテから内調に異動した桐山のキャリアを重視したのだ。実質は、桐山は内調捜査官では無いが、表向きは内調所属である。

「えーと。ニューナンバーカードのお話を訊きたいと窺ってますが?」次官の言葉遣いは丁寧だ。「そうだ。まだ普及前だったな」「もう交付は始まってます。今の時点では、公務員に向けてですが、希望があれば一般国民にも交付します」「何も聞いていないが?」「公務員と言っても、国家公務員は一応除外なんです。試験運用の側面もありますから」「また不具合か?」

「マイナンバーカードの顛末はご存じですね?そうです、一気に普及させた直後に不具合を連発して、2年後に新しいマイナンバーカードに切り替わりました」

「無駄なことを・・・どこが儲けたんかね?」

「経済系コンサルタントじゃないですか?企業のトップにもコンサル系が多いですし」

「そして10年を待たずに、今度はニューナンバーカードか」

「既定路線です。実は、マイナンバーカードの不具合は故意に起こしたものです」

「まぁ予算とかそんな話はいいわ。理由は?」

「テクノロジーの進化が思いのほか速かった。マイナンバーカードの交付が始まった時点で、次世代型のカード技術が開発されたんです。交通系ICカードを使ったことはありますか?」

「俺の持ってるヤツは無賃乗車専用だがな」

「決済は?」

「上限額まで使える。勿論、使った分はすぐにチャージされる」

「交通系ICカードの技術は、当時でも世界一だったんです。当時、他のICカードのタッチ決済がいくつもリリースされましたが、勝負にならなかった。S社の技術は本当に優れていました。今でも使われているのがその証拠です。とうに”枯れた技術”と言うのが強みですね」

「ニューナンバーカードは?仕組みは交通系ICカードと同じなのかい?」

「マイナンバーカードの現行版では使われていますが、ニューナンバーカードは更に機能が進化しました。この進化したカードを普及させるために、デジタル庁は大臣の首を飛ばしてまでマイナンバーカードを廃止に追い込もうとしてるんです。当時の大臣は、次期では早いが未来の総理候補ですね。国民の抱き込みに余念が無かったほどです」

「SNSか・・・」

「賛否はありましたが、概ね好意的に受け入れられたようです」

「で、ニューナンバーカードはどうなんだ?」

「電磁式なのは旧来のカードと同じです。ただ、ニューナンバーカードの場合、端末にタッチ・・・いやかざすことさえ不要です。電磁場の人口カバー率は95%以上になる予定ですから。つまり、国民は電磁場の中で生活することになりますね」

「健康被害が出そうなもんだが?」

「実験では安全だと。少なくともテレビモニターなどから出る電磁波よりも弱いですから」

「どこまで、何が出来る?」

「チェックポイントを通れば記録されます。様々ですね、国税庁からは、金融機関にチェックポイントを義務付けるように言われてますし、警視庁からは、繁華街や指定ポイントでチェック出来るようにしろと言う命令が来ました」

「個人の特定ってことか?」

「そうです。日本人なら全員がニューナンバーカードを所持するように仕向けます。訪日外国人の場合、パスポートの所持が義務付けられていますが、今後は厳格に所持義務を課します。今はまぁ、ザルですから」

「ビザ持ちは?」

「同じですね。入国時に使い捨てカードにパスポート情報を写しますから」

「それだけか?隠し機能は無いのか?」

「何を仰っているのか分かりませんが、”100%確実な身分証明書”です。国内にいる人間に例外は無い。持たざる者は犯罪者だけと言うことになります」

 デジタル庁を後にした桐山は、所詮は事務方のやることだな。身分証明なんざ、怪しければ引っ張れる警察がいて、kaleidoscopeに至っては危険なレベルだ・・・と思っただけである。ニューナンバーカードで得ることが出来る情報は、kaleidoscopeの下調べ以下だ。違法合法なんでもござれだ。ここまで考えて、桐山の心に何かチクっとした棘が刺さった。ソレが何かは数分考えても分からなかった。「違法と合法」・・・


9月6日の夕刻。桐山はマルテ捜査本部のあるフロアの喫煙所にいた。マルテを引き継いだ福島を待っているのだ。なるべくなら旧部署の捜査員と接触しないで欲しいと言われていたが、禁止されているわけではない。桐山は気長に待つつもりだった。どうせKS班に戻っても仕事は”まだ”ないはずだ。佐川と桐山は一応は交代制で勤務しているが、退勤するしないは自由だった。桐山は大体15時間は勤務し、佐川はいつでもKS班にいるように見える。(そう言えばあの男、いない時があったか?)そう考えて愕然とした。最初に出会った時、佐川はマルテ捜査部に来ては、捜査状況を知りたがり、手が空けば携帯ゲーム機で遊んでいた。そして18:00には消えていた。日勤だったと言うことだろう。桐山も日勤の時間帯に勤務し、夜間は当時の副本部長の福島に任せて、帰宅していた。何か重大な進展や事案があれば呼び出してくるだろう、と。今の佐川はどうだろう?桐山は主に日勤帯の時間を担当しているが、佐川がアシストしてくれている。右も左も分からないKS班では、佐川の助言が無ければ捜査員の動かし方も分からない。そして桐山の退勤後は、佐川がKS班の指揮を執る。

(あの男、ここに住んでいるのか?)

と言う妙な考えが浮かぶ。実際、庁舎内で寝泊まりすることは可能だった。仮眠室もあれば、個室もある。シャワー室もあれば、金融機関の出張所もある。食事も可能だ。いや、食事に関しては民間団体よりも恵まれていると言える。佐川は睡眠時間以外はKS班に詰めているのか?

3本目のタバコを吸い終え、2杯目のアイスコーヒーを買おうと立ち上がった時、長身の男と目が合った。福島本部長だった。福島は一瞬目を見張り、それから恐る恐る近づいてきた。目が真っ赤に充血している。自分もマルテの指揮を執っていた時はあんな感じだっただろう。

 「桐山本部長?」「今の本部長はお前じゃないか(笑)」「どうしたんですか、こんなところで?」「お前を待っていたんだ」


「僕を?桐山さんは今何をしているんですか?噂では・・・内調にいると」

「俺か?内調の使いっ走りさ、雑用係ってところだ」

「内調って・・・スパイですか」後半が小声になる。

「公安が手を出しにくい事案さ。詳しいことは言えない。すまんな」

「それはまあいいですが。それで僕に何か用ですか?何かZooに関して情報を掴んだとか?」

「逆さ。マルテの捜査がどこまで進んでいるか知りたい」

「僕にも守秘義務があるんですよ?」

「そうだな。雑談でいい。どうなんだ?」

「あの佐川って若造は何なんですか?捜査の主導権を握ってるようなもんですよ?」

「ああ。佐川だろ、アレは公安管轄だ。人捜しなら公安。合言葉じゃないか」

「だからって、ああもポンポンと指示だけ出して現場には一切出ないって、おかしいですよ」

桐山は心の中で独り言ちた、Zoo.に関して言えば、あの男が最前線にいるんだ・・・

「指示?進展があったのか?」桐山はとぼける。

「女川夫妻の事件、知ってますよね?」

「ああ。救出作業中に犯行グループにより、爆殺されたそうだな」

「僕も臨場していました。実行犯はまだ分かっていませんが、僕の考えでは・・・」ここで言いあぐむ。

「雑談さ、気楽に行こうぜ、なぁ?」

「あの時、檻を爆発させたのは・・・自衛隊かも・・・」

「何故そう思う?」

「日光を遮断する目的で設置してあったパネルの向かって左側を外した瞬間に爆発が起こりました。タイミングを合わせたように・・・その・・・」

「福島」

「何でしょうか?」

「自衛隊が関与したと言う事実には緘口令を敷け。じゃないとクビじゃすまないと、捜査員全員に言い聞かせろ」

「はっ!」

「だから硬くなるなって。俺が知りたいのは今、マルテが把握している情報だ」

「それは佐川に訊いてください。今、現場にカメラを仕掛けたSテレビの社員の事情聴取を終えてきたんです。あと、Sテレビに情報を売った若者の事情聴取もです」

「それで?」

「全部、佐川の指示でした。証拠はあるからガラを押さえてこいと」

「その通りだったんだな?」

「ええ。任意聴取ではなく、逮捕状の執行です」

「速いな・・・よほど固い情報があったか・・・?」桐山は最後までとぼけるつもりだ。

「そりゃ、深夜に逮捕状が出たんですから、緊急性が高いって判断でしょう」

「ところで、だ。福島、お前の考えはどうだ?」

「何がですか?」

「マルテの捜査で坂井だったか?と、他の若者を逮捕出来たか?」

ここで福島は大きくため息を吐く。

「マルテの捜査は継続していますが、現場に残されたビデオカメラの線を洗って、坂井の任意聴取までは・・・独自でイケたはずですが、若者までは特定不能だったでしょう」

「佐川の情報は正しいってことか」

「そうですね」

「高山祥子の事件は?」

「手詰まりです。関係者を数人引っ張って、情報は無しです。Zoo.と呼ばれる同一犯の犯行だろうと言うところまで進んで行き止まりです」

「ふむ。正直に言ってくれ。Zoo.を逮捕出来そうか?」

ここで福島は桐山の発言の意図を確かめるように、桐山を見詰めた。桐山は僅かに顎を引いた。

「無理だと判断しています。捜査を投げ出しているわけではなく、一連の犯行に、犯行グループ特定の情報が無いんです。相手の失策待ちです。大きなミスや物証を残せばって話ですよ、情けないことに」

「佐川はどう言ってる?」

「何も。指示がない以上、マルテは独自で動けますから」

「どう動くんだい?」

「現場付近のカメラ映像、Nシステムの洗い直しですね。どこかに何かが残っているはずですから」

桐山は知っている。女川夫妻の事件はもう終わっている。捜査は進展しないだろう。

「俺がお前に渡せる情報があればいいんだが・・・コレだけは言える。敵は高度な知能犯だ。出てくる証拠は疑ってかかれ。その証拠は”犯行グループ”が故意に残したものかも知れない」

「どう言うことですか?」

「菓子メーカー連続脅迫事件、あったよな?」

「僕が入庁する前の事件です」

「俺もだよ。昔の事件だがあの時、警察は現行犯逮捕するチャンスがあった。しかし取り逃がしてしまった。上の指示を信じたばかりにな。警察は知能犯にはとことん弱いままだ。肝に銘じておいた方がいい」

「分かりました」

「助言程度だが、役に立ってくれればいいと願っている。部下にも言っておくべきだな。容疑者確保のチャンスがあれば、独断でやれと」

「はい」

桐山はポケットから財布を取り出し、紙幣を数枚抜いて福島に渡した。

「もう休め。家に帰れないなら、コレでサウナにでも行って、汗を流して飯を食って寝ろ。酷い顔だぞ、お前。事件は2~3日は動かないから」

「どうしてソレを知ってるんです?」

桐山は人差し指を唇に当てて「うっかり言っちまったリークだよ」と答え、喫煙所を後にした。


 KS班では佐川が桐山を待っていた。詳細不明の通話記録が残っていたのだ。

「桐山さん、どこへ行ってたんですか?」

「デジタル庁さ」

「どうしてですか?何かありましたか?」

「いや、ニューナンバーカードについて知りたくてな」

「なんだ、そんなことなら僕に訊いてくれれば良かったのに」

「なんだ、お前詳しいのか?」

「詳しいも何も、ニューナンバーカードの仕様概論は僕が書いたんですよ」

「仕様概論?」

「そうです、技術的に可能な仕様です。ほぼ100%が活かされています」

「ふーん。そのお前さんが落ち着き払っているってことは、隠し機能は無いってことか」

「そのことですか。あのカードは完全な意味での個人証明書になります」

「デジタル庁もそう言ってたが、だったら新しいマイナンバーカードの更新で切り替えればいいじゃないか?」

「政府が持つ個人情報と紐付けすると言う意味では”切り替え”で済むんですが、個人を証明するために新たな情報を使うんです」

「ソレは何だ?」

「ニューナンバーカードは常時、政府のサーバーと繋がるって話は聞いてきましたよね?」

「ああ。自慢げに言っていたさ、持たざる者は人にあらずってな」

「そうです。だからこそ、完璧な個人情報が必要になるんです。偽造も貸し借りも出来ないようにね」

「それで?」

「あのカードに載せる情報に、DNA情報があるんです」

「待て待て待て。そんなもんどうやって調べるんだ?」

「国民が自発的に登録するんです」

「聞いていないぞ?」

「飴とムチです。登録すれば高額の支給金が貰える。しなければ現行のマイナンバーカードの期限切れまで不都合を感じながら生活して、期限が切れたら保険も免許もリセットされる」

「ソレは脅しじゃないか。マイナンバーカードの時に批判が出たじゃないか」

「あの時は曖昧に誤魔化しました。2回ほど給付金を出す形で。ニューナンバーカードも同じですよ。普通に暮らす国民に不都合は生じない。困るのは犯罪者だけです」

「崇高な理念だな。事実はどうなんだ?」

「事実も何も、犯罪さえ犯さなければいいんです。脱税みたいな犯罪は根絶されるでしょうけど」

「どうせ上級国民様用の抜け道があるんだろう?」

「当然用意しました。この話は続きがあるんですが、Zoo.の事件が先ですね」

「何かあったのか?」


 佐川は部下に命じて、島根県本川町で目撃された”檻”の情報と、その目撃現場付近から発信された不審な通話記録を再生させた。幸い、女川夫妻の事件を受けて、各通信会社がログを残そうとしていた。功を奏したことにもなる、が・・・

通話回線で送られていたのは、硬いモノ同士をぶつけているような断続音だけ、通話時間も2分と言う短さだった。

「情報の詳細を」佐川が命じる。課員が近づいてきてA4用紙を2枚差し出してきた。内容を確認すると、そのまま桐山に渡した。

「妙でしょう?」

「ちょっと待て。全部読んでいない」

「読みながらでいいから聞いてください。この通話は島根県本川町から、宮城県にあるスマホに向けて発信されています」

「そのようだな」と、桐山は用紙を読みながら答える。

「コレ、北海道の端末なんです」

「イマドキ、12時間あれば列島の端から端まで行ける」

「違うんです。この端末は北海道にあるんです」

「何だそりゃ?投げて届く距離じゃねーぞ」

「だから妙なんです。受信した端末も東京にありました」

桐山は心当たりがあるように思えて、記憶を探った。

「台湾モデルだ・・・」

「何ですって?」

「佐川の年代じゃ知らないのも当然か。台湾危機は知ってるよな?」

「3日間戦争のことですか?」

「そうだ。台湾進攻が起こると同時に、アジア、東南アジア各国が連合軍を組織して南沙諸島を陥落させようとした」

「それで侵攻が止んだって話ですよね」

「そうだ。侵攻は3日間で終わり、南沙諸島防衛に回らずを得なくなった」

「未だに緊張状態ですよね、あそこ」

「そりゃそうさ。東南アジア連合軍だけでも戦えたのに、アメリカがバックアップして、自衛隊も虎の子の潜水艦をレンタルに出した」

「えっ?自衛隊もですか?」

「非公式だが、元々潜水艦なんてモンは何隻保有してるかさえ他国には漏らさない。数年に1隻程度はお披露目するが、その陰で何隻を建造したかはトップシークレットだ」

「思い出した。坂井だ・・・」

「そうさ。Sテレビは独自取材と称して、自衛隊の保有戦力を他国に売ろうとした。未だにあの事件は公安の捜査対象で、内調だって動いたはずだ」

「その戦争とこの端末に何の関係が?」

「あの時、台湾人を”人道的支援”として、鹿児島に避難させた」

「今もキャンプが残ってますね」

「歴史と言うか、そう言うモノは動きが読めないな。あのキャンプを模範として、国内に外国人を受け入れる”避難民キャンプ”が出来た。東京のM市事件はレアケースだろう」

「M市事件はまた別の市で起こりますよ」

「W市か」

「あとは北海道、兵庫。福岡は抑え込みに成功していますが」

「まぁいい。Zoo.事件には関係なさそうだ。あの時に台湾人が大量に持ち込んだ違法スマホが、通称台湾モデルと呼ばれた」

「どんなモデルです?」

「クローン・スマホさ」

「理論上、作れないはずですが・・・」

「そうだ。コピーは作れても”クローン”は作れない。同一って意味でな」

「IMEIがある」

「そう。スマホに割り振られた個体番号はコピー不能だ。この仕組みで携帯各社は自社の販売した端末を管理してる」

「ですよね」

「そこでだ。台湾人が持ち込んだ端末には違法改造されたものがあった」

「どんな改造です?」

「国内正規品の端末を使った詐欺があると言う土壌が先ずあった」

「どんな詐欺です?」

「ま、新興宗教なんぞが使った手口さ。半信半疑で入信を迷っている人に言うんだ。”あなたのスマホのクローンは宮内庁で保管されて、常に盗聴されている”ってな。すると、IT系に弱い主婦や若者は騙される」

「何でですか?」

「こんな国家機密を知っていて、あなたを導こうとする教祖様は凄いんですってやる」

「待ってください。宮内庁に何の関係があるんです?」

「日本人てヤツぁ、刷り込まれてるんだ。天皇陛下こそ最高権力者だってな」

「そう言う人は憲法も知らないんでしょうね・・・」

「そう言うことだ。全ての”黒幕”だって宮内庁だと信じ込まされる。一時流行った”DS”もそうさ」

「ディープ・ステート、影のアメリカ政府・・・」

「さあそこでだ。アメリカは割と御しやすかった。日本ではどうかって話さ。宮内庁を出せばいいじゃないかとなる」

「ちょっと意味が分からないんですが?」

「今は知らんが、20年前のスマホは特定の操作をすると、GPS情報がリセットされて、現在地を千代田区1-1と表示することが多かった」

「あ、皇居・・・」

「そうだ。こんなことで騙される人が多かった時代さ。ちなみに関西圏では何故かK国大使館になることが多かったそうだ。コレも愛国心を刺激した」

「へぇ・・・つまり、国民はスマホに関しては何も知らないと」

「新技術の普及時にありがちなことだ。そして、台湾モデルは一見”クローン”に見える」

「実際は個体番号以外をコピーした端末ですよね。使えないじゃないですか」

「先ず、コピーしたい端末をスキミングする。専用ソフトが売られていた。今もあるだろうがほぼ無効だ。そして初期化した端末を用意して書き込んで完成さ」

「ですから、使えないですよね?」

「お前、詳しいのに分らんか?台湾モデルはコピー元の端末の回線にタダ乗りするんだ」

「あ・・・」

「携帯各社に洗わせろ。日本全国で”不審な通信記録”、主にダブりだな。があるかどうかだ」

「この島根県本川町から宮城への通話記録は?」

「サンプルとして残せばいいだろう」

「桐山次長。GPS情報は追いますか?」

「あ?無駄だよ。台湾モデルなら、GPS回路は外に設けられて任意でオンオフ出来るんだ」


9月7日。日本全国の宅配会社は悲鳴を上げた。携帯各社、ー大手から新興までーから一斉に「モバイルバッテリー」が契約者宛に漏れなく発送されたのだ。通常なら数日に渡って分割されて発送される品物が一斉に発送された。まるで何かに追われるように・・・

 追い込んだのは佐川である。佐川の号令下、警視庁及び総務省が圧力をかけた。驚くことに、モバイルバッテリーの代金は「ツケ払い」である。正しくは数か月後から総務省から支払うが、今はとにかくバッテリーを送れと言う命令だ。4万ミリアンペアの大容量のモノが送付されたが、在庫確保に苦しんでいる携帯各社は2万ミリアンペアのモノで代用するしか無かった。この日、日本のモバイルバッテリーの在庫はほぼ払底した。いわゆる「飛ばしスマホ」も例外ではない。9月7日の時点で「生きている回線」は全て対象となった。「飛ばしスマホ」は犯罪で使われることが多い。各社とも「飛ばし」だと判断した契約は即時、無効にしたが、「飛ばしスマホ」は毎日量産される。国民の中には、多少の違法に目をつぶり、たった1万円のために15万円のスマホ契約を結ぶ者もいた。

 「佐川、お前何を考えている?」「スマホを活用させるんですよ」「どう言うことだ?」「kaleidoscopeのキャパシティにはまだ余裕があるんです。もっと発信を増加させます」「そこから情報を拾い上げるのか?」「その通りです。あと、このモバイルバッテリーの送付は第一段階です。数か月以内に新たなモバイルバッテリーを市場に投入します」「メーカーじゃあるまいし・・・」「メーカーが売り出したら、訴訟で会社が傾くような代物ですよ」「はあ?」

 「今のスマホはミドル機以上に”全固体電池”を使っています。このおかげでスマホの設計に大きな余裕が生まれました。主流は薄く軽くですね。折り畳みスタイルもすっかり定着しました。この国は情報戦、つまりスパイ対策はザルだと言いますが、中々どうしてガードは意外と硬いんです。スマホはいわゆる”技適”認証が無いと売れない。技適では特定国からの輸入スマホを恣意的に弾く内規がある。C国などは日本に輸出出来ないので、迂回国を通そうとしてますが、パーツ単位で弾くので無意味です。そもそも、全固体電池の国際特許の65%は日本が握っています。アメリカのような友好国には破格の使用料で使わせてはいますが。そこで、新たなモバイルバッテリーの出番です。チャージが異様に早いが容量は少ない。当然、充電も頻繁に行うわけです。中身は古いリチウムイオン電池ですが、仕掛けを施します。充電する場所は必ず、ユーザーの生活圏でしょう。更に、バッテリーにもGPS機能を持たせ、信号を送ると発火する機能も搭載します」

 佐川の計画は、とにかく怪しい端末を炙り出すと言うものだった。そして、ここぞと言うタイミングで発火させることも出来る。リチウムイオン電池を最適の条件で発火させた場合、人体に与える損傷は並大抵のものではない・・・

「佐川、貴様は自分が何をしようとしてるのか・・・」「テロ行為ですよ。日本中に爆弾をばら撒くのに等しい」「ソレが分かっていながら何故やる?」「僕の目算では、発火させるバッテリーは2個か3個。勿論、発火した時点で容疑者を確保。リチウムイオン電池は全回収します。詫びのクーポンと引き換えにね」「そう上手くいくものか。回収不能のバッテリーが出てくる。いずれは発火するかもしれない。そうなったら、俺はお前を逮捕する」「無いです。政治ってもんは怖いですね。モバイルバッテリーに手を出す層は、回収のアナウンスとクーポンの話を知れば、我先にと申し出ます。それほどまでにこの国は貧困化した、いやさせられたんです」

 犯行グループがこのモバイルバッテリー作戦に引っかかるわけが無い。桐山はそう思った。ところが、「ヘンペル班」の報告は違っていた。

 「犯行グループは特異な行動を故意にしない可能性がある。国民の中に紛れ込むことが身を守る最善の策だと考えているかも知れず、その確率は50%」としてきた。逆に言えば、今kaleidoscope班が行っている捜査で犯行グループを割り出せる可能性も50%と言うことだ。kaleidoscope班は主にSNSを監視して、特異な行動や発言する者を割り出そうとしている・・・

 国民の中に隠れられたら特定不能だ。この点で「ヘンペル班」のアプローチが活きてくる。ヘンペル班が作り上げた「リスト」の数はもう想像がつかない。様々な観点でフィルターを制作し、「犯行グループである可能性がゼロの人物」を特定していく。この完全に「シロ」と判定された国民の数は数時間に1回、更新されるが、その数は増えることもあるが、減っていくこともある。つまり、「怪しい人物」の数が増えることもあると言うことだ。そしてヘンペル班はこの「リストに上がる人物」をさらに別のフィルターで「濾す」のだ。条件Aでは怪しいが、条件Bでは「シロ」、条件C・Dでもシロの場合、その色は限りなく「白」に近づく。もちろん、逆もある。ヘンペル班が「シロ」と判断した人物は、12時間に1回、kaleidoscope班がリストアップした「嫌疑アリ」の人物と突合され、除外されていく。kaleidoscope開発関係者、富裕層のリストから嫌疑アリとされた人物の半数は「シロ」と判断された。そして、新たな嫌疑のある人物は激増した。一旦は100余名にまで絞り込まれたはずが、今では2千人に増えている。まるで答えのないクロスワードパズルを解いているようだ・・・

 「佐川、捜査員を貸してくれ」

「貸す?ココの捜査員のことですか?」

「そうだ、数人でいい」

「何を言ってるんですか。ここの捜査員は桐山さんの部下でもある。僕の許可は不要です」

「タバコを買いに行かせてもいいのか?」

佐川は両手を腰の辺りで広げ、「どうぞ」とジェスチャーで返した。

「冗談だよ。ちょっとやってもらいたいことがある」

「桐山さんの自由です」

数分後、2名の課員が桐山のデスクにやって来た。

「マイナンバーカードの取得者で、自動車免許を持ちながら直近5年間は無事故無違反の者をリストアップしてくれ」

桐山は先ず「合法の範囲内」で容疑者を絞り込もうとする。このリストアップは15分で終わった。「該当者、15万人です」「多いな・・・では次に、居住地東京都で」数分で終わった。1万人ほどに絞り込まれた。

「桐山さん、何をしてるんですか?」佐川が声をかける。

「犯行グループのリーダーはリストに上がらないように行動しているはずだ」

「待ってください。犯行グループが使った盗難車のドライバーが全員、無事故無違反だったと言うのですか?」

「いや、リーダーは運転を”していない”んだ」

「何故分かるんですか?」

「刑事の勘さ。僅かでも警察に捕捉されるようなことはしていない」

「なるほど・・・で、続きは?」

「プロファイリングも当てにならん。主犯は都内に住んでいる」

「何故?」

「事態に対する反応が速いんだ。だから証拠が残らない。ならば東京に住んでいた方が情報が速い。この国では地方格差が広がり過ぎた」

「いや、SNSの発達で、情報の伝播速度はどこも同じですよ?」

「何故、女川夫妻の事件は東京の郊外で起こった?主犯が状況把握を優先させたからだ」

「女川夫妻の事件では、情報統制が行き届いてますから、例え現場付近に住んでいても、特別な情報は伝わっていないはずです」

「甘いな。Sテレビの坂井は今どうしている?」

「東京拘置所と赤坂署を毎日往復していますが?」

「今すぐここに引っ張って来い。この庁舎内だ」

「桐山さん、それこそ違法ですよ。時計を見てください」

「夕方6時だろ。残業するからいいんだ」

「だから。この時間に取り調べは違法なんです。坂井は今日もみっちりと取り調べを受けて、拘置所で食事を終えた頃ですよ」

「関係ない。こんな取り調べなんざ、昔からやっていたんだ」

「違法ですよね?」

「ふん。容疑者が訴え出なければ問題ない。司法取引付きだ、大歓迎だろうさ」

「坂井と取引をするんですか?」

「しない。空手形ぐらいは切ってやる」


 八丈島の夏は暑い。海で囲まれた島は気温よりも湿度で人を消耗させる。日野署の木田は相棒の大久保を伴って、この島の民宿に宿泊していた。目的地は「青ヶ島」である。定期便は1日1回の往復をする貨客船と、ヘリコプターだけだった。この季節、秘境を求めて多くの観光客が青ヶ島を目指す。定期便はここ数日は予約が取れないままだ。木田は暇つぶしと称して、小さな漁港の堤防で釣りをしていた。

「木田さん、勘弁してくださいよー、木田さんが釣るから、毎日ムロアジばかり食べている気がします」

「昨日はトビウオのフライだったじゃねーか(笑)」

「もう飽きました。とんかつでも食いたい気分です。ウナギでもいいんすけど」

「仕方ないだろう?ここでは豚肉はそこそこ高級品で、ウナギに至っては3万円はする」

 木田と大久保は「青ヶ島」を経由して密輸入されてくる「ヤバい物」の捜査と言う名目で、青ヶ島に派遣されていた。全て木田と日野警察署長が仕組んだことだ。日野市にあるペットショップが密輸品の保管や移送に関わっている。「ベンガルヤマネコ」と言う。アジアに住む野生種だが、近年は絶滅危惧種となり、取引が禁止されている。令和初期に取引された個体から繁殖させた個体は全て管理され、売買に規制がある。つまり、好事家の欲しがる「猫」である。持ち込みは容易ではない。通常輸入はされない。怪しい個体はDNA検査を受け、ベンガルヤマネコと判明すればその場で没収され、出身場所に帰される。勿論、輸送中に死ぬ個体も出る。この絶滅危惧種に関する認識が甘いと国際社会から非難されて久しい。今では厳格な体制で臨んでいる。

ところが、ベンガルヤマネコを「青ヶ島経由」で持ち込む者が出ていた。子猫の場合、家猫と判別しづらく、適当に体毛を汚されていたら判別が難しい。それでも本土に持ち込む場合は検査を受けるのだが、抜け道があった。

青ヶ島で野生化した「家猫」を捕獲して、本土に連れて帰り里親を探す団体がいくつかあり、その団体の一部が「保護猫」と同じケージに入れて持ち込むのだ。動物愛護と言われれば、行政は及び腰になることを利用しているのだ。木田と大久保はこの「密輸」の摘発のために青ヶ島に派遣されたと言うのが建前だ。

木田はkaleidoscopeが実際に稼働すると察して、逃げ出したのだ。

「俺がZoo.の事件に巻き込まれたら、日野市の治安はどうなる?H市では不法滞在の外国人相手に”M市紛争”の再現まで起こるかも知れんのだ」

「木田さんがヒーローねぇ・・・無いですね」

「うるせぇ。お前だって逃げた方がいいと判断したから、俺の誘いを受けたんだろうが」

「お陰様で筆談の経験値が上がりましたよ」

木田と大久保は、当たり障りのない会話はするが、この逃走やkaleidoscopeに関する話は全て筆談で行っていた。そろそろ警察関係者も「嫌疑アリ」と言うことで盗聴され始める頃あいだ。

大久保がkaleidoscopeについて知ったあの日、退勤後に呼び出されたのは小高い丘のある公園だった。そこで木田は筆談でこの逃避行の説明をした。(署長が青ヶ島に派遣してくれると言っている。お前も連れて行く。Zoo.の事件は危険だ。俺はタッチしないことにした)

 海のうねりが高い日。木田と大久保は確保できたヘリコプターに搭乗して、青ヶ島に降り立った。


自宅の最寄り駅の改札を出て、バス乗り場に向かう途中でスマートフォンに着信があった。2回振動した。メール着信だった。スーツのポケットからスマホを取り出して、銀色の枠に指を滑らせる。コレでロックが解除された。ホーム画面にある「メール着信」のアイコンをタップする。ダイレクトに新着メールが開かれた。そこには、彼ー柳瀬隆二の白いシャツを着てトンビ座りをした可愛い女性がプラカードを抱えていた。シャツはぶかぶか過ぎて、指先しか見えない。

「おなかすいた」と書かれたプラカード。妻はたまにこう言った非常に可愛いことをする。別に自宅にいるのだから、好きな物を作って食べればいい。結婚したばかりの頃、柳瀬はそう言ってしまい、夫婦喧嘩になったことがある。妻は言葉を話せないし耳も聞こえない「ろうあ者」だが、その分感情表現が豊かで、つまりは無言の夫婦喧嘩で物理攻撃をしてくる。当たっても怪我をしないであろう”モノ”を投げつけてくるのだ。最後は柳瀬隆二の方が折れて謝ることになる。

柳瀬は頬を緩めると、妻が大好きなハンバーグショップに向けてタクシーを走らせた。ふと気になって、Zooで検索をかけてみる。昨日と同じ情報が並ぶ。SNSにログインして、単語でサーチする。とりあえず、「女川夫妻」で検索して、更に犯人と言う単語でも検索する。特に新たな情報は出ていない。自分のアカウントから「女川夫妻って何をした?」と呟いてみる。数分で通知が入った。フォロワーから情報がもたされる。「難民受入派」「害国人優先のガチな屑夫婦」など、評判は悪いようだ。目的の店の看板が見えてきた。柳瀬はログインしたまま、スマホを左ポケットに滑り込ませた。


「刑事さん、こんな時間に何ですか?」Sテレビの坂井は憮然として放言した。態度も悪い。椅子に座ってはいるが、両足を投げ出して腰を前にずらせている。

瞬間、桐山は坂井の胸ぐらを掴んでねじ上げた。

「取引だ。正直に話せば、明日の取り調べで簡単な確認をしてから外に出してやる。不起訴ってことでな。ここでとぼけたら、このまま起訴する。娑婆に出るのは3年後だ」

「ふざけんなよ?違法じゃねぇか。いいから拘置所に帰らせろ」

桐山は無言で坂井の頬を張った。胸ぐらを掴まれたままだ、首がねじれた。

「俺は優しいから、もう1回だけ言ってやる。明後日には自由の身にしてやる。だから正直に話せ」

”正直に”の部分をゆっくりと言う。コレでまだ反抗的な態度を取るなら、明日の取り調べで拘置期限を限界まで延ばすと教えてやる。

坂井は桐山の強硬で暴力的なやり方に恐怖した。坂井の年代では、「暴力」はいじめの世界の話だった。勿論、坂井は「いじめる側」にいつもいた。

「優しいだ?人のこと殴っておいてなに・・・」言い終える前に桐山は坂井の椅子を蹴り飛ばした。尻もちをついた坂井の髪を掴むと、「優しいだろ?お前はまだ生きている」

そのまま床に放り出して、蹴り飛ばした椅子をまた机の前に戻した。

「座れ。訊きたいことがある」

坂井は椅子に座り直し、姿勢を正しこそしたが、桐山に対して素直に従う気は無い。

「取り調べで全部話してるでしょう?刑事さんに訊けばいい」

「残念だが、今お前の前に座っているのは刑事じゃないんだ」

「・・・」

「黙秘か?ま、いいわ。お前には黙秘権がある。そして俺には、生殺与奪権がある。うるせぇっ!口を閉じてろ。10分で終わる話だ。10分後にお前に選ばせてやる。内閣調査室、公安、自衛隊。どこを敵に回したいか、だ。お前は9月3日に西八王子駅近くから大型のドローンを飛ばして、事件現場の動画を撮影した。現場に仕掛けてきたカメラは囮だ。自衛隊が現着後、すぐにジャマ―を作動させたので、撮影動画は伝送出来なくなった。想定済みだよな。そして大型ドローンを飛ばして、現場の撮影を続けた」

「待ってください、動画撮影はしました。そのデータも全部警察に渡しました」

「黙れ。さてここで問題だ。お前は夕方になって暗くなったので、撮影を切り上げて帰社しようとした。会社員の鑑だな。前日からの当直後によく働いたよ。帰社したお前は撮影した動画データを報道局に渡して帰宅した。ところが、提出された動画データには欠けている部分がある」

「何ですかソレ?データは全部会社に渡しました。警察が押収したんでしょう?」

「お前はこう言った。”ドローンを交代で飛ばして”現場の撮影をしたそうだが、お前はこの証言で暗に”使ったドローンは2機”と主張した。ところが、お前が飛ばせたドローンは”3機”だ。提出された動画データは2機分だよな。そして3機目は暗くなっても飛んでいた」

「何を言ってるんですか?提出したデータが全てですっ!」

桐山は構わず続ける。

「3機目のドローンは当初はバックアップ用だった。ところが3機目が最後まで残り、偶然、撮影に成功した・・・」

ここで桐山は言葉を切った。坂井は青ざめている。

「爆発シーンは録れてません」

「ふーん。誰が爆発だなんて言った?女川夫妻の事件は報道されていないんだ」

「えっ?」

「刑事だって知らないことだ。誰も爆発事故があったなんて言っていない」

完全なブラフだった。坂井は拘束後のニュースを知らない。拘置所では新聞さえ読ませていない。だから通用するブラフだ。女川夫妻の事件は「Zooによる爆破で死んだ」ことになっているし、報道もされている。現場にいた捜査員と自衛隊員だけが真相を知っているが、この坂井の撮影した動画が厄介だ。勿論、警察上層部や政府閣僚、kaleidoscope班は知っているが、事実を完全に隠蔽するには、この”坂井動画”の所在も明らかにしないとならない。

「お前はその爆発事故の動画を撮影している。もっと言ってやろうか?その動画データはもうSテレビの報道部にも無い。破棄された。使わないからではない。独自と称して、海外の動画サイトから引用するつもりだ。幸い、3機目のドローンは撮影位置がずれていた。他社のドローンなのか、民間なのか分からないと言うだろう。実際は、Sテレビの報道局が外注して、動画データを中東のサイトにアップロードした。北欧やフィリピンを経由して、な。証拠が無いと言いたいか?じゃぁこんなのはどうだ?”やりましたっ!女川が死んだ瞬間を録れました、スクープなんてもんじゃない”って言ったのは誰だったかな?」

(何故知っている?俺が電話で報告した言葉、一言一句もたがえずに・・・)

「俺は間違えたことを言っているか?」桐山は畳みかける。

「本当に俺を出してくれるんだな?」

「俺は正直に言えと、お前に言った。お前は何も言っていないよな。ああ、爆発シーンは録れていないって言ったな、お前さん」

「訂正しますっ!撮影に成功しました。動画データがどうなったかは知りません」

「ほぉ。シナリオは無かったと言うんだな?」

「シナリオって?」

「動画を海外サイトから引用する形で独自スクープ。報道のSテレビだったよな」

(全て見透かされている・・・経由する第三国まで知られている・・・)

坂井は観念することにした。

「その通りです」

「お前の身柄、拘置所に戻す。どうなるか楽しみにしていろ」桐山は立ち上がる。

「待ってくださいよっ!俺を出す約束ですよねっ?」

「分からんよ。Sテレビが”真実”を報道したらどうなるかなんて、俺にも分からん」

「どう言うことですか?」

「1つ訊く。お前の撮影した第三の動画の画質は?」

「8Kです。ただ、暗くなっていたので4Kに落ちたかもしれません。現場では確認出来ていません」

「Sテレビには圧力をかけている。報道するかどうかはSテレビ次第だ。ところで・・・」

坂井は言葉の続きを待った。数秒の間を空けて、桐山は何故か困惑したように続けた。


「お前、国民を信じるか?」


 斉藤翔は9月7日に、大きなリュックを背負ってアパートを出た。デートには無粋な格好だが、柳瀬の指示だ。リュックはプラスチックの骨組みで大きく膨らんでいる。中に入っているのはビニール袋に入れた20リットルの水だ。かなり重いが、歩くぐらいなら支障はない。デートの待ち合わせは都内千駄ヶ谷駅。そこで落ち合ったら、ちょっと歩くことになる。デート相手は女子大生だ。体力がもつだろうか?

千駄ヶ谷駅、17:30。退社した会社員の流れに逆らうように1組のカップルが歩く。大きなリュックを背負った、がっしりした体格の男と、女性にしては長身な女子大生だ。二人はそのまま駅の喧騒を離れ、20分ほど歩いた。「どこにある?」男が訊く。「友達の家に預けたわ。車は使うなと言われたし、仕方ないでしょう?」「信用出来る友達か?」「少なくとも預かった荷物を勝手に見たりする子じゃないわ」

案内されたその友達の住むアパートは、指定した場所から見える場所に建っていた。とりあえずは大丈夫そうだ。男は無言で荷物を受け取る。自分が防犯カメラや車のドライブレコーダーに映り込んでいないことを確認する。素早くリュックの中にある水を捨てる。ビニール袋は持ち帰る。受け取った荷物の重さが23㎏ほどだ。同じ重さの荷をまた背負うことになる。リュックの中の骨組みはそのままだ。外見では中身が入れ替わったことは分からない。歩き方も同じだ。柳瀬の指示に間違いは無い。あくまでも20㎏の荷物を背負ってデートをして、そのまま帰ってきたと言うことだ。帰りの電車に乗るために駅に出る。改札をくぐって、時間を確認する。18:15だ。柳瀬はもう帰宅して、あの可愛い奥さんと飯でも食ってるのだろう。


 9月8日、「Zoo.」を名乗る者がSNSを使い、「犯行声明」を出した。

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