第5話

  イヴァンカは馬車に乗って北部の森を目指していた。


 鬱蒼とした森の中に入ると降りて徒歩で目的地に向かう。ステラとイラリア、アレクシス、ユーリ、ゾーイも一緒だ。

 六人で北部の森の最新部まで歩き続けた。入り口から入って半日で道の中頃まで来たようだった。もう、夕方になったので今夜は野宿になった。

 ユーリとゾーイ、アレクシスが寝ずの番を交代ですると決めてそれから野営をする事になる。


「……イヴァンカ。とりあえず、今日は森の中で野営だ。そのつもりでいろよ」


 ユーリが言うとイヴァンカは頷いた。ステラとイラリアはイヴァンカの近くで荷物の整理をしている。ゾーイとアレクシスは焚き木や枯葉を拾いに森の少し奥に入っていた。

 その後、ゾーイとアレクシスが拾ってきた焚き木や枯葉などに精霊術で火をつけた。その焚き火に鍋をかけて雑穀類と干し肉、塩やコショウなどの調味料を入れてスープを作る。乾パンも出して今夜の夕食にした。


「ステラさん。このスープ、案外いけますね」


「案外は失礼でしょ。でも美味しいわ」


「うん。乾パンを浸したら柔らかくなるから。食べやすいかも」


 イヴァンカはそう言って乾パンをスープに浸した。本当に食べやすくなる。ステラとイラリアも見よう見まねでやってみた。なるほど、イヴァンカの言う通りだと二人とも納得する。その後は三人は男性陣の視線もなんのそのでスープと乾パンを完食した。


 イヴァンカはステラに敷いてもらった毛布の上に寝転がった。一枚だけではなく三枚くらい敷いて掛け布団代わりに外套を掛けてからだが。瞼を閉じてうとうとする。パチパチと焚き火の弾ける音と梟(ふくろう)の鳴き声、人の息遣いしか聞こえない。静かな夜だ。ユーリがイヴァンカを心配そうに見ていたのには気づかなかった。



 翌朝、イヴァンカはイラリアに起こされた。既にユーリ達男性陣は起きていて火の後始末をしていた。


「イヴァンカちゃん。起きて。この近くに小川があるから。歯磨きと洗顔をしてきてちょうだい」


「……わかりました。ふわあ」


 イヴァンカはあくびをしながら起き上がった。ステラが気を使ってくれたおかげで地面の上であっても何とか眠れた。イヴァンカはむくっと立ち上がるとイラリアが手渡してきた洗面セットを受け取る。指差された方を目指して歩く。少し経って本当に小川にたどり着いた。鉄製のコップを浸して水を汲む。それで口をゆすいだ。歯磨きを一通りしてもう一度口をゆすぐ。コップと歯磨き粉や歯ブラシを脇に置いてから両手を使って顔を洗う。かなり冷たい水で途端に眠気が吹き飛んだ。何度かして首にかけておいたタオルで水気を拭った。


「……ふう。すっきりした」


 イヴァンカはそう言ってから洗面セットを持って皆のいる場所に戻った。


「あ。イヴァンカちゃん。洗顔は終わったのね。じゃあ、皆準備はできているから。出発しようとアレクシスさんが言ってるわ」


「そうなんですか。わかりました」


 頷いてイラリアから自分の荷物を受け取る。こうして森への潜入二日目が始まったのだった。



 イヴァンカは黙々と歩き、奥へ奥へと仲間達と向かう。一番前をアレクシスが行き、二番目にゾーイ、次にユーリ、その後ろにステラとイラリア、最後尾にイヴァンカがいた。アレクシスが鉈で草を薙ぎ払い、道を作っていく。ゾーイ以下がそれに続いた。日は既に高く昼間になっている。今は秋とはいえ、それでも動くとじわりと汗をかく。そんな中でアレクシスはある物を見つけた。何かがキラリと光ったのだ。


「……ん。何だ、あれは」


「どうかしましたか?」


 ゾーイが問うとアレクシスは足を止めた。後ろにいる皆もどうしたのかと歩みを止める。


「あれは。湖じゃないか?」


 アレクシスはそう言って鉈で正面に見えるものを指した。ゾーイが目を凝らすと確かに湖らしき物がある。キラリと光ったのは湖面が日光を反射したせいのようだ。

 イヴァンカもそれを見て確かにと納得した。不意に頭の中で声が響いた。


『……この湖に何用か?』


 落ち着いた威厳のある女性の声だった。イヴァンカはそれを聞いてなんとなく一人で湖に近づいた。が、ステラが彼女の腕を掴んだ。


「イヴァンカちゃん。危ないから。不用意に行くもんじゃないわ」


「でも。呼ばれてる気がして」


 ステラが驚いて腕を離してしまう。その間にもイヴァンカはふらふらと湖に近づいた。そのまま、湖面を覗き込める所まで近づく。あっという間に行ってしまったものだからアレクシス達も慌ててイヴァンカの近くまで行った。


「……あなたは。ここの湖の主ですか?」


『いかにも。妾(わらわ)はこの湖の主。そして人からは花の精霊王と呼ばれておる』


「え。あなたが花の精霊王なんですか」


 するとしばしの沈黙がおりる。湖面が波立ち、ぼうっと白い光の球が浮いていた。それは眩く輝く。あまりの眩しさに目を閉じていたら頬にひんやりとした何かが当てられた。驚いて目を開けると薄い桃色の髪に琥珀色の瞳のこの世のものとは思えない美女がいた。この美女がイヴァンカの頬を両手で包み込んでいる。


『……そなた。イレーヌによく似ておる。血のつながりがあるようじゃな』


「母さんに会った事があるんですか?!」


『ある。イレーヌは元は妾の眷属の花の精霊じゃった。高位精霊であった。あの子はある時に人のおのこと恋仲になっての。その後、生まれたのがそなたじゃった』


 イヴァンカは驚きのあまり、次の言葉が出なかった。まさか、自分が半精霊の身であったとは。花の精霊王はにっこりと笑った。


『イレーヌの子よ。名を聞かせておくれ』


「イヴァンカです」


『イヴァンカと申すか。それでそなた。妾に願い事でもあるのかや?』


 イヴァンカはきたと思った。深呼吸をして答える。


「はい。花の精霊王様。私は呪い持ちの身でして。これを解く方法を聞きたくて。それで来ました」


『……ふむ。そなた、確かに呪いを持っているようじゃな。これは火の精霊王の仕業じゃ。妾が今から光の精霊王と水の精霊王を呼ぶ故。このお二方に解いてもらうと良い』


 花の精霊王はそう言うと不思議な呪文を唱えた。そしたら黄金の光と水色の光が瞬時に浮かび上がり人の姿になる。


『花の。お呼びと聞いて来たが。どうかしたのか?』


『光の。こちらの娘が火の呪いを解きたいそうでの。ちなみにかけおったのは精霊王じゃ。妾だけでは難しいから呼んだのじゃが』


 黄金の髪と瞳の美青年がふむと唸る。水色の髪と瞳の少女も確かにと頷いた。


『……本当に花のだけでは難しいわね。あなた、火のにすごく気に入られてるわ。だから、呪いをもらっちゃったのよ』


 水色の髪と瞳の少女は水の精霊王だと名乗る。黄金の髪と瞳の美青年も光の精霊王だと名乗った。


「あの。精霊王様方。私は呪いを解いていただいたらもうこの森には足を踏み入れません。それは約束致します」


『別に気にせずともよい。妾はそなたを気に入った。イレーヌの頼みもあるから。呪いを解いてしんぜよう』


 花の精霊王は笑みを深めると光と水の精霊王に視線で合図を送る。すると、二柱は目を閉じた。黙って意識を集中させる。途端に光の精霊王と水の精霊王、花の精霊王の周囲は黄金の光、水色の光、薄桃色の光に満ちた。イヴァンカが三色が混じった薄紫に黄金の眩い光に包まれる。


『……かの者の名はイヴァンカ。今、我らが呪いを解かむ!』


 三柱の声が重なった。イヴァンカはあまりの眩しさと霊力のせめぎ合いに意識を失った--。



 美しい女性の歌声が聞こえる。それは聞いたことのない音色と言葉だったが。それが耳に身体中に染み込むたび、イヴァンカの不調や長年の足のじくじくとした痛みも薄れていく。


 --そは汝の願いぞ。澄み切った心は汝の姿。汝の望みは我の喜び。我の喜びは汝の喜び--


 イヴァンカの中にいる誰かが一緒に歌う。イヴァンカもつられて歌い出す。最初は一人だけだったのが二人、三人と増えていった。そして三人で先ほどの言葉で合唱する。イヴァンカの中の痛みは気がつけば、全て無くなっていた--。



「……イヴァンカちゃん、イヴァンカちゃん!」


 身体を揺さぶられて瞼を開けると。そこは湖の畔だった。


「あれ。ステラさん。それにイラリアさん。私、どうしてたんですか?」


「どうしてたって。いきなり、畔に近づいて動かなくなったと思ったら。花の精霊王様が現れて。光の精霊王様や水の精霊王様も現れたの。そしてあなたが光に包まれたと思ったら花の精霊王様が歌い始めて……」


「え。さっき、私も一緒に歌ったような。あれが花の歌……?」


「……だと思うわ。ユーリ君とゾーイ君。アレクシスさんはあっちにいるから」


 どうして三人は近づいてこないのだろう。不思議に思っているとステラが苦笑いする。


「三人は男だから入れないのよ。花の精霊王様が「ここは男子禁制じゃ!」って怒ってしまわれて。あそこには結界があって。あれ以上は入れないんですって」


「そうなんですか。だから三人とも困った顔をしているんですね」


「そうなのよ。けどすごく花の歌って綺麗な歌だったわね」


「はい。あれ、身体が軽い」


「……イヴァンカちゃん?」


 不思議そうにするステラには答えずにイヴァンカはそっとスカートの裾を膝まで上げた。そこには醜い痣があるはずだった。

 が、綺麗な白い肌がむき出しになっているだけでひどく驚いてしまう。


「……痣がない!」


「え。イヴァンカちゃんの足の痣、無いの?!」


「はい!もしかして精霊王様の術と歌のおかげ……?」


 そう呟くと再びあの声が頭の中に響いた。


『そうじゃぞえ。イヴァンカ、水の魔石は受け取ったからの。その礼とお主の頑張りに対しての褒美じゃ。ユーリと幸せにの』


 花の精霊王はそう言う。ふつりと強力な霊力は無くなった。イヴァンカはユーリの名前が出てきた事に驚きながらもイラリアとステラに声をかけた。そして結界の外で待つユーリ達の元に急いだのだった。



 その後、イヴァンカは北部の森を二日かけて出た。アンドラに花の精霊王に会えた事や呪いが解けた事を報告する。が、母の事については言わなかった。アンドラやカルダに迷惑をかけるし自分が王家に目をつけられる恐れがあったからだ。それで敢えて言わなかったのだが。

 イヴァンカは改めてユーリに長年の想いを告げられた。照れながらもイヴァンカは彼の想いを受け入れた。侯爵はイヴァンカがユーリと恋仲になった事を口惜しがった。けれどカルダとアンドラの説得でイヴァンカとユーリの仲を渋々認めたのだった。


 後にイヴァンカは高名な精霊術師となり術師団の団長になる。夫のユーリも騎士団の副団長にまで出世し、二人は終生仲が良かったという。二人の間には二人の娘と一人の息子が生まれた。五人で賑やかな家庭を築いてイヴァンカはたくさんの孫にも恵まれる。そして長生きしたと歴史書には伝えてある--。

 ー完ー

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花の歌は少女に奏でられる 入江 涼子 @irie05

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