大きな体と小さな性根
朝起きて、仕事して、訓練して、ちょっかい出されて、寝る。
朝起きて、仕事して、訓練して、ちょっかい出されて、寝る。
朝起きて、仕事して、訓練して、ちょっかい出されて、寝る。
朝起きて、仕事して、訓練して、ちょっかい出されて、寝る。
朝起きて、仕事して、訓練して、ちょっかい出されて、寝る。
訓練して、ちょっかい出されて、訓練して、訓練する。
訓練する、訓練する、訓練して、訓練する。
訓練、訓練、訓練、訓練、訓練、訓練…………。
■
隙間からするりと部屋へと入り込み、いたずら好きな風が頬を撫で、そのあまりの冷たさに思わず飛び起きた。
風はひゅううっと高笑いを上げながら、こっちが手出しできない事を良い事に悠々と虚空へと溶けていった。
夢見心地を邪魔された苛立ちと、そう言えばあまりいい夢では無かったなという思いとで、複雑な思いで見慣れた古ぼけた低い天井をぼんやりと眺めていた。
夢を見た。17年前のあの日の夢を。
そう、もう17年前になる。
あの日、生きる方針を定めたあの日から、俺の青春は永遠に失われてしまった。
俺は今の生を輪廻転生か何かの類だと思っている。
で、本来は失われるはずの自我が何故残っているのかは疑問が残るが、別にありがたみなど無く、正直いつ死んでもいいとは思っているが、だからと言って抵抗できるうちに易々と死にたいとは思わなかった。
だから、妥協はしなかった。
他にやる事も無かったという事もあるし、心を許せるような人がいなかったというのもある。両親も含めて。
とはいえ、誰彼構わず噛みつくような真似もせず、かといって積極的に他者に関わっていきもしなかった。そんな余裕が無かったからという理由もあるが。
事件も何もなく、健やかでもなく、ただひたすら訓練を重ね、ただひたすらちょっかいをかわし続けた。
晴れの日も雨の日も、少し躓いた日も思わず笑みを浮かべてしまったそんな日も、変わらず同じ様に過ごし、同じような日々を重ね続けた。
この世に生まれてから、今日で17年。
今日で20歳になる。
窓を見る。
夜が明けたばかりのようで、空はまだ薄暗い。
朝の早いこの村でも、この時間帯に起きている者はいない。
だから俺は決まってこの時間に起きる。誰もいない時だけ、俺は俺でいられた。
生きづらいと思いはするが、思うだけで、それ以上何かあるわけでは無かった。
人間は妥協できる生き物で、俺も例に漏れず妥協できる人間だった。
今はそういう時代で、そういう世界で、俺はそういう人間なんだからね。
ベットから足を出し、立ち上がる。
と、頭に衝撃が走る。
目をチカチカさせながら頭を摩り、忌々しく天井を睨みつける。
眠気が覚めていなかったことと、どうしても伸びたいという無意識の欲求からか、結構強めに天井にぶつけてしまったようだ。
へっこんだ天井に留飲を下げ、着替えを済まし、音を立てない様に下に下りる。
我が家はお世辞にも綺麗な家とは言えない。毎日丁寧に使っていても、経年劣化はどうしようもないのだ。油断しているとすぐにチクリ魔な床が俺の存在を主張しようとするものだから、こちらとしても気が抜けない。
寝起きくらいゆっくりさせてほしい。
毎晩祈りを捧げているのに、俺の願いが聞き届けられたことは、ただの一度としてなかった。
下の階へ降り、リビングを抜け、キッチンに行こうとして、そういえばまだ顔も洗っていなければ歯も磨いていない事に気が付いた。
しかし、はじめからキッチンに行くつもりの脳になっていたので、今更外に出て井戸から水を汲んでくる気は起きなかった。
物臭な俺は逡巡し、父と母が起きる気配が無い事を良い事に、リビングのど真ん中で発火した。
ぼうぼうと燃え盛る炎の中に2、3秒ほど浸かり、払うように体を撫でて炎を消した。
それから両掌に同じように炎を発生させ、朝露を飲むようにして口の中に入れた。
しばらく口をゆすぐみたいにもごもごと動かし、吐き出さずにそのまま呑み込んだ。
ふっと息を吐き、口の中に残留する火の粉を吐き出すと、これで完了だ。
決してすっきりしたなどとは言えないが、これで清潔にはなったと言えるだろう。
焦げた臭いが漂っているが、まあじきに消えるであろう。気にする人がそもそもいないから、俺が気にする必要も無いのだが。
スンスンと鼻を鳴らし、嗅ぎ慣れた焦げ臭さに若干辟易しつつ、流れるように火の玉を飛ばし、キッチンに火を灯す。
さらっとやっているが、これが俺の習得した魔法である。『火』である。『炎』でもある。
魔法には属性があり、火、水、風、土、の4属性で、後は闇、光、無、が存在する。
別にその他の属性に適正が無かったという訳ではないが、別にこだわりもないし、なんとなく便利そうだからという理由で俺は火を選んだ。深い理由など無い。俺がこの世界に流れ着いたのと同じくらい無い。無いったら無い。ドーナツの穴くらいには無い。今度作ろうと思う。子供たちが喜ぶ。
やかんに火をかけ、フライパンに油を引き、卵を片手で3個割り、フライパンに落とす。
火の加減を微調整しながら、空いた手でレタスをむしり、トマトを切る。
ぱぱぱっと野菜を皿に盛りつけながらトマトを切るついでに切ったベーコンをフライパンに追加投入し、その間にパンを切る。
切り終えたら、良い感じの半熟になったベーコンエッグの内2つを皿に、残った一つをパンに乗せて挟む。
丁度やかんが吹き、棚からティーポットと水筒、父と母用のマグを取り出し、ポットに茶葉とお湯を入れ、少しの間蒸らす。
待っている間に目を閉じ、村を中心とした半径2キロほどに異常な気配が無いかの確認をする。
異常なし、ヨシ!
目を開け、ポットの蓋を開けて匂いを嗅ぐ。
十分に出ているので、父と母のマグに茶を注ぎ、それから自分の水筒に全部入れて蓋をする。
父と母用のパン、サラダ、お茶入りマグをテーブルに乗せ、火魔法の内の一つである『熱の膜』を張って劣化や害虫対策をする。
それから使った道具を洗い、元の場所に戻す。
朝の支度はこれで終わりだ。
さて食いながら外に出ようとして、未だ立ち込める焦げた臭いにうんざりし、懐から香水を取り出して軽く一吹き。
安物の香水だが、その分臭いはきつく、俺の体臭はほんの一吹きで焦げ臭さから下品な柑橘系へと早変わりした。
これで良し。
改めて俺はベーコンエッグレタストマトサンドをもごもごと食べ、水筒の茶を飲みながら外へ出た。
空は徐々に陽が高くなりつつあった。もうじき完全に夜が明ける事だろう。現に村の中で身動ぎする気配が増えてきた。
外の空気は、冬を超え、雪が解け去り、春になりつつある、そんな空気をしていた。
心身を凍り付かせるような風こそもうないが、時折びくりとなるような冷たい風が何処からともなく吹いてくる。まるで冬が俺の事を忘れるなよ、と釘を刺すかのように。
言われなくとも忘れるつもりはないよ。
俺がそう言うと、冬の残滓は疑り深い目で睨めつけ、鼻を鳴らして木枯らしを引き連れて山奥へと引っ込んでいった。
サンドイッチを口に咥えたまま後ろ手で鍵を閉め、サンドイッチを全て口の中に押し込み、咀嚼し、お茶で流し込んだ。朝食終わり。
俺はマッチを擦り、そこから生じた幻影に水筒を押し込んで消す(これは蜃気楼の中に自分の空間を作り出すという火属性の秘匿された魔法らしい。意味が解らん)と、空いた手に鍬を持ってうちの所有する畑へと歩を進めた。
畑へとたどり着くと、さっそく自分に割り当てられている個所を耕し始めた。
とはいっても我が屋の畑は(というよりこの村の所有する畑の殆どが小さい)小さく、俺の力が強いことも相まって、作業はすぐに終わってしまった。あとやる事と言えば水撒きくらいのものだ。
要するにここから俺は日暮れまで、陽が暮れても俺には火魔法があるから丸一日自由時間という訳だ。やったね。
しかし、喜んではいられない。
ここから俺はただひたすら、昼過ぎまで訓練訓練また訓練である。
順当に育った俺は、精神面でも肉体面でも目覚ましい成長を遂げ、身長は210センチ、体重は100キロ越えの足長おじさんと化した。うぅ……あの頃のカワイイな俺はいずこへ……。
元々可愛げなんてなかったや。精神面なんて元が大人で、尚且つ波風立たせぬ立ち振る舞いを心掛ける事に特化した今風な若者の気質を兼ね備えていたし、それがこの17年間で煮詰まり、より他者の顔色を窺っておべっかを使う様に磨きがかかったのだからもうたまらない。
ここから可愛げを見いだせる者など、三千世界の何処を探したって見つかりやしない。
水を撒き終え、使った用具の片付けをし終えると、俺は人に出くわさない様にしめやかに走り出した。
無くしたはずの可愛げを探しに、俺は風になるのさ。
そのまま村を出て森の中へと入り、しばらく走っていると開けた場所に出た。
ここが俺の訓練場所であった。
元々ここも草木が鬱蒼と生い茂る森の一角でしかなかったのだが、木を根っこから引っこ抜き、度重なる火魔法と体術の訓練とを繰り返して地面を均し続けた結果、草木一本生えないいい感じの場所に仕上がったのであった。
さて始めますか。
まずは念入りに体をほぐし、次いで腕立て伏せやらスクワット、股割りといった基礎的なトレーニングをこなす。じっくり丁寧に行う。やはり土台となるものがしっかりしていないと、応用なんてこなせないからね。
次に、素振りである。何のって? ハンマーの。
虚空から生じた赤熱した熔鉄を凝縮し、ハンマーの形に戻し、握り心地を確かめると、ただひたすら無心になって振り続ける。
この大槌は数年前に村付近に現れた盗賊の持っていた獲物であった。
というのも、今朝やったみたいに村を中心とした気配探知に邪な気配が引っかかった。しかしおかしなことに気配がどんどん減っていくのだ。
妙に思った俺は朝の支度もそこそこに、現場に急行した。
熱で上昇気流を発生させ、それに乗って空を飛び、数分そこらで件の気配がある場所の真上へとやって来た。
そこで見たのは、果たして盗賊かぶれの男が今まさに、ピンク色の肌をした大柄な二足歩行の豚『豚人(あるいはオーク)』に、頭を踏み潰されて絶命した瞬間であった。
ああ、もちろんその手の生物はこの世界には存在する。有名どころなら『緑小人(ゴブリン)』とかね。人間が特殊なのだから、それを取り巻く生物たちが特殊じゃない訳が無いもんね。
俺は酷いショックを受けた。そういう存在がいる事は知っていたけれど、生で見たのは初めてであったし、人が何者かに手を出されて死ぬ瞬間を目にしたのが、これで最初の事だったからだ。
この後の瞬間の事は、正直あまり覚えていない。気が付けば息を荒げてその盗賊が持っていた大槌を抱えて蹲っていた。
周囲には炭化した物体があるばかりで、先ほどまであった血生臭い匂いは、顰める程に濃い黒焦げた臭いに変わっていた。
俺は人と豚人の残骸を持参したタオルで丁寧に拭き、一か所にまとめ、それから火をつけた。
ごうごうと燃え盛る炎を前に、俺はぼんやりとこんな事を考えていたのを覚えている。
彼らは、碌な人間じゃなかったのだろう。気配からして禍々しかったし、彼らの装備を集めた時には血の匂いしかしなかった。
豚人は、ただ単に自らのテリトリーに侵入した異物を排除しただけだったのかもしれないし、腹が減っていたから襲い掛かっただけなのかもしれない。
因果応報と言われればその通りなのだろう。彼らはこれまでのツケをこの瞬間に支払わされたのだ。
火が消え去り、黒く焼け、燃えカスとなりそこに横たわる彼らの残骸を見て、哀れだと思った。
他者を害し、徒党を組み、暴力に明け暮れ、明日に背を向け、今だけを生き、生き抜いて、その果てがこれか。
炭化した人と獣の残骸を、素手で掘った穴に入れ、土で蓋をしていく。
これで、彼らがそこにいた痕跡は、この大槌と、同じくらい大柄な鎧を残して葬られた。
これらも一緒に燃やしてしまおうかと考えたが、そうなったら彼らがいた事を覚えておく手段が永遠に失われてしまう。
こんな辺境の地で、誰からも恨まれ、そして誰にも憚られる事も無く果てるだなんて、そんなのあんまりに哀れじゃないか。
だから俺は残した。彼らを覚えておくために。どうしようもない罪人達がいた事を忘れないために。
傲慢だろうか? 傲慢なんだろうな。
そういう曰く付きの、大槌である。
だから俺は無心で大槌を振る。これは弔いでもあるのだ。
……冷静に考えてみたら、初めての殺人現場で気が動転して、思考が極端になっていた末に出力されただけの気がする。が、今となってはもうどうでもいいことである。
そうする事に決めた、それで終わりである。
無心で振って振って振りまくり、気が付けば太陽が真上に位置していた。
おっとっとまずいまずい。夢中になりすぎていた。これで約束の時間に間に合わなかったら、大人の名折れである。
訓練を中断し、全身を燃やして汚れと汗を蒸発させる。それから香水を一吹きして焦げ臭さを消すと、全速力で村へと駆け出した。
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