4.カルディア隊副隊長



 カルディア隊の入隊が正式に決まると、息つく暇もなく、時間が早送りされているように素早く過ぎていった。


 多くの人間はマ神を真の神として崇めているが、中には十二神を真の神だと信じ、十二神人を擁護する人間も少なからずいるらしい。そのため、十二神人を厄災とする社会に馴染めず、マイノリティな思想をもつ彼らをカルディア隊の初代隊長が本部に引き入れたのだという。彼らは十二神人を支える隊士として、または身の回りの家事や雑用をこなす給仕係として、カルディア隊の本部に勤めているのだと、給仕係のフィーナは本部を案内している最中にシトに話した。


「私の大おじい様がカルディア隊初代隊長と大の親友でね。それから私の家は代々カルディア隊に仕えているのよ」


 フィーナはたれた目じりに刻まれたしわをより深くして、シトに笑ってみせた。

 こけた頬に握れば折れてしまいそうなほど細い手足をしているが、口調や行動はテキパキとしていて、見た目のわりに若さを感じる。フィーナは黒と白を基調とした丈の長いワンピースに身を包み、白髪交じりの髪をシニヨンネットでまとめていた。


「カルディア隊本部の案内は一通り終えたけど、トイレや食堂の場所が分からなくなったらいつでも聞いて頂戴ね」


 三階につづく階段を上り終えたところでフィーナが言った。シトは笑顔で頭を下げる。


「はい! 詳しく教えてくれてありがとうございます!」


「うふふ。シトくん、素直でかわいくていい子ねえ。孫にしたいくらい。隊服もばっちりに合ってるわよ!」


「う……まだちょっと違和感あるんですけど。俺、こんな靴履いたことないし」


 シトは自分が履いている膝下まである黒のブーツに視線を落とした。たった数センチのヒールがあるだけで靴とはこんなにも歩きづらくなるものかと驚く。街で牛乳を売るために歩き回っていたシトは、履き慣れてぼろぼろになったスニーカーばかりいつも履いていた。


 ボタンを首元までしっかりと止めているせいで、少し息苦しいし、暑い。真っ白の上着の両腕部分に青いラインがあり、左肩からひじの上あたりまで白い布がかけられている。胸元にはエメルと色違いの銀のカメオ。そして、白いズボンに光沢感のある黒のベルトがよく映えて、絶品の朝ごはんを呑み込んだシトの胃を強く引き締めていた。


「靴なんて履いてたらいずれ慣れるわよ。隊服を着ると、雰囲気もぐんと大人っぽくなって、かっこいいわ」


「えっ、へへへ、そうかな……」


「服に着られてる感は否めないけどな」


 ぎろりと聞こえてきた声の方を睨みつける。シトの隣でポセイドンがいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。


「それどういう意味だよ」


「意味も何もそのまんまだ。お前はガキだから、まだ服に着られてる感じがするって言ったんだよ」


「ガキじゃねえ! もう十四だ!」


「ガキじゃないか」


「お前はいつもいつも人がイラつくことを……」


「あのー、シトくん?」


 はっとして振り向けば、フィーナが眉をひそめてシトを見ていた。

 つい、いつものようにポセイドンと話していたが、フィーナは十二神人ではなく人間だ。ポセイドンの姿も見えなければ、声も聞こえていない。フィーナからしてみれば、シトが突然虚無に向かって怒り出したようにしか見えないだろう。


 シトがえっと、としどろもどろになりながら、視線を忙しなく動かしていると、フィーナがパチンと両手を叩いた。


「もしかして、今、シトくんの十二神とお話していたの!? あのよく食べる子。名前はたしかポセイドンちゃん……そう、ポセちゃんだったわね!」


「ポ、ポセちゃん……」


 ポセイドンが口の端を震わせて苦笑いをしている。

 姿は見えずとも、今朝の朝食時のポセイドンの食べっぷりはすさまじかった。

 シトが十日間寝込んでいたせいで、ポセイドンの胃袋はどんどん広がって大きくなり、食べても食べても埋まらない底なし沼のようになってしまったらしい。


 運ばれてくる料理が映画のシーンが切り替わるように次々なくなっていく様子をフィーナはじめ給仕係が口をあんぐり開けて見つめていた。

 そのおかげで、オリュンポス十二神の中でも三番目の力を誇る海神ポセイドンの威厳は「ポセちゃん」と呼ばれてしまうまでに無くなったらしいが。


「あ、そういえば、本部の案内が終わったら、エメル隊長の部屋にシトくんを連れていくように言われてたんだったわ」


 フィーナがこっちよと手招きをしながら廊下をどんどん歩いていく。シトの隣では、ポセイドンがいまだに「ポセちゃん」と呼ばれたことに引っ掛かりを覚えているようだった。


「これじゃまるでお前の方がガキだな。ポ・セ・ちゃん」


 瞬間、ポセイドンから殺意が濃く染み付いた視線で睨みつけられ、シトの心臓は一瞬で握りつぶされたかのように生きた心地がしなかった。




 〇




 三階の長い廊下のつきあたりにエメルの部屋があった。

 他の部屋とは違う両開きの重厚な赤い扉が威厳を放って鎮座している。


 フィーナが、では私はこれでと丁寧に頭を下げて去って行く。シトはフィーナに礼を言うと、ふうと軽く息を吐いてから、扉を数回ノックした。


「エメルさん。お、俺、シ、シト・ラウルスです」


「はい、どうぞ」


 エメルの返事のあと、そっと扉を開ける。


 部屋に入った瞬間、飛び込んできたのは、真正面の壁がすべて窓になっていることだった。

 シトの身体の何倍も大きな窓から陽射しが差し込み、床一面の赤いカーペットを穏やかに照らす。

 両側の壁には天井まで届く背の高い棚が設置されており、本がびっしりとしきつめられていた。

 無駄をすべて省き、必要なものだけ揃えられているような部屋は、エメルによく似合っている。


「こんにちは、シトくん」


 大きな窓を背負うように、エメルは真正面の椅子に座っていた。ランプとペン立てだけが置いてある整頓された机に頬杖をついて、シトを見ている。

 呆気にとられていたシトはエメルの声で我に返り、慌てて頭を下げた。


「あら、ポセイドンも一緒なんですね」


 エメルがシトの隣に立つポセイドンに視線をうつす。その視線をうざったそうにして、ポセイドンが眉を寄せた。


「悪いか?」


「いいえ。森で会って以来ですね。また会えてうれしいです」


「私は嬉しくないがな」


「おいっ」


 思わずポセイドンに声をかける。しかし、ポセイドンはシトの方を見向きもせずにふんっと鼻を鳴らして、腕組をした。

 悪態をつかれても、エメルはとても楽しそうに笑っている。


「私に会いたくなかったのに、わざわざ姿まで現して。よっぽどシトくんのことが心配なんですね」


「えっ」


「森で君が気を失った後、私が十二神人だとわかるなり、必死で助けを求めてきたんですよ。君の名前や家族のこと、何が起きたのか。すべて話してくれました」


「……そう、だったのか?」



 シトはポセイドンをみた。それが本当なら、エメルがシトの名前やルーアスのことを知っていたのも納得だ。


 ポセイドンはわなわなと唇を震わせていた。少し頬が赤い。


「シトくんのこと、大好きなんですよね」


「はあ!? 誰もンなこと言ってないだろ!! うざっ! お前なんか嫌いだ!!」


「照れてるんですか? 可愛いですね」


 にこにこと笑うエメルに対して、ポセイドンが耳を真っ赤にして小さな子供のように怒っている。しまいには、もう知らん! といじけて、つんとそっぽを向いてしまった。


(あんなにきつくて横暴自己中のポセイドンが……押されてる?)


 生まれて初めてみる光景にシトはあんぐり口を開けることしかできない。

 すると、


「エメル隊長」


 声がして、シトはどきりとした。


 シトが開けた扉のすぐそばに男が立っていたのだ。


 棚と同化するように立っていたその男は、声を発するまで一切の気配がなかった。

 いつからそこにいたのか、全く分からない。


「そろそろ本題に」


「ああ、そうでしたね」


 差し込む光に照らされて、水面のようにきらきら輝く銀髪。動くたびにかすかに揺れるそれは羽のように軽い。前髪の下からのぞく瞳は髪と同じ青みがかった銀色で、じっとエメルをみつめていた。


 エメルが穏やかな陽の下が似合う美しさを持つなら、彼は真っ白な冷たい雪が似合う美しさを持っている。男にしては随分と華奢で、すらりと伸びる脚がスタイルの良さを強調している。


「さて、シトくん。無事にカルディア隊に入ってもらったわけですが、今の君では正直に言って、戦力になりません。なので、マ神と対等に戦えるようになるために、しばらくの間は特訓をしてもらいます」


「特訓?」


「はい。彼のもとで」


 銀髪の男がゆっくりとシトをみた。心の底を見抜くような鋭い視線は居心地が悪い。


「彼はカルディア隊の副隊長、ティノ・ウィリアン。今日から君の師匠です」


 エメルの軽やかな声とは裏腹に、ティノは表情一つ変えなかった。じっと値踏みするようにシトを見つめているだけだ。


「まあでも、ティノは十九歳だし、シトくんと年齢も近いから、師匠というよりお兄ちゃんって感じで仲良くやってください。あんまり表情豊かではないですけど、ワンちゃんみたいで可愛い子ですよ」


「ワンちゃん!?」


 驚きのあまり、シトとポセイドンの声がかぶる。

 今のところ、ワンちゃんというより、獲物を狩るために息をひそめる狼の方がまだ近い。


「ティノ。シトくんとポセイドンをよろしくお願いしますね」


「はい。お任せください。エメル隊長」


 ティノが胸に右手を当て、エメルに向かって深く頭を下げた。


「シトくん、君が強くなって前線で戦ってくれることを楽しみにしてますよ」


 エメルが微笑む。変わらず、期待してくれていることが嬉しくて、シトは頬を紅潮させながら頷いた。


「俺、絶対に強くなります! 早く戦力になれるよう頑張ります!」


「うん。頑張ってくださいね」


 部屋から出るとき、名前を呼ばれて振り向けば、エメルが妖艶に笑いながら、


「隊服、とっても似合ってますね」


 と言ったせいで、シトは内側からぐんと熱くなった。耳の裏にまで熱が伝わるのを感じながら、礼を言って扉を閉める。


 人生で初めて年上の綺麗なお姉さんに褒められ、燃え上がった炎は、振り向いた瞬間に大量の氷で即座に鎮火された。


 ティノが震えあがるほど恐ろしい形相でシトを睨みつけていたのだ。一気に熱が引き、周りの温度も氷点下に下がったように感じる。


「あ、あの……」


「調子に乗るなよ」


 ティノが黒いグローブをはめた人差し指をシトの鼻先に突きつけた。反射的に後ずさる。背中が閉められたエメルの部屋の扉にぴったりとくっつく。


「エメル隊長がずっと探していたポセイドンを宿す十二神人だったとか、隊服を褒められたとか、そんなちっぽけなことで調子に乗るなよ」


「は、はい、すみません……」


「エメル隊長の命令だから、お前の面倒を見てやるんだ。何としてでも強くなってもらうからな。エメル隊長の期待にこたえられないなんて許されるはずがない。死ぬ気でやれよ。死んでもやれよ。じゃないと、殺す」


「は、はい」


 何度もうなずいてみせれば、ティノは満足したのか、無表情のまま、踵を返し、さっさと歩いて行ってしまった。エメルの前と今と、無表情なのは同じだが、態度が全く違う。

 顔が整いすぎているせいで、怒った時の迫力が桁違いだ。


「……なあ、ポセイドン。もしかしなくても、カルディア隊って曲者の集まりだったりするのか?」


「カルディア隊は知らんが、オリュンポス十二神はみな、ろくでなしばっかだぞ」


「それはお前みてたらわかるよ……痛ぁぁっ!!」


 思いきり膝の裏に蹴りをいれられた。














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世界の神話が終わるとき、/ギリシャ神話をモチーフにしたバトルファンタジー 透川 @Sugame216

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