第3話

 太鼓橋の下で水死体が上がったと聞いたのは、昨日の事だった。


 昼下がりに外へ出ると小春日和で、一昨日まで雪が降っていたとは思えない陽気だった。店先の雪はほとんど溶けて、雪かきの手間が省けたと、伊佐田はほっとした。このまま買い出しを済ませてしまおうと、町中へ向かった。

 程なくして太鼓橋に差しかかると、何やらたむろする人の集まりが見えた。無視して通り過ぎても良いのだか、何故か無性に気になり、一番近くにいた年増の女に声をかけた。

「何かあったのかい?」

「え?ああ、いやね…この川に仏さんが浮かんでたってさァ…」

「土左衛門かい?」

「そこまで傷んじゃいなかったみたいでさ、若い男で、顔なんか寝てるみたいに綺麗だったってさァ…」

 聞けば女は、亭主と飲み屋を営んでいるらしい。あの雪の夜は早仕舞いをしたから、今日は早めに開店するつもりだと言う。伊佐田は相槌を打ちながら、橋から川を見下ろした。雪の降る中、こんな所に落ちたらさぞ寒かろう…少しばかり気の毒になりながら、その場を後にした。


 そうして向かった仕立て屋で、件の水死体の身元を知る事となったのだ。

 遺体は、呉服の大店桔梗屋の若旦那、榊宗一であったと…。

「何だって…?!」

 伊佐田は、開いた口を必死に動かし尋ねた。

「おや…?知ってるのかい?」

 代金の勘定をしながら、仕立て屋の主は視線を寄越した。

「知ってるも何も…うちの陰間の馴染みだよ…」

「へぇ…あの若旦那、そんな嗜好があったのかい…知らなかったねぇ…」

 仕立て屋は関心したように頷いていた。

(また、時羽の客か…)

 伊佐田は、背筋に薄ら寒いものを感じていた。背後で、屋根の雪が溶けて落ちる音がした。

「うちの仕立てを請負ってる同心の話なんだけど…あの若旦那、所持品は財布と女物の櫛だったらしいねぇ…」

「…女物の櫛?」

「ああ…あと、橋の上に半分雪に埋まった傘が落ちてて、それも多分そうだろうって…」

 伊佐田は腕を組みながら、自身の顎をさすった。

「その櫛さァ…お前さんとこの陰間に、渡すつもりだったんじゃないかい?」

 主は作業する手を止め、しみじみと言う。

「え…?」

「夫婦になる事は叶わない…だからせめて、身請けしたいってねぇ…」

「…そりゃあ、どうだろうなぁ…」

 苦笑いを浮かべつつ、風呂敷包みを手に店を出た。


 晴天の空を仰ぎながら、不釣り合いな程深い溜息を吐いた。どうしてか、伊佐田の足取りは重くなっていた。

(よりにもよってなぁ…)

 ふと、暫く前に交わしたやり取りを思い出す。


『頼むッ…時羽を身請けさせてくれ…!』

『身請けって…最近所帯を持ったと聞きましたが、宜しいので?』

『ああ…金の用意なら出来ている』

『陰間一人養うのは並じゃありませんよ?』

『解ってる…でも、どうしても…時羽が必要なんだッ…時羽が手に入るなら、俺は死んでもいい…!』

『ちょっと待ってくださいよ、物騒な事は勘弁してくださいな…』


 青空では、鳶が旋回していた。

 あの太鼓橋にはもう、さっきまでの人だかりはなくなり、いつもの風景に戻っている。伊佐田は橋を渡りながら、時羽に話すのは、もう一晩寝かしてからにしようと思った。



***



 そろそろ店を開けようかと二階へ上がり、陰間達の支度具合を確認していた。

 時羽の部屋の戸に指をかけた時、昼間の出来事が脳裏を過った。

(黙っていればいい…)

 そう思った瞬間、室内から歌声が聞こえた。ゆっくりと引き戸を引くと、窓辺にもたれた時羽が、暮れ行く空を背に歌っていた。  紅白の椿が舞う振袖を身に纏う姿は、やはり息を飲むものがある。伊佐田は、宗一の想いに少し同調した。

「……どうかしましたか?」

 伊佐田が我に返ると、時羽と視線が合った。

「あ…?ああ、いや…そろそろ店開けようと思ってなァ…」

「…宗様の事ですか?」

 取り繕う伊佐田に、時羽の静かな声が問うた。

「知ってたのかい…?」

「はい…夢乃から聞きました…」

 夢乃とは、時羽より二つばかり年下の陰間で、馴染み客に与力がいた。伊佐田はハッとした。そういえば昨夜、その与力が店に来ていたのだ。

「そうかい…」

 伊佐田は呟くように言うと、室内に入り戸を閉めた。闇が迫る中、片隅の行燈に火を灯す。

「何で…お前さんの客ばっかりなんだろうなァ…」

「呪われているから…この身体が…」

 時羽は表情を変えないまま、行燈を見つめた。淡い光が、時羽の妖艶さを一層際立たせる。

「…もう一人、いるだろう?お前さんには…」

 伊佐田は努めて明るい声で言った。

「最近…また、足が遠のいているようです…」

 時羽の頬に、長い睫毛が影を作る。

「それならよぉ…次来た時に言えばいいじゃないか?身請けして欲しいってさ…」

「…え…?」

 時羽は驚いて伊佐田を見た。

「何だい?言われた事ないのかい?」

「いえ…ない訳では……」

「だったら話は早い。お前さんが、その気になるだけだ…」

 時羽の隣に来ると、開いていた窓を閉めた。昼間とは打って変わり、冷気が部屋に滑り込んで来る。その流れで、伊佐田は火鉢に火を入れた。

「…私は、いずれ出家するつもりでいましたから…」

「出家なんざ、いつでも出来るだろうよ…その前に、夢を見てもいいんじゃないか?」

「夢…?」

 時羽が再び顔を上げると、火箸で突かれた炭が音を立てて爆ぜた。

「ああ…穏やか夢だ…お前さんは何処へでも行ける…何せ、名前に羽が付いてるんだからな…そうだろう?時羽…」

 時羽の中で、何かが壊れていくのを感じた。そして同時に、何かが生まれて来る気がした。いや、生まれるのではなく、今までずっと押し殺していたものが蘇る、そんな感覚だった。時羽は両手で顔を覆い、畳の上に崩れ落ちた。その様子に頷きながら、伊佐田は立ち上がる。

「さて、そろそろ店を開けようかね…」


 襖が閉まる音がして、足音が離れて行った。

「雪様ッ…雪様ッ…」

 震える声で、何度も何度も呟く。久しく呼んでいなかった男の名を。

 項垂れる時羽の傍で、また炭が爆ぜた。その静かな炎のような決意を、時羽は胸にしっかりと抱く。もう二度と、放さぬようにと…。



***



 足音が近付いて来る。

 膝を折って座り、三つ指をつき、頭を下げた。襖が開いた瞬間感じる男の匂い。

「いらっしゃいませ…」

「時羽…待たせたな……」

 顔を上げた視界がぼやけ、瞳に映したいものを上手く映せない。

「あ……雪様…!」

 言葉より先に、ただ抱き締め合った。互いの存在を確かめて、きつく、きつく、息も出来ない程に…。

「話があるんだ…時羽」

「……」

 指で時羽の涙を拭う雪安の眼差しは、春のように穏やかだ。

「どうか、聞いてほしい…」

 意志の強い漆黒の瞳を前に、時羽はただ、ただ頷いた。


 膝と膝を突き合わせるように、改まって二人は座った。

 この色情に塗れた陰間部屋には、似つかわしくない空気が二人の間に流れる。今までにない緊張感に、時羽は俯いた。

「これを…受け取ってほしいのだが…」

 時羽の膝の先に置かれたのは、黒漆地に、千鳥の金蒔絵が施された美しい櫛だった。

「これは…?」

 顔を上げると、真っ直ぐな瞳が射抜くように見つめている。もう、逸らせない。もう、逃げられないのだと悟った。

「女に渡すというのが、通例なのだろうが…これはあくまで、俺の意志表示だ…」

 男が女に櫛を贈るのは、婚姻の証。時羽は男だが、心は喜びで、痛いほど締め付けらた。

「時羽…お前を身請けさせてほしい…狭いが、別邸も見つけた…毎日とはいかないが、出来るだけお前の元へ通うつもりだ…共に…日々を、過ごして行きたい…」

 深々と頭を下げる雪安に、時羽は驚いた。こんな、ただの陰間に過ぎない自分に、武家の男が頭を下げるなんて、本来ならありえない事。困惑しながら、時羽は雪安の傍らに寄り添う。

「そ…そんな……顔を上げてください…!」

 そっと肩に手を添えると、逞しい肩が僅かに震えていて、さらに驚いた。

「お前は…遠い…何度抱いても、手中に堕ちない……」

 捨てられた子犬のような目を向けられ、思わずその頬に手を伸ばす。

「雪様…私の心は、とうに決まっていたんです…あの半月屋で過ごした夜に……」

「時羽…?」

「もうとっくに…貴方の手中に堕ちていました…手遅れになるほどに……」

 頬に触れた手を握る大きな手に、身体を引き寄せられ、またきつく抱き合った。雪安の腕の中、時羽は大粒の涙を零す。

「私の残りの人生…全て差し上げます……」

「…時羽ッ…」

 吐き出した真実は、梅の花が綻ぶように、時羽の心を溶かしていった。永い冬が終わり、光溢れる春が芽吹くように…。


 身体を預けた褥で、潤んだ瞳で見つめる。

 こんなにも幸せな心で抱かれる事など、今までなかった。いつも不安で、孤独で、どんなに艶やかな着物を纏っても、闇が消えなかった。自分を沈めるあの黒く冷たい闇が…。

「雪様…」

「綺麗だ…時羽…」

 緩やかに衣を脱がしていく行為に、雪安の指が震えている。

「今日は…丁寧に抱きたいんだが…それなのに…指が急いでしまう…」

 照れたように笑う雪安が愛おしく、身体の芯が熱くなる。見下ろしている漆黒の瞳に、行燈の灯りが揺らめく。幾度となく交わす接吻だけで、身体が疼いて眩暈を感じた。

 太腿が露わになった時、ふと、雪安の手が止まった。

「…どうか、しましたか?」

 時羽が半身を起こすと、自身の左内腿に紅い痣を見つけた。それを雪安の指がなぞる。

「これは…誰に付けられたんだ?」

「それは…おそらく…一昨日のお客さんが…」

 言いかけた所で、雪安の唇が痣を貪った。

「ッ…!」

 濡れた音を立てながら、執拗に何度も吸い上げた。その結果、ただの紅だった痣が、紅梅のように花開いた。

「お前の白い肌によく映える…もう誰にも、触らせない…」

 低く静かに呟く雪安の目は眼光を放ち、明らかな雄を宿していた。時羽の身体がまた一層熱くなる。もう互いに、想いを抑えられない。

「雪様…あの、もう…」

「…我慢、出来ないか?」

「はい…早くっ…」

 欲に疼く身体を擦り寄せながら、口吸いを強請る。脱衣を待ち切れず、乱れた裾から脚を絡ませた。

「早く、ください……」

「ああ、もう少し耐えてくれ…俺も早く欲しい…」

 飢えた口の中で通和散を溶かし、それをたっぷりと指に絡めた。唾液を含み飴のように艶々とした液体を、指と共に秘所へと侵入させる。時羽の身体は指だけで悦び、脚を開き膝を曲げ、腰を揺らす。潤んだ瞳で雪安を見つめ、震える唇で刺激を要求した。時羽はずっとこうして、男を惑わせていたのだ。雪安と出会う前から、ずっと…。誰が悪い訳でもないが、そう考えると雪安の胸は嫌でもざわついた。もっと早く出会っていれば、もっと早く、この腕に抱いていれば…時羽に触れる男の数を、減らせたのかもしれない。

「時羽…良いか?」

「お願いッ…」

 縋るように、雪安の手を握り締めた。

 腰を浮かせて、脚の間に男を誘い込む。上気した顔で視線を送れば、男の雄が猛り、肚の中を犯し始める。

「あ、あぁッ…あ、あ…あぁ…」

白い腿を雪安の脇腹に擦り付け、啼きながら肩にしがみ付いた。

「時羽ッ…すまん…抑えが、効かないッ…」

 時羽の身体を裏返し、後ろから一層深く中を穿った。

「あッ…!」

 胎内深く雄に抉られ、圧迫感で声が出せなくなる。喘ぎさえ塞がれ、ただただ背中を反らして涙を零した。それでも、雪安の掌が温かく優しいせいか、痛みも悦楽へと姿を変えていく。

 欲を塗り重ねた部屋の中に、赤く濡れた花弁が降り積もる。幾重にも幾重にも重なるように、唇の紅にも似た花弁が、二人の上に降り積もる。重ね合う肌の隙間を埋めて、もう離れぬように縫い合わせていく。

 首を捻ると、背後から覆い被さる雪安に、口を塞がれた。その状態のまま、止む事なく、肚の奥を抉られる。余裕のない雪安の追撃は、時羽の細い身体を激しく揺さぶった。時羽は髪を乱し、腰を震わせ、このまま褥の上で息絶えてもいいと、本気で思っていた。

「雪、様ッ…あぁッ…」

 声を放った瞬間、下腹が熱く満たされた。自身の精は、いつ達したか判らないほど、無惨な有り様で、肌や布を汚していた。

「時羽…好きだ…」

 乱れた息の合間に、乱れた髪を撫でながら耳元で囁く。

「もう…死んでもいい……」

 ぼんやりと呟く時羽の言葉に、雪安は苦笑いを浮かべた。

「それは困ったな…」


 潤んだ熱気漂う陰間部屋に、恍惚とした安息が充満していた。



***



 部屋の片隅で、火鉢の炭が爆ぜた。


 色欲に溺れた部屋なのに、今宵は酷く優しさで溢れているように感じる。

(此処は…奈落なのかもしれない…)

 気怠さと幸福感を覚えながら、時羽は天井を見つめた。

「雪様……私は…山深い村で生まれたんです……」

 雪安は少し驚いて時羽を見たが、時羽はただぼんやりと天井を見ていた。

「家が貧しくて、兄弟も多いから……」

「口減らしか…」

「はい…」


 四方を高い山々に囲まれ、まるで閉じ込められたような小さな村。時羽の眼裏に、あの深い緑色が蘇る。

「歌が好きだった俺は、親の手伝いもろくにせず…毎日空想にふけり、ぼんやりする事が多かった…ただ、容姿は良かった為、人買いに聞くと、結構いい値がついたらしいです…」

「そうか…」

 鬱蒼と茂る木々が、心を締め付ける。

「父は…親孝行の為に金になれと言いました…」

「母上は…?」

「母は…少し、泣いてました…」

 あの辺りは冬になると底冷えし、雪が降れば橋が凍結した。今頃はきっと、遅い春を待ち侘びているのだろう。

「でも…さほど辛くはなかったんです…町へ行けば、自由に歌を歌えると思ったから…」

 恵まれた身分、環境で生まれた雪安にとって、聞いているだけで辛くなる話だったが、時羽はただ淡々と話し続けた。

「…愚かでした…町へ行って待っていたのは…ただ、身売りでした…」

 雪安は手を伸ばし、乱れた時羽の髪を梳いた。その艶やかな黒髪は、過去の悲哀など微塵も感じさせない。

「最初は、舞台子と陰間を兼業していました…でも…いざ舞台で歌おうとすると、声が出ないんです…緊張して…声が掠れてしまう…そんな事を繰り返す内に…舞台の仕事は来なくなった…そして……」


 そして、時羽の言葉が途絶えた。どれくらい沈黙が流れたのか、炭が爆ぜる音だけが、時折部屋に響いていた。

「俺は…時羽に出会えて、本当に良かったと思っている…時羽が…この道を選ばなければ、出会う事もなかっただろう…」

「雪様…?」

「その時は最悪だと思う選択だとしても、後にそれが、最善だったと思える時が来る…今、この時のように…違うか?」

「雪様…」

 時羽の目に、また涙が滲んだ。

「幸せにする…いや、幸せになるんだ…そうならなければ、天はきっと許さないだろう…」

 四季が移り行くのを、何度もこの部屋から見ていた。特に何かを思う事もなく、巡る四季を、ただ瞳に映しているだけだった。

「時羽…これからは、俺の為に歌ってくれないか?」

 布団の中で、強く手を握る。

「俺の傍で、ただ笑って、何も恐れずに歌ってくれ…」

「…はい…」

 その声は、酷く震えていた。時羽は壁の方を向き、もう片方の手で顔を隠して泣いていた。


 信じられないほど、次にやって来る季節が待ち遠しいと思った。

 もう、あの頃とは違う。

 何もかも、すべてが。

 新しい道に立っている。愛すべき人と…。ならば、何も恐れずに、振り返らず、歩いて行けばいい。過去に重ねた数多の苦痛も、風が風化させるだろう。新しい風は、すぐ目の前に吹いている。それに身を任せればいい。


 冷たい夜風に吹かれて、丸く膨らんだ紅梅の蕾が、花咲く時を待ち焦がれていた。



***



 柔らかな霞の空が、頭上に広がっている。


 紗がかかったような青空が、優しく見下ろしている。空とは、こんなにも穏やかな表情を見せるものだったろうか。時羽は、自分の目が涙で滲んでいるのではないか、と思ってしまった。

「時羽…」

 振り返ると、雪安が微笑んでいる。大分はしゃいでいたのか、時羽は雪安より随分前を歩いていた。

「その着物…お前に譲って本当に良かった…本当によく似合っている…」

 そう言われて、改めて自身の姿に視線を落とす。淡い浅葱色の着物に濃紺の袴。二人で旅に行った時以来、袖を通す事がなく、仕舞い込んだままだった。

「これからは、沢山着る事になります…きっと…」

 おそらくもう、顔に白粉を塗る事も、唇に紅を引く事もないのだろう。髪を島田に結い上げ、振袖を着て、未婚の女の装いをする必要もない。素顔のままで、最愛の人と向き合い生きて行けるのだ。

「時羽のままで、良いのか?旅へ出た時、旅籠で名乗った名…あれが本名だろう?」

 少し心配そうに、雪安は尋ねた。やはりまだ、時羽は自分に対して、無理をしているような気がしたからだ。

「気に入っているんです。この時羽という名が…だって、名前の中に羽があるから…だから、何処へでも、飛んで行ける…行きたい場所へ…」

 屈託なく笑う時羽の姿に、雪安の胸は甘く締め付けられた。こんなにも、無邪気に笑う時羽を見たのは初めてだった。

「この名を貰った時に、運命は決まっていたのかもしれません…貴方に…出会う為に……」

 春風に吹かれながら微笑む時羽を、雪安はこの上なく愛おしいと思った刹那、腕の中に抱いていた。

「…ゆ、雪様…?」

「…好きだ……」

「私も……」

 時羽は目を閉じ、ただ、その背に手を回した。


 風に舞う花弁に誘われるように、二人は歩き出す。道の両端には、花の見頃を迎えた桜が、何処までも続くように立ち並んでいる。 今なら、これから進む先に、穏やかな幸せがあると、心から信じて行ける。そして、それは揺るぎなく続いていく。たとえ苦難が降りかかろうとも、きっと乗り越えて行ける。

(貴方となら…)

 時羽は、生まれて初めて感じていた。本当の幸福感を…。

 ふと見上げると、空の彼方に白い翼が見えた。二羽の白鷺が、大きく羽を広げ、ゆったりと羽ばたいている。囚われる事のない、自由な風を感じるように…。

(さよなら…そして、ありがとう…)




 



 終

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しとねのうた 月乃 冬香 @Tsukino36

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