大きな体と小さな子供たち

 色付きの風と化した俺を認識できる者は村にはおらず、誰にも声を掛けられることなく所定の位置、村で一番高い場所に生える木の木陰へとたどり着いた。



 良かったまだ気配はない! 



 となれば準備を整える時間がありそうだと、ほっと息をついた。



 俺は木陰の中で正座し、位置を調整してその時を待った。



 しばらくすると、木のそばに生えている茂みの奥に、小さな気配が近づいてきた。



 来た! 内心に緊張感が生まれる。



 ここからはぶっつけ本番である。毎日やっている事なのだが、未だ慣れることは無い。



 服の乱れは治した。寝ぐせはついていない。汗の臭いが無い事は立ち込めるつんとした柑橘の香りが教えてくれた。



 後は表情だ。大丈夫だろうか。強張っていないだろうか? 変な顔していないだろうか。



 俺は大きく、子供から見れば、何なら大人から見たって威圧的だろう。何をしていなくともそう見える。そう思われる。更に言えば俺はスキル無しの欠落者だ。



 立ち振る舞いは常に意識しなくてはいけない。どのような言葉を吐くべきか吟味し、一挙手一投足に細心の注意を払わねばならない。



 この世界で俺が生きていくには、そうするしかないのだ。



 さて考えるのはこれまでにして、そろそろ声を掛けねばならない。待たせてはいけない。これから相手をするのはこの子だけでは無いのだから。



 角度ヨシ! 体調ヨシ! 表情ヨシ! 足のしびれ……ヨシ!!! 



 口を開き、少し息を吸い込んで、声を……出した。



「そこで立っていないで、こっちへおいで」



 大丈夫か? 上ずってなかったか? 顔緩んでない? ワカラナイ! アーッ! 



 俺の心配をよそに、茂みの気配はゆっくりと動き出していた。



 がさがさと茂みが揺れ、小さくてカワイイな女の子が顔を出した。



 綺麗な深緑色の髪を三つ編みにした瓶底メガネの小さな女の子が、大きくて分厚い本で口元を隠しながらトテトテと擬音が聞こえてきそうな歩幅で、ゆっくりとこちらに近づいてきた。



 ああすごく可愛い(溺愛)



 近寄ってきた女の子、名を『リーフ』ちゃんという。



 この子は村にある骨董品店を経営しているお婆さんのお孫さんで、亡き父と母に変わって大層可愛がられている。



 この子の親御さんは、父親は山で山菜取りをしている時に獣に襲われて死んでしまい、母親はそのショックで気を病み、そのまま後を追って逝ってしまったらしい。



 らしいというのは、その時俺は体調を崩しており、知ったのはそれから3日後の事だった。



 幸いというのも変な話だが、その時リーフちゃんはまだ物心がついていなかったから、それほど大きな傷にはなっていないようだった。



 それ以来祖母である骨董品店の店主に育てられているのだが、親無しというのは子供にとってスキル無しの次に目の敵にされるようで、いつも悲しげな眼で遊び回る子供たちの輪を遠くから見つめていた。



 その姿をさらに遠くから離れて見ていた俺は、彼女が不憫だと思った。同じくハブられる者として、同族意識がくすぐられたともいえる。



 動機がどうあれ、俺は彼女に話しかけた。



 初めの内は警戒された。当然だろう。村一番の爪弾き者が話しかけてきたのだ。警戒しない方がどうかしている。寧ろその警戒心の高さは日ごろの教育の賜物と言える。単に内向的なだけかもしれない。俺の容姿の影響も無視できないだろう。気の弱い彼女なら特に。



 本当なら俺のような輩が関わるべきでは無いのだが、他の大人が見て見ぬふりをするどころか率先して陰口をたたいている状況なのだから、俺がやるしかなかったのだ。



 彼女への対応は苦戦の連続だった。



 一体いつから彼女が俺を多少なりとも受け入れてくれるようになったのかは、正直なところ今でも分からない。



 単にしつこく話しかけてくる俺への対応を諦めたのかもしれない。かもしれないばっかりだな、俺。



「えっと……その、きょ、今日もお願いします……『先生』」



 リーフちゃんはおずおずと、こちらの顔色を窺いながら分厚い本を差し出し、上目遣いで俺の返答を待った。



 ずれ落ちた眼鏡から覗く翡翠色の瞳は、毎日同じことを繰り返しているにも拘らず、相変わらず断られる事への不安で揺れていた。



「もちろん、さあおいで」



 差し出された本を受け取り、俺がそう言うと、彼女はぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべ、スカートの端をつまみ、膝の上に腰を掛けた。



 それにしても『先生』とはね……。



 栞のある個所を開き、リーフちゃんにも見えるように本の高さを調節しながら、独り言ちる。



 確かに俺は子供たちに読み書きや簡単な計算、それからスキルの訓練なんかを教えていた。



 だからと言って、先生などという畏まった呼び方をされるような高潔な人間では断じてないと思う。



 彼女にも子供たちにも言い聞かせているが、誰も聞いてくれはしなかった。



 皆純粋な目で、先生、先生と呼んでくる。



 彼らの好意は嬉しく感じてしかるべきなのだろうけど、この17年で蔑まれるか敵意を向けられるかの二択でしかなかったから、純粋な好意を向けられることに慣れていない俺からすれば、むず痒くて仕方が無かった。



「どうかしましたか?」

「何でもないよー」



 子供は感情の揺らぎに敏感だ。こっちを窺ってくるリーフちゃんに頭を撫でて誤魔化す俺。



 まったくどっちが子供なのやら。



 誤魔化す為に咄嗟に頭を撫でたのだが、こういうスキンシップをどこまでやっていいのか、これもいまいち良く分からない。彼女はこれで11になるのだが、これくらいの年齢だと、子ども扱いされると普通怒るもんじゃない? 違う? ワカラナイ! アーッ! 



 というか幼いとはいえ女の子の髪をこう易々と触れていいものなのか? だがこの子から不満を言われたことは一度として無いから、続けてもいのだろうか? しかしこの子は自己主張が弱く、不満はため込んでしまう気があるから、やっぱり内心嫌がっているのでは? 



 そう思って撫でる手を止めた。この世の終わりのような顔をされた。



 慌てて撫でる手を再開すると、また元の幸せそうな顔に戻った。



 分からない。俺はどうすればいいんだ? 



 もう満足したかな、と手を放す。捨てられた子猫めいた顔をされた。仕方ないので、無心になって撫でまわすこと数分、遠くから子供たちの笑い声が風に乗って届いた。



 おやそろそろか。



 撫でる手を止め、訝ったリーフちゃんの頬を指でくすぐりながら笑いかけ、顔を声の方へ向ける。



 訝りながらもリーフちゃんが同じ方へと顔を向けたその時、声の主たちが続々と姿を現した。



「せんせーこんにちわー!」

「先生オハヨ!」

「わーはー!」

「あ、魔女だ」

「魔女だーわー!」

「ッ!!!」



 わらわらと集まってきた子供たちが次々と俺へとあいさつをする中、膝の上のリーフちゃんに気が付いた子供たちが口々に彼女の事を魔女だ魔女だと言い合っては、きゃらきゃらと笑い転げていた。



 彼女は分りやすく身を震わせると、おたおたと悶えて、逃げようとした。



 おっとそうはいかない。



 俺は逃げようとするリーフちゃんの体をぎゅっと抱きしめた。またわかりやすく身を震わせた彼女は、もぞもぞと芋虫みたいに身をよじって抜け出そうとした。



 やがていくら暴れても逃がしてくれない事を悟ると、顔を上げて、真っ赤な顔で目の端に涙を称えながら、俺に恨みがましい目をぶつけてきた。そんな顔をしてもダメでーす。



 リーフちゃんの恰好は帽子こそ被っていないが、概ね魔女と呼ばれる者がイメージするそのままな服装をしていた。



 彼女のおばあさんは分かりやすく悪の魔女そのものな見た目であり、偏屈で、厳しかった。骨董品店自体が古臭くて不気味で、あからさまに人除けがされた外観から、彼女が経営する骨董品店に人が寄り付いた事を俺が見た限りでは一度としてなかった。



 で、そんな忌避される人の孫で、尚且つ忌避される人と同じ格好をしており、内向的で、親無しとくれば、彼女が後ろ指を指されて遠ざけられるのも無理は無かった。



 俺はそんな状況を良しとしたくなかった。



 あのお婆さんがどうこう言われるのは、まあいいだろう。そういう人だし、そういう事に折り合いをつけているだろうしね。俺もしかり。



 だがこの子はダメ。子供はダメ。何が悲しくて毎日顔を合わせる仲の良い子を不憫な目に合わせ続けなければならないのか。



 ダメでーす。ダメ、でーす。



 そういう訳で俺は一石投じる事にした。お前も仲間に入れてやるってんだよ! 



「はーい、はーい! みんな静かに―!」



 ぱんぱんと手を叩きながら声を張り上げ、子供たちを呼び集めた。



「この子はリーフちゃん。今回から僕の助手をしてくれる子です」

「え゛っ!?」



 正気か? 彼女の顔は雄弁に語っていたが、俺はあえて無視してそのまま続けた。



「はい皆ごあいさつしてー」

「「リーフちゃんせんせーおねがいしまーす!」」

「え? え? え? ……えぇえ~~~~~!?」



 リーフちゃんはまだ事態が飲み込めていないようで、おたおたと首を振るばかりだ。



 好都合である。俺は子供たちに二つに分かれる様に指示を出した。



「はいじゃあリーフ助手、これを皆に配ってねぇ~」

「え? え? せ、せんせでもわた」

「配ってねぇ~」

「……ハイ」



 俺のごり押しについに諦めがついたのか、がっくりと肩を落として項垂れると、リーフちゃんは俺に手渡された二つの袋をそれぞれの班に手渡した。



 ちょっと強引かもしれないが、ああいう子は一歩さえ踏み出せれば何とかなるものなのだ。その一歩を踏み込ませる手助けするのが、大人の役目であり、親の役目なのだ。



 この頃の子供は大人に言われたことをそのまま信じるものだ。触ってはいけません。見ちゃダメ。あれはダメ。これもダメ。ダメダメダメ。ダメったらダメ。



 そしてダメと言われたらやりたくなるのが子供という生き物で、それでこっぴどく怒られたものだなぁ。



 で、やって 叱られ、やって 叱られを繰り返すうちに、いつしか教えは骨身に染み込み、それが絶対と思い込むようになるのだ。そんなこと無いはずなのに。



 子供たちはただ大人に言われている事を守っているだけ。リーフちゃんは他者との関りを恐れているだけ。



 今だ。今ならまだ間に合う。リーフちゃんにしろ、子供たちにしろ。



 人は一人ではどうやっては生きていけない。敵ばかりの環境では人は生きてはいけないのだ。教えられたことを無思考で諾々と従うのは良くない事なのだ。皆が関わるのを良くないと言われる子は、本当に悪い子なのか? 



 リーフちゃんは他者を恐れており、一人が好きな、内向的な子供だ。だが、決して他者との会話を嫌っているわけではない。むしろ逆だ。彼女は他者との接触に飢えている。でなければ、遠巻きに眺めるなんてしないはずだから。



 子供たちは彼女を魔女だと言って笑いながら距離を取っているが、悪意がある訳じゃない。むしろ、彼らは大人たちがダメと言い張る彼女との接触の機会を、今か今かと待ち望んでいる。



 それを、彼らには知ってほしいのだ。これは皆のためでもある。



 袋が渡されたことを確認すると、俺はそれぞれの班の前に陽炎から生じた幻影より机を取り出し、二班の前に実体化させた。



「じゃ、みんなぁその袋の中身をこの机の上に~出しちゃおっかぁ~」

「「は~い!」」



 我先に袋にたどり着いた子供二人が袋を逆さにし、豪快に中身をぶちまけた。



 俺お手製の木彫りの数字や+や-や=が、ガラガラと音を立てて机の上に散らばった。



「はいじゃあ班ごとに列になってね~」



 俺の号令に子供たちが押し合いへし合いきゃあきゃあ言いながら列になっている間、俺はリーフちゃんにプラカードを手渡した。プラカードに今表示されている式は「9+3=?」だ。



「使い方は……まあ遠巻きに見てたからわかると思うけど、説明いるかい?」

「い、いえ……だ、大丈夫、です」

「そっかぁ、じゃあお題係よろしくね~」

「は、はい!」



 リーフちゃんに頷きかけ、プラカードを良く見えるように高々と掲げる彼女を目尻に、俺も審判用の旗とホイッスルを取り出して一吹き。



「はいはーい、皆ならべたねぇ~偉いねぇ~。じゃあ始めるよ~、準備良いかーい?」

「「はーい!」」



 元気なお返事に思わず笑顔。にっこり。



「本日の一時限目は『チキチキさんすうレース』でーす! リーフ助手が掲げている問題は見えるかなー? 見えてるねー。はい位置について―!」



 二班の先発は、どっちとも男の子だった。二人とも好戦的な笑みを浮かべて睨み合い、互いに牽制しあっていた。



「よーい!」



 旗を高々と掲げる。あれだけ騒がしかった場が、鹿威しを打ったかの様に静まり返る。睨み合っていた二人は、今やただ前を見据え、何が何でも先に出て行ってやるぞという気概に満ちていた。



「どん!」

「「わああああ!」」



 旗を振り下ろし、本日の授業の火蓋は切って落とされた。



 途端に始まる大歓声を背に、二人は走り出し、ほぼ同時に机までたどり着くと問題の答えである数字をあーでもないこーでもないと言いながら探していた。



「それじゃないよー!」

「早く探せよー!」

「えっと9たす3は……う~ん」



 夢中になっているのを良い事に、後ろから掛けられる声援はそりゃあもう好き勝手だ。その度に何だとこの―だの、うるさいやいだの言い返すものだから、一問にかかる時間は長い。



 だが、楽しいのだ。わーきゃー言いながら何かをするっていうのは本当に楽しい。受け入れられているという事は、本当に素敵な事なのだ。



 先制点を制したのは、第一班である。



 勝利の雄たけび、悔しいと叫ぶ声、敵討ちに燃える声があちこちで上がった。



 さてそろそろ第二問目である



 子供たちは口をそろえて早く早くとせがんできた。



 リーフちゃんの方へ目をやる。



 リーフちゃんはもたつきながらもプラカードを振り、問題を切り替えていた。その表情は、子供たちの熱気に圧倒されながらも、無意識の内に笑みを浮かべていた。



 どうやら、試みは成功したようだ。



「さーじゃあ二問目いきますかー。準備は良いかーい?」

「「はーい!」」



 天真爛漫なお返事。小さな魔女へと目を向ける。



「準備は?」

「いつでも!」



 微笑みを一つ。



「位置についてー!」



 旗を掲げる。静寂が満ちる。然れども、熱気は先ほどよりも強く。



「よーい!」



 引き締まる空気。熱気はなお留まるところを知らず。



「どん!」



 爆発する空気。炸裂する笑顔。傍らに、小さな笑みという花が咲く。



 互いに健闘し合い、励まし合い、手を取り合う小くて大きな命を見て、祈る。



 今まで聞き届けられた事の無い願いが、今日こそ聞き届けられる事を願う。



 再び勝敗が決した。爆発したかのような歓声。



 小さな体に不釣り合いなほどの大きな熱を秘めた数多の声が、耳の奥で木霊した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな巨人と大げさな話 @sanryuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ