第2話 魔女ティオテト

 ティオテトに続いて少し歩いたところ、急に目の前が開けた。

 木々に囲まれた空間。

 その中心に、家が一軒建っている。

 ティオテトがその家を指さし、


「あれ、あたしの家」


 木造りの壁と屋根。そこからにょっきりと生える煙突。

 いかにも童話か何かに出てきそうなログハウスといった佇まいである。

 

 ……正直、ちょっといい感じだと思ってしまった。

 湿った空気のせいか色が落ち込んでいるところがあるが、それも含めてなかなか趣深い。

 おれも将来はこういうところに住んで庭でロッキングチェアを揺らす生活がしたいかもしれない……などと現実逃避じみた思考をめぐらせてつつ歩いていると、入り口の前にたどり着いた。

 

 ティオテトが扉を開けて中に入っていく。

 おれもそれに続こうとしたところ、


 前方からいきなり杖の先端が飛んできた。

 

 避けられず、みぞおちにモロに入る。

 

「うぐぶげっ」


 うずくまって悶絶するおれに、あきれたような声が降ってきた。


「……あんた、そんなびしょ濡れで人の家に上がる気か?」


 いやお前が着替えくれるって言うから着いてきたんやろがい!

 と叫ぼうとしたが、肺が圧迫されて「いハッ……こヒュっ……」という感じになった。

 百歩譲っておれが悪いとして、暴力に頼らずとも口で言ってくれればよいではないか。

 などと恨みを籠めてティオテトを見たが、

 

「ちょっとそこで待ってな」


 ティオテトはおれの視線など全く無視して扉の向こうに消えてしまう。

 そして、しばらくするとなにやら布の塊を抱えて戻って来た。


「ほら。これで体を拭きな。

 濡れた服は脱いで。で、こっちの服に着替えて。

 全部終わったら入って来ていいよ」


 そう言って、扉の向こうに消えていく。

 理不尽な暴力を受けたことに憤ればいいのやら。

 それとも着替えをくれたことに感謝すればいいのやら。

 釈然としない気持ちを抱きつつ、体を拭いて服に袖を通していく。

 

 準備が整ったところで、扉をノックした。

 

「……着替え終わったよ」


「ちゃんと拭いたか?

 足の裏とか、首の後ろとか」


「ああ」


「なら入ってよし」


 促されて中に入る。

 整然と物の片付けられた室内。

 その中央に置かれたテーブルで、ティオテトがおれをまじまじと見ていた。


「ふーん……。

 なかなか似合うじゃないか、その服」


「……はあ、どうも」


 褒められるが、特にうれしいという気持ちはない。

 なにしろ、おれがティオテトにもらったのは、地味な色のズボン。地味な色のチュニック。

 簡単に言えば『村人A』コーデである。

 こんなの似合わないほうがある種問題があるだろうし、似合ったからといって特にすごくもえらくもないだろう。

 

「ま、とりあえずそこにかけな」


 ティオテトにうながされて、目の前の椅子に腰を下ろす。

 

「……さて。

 約束通り、これからあんたを馬車馬のようにこき使ってやろうと思ってるわけだけど」


 いきなり本題に入ってきやがった。

 ……なんとか回避できないだろうかと思い、おれはとぼけることにした。


「……そんな約束したかなあ。

 最近ものおぼえが悪くてどうも……」


「ふーん。やっぱりもう一回沈むか?

 もしかしたらショックで思い出すかもしれないし」


「ごめんなさい、覚えてます」


 おれが頭を下げると、ティオテトはやれやれと首を振り、


「諦めな。

 素直にあたしの言うことを聞くしかあんたに選択肢は無いんだ。

 ……けれどテル、その前にいくつか訊いておきたいことがある」


「?」


 顔を上げる。

 すると、ティオテトは妙に真剣な表情でおれを見ていた。


「単刀直入に訊くけど。

 テル、あんたどうして、あんなところで溺れてたの?」


「……どうして……って言われてもなあ。

 普通に足を滑らせて落ちただけというか」


「ああ、訊き方が悪かったね。

 あたしが訊きたいのは、そもそもどうやってこの森に入ったのかってこと」


 それはむしろおれの方が教えてほしいことである。

 なんで自分がここにいるのか、さっぱりわからないのだ。

 おれは首を振りつつ、


「いや……入ったつもりとか無いぞ。

 気付いたらもう森の中にいたんだよ」


「ふうん……?」


 ティオテトが首を傾げ、疑わしげな目線でおれを見る。


「……なんだよ。嘘はついてないぞ」


「……この森さあ、あたしが見つけた最高の住処なんだよね。

 なんでだか分かるか?」


「いや……知らんわ」


 おれが考える素振りも無く即答すると、ティオテトが言う。


「ここは、”穴の底”なんだよ」


「穴?」


 意味がよく分からない。


「そう、穴。

 この森は四方八方を崖に囲まれているんだ。

 普通の人間じゃ入ってこられないんだよ」


「……は?」

 

 何言ってんだこいつ、と思った直後。

 滝壺に落ちる前の景色を思い出した。

 一面に広がる森と、それを囲む断崖絶壁……。

 およそ人が住むには適していないと思われる環境。

 

「……何でこんなとこに住んでんだよ……」

 

 おれが思わず訊くと、ティオテトは窓の外を見る。


「誰も来ないからだよ。

 あたしはなるべく静かに暮らしたいんだよね」


 だからと言ってこんな陰気な場所に住んでしまうのは、少し思い切りが良すぎはしないだろうか。

 ハイレベルな引きこもりもいるものだ……。

 

「そんなことより」

 

 と、ティオテトは椅子に深く掛け直し、腕を組む。

 

「要するにあたしが知りたいのは、そういう誰も近付かない場所にどうしてあんたが居て、どうしてあたしに助けられる事態になったのか、そのわけだよ。

 あんたが手練れの魔術師って言うならまた別だけど、どう見てもそんな感じじゃないしね。

 ……実際のところ、あんたは何者なんだい?」


 水色の瞳に射抜かれながら、おれは考えた。

 『何者か』などと訊かれても、とっさに答えるのはけっこう難しい。

 おれとしてはただの学生のつもりなのだが、ティオテトが求めているのはそういう答えじゃないだろう。

 じつのところ、おれには自分の置かれたポジションをどう称するか、一つだけ思い当たる単語があった。

 

「……おれは多分、この世界とは別の世界から来た……異世界人だと思う」

 

 突飛な発想かもしれないという自覚はある。

 だが、事実としてここには魔法が存在し、それを目の前で見せつけられ……そしてもちろん、おれのいた世界に魔法など存在しないのだ。

 ならば自分が今いるこの場所は、別の世界としか考えるのが適当ではないだろうか。

 その場合、おれの身分はまさしく『異世界人』としか名乗りようがないのである。

 

「……ふーん……」


 正直笑い飛ばされるかとも思って出した答え。

 それを聞いたティオテトは、


「……異世界、ねえ。

 なかなかとんでもない話が出て来たな。

 あたしが劇作家なら喜んで飛びついたかも」

 

「……それってやっぱ、嘘っぽく聞こえるってことか?」


 仕方がないことではある。

 逆の立場でそんなことを言われたら、おれだってあやしむ。


「内容はそうだね。

 ……けど、あたしは案外本当なんじゃないかと思ってるよ」


 だからおれは、ティオテトのその言葉に驚いた。

 

「……え、信じてくれるのか?」


「ああ。理由は三つある。

 まず一つはさっきも言ったけどこの環境。

 あんたは結局、あたしが助けてなかったら死んでる程度の存在だからね。

 下手に外から入ってきてここまで来たなんて言われるより、最初からこの辺に『現れた』って言われた方がよっぽど納得できる。

 ……そして二つ目は『魔力』だ」

 

「魔力?」

 

「そう……見てな」


 ティオテトはおもむろに机の上の水差しを手にする。

 その瞬間である。

 水差しの中身が一瞬で凍りついた。


「……!」


「ほら」


 おれはティオテトが差し出してきた水差しを恐る恐る受け取る。

 指先にひやりと冷たい感触。

 逆さにして振ってみたが、水滴の一つも落ちてこない。

 たしかにあの一瞬で水が氷になったのだ。

 

「……すげえ……」

 

「魔法とは、簡単に言うと魔力を使って世界に干渉し、数多の現象を起こす技術。

 そして、魔力はに生きる命全てが持っているものだ」

 

 『この世界』とわざわざ強調する言い方から、おれはティオテトの言わんとすることを理解した。

 

「ああ、なるほど……。

 つまりおれの場合、その魔力が全く無いってことか?」

 

「そういうこと。

 人間は多かれ少なかれ、誰だって魔力を持っている。

 だが、出会った時から一貫してあんたには全く魔力を感じない。

 正直に言うと、あんたを助けたのはそれが気になったからだ」

 

 ……それはつまり気になっていなかったら普通に見捨てられていたという意味だろうか。

 気になって仕方が無いが、恐ろしくて掘り下げる勇気が湧いてこない。

 黙ってティオテトの話を聞くことにする。

 

「魔力が無いこと自体には、全く例が無いわけじゃない。

 たとえば、生まれたばかりの赤ん坊は生命として未熟で、魔力を持たない。

 でも、生きていく内に必ず魔力を宿すようになる。

 自然に宿る魔力から影響を受けるんだよ。

 資質によって大小はあるが、あんたくらいの歳で魔力を全く持たないなんてことは基本的にあり得ないんだ。

 そうすると『別の世界の人間だから』って理由は、あたし的にはけっこうしっくり来ちゃうんだよね」


「なるほど……」


 聞く限り、ティオテトの説明には矛盾はないように聞こえた。


(……なんか、思ってたよりスムーズに話が進むな)

 

 思えば死にかけたところを助けてもらったり、突飛な話にも理解を示してくれたり、ティオテトに会えたのってけっこう幸運?

 ……などと考えたおれは当然、甘かった。

 

「よし。

 ……じゃ、これで心置きなく言うことを聞いてもらえるな」

 

 ティオテトが笑う。

 おれ固まる。


「……えーと。

 結局おれは何をやらされるわけ?」


「簡単なことだ。

 あんたにはこのままあたしの家に住んでもらう」


「え……えーと、それは……どういう意図で」

 

「見ての通りあたしは一人暮らしだが、それでも面倒な家事が山ほどあるんだ。

 料理や洗濯や掃除とかね。

 それをあんたにやってもらうことにする」


 ……つまり、雑用係ということだろうか。

 まあ、命を救われた借りを返すと考えれば、そのくらいやらないこともないのだが。

 などと思っていると、ティオテトがさらに言葉を続ける。

 

「……それに魔力を持たないでここまで成長した人間って見たこと無いし。

 しかも異世界人と来れば、面白い研究対象だ」

 

「け、研究対象?」 


 こんな陰気な場所に住んでるやつ、しかも魔女の研究なんて絶対ろくなもんじゃねえだろ。

 命に関わるタイプの研究じゃねえのか。


 おれが思わず顔をしかめると、それを見たティオテトが杖を持ち上げ、

 

「滝壺に……」

 

「分かった! やる! やります!」


 恐ろしいなこいつ!

 おれが恐怖に屈すると、ティオテトは杖を下げ、

  

「……あんた、元の世界に帰りたいんでしょ?」

 

「もちろん」

 

 おれは即答した。

 魔法という超常現象。

 それが存在する異世界。

 正直、興味が無いと言えば嘘になる。

 が、だからと言って帰らないという選択肢は無い。 


 文明の利器に囲まれていない生活とか考えられん。

 それにおれには家族もいるし仲のいい友達もいる。

 帰らないと色んな人に迷惑をかけることになる。

 

「あたしは、どうやってあんたがこの世界に来たのかにとても興味がある。

 だからあんたを手元に置くのさ。

 それに、あんた一人じゃ帰り方なんて絶対調べられないだろ?

 魔法も使えないのに」

 

「手伝ってくれるのか?」 

 

「働き次第だな。

 追い出すのは簡単だからね」

 

 そう言って、ティオテトはおれに向けて細い腕を差し出した。

 

「というわけで、改めてよろしく、テル」


「……よろしく」

 

 おれはその手を握り返した。 

 そこでふと、先程の会話で疑問に思っていたことを口にする。

 

「……そういや、おれを信じてくれる三つ目の理由って?」


「ああ、それは簡単だよ。

 あんたが人を騙せるほど賢そうに見えないからさ」 

 

「…………あ、そっすか…………」

 

 こうして、おれの異世界生活が幕を開けたのである。





***


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