第5話 絆をちょうだい

 放課後になり、私は保健室にやって来た。

 保健医は在室中。ノックをし、意を決してドアをスライドさせる。中では保健医が、雑務をこなしている最中だった。

 どうしたの? と、私に対応をしてくれる。


「ちょっと、相談があって……」

「相談ね。どうぞ、座って?」


 緊張している私に、保健医は椅子を勧めてくれた。ありがとうございます……と礼を告げ、椅子に腰を下ろしてから、あの……と話しを切り出す。


 翔が現われる前の、友人の身に起きた息苦しい出来事。交代人格と接する機会が増えて、どんどん陰にこもってしまう友人のこと。

 黙って最後まで聞いてくれた保健医は、ん〜と悩みながら、誰もが頭に浮べる疑念を口にした。


「それは……演技じゃないの?」


 あぁ、やっぱり……と落胆しつつ、私は即座に否定する。


「違います。それぞれが、ちゃんと独立した人格を持っていて、筆跡も……全員が全く違うんです。授業のノートを見たら、一目瞭然です」

「そう……。じゃあ、ご両親にお話して、病院かカウンセリングに連れて行ってもらいましょう」


 なんて、型に嵌めたような模範解答。病院やカウンセリング以外の道が示してもらえればと淡い期待を抱いていたけれど、やはり、私の望むような答えは得られなかった。

 意図的に落胆する姿を見せ、代案を希望する。


「やっぱり、方法はそれしかないんですか?」

「そうね。専門医に診断を確定してもらって、適切な治療を施すしか無いわ」


 あぁ、やはり……私は無力だ。


 友人が自傷行為に至るまでの、出来事や葛藤を全て知っているから、両親には知られたくないだろうと勝手に想像してしまう。


(病んでしまった原因が……ネットで知り合った同性の恋人から酷い扱いを受けたことだなんて……親には言いにくいだろうに……)


 思っていたとおり、大人は頼れない。翔も、大人は頼りにならないと言っていた。愛梨にも、大人に頼れと、とてもじゃないけど私の口からは言い出せない。

 ありがとうございました、と保健室をあとにし、カバンを取りに教室へ戻った。

 私の席に、友人が座っている。


(今は、誰なんだろう)


 少しホヤ〜ンとしている柔らかい雰囲気だから、おそらく愛梨だ。


「お待たせ。どうしたの?」


声をかけてみると、私に気付いた愛梨は、指をモジモジさせ始めた。


「なんかね、また新しい子が出てきたみたいなんだよね」

「え? 今度は、どんな子?」

「小学三年生の男の子なんだけど、すっごく無口で暗い子なの。それで、名前が無くて困ってるみたいでさ。愛梨が、名前つけてもらう? って声かけてみたら、頷いて反応してくれたんだよね」


 愛梨は、期待のこもった眼差しを私に向ける。


「ねぇ、なにかいい名前つけてあげてよ」

「私で、良いの?」

「うん。おねえちゃんが、良いんだよ」


 分かった、と笑顔を浮かべつつ、心の中では違うことを思う。


(あと何人、現われるのかな……)


 翔と愛梨と、今回の男の子。まだ把握ができているけれど、きっと、もっと増えていく。


 私は、思い浮かんだ名前を口にする。


「羅威……って、名前はどうかな?」

「ライ! うん、カッコイイね。良いと思う! きっと喜ぶよ~」


 愛梨は嬉しそうに、とても無邪気な笑みを浮かべた。


 多分、この子達にとっての名前は、存在していても良いよという許状なのだろう。


 専門家でもない私は、こうして新たな人格達に名前を与え、それぞれを認めてあげることしかできない。

 私が統合させようだなんて、そんなふうに、傲慢な考えをしてはいけないのだ。


 友人の腕の内側は、皮膚がどんどん固くなり、肌の色もグロテスクになっているらしい。

 これまでどおり、今の私にできるのは、治療を受けても苦しみや葛藤から逃れられない友人の姿をただ見守ることだけ。


 でも、それで……私は本当に、友達であると言えるのだろうか。


 友人自身と言葉を交わした最後がいつだったのか、もう思い出せない。


 ――ねぇ、名前をつけて。


 友人の中に生じた新たな人格が、また今日も、名前を求めて私の元にやって来る。

 名前のレパートリーは、もう尽きそうだ。


《終》

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空ろな器と名の絆 佐木呉羽 @SAKIKureha

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