りすまるさんがいなくなった
皐月あやめ
りすまるさんがいなくなった
何の前触れもなかった。
毎週月曜の夜に遊んでいた「りすまるさん」が、集合時間に顔を出さなくなった。最初は「きっと寝落ちだろう、珍しいね」と、通話していた皆で笑って解散になった。
私たちはオンライン上で遊ぶネットゲーム仲間だ。仲間には社会人が多い。仕事が忙しかった日などは寝落ち、つまり予定の時刻を寝過ごしてしまうのもままあることだ。その日はキャンセルにして翌週に回すことも珍しくなかった。「からだだいじに」が私たちの合言葉なのだ。
しかし次の週になっても、りすまるさんからは何のアクションもなかった。
私たちが遊んでいるTRPGというゲームには「シナリオ」があり、参加者一人一人に役割がある。だから、りすまるさんが欠けたら物語が成立しない。一か月は待ってみたけれど、話し合いの結果、私たちのゲームは「永遠に完成しない物語」になった。
りすまるさん。本名は知らない。リスが好きで、SNSのアイコンにしている。英語が得意で、それを活かした仕事をしているということだったけれど、具体的にどこの会社なのかは知らない。E県に住んでいて、アラサーの独身だと言っていたけれど、正確な年齢は知らない。当然、顔も知らない。ゲーム中に通話はしているから、女性だと思う。ゲーム仲間で何度かオフ会をしているのだが、りすまるさんは毎回不参加だった。
〈ただ忙しいだけならいいんだけどね〉
ゲームマスターをしていた
『でも、りすまるさんって、何も言わずに消えるようなタイプではないじゃないですか』
りすまるさんは一度も遅刻をしたことがないのだ。五月雨さんが、〈それな〉と即レスをくれる。
〈りすまるさんはオフ会に来たことないし、ネットリテラシーもしっかりした人だったから、誰も連絡先を知らないんだよね。SNSでみんなそれぞれメッセ送ってみてるっぽいけど〉
それは私も同じだった。りすまるさんがはじめにゲームを休んだ日にも、その次の週にも、ゲームを途中でやめることが決まった日にも、ダイレクトメッセージを送った。
――澄んだ声の人だった。
りすまるさんが最後に演じていたのは、私とバディを組んでいる刑事だった。凛々しい女をやらせたら右に出るものはいないりすまるさんだから。私は、私の演じる「水野」は、毎週楽しくりすまるさんの「月山」の後ろについていった。けれど、毎週少しずつ紡がれていた彼女たちの時間も、あの月曜日からずっと止まっている。
りすまるさんが使っていた別のSNSアカウントや、ソシャゲのログイン状況を確認する人も出てきた。私も、ひとつだけ一緒にやっていたゲームがあったので、りすまるさんの前回ログイン日を逆算したら、あの日だった。
それから私は、なんとなくりすまるさんのSNSをさかのぼって読み返すようになった。りすまるさんの消息について、何かヒントが無いだろうかと思ったのだ。
ゲームの前後に何かつぶやいていたことはないだろうか。体調を崩していたり、転勤がありそうだったり、結婚をするという話があったり……。そう思いながら、画面をスクロールし、私は瞳を上下に、左右に動かし続けた。
こわごわ、E県の事故のニュースを検索したこともあった。けれど、例の月曜日にそれらしい事故はなくて、ほっとした――はずだった。本当は「見落としているだけなんじゃないか」という不安な気持ちが残っていた。
気がつくと、ネットストーキングと言われても反論できないほど、りすまるさんの情報を追っている自分がいた。
りすまるさんが「面白いよ」と言っていたマンガを買って読んでみた。面白かった。登場人物の誰が好きなのか、聞いておけばよかった。通りがかった雑貨屋でリスのグッズを見かけると、りすまるさんに見せたくなった。「リス見ると、無意識にお迎えしてるんだよね」と、よく写真をあげていた。
私はいつも遊んでいるメンバーの中では新規寄りだし、りすまるさんと特別個人的な付き合いはない。もっと仲のいい人もいるし、現在進行形で他の人たちとも遊んでいる。もちろん、あのシナリオで一緒だったメンバーとも。どうしてこんなに私が、りすまるさんのことを考えてしまうのだろう。
だんだん皆、りすまるさんの話をしなくなる。
私も、りすまるさんのことを話題に出すのはやめた。一方で、りすまるさんのアカウントが更新されていないかをチェックしていた。ダイレクトメッセージを確認しては、前回送ったメッセージに既読がついていないのを見てアプリを閉じる。その繰り返しだった。
「ただ忙しくて、SNSから離れただけだよ」
つい、家で不安な気持ちをこぼしてしまった私に、妹はそう言って、励ますように微笑んだ。そう思うようにした方がよいのだろうと思った。でも、
(この子はりすまるさんを知らないから)
どうしてもそういう気持ちがぬぐえなくて、妹の言葉が、励ますような笑顔が、私にはひどく空虚に感じてしまった。
〈もうね、生きてればそれでいいから。りすまるさんも〉
例の月曜日から半年ほど経った頃、チャットで雑談中に五月雨さんがぽろっとこぼした。
『りすまるさんから何か連絡あったんですか』
毎日張り付いているりすまるさんのSNSに動きはない。五月雨さんは〈いや、〉と短い言葉を寄越して、さらにチャットを続ける。
〈全然無いけどね。「便りのないのは良い便り」って言うからさ。きっとそうかなと思ってる。まあ、いつか落ち着いたころ、何かの拍子に思い出して一言生存報告してくれたら嬉しいんだけど〉
画面を見つめて息を吐いた。
『そうですよね』
その話はそれで終わった。
けれど、私は諦められなかった。私は、りすまるさんを観測したいのだと思う。自分のことを何も明かさない人だった。つまり、りすまるさんは、インターネット上でしか観測できない存在なのだ。
りすまるさんのSNSが更新されたら通知が来るように設定をした。けれど、私のもとにそんな知らせは一向に届かない。
あっという間に月日は流れる。さらに半年が経ち、一年が過ぎた。今日も、りすまるさんへ送った最後のメッセージに既読はつかない。
私のしている行為は、きっと誰にとっても良いものではないと思う。私自身にとっても。けれどその行為はもう日常の一部となっていた。
この行為は健全ではないことは自覚していたけれど、既読のつかないメッセージを見るたび、自分の胸の中にあるもやもやと絡まった塊を視認できたような気分になった。それはあくまで絡まったままでほどけることはないのだけれど、得体のしれない感情を視認することで、私は多少の落ち着きを得られていた。
気がつけば例の月曜から三年が経っていた。
いつものようにSNSをスクロールしていた手が止まる。
りすまるさんと一緒にやっていたゲームがサービス終了したという小さなネットニュースだった。年単位で触っていなかったから、全然知らなかった。いやに鼓動が速くなる。開いて無さ過ぎて自動的に削除されていたそのゲームを再ダウンロードしてみた。
かろうじて跡地のようなものは見ることができたけれど、いくらタップしてもスタート画面には移行しなかった。
消えてしまった。りすまるさんのアカウントを、その中にとじこめたまま。
ゲームを開くことすらすっかり忘れていたくせに、自分で思った以上にショックを受けていた。
導かれるようにりすまるさんのダイレクトメッセージを開く。メッセージ入力欄に視線が落ちた。私は、りすまるさんに言いたいことがあるのだろうか。長らく触っていなかったそこに文字を打ち込んでみる。
『りすまるさん、ひさしぶり』
ひさしぶり――何の変哲もない言葉を入力しただけで、心臓の音がやけにうるさく聞こえた。本当にこのまま、りすまるさんにメッセージを送るのか。三年も何も動かなかったのに。
少し呼吸が浅くなった。けれど、私の親指はフリックを続ける。話題、話題はなんだ。
『あのゲーム、サ終しちゃいましたよ。一緒にやってた思い出があるから寂しいな。そういえば、前にりすまるさんが面白いって言ってたマンガ、読みました。ほんと、面白かった。
それと、水野はいつでも再始動できるようにしてあります。もし、時間ができたら』
そこまで書いて、息を吸った。いつの間にか無意識に息を止めていたようだ。深呼吸を一つして、『いつでも続き、遊びましょう』と書いた。送信ボタンを、親指で押した。
メッセージが送られた瞬間、世界から音が消えたみたいだった。自分の心臓の音が聞こえ始めてから、徐々に周囲の音が戻ってきた。
既読はつかなかった。
食事のあとに見た。入浴のあとに見た。歯磨きのあとで見た。電気を消したあとで見た。
翌朝起きて、見た。既読はついていなかった。
当たり前のことだ。三年間動かなかったのだから。
急に今までにない虚脱感に襲われる。私は、衝動的に自分のアカウントを消した。
(消えた……)
こうなることを、今まで一度も考えなかったわけではない。もっと清々しかったり、痛切な苦しみを感じたりするものと思っていた。けれど実際は、開きっぱなしの扉を閉じるときのように……ただ手が動いただけ。そういう感覚だった。
私は、会社を休んだ。
もう一度倒れ込むように眠って、昼を過ぎてから、ようやくちゃんと身を起こした。ふだん締め切っているカーテンを開けた。雲一つない青空が、なんだか寂しかった。
もしかしたら私は、「さようなら」が言いたかったのかもしれない。きちんとした「終わり」を見たかったのかもしれなかった。でも、あのひとが言わなかったのだから、私も言わないのがいい。私たちの物語は、これで永遠に完成しない。
水野は完成しない物語の中で、まだ月山の後ろに居る。それなら、もう
窓を開け、外の空気を大きく吸い込んだ。
とうとう、りすまるさんがいなくなった。
りすまるさんがいなくなった 皐月あやめ @satsuki-ayame
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