第3話「朽ちていった蝶の追憶」

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 どうやら僕以外にも火種が残ってたようで何よりだ。

 君が押し付けられた使命がなにかは知らないけど、その成就を祈っておくよ。

 それと、ここに残っていればでいい。持っていってくれないか。

 僕の火種の全て―――かつての文明の「技術」の結晶だ。

 必ず役に立つと保証するよ。


 ここに刻む名は、持ち合わせていない。

 これを読むであろう君も、同じだろう?

―――――――――


 そう刻まれた金属の板を私は、まだ文字も読まぬうちから『墓標』だと認識していた。


 どうしてだろうか。私はこの空き家に残留する、濃密な絶望と孤独の気配と、その気配が消えつつあることを、どうしてか感じ取ってしまっているようだった。


 ……本当に、どういうことなのかは分からない。記憶を探ってみてもこんな第六感じみた現象に関する記述は存在しないから、これが孤独に頭を蝕まれつつある私の幻覚なのか、それとも本当にこの家の持ち主が遺した『感情の痕』が見えているのか……その真偽を確かめる方法はないから。この世界には私しかおらず、世界は私の主観だけで成り立っているのだから。


 寂しいけれど、同時にどこまでも自由である。

 誰もいない世界で、辿り着ける限りどこまでだって行ける。私は、そんな余りにも果てしない自由、無数に枝分かれする道の上で立ち尽くすことしかできない。


 ……目の前に広がる痛いほどの孤独の気配に意識を向ける。今の私と同じ気配だった。途方に暮れて、けれど何かを選ばなければ壊れてしまいそうで、何かをしてもそれを評価する存在なんてどこにもいなくて、全てが無意味なように思えてくる。そんな孤独と同じ。


 名もなき、「技術」という火種を託された人。

 かつての文明が与えた使命を『押し付けられた』とまでつづったこの人が、結局は与えられた使命そのものである「技術」を遺したのもそういう理由なのだろう。それが唯一、自分以外が自分の在り方を決めてくれる道しるべだったから。


 ただの推測でしかないのに、この空き家に残る気配が、それを肯定してくれているような気がした。……もっと疑うべきだと頭では理解しているが、私は本当にこの墓標の主の残響を感じているのだと信じ始めていた。どうせ誰も咎めないのだから、これくらい信じても許されるだろう。


✢✢✢


 心が壊れないように抱いた、誰か居るかもしれないという仮初の希望。死に場所を探しに行く口実でしかなかったのに、人の痕跡が目の前に在った。在ってしまっていた。私と同じ気持ちを抱いてこの世界を生きた人間が、他の誰かわたしの存在を信じていて、そしてそれが正しかったという現実がだ。


「……ははっ」


 乾いた笑いが漏れる。あぁ、私ってこんな声をしていたのか。今の今まで声を発する機会もなかったから、自分のものだというのに新鮮だ。


 だだっ広い世界で、目覚めたときから感じていた息が詰まるような絶望感。それから抜け出して、ようやく出せた声なのだから、これは私という人間の産声なのかもしれない。


 不思議な満足感が、私の胸を満たしていた。

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空劫と蝶 シュピール @mypacep

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