最終話見果てぬ夢

 時は経ち、秀繁は再び大人になり、再び人生経験を積み、そして3度目の人生で再び老境を迎えようとしている。


 秀繁は両度小春を妻とし、子を儲け、孫に囲まれながらも、神子田教授の跡を継ぎ、大学教授となり、豊臣家の興亡を学んでいき、そして紡いでいった。

 一心不乱に研究に挑む秀繁。その助手は同じく前世の記憶を持つ小春であり、ふたりは仲睦まじく歴史を吟味し、知的好奇心を満たしていく。


 それはいつしか、いち個人の理論を越え、世界を巻き込む大論争へと化していったのだ。




 秀繁が現代に再び転生して帰ってから、50年ほど経ったある年の12月。


 秀繁は紋付き袴を着用して、ハイヤーにて送迎を受け、豊臣家によって創設されたトヨトミ国際コンサートホールへと向かった。

 そこで彼を待ち受けるのは、その姿が、けし粒に思えるほど酔ってしまいそうな人の波。

 

 秀繁は『豊臣賞』を受賞し、今日はその授賞式なのだ。



 再び老いた男は年甲斐もなく昂揚しているが、それが滑稽こっけい可笑おかしくもある。

 400年前に自分が作るよう遺言した賞を、400年後に自分が受賞するのだから。


――まるで、自分を賞するために自分で賞を作ったようなものだ



 日本人で久方ぶりに『豊臣賞』を受賞する者が現れ、それがまた『豊臣家の直系男子』であることから『豊臣秀繁』の名は400年ぶりに世界中から注目を集めることとなっているのだ。


 受賞会場であるトヨトミ国際コンサートホールは、世界中からマスコミ関係の人々で溢れかえっている。


『今回、豊臣賞を受賞されましたが、お気持ちは?』

『豊臣賞がその子孫に贈られるとなって、運営委員会との間に癒着ゆちゃくがあるのではないか、と言われていますがどうお考えですか?』


 ハイヤーから降り、レッドカーペットで会場へと向かう途中の秀繁を、無節操・無責任・無秩序の三拍子で騒ぐマスコミの人々がそれでも囲もうとした。


『まずは、スピーチを行ってから質疑応答のお時間を取らせて頂きますので、質問はあとでお願いします!』


 周囲のものがマスコミの人々を言葉と手と体で制す。

 運営委員会のものによって守られた秀繁は、軽く手を振って答える。


 秀繁は近くの人にペンと色紙を差し出され、サインをねだられた。


――この人は豊臣家の2代目と19代目のどちらのサインが欲しいんだろう?


 そんなことを思いながら花押かおうのようなサインをその色紙に書き込む。

 そして人込みをかき分けながら控室へと向かう。


 サインに応じる姿を、カメラが納めた。

 豊臣家の2代目兼19代目は、好感を持って世界中の人々に迎えられた。

 迎えられざるを得ない。

 あの、世界の歴史に名を残す『豊臣秀繁』の諸説は、この気さくな老人によって一種のお祭りとなっているのだから




 パシャッ、パシャッ、とフラッシュの響く音がする。海外からの特派員も日本に派遣されて来ている上に、テレビカメラも世界中から所狭しと集められている。


 全世界中が、1年に1回のこのときを注目しているのだ。


 ましてや豊臣家の祖『豊臣秀繁』と同姓同名であり、直系の子孫が天下統一・世界制覇を成しとげたのだ。日本中、いや世界中が今『豊臣秀繁』の名に再注目している。


『流行語大賞』やら『今年の一文字』などとは比べること自体おこがましい。

 全盛期のビートルズ相手に、『紅白歌合戦出られたら良いよね』などとのたまうよりも常識外れだ。

 ノーベル賞でさえ、この賞を模倣して作られたものだと言われている。

 それが、もう優に300回は越える世界的権威『豊臣賞』である。


 秀繁は『ヒデシゲ・トヨトミによる既成概念のくつがえし方と、それにおける世界文化への影響の考察』という論文で『豊臣歴史学賞』を受賞した。


 要するに、自分が過去の世界で行ったことが現代世界においてどんな変化をもたらし、学問や文化がどう進化したのか、そして『ヒデシゲ・トヨトミ』がいなかったら世界はどうなっていたか、を著したのだ。


 過去の秀繁・・・・・は現代知識を活用し『戦国武将・・・・』として成功をおさめたが、現代の秀繁・・・・・は逆に過去の知識を活用し『歴史学者・・・・』として成功をおさめたのであった。


 秀繁の受賞は海外では『TOYOTOMI AWARD comes HOME!』と報じられた。




「さあ、おまえさん、一世一代の見せ場や! 豊臣秀繁の、ウチの旦那の一番格好良いところ。明智小春がおまえさんに両度も惚れた理由を、世界中に見せつけてやってや!」


 そう言って妻である豊臣小春・・・・が、このときのために仕立てられたオーダーメイドの紋付き袴を着た秀繁の背中を思いっきり叩く。


「うむ、行ってくる」


 秀繁は妻の気合注入にそう応じ、壇上へと昇りスピーチへと赴く。

 黒羽二重の羽織の肩を持って襟を正し、仙台平の袴の裾を払う。足元には足袋と雪駄。

 上着には豊臣家の家紋・五七桐ごしちのきりが入っており、人々は本当に豊臣家の末裔が『この賞』を受賞したのだと実感する。


 秀繁が壇上に立つと一斉に拍手が起こった。


――自分・・は、その歓呼に値する人間なのだろうか?


 秀繁はそう思う。

 のために、幾多の人間が死んでしまったことを現代の自分は知っている。

 がやってきたことが100%正しかったのかは、もはやわからない。

 のおかげで史実に逆らい、豊臣家に臣従し、生き延びたものもいる一方で、これまた史実とは違い、豊臣家と敵対し、不本意な死を強要されたものも多いからだ。

 世界の歴史は『豊臣秀繁』の存在で捻じり曲がり過ぎて、本道を外れた。

 だが、それすらも、自分より更に後世の学者が偉そうに判断してくれるだろう。


――自分がやれることはここまでだ。だから、この場を借りて……


 事前にスピーチの文言は考えていなかった。

 その場で感じたエモーショナルな感情を、直接、言葉にすることが自分らしいと思ったからだ。


 そして、の口から最初に発せられた言葉はこれだった。


「I can`t speak English language. So I'd like to speak Japanese at this place.OK?」


『これでも本当に中学・高校・大学で通算8年勉強したのか?』

『よく単位が取れたものだ』

『英検準1級持ってるって本当か?』

 と、周りから呆れられるEngrish・・・・・・・で秀繁はスピーチを開始した。


――我ながら、よくもまあこれであの織田信長と豊臣秀吉の目の前で『イギリス語が喋れる』などとぬかし、大言壮語を吐いたものだ


 実際、世界中から注目を浴び、国際的な場で話すことになって秀繁は過去を思い出し壇上でひとり赤面した。

 背中には冷や汗まで出ている。そうであろう。こんないい加減な英語を信長のまえで披露したら、打ち首になっていたやもしれない。




「私は、豊臣秀繁のことをよく知っています。これは私がの直系の子孫であり、名前がと同一だからではありません。実際に私はが行ったことを400年前にさかのぼり、見て、来て、やったのです」


 共通言語に訳されると、その秀繁の言葉を冗談と受け取ったのだろう。ほんの少しだけ会場から、そして中継先の世界中から笑いが漏れた。


 秀繁も笑った。誰も理解してくれないであろうという、喜怒哀楽のすべてが詰まった、その微笑。

 

 だが、たったひとり。

 愛する妻だけが、その笑顔の意味をわかってくれている。


――小春!


 妻に向かって皺を重ねた手をかざす。

 彼女は『わかっているよ』と言わんばかりに、小さな胸の前で、手を振った。



の研究をしていると、ときどきが心の中で話しかけてきます。『そのときそなた・・・だったらどうやってこの場を切り抜けた、そなた・・・だったらどうやってこの知識を学び、そしてそなた・・・だったらそれをどう活用したんだ?』と」


 は続けた。


「不可思議にも私が取るであろう行動と、の行動は完全に、100%一致していました。そのうえで思ったのです。ならこう思っただろう、こうやるだろう、と。それを確信し、そして著述してまとめたものが今回、豊臣賞を受賞した論文です」


 スピーチは続く。


 懐かしく思い出される戦国での日々。

 

 初めて月代さかやきを剃られたとき


 初陣で大吾郎とともに捕虜になったとき


 半右衛門の厳しい特訓


 初めて刃を振るった義父・明智光秀


 徳川家康を討ち取った小牧・長久手の戦い


 九州で味方にした立花宗茂、長宗我部信親


 半右衛門に産まれた、いなかったはずの嫡子・半兵衛


 狂ってしまった歴史の中で、それでも本道を歩んだ父・秀吉


 そして、一生のお願いを反故にしてしまった、かつての妻・小春



「引退なされるまで共同研究をしてきた神子田教授にはなんとお礼を申し上げてよいやら、感謝の言葉もありません。そして、よく私を理解し補佐してくれた妻、子供たちにももはやかける言葉がみつかりません。いつ、いかなるときもありがとう、小春!」


 通算二度目の結婚を果たした小春。そして三度目の人生で得た小春との間にできた子供、孫、曾孫たちは演説の途中にも関わらず、その当主に惜しみない拍手を送り続けている。


「そして、私の研究対象であった豊臣秀繁とその一行。彼らがいるからこそ、今の日本人、いや地球人は、その豊臣秀繁が生きた戦国時代にそぐわないオーパーツとも言える知識を享受できている」


 演説は終盤に近付き、秀繁、そして彼を囲むものは息を呑む。


「その覇業を成すために散っていった名もなき兵士たち。彼らのことも無下むげにすることなく、今現在の地球の平和な時代を築いたいしずえとして、ときどきでいいので思い出してあげて下さい」


 演説は終わり、拍手そして歓声はひときわ大きくなる。




そして再びすべてが・・・・・・終わるとき・・・・・に、妻や子供たちに『豊臣秀繁』という人物のことを改めて話そう




じぶんが、家族、周りのもの、自分に関わったもの、自分に味方してくれたもの、そして敵対したものですら、どんな時代においても、そのすべてを如何に愛し見守り続けているか、ということを






        戦国武将の異常な愛情 

~または私は如何にして心配するのを止めて下剋上を愛するようになったか~

 

           ~完~








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🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 

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忙しい師走の中、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

主人公たちも、今、令和の時代で三度目の人生を必死で生き抜いている最中だと思います。


そして、作者の他作品、サッカーものも連載再開しています。

今作では、『豊臣秀繁』という『戦国時代』を生きた人物の人生を描いていますが、こちらでは『向島大吾』という『現代地球』を生きる人物の『サッカー人生』を描いています。

エンタメ性は『戦国』より若干低いかもしれませんが、ヒューマンドラマ性としては、こちらの方が上だと思っています。

どうか、サッカーに興味がある方も、まったくない方も、是非こちらも一度ご覧くださいませ!


※※※※※


『168㎝の日本人サッカー選手が駆け上がるバロンドールへの道』

https://kakuyomu.jp/works/16817330649478561175


父が元日本代表、兄が現役A代表というサッカーの名門の家系に生まれた少年・向島大吾。彼は小学生6年生の時点で168cmある、フィジカルを頼みにした大型フォワードであったが、高校2年になった今でも身長は相変わらず168cm。彼はただ周りと比べて早熟なだけだったのだ。

武器であったはずのアスリート能力は失われ、劣った運動能力は逆に足を引っ張ることとなるが、大吾はそのあと基礎技術を徹底的に磨き、テクニック特化の選手として、プロサッカー界の大海を泳ぎ生き抜いていくこととなる。

彼のプロ生活は、前人未踏のフリーキックでの4得点を達成することから始まるのだが……




最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

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戦国武将の異常な愛情 ~または私は如何にして心配するのを止めて下剋上を愛するようになったか~ 高坂シド @taka-sid

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