ビューティフル
星賀 勇一郎
ビューティフル
そこで彼女を見たのは初めてでは無い気がした。
大きなリュックサックを足元に置いて、膝を抱えて座っている彼女。
それが無性に絵になる気がした。
肩までのサラサラと風を拾う金髪と栗色の瞳。
タンクトップにショートパンツ姿でナイキのスニーカーのつま先で石畳の地面を擦っていた。
私は向かいの喫茶店から出て来たところで彼女を見つけた。
その瞬間、彼女に声をかけなければいけない気がしたのだった。
流れる人並みを横切り、彼女の傍にあった自販機に小銭を入れてペットボトルの水を買った。
荒々しい音と共に取り出し口に落ちるボトル。
それを取り出すと、彼女に渡した。
案の定、彼女は喉が渇いていたのか、渡したペットボトルを素直に受け取り、早速口につけた。
私はその彼女の様子を見て微笑み、周囲の目も気にせずに彼女の横に座った。
「ノド、渇イテマシタ。アリガトウゴザイマス」
彼女は片言の日本語で礼を言った。
「何処から来たの…」
質問が聞き取りにくかったのか、日本語が分からなかったのか、もう一度言ってくれと言わんばかりに彼女は耳に手を当てた。
私は「何処から来たの」とゆっくりと大きな声で再び言う。
「ロシア。カリーニングラード」
カリーニングラードというと東欧の国に囲まれたロシアの飛び地である。
ヨーロッパの血が濃い地方で、彼女の様にロシア人でもヨーロッパ系の人々が多い地域だ。
小さく頷くと彼女に微笑んだ。
「こんなところで何してるの…」
さっきと同様にゆっくりと大きな声で彼女に訊いた。
彼女はもう殆どペットボトルの水を飲み干していた。
日本の夏は暑い。
彼女の格好を見ても分かるが、この湿度と暑さにやられたのだろうと思った。
「オ金ヲ落トシテシマイマシタ」
彼女は不安そうな顔になり俯いた。
「それは困ったな…」
私はゆっくりと立ち上がって、彼女の前にしゃがみ込む。
「お昼は食べたかい」
彼女はわからないといったジェスチャーをした。
「ランチは食べたかい」
私はもう一度彼女に訊いた。
彼女は首を横に振った。
「昨日モ、何モ食ベテナイ…」
この猛暑の中、何も食べず、しかも金が無いのでは外で寝たのだろうと思い、私は彼女に手を差し出した。
「一緒にランチを食べないかい」
彼女は私の顔を見上げる様に見ると微笑んだ。
そして私の手を握り立ち上がった。
彼女が傍に置いていたリュックサックを持つと、彼女と一緒にその混み合う商店街を歩いた。
そしてすぐ近くの中華街にある店に入った。
店の奥のエアコンの効いた席に座り、適当に料理を頼む。
彼女は先に出て来たカルキ臭い水を何杯も飲んでいた。
この暑さの中で、飲まず食わずは本当に大変だっただろう。
「沢山食べていいからね…」
私は向かいに座る彼女に微笑んだ。
料理が出て来ると彼女は器用に箸を使い、それを食べ始める。
相当腹が減っていた事もわかった。
私はそんな彼女を見て終始微笑んでいた気がする。
腹が満たされると、彼女は少しずつ片言の日本語で話し始めた。
名前はサシャ。
歳は二十歳だと言う。
日本のアニメが好きで、お金を貯めて日本にバックパッカーとしてやって来たらしい。
東京からヒッチハイクを繰り返してここまで来たようだが、その途中で財布がなくなっている事に気付き、数日、この街の公園で寝泊まりしていたそうだ。
比較的涼しい場所で昼間は過ごし、夜になると公園に戻り、水道の水を飲んで空腹を凌いでいたと言う。
軽く三人前を越える料理を、サシャは殆ど一人で平らげお腹を擦った。
「モウ、オ腹、イッパイデス」
私はそれを聞いて微笑んだ。
私とサシャは店を出て商店街を歩いた。
途中、帽子を売っている店があり、私はサシャに似合う麦藁帽を買い、サシャに被せた。
ジェラート屋の前で美味しそうにジェラートを食べる制服姿の女子高生を見て、ジェラートを二つ買ってサシャと食べた。
国は違っても女の子は甘いモノが好きらしい。
ある店の前でショウウインドウに飾ってあるワンピースを見てサシャは立ち止まる。スタイルの良いサシャには似合いそうなワンピースだった。
私はサシャの背中を押してその店に入ると、そのワンピースを買ってサシャにプレゼントした。
サシャも嬉しそうにショッパーを胸に抱いていた。
その後、タクシーに乗りマンションにサシャを連れて帰った。
親子程歳の離れたサシャに下心などは無かった。
サシャもマンションの入り口で少し躊躇っていた様だったが、すぐに一緒に部屋に入った。
彼女に着替えを渡して、バスタブにお湯を張った。
「お風呂、入りたいでしょ…」
彼女にタオルを渡してそう言った。
少し警戒している素振りを見せるサシャに、
「二時間したら戻るから、ゆっくりお風呂に入って寛いで…」
そう言うとエアコンを効かせて、部屋を出た。
近くのコンビニで気になっていた文庫本を買い、いつも行く喫茶店に入った。
部屋に戻ったら彼女が部屋のモノをすべて持ち出し、もぬけの殻になっていても良いと思っていた。
そんな風に考える自分がおかしくて、つい笑ってしまう。
結局二杯分のアイスコーヒーの時間を潰して部屋に戻った。
部屋の鍵を開けると玄関にはさっき買ったワンピースを着たサシャが立っていた。
「アリガトウゴザイマス。オ風呂、気持チ良カッタデス」
そう言って私の腕を取った。
私が準備した着替えは着ずにそのままバスルームの入り口に置いてあった。
それほどにワンピースを着たかったのだろう。
リビングでそのワンピースを着たサシャを見た。
窓から入る光に彼女の体のラインが透けて見えた。
私は目のやり場に困り、ソファに座った。
「あ、洗濯物ある…」
私は思い出したかの様に彼女に訊く。
「ランドリーっていいよ」
彼女は理解したのか、すぐにリュックサックを開けるとビニール袋を取り出して私に見せた。
洗濯機の前に彼女と一緒に行くと、使い方を教えた。
洗濯物は見せたくないだろうと思い、使い方を教えたのだが、彼女はその場で洗濯物をビニール袋から出して洗濯機に放り込み始めた。
洗濯機のドアを閉めて、洗剤を入れるとボタンを押すだけ。
サシャは教えた通りにボタンを押した。
リビングに戻るとサシャはリュックサックの外側のポケットからノキア製のスマホを取り出して、私に見せた。
「チャージサセテ下サイ」
キッチンのカウンターの横に付いているコンセントを準備して、彼女のスマホを充電した。
泊まる所も無く、充電が切れて数日放置していた様だった。
彼女は、電話さえ出来れば、カリーニングラードの両親に送金してもらい帰国出来ると言う。
彼女はソファに座り掌の中で二つの玉のようなモノをカチカチと触っていた。
「それは何…」
そう訊くとそれを私の手に乗せた。
私はその二つの玉をじっと見つめた。
サシャは少し考えて、
「アンバー…」
そう答えた。
琥珀の玉だった。
琥珀色とはよく言ったモノで、透き通るその玉は美しく、その玉の中に走る様に見える層が虹の様に輝いて見えた。
「アンバー…、琥珀か…」
私は微笑んでその二つの玉を彼女の掌に返した。
琥珀は鉱物に思われるがそうではなく、樹液の化石であり、一億三千年程前のモノだと言われている。
「綺麗だね…」
彼女は自分の事を言われているかのように微笑み、またその琥珀の玉をカチカチと手の中で回した。
カリーニングラードは琥珀の産地だとサシャは教えてくれた。
サシャが持っている琥珀はサシャが幼い頃に両親がくれたモノらしく、どこに行く時も持って行くそうだ。
彼女は疲れたのか、ソファで眠ってしまった。
エアコンの効いた部屋は寒いかと思い、ソファに横たわる彼女にブランケットをかけて、隣の書斎に移りパソコンを開いた。
ジャーナリストとしての仕事はここ数年やっていなかった。
それでも癖で色々と原稿を書く事はやめていない。
「何ヲシテイルノデスカ…」
サシャが私の後ろに立ってパソコンの画面を覗き込む様に見る。
「難シイ字ガイッパイデス」
サシャは眉を寄せた。
そして机の上に置いてあったデジカメを手に取った。
「見テモイイデスカ」
そう訊かれ頷く。
サシャは子供の様に微笑むとそのライカの電源を入れて、写真を見た。
そこには空と雲を写した写真が並んでいた。
「空バカリデスネ…。空ガ好キデスカ」
サシャは私が撮った空の写真をじっと見つめている。
「ああ、空、好きなんだ…。空だけは世界中何処にいても同じだから…」
私のいう事を理解したかどうかはわからないが、サシャは微笑んでいた。
「カリーニングラードノ空モ綺麗デス」
彼女はそう言ってライカを返した。
パソコンを閉じて、サシャとリビングに戻った。
そして冷蔵庫から冷たいジュースをグラスに注いでサシャに渡した。
私もグラスにアイスコーヒーを注いで窓際に立ち、薄く窓を開けるとタバコを咥えた。
サシャは思い出したかの様にバスルームの方へ行くと籠いっぱいの洗濯物を持ってやって来た。
そしてバルコニーへ出るとその洗濯物を干し始める。
私の部屋に女性物の衣服が干されるのは初めての光景だった。
サシャは恥ずかしがる事も無く、タバコを吸う私の前に下着を干す。
そして振り向いて微笑んだ。
「洗濯物ハ太陽ノ下ニ干スノガ一番デス」
そんなサシャを見て、微笑みながら頷いた。
夕食を食べに行こうと言うと、サシャは夕食を作ると言い出した。
そして二人で近くのスーパーに買い物に出る事にした。
カリーニングラードは独自の食文化を持っていない地域で、それは過去の暗い歴史によるモノでもあった。
ロシア、ポーランド、ドイツ、色々な国の領土となる事を繰り返し、色々な文化が入り混じった地域であり、そのために独自の文化が発達しなかったのだろう。
買い物籠に食材を入れるサシャの後ろ姿を見て、楽しく思えた。
美しい彼女の姿を見て、スーパーの客や店員が振り向く。
それほどに彼女は美しかった。
食材の入った袋を二人で持って、部屋に帰るとサシャはキッチンに立ち、慣れた手つきで料理を始めた。
サシャもロシア的なモノを見せたかったのか、ソーセージが沢山入ったポトフと焼いたチキンのステーキが出来上がった。
不格好に切られたバケットがテーブルの真ん中に置かれ、二人分の料理が並んだ。
「美味しそうだな…」
私は冷蔵庫からビールを出し、サシャにはジュースを入れると食卓に着いた。
手を合わせて、
「頂きます」
と言うと、それを真似てサシャも、
「イタダキマス」
と手を合わせた。
ドイツのチーズを薄く切り、バケットに乗せて食べるサシャを真似て食べてみる。
そしてポトフを口に入れる。
黒胡椒の効いた味が刺激的でなかなか美味しかった。
「美味しいよ」
サシャに言うと、サシャは嬉しそうに手を叩いて喜んでいた。
食事が終わり、サシャにホテルを取ろうと言うと、サシャは床の上に正座をして頭を下げた。
「ココニ泊メテ下サイ」
サシャは声を震わせながらそう言った。
少し考えたが、頭を上げないサシャに私は了承した。
サシャは嬉しそうに飛び上がって喜んでいた。
サシャにベッドを譲り、ソファで寝る事にした。
最後までサシャは自分がソファで寝ると言っていたが、「ベッドに寝ないならホテルに泊まってもらう」と言うと渋々ベッドルームへ入りドアを閉めた。
ロックグラスにグランツを注ぎ、バルコニーに出てタバコを咥えた。
サシャの干した服が夜風に揺れている。
すっかり乾いているが、女性の衣服を取り込むのもマナーに反する気がしてそのままにしておいた。
タバコを消して、部屋に戻ろうと振り返ると、そこにはパジャマ替わりに渡したワイシャツを着たサシャが立っていた。
「どうした…」
サシャに微笑む。
サシャはゆっくりと私に近付き、抱きついてきた。
そのサシャの肩を抱いた。
そしてソファに座らせるとサシャはキスをした。
街の明かりだけが差し込む部屋で、サシャの頬に手を当てて、首を横に振った。
サシャは恥ずかしそうに微笑むと立ち上がって部屋に戻って行った。
テーブルに置いた氷の溶けたグランツを口に含むと、そのグラスで額を冷やした。
翌朝、目を覚ますと、寝ている私を覗き込む様にサシャの顔があった。
「オハヨウゴザイマス」
サシャは元気にそう言う。
ゆっくりと起き上がり、サシャに「おはよう」と言った。
タバコを咥えてバルコニーに出るとサシャの洗濯物は取り込んであった。
朝日が容赦なく降り注ぎ、少し外に出ただけでも汗が滲む。
サシャに朝飯を食いに行こうと言うと、サシャはお腹を押さえて空腹であるジェスチャーをした。
昨日買ったワンピースがお気に入りなのか、そのワンピース姿でサシャはリビングに現れる。
そして二人で部屋を出た。
昨日一人で入った喫茶店に入り、モーニングセットを二つ頼むと、私は新聞を広げた。
その新聞をサシャが裏から突く。
新聞の陰からサシャを見るとサシャは鼻の下にストローを挟んで目を寄せていた。
そのサシャを見て笑う。
そんなつまらない事が私には楽しく、サシャを可愛いと思える瞬間でもあった。
テーブルにモーニングのプレートが置かれ、アイスコーヒーとオレンジジュースが並んで置かれた。
そのオレンジの色とコーヒーの色のコントラストが窓から差し込む光に輝き綺麗だった。
サシャの携帯が鳴った。
サシャはワンピースのポケットから携帯を出すと、ニコッと笑って喫茶店の外に出て行った。
両親との連絡がついたのかもしれない。
窓から電話をしているサシャを見ているとサシャはナイキのスニーカーで地面を蹴りながら、話をしていた。
アイスコーヒーを飲んでトーストを口に放り込んだ。
サシャは電話を終えて戻ってくると、向かいに座り、指でOKサインを作って見せた。
どうやら送金してもらえる事になったのだろう。
朝食を食べて外に出る。
暑そうに手で自分を仰ぐサシャに、このまま街に出ようと言うとサシャは嬉しそうに頷いた。
ガレージから車を出すと、サシャを乗せて坂を下りて行く。
特に何処へという当てもなく、海の方へと走り、海岸沿いに車を停めた。
噎せ返るような海の香りが潮風に乗って押し寄せるようだった。
私とサシャはその海のざらつく手摺に肘を突き、沖を行く船を見ていた。
「私ノ街、軍港アリマス。バトルシップデ、イッパイデス」
サシャはそう言って潮風に目を細めた。
サシャの肩越しにその港に隣接する公園を見た。
楽しそうに笑うカップルでいっぱいだった。
私はサシャに微笑む。
「日本は楽しかったかい…」
サシャは少し考えたが、小さく頷いた。
手摺に背中を着けて、山の方を見た。
「日本ハ平和ナ国デス…。日本ニ来テ良カッタデス」
私を覗き込む様に言うと笑った。
駐車場に車を入れようと地下に入る。
混み合う駐車場に駐車スペースを見付けて車を入れようとしていると、一台の車が割り込み、頭からそのスペースに突っ込んできた。
私は急ブレーキを踏んで、車を停めた。
「危ないな…」
私は車を降り、その割り込んだ車に向かって歩き出すと、その車から数人の若い男が降りてきた。
「危ないだろう…」
その男たちに文句を言うと、男たちは私に向かって歩いてくる。
「うるせーよ、オッサン。先に入れたモン勝ちだ」
男たちは荒い口調で私にそう言う。
「何だよ。やんのかよ」
喧嘩腰の男を睨んだ。
そこにサシャが車を下りてきて止めに入った。
「何だよ、オッサン。可愛い女連れてるじゃんかよ…。オッサンほっといて俺たちと遊ぼうぜ」
一人の男がサシャの肩に手を掛けた。
その瞬間だったサシャはその男の手を捻り上げ、鳩尾に肘を入れた。
男はそのまま卒倒した。
「何だお前…」
傍にいた男がサシャに掴みかかろうとした。
サシャはその男の股間を蹴り上げる。
そしてサシャは私の車の運転席に乗ると、
「乗ッテ」
と叫び、車を走らせた。
男たちも車を出して、追いかけてきた。
駐車場の中をタイヤを鳴らしながらサシャはハンドルを切る。
男たちの黒いワンボックスカーはその後を着いてくるが、サシャの運転技術には到底追いつかない様だった。
案の定、向かいから来た車にぶつかって、男たちの車は止まった。
私たちはそのまま駐車場を出て、国道を走った。
「すごいな…」
ハンドルを握るサシャに苦笑しながら言った。
サシャはニコッと笑うだけで、アクセルを緩める事も無く、西へと車を走らせた。
海岸沿いにあるレストランで昼食を取り、帰りは私の運転で帰って来た。
サシャの運転には命が縮む思いだった。
サシャに送金があるまでの数日、私とサシャは一緒に暮らした。
その日々は本当に楽しく、現実を遠退ける時間だった。
サシャ用のエプロンを買い、食事や掃除、洗濯までもサシャがやってくれた。
サシャの下着と私の下着が並んで干してあるのを見て少し照れ臭かった。
その日、二人分のステーキを焼き、食卓に並べた。
「サシャ。飯、出来たよ…」
サシャを呼んだ。
そしてベッドルームにいるサシャに声をかける。
「サシャ…」
ノックしてドアを開けると、サシャは浮かない顔をしてそこに立っていた。
「どうしたの…」
私の問いにサシャは首を横に振った。
そしてニッコリと微笑むと、
「オ腹、ペコペコデス」
そう言って食卓に向かった。
赤ワインを出し、グラスに注ぐ。
するとサシャもワイングラスを出して来た。
「私ニモ下サイ…」
サシャのグラスにも少しだけワインを注いだ。
サシャは頬を膨らませて、
「ロシアデハ十八カラ、オ酒飲メマス」
そう言った。
私は微笑んで頷き、私のグラスと同じ高さまでワインを注ぐ。
サシャはそのグラスを手に取ると、
「乾杯シマショウ」
と言う。
私もグラスを手に取った。
「明日、帰リマス」
サシャは静かに言う。
「えっ…」
私のグラスはサシャのグラスに触れる寸前で止まった。
「明日、日本ヲ立チマス」
私は俯いてグラスを引いた。
そして顔を上げるとそのグラスをサシャのグラスに軽く当てた。
「そうか。やっと帰れるんだな。良かったじゃないか…」
私はワインを一気に飲んだ。
それを見てサシャも小さく頷くとワインを飲む。
その日は殆ど会話もせずに食事を終えた。
夜もなかなか寝付けずに、ソファから天井を見ていた。
カーテンの隙間から時折、近くを走る車の光が何かに反射して入ってくる。
胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。
もちろんサシャの事を考えると、ロシアに帰るのが一番良いのだろう。
目を閉じて考えない事にしようと試みた。
その時リビングのドアが開く音がした。
ゆっくりと体を起こすと、そこにはサシャが立っていた。
「サシャ…」
無意識にサシャの名前を呼んだ。
その私の傍にサシャはやって来た。
「どうしたんだ…」
サシャは黙ったまま、パジャマ替わりのワイシャツをスルリと肩から落とした。
白い肌のサシャの体はとても美しかった。
翌日、サシャを空港まで送った。
昨夜の事などなかったかのようにサシャは空港ではしゃぎながらお土産を買っていた。
そのサシャの姿を見ながら、ベンチに座っていた。
お土産物を手に取って私に手を振る。
私も小さく手を振り返した。
一通り買い物を終えると一緒にレストランに入り食事をした。
二人とも喉を通らずに、水で流し込む様にして最後の食事を食べた。
レストランを出ると、サシャが立ち止まり、頭を下げた。
「色々ト、アリガトウゴザイマシタ」
私は首を横に振る。
サシャは私の手を取って琥珀の玉を一つ乗せた。
「泣キタク無イカラ、ココデ別レマショウ」
仕方なくサシャの言葉に頷いた。
「ジャア、サヨナラ…」
サシャは床に置いたリュックサックを手に持ち、麦藁帽を被った。
お気に入りのワンピースとその汚れたリュックサックが不釣り合いだった。
サシャは携帯を取り耳に当てて歩いて行く。
私はサシャと逆の方向へと歩きながら電話をかけた。
「私だ。サシャ・クロワノフがカリーニングラードへ帰る」
私はそれだけ言って電話を切った。
「私よ。あの男はフライではないわ…」
サシャ・クロワノフは振り返り、私の背中を見ながら微笑み、流暢な日本語でそう言った。
滑走路から飛び立つ飛行機を彼女にもらった琥珀に透かした。
そして夏の青い空を見上げた。
ビューティフル 星賀 勇一郎 @hoshikau16
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