第3話 異世界生活のはじまり

 目を覚ますと木造りの天井が見えた。

 ぜんぜん、知らない天井である。

 

「……はあ」


 おれは横になったままため息をついた。

 寝ている間に元の世界に戻るとかそんな奇跡をちょっと期待して床についたのだが、そう都合良くはいかないらしい。

 

 ここはまだ異世界。

 そしてこの部屋は、昨日ティオテトからあてがわれた屋根裏部屋である。

 どうやら物置として使われていたようで、ベッドとか布団とかそういうものはもちろん無かった。おれ一人寝られるぶんのスペースをなんとか作ったうえで、布切れ一枚で寝たため、ひどく身体が痛む。

 自室のふかふかベッドで迎える朝と比べると、とんでもない落差である。

 まったく、なぜこんなことになってしまったのだろうか……。

 などとおれが己の行く末をめそめそ憂いていると、

 

「テル、起きろー!

 早く降りてこーい!」


 階下から声が聞こえた。

 ティオテトの声だ。

 短い付き合いではあるが、言うとおりにしないと何をされるか分からないことはもう分かる。

 なのでおれは即座に起き上がった。

 

「ん……?」


 部屋を出た瞬間、鼻腔をくすぐる匂いに気付く。

 何かが焼けるような芳しい香り。

 嗅いでいるうちにどんどんおなかが空いてくる匂いだ。

 そう思ってから、そもそも、色々ありすぎて何も食べていなかったこと、それを今の今まで忘れていたことに気付く。

 

「おはよう、テル」


 居間にたどり着くと、はたしてそこにいたのはエプロン姿のティオテトだった。

 右手にはフライパン、そして左手にはフライ返しという、予想だにしないスタイルである。

 そしてどうも、香りの元はそのフライパンであるらしい。

 

「今ちょうど出来たところだ。

 そこに座りな」

 

 言われるがままに椅子に座ると、ティオテトはフライパンを傾けてテーブルの上に置かれた大皿に中身を移した。

 こんがりと焼けた目玉焼き。

 見れば、テーブルの上にはその他にも丸パンやスープの皿などが置かれており、いかにもありふれた朝食の光景、という感じである。

 慣れ親しんだメニューなのでおれとしてはありがたいところだが、同時に疑問が一つ湧いてきた。


「……え、自分で言うのも何だけど、料理もおれがやるんじゃなかったのか?

 昨日そう言ってたろ?」

 

 エプロンを外して反対側の椅子に座ったティオテトに聞くと、


「別にそんなのあたしの気分次第だろ。

 今朝は何となくあたしが作りたい気分だったんだよ」

 

 そう言ってティオテトは両手を広げる。

 

「さあ遠慮なく食べな。

 昨日は結局何も食べないまま寝ちゃったみたいだし、お腹すいてるだろ?」


 ……どうも違和感がある。

 妙に優しい口調なのが逆に怖い。何かを企んでいるんじゃないか。

 そうは思ったのだがしかし、暴れる腹の虫をもう抑えておくことができない。

 おれは「いただきます」と手を合わせると、まずスープの入ったマグカップを口にし……


「ぐばっっっっふ!!」


 勢い良く吐き出した。


「げっっっっほげほげほげほげほ」


 苛烈、醜悪、乱雑、狂宴、暴虐、妄執、悪辣、混沌。

 ありとあらゆる負の概念を凝縮させたかのような凄まじい味。

 舌に触れた瞬間に身体が拒絶した。


「な、な、な、何だこれげほげほげふげほ」


 鼻水を垂らしながらおれが叫ぶと、


「え? 疲労回復薬だけど……」


 飛沫を全て空中でおれに向けて跳ね返したティオテトは、しれっとした口調でそう言った。


「ひ、疲労回復薬?」


「そう、色々あったしあんたも疲れているだろうと思ってね。

 ほら、他にも疲労回復パンに疲労回復サラダ、なんと疲労回復目玉焼きまであるぞ。

 うれしいだろ?」


 ティオテトの言葉に、思わず食卓を二度見する。

 見た目は本当に、ごくごくありふれたものだ。

 だが、ここに並んでいるのはもはや食事などではない。

 ただの地雷原である。


「…………」


 おれはフォークを置いた。

 広い世の中、地雷原でタップダンスする人間が一人くらい居てもいいが、それがおれである必要はない。


「ところで、せっかくあたしが作ってやったんだ。

 もし残すような真似をしたら、分かるよね?」


 どうやらダンスのご指名だ。

 ちくしょう。ばかやろう。

 

「……いただきます」


 そしておれはかつてない速さで食事を終えた。

 味わうことが出来ない以上、噛まずに飲み込むしかないので自然とスピードが上がったのだ。

 おかげで空腹は治まったが、少しも満足感は得られなかった。

 これほどやるせない食事は初めてである。ただただむなしい。


「……ごちそうさま」


 精魂尽き果てたおれが机に突っ伏していると、ティオテトが訊いてきた。


「どうだった?」


「……え、何が……?」


「疲労は回復したか? って訊いてんの」


「……したよ、しましたよ」


 それは本当だった。

 なにしろ一口食べるごとに身体の痛みが嘘のように薄れ、消え去っていくのだ。

 その瞬間的な効能は、文字通り魔法のようである。

 

 で、だからこそ怖くなる。

 元の世界でそんな薬を探そうと思ったら、そりゃもう別の意味で異世界トリップできるタイプのを見つけるしかないわけで、しかもここまでの即効性があるとは思えない。

 よろしいかよろしくないかで言えば確実によろしくないやつだろ、ティオテト薬。


「いや別に副作用とか無いから安心しなよ。あたしの薬は完璧だ」


 おれの内心の感想を察したようにティオテトが言うので、おれは、


「……味が完璧じゃないじゃん」

 

「まあ、それは認めよう。

 でもあんたは異世界人だし、味覚に違いがある可能性もあっただろ。

 ま、そんなこともなかったようだけど。

 でも、効能の方はきちんと出たようで良かった良かった」


 じつに楽しそうに言うティオテト。

 この先こいつから食べ物を渡されても絶対に口をつけないことをおれが固く誓っていると、

 

「……さて、じゃあとりあえず今日の予定の話でもするか。

 テル、あんたにはこのスケジュール通りに動いてもらう」


 そう言ってティオテトがテーブルの上になにやら紙を広げるのでのぞき込む。


『九時:洗濯。十時:掃除。十一時:昼食準備、十二時:昼食、十三時:勉強、十七時:夕食準備、十八時:夕食、十九時:勉強、二十六時:就寝』


 ……なんかシンプルなくせに色々と突っ込みどころが多いな。

 特に就寝が二十六時ってのはひどいだろ。

 だがとりあえず一番気になるのは、


「……えー……この、勉強ってのは?」


 おれがスケジュールの大半を占める予定についてたずねると、

 

「書いてある通りの意味だ」


 そう言って、ティオテトが本棚に指を振った。

 すると、書棚から一冊の本が浮かび上がり、おれの目の前にふんわり着地する。

 

「とりあえずこれを読んでみな」


 言うとおり、開いてみた。

 すると中は異世界言語でびっしり埋まっている。

 したがって、おれにはさっぱり分からないのだった。


「読めないよねえ、そりゃそうだ。

 あたしがあんたにかけてるのは、あくまで話し言葉の意味を伝える魔法だからね」


 ティオテトが言う。

 出会ったときに言っていた言語共通化魔法、というやつだろう。

 元の世界で使えたら翻訳者が全員失業すると思う。

 これが無かったらティオテトとはまるでコミュニケーションがとれなかったわけだ。

 便利な魔法があってよかったなあ。

 などと思っていると、


「……で、この魔法なんだけど、そのうち切るから」


「なんで!?」


 意味が分からないことをティオテトが言い出した。


「なんでって……この魔法、常駐させておくと魔力の消費が激しいからね。

 それで別にあたしの魔力が尽きたりはしないけど、無駄はなるべく省いておきたいんだよ」


「全然無駄じゃねえだろ!

 話できなくなるじゃねえか!」


「あんたがこっちの言葉を覚えればかけなくていい魔法なんだから、無駄だろ。

 ……なに、あたしも鬼じゃない。

 短期間でもすぐに身につく方法を教えてやるよ」


「え、そんなのあんの?」


「ああ」


 そう言ってティオテトはおれに杖を向けてきた。その先端がピカッと光る。


「……?」


 何か起きたようだが、何が変わったのか分からない。

 ティオテトの顔を見ていると、


「κπΩψΠ?」


 うわ。異世界語だ。

 どうやらティオテトのやつ、言語共通化魔法を解いたらしい。


「κπΩψΠ?」


 聞いた感じ同じことを言っているようだが、さっぱり意味が分からない。

 音の終わりが上がってる感じがするので、たぶん何か訊かれているんだろうが……。


「えー、えーと……」


 おれが答えられずまごついていると、


「…………」


 突如、ティオテトの杖の先から緑色の閃光が飛び出しておれに直撃した。

 びびびびび、と身体がしびれて床に倒れるおれ。


「あが、あががが……」


「麻痺魔法の味はどうだ?」


 頭上からティオテトの声が降ってくる。

 今度はおれにも理解できる言葉だった。


「こんな感じで、時々あたしが魔法を解いて質問をするからあんたはそれに答える。

 答えられなかったら痺れさせたり凍らせたり燃やしたりする。

 どうだ、これで必死になるだろう?」


「うががが……」


「そうかそうか。

 あんたも同意してくれたようでよかったよ。

 じゃ、その本あげるから。

 なるべく早く読めるようにしといてね」


 そしてティオテトは、倒れ伏すおれの背中に本を落として居間を出て行ったのだった。





***


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