妖精

蒼開襟

第1話

 誰かを好きになるってどんな風だろう・・・。


 彼女は友人の話を聞きながら頭に思い描いていた。

恋をしたことがない・・・人から言わせれば”あら可哀相”だの”気づいてないだけじゃない”だのと好き勝手。


 彼女だって恋をするということをしたくないわけじゃない。

けれどいわゆる妖精は自分の下へはいまだ来ていないだけなんだと思った。


 昔話。どこにでもあるものでもなく、彼女の母親が話してくれたお話。

人が恋をするとき妖精がやってきて、恋の粉を振り掛けて行くのだそうだ。そしてその相手になる人にも恋の粉をかけて二人を偶然めぐり合わせる。

なんてロマンティックなお話なんだろうと子供ながらに思ったけれど彼女も大人になり、周りの人達を見ていると妖精のお話はやっぱりお話なんだと思わずにはいられなかった。


 彼女はまだ学生で大人といっても、年齢だけが追いついただけでまだ少女の部分が多いのかも知れない。それでも鏡に映し出される姿は立派な女性。けれど周りから”素敵ね”といわれても何処か自信がもてなかった。


 自信がないのは自分の心にどこか迷いがあるからなのだろう。

友人になった男の子からの誘いにも気がつかず、お友達のままなんてことはざらなのだから。







『サユ。』


 大きな声で名前を呼ばれて彼女は顔をあげた。

盛り上がってきた小説に、あと少しでいいところだったのに・・・とサユは後ろを振り返る。


『やっ。』


 そう言って片手を上げたのは友人の水無月みなづきだ。

水無月はサユの向い側にある椅子に座ると、サユの手元を見て鼻を鳴らした。


『もう、サユはまた小説かい?俺がさっき一緒に遊びに行こうよって言った時は、今忙しいって言ってたんじゃなかったっけ?』


 覗き込む水無月の顔を見てサユはばつの悪そうな顔をした。


『ごめんね。だってもう気になっちゃって。大分読んでしまってから・・・今だって盛り上がってきたとこで。』


 サユが苦笑いすると水無月はサユの手から本を奪い開いていたページにしおりをして閉じた。


『ああっ。』


 サユが声を上げると水無月は眉をしかめる。それに抗議するようにサユは唇を尖らせたが、観念したのか両手をあげた。


『はい、わかりました。それで今日はどこに行くわけ?』


『うん。今日は学校のパーティ。』


 水無月はそう言うとサユに本を差し出した。サユはそれを受け取り鞄にしまうと首を傾ける。


『学校の?よくわからないけど、そんなイベントあったっけ?』


『いや。正確には俺らの部のパーティ。』


『俺らのって・・・確か気象科学なんとかいう・・・。』


『そう、気象科学研究会。もうそろそろ覚えろよ、何回かは連れて行っただろ?』


『ああ、そうそうそれそれ。でもやってる事って言ったら、昼に空をみて夜に星をみて・・・でしょ?』


『まあね。ある程度格好つけた名前じゃないと、教授に申し訳ないだろ。折角沢山の機材やらなんやら貸してもらってるわけだし。』


『ああ、柵原やなはら教授ね。』


 柵原教授は天体観測を趣味にしている人だ。彼がいるから水無月たちの部も活動できているに等しい。


『感謝しなくちゃね。』


 サユが笑うと水無月はにっこりと笑った。


『ああ、確かに。今度菓子折りもって行くかな。』



 午後九時。辺りは暗く生徒たちもいない校舎でサユはぼんやりと廊下の窓辺に立っていた。少し肌寒い風が窓から吹き込んでくる。サユは片手を伸ばして窓を閉めると廊下の向こうからやってくる水無月たちに視線を向けた。


『ああ、悪い。遅くなった。』


 買出しに行っていた水無月の手にはコンビニの袋が複数握られている。その中から紅茶の缶を取り出すとサユに手渡した。


『あ、暖かい。ありがとう。』


 サユは両手で抱えて頬に当てる。それを見ていた水無月の後ろの高志たかし

驚いて笑う。


『へえ、サユちゃんって可愛いんだな。』


『なっ・・・。』


 サユが驚いて顔を赤くすると高志は歯を見せて笑った。彼に会うのは両手で数える程度だが、彼はずっと仲の良い友人のように誰に対してもいつもこうしている。いわゆるいい奴だ。


『さ、入ろう。もう多分用意は出来てると思うし。』


 人懐っこい高志の笑顔にサユは頷いた。

教室に入ると中は電気が消され薄暗い。窓辺にスタンドの灯りがポツンとついていて

その周りに数名の部員が集まっていた。


 水無月はサユを連れて彼らの前に立つと、サユに一人ずつ紹介した。


『一番端っこにいるのは二宮にのみや部の中では紅一点だ。』


 二宮と呼ばれた女性はワンレングスの長い髪で片側の耳を出している。二宮は品良く微笑むとサユに軽く会釈した。


『それから次、ええと高志・・・は知ってるか。』


 高志は大きく頷いて笑って見せた。


『それから・・・海道かいどう赤波あかなみ、田村は知ってるな。』


 水無月は指差してからサユの顔を見る。サユが頷くと、その向こうにいる男性を指差した。


『それから・・・あいつは今日からなんだ。紫苑しおん


 紫苑と呼ばれた男性は立ち上がるとサユのすぐ傍まで来て片手を出した。


『はじめまして。吉崎紫苑よしざきしおんです。』


 サユは紫苑の差し出した手に自分の手を重ねた。やけに暖かい手に包まれてサユは思わず顔をあげる。


『暖かい・・・。』


 紫苑はすらりと背が高く、目鼻立ちのはっきりした面立ちだ。サラサラした髪が彼の頭の動きに合わせて揺れている。


『サユさん、手が冷たいね。』


 そう言われてサユははっとして手を離した。


『ごめんなさい。冷え性で・・・。』


『いえ、こちらこそ。それに手が冷たいのは心が温かいってことなんだって言うでしょ?』


 紫苑の言葉にサユが笑うと紫苑も口元を緩ませた。それに突っ込むように高志が言う。


『紫苑お前、もてるんだからサユちゃんに手出すなよ。』


 高志の言葉に紫苑は苦笑いすると、サユの傍から離れてもとの場所へ戻った。

それを見ていた水無月は小さく息を吐き、高志の頭を小突く。そしてサユの背中をポンと叩くと紫苑のところへ行くように首を傾けた。




『あーあ、やっぱり屋上のほうが良かったんじゃない?』


 二宮がぽつりと呟くと、すぐ傍で望遠鏡の調整をしている海道が眉をひそめて笑う。


『無理だよ。こんな日は屋内のほうがいいんだって。外でやったら二宮さん風邪ひいちゃうだろ?』


『まあ、そうだけど。』


 二人のやり取りに笑い声が響き、高志が両手を挙げて声を上げた。


『あー、もう見えねえって。ダメだ、腹減ってきたし俺なんか食ってくるわ。』


 それに続いて他の部員も俺もー、と声を上げる。水無月は高志の言葉に乗り、食事に行くことに決めるとサユに声をかけた。


『サユはどうする?殆ど行くけど。』


『うーん、私はお腹空いてないからいい。』


『そっか、わかった。』


 ぞろぞろと教室を出て行く彼らの背中を見送り教室にはサユと紫苑、二宮が残された。


 ざわざわと騒がしい廊下が静かになると二宮がサユのほうへ向き直った。すらりとした足を組み、机に頬杖をつく。


『サユちゃんだっけ。ねえ、水無月と付き合ってんの?』


『え?』


 サユは首を横に振ると、二宮はにっこりと笑った。


『ああ、そうなんだ。私てっきりそうなんだとばかり。いつあいつと話しててもサユちゃんの話ばっかりでさ、てっきり彼女なんだと思ってたの。』


『そんな・・・ミナ君は高校が一緒で、高校の時から色々と助けてもらってて、でも恋人とかそんなのは・・・だって高校の時にはミナ君彼女いたし。』


『ふうん。じゃあ、私は気兼ねなくアタックしていいってわけね。サユちゃんは恋人とかいないの?』


 二宮の言葉にサユが硬直すると、隣にいた紫苑もサユを覗き込んだ。


『わ、私・・・。』


 どうしよう・・・サユの戸惑いに気づいた紫苑は二宮に首を振って笑いかけると、ポケットから携帯電話を取り出してダイヤルした。そして話し終えると二宮の顔を見て笑う。


『水無月たち、今薬局の傍のファストフードの店だって。今から二宮さんが行くって言ったから、行っておいでよ。いいことあるかもしれないよ?』


『ふうん、分かった。じゃあ行ってくるよ。』


 二宮は紫苑の言葉に笑うと、傍に置いてあったコートを着て教室を駆け出していった。遠くなる靴の音を聞きながら、紫苑がサユに問いかける。


『あんまり気にしないでいいよ。二宮さんは悪い人じゃないよ。』


『うん・・・。ごめんなさい、ああいう話題は苦手で。』


 サユが眉をしかめると紫苑は立ち上がり両手をぐんと上に伸ばした。


『そうだと思ったよ。』


 紫苑は窓辺に立つと振り返るように空を見る。


『恋の話っていうのは人のロマンスだからね。他人からしたらそれは素敵に見えるのは仕方ない。けど、それを話すのも話さないのもその人次第。』


 サユは紫苑の顔を見つめながら、うんと呟き俯いた。


『恋って良く分からなくて・・・。』


『わからない?』


『うん・・・笑うかも知れないけど私まだ誰かを好きになったことがなくて、そういう、恋、とかよく分からなくて。』


 紫苑は少し俯き、腕を組むとこつんと頭を窓につけた。


『悪いことじゃないよ。サユさん。誰かを好きになるのは理屈とかじゃないからね。僕だって何時の間にか誰かを好きになって・・・なんて説明できるものでもないし。』


 サユは両手で頬杖をつく。


『でも恋って素敵なんだろうなあ・・・って思う。いつの日か私の元にも妖精がやってきて恋の魔法をかけてくれる。そんな日が来るのは素敵だろうなあ・・・って。』


 そう言ってしまってサユは顔を赤くした。


『ご、ごめんなさい。なんか子供みたいに。』


 紫苑はそんなサユを見ても優しく微笑み首を横に振った。





 笑わなかった人を初めて見た。サユは昼食のサンドイッチを持ったままぼんやりとしていた。


 あの後、話が途切れた頃に部のメンバーが帰ってきて水無月と二宮がカップルになったという報告を受けた。他のメンバーも祝福するように拍手を送った。


 優しげで穏やかな水無月と美人の二宮・・・二人を前にして少しだけショックだったのは嘘じゃない。それは多分兄のようにしてくれていた水無月が二宮の肩を優しく抱いていたからだろうか。


 それに紫苑。あの昔話をしても笑わずに優しく受け止めてくれたことが今でも信じられず、不思議な気持ちを覚えている。


 サユは持っていたサンドイッチを口に運ぶとオレンジジュースを飲み干した。


 紫苑、とても上品で今まで会ったことのないような男性。そう、まるでお伽話の王子様のような存在。そんなことを考えていてあの夜の高志の言葉を思い出した。


『紫苑、お前もてるんだから。』


 サユはもう一つのサンドイッチを掴んだが皿に戻した。


 そうだよね・・・あんなに素敵だったらよね?

サユは小さくため息をつくと皿の上のサンドイッチを見つめていた。







 授業が終わり水無月と待ち合わせていたカフェでいつものように本を読む。

暖かいカフェオレも何時の間にか冷めてしまい、サユは物語の中へ没頭していった。


 美しいストーリー。恋人たちが試練を乗り越えてたどり着いた先は・・・悲しい結末にサユは目蓋を落とす。


『サユさん?』


 ふと目の前に聞き覚えのある声がしてサユは顔をあげた。目の前にはウェイターの格好をした紫苑がサユを見つめている。


『紫苑さん・・・。』


『やっぱりサユさんだ。待ち合わせ?』


 紫苑は冷たくなったカフェオレをトレイに乗せてテーブルを拭く。サユは彼の手の動きに合わせて本を持ち上げた。


『ミナ君と。でもまだ授業だと思うけど。』


『ああ、そっか。僕ここでバイトしてるんだ。これ冷めちゃったから交換してあげるよ。』


 トレイを片手に紫苑が笑うとサユが声を上げた。


『でも、悪いよ。』


 すると紫苑は人差し指を立てて口元に当ててみせた。


『しー。これは僕からのおごりだから。』


 紫苑はそれだけ言うとトレイを持ってカウンターへと消えていった。サユはちょっと困ったように笑うと、なんだか熱い頬を両手で抑えた。


 変だなあ・・・調子が狂う。


 昨日は暗闇のせいかもっと黒いと思っていた彼の瞳も薄い色をしているしサラサラとした髪もほんのり明るく感じられた。それになにより笑顔が・・・そう思いかけてサユは唇を結んだ。


 急にドキドキと胸が騒ぎ出す。な、なんで急に緊張しちゃうの?もう、変だよ。


 サユは何度か深呼吸を繰り返すともう一度本に戻る。しかしさっきまで読んでいた本は頭に入ってはこない。


 困った様子でサユが俯いていると、カウンターのほうから紫苑がトレイをもってやってきた。今度はエプロンをつけておらず、私服のようだ。


 サユは顔をあげると紫苑に驚いて口を開いた。


『え?バイトは?』


 紫苑はトレイから湯気の立つカップをサユの前に置き、そしてもうひとつケーキの乗った皿を差し出した。


『バイトはもうこれで上がり。ねえ、サユさん。このケーキには妖精の粉がかかってるよ。』


『え?』


 チョコレートケーキにはクリームと赤いイチゴ、妖精の羽根を象った飴細工が乗せられ、そこには淡いピンクと白の粉がかけられている。サユはそのケーキの可愛らしさに微笑む。


『あ、ありがとう。こうゆうの好き。』


 紫苑は前に座りサユの嬉しそうな顔を見て微笑む。


『だと思ったよ。このケーキはね、僕がデザインした。』


『え?本当に?』


『うん、勿論盛り付けはうちのオーナーがしたんだけど、こうしてくださいってお願いしてやってもらったんだよ。』


『そうなんだ、すごい素敵だね。』


 サユは片手で頬を押さえるとなんだか恥ずかしそうに笑った。それに気づいて紫苑が首を傾げる。


『どうかしたの?』


 サユは苦笑いを浮かべて椅子にもたれた。


『ううん、ただその・・・紫苑さんはもてるだろうなあ・・・って。』


『うん?』


『こんな素敵なことをサラッと出来ちゃうとことか・・・。わ、私には真似できないなって・・・。』


 サユが俯いたので紫苑は両手を組みテーブルの上に置いた。


『まさか、こんなこと誰にだってしたりしないよ。』


 紫苑は微笑むとフォークを持ちチョコレートケーキを小さく刻みフォークで突き刺した。それを持ち上げてサユに差し出す。


『妖精の粉はサユさんにだけかけられたわけじゃないよ。出会いは偶然だって言ってたじゃない?』


 サユは口元まで来たフォークに口を開けるとチョコレートケーキを食べた。ほろ苦いチョコレートとほんのり甘いクリームが口の中でとろける。


 紫苑はイチゴを突き刺すともう一度サユに差し出した。


ようせいの粉は恋をする人とその相手の両方にかけられる。そして偶然めぐり合い恋に落ちる。』


 甘酸っぱいイチゴがサユの口に広がる。

 あの日、サユは母親から聞いていた妖精の話を紫苑に話していた。紫苑はそれを優しく今現実にしてくれている気がしてサユはごくんとイチゴを飲み込んだ。


『あの日、水無月が友人を連れてくるって言ってたから僕は少し気になってた。そして君が来た。あの場にいた奴らはきっと君を一目見ただけでいいなっておもったと思うよ。けど僕は君と、サユさんと二人で話していたとき、この人ともっと話したいって・・・一緒にいたいって思ったんだ。』


 紫苑はフォークを置いてサユの頬に手を伸ばす。暖かな手が触れてサユはピクンと動いた。


『サユさんは・・・今どんな気持ち?』


 サユはそう問われて俯いた。


 どんな気持ち?さっきから心臓の音がうるさくて仕方ないし、顔が熱くて仕方ない。それにもう逃げ出してしまいたいくらいに恥ずかしい。


 言葉に出来なくてサユは触れられている手に自分の手を重ねた。


『凄く・・・恥ずかしい。』


 サユの言葉に紫苑は歯を見せて笑った。


『うん。』


『それからドキドキして・・・。』


 サユは紫苑の手をどけると両手で頬を抑えた。


 紫苑は嬉しそうに唇を結ぶ。


『妖精の粉は本物だったみたいだ。良かった。』


 サユは紫苑を見上げると、そうかと笑った。

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