君にけさあしたの霜のおきていなば恋しきごとに消えやわたらむ

 この時代に来てから実に三か月が経った。


 その間、私はこの国では何が起きたのか、日ノ本の歴史を学ぶことにした。


 私たちが生きていた時代から1000年と経たない、実に300年近くで争いの世の中になっていた。とても悲しき事実を思い知ることとなる。そして700年と闘争の中にこの国はいた。


 権威、領地、地位。そして人。


 これらを手に入れるために我々が使ったものが単純な暴力という手段だった。そうならないための安寧の歴史だったはずが、どうしてこのような結末に至ってしまったのか。


 人とは学ぶ生き物だ。私が今、そうしているように。


 そして学び、ことばによる解決を手に入れた人は、少なくとも流れる血の少ない選択を続けているのが今の時代である。

 細かな部分は井月さんが捕捉してくれた。

 それに、衣食住も提供してくれていた。ありがたい。


 私も上官に就いていた身。いずれ恩を返さなければ。


「あ、こちらお茶です」

「ありがとう」


 私が学に勤めているときは井月さんはそっと急須の茶を持ってきてくれる。

 井月さんは『コーヒー』と呼ばれる黒い水を飲んでいるが、あれはまずかった。

 何かに集中するときに飲むものだと言っていたが、泥水とまでは言わないが舌に刺さって残る独特な苦味だった。

 私も苦い茶は飲む。ただ、あればかりはダメだった。


 それにしても、歴史を学ぶために井月さんから借りている『インターネット』というものは非常に便利だ。今までに必死に詔を書に書き写していたのが馬鹿馬鹿しく感じるほど、これは今の時代を語るにふさわしいモノだ。


 我々の時代が「気品」の時代と例えるなら、今は「情報」の世界。

 それも何百年といった長い歴史から手に入れたものではなく、数十年の出来事だということが信じられない。


 ……違う。人は学び始めたのだ。それが理由だろう。

 今までが一つのものに固執するがあまり、何か新しいものも得ようとはしてこなかっただけなのだろう。

 こうして人々は端的に『頭がよくなった』のだ。

 それも上官クラスの我々でも太刀打ちができないほどに。


 そうはいっても、井月さんが言うには私は覚えがいいほうだという。

 たった三ヶ月でこの世界で起きていることを把握するのは簡単なことではない。

 あっさりとそれをやってのけるのは地頭が良いのだろうとも言われた。


 それを私は否定した。

 ただ、この世界のことを知りたいだけなのだ。

 これだけが私を突き動かす原動力だっただけに過ぎない。


「……」

「…………」


 私はインターネットのひとつのページで止まる。


『在原業平』


 ここに私のことについてまとめている。おおむね当たっているが、間違いもいくつか見受けられる。それに、自分で言うべきではないかもしれないが、ここまで大層な身分でもない。


 それに、私は正確には死んでいない。今ここに居る。

 ……が、歴史が私を殺したのだろう。そう思うしかあるまい。


 私はそのページを読むことを止めて、別のページを開く。

 マウスとキーボードの扱いもやっと慣れてきた。

 つい最近になって、キーボードの文字の場所も覚えた。ありがたいことに、押すところ一個一個に「ひらがな」が書かれているから覚えるのも容易だった。


 ただ、どうやら私のキーボードの使い方は間違っているそうだ。

 井月さんが私のキーボードの押し方に驚愕していた。


「ローマ字入力のほうが……」

「ろーま字とは」

「あっ、いえ何でも」


 何かを伝えようとしたが井月さんは口を噤んだ。

 もちろん歴史を学ぶ過程で「ローマ」という言葉を知っている。

 ここから遠い地の名前だとわかっているが、そこで使われている言葉がどうして必要になって来るのか。


 キーボードを使い、私は「たんか」と打ち込む。


「またそのページですか」

「あぁ、やはり歌は素晴らしい……」


 私の生きた時代から先にも歌を詠む人々はいた。

 彼らがどのように生き、何を見たのかが、手に取るようにわかるのが何よりも嬉しいのだ。

 日ノ本の歴史に触れていると感じられる。


『寄せ返す

  波のしぐさの

   優しさに

 いつ言われても

  いいさようなら(俵万智)』


「いいなぁ……」

「そんなにいいんですか?」

「井月さんもわかるだろう。まるで海が生きているみたいだ。緩やかな波が跳ねる海が目の前にあるのがわかる。そして、その海を見て別れを感じるというのは……これは、海から離れるのか……あるいは愛した人物との最後の光景なのか……」


 たった三十一文字。


 なのにこの狭いマンションの一室から飛び出して、ザザンと静かに波打つ海辺にやってきたような気分にさせてくれる。

 この時代、この世界のことを何ひとつたりとも知らない私でもだ。


 そこに私はひとつの悔しさを覚える。もっと人々と出会い、旅をして、長い歴史とともに生きていれば、この歌の意味ももっと知れるのだろうと思えて仕方がないのだ。


「あ、この人」

「ん」

「俵万智ですか?」

「この方は有名なのか?」

「え、ええ。昔からいい短歌を作る人で、学校の教科書にも載っているので、私も名前だけは知っていました。それだけですが」

「なっ! この時代では歌を学ぶことができるのか!?」


 喉から手が出るほどやってみたい。

 が、その学校という場所は特別な場所で私には行けないこともわかっているため自重する。


「サラダ記念日」

「さ、さらだ?」

「俵万智の短歌です。これも教科書にありました。確か、旦那さんがサラダが好きって言ったから今日は記念日にする……みたいな短歌だった、はず」


 サラダが好きだから。それだけで記念日にする。


 些細な喜びを大きく見せているのだろうか。

 実際に歌を詠まないことには本質はわからないが、やはり俵万智という歌人は女性なのか。

 先ほどの歌からも感じられた女性らしさは間違いではなかった。

 とはいえ、私が詠んだことのある女流の歌はあの美しい彼女のものぐらいしかないのだが……


 小野小町。彼女も同じく、どうしているだろうか。


「……」

「やっぱり見つかりませんか?」

「………………ああ」


 私が歌を調べているのは、気分転換だけではない。


 もしかしたら、この世界に連れてこられた他の歌人の歌も見つけられるのではないかと思ったからだ。

 試しにと、彼ら彼女の名前で歌を調べてみた。


『大友黒主』

『喜撰』

『僧正遍照』

『文屋康秀』


 そして『小野小町』


 我々は紀貫之の言っていた通り『六歌仙』という名で知れ渡っていた。

 しかし、これらの名前が残っている歌はかつて平安の世で詠んだものしかなく、新しく詠われたものはひとつもない。


 便宜上、名前を変えているかもしれない。

 そうだとしても私にはわかってしまう。


 なぜなら、私ならば彼らの歌ぐらい詠んだだけわかるものだ。

 今まで、現代の歌を調べつくしてきた。しかし、彼らが詠ったと思われるものは欠片として見つけることはできなかった。


「……」


 私だけが、この世界に?


「…………少し出る」

「あ、いつ戻りますか」

「すぐに戻る。すまない」


 井月さんに会釈を一つして、私はマンションから出る。

 いつの間にか夕方になっていた。

 子供たちの笑顔が目の前に聞こえるようだ。


 一人静かに夕日に染まる道を歩く私の気を遣っているようだ。


「コーヒーか」


 井月さんは『デザイナー』という仕事をしている。

 だからどこか遠くに赴くことなく、家で仕事ができるのだとか。

 しかし、この三ヶ月の間は私がお邪魔してしまったことで、とても迷惑だったに違いない。なのに、怪訝な顔をせずにいてくれるのはありがたい反面、どうしてだろうかと思ってしまう。


 そんな彼女のためになにかできないかと思うが、私にはどうしても歌しかなかった。歌で人々の苦しみを消すことはできる、そう信じている。だが、彼女には歌ではないもっと何かが必要な気がしてならない。


 私は、彼女からもらった少ない小銭で例の『黒い水』を買うことにした。

 コンビニでいつも買っているのは知っているし、何をどうやって買うのかも隣で見たことがある。一人でも大丈夫だ。


 ………………


 あ。


「……


 焼き魚

  香る幼子

   大人しく

 焦げ茶のあしきを

  いつか知らむや


 ……」


 ……あ。あぁ、私はこういう人間なのか。


 道を行く私の隣を過ぎ去っていった子供から、かすかにの香りがした。

 その残り香から、もう晩飯の頃合いなのかと沈みゆく赤い空を眺めながら思う。


 そして詠う。

 どうしても詠いたくなるのだ。

 私はどんな場所で、どんな世界でも歌人だと自覚する。


 ……しかし、これは恥ずかしくて井月さんには言えないな。

 思い切り走り去っていった無邪気なあの子はきっとコーヒーの苦さをまだわかっていない。

 それは私も同じだなんて口が裂けても言えまいよ。


 日が暮れる前に用事を済ませなければならない。

 井月さんにもすぐに戻ると言ってしまった手前、のんびりとしている場合ではなかった。歌も詠っている場合でもなかった。


 私は道を急ぐ。

 コンビニが見えてきた。


 勝手に開く扉が、勝手に開く。


 ピンポーン、パンポーン。


 そんな陽気な音楽が玄関から聞こえる。

 これは誰かがやってきたことを伝えるための音だと井月さんが言っていたが、わざわざそのために必要なのかと私は勝手ながら思ってしまう。

 扉ぐらいコンコンと叩いてしまえばよい……


 ………………


 ……


「………………!!?」


 私は玄関で立ち止まってしまった。

 後ろから私についてきた他の客がつっかえてしまっている。

 しかし、それよりも私の中に入ってきたもののほうが気になって仕方がなかった。


 コンビニの中で流れているラジオ。

 井月さんと一緒に入ったときには気に留めなどしていなかった、その音に惹かれてしまった。


『それでは今、話題のシンガーソングライターによるニューシングル。遠距離恋愛を思うドラマ「いたずらロマンス」の主題歌になりました。』

「この歌は……」


 ラジオの進行役の裏でそのシンガーソングライターが歌っているのが聞こえる。

 ドラマの主題歌で恋を歌っているというその曲。


「もし……」


 私はコーヒーも何も買わずに店を出た。

 その曲をじっくりと聞いていたいとも思ったが、それよりも。


 急いでマンションをのぼる。長い階段をつまづきそうになりながらのぼって、井月さんのいる部屋のチャイムを鳴らす。


「は、あっ、いま開けます」

「井月さん!!」

「はい?」


 扉越しに私は井月さんに伝えたいことを伝える。


「いたづらロマンス!」

「え、あぁ最近話題のドラマですか?」


「その主題歌を担当している者を教えてくれ!!」

「え」

「間違いない、あの歌詞、あの表現……『小野小町』に違いない!!」

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六歌の宴 琴吹風遠-ことぶきかざね @kazanekotobuki

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