果てしなき人生の旅路

第5話 旅は続くよどこまでも

　劉太郎と春男の演技を見に来ている観客の輪の中に、妻の成美と、長女の桃菜の姿があった。

　二人とも微動だにせず、演技しては失敗を繰り返す春男をじっと見つめていた。

「……くそっ、これ以上無様な姿を見せてたまるか。俺がここで終わるわけないだろ」

　春男は顔を強張らせながらそう言うと、大きく深呼吸し、気合を入れなおした。そして二本の糸を引っ張り、回転させた駒を乗せると、そのまま糸を何度も左右に動かした。やがて駒は、回転しながら左へ右へと動いた。

「見ろよ、駒がちゃんと糸の上を動いてるぞ」

「ホントだ。なんだ、やればできるじゃん」

　客の目線は、春男の操る駒の動きに釘付けになっていた。やがて駒は糸の上から跳ねるように宙を舞って、春男の手の上に落ちてきた。

「……できた」

　春男はしばらく呆然としていたが、客から沸き起こった嵐のような拍手の音で、ようやく我に返った。

「やるじゃんオヤジ……いや、春之助！　御覧になった皆様、多少御見苦しい所はありましたが、何とか無事に技を決めました。春之助にもう一度盛大な拍手を！」

　惜しみない拍手が沸き起こる中、春男は顔を赤らめながら駒と糸を劉太郎へ手渡した。

「さ、ここからは俺が盛り上げるから、親父はあの二人の所に行って来いよ。せっかく来てくれたんだからさ」

　劉太郎は目配せしながらそう言うと、春男は頷き、駆け足で成美と桃菜の元へと向かった。二人の前で立ち止まると、春男は息を切らしながら怪訝そうな顔で尋ねた。

「どうして、お前たちがここに？」

「どうしてって……劉太郎から、あなたがここで演技するから、家族みんなで見に来い、って言われたからよ」

「何だと？　劉太郎が？」

「そうよ。ずーっと音信不通だったのに、何の前触れもなく突然帰ってきてさ。とりあえずは劉太郎の言葉を信じて、子ども達にも声をかけて見に来たわよ。匠はさすがに無理だったけど、桃菜は『面白そうじゃん』とか言って付いてきてくれたのよ」

　桃菜は「すごく面白かったよ。全然お父さんらしくないのが良かったかも」と言って、茶目っ気のある笑顔を見せた。

「そうか。俺らしく、なかったのか……」

　すると二人は顔を合わせてクスクスと笑いながら、春男を指さしていた。

「どうした？　何で笑うんだよ？」

　唖然とする春男を見て、二人は更に笑い出した。

「いつの日か匠にも見せてあげたいからさ。それまでは頑張って続けてよね」

　成美は笑いながらそう言うと、隣に立っていた桃菜が成美の袖を引っ張った。

「ねえ母さん、劉太郎の演技が始まったよ！　すごいから見てごらん」

「え？　ホント？　わわっ、すごいじゃない！　あの子にあんな特技があるなんて」

　劉太郎は二本の糸を巧みに操りながら中国ゴマを上へ下へと回し、観客からは春男の時と比較にならないほど大きな歓声が沸き上がっていた。成美と桃菜も、満面の笑顔を見せてはしゃぎながら、劉太郎の演技を心から楽しんでいた。二人が笑顔ではしゃぐ姿を見たのは、いつ以来だろうか？

「俺の本当のゴールは、まだまだずーっと先にあるのかもな……」

　劉太郎の演技を見ながら、春男は一人つぶやいた。

　やがて劉太郎が演技を終え、観客が散り散りになっていくと、成美と桃菜は劉太郎の元へ駆け寄り、興奮気味に演技の感想を話していた。

　その脇で、春男は黙々と道具を片付けていた。

「今日は楽しかったね、お母さん。折角久しぶりに会ったんだし、食事でもして帰ろうか？」

「そうだね。桃菜、最近家に寄り付かなくなったもんね」

「へへへ、これからはもうちょっと顔を出すからさ」

　二人は劉太郎の演技の話で盛り上がりながら、春男の脇を通り過ぎていった。

「初めてにしてはがんばったじゃないか、親父」

　劉太郎が黙々と片付けていた春男に声をかけた。

「まだまだだよ……お前には敵わないよ」

「当たり前じゃん。さ、今日からまた頑張って練習するからな」

「ああ、いいとも。俺にはやっと目標ができたからな」

「ほう、何か大技でも狙うのか？」

「違うよ。お前が以前、俺に教えてくれたことだよ。忘れたのか？」

「え……何だっけ？」

「さ、またここから頑張らないとな」

「ちょ、ちょっと、何なの？　俺が教えてくれたことって？」

　頭をひねる劉太郎を尻目に、春男は清々しい表情で荷物を抱えた。

「みんなが幸せそうな顔をして帰っていくのを見たいから」……劉太郎が教えてくれたのは、孤軍奮闘していた会社員人生で、ずっと忘れていたことだった。

　退職で無事ゴールしたかのように思っていた春男の人生の旅路は、これからもまだまだ続いていくのだろう。今度は自分の幸せのためではなく、誰かの幸せのために。

（了）