Limbo

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

「金は払ったんだ。やることをやってもらわないと困るんだがね……」

 ふくよかな口髭と胸毛と腹毛と贅肉と、それに比べて実に貧相なちんぼうをたくわえた中年男が私をねめつける。

 私の隣で、数々のグランプリを制覇し今年惜しまれつつ引退した稀代のサラブレットがぶふっと蹄を鳴らす。

「しかし……種付とお伺いしたので来たのですが」

 だから、と中年男が不満げに

「それをやってもらおうと言っているのだよ」

「ですが、馬は……」

「馬ではない」

 中年男が葉巻を咥え、んぱっ、んぱっと煙を吞む。ぼうっ、と紫煙が宙に漂い拡散するのが見える。

「馬では、ない……」中年男は繰り返し、葉巻を持っていないほうの親指で自分自身を、力強く指さす。

 私の膝がかくかくと笑う。どっと厭な汗が噴き出る。緊張か、恐怖か。馬も私の気配を察したのか、駄々っ子のように首を左右に振る。私はやや引っ張られながらも、どうっ、どうっと彼を窘める。

「やるのかね? やらないのかね? だが、分かっているとは思うが……」中年男はそこで言葉を切り、その言葉の意味が私に浸透するのをじっくりと観察する。

 そうとも。あの金がなければ私とて大いに困るのだ。しかし、だからといって、これは、あんまりだ。

 天は、これをお許しになるだろうか。

「許すさ。許すとも。何も変わりはしないのだから……」中年男が、子を諭すような声色で私に語りかける。


 悪を、己の中に受け容れよ。

 中年男が呟くと椅子から立ち上がり後ろを向き、上体をかがめ、両手を両膝に置く。臀部をこちらに向かって突き出す。尻の肉と肉との門がわずかに開き、燃え上がる黒い炎が垣間見える。

 私は、私の馬を見る。彼の潤んだ、黒い瞳。

 彼は一声嘶き、前足を大きく持ち上げ後ろ足のみで立ち上がると、上体をかがめた中年男の背中に、文字通り馬乗りになる。

 私は目を閉じ両手を組み合わせ、ただ祈る。あるいは乞う。しかしだれに、いったいなにを?

 悪を、己の中に受け容れよ。


 私は金を受け取り、私の馬とともに屋敷を辞した。中年男がそのあとどうなったか、定かではない。

 牧場に戻った彼はそののち、実に穏やかな余生を過ごし、ある朝眠るように息を引き取った。彼の死を多くのファンが悼んだ。

 私は彼の魂の安寧を心の底から祈った。

 あの日、事は一瞬で済んだ。だが私の魂は今もなお、あの部屋の、あの尻肉の門の先、あの辺獄Limboにいる。

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