異世界に来たらロリ魔女にこき使われる羽目になったので早く帰りたい。

雨後野 たけのこ

第1話 命の恩人に脅迫されています

 森の中である。

 うっそうとしげる木々、草の匂い。

 遠くで鳥のさえずり声なども聞こえてくる。

 

(なんだこれ)


 ありえない光景が展開されている。

 さっきまで教室で授業受けてたのに、なんでちょっと瞬きをしたらこんなところにいるのだろうか。

 夢かと思って頬をつねってみるも普通に痛い。つねり損である。

 

「おーーーーい!!

 誰かいたら返事をしてくれーーっ!!」


 とりあえず叫んでみるも、返事が返ってくる様子はない。

 

「…………うおおう…………」


 頭を抱える。

 人生で一度も遭遇したことのないレベルの異常事態であることは間違いなかった。

 

「落ち着け。

 ……ええと、遭難した時は、動き回らず助けを待つのがいいんだったか……?」

 

 しかしそれは、救助のあてがあるからそうするのだ、というマニュアルな気がする。

 今回の場合、おれがここにいることは誰も知らない。

 ということは、いくら待っても救助なんて来るはずがないのだ。

  

「そうすると普通に、森から出る方法を探すしかないのか……」


 おれは歩き始めた。

 足を進めている最中も、やみくも、だとか無計画、だとか、そういう単語がずっと頭をぐるぐるしている。

 

 これで、いいのだろうか。

 おれはもっと慎重に考えてみるべきだったのではないだろうか。

 

 そんなことを考えながら歩いていたものだから、おれはうっかり足をもつれさせて転んでしまった。

 

「うわっ」


 まずかったのは、その先にあったのが地面では無かったことだ。

 

 おれの目の前に広がっていたのは、川だった。

 

 ザッバアン!


 派手な水音。

 大袈裟な水しぶき。

 そして次の瞬間、おれの全身に冷たさが襲い掛かる。


「ゴボッ!?」


 息をしようとすれば、空気の代わりに水が入って来る。

 おれは慌てて周りの水を掻き、水面を目指して浮上を始めた。


「ぶはあっ!」


 何とか水面に顔を出す。


「ふがっ……」


 そしてすぐに沈む。

 かなりの急流である。

 自由に身体を動かすのはとても無理だ。


「ごぼっ、ごぼっ……」


 激しく流れる水。

 果敢に逆らうおれ。

 しかし無駄な抵抗。

 上下感覚めちゃくちゃ。


「……ふはああっ!!」


 次に息継ぎが出来たのは、ほとんど無呼吸の限界を迎えたタイミングだった。

 やばい。やばすぎる。

 このままじゃ確実に溺れて死ぬ。


(イチかバチかだが…………こうだ!)


 ……そこでおれは、敢えて泳ぐのをやめた。

 この状況で流れに逆らうのは無理な話だ。

 むしろ流されるままになって顔だけ水面に出しておけば、呼吸だけは確保できる。


「……ごぼぉっ! ごぼぼっ!」


 ……確保できなかった。

 川の勢いが強すぎたのである。

 考えが甘かった。

 それで何とかなるなら誰も溺れたりしないのだ。

 

 上へ、下へ、右へ、左へ。

 

 荒れ狂う無規則な流れにしたがって、おれの身体は浮き沈みを繰り返す。

 そのたびに生死の境をさまよいながら、おれはひたすら下流へと流されていった。


(お、おれ……このまま死ぬのかな)


 だんだんもうろうとしてくる意識の中、ふっとそんなことを考えた。

 

 終わりが訪れたのは、その時だった。


「!?」


 突然、ふっ、と周囲の水の感覚が消えた。

 水しぶきが顔に掛かり、肌を冷たい風が撫でる。

 おそるおそるまぶたを開く。

 その時、おれの目に映ったもの。

 

 どこまでも広がる森。

 その森をぐるりと囲むような断崖絶壁。

 ……そして、はるか下でごうごうと音を立てる滝壺。

 

 それが、おれが見たものの全て。

 急流の勢いで空中に投げ出されたのだ、と分かった瞬間。

 

「ははっ」


 おれは思わず笑ってしまった。


「嘘だろおい」


 数秒後、派手な着水音が響き渡ると同時に、おれは意識を失った。



 

***



 腹部へのものすごい衝撃とともに、おれは目を覚ました。

 

 そして、その衝撃はすぐに全身にフィードバックされる。

 結果、まず嘔吐感と息苦しさが湧きあがり、続けてそれらを実体化させたやや上品ではない液体がこみ上げて口から全部飛び出した。


「ゲホォッ!! グボボボッ!! ゲッホォーーーーーッ!!!!!!」


 泥混じりのゲロ、淡、涙と鼻水、その他あらゆる生理的な液体をまき散らし、えずく。

 死んだほうがマシだと思えるほどのめちゃくちゃな苦しさである。


「はあ、はあ…………………………うえっ……」


 しばらくのたうち回って、ようやく呼吸が落ち着いてきた。

 重いまぶたを少しずつ開けると、木々の切れ間から青い空が見える。


 ここに来てようやく、おや? と疑問が湧いてきた。

 

(おれ、溺れ死んだんじゃなかったのか?)


 それがなぜか、今は地面に仰向けに転がって空を見上げている。

 ボロボロの状態であるが、とにかく生きてはいる。

 どういうことだろうと頭を左右に振ってみる。

 

 左手には滝壺が見えた。

 おそらくは先ほどおれが落ちた場所だろう。

 注ぎ込む流水の高さはゆうに20メートルはあり、それが勢いよく流れ込んでいる。

 あんなところに落ちてよく無事でいられたものだ……と思うと同時に恐ろしくなり、視線を外して今度は右手を向く。


 すると、

 

「…………」

 

 そこに一人の少女が立っていた。

 年は12くらいで幼いが、目鼻立ちのはっきりしたかなりの美少女である。

 

 が、


(……なんだこの髪の色。なんだこの格好)


 その容姿がじつに奇天烈だった。

 髪は黒や茶ではなく、翡翠(エメラルド)と呼ぶのがふさわしい色合い。

 また、着ている服は膝の裏まで届くようなローブ。

 さらにはその右手に、自分の身長よりも長い木の杖を持っていた。

 奇妙極まりない外観であり、服装というより仮装といったほうがしっくりくる。

 

 そういう人間が側に立って自分を見下ろしているというのは、たとえ幼い少女であっても正直かなりの恐怖を感じさせる。


 どうしようか、と思っていると、少女が口を開いた。


「ΨξΩψΠ」


 ただし、その言葉がまるで分からなかった。


「……え、何だって?」

 

「ζΦΞ、Σψψλπ?」


「……???」


 さっぱり分からない。

 単語にまるで聞き覚えがないのだ。

 日本語でないのはすぐ分かったが、英語とか、フランス語とか、中国語とか、そういうメジャーな言語でもないように思える。


 と、おれが頭に疑問符を浮かべまくっていると、


「……チッ」


 なんと少女は舌打ちをしておれをにらんでくるではないか。

 どうも言葉が分からないおれにいらついている様子である。

 そんな顔をされたって、おれのほうも困ってしまう。

 分かる言葉で話してくれないかなあ。

 

「…………」


 そう思っていると、少女が不機嫌そうな顔のまま、持っていた杖の先端をおれに向けてきた。

 何をする気なのか、とおれがビビっていると、


「っ!?」


 急に、杖の先端が光を放った。

 そのまぶしさに思わず目を閉じてしまう。

 しばらくして光が収まったようなのでまぶたを開くと、そこには相変わらず不機嫌そうな少女の顔。

 そして、少女が再び口を開く。


「あたしの言っていることが分かるか?」


 突然、流暢な日本語が聞こえてきておれは驚愕した。


「え、は、え!?」

 

「言語共通化魔法をかけた。

 あたしの言葉はあんたの言語に、あんたの言葉はあたしの言語になって互いの耳に入る。

 だからあたしの言葉が理解できるはずだ」

 

「えっ、分かるけど、えっ、何、言語共通化……魔法?」


 言葉の意味は分かる。

 言語を、共通化する、魔法。

 少女はたしかにそう言った。


(…………魔法!?)

 

 ただし、言っている内容は荒唐無稽である。

 魔法などと言われても、急に頭には入ってこない。

 おれが困惑しまくっていると、少女はふうと息を吐いた。

 

「……まあ、そんなことは今どうでもいい。

 とりあえず立ちな。

 いつまで寝転がってるつもりだ」

 

 そう言われておれが素直に立ち上がったのは、少女の物言いがずいぶんと居丈高で圧を感じさせるものだったからである。

 要するに、ビビったのだ。


「うわ、きたないなあ」

   

 そして、立ち上がったおれの姿を見た少女の言葉がこれである。 

 見下ろしてみるとたしかに、川に落ちてびしょびしょになったあげく、地面の上を転がり回ったおれの全身は泥まみれになっていた。

 じつに嫌そうに顔をしかめた少女が、

 

「あんた、そこで動かないで立ってろ。

 今、洗ってやるから」


「? 洗うって……」

 

 まさかそこにある滝壺にたたき落とすつもりじゃあるまいな、と思った瞬間。

 

 少女の持つ杖の先端から勢いよく水流が噴き出しておれの顔面に直撃した。

 

「ぶはっっっっっっ!?!?!?!?」

 

 もはや暴力と言ってもいい勢いの水流がおれの顔から髪、髪から首、肩……というようにどんどん移動し、汚れを洗い流していく。

 それは痛みすら感じるほどであったが、しかしおれの頭は目の前の謎現象のことでいっぱいであった。


(なんだその杖!?)


 あんな木の杖から水が出ることなんてあり得ない。

 ましてや、その水流がまるで生きているかのように身をくねり、よじり、正確におれの全身を狙い撃ちすることなど。

 

「……よし、こんなもんだろ」

  

 結局、呆然としている間におれは丸洗いされてしまっていた。

 

「綺麗になったな。

 あんたも嬉しいだろう。

 感謝してくれていいよ」


「……あ、ありがとうございます」


 おれはここも素直に少女の言葉にしたがった。

 実際、ずぶ濡れとはいえ汚れは完全に落ちたし。

 

 ……少女が杖の先端をおれに向け続けてるし。

 

(……なんなんだこいつは!?)


 見た目に対して態度がでかすぎる。

 しかもさっきからよくわからん超常現象を起こしまくりである。

 

「あの、ちょっと訊きたいんだけど。君はいったい……」

 

「待った」

 

 と、おれが少女の正体を訊こうとした瞬間、少女が手を挙げてそれを制止した。


「感謝が一つ足りないぞ」

 

「は?」


「足りないんだよ。

 今のは服を洗ってやったぶんだから。

 もう一つ、あんたの命を助けてやったことへの感謝をまだ貰ってない」

 

「へ? ……あ、ああ。

 それもありがとう、ございます……」


 ……言われたことにちょっと面食らったが、まあこの状況で溺れてるおれを助けてくれたのはこの少女以外にはあり得ないだろう。

 そうすると命の恩人ということになるし、追加で頭を下げることに特に抵抗はない。こんな頭で良ければ何個でも用意できる。


 しかし。


「それだけか?」 


 顔を上げると、少女はまたも不機嫌そうな顔でおれを見ていた。

 

「……それだけ……とは?」


 意味が分からず、おうむ返しのように言葉を返す。

 すると少女はため息をついて、

 

「あたしが助けてやらなかったらあんたは死んでた。

 ……ということはだ。

 あんたは、あたしに一生分の借りを作ったってことになる。

 それなら『助けてもらったお礼に何でも言うことを聞きます』って言うのが筋だよね?」

 

「……………………え、いや、それは」

 

 ずいぶんとまあ、極端な意見が飛び出したものである。

 これは、そういう話なのだろうか。

 目の前の少女が命の恩人であることは確かだが、だからと言って何でも言う通りに出来る、ということになるわけがないと思うが……。


「……………………」


 どう答えればいいのか分からなくなったおれを少女はしばらく見つめていたが、やがて視線をそらした。


「……なるほど。

 まあ、嫌なら仕方ないか。

 無理強いはできないしね」

 

 その言葉におれが安堵しかけたのも束の間。

 少女はおれに杖を向けた。


 

「――じゃあ、あたしがあんたを助けたことも無かったことにしよう」


 

 直後、身体が金縛りにあったように動かなくなる。

 

「!?」


 そのままおれの身体がふわりと浮き上がる。

 全く自由が効かず、指一本も動かせない。

 その状態で、ふわふわと岸から離れて滝壺の方に運ばれていく。

 そしてゆっくりと、水面に向けて高度を下げていった。


「もう一度沈めてあげるから、おぼれてるところからやり直すんだね。

 今度は助けてあげないけど」

 

「えっ、ちょっ、ま、やめ、やめてくれーーっ!!」


 必死で声を絞り出した瞬間。

 おれの体は水面スレスレのところでピタリと止まった。

 

「はい、やめたよ」


 少女が言う。

 

「……で、あたしはあんたの言うことを聞いてやったわけだけど。

 あんたはどうするの?」


 この状況でおれの言えることは一つだった。

 

「た、助けてもらったお礼に何でも言うことを聞きます……」




***



  

 岸に戻されたおれは動悸が止まらない。

 

 立て続けに起きた超常現象――いや、『魔法』。

 どう見ても腕力がなさそうなこの少女がおれを助けられたのも、魔法によるものなのだろう。

 そうするとこの少女は魔法使い、と言うべき存在ということになるわけで。

 しかしおれの生きる現実にそんなもんがあるわけないわけで。


(……これ、本当に夢じゃねえのかよぉ……)


 と、わけが分からなくて泣きそうになるおれに、

 

「おい」


 ついさっきファンタジックな脅迫をしかけてきた少女が声をかけてくる。

 

「あんた、名前は?」


「……時村照」


 もはやなされるがまま。

 そんな気分になっていたおれは素直に答える。


「トキムラテル?

 語呂が悪いな、呼びにくい」

 

「いやそんなひと続きのイントネーションではなくて……。

 時村が苗字で照が名前……」

 

「テル。

 なるほど、呼びやすいじゃないか。ペットみたいで」

 

 ストレートに失礼なひと言の後、少女はおれを見る。

 

「テル、あんたには色々聞きたいことがあるが……」


 と、そこで少女は言葉を切っておれを見た。

 いまだびしょ濡れで身体中から水滴を滴らせている、おれの姿を。

 

「……まずは着替えを用意してあげる。

 風邪を引かれても面倒だ。

 とりあえず、あたしについてきな」

 

 そう言って、少女はおれに背中を向ける。

 そのままスタスタと歩いて行ってしまう……かと思いきや、途中で立ち止まった。

 そしてクルリと振り返り、クスリともせずにこう言った。

 

「あたしはティオテトだ。

 これからよろしくね」






***


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