第38話 訪問

 茨木童子の予想外の行動により混乱に陥った記者会見から、時間をしばらく前に戻す。果たして、記者会見の前になぜ凛太郎はあれほど激しく嘔吐していたのか。そして記者会見はどう決着してゆくのか。



 ある日の夜、七海と九頭龍凛太郎は七海のマンションでテレビを見ていた。普段はあまりテレビ番組を見ることはないのだが、最近はいま一番話題になっているNHK(本国営。断じて日本〇送協会ではない)の連続ドラマ、「木守こもりの歌」の見逃し配信を、オンデマンドで視聴するのが日課になっている。


「木守りの歌」は、母と娘の2人が、長らく女人禁制とされてきた山の世界で、マタギ(猟師)として大自然の中でたくましく生きてゆく姿を描いたドラマである。実在する、数少ない女性のマタギに1年間以上みっちりと密着取材を行って構成を練ったらしく、骨太で見応えある脚本と豪華キャストによって、日本中で今一番注目されているドラマと言ってよい。母親役に超大物女優の寒川さんがわゆきを迎え、そして何と言っても今作がデビューとなる主演で娘役の初鹿野はつかの弥月みづきのビジュアルと演技が素晴らしいと話題になっている。


「いや~、今回も面白かったわ。満足、満足」


最新話を見終えた七海はご満悦である。


「うーむ…

 ストーリーは確かに面白いがの。どうも主役の母娘おやこが二人とも気に入らん」


「え~?大丈夫?目、ちゃんと見えてる?

二人の演技、こんなに話題になってるじゃない」


古代より信仰と畏怖の対象である龍神に向かって、これほどズケズケとものが言える人間が他にいるだろうか。九頭龍凛太郎の両目はバッテンになった。


「相変わらず口の利き方を知らん女子おなごじゃのー。おぬし、儂が神仏であることを忘れとりゃあせんか…?

 まぁよいわ。じゃあ聞くがの。おぬしの目にはこの二人の演技はどう見えておる?」


「どうって… 主演の子は慣れないマタギの世界に対する不安とか、大自然に対するおそれとかが表情によく表れてるし、寒川幸は孤高の女マタギの雰囲気がさすが大女優って感じじゃない。みんなそう言ってるわよ。ネットも、ギャラクティカ会社の人たちも」


「やれやれ。今の日本人は、目きめくらばかりになってしもうたのう。嘆かわしいわい。やはり、儂があの時に…」


九頭龍凛太郎は、何か言いかけて途中でやめた。


「あの時?」


「ん…何でもないわぃ。忘れてくれ」


九頭龍凛太郎は手を顔の前で左右に振るジェスチャーをした。


「?」


「…よいか、まず母親役の寒川とかいう女子おなご。これは孤高の感じを演じているのではない。この女は心の底から他人を見下しておる」


「…そうかしら…」


「それから主役の娘。変わった名前の子じゃったの…」


「『ハツカノ』ちゃんよ。初鹿野弥月みづき。今、日本中で大人気なんだから」


「世間ではどういう評判なんじゃ?」


「だーかーらー… 力強い表情なのに、どこか不安げな様子がよく表現できてるって」


「違うな」


「何が?」


「あの娘の表情は、演技ではない。本当に何かに怯えているときのものじゃ」


♦ ♦ ♦


 都内のあるホテル。一人の女が、荷物をまとめて部屋から出る準備をしている。若く美しい女だ。同じ部屋には、中年の男がまだベッドの上でスマホを片手にメッセージのチェックか何かをやっている。服は着ていない。


「あの…」


女が恐る恐る声をかける。


「…なにー?」


男は、携帯から一切目をそらすことなく応える。


「お仕事の詳細とかは、ご連絡いただけるのですよね…?」


「あー。 詳しいことは決まったら連絡するから。待ってて」


「…分かりました。よろしくお願いします」


女は頭を下げた。


「おー、じゃあね。によろしく。」


男の名前は、権瓶つよし。NHK(日本国営放送局)の大物プロデューサーであり、番組のキャスティングの決定権を有する男である。ある人物にRINEのメッセージを送っていたところだ。


『今回もご紹介ありがとうございました。みのりさん、逸材だと思います。いい新人がいましたら、また是非お願いします!』


丁寧なメッセージとは裏腹に、本心は―


(今のは、イマイチ華が足りないかな。適当な脇役でもあてがっておこう)


権瓶は、とっくに出ていったと思ったはずの女が、まだ自分を見ながら佇んでいることに気づいた。


「…何?まだ何か用?」


「あの、ホントに私、頑張りますから… 小さいころから女優になるのが夢で。こんなことまでしましたので… どうかお願いします」


女はそう言って、今度は先ほどよりも頭を下げた。瞳からは涙がこぼれそうになっている。


「あぁー、分かった分かった。なるはやで連絡するから」


言いながら権瓶は心の中では

(チッ。興が醒めるんだよ… 脇役すらやらねーぞ)


と思っていた。


今度こそ女はホテルのドアから出ていったが、権瓶は最後までスマホの画面から顔を上げることはなかった。



ピンポーン、と七海のマンションのインターホンが鳴る。


「あ、来たわね。」


七海が「いらっしゃい」とドアを開けるとそこには、ギャラクティカで総務部のパート勤務をしている元・高級風俗店PEARLのNo.1嬢、いさむ千沙都ちさとが立っていた。


「お邪魔します!」


「おう千沙都か、久しいの。双子の子供たちは元気か」


いつの間にか七海の後ろに立っている九頭龍凛太郎が声をかける。


「こんにちは、九さん!ええ、すごく元気にしてますよ。

…そっか、おうちでは九さんの人格なんでしたね」


「どうしたんじゃ、ついに凛太郎を奪いに実力行使に来たか?

儂は全然かまわんぞ!二人まとめて抱いtゴフゥウッッッッ!」


七海の目にもとまらぬ渾身のボディアッパーが、九頭龍凛太郎の肝臓リバーに突き刺さり、凛太郎は悶絶しながら床を転げまわった。仮にも日本最強格の龍神の人間体を一撃で沈めるとは、恐るべし氷の女王。


「…それで?なんぞ相談ごとでもありそうじゃな」

凛太郎は、床に転がったまま言った。


「は、はい… 会社で既にお二人には伝えたんですけど、その時は凛太郎さんの人格でしたもんね。」


「ほぅ」


九頭龍凛太郎は、寝そべった状態から上体だけを起こすと七海の方を見た。七海は『聞いたわよ』という風にコクンと頷く。


「今日は私じゃなくて、友達のことで相談に上がったんです。

…いいよ、入っておいで。」


千沙都が促すと、ドアの外で待っていたらしい人物が恐る恐る、といった感じで出てきて、ぺこりと頭を下げた。


「…はじめまして。よろしくお願いします。」


千沙都や凛太郎よりも一回り若そうな、二十歳はたちくらいの女である。帽子に薄めのサングラス、マスクといった出で立ちであり、素顔はよく見えない。が、七海はどことなくその女の風貌と声に覚えがあるような気がした。


 千沙都は、ガチャリ、と音を立ててしっかりと後ろ手で玄関のドアを閉めた。


「紹介しますね。私ので親友の朋美ちゃんです。今は…」


千沙都が、朋美という呼び名であるらしいその友人に目で合図を送ると、彼女は帽子、マスク、伊達眼鏡のサングラスを外し、整った素顔をあらわにした。


「‼ うそ…」


七海は心の底から驚いた。


「今は… 初鹿野弥月はつかのみづきっていう本名で女優をしています」


(つづく)

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【漫画化準備中】告白してきた職場の後輩が、クズではなく『クズ様』だったので困っています。 山雨 鉄平 @TeppeiY25

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