さよなら、現実世界の私

始まりは、間違いから。

 毎日毎日、どうやって生きていたのか、今となっては分からない。

 ただ、分かるのは。

 毎日、朝、無理やり朝ごはんを食べて、同じかばん、同じ服を着て出かけて。

 いつも同じコンビニでパンを買って、出勤して、合間にパンを食べて。

 そして夜遅くまで働いて、また同じコンビニで夜ご飯と明日の朝食を買って。

 それから、家に帰ってすぐに寝る。そんな日々を過ごしてたってこと。

 そして、その毎日がこれからもずーっと続くんだろう、そう思ってたってこと。

 だけど、そんな日々はある日突然、終わりを告げた。

 いつものように、よれよれのスーツで背中を丸めながらの帰り道。

 コンビニで買った弁当を家に持ち帰ることも、食べることもできずに私は死んだ。

 いつもとは違う道を通って帰ろうとして、トラックに轢かれて死んだ。

 三十歳。何も成し遂げることができず、誰かに何かを誇ることもできず。

 私の人生が終わりを告げたんだ。


 目が覚めると、真っ白い世界の中に私は立っていた。

 こんなに広い場所に独りぼっちか。ちょっと寂しいかも。

 そんなことを思っていたら、目の前に自分以外の人が、一人いた。

 とってもきれいな女の人。

 その人は、本当に申し訳なさそうな表情で、私を見ていた。


根来涼花ねごろすずかさんですね?」

「え、あ、はい。そうです……」


 名前をフルネームで呼ばれたことなんて、何年ぶりだろう。

 大学を卒業して会社勤めを始めてから、はや七年。

 ついに今年で三十歳になってしまった私がフルネームで呼ばれる機会なんて……。

 いや、よく考えてみるとあった。病院。病院は、フルネームで名前を呼ぶわ。

 そんなことをセルフツッコミしていたら、女の人が突然ガバッと頭を下げてきた。


「本当に申し訳ありませんっ」

「……はい?」

「私の不手際でっ! あなた様の寿命を間違って奪ってしまいました!!!」

「私の……寿命……」


 ちょっと何を言っているのか分からない。

 私が不思議そうな顔をしていたのか、女の人は、再び深く頭を下げる。


「あなたの寿命は本来、85歳まででした。死因は老衰。ですが、私があなたの人生ファイルと隣に置いていた人の人生ファイルを読み間違ってしまいまして……」

「はぁ」

「それで今日、トラックに轢かれて死ぬはずだった人とあなたを間違えて、あなたの人生を終了させてしまいました!!! 申し訳ありません!!!!」

「あー……、えっと、とりあえず、私は死んだ、と」


 私の言葉に、女の人は頷く。


「そうです。あなたは今日、この世界での人生を終えられました。本当に、本当に申し訳ありません」

「あー、いや、そういう日もありますよね……」


 思わず、そう言葉がこぼれ出る。

 私はいつも、自分にそう言い聞かせてる。

 何かミスをして怒られた日も、私じゃない誰かのミスを私が修正した日も、そうやって思ってきた。

 そういう日もある。悪いことが起こる日もある。でもいいことが起こる日もあるって。

 

 私の言葉に、女の人は首を横に振る。

「いえ、こんな日ばかりです。でもこのミスに関しては、謝るだけで済む話ではありません。だって、あなたの人生を奪ってしまったのですから」

「でも私、死んだんですよね? もうどうしようもありませんよね?」


 死んでしまったらもう、多分打つ手はない。

 生き返らせてくれる、とかでもない限り無理。


「ええ、この世界では。でも、別の世界に転生する、ということでしたら可能です」


 女の人の言葉に、沈みかかった私の気持ちが再浮上する。


「別の世界であれば、また人生を楽しめると……」

「はい。でも今日までの涼花さんの楽しかった人生は、やり直せません……」


 肩を落とす女の人に、私は声をかける。


「楽しくなかったです」

「へ?」

「今日までの人生、いや、社会人になって働き始めた時から、楽しくはありませんでした。ですから別の世界でやり直せるのなら、私としては嬉しいです」


 確かに、突然この世界での人生が終わってしまったのは、少し悲しい。

 だけど悔いが残るほど、今は何かに打ち込んでもいなかった。強いて言うなら。

 最後はコンビニ弁当じゃなく、おいしいレストランの、できたての料理を食べたかったってことくらい。

 仕事は引継ぎなんてしなくても、誰だってできる仕事だった。

 両親に、何も恩返しできずに死んだのが心残りではあるけど。

 このまま生きていたって、何かが変わったとも思えない。

 それだったら、別の世界でやり直したい。

 今の私のことを知っている人が一人もいない世界。

 そこでやり直すんだ、最初から。


「別の世界に転生させてください。よろしくお願いします」

「承知しました」


 女の人は、深く、深く頷いた。

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我が勇者パーティはクセが強すぎるので、ケットシーの私が癒し担当になります(仮) 工藤 流優空 @ruku_sousaku

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