第42話 片鱗
一月一日。
まだ夜も明けていない、午前六時。
俺は、菜々子さんの部屋を訪れた。
「改めまして、あけましておめでとうございます。菜々子さん」
「あけましておめでとう。響弥君。さ、入って」
「はい」
菜々子さんの部屋に入り、早速キスをする。
いつでもは会えない俺たちのキスは、だいたい深くて長い。
新年早々、艶めかしく湿った音が静かな部屋に染みていく。
キスを終えたら、強く抱きしめ合う。菜々子さんの体温を感じて、その香りも目一杯吸い込む。
「……深呼吸の仕方がなんだかやらしいなぁ」
「……菜々子さんがいい匂いをしているものですから」
「もー、エロガキなんだから」
「それはもう、どうしようもないことなんで、諦めてください」
「仕方ないね。エロガキでも好きだよ、響弥君」
「俺も好きです。菜々子さん」
「……一年の始まりで、最初に響弥君に会えて良かった」
「俺も、一番最初に会うのは菜々子さんで良かったです」
日付が変わった零時頃には、菜々子さんと電話で話をした。ただ、新年で一番最初に聞いたのは、椎名の声。大晦日の十時頃からずっとビデオ通話をしていたのだから、必然的にそうなる。
本当は菜々子さんの声を最初に聞きたかった。それができなかったから、せめて、新年は椎名よりも先に菜々子さんに会いたいと思った。
大した意味もないことだけれど、先に菜々子さんに会えて、妙な満足感はある。
「……響弥君、この後は椎名さんと初詣だよね?」
「はい。九時に椎名の家で待ち合わせです。本当は菜々子さんと行きたかったんですが……」
「仕方ないよ。一緒に気軽に外を出歩くわけにもいかないし、私たちの関係は誰にも内緒だし」
「すみません」
「謝らないで。響弥君にはどうしようもないことだもん」
「……はい」
「ん。それじゃ……新年早々ではあるけど、しよっか?」
「……はい」
二人ともさっさと服を脱ぎ捨てて、ベッドに入る。メインの明かりは消して、枕元にあるナイトライトだけつけておく。
裸で抱き合うのは本当に心地良い。菜々子さんの柔らかで滑らかな肌も素敵だけど、とにかく抱きしめているだけで幸せな気分になれる。
「……響弥君に会えないのは寂しいし、椎名さんと仲良くしてるのには嫉妬もしちゃうけど、もしかしたらその分、こうして抱き合える時間がすごく愛しいのかもしれない……」
「……そうかもしれませんね」
「好きだよ、響弥君。大好きだよ」
「俺も、大好きです」
「愛してる」
菜々子さんのその言葉は、俺には出せない深みがある。
「……愛するって、どういうことなんでしょうか」
「言葉で説明するのは難しいかな。誰かと長く付き合ってみて、ようやく、これが愛するってことかもしれないって感じられるようになる……」
「好きって言う気持ちをより大きくしたもの……とは違いますか?」
「違うね。私からすると、だけど」
「そうですか……」
「そのうちわかるよ。誰かと本気で向き合って、触れ合って、いいことも悪いこともたくさん経験して、それからふと、愛するっていう感覚が掴めてくる」
「……そうですか」
「愛は……強くて、深い。キラキラした素晴らしい感情とも違う気がする。誰かを愛するって、とても複雑な感情……。時に辛いこともある……。色んな想いが重なって、愛するっていう感情になっていく。
私は響弥君を愛しているから、響弥君が私だけのものにならなくても、我慢できるよ」
「……その気持ちは、俺にはまだわからないかもしれません」
「いいんだよ。少しずつ、わかっていけば」
「……はい」
「私の理解している愛と、響弥君が理解していく愛は、また別のものになるかもしれない。でも、それでいいと思う。私たちは、どれだけ愛し合ったとしても、別の人間なんだから」
「……はい」
「愛については、もういい? 私、早く響弥君と一つになりたいな」
「……俺もですよ」
愛とはなんぞ?
俺にはまだ理解しがたいもので、いつ理解できるかもわからない。
菜々子さんと付き合っていけば、いずれわかる日が来ると思う。
焦らずに、じっくり理解していこうと思う。
愛は知らないけど、菜々子さんを好きだという気持ちは確かで。
菜々子さんが幸せになれるよう、目一杯努力したい。
……何度目かの交わりの後、ふと気づくと、朝日が昇っている。
「初日の出、見逃してしまいましたね」
「いいよ。どうせここから見られる初日の出なんて、そんなに綺麗でもないし」
「確かに」
「いつか、綺麗な初日の出を見られる場所に行こうよ。海とか、山とか」
「いいですね。素敵だと思います」
「楽しみだなぁ……。響弥君と一緒に初日の出を見に行くの……」
「俺も、楽しみです」
「必ず、見に行こうね。それが実現できるように、私たちの恋は、誰にも秘密」
「はい」
「幸せになろうね」
「もちろんです」
俺と菜々子さんで幸せになる。一生、一緒に生きていく。
その未来を、俺は必ず手に入れる。
「朝ご飯くらいは、一緒に食べられるかな?」
「はい」
二人とも服を着て、まずはカーテンを開ける。
元日の日の光が、室内を明るく照らしてくれる。
窓の外を眺めれば、マンションや電線で寸断された青い空。
「……俺、この部屋から見る空も綺麗だと思いますよ」
「そう? ロマンチックでもなんでもないと思うけど?」
「特別さはありません。けど、菜々子さんとの日々が、俺の日常に溶け込んでいる気がして、好きだなって思えるんです」
「……そっか。それはきっと、愛の片鱗だね」
「そうなんですか?」
「きっとね。愛は特別なものより、ありふれた日常の中に宿るって、私は思っているから」
「へぇ……」
「ま、わからなくていいよ。とにかくまずはご飯! お腹空いちゃった!」
「そうですね」
朝食は俺が用意して、二人で談笑しながら食事をした。
幸せな時間。
ずっと続いて欲しい時間。
誰にも、奪わせたくない。
「……響弥君。椎名さんとの初詣は良いけど、裏切りは許さないよ?」
「わかってます。裏切ったら、菜々子さんは死んじゃうんでしょ?」
「そういうこと」
安定しているときには、本当に死んじゃう雰囲気など全くないのだけれど。
失恋直後の姿を見ているから、その言葉が決して単なる脅しではないことも理解している。
俺は菜々子さんを裏切らない。
決して、裏切らない。
偽装彼女がやがて本気になる。でも、俺は先生との秘密の恋を成就させたい。 春一 @natsuame
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