第6話 蝋燭は身を減らして人も減らす

前書き

一応最終回です


──────

「オメェもまだ生きてるみたいだし──賭けはオラの勝ちって事でいいなぁ?」


「え......いや賭けって......」


鹿治は今一つ誘者の言葉に要領を得る事ができていない。


「オメェ忘れたのかぁ? オラ言ったじゃねぇかぁ。オメェが自殺できなかったらオラの勝ちぃ。オメェが死にきれなかったらオラが殺してやるって」


「いや、だからそれは俺が自殺しないようにお前が言ってくれた冗談であって──」

「いつオラがそんな事言っただ?」


「......は?」


そんな鹿治の考えを誘者は両断する。確かに誘者は一言もそんな事は言っていない。

ただ面と向かって相手を殺すなど人間の常識としてあり得ないという固定概念が鹿治の考えを狭めていただけで......


「(人間......人間......ッ!?)」


自分をあの地獄から救ってくれた。そんな気持ちからか鹿治は目の前の誘者に対して恩義を感じていた。

だからこそ、いつの間にか目を逸らしていたのかもしれない。

目の前の誘者の身の丈は鹿治よりも更に高く、しかしその体格は身の丈に見合わぬほどに痩身。まあそれだけでは人類80億人探せばどこかにはいるだろう範疇に収まるのかもしれないが──どこからともなく気配なく現れたり、そして何よりこの──悪辣な笑みは人外以外の何物でもない。


「じゃあ約束通り──オラに殺されてくれぇ」


「ッ!」


条件反射で鹿治は踵を返し走り出す。ベタな展開だがこういう存在は人間に自分達の存在が知られる事は避けるはずだ。この場所は自殺の名所とされるように人の気配が全くない。暫く走って人通りがある場所まで逃げ切る事ができれば大丈夫なはずだ。


「(俺は......俺は死にたくない!)」


走り始めてから5分近くが経った。が、意外にも鹿治はまだ誘者に捕まっていない。火事場の馬鹿力と言うべきか、足の回る勢いは未だ衰えを見せない。


「(......あれ? 捕まらないな)」


誘者の悪辣さを見て鹿治は迷いなく逃げた。本気で逃げた。小学校の時の鬼ごっこなど馬鹿にならないほどに本気で走った。全てはまたあの平和な日常に戻るため。明日には大事な約束があるのだ。

......しかし心のどこかで自分は誘者から逃げ切る事はできないだろうとも考えていた。それは無論、誘者が人智の超える何かを持っているからで。


だが現に鹿治は未だ捕まる事なく逃げ続ける事はできているし、何より足を進めど背後から誘者が追っている気配は感じられない。もしかするとあの誘者は純粋な身体能力に限っては人間とあまり大差はないのではないか? このまま逃げ切れるんじゃないか? と奥底に眠っていた不安は氷解されていく。


「(そうだ。もしあいつが身体能力までバケモノなら俺がここまで逃げ切れている訳がない)」


誘者の目的は自分を殺す事だから。わざわざ泳がせておく必要もない。なぜならあの場所は──海流が速い海がすぐ眼下に広がっている事から──死体の処理も簡単だからだ、と鹿治は考え少し逃げるペースを緩めてみる。......まだ追ってくる気配はない。

どっといきなり疲労が鹿治の足を襲う。人体のリミッターを超えたツケを容赦無く取り立てんと息は激しさを増していく。


「はぁ......ハァァ......」


そして鹿治の速度は0となる。依然として誘者が後ろから追ってくる気配はない。彼はようやくこの違和感の正体に気づいた。


「(もしかして冗談だった? あいつ、あの見た目のくせに結構お茶目なとこあるからなぁ)」


鹿治の脳裏に宿ったのは、「死神」と呼ばれてシュンとなったあの顔。異質と変態を組み合わせたような存在なのに妙に愛嬌を感じられた不思議な瞬間だった。


「だよな。もし本気で俺をどうにかしたいんなら今までも何度もチャンスはあったんだし。本当、ふざけんなよなー。マジで足痛ぇよ......」


そう言いながら、鹿治が来た道を振り返った時だった。


「なっ!?」


何もしていないというのに視界が揺れ動き、次の瞬間地面に叩きつけられた事で顎に激痛が走る。

気づく事すらできない、まるで瞬間移動でもしたかのような神業で、鹿治は誘者に馬乗りにされていた。頭と腰を手で押さえつけられ、背中の辺りに乗られており、唯一足だけはまだ拘束を受けていなかったのだが──抵抗しようにも動かない。


「(長身のくせに体型があれだからか? 重さを感じない。なのに......足が......動かない......)」


まるで足を動かすという命令が途中で遮断され、足にまで届いていないような、そんな奇妙な錯覚を鹿治は覚えていた。


「あぁ助かっただ。オメェが後ろを振り返ってくれなかったらオラはどうなった事かぁ」


鹿治を馬乗りにしながら何やら安堵したような表情を浮かべる誘者に対して、鹿治は──


「ふざけんな! 俺は死にたくねぇ! 助けてくれぇ!」


先ほどまでの恩人という認識は完全に欠け落ち、誘者に慈悲を願い始める。ここに来てようやく、鹿治は誘者を完全に敵とみなした。


「うーん、声が大きいよ......。ないとは思うけどこれで人が集まるのも面倒だなぁ」


誘者はそう言うと腕を天に掲げ、指をパチリと鳴らした。


「え......うわぁぁぁ!!」


刹那、世界が歪み、気がつくと鹿治の目の前にはいつか見た光景が広がっていた。


「こ......こは......」


鹿治の目の前には幾千本もの蝋燭が立ち並んでいた。


──────

「はぁ。ここまで来たらもう安心だね。君ももう逃げられないし」


「そ......んな......」


辺りに広がる無数の蝋燭。鹿治はその蝋燭の意味を理解している。彼は以前、目の前の誘者に連れられてこの場所に来た事があった。だから理解してしまう。この世界が自分がいる世界とは別物の存在である事を。例え目の前のこの人外をどうこうできたとしても、もう自分があの世界に戻る事は不可能なのだという事を......。


「(円佳......)」


何だこれは、あんまりじゃないか。こんな事ならあの時殺してくれれば良かった。あの時なら楽に死ねたというのに。地に両膝と手をつき絶望する鹿治に対して──誘者はギシギシと床音を立てながら歩み寄る。


「ちょっと話をしようかぁ。こっちじゃもう君も暴れたりしないでしょう? 結構こっちにも色々あってね。色々と確かめないといけない事があるんだよぉ」


全く無警戒な様子なのになぜか目の前の誘者を全く倒せる予感がしない。そんな鹿治の内心を知ってか知らずか誘者は一方的に話し始める。


「この蝋燭が人間の寿命だ、って事は前に話したよなぁ? このまだ長い蝋燭は赤ん坊の物でこの今にも消えそうな蝋燭は老人の物だなぁ」


誘者は無数にある蝋燭を一つ一つに目をやりながら、まだ長さに余裕がある一本を手に取り鹿治の前に戻ってきた。


「オラはこの蝋燭の管理を任されていてなぁ。やる事と言えば一つはまだ長い蝋燭が倒れねぇように、燃え尽きた蝋燭が誤って他の蝋燭につかねぇように監視する事だぁ。死んだはずの人間が生き返っちまうからなぁ。で、もう一つが......」


カチャリと、誘者は先ほど持っていた蝋燭の大半を切り落とす。元々長い蝋を有していた蝋燭はもうみる影もなく間もなく、燃える触媒は残り僅かとなった。そして切り落とした蝋を──一度液状に溶かした上で隣にあった蝋燭に付け加えた。


「蝋燭の総量は決まっているんだがなぁ。生きたいと願う者が生きられずに死ぬ一方で、死にたいと願う人間が生き続けるのは──おかしいとは思わないかぁ?」


「ぐッ!」


誘者が笑いながら蝋燭を削り取った刹那、まるで全身の生気が抜けるかのような錯覚が鹿治を襲う。


「まさか......さっきのは......!」


「おう、察しがいいなぁ。そうさ。この蝋燭は──オメェのだぁ」


「なっ!」


先ほどまでまだ余裕のあった蝋燭はもう見る影もなく、今にも消えかからんとしている。


「消えるよ消える、消えたら死ぬよぉ」


悪辣な笑みを浮かべ、ニタニタと笑う誘者に対して──しかし何をする事もできない。


「一体何なんだよお前らは! 何で俺なんだよ!? 俺が何やったってんだ!? お前に会ってから変なもんが見えるようになったし今日だってそうだ! 今まで見た事ねぇ得体の知れねぇモンを背負った奴がいると思えば──背負わられてる奴も訳分かんねぇ奴だった!」


「......変なモノ?」


「誤魔化してんじゃねぇ! 朝の通勤電車とか乗ってたら見んだよ。で、その取り憑かれてた奴が自殺したってニュースを俺は何度も見た!」


「......そっか。君......見えているんだね」


「ッ!」


先ほどまでゲラゲラと笑っていた誘者は一瞬真顔になって、また笑みを浮かべる。しかしその笑みは先ほどまでとはまるで違っており、獲物を見る目は好奇心を帯びた目に変わっていた。鹿治はこの時、初めて目の前の誘者が自分という存在を見たような感覚を覚えた。


「あ、あれは何なんだよ......!」


「何って......君も大方予想できてるんでしょ? 人間の負の感情、生命の最大の目的たる生きる事すら放棄するほどの強いエネルギーだよ」


「それは分かってる。だから! あの! さっきの奴は何なんだって聞いてんだよ!!」


「ああそういう事ね。僕も見るのはさっきのが初めてだったからね。教本的な事しか言えないけど......

──あれは君の代物とは違って簡単に消える事はないんだよ」


「......え?」


「君はどうして自ら死を選ぼうとしていた?」


「それは......同僚に裏切られて、家族も友人も特になくて......確かに言葉だけで見たらあいつのような大した理由はないが......俺はあの時は本気で......ッ!」


「うん、それは疑ってないから。他人が聞いて「え、そんな事で!?」って思うような事でも、本人が苦しんでたらそれが真実だからね。でも、それだけ苦しんでいたのに君はその呪縛から解放された。それは一体なぜか? 簡単な話だよ。君は自殺を手段として認識していたからだぁ。現実から逃避する目的を達成するための。だから君を襲っていた目的が消えれば、自然とその手段も消滅する」


「............」


「何度も言っているけど、別にそれが悪いだなんて一言も言っていないからね。ただ、君が言った代物に取り憑かれていたという彼は違う。彼は──死を手段ではなく目的として捉えている」


「......目、的......?」


「そう。一見あまり変わらないように思えるけどこの2つは全く異なる。何せ死にたいと考える感情を理性で止めていた君達と違って、理性で死にたがっている状況を彼らは感情で止めているんだから。......ところでさ。君、こんな話してていいの?」


「えっ?」


「もう蝋燭消えちゃうけど」


「......あ」


誘者の言う通り、蝋燭はいつの間にかいつ消えてもおかしくない段階にまで至っていた。


「お、お前。俺に何か聞きたい事があったんじゃないのか?」


焦った鹿治が必死の中で導いた結論は──目の前の誘者の要件にかこつけた時間引き伸ばし作戦だ。時間稼ぎをする間に次の策を考えようという名の。


「そんなの君とのさっきの問答で全部解決したよ。僕が聞きたかったのは君が見えてるかどうかだったんだから」


「(俺のアホぉぉぉぉ──!!)」


鹿治の時間引き伸ばし策は、先ほどの自らの暴走によって水泡に帰した。


「じゃあそろそろだね。消えるよ消える。消えちゃったら死んじゃうよぉ〜」


「待ってくれ! 助けてくれ! 俺はまだ死にたくない!!」


万策尽きた鹿治は地面に手をついて、惨めに慈悲を願うだけの屍と化した。残りの蝋が少なくなったからか、灯っていた火が揺らめき始める。文字通り虫の息となった鹿治の脳裏には──走馬灯が走る。


「(思い返してみると──俺の人生ってつまらなかったな。でも、円佳や円也さんと出会ってからは......ほんのちょっとだけだったけど──楽しかったなぁ)」


鹿治の脳裏には楽しかった思い出が次々と浮かぶ。リハビリをしている間、毎日夕方には円佳が病室にやって来てくれて学校での出来事を話してくれる事。その話を聞きながら、失われた青春を想起していた。

リハビリが終わって働き始めてからも良い先輩や後輩に恵まれた。自分が誰かの役に立てていると、社会の一員になれていると、ここにいていいんだって安心感を抱いていた。

そして、職場では険しい顔をしているがたまに円佳や円也と夕食を食べる時に──失われた家族を感じていた。

そんな楽しげな日々は──もう終わってしまう。


『諦めるのなんてそんなの──嫌ですから』


「ッ!」

「(そうだ。何終わらせてんだ。あの日々を終わらせてなるものか。あの変な高校生と、そしてこの誘者のせいで死後の世界を知ってしまったが......そんなものよりあの生活の方が楽しいに決まっている......ッ!)」


もう意識も混濁し始め、文字通り這いつくばる事しかできない鹿治はそれでも諦めない。今まで経験してきた事全てを使ってこの現状を打開するだに走馬灯に目を通す。


「(そうだ、考えろ。頭を動かせ! 腕っぷしじゃどうやっても勝てないんだ)」


鹿治の脳裏には不思議な力で音もなく制圧されたり、まるで世界を行き来するような超常現象が浮かぶ。

しかし一方で、誘者が度々自分には分からないルールに縛られている姿もきちんと見ていた。人外の力を持つ誘者といえども何でも思い通りにできる訳ではない。理由は分からないが──今はそうしておくしかない。

特に「道理」というものを尊重しているように感じられた。


鹿治はこれまでの経験全てをフル回転させ、誘者の理性に何か働きかけられないかと考える。


「(円也さんと出会って俺は色んな事を教えてもらった。契約についても......ッ!)」


見つけたようだ。


「誘者! あの契約は無効だ! あの約束、契約には日時の指定がされていない! いつまでに俺が自殺を選ばなかったらという期限がない! だから今こうして、お前が俺を殺そうとするのは契約違反だ!!」


刹那、誘者の顔つきが変わる。ニタニタと笑っていた表情は無に返り、そして......蝋涙は止まった。

分の悪い賭けだ。目の前の誘者は自分を殺そうとしている。道理を尊重すると言ってもそもそも鹿治の言う契約とは、あくまで人間界の日本のルールなだけであって誘者にそれを守る必要性はない。

また先ほどの考えもあくまで仮説でしかない。そもそも誘者には鹿治の理屈に耳を傾ける必要性がない。仮に道義が鹿治の方にあったとしても、誘者はそれらを無視して鹿治を殺す事ができる。

二人の間にはそれだけの力の差が、種族の差があった。そんな中、誘者の返答は......


「確かに。まあ、それもそうだな」


「......え?」


何の反論もなく、誘者は鹿治の言葉を受け入れた。


「じゃあオメェは生きないといけないなぁ」


そう言ってから誘者は懐から、先ほど誘者が折った鹿治のものよりも長く、そして太い蝋燭を取り出した。


「それは......?」


「オメェの蝋燭はもうオラが折っちまったからなぁ。オメェに生きてもらうためには新しい蝋燭が必要なんダァ。これがオメェの新しい蝋燭ダァ」


「ッ!」


誘者はこの蝋燭が鹿治の新しい寿命だという。その一連の出来事は──あまりに準備が良すぎるように鹿治は感じていた。


「お前......まさか......!?」


「最初にも言っただろ? オラ、ニンゲン殺すだけじゃなくてニンゲン生かす事もあるし。......っていうかどっちかと言うと生かす方が多いってなぁ」


「お前......」


「もう二度と死にたいなんて言うなよ? その寿命が尽き切るまで、生き抜くんだぞぉ」


「ああ......!」


一度死にたいと、どん底から円佳と円也に救い出されてから、そして間一髪で命を再び拾ってから、鹿治には生への執着がより強くなった。


「じゃあ蝋の火を移さねぇとな。ほれよっと」


「お、おお!」


先ほど取り出した蝋燭を、男の名が書かれた燭台に突き刺し、消えかけていた蝋燭から火を移す。新しく灯った炎は朗々と燃え始め、先ほどまで消え掛かっていた蝋燭の炎は役目を終えたとばかりに程なくして消えた。

炎が新たな蝋燭に移ったその瞬間に、これまで鹿治を襲っていた倦怠感や思考の混濁は嘘のように消え去った。


「今日はオメェの第二の人生、誕生日だなぁ。祝ってやるよぉ。日本じゃ確か、誕生日にケーキを食べる文化があるだろ? ケーキはないが歌でも歌おうかぁ」


「ああ。ありがとな」


たった二人しかいないが、蝋燭の炎に囲まれた誘者は歌を歌い始める。


「Happy birthday to you~♪」


幼くして父が死んでから母は仕事で忙しく、鹿治はこの歌で祝われた事がなかった。


「Happy birthday to you~♪」


しかし誘者の言う通り、これは彼にとっての第二の誕生日だ。今までは確かにこの歌を歌って貰えない人生だったが、これからは円佳や円也など、歌い、歌われる機会も多くなるだろう。


「Happy birthday Dear Shikaharu~♪」


そう。この騒ぎで忘れていたが明日は円也に円佳との結婚の挨拶をしに行く日だ。この儀式でもって、鹿治は過去の自分との決別を決意する。


「Happy birthday to you~♪ おめでとぉー」


「ありがとな!!」


自分の新たなる門出を祝ってくれた誘者に対して、鹿治は満遍の笑みで感謝を伝え──フウッと持っていた蝋燭に灯っていた火を吹き消した。


「「あっ......」」


──────

後書き

色々と伏線張り巡らせたくせに回収しなかったものがある事からお察しの方もいらっしゃるかと思いますが、本話までは「木蓮の暗殺者」の序章になります。

ただ、一応ひと段落したという事でひとまず更新は終了致します。他の作品も描いてみたいですし。

もし仮に好評だったら続く......みたいな感じです。ここまで読んでいただきありがとうございました! 


リアル俺たちの戦いはこれからだ! 次回作にご期待ください()

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木蓮の暗殺者 マイケルみつお @hanvanpan

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