らいかのそらの下。
星賀 勇一郎
らいかのそらの下。
ゴシップ記事なんて書く記者は、モノ書きの底辺だ。
地元の新聞社に勤める親父殿にそう言われ、家を飛び出してもう四年になる。
もちろん私もそれを書きたくて記者になった訳じゃない。
本当になりたいのは小説家。
でもなれないんだから、食べて行くためにゴシップを書いている。
タブロイド紙の記者は記事も書けば写真も撮る。
いつの間にかこんな仕事が私の生活の中心になり、今日もネコと言われる情報屋から買ったネタで、張り込みをする事になった。
三流大学を出て出版社に就職した頃は、ファッション誌を見て服を買い、髪を束ねて仕事をしていた。
今じゃ、いかに動きやすいかを追求する服で、一日中ターゲットの家の前で張り付く事もある。
食事もそう。
オシャレなカフェで食事をしてインスタグラムに写真を上げる同世代のOLを横眼に見ながら、立ち食い蕎麦で五分で食事を済ませ、慌ててターゲットのマンションの前に戻る。
立ち食い蕎麦が食べれる時はまだ良い方で、コンビニのミニアンパンと缶コーヒーが主食になる時もある。
三十六回ローンで買った望遠レンズを揺らしながら、今日はターゲットのマンションの向かいのビルに登っていた。
最近はセキュリティもしっかりしていて、簡単に入れるビルも少なくなった。
クリスマスも近く、イロコイと呼ばれる行動に人間は自然と動き始める。
それを狙うのが私たちの様なタブロイド紙の記者だった。
そして如何に同業者を出し抜き、誰も感付いていない事実を書くかが私たちの価値にそのまま繋がって行く。
もちろん、そんな仕事に疑問が無い訳ではない。
まだ小説家になる夢も諦めてはいない。
ただ、半年かけて書き上げた自信作が、コンテストに落選したというペラペラのハガキが昨日アパートのポストにピンクチラシと一緒に入っていた事実。
これも私には重く圧し掛かる事実だ。
そうやって人は事実に縛られて突き動かされて生きている。
屋上までの階段を上り、錆止めの上にグレーのペンキを塗った鉄の重い扉を押した。金属の擦れる音と共にその扉は開いた。
風が刺す様に冷たく、ジャンパーの前のファスナーを閉めて、ゆっくりと屋上に出た。
ここからターゲットの部屋と、その高級マンションの出入り口は撮る事が出来る。
三脚と数台のカメラの入った大きなバッグを提げて私は屋上の隅まで歩いた。
無駄に晴れた、冬の高い空が私を嘲笑うかの様に見ている気がした。
私は三脚を立てて、ビデオカメラと、自慢の望遠レンズを付けたカメラをセットした。
そしていつでも撮り逃しの無いように数台のコンパクトなデジカメをケースから出して、冷たいコンクリートの上に投げ出したバッグの上に並べる。
ターゲットは朝方まで歓楽街で飲んでおり、まだ今は寝ている時間で、今日は仕事の予定もない筈だ。
木瀬義秋というフリーのジャーナリストの記事を読んだ日に私は出版社に退職届を出した。
真実を書く事がジャーナリズムであるのならば、出版社で担当していた情報雑誌なんてオママゴトの様なモノで、人々にとっては知っても知らなくてもいい話を腫物に触らぬ様に書く事で発行部数の競争をしていた。
本当に世の中に知ってもらいたい事を書く事こそがジャーナリズムだとその日思った。
そしてそのジャーナリズムの腕を磨くために小さなタブロイド紙のドアを叩き、フリーのジャーナリストとしての生活を始める事になった。
私の目標は木瀬義秋。
しかし、その彼も数年前に「フクシマ」の記事を書いて以降、何も書いていない。
私はふと、高い空を見上げた。
冬の日差しは鋭く、面で照らすのではなく、尖った点で私を照らす。
薄く白い雲も止まっているかの様にも見えた。
ビルに入る前に買った、缶コーヒーをジャンパーのポケットから出し、それを開けると立ち上がり、屋上のざらつく手摺に肘を突いて周囲を眺める。
普通に暮らしているとビルの屋上からの風景などなかなか見ない光景かもしれないが、私たちはそんな風景は、トイレに座って見るカレンダーと同じくらい見慣れた風景でもある。
私は隣のビルの屋上に人影を見つけた。
その男はその屋上のコンクリートの上に大の字になってカメラのレンズを空に向けていた。
何だろう…。
私はジーパンのポケットからアメスピの緑の箱と百円ライターを取り出して火をつける。
その間もその男から目を離す事が出来なかった。
男は何枚も空の写真を撮っている様子で、写真を撮っては微笑み、また写真を撮る。
私は望遠レンズを付けたカメラを三脚ごと男の方に向け、ファインダーを覗き込み、何度もシャッターを押した。
男は胸の上にカメラを置くと、目を閉じた。
私は夢中になってその男の写真を撮った。
流行のインスタグラムの写真か…。
空の様子や雲の写真を撮ってインスタグラムに上げる人は少なくない。
私も空を見上げた。
地上から撮る都会の狭い空とはその表情は少し違っている。
抜けるような都会の冬の空は、その体温さえ感じる様な色をしていた。
私も男を真似て、その冬の空の写真を撮った。
一秒一秒違う、その空の表情はしっかりと青く、地球という星で生きている事を感じる事が出来る。
カメラを元の位置に戻して、冷めてしまった缶コーヒーを飲んで、短くなったタバコを消した。
ふと、隣のビルの屋上を見ると、既に男の姿は無く、強い風だけが吹き抜けていた。
私は何故か微笑んで、そのコンクリートの床に座り込んだ。
そして男を真似る様に大の字になってその床に寝そべった。
短く切った髪が風にサラサラと流される。
そしてポケットに入れたデジカメを出すと、また空に浮かぶ薄い雲の写真を何枚も撮った。
中学の卒業文集に「生まれ変わったら何になりたいか」ってテーマで一言書いた記憶があった。
クラスで不良を気取っていた男子が、「空を自由に流れる雲になりたい」と書いていた事を思い出した。
私はそれを見た時に、苦手だった不良を少し身近に感じた。
冷たい風が心地よく、私は目を閉じた。
風の音と、地上から聞こえる喧騒がちょうど良いノイズとなり、暖かな冬の日差しを全身で感じ自分の鼓動をも感じている様だった。
シャッターが切られる音で私は目を覚ます。
どうやら眠ってしまっていたようだった。
逆光になっているその影を、さっき隣のビルに居た男だと気付くのにそんなに時間は掛からなかった。
男はニッコリと笑って私の横に座った。
「あ、ごめんなさいね…」
男は飛び起きた私の横に座り、コートのポケットから温かい缶コーヒーを出して私にくれた。
私はその缶コーヒーを受取り、小さく頭を下げた。
「冬の空って好きなんですよ…」
男はそう言うとポケットから私と同じタバコを出してマッチを擦った。
風が強いため、なかなか火がつかず、私は男にライターを貸した。
男は小さく頭を下げてそのライターで火をつけた。
そして周囲を見渡して、私の撮影機材に目を止めた。
「プロの方ですか…」
私はもらった缶コーヒーで冷えた手を暖めながら頷く。
「良いカメラですね…」
男の声が強い風の中を掻き分ける様に聞こえた。
「ライカ…ですか…」
私は男が持っているカメラがライカ製のデジカメだという事に気付く。
男はタバコを咥えたまま、手に持ったカメラを私に渡してきた。
私はそのライカを受け取りじっと見つめた。
「特にこだわりは無いんですけど、ライカが一番柔らかく写るような気がして…。優しいんですよ…ライカは…」
男は缶コーヒーを飲みながら空を見上げる。
私も男と一緒に空を見た。
その空の表情は、先程とはまた違って見えた。
「ほら、冬の日差しってどこか尖って見える気がしてね…。それを優しく撮るにはどうしてもライカでないといけない気がして…」
私は男の言葉に頷いた。
「わかります…」
男は私が共感した事が嬉しかったのか、俯いて不器用に微笑んだ。
その姿が子供っぽく感じて私も微笑み、男にもらった缶コーヒーを開けた。
「さっきは勝手に寝顔撮ってすみません…」
私は口元で缶コーヒーを飲むのを止めた。
「普段、雲ばっか撮ってるんで、被写体に断る事に慣れてないモノで…」
私は慌てて手を横に振って否定した。
「いえ、私もあなたを撮ってしまって、ごめんなさい。ある意味…私も、被写体に断って撮影する文化が無いので…」
そう言い終えるのを待つかの様に二人で声を出して笑った。
男は笑うのを止めると、手に持った缶コーヒーを一気に飲み、その空き缶にタバコの吸い殻を放り込んだ。
そして男はまた大の字になって空を見上げた。
私は手に持ったライカを男に返す。
男は私に微笑むとカメラを構えて空の様子を撮り始めた。
私は初めてその男の顔をちゃんと見た。
角の無い流行のインテリ風のメガネと白いモノが混じる髪と顎鬚、歳の割には鍛えている様にも見える体。
ジャーナリストとして人を見る目は学んだつもりだったが、この男が一体何者なのか見当もつかなかった。
「いつも空を撮ってるんですか…」
私は二本目のタバコに火をつけた。
「ええ…。時間だけはあるモノで…」
写真を撮りながら答える男の様子を見ながら私は微笑み頷いた。
男はゆっくりと起き上がると、カメラを私との間に置き、じっと空を見つめていた。
「空ってね…、綺麗な空だけじゃないんです」
男はポケットから潰れかけたタバコの箱を出して一本咥えた。
私は男にまた百円ライターを渡す。
男は小さく頭を下げて受取り火をつけた。
「一見、綺麗に見える空でもそれが汚れた空だったり…、爆弾が降ってくる空もある。空を見て笑う人もいれば、泣く人もいる…。全部、同じ空なんですよ…。空だけは世界中と繋がっていて、人々が同じように見る事が出来る」
男の吐く煙が冬の空に消されていく。
男はコンクリートの上に置いたライカを手に取った。
「こんなライカの中に収められる空なんて、その広い空の一部でしかない…」
私はその言葉が何故か胸に響いた。
男はふと立ち上がると屋上の手摺に肘を突いて、街の風景を眺めた。
「街も同じで、この街でカメラに収められる風景なんて、一部でしかない。こんなカメラなんかで人の人生を撮ろうなんてできないのかもしれませんね…」
そう言うと振り返った。
「田尻光太郎…」
男は突然そう言った。
私は驚き、ゆっくりと立ち上がった。
男はニコッと笑い、私の傍に立った。
「あなたの狙っている田尻光太郎はここにはいませんよ…」
国会議員の田尻光太郎は今日の私のターゲットだった。
「どうしてそれを…」
私は手に持った缶コーヒーを床に置いて、タバコを消した。
男は頷く。
「やはりそうでしたか…」
男はライカを首から掛け、コートのポケットに手を入れた。
「このマンションは彼の隠れ家ですからね…。若い愛人の名前で購入されてますが…」
男は私が情報屋のネコから買った情報と同じ事を話した。
男は振り返ると手摺に肘を突いて、向かいにある高級マンションを見つめた。
「彼は今朝方、車で東京の自宅に戻ってます。今頃は事件のもみ消しに走り回っているんじゃないですかね…」
男は振り返ると手摺に背中をつける。
そして、微笑んだ。
「ここであなたが、無駄に風邪をひいてしまうのが忍びなくて…」
私はその男の言葉に笑ってしまった。
男が何者なのか。
そんな事はどうでも良くなった。
私よりも数段上の情報をもっていて、ただ者ではない。
それが分かっただけで十分だった。
男は三脚にセットしたビデオカメラのレンズを覗き込み、ピースサインを出してニコッと笑った。
「情報。ありがとうございます」
私は頭を下げて礼を言った。
「いえいえ…。寝顔盗撮仲間なので…」
男は俯いて笑っていた。
私もそれにつられて笑った。
「じゃあ、撤収します…」
私はそう言うと広げた機材を片付け始めた。
男はその横で私のカメラを三脚から外し、手伝ってくれた。
そのカメラをジュラルミンのケースに丁寧に入れる。
「すみません。そんな事まで…」
私は三脚をたたみながら礼を言った。
「いえ。好きなんで…」
男はニッコリと微笑んで膝を突いて、バッグの中にビデオカメラを入れた。
「これから温かいモノでも食べに行きませんか…。冷え切ってしまったでしょう…」
新手のナンパ…、に見える事も無く、私も冷え切っていたので快く頷いた。
コインパーキングに停めてあった男の車はコンパクトな外車で、私の機材を積むと後部座席はいっぱいになった。
そしてその車に乗り込むと近くにある中華街の外れに向かって走り出した。
タワー式のパーキングに車を入れると小さな中華料理店に私たちは入った。
普通は知り合うと名前を訊く。
それは当たり前なのだが、不思議と私も彼ももう名前を訊くタイミングを逃してしまったのか、一切そんな挨拶もしなかった。
二人でいると、会話をする相手はお互いでしかないのだから、名前を呼ぶ事も無い。
昼間から美味しい広東料理を食べ、その後、その店の近くにあるチーズケーキの専門店でデザートを食べた。
そんなデートの様な事をしたのはいつ以来だろう。
私は男といる間、ずっと笑っていた気がした。
泊まっているホテルに送ってもらったのは、午後の六時を少し回ったくらいだったが、街はもう暗くなっていた。
私は重い機材を肩から掛けて、車の中の男に礼を言った。
「何から何までありがとうございます」
男は小さく首を横に振った。
「僕も楽しかったんで…」
男の車の中から聞こえてくるヘレン・レディの曲が印象的で、彼に似合ってる気がした。
「それじゃあ…」
男は微笑むとホテルの前から走り出した。
二度鳴らしたクラクションが周囲に響いて、私は彼の車に手を振った。
あの冬から三年。
私はまだ同じ事をしている。
アイドルのスキャンダルを上手く掴んだ私は前よりは少し名が売れ、収入も増えた。
そして何故か、あの日、彼が乗っていたのと同じ車を買い、助手のチビを横に乗せて走り回っていた。
「チビ。下見は出来てる」
「完璧っす」
私は咥えタバコでハンドルを握ると勢いよく道へと出た。
助手のチビは身長が低く、コンパクトだが使えるヤツだった。
チビとバディを組んで挙げたスクープも多くある。
「そのネコって情報屋…確かなんですか」
私の運転に揺さぶられるチビはダッシュボートに掴まりながら言う。
「私がこの業界に入って間もない頃からの付き合いよ。間違いないわ…」
私はカーナビから音楽を流した。
彼の車で聴いたヘレン・レディ。あの時から私も彼女の歌がお気に入りになった。
「今度こそ、しっかり押さえるわよ…田尻光太郎…」
私はチビを連れて、田尻光太郎がやってくるであろうマンションの向かいのビルへと向かっていた。
もう三年も追いかけている。
なかなかしっぽを出さない田尻が大きなミスをしたようで、今度ばかりは本人も慌てている様子だった。
コインパーキングに車を入れて、私とチビはビルの屋上に上がる。
いつもの様に三脚を立ててビデオカメラをセットし、望遠レンズを付けたカメラを立てる。
それもすべてチビが手際よくこなしてくれる。
私はその間、いつもの様にコンクリートの上に大の字に寝そべると、ライカを構えて空の写真を撮った。
その度に彼の事を思い出す。
特に恋愛感情がある訳ではないのだが、空を見る度に思い出していた。
「準備完了です…」
チビの声に私はゆっくりと起き上がり、田尻の隠れ家のマンションが見えるところに立った。
秋の空は徐々に高くなって行き、冬を迎える。
夏の雲はもう空を見渡す限り見えない。
私はアメスピの緑の箱を取り出して、火をつけた。
チビは最近の若いヤツでタバコは吸わないし、車にも服にも興味はない。
たまの休みにやっているゲームと安い酒を大量に飲む。
それだけにギャラを使っているようだった。
「何か腹減りましたね…」
チビは張り込みを始めると決まってそう言い出す。
私と一緒にいる時はチビにも私が飯を食わせるので、こいつの食費ってのは殆どかかっていない。
「わかったよ…。弁当でも買ってくるよ…」
私は立ち上がってライダースジャケットのポケットに手を入れた。
「あ、良いっすよ。俺、行きますよ…」
私は田尻のマンションの様子を見て、ポケットから金を出し、チビに渡した。
チビはそれを受け取ってポケットに入れる。
「何が良いですか…」
私はカメラのファインダーを覗き込みながら、
「何でも良い。お前のセンスに任せるよ」
とだけ言った。
チビはジーパンのポケットにデジカメを捻じ込んで屋上から出て行った。
私はその気配を感じて苦笑し、再び田尻のマンションを見下ろした。
さあ来い…。
田尻光太郎…。
私はタバコの煙を吐きながら、田尻光太郎の帰りを待った。
クリーンエネルギーセンター。
各地で問題になっている原発に代わるエネルギーを研究する施設で、その施設に関わる贈収賄に田尻は絡んでいる。
それが田尻を神戸で待ち構えたあの日以来、私が追いかけているネタだった。
突然、屋上の鉄の扉が音を立てて開き、チビが帰ってきた。
「おかしいな…。ちゃんと味噌汁二つって頼んだのになあ…」
チビは袋の中を見てブツブツ文句を言っていた。
私はそのチビを見て苦笑する。
「良いよ…。私、味噌汁、そんな好きじゃないし…」
チビは小走りに私の傍にやって来た。
私はチビから弁当を受け取ると、座り込んで弁当を開けた。
ビデオカメラのスイッチを入れるとチビも座り込んで、大盛りの弁当を食べ始めた。
「これ、見てくださいよ…。丸いポストがあったんですよ。まだあるんですね…」
チビはデジタルカメラで撮った写真を私に見せる。
私はそのデジカメを受取りポストの写真を見た。
チビには写真の才能がある。
写真だけなら私よりも上手いし、センスも良い。
「なかなか良く撮れてるじゃない…。こんなレトロなモノは絵になるな…」
私はそう言ってデジカメをチビに返そうとした時、その写真に写っている男に気が付いた。
「なんすか…」
チビは驚いて思わず声を上げた。
丸いポストの向こうに、神戸で出会った、あのライカの男が映っていた。
私はその写真を食い入る様に見た。
もちろん首からライカを下げている訳でもなく、あの日と服装も違うし、顎鬚も剃っているのだが、私はあの男だと気が付いた。
彼だ…。
私は立ち上がった。
その瞬間、膝に乗せていた弁当が床に引っ繰り返る。
そしてその時だった。
一発の銃声がビルの谷間に響いた。
私は振り返り、田尻のマンションの前を見た。
そこには車から降りた田尻が地面に横たわっているのが見えた。
田尻光太郎…。
私はカメラを掴んで走り出した。
「チビ、田尻を撮れ…」
私はそう叫ぶとビルの階段を駆け下りて行った。
ビルを出ると、道を渡り、田尻の倒れている場所へと駆け寄る。
頭部を撃たれ大量に血を流す田尻がそこに居た。
狙撃された事は誰の目にも明らかだった。
私は周囲のビルを見渡した。
どこから撃った…。
少し離れたビルの上で動く人影を見つけ、そのビルにカメラを構えて写真を撮った。
周囲に集まって来た野次馬を掻き分けて、誰かが動いたビルの方へと走り出した。
世間は、田尻が狙撃され死亡した事で大騒ぎになっていた。
贈収賄のスクープを狙っていた私たちは、田尻が殺された瞬間のスクープを手にした。
私は記事を書きながら思い出していた。
神戸で出会った彼は黒いボストンバッグを持って、そのビルから出て来た。
私はビルの向かいで彼の姿を見つけた。
彼は私に気付いたのだろうか。
三年も前の事だ。
私の顔なんて忘れているだろう。
しかし、彼があのビルから出て来たのは偶然なのだろうか…。
私はふと田尻を撃ったのは彼なのではないだろうかと思った。
まさかな…。
私は微笑んで、パソコンの記事の最後を書き、名前を入れた。
記事 野上来夏
私の名前は野上来夏。
カメラが好きな父と六月生まれのおかげでこの名前。
でも。
私はこの名前が気に入っている。
「ライカさん。腹減りましたね…」
チビが私に言う。
「何か食いに行くか」
私は机の上に置いたメモリカードをゴミ箱に捨て、窓から見える狭い東京の空を見た。
らいかのそらの下。 星賀 勇一郎 @hoshikau16
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます