少しはわたしに

@tomohikoito2001

第1話

 琵琶湖の辺りへ遊びに行った夜、僕は三田と二人で同じ部屋で寝ました。寝る前にしばらく話をしました。最近、中岡さんという女の子から電話があったという話を聞きました。中岡さんはやはり同じサークルの一回生で、とてもかわいらしい子でした。その子から何の用事があったわけでもないのに、突然電話があったとのことで、なぜか中岡さんは三田にしきりに、「三田さんはずるい」というようなことを言ったということでした。

「一体あの電話はなんだったんだろう?」

 そう三田は言いました。三田は四月の頃に中岡さんのことを可愛いと言っていたことを、僕は覚えていました。

 僕は言いました。

「それは明らかに中岡さんが三田に気があるってことやろ」

 三田は言いました。

「そうなんやろか。でもなんか突然なんだよなあ。そんなに会ったこともないんやで」

「いやあ、それは女心を分かってあげないかんて。中岡さんにもなんかいろいろあったんやろ。それで三田に電話かけてみようって気分になったんやないかなあ」

 僕は素直に思ったままを言いました。

「そうだとしても、俺は玉川さんと付き合ってるからどうしようもないやないか」

 三田は言いました。

「でも、ともかく自分に正直に生きた方がええで」

 そう僕は言いました。その旅行では、そのままそんな会話で終わりました。しばらくして、僕はいつものように玉川さんに電話をかけました。僕は何かいやなことがあった時や、気分が沈んだ時などに、頻繁に玉川さんに電話をかけていました。いつも朗らかに対応してくれる玉川さんが、この日は少し元気がないように感じました。しかしそんなことも時にはあるだろうと、特に気にすることもなく、その日は電話を切りました。

 その次に玉川さんに電話をかけた時のことです。いつも僕の話を聞いてくれる玉川さんが、珍しく自分から話し始めました。三田から別れ話を持ちかけられたということでした。すぐに僕はピンときました。三田は何か中岡さんと進展があったに違いありません。

 しかしそのようなことは僕は全く言わず、三田も何か色々あって、一時的にそんなことを言っているだけだろうと、僕は玉川さんを慰めました。そしてすぐに三田に電話をかけました。三田はあれからすぐに中岡さんに電話をかけて、食事に誘ったとのことでした。そしてやはり中岡さんに脈があることを感じて、まずは玉川さんと別れようと思ったとのことでした。

「ほんとに中岡さんと付き合うために、玉川さんと別れようって考えてるんだな」

 僕は三田に念押ししました。

「ああ、そうだ」

 三田は意志を固めているようでした。僕はビッグチャンス到来だと思いました。玉川さんと付き合うことが出来るかもしれません。慎重にうまく事を運ぶ必要があると感じました。僕は玉川さんに電話をしました。玉川さんはやはり落ち込んでいる様子でした。自分が三田と話をしていることは、玉川さんに決して言ってはいけないと僕は思いました。あくまで何も事情を知らないふりをして、玉川さんの話を聞きました。三田はもう決定的に別れ話をしたようでした。玉川さんにとっては、全く思いもかけない出来事だったようです。今まで三田とうまくいっていると思っていたのに、突然別れ話をもちかけられたということを、しきりに玉川さんは言いました。僕はそれはそうだろうと思いました。中岡さんの出現がなければ、このような事態にはならなかったはずです。今まで玉川さんには世話になりっ放しで、玉川さんが不幸せな状態にあることは、僕にとっても辛いことだとも言えました。しかしでもこれは、ビッグチャンスだとしか思えませんでした。

 僕はとても丁寧に玉川さんを慰めました。今回のことは三田の偶然の心変わりで、玉川さんが素敵な女性であることには何も変わりがないことを話しました。玉川さんは誰からも好かれていて、魅力的な女性であることを何度も違う表現で語りました。そして自分も玉川さんを好意的に思っていることを力強く話しました。電話で伝えられる限り、玉川さんに自分への自信を取り戻せるよう話しました。そしてその夜は電話を切りました。

 翌日、僕は玉川さんに手紙を書きました。自分の文章力を最大限駆使して、玉川さんの素敵なところを手紙にしたためました。玉川さんはとてもかわいいし、笑顔が似合うし、何より人の話を聴いて、その人を幸せにすることができるというような、べたなことを様々な比喩を駆使して書き連ねました。僕は自分としてもいい手紙が書けたと思いました。なるべく早く手紙を出した方がいいと思い、すぐにポストに投函しました。

 数日後、玉川さんに電話をしました。僕からの手紙が届き、すぐに読んでくれたとのことでした。手紙を読んで、涙がこぼれたと言ってくれました。これは自分にも大いに脈があると僕は思いました。今までのところは完璧だと感じました。もう一押しすれば何とかなるのではないかと考えました。

 しばらくたった夜、僕は玉川さんを飲みに誘いました。直接会って、話をしようと思ったのです。玉川さんはどのような反応をするだろうかと考えながら、自分が話すことについて頭の中で思いを巡らしました。阪急電車に揺られ、外の景色を見るともなく眺めながら、玉川さんと会った際の会話のことをずっと考えて十三に着きました。夕方からチェーン店の居酒屋で玉川さんと会いました。直接会って話をすることは久しぶりでした。

 玉川さんが想像していた以上にかわいらしく見えました。そしてやはり沈んでいるように感じました。飲み始めて初めのうちは、他愛もない話をしました。そして三田のことについて話しました。玉川さんは三田が突然別れ話を持ち出したのは、三田が中岡さんと付き合いたいからだということについて知っていました。三田がそう言ったということでした。三田は意外と誠実な男なのだと僕は思いました。玉川さんは、そのことについてはあまり深く話をしませんでした。もうすでに仕方のないことと自分の中できりが着いている、あるいはきりを着けなければいけないことだと悟っているように感じられました。玉川さんはさらに素敵な女性に思えました。僕は、玉川さんはやはりとても魅力的な女性であることを熱心に話しました。玉川さんの素敵な部分を次々に話しました。無理にそうしたわけでもなく、実際に僕は玉川さんを魅力的な人だと思っていましたので、言葉はいくらでも沸いてくるように出てきました。

「玉川さんがぼくの電話をいつも聞いてくれるから、ぼくはなんとか楽しく生きてくることができたんだと本当に思うんだ。今ぼくがこうして生活していられるのは、おおげさな言い方じゃなくて、ほんとに玉川さんのおかげだと思うよ。玉川さんは人の話をそのまま受け止めて、とにかく聞いてくれる。人の話をそのまま聴けるっていうのは、すごい才能だと思う。聴き方もとても自然で、どんどん自分が本当に話したいことを話せるという感じがする。そして話し終わった後も、それを話したことを全然後悔することがなくて、玉川さんに聞いてもらえて、それを否定されることもなくそのまま受け入れてもらえたことが、とてもぼくの心を癒してくれたんだなあと実感できる。玉川さんの持つ癒し力が、ぼくをこの世界に引き留めてくれていると本当に思うんだ」

 玉川さんの顔を見ることができずに、僕は一方的に話しました。ひたすら玉川さんの良いところを立て続けに話しました。

「玉川さんは、こんなことを言うのは少し照れくさいけれど、とてもきれいだと思う。華やかなバラのような美しさというのではなくて、控えめなスミレのような美しさを玉川さんには感じる。それから、もともとの顔もきれいだけれど、とにかくいつも笑顔でいるところがすごいと思う。へらへらした笑顔ではなくて、にこやかとでもいうのか、いつも何気なく玉川さんの顔を見る度に、必ず朗らかにしていられるというのは、本当に健康な心の状態を常に保っているんだなあと思う。玉川さんの美しさは、心の中の美しさが表面に現れているんだなあということを感じるよ」

 このような普通では恥ずかしくて言えないことを、次々に話していきました。沈んだ心の状態で、誉め言葉をずっと聞かされると、どのような気持ちになるのか、僕には考える余裕はありませんでした。それはしかし、いいことだと信じ、ずっと玉川さんの魅力を話しました。二時間ほども話しました。その間にも僕はお酒を飲んでいましたので、それなりに酔ってきていました。そんなこともありましたし、もともとそのつもりでしたので、僕は玉川さんに思い切って言ってみました。

「玉川さん、よければ僕と付き合ってくれませんか?」

 突然のことに、玉川さんはびっくりしたかもしれません。何てことを言い出すんだろうと、思ったのかもしれません。しばらく沈黙の時間がありました。そして玉川さんは、ぽつりと言いました。

「でも伊藤さんは私だけが好きなわけではないですよね」

 何も考えずに僕は言いました。

「それはそうかなあ」

 この答え方が悪かったわけではないかもしれません。もともと僕が玉川さんとお付き合いできるわけはなかったのでしょう。しかしこの答え方は、よく言っても適切な発言ではありませんでした。

「やっぱり私は伊藤さんとはお付き合いできません」

 玉川さんにはっきりと言われてしまいました。それでもくじけずに、「好きだ」という言葉で繋がらなければならないような虚しい関係について、さらには言葉というものの空虚さについて僕は話しました。しかし話せば話すほど白けられてしまい、やはり再度断られました。付き合ってくれと言っておきながら、他にも好きな人は沢山いると断言したあげく、坂口安吾の言葉まで引用して、わけの分からない説得に入るような人間は、誰でも恋人なんかにしたくはないでしょう。玉川さんの選択は全くもって正しかったと言えるでしょう。しかしながら、そんな輩が誰あろう自分であることを思うと、僕にはやるせない感情がわき起こりました。その晩は家に帰る気がせず、十三の公園のベンチで横になって寝ました。夏の屋外で寝ることは気持ちよかったです。眠りにつくまで、ずっと小椋佳のこの言葉を頭の中で連呼していました。

「少しはわたしに愛を下さい」

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